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詩吟の魅力を発信する、【詩吟ch】
おはようございます。こんばんは。【詩吟ch】のheyheyです。
このチャンネルは、詩吟歴20年以上の私、heyheyによる、詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力や吟じ方について、
わかりやすくザックバラにお話ししていくチャンネルです。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
今日は、昨日の大寒波に比べれば、もうだいぶ穏やかになってきたんじゃないかなというところです。
今日はですね、奥さんが病院に診察に行かないといけないということで、
僕と娘で、モールの方でひたすら2、3時間ぐらい時間を潰すという、一大ミッションがありました。
1時間ぐらいプラプラ回っていたら、娘の方もですね、だんだんウトウトして、
ただカートに乗っているとですね、なかなか眠らないから、僕もベンチに座って、娘を腕に寝かしながらですね、
普段読めていない本を読もうということで、だいたい1時間ぐらいですけど、なんか久しぶりにちゃんと読書したなというところです。
今日、読んでいた本はですね、だいぶ古臭い本なんですけど、
たしか内村勘蔵のですね、人生の最大異物だったかな、
人間が生きるからにはどういったものを後世に残したいか、後世の最大異物だったかな、そういう内容です。
そう、時よりですね、ものすごい僕は古臭い本を読みたがるんですよね。
それか、最近の結構どういう風に稼いだらいいのかとか、ビジネス関係とか、
そういう本も結構読むんですけれども、時よりですね、すごく古臭い本も読みたくなるんですよ。
脱線はするんですけど、過去に僕が一番好きだった本は、
二戸部稲造の修養っていう本ですね。
収めて養う、修養っていう本、不死道ではないです。
この本も本当に、結構読みやすいんですけど、それでもですね、なんか昔ながらの言い回しがたくさんあって、
でもそういう空気感もですね、心地いいということで、
今日は色々読書してました。
ではですね、今日本題の方に移るんですけれども、
今日はちょっと雑談チックな、でも本質的な、なかなか再生数伸びないだろうなというタイトルなんですけれども、
銀道を歩むというのはどういうことか、そういうふわっとしたタイトルで話したいと思います。
なんで今日こういう話にしようかと思うとですね、今必死にキンドル本、電子書籍を執筆しています。
もう最後の章に行ってですね、そこを書こうと今頑張ってるんですけれども、なかなかにですね、筆が進まないと。
そこに書きたいところはですね、銀道に関する内容なんですよ。
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そのキンドル本自体は資金初心者のための教科書みたいな感じにしていてですね、
資金を始めたばかりとか、初めて数年経ったとか、そういった方がぶつかってしまう悩みに対してお答えしていくような内容になってます。
まあ網羅的にですね、骨組みとか肉付けをどうやったら鍛えていけばいいのか、
あとは大会で緊張する時とか、どういう心構えでやっていったらいいのかとかですね、
結構実践的に役に立つ内容をしています。
本当にはこのYouTube聞いてくださっている方は、それを最終的に網羅して整理したような内容にはなっているんですけれども、
まあそうですね、そこは実践的でいいんですが、やはり最後のところはですね、
僕も仮にも人生の3分の2以上資金をやってきたわけなので、ちょっと深い話をしたいんですよ。
なんで話をしたいかというと、やはり資金を続けてきて、1年2年3年5年10年続けてきてですね、
それでも資金やっぱり大変だからやめようかなっていう時が現れると思うんですよ。
思った以上に資金の組織に所属しているのは大変だったりとか、
お金が思った以上にかかってしまうとかですね、それよりももっと大事なことがあるし、
それに比べれば資金はなかなかそこまで重要でもないし、
1回ちょっとやめようかなとか、そういう気持ちが出てきてもしょうがないと思うんですよ。
僕は過去にやっぱり何度かそういうことがありました。
そういう時の自分に向けてですね、いやいや資金というのはもっとこういう深さがあってですね、
やりがいがあって面白さがあって、だから忙しくてどうしようもないとか無理する必要はないけれども、
こういうことも知った上でじっくりとゆっくりと長い目線で資金を楽しんでもらいたいなと、
そういう意味合いも込めてですね、今日の話を銀道を歩むとはどういうことか、そんな話をしたいと思っているわけです。
今日話す内容はちょっと過去に話した内容の再啓ということになります。
再び言うような形ですね、その時の内容は第50回資金が銀道と言われる理由がわかってきた話というタイトルと、
第51回ですね、声を作り込むとはどういうことかというそこの内容を書こうと思っております。
まるまる言うわけじゃないんですけれども、一つ目この銀道は何でこの道がつくのかですね、これについての話をしていました。
銀道、ただ上手いこと綺麗に朗々と吟じられればそれでいいのかというとですね、そういうもんじゃないんだということですよ。
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銀道、道がつくということはですね、行くべき方向性が定まっていて、だけれどもゴールはないよという話なんですね。
突き詰めても突き詰めてもここで完璧だっていうところがない。
だけれどもその歩むこと自体がですね、やはり自分を鍛錬している、修練している、人生を深く歩むためにこういう銀道という道を歩むこと自体がやはり人生にプラスになるんじゃないかなという、そういう理解でですね、僕もこの日熱弁しています。
それによってほんのわずかな読み方の違い、吟じ方、言葉の話し方の違いで表現力がブワーッと変わってきますよという話。
そして体をびくとも動かさずにやはり吟じた方が美しいよねという話をしています。
最近ですね、やはりこの時こんな良いことを自分なりにも話したつもりなんですけど、やはり最近は銀がどんどん軽くなってしまっているなというところがあるんですよね。
吟じている時に呼吸が浅くなったり、恐縮呼吸になってしまったり、首をグワングワ動かしたり、顔も動かしたりとかですね、そんな感じで手も動いたりやってるんですけど、
この時に話してたのはですね、やはり体を動かす人と、体を動かさない、ビシッとやってる人と、どっちの人の銀がいいですかという話をしてるんですよ。
その時僕が感じたのは、やはり体をびくとも動かさない人。
これはですね、ただ自分の美意識というよりは体を動かさない、体を動かすということは銀に対してまだ余裕がある状態だと思うんですよね。
銀に本当に真剣に集中して取り組んだのであれば、口しか動かない、それ以外を動かす余裕がない、遊びのない、もうそれだけに全力集中しているというもの。
死銀というものは遊ぶというよりは極めるみたいなものに近いんじゃないかなと思うので、やはり体を動かさない銀という方がですね、美しいなと。
ただガッチガチに固まるというよりは自然とスッと、銅と精で言えば精みたいな、そういう動かないイメージですね。
そういう形で本当に口だけ、顔すらも全然動かさずに口から紡がれるその声だけで全てを表現しようというその姿勢、それ自体がやはり美しい。
そういう状態を歩むことがやはり銀道に通ずるものなんじゃないかなという話をしておりました。
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もう一つはですね、声を作り込む話なんですけれども、これも銀道に通ずる話なんですが、いい声を出したらいいのかとか音程が100%バッチリな声を出したらいいのか、太くて響きのある声を出したらいいのかというとですね、ちょっと違うんですね。
声を作り込むっていうのは太い羊羹が体のど真ん中にあってですね、体の中に羊羹があってその羊羹の中心にですね、固い針金がブスーッと突き刺したような、そういうようなイメージ、それが声になって現れているようなイメージなんですよ。
太さはある、太さは必要だけれども、それだけじゃ足りないんですね。その中に固い針金がど真ん中にブスーッと刺さっている、この芯があるような状態なんですよ。声というものに芯を出すってどういうことなんだろうという本当に抽象的な話なんですけれども、
そう、ただ複式呼吸をやるっていうのは、複式呼吸でいい声を出すっていうのはこれあくまで手段なんですね。いい銀を、声を作り込むっていうのは声の中に芯を生み出すこと。こればっかりはですね、ただ出していればきっとできるというものではなくて、本当に自分の声の中心とはどこだろう、一番大事、固い大事なものは何だろうかとか、声を一体どこから出せばいいのか。
血を這うような声を出せばいいのか。その声の芯は何だろうかとか、本当にあの抽象的なことを考えて考えて考え抜いて、それに合わせて体をうまいこと使っていくんですね。
それの体の使い方の手段の一つがあくまで複式呼吸というものであって、複式呼吸で銀じたからといって銀が素晴らしいというのとはちょっと違うんですよ。
わかりますかね。自分でもなんか喋りながら今なんとか自分に言い聞かせるように話しているんですけれど。
そう、なので最近の自分はですね、昨日の銀も自分聞いたんですけど、いやーなんかだいぶ軽くなってしまってるなというところがありました。
音程も若干ずれてはいるし、いやーこれはよろしくないなと。本当に自分の体を羊羹に見立ててですね、その中に針金がブスーッと真ん中に刺さっている。
その状態でギューッと絞り出して、声が、芯の通った声がピーッと出す。ただフワフワフワーッと気持ち悪く出すのとはやっぱりちょっと違うんですよね。
そういう出し方をしてたらやっぱりきっと疲れるんです。汗をかくんですよ。そういう銀の方が真剣みですね。
聞いてて心地よいっていう銀も僕はやっぱり大事かなとは思うんですけれども、銀道を歩み続けるという意味ではやはり逃しちゃいけない、見逃しちゃいけない?
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失くしてはいけないものはそういう姿勢なのかなと思いまして、この針金と羊羹の話、これもちょっと最近サボってたので改めてやらないとなというところです。
こういう話をしてですね、もっと詩銀の奥深さ、やりがいの深さでこういう風な吟じ方をするとですね、自分の声はもっともっと良くなるんだなとか、もっともっと詩銀の深みを感じられるようになるんですよ。
そっちの方に行けば行くほどだんだんと銀がもっと面白くなるかなと。ただ気持ちよく吟じるだけだとですね、どっかでやはり飽きてしまってくるところがあるのかなと思いまして、僕の書いているキンドル本の最後にですね、銀道を歩むとはどういうことなのか。
今日話したような内容を盛り込んでですね、もっともっと長くじっくりずっと続いていく道があってですね、それを歩むことによって詩銀をもっともっと楽しく吟じ続けられる、それこそ生涯にわたってですね、歩み続けられるというもの。
人生経験も相まってそれも全て声に乗って良い銀になっていくのですから、どうかですね、やめることなく銀をこれからも続けていってほしいですと。そういう締めくくりでなんとかキンドル本を書きたいなと思っています。
本当に今今日はですね、喋りながらどんな風に最後まとめたらいいのかなと悩んでいて、今の喋っている内容で7割方はなんとかなるかなと、昨日1時間ぐらい本当に夜中にうねってうんうんやってて書いては消して書いては消したんですけど、全然進まなくてですね、これはまずいというところだったんで、
こんな感じの内容ですね、盛り込んで本当に長く、電子書籍なんですけれども、長く役に立つようなものに、できればペーパーバッグというのは書籍版も自分でできるらしいんですけど、本当に5年10年ずっと読んでもらえるような人の役に立つような資金を楽しみ続けてもらえるような本を作りたいなというところです。
なんか今日はいつも以上にまとまりのない感じですね、ちょっと申し訳ないんですけれども、そんな形で2月中に必ず2月中に販売出版か出版しようと思いますので、どうかどうかお待ちいただければと思います。
よし、では後半の方、吟じていきたいと思います。
今日もですね、ちょっと珍しいのかな、あまり他の人は吟じてるの聞いたことはないんですけれども、いい内容だなと思ったんで、こちらの誤文ゼックを紹介したいと思います。
いちむら、きどう、さく、さんちゅう、そくじ、山の中のそくじ、そうですね。
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くも、きたって、せんしょう、がっし、くも、さって、ばんぽう、わかる、せいざん、もと、うごかず、いつにまかす、きょらいの、くも。
たくさんの雲がきて多くの峰を包んでしまうと山は一つのように見えるけれども、雲が去ってしまえばまたたくさんの峰に分かれて見える。山はもともと不動のものであり変化して見える景色は往来する雲によって生ずるものである。
本当に大自然を見て何か学びましょうという感じなんですけど、そう僕こういうの好きなんですよ。
自然を見てこれを具体的に何かに生かそうというわけじゃないんだけれども、大事なものは大事なものだし、動きゆく移ろいゆくものは移ろいゆくものだし、そういうものをありのまま見て感じて意識なんとなく覚えておきたいな大事にしておきたいなとそういう内容ですね。
こういうものは本当に朗々と伸び伸びと高らかにしっかりと吟じないとこういう詩の良さはきっと出ないと思いますので、この針金と羊羹の話とか、顔を動かさない状態とかですね、ちょっと改めてそこを気をつけながら吟じていきたいと思います。
三昼即時 市村喜堂
三昼即時 市村喜堂
三昼即時 市村喜堂
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いかがでしたでしょうか。銀としてはアクセントが雑だったり、音程がちょっと怪しかったりというところはあるんですけれども、いつも以上にお腹が疲れた状態で、顔もできるだけ動かさずに頑張れたんで、自分としてはちょっと頑張れたかなというところです。
毎回の銀はこんな感じで、もっと集中しないといけないなというところですよ。やっぱり駄目ですね、ちゃんと。
一日一日一銀するたびにちょっとだけでもお腹を痛めるぐらい集中して頑張って、でもその方がですね、きっと銀寺終わった後も晴れ晴れとした気分になるのかなと思います。
ということで、今回YouTubeも190回、もう200回もあとちょっとですし、しぎんチャンネルの登録者数もあと20人ぐらいかなというところなんで、本当に銀道と同じくコツコツ毎日続けていきたいと思いますので、引き続き応援いただければ嬉しいです。
チャンネル登録もぜひぜひよろしくお願いします。
ではでは、しぎんの魅力を発信するしぎんチャンネルどうもありがとうございました。
ばいばい。