00:02
詩吟の魅力を発信する、詩吟チャンネル
おはようございます、こんばんは。詩吟チャンネルのheyheyです。
このチャンネルは、詩吟歴の長い長い私、heyheyによる、詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力や吟じ方について、ザックバラーにお話ししていくチャンネルです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私はですね、ちょっといろいろ人に会ったりして、ちょっと大きな変化もいくつかありました。
あと出産が、奥さんの出産があと2、3週間なんで、だいぶやきもきしながら頑張りたいと思います。
今の時点ですでに3300グラムらしいんですよ。やばいなっていうちょっと思ってます。
ちょっと置いてですね、詩吟に関しての話なんですけれども、
お話ししたい内容はですね、だいぶあの、何というか、先にタイトルを言っておきますと、詩吟が吟道と言われるわけがちょっとわかったよというお話です。
なんかすごいあの、何とも言えないタイトルですね。ちょっと雑談チックな感じになると思うんですけれども、
なぜ、なぜ詩吟がですね、吟道と、道と書いて吟道と呼ばれるのが、あまり今まで深く考えたことはなかったんですけれども、
今回ですね、僕の教わっている先生からいろんな話を聞いてですね、なるほどと、そういうものなのかということをようやく、
詩吟歴23、4年目かな、そんぐらいにしてようやく、なんかちょっと変人がわかってきたので、それを皆さんと共有できたらなと思ってお話ししたいと思います。
なんでそういう話になったかというところなんですけれど、前に僕はお話ししたんですが、詩吟の大会で全然評価されなかったということもあったり、
後はこれから子育てがあるということもあってですね、これから少なくとも1年は、今教わっている詩吟の練習はですね、もうストップして、
こういう配信活動の方にももう少し注力しつつ、子供のことが第一ということで、それで先生にご挨拶しに行ったわけなんですよ。
先生からしたらすごいがっかりして怒られるかなとか、いろいろ思ったんですけれども、本当に1時間半とかぐらいですかね、いや2時間ぐらいか、2時間ぐらい先生と面と向かって、
カフェで詩吟についてですね、あと先生の詩吟の今まで頑張ってきたこととか、たくさん聞いて、それを聞いているうちにですね、
ああなるほど、だから吟道と言うんだなということがわかったので、それをお話ししたいということです。すみませんちょっと長ったらしい前置きになってしまったんですけれど、
僕もあまりですね、今回は綺麗にまとめられていないんですけれども、どうか興味のある方お付き合いください。
詩吟というのはですね、銀泳とか銀泳剣志部とか吟道とか、いろんな呼び方があるんですよね。
03:03
特に意識して使い分けてたことはなくて、さらに言うと、なんで道っていうのかですね、それもちゃんと考えたことはなかったんですよ。
僕も空手を小学校の時やってたんで、それも空手道とか言ってますし、日本的なものは結構その道というものはつくわけなんですけれども、
道というものがつくということはですね、やはり突き詰めるべき方向性があって、かつその道がですね、決してゴールがない、
生涯にわたって歩み続けられる、そういうものがあるから、そういうもの、概念があるところが道ってつくんじゃないかなと思っています。
方向性はある。先輩、大先輩とかその先に進んでいる人もいる。ただそういう人たちにおいても、自分たちにおいても、別にゴールというものはなくて、
どんどんと突き進んでいくというものなんですね。つまり詩吟というものに対して、やはりこういう詩吟が美しいとか、
こういう境地で吟じるものが素晴らしいとか、そういうものがあって、それに突き進んでいる人が実際にいるということなんですね。
わかりますかね。僕も喋りながらよくわかんなくなってくるんですけど。それであの詩吟先生からどういうことを聞いたかという話なんですけれど、
個別に今度から実践しながらやっていこうと思うんですけど、一つは素読千回ですね。
素読百遍という言葉聞いたことあるかもしれないんですけれど、素読っていうのは詩吟の詩文を読んでいく作業のことを言います。
詩文のアクセントとか発音とかをちゃんとわかるために行うことなんですけれども、僕も素読百遍とは言われていたけれども、
素読千回をやるのよということを今回先生から教わりました。
本当にですね、千回一日でやるわけじゃないですよ。一日に10回とかそういう程度でも別にいいんですけれども、
それをもうずっと毎日続けていくということをやられていたそうです。
そうなると何がわかってくるかというとですね、だいたい5回ぐらい丁寧にやっているともうそこら辺で飽きてくるらしいんですって。
だいたいおばさんくさい話になってきたんですけど、言い方になってきたんですよ。
5回ぐらいで飽きてくるんですよ。僕もやったことあるんですけど、だんだん機械的な作業になってしまうんです。
でも真剣に飽きてきたところからようやくですね、スタートなんだよということを言われます。
そこから続けていけばいくほどですね、詩文の作者が一体どういうところが伝えたいのかというのがわかってくるらしいんですよ。
この詩であればキクのここの部分、あとテンクの部分を聞かせたかったとか、
実はショークのところの方が一番伝えたかったんだっていうのがわかってくるらしいんですよ。
06:04
さらに言うとですね、その先生が過去にお会いした大先生みたいな人たちが言うにはですね、
何度も何度も素読していると、何というか作者が憑依してくるというかですね、
情景がありありと浮かんでくるというか、そういう境地に至るんだそうです。
本当にしみじみおっしゃっていたんで、やっぱきっとそうなんですね。
素読1000回やって、詩吟の練習はというと2、3回でいいんだと言ってたんですね。
本当に僕も過去に会長とか本当にお偉い先生から話を何度かだけ聞いたことあるんですけれど、
やはりですね、結構皆さん同じようなこと言ってるんですよね。
僕は未だによくわかんないなと思いながら聞いてたんですけれども、
本当に改めて今回そういう話も聞いて、素読1000回、詩というものはですね、
本当にさらさらっと読んだら多分本当に1分ぐらいで終わるような、
1分30秒とかで終わるようなものなんですけれども、
それを繰り返して繰り返して、まずは発音、発声、アクセントで前とかを気にしながら読んでいくだけなんですけれど、
それを繰り返していく中でだんだんと見えてくるものがあるんだそうです。
そして、例えば詩文の中でですね、月光、月の光とかっていう言葉があるんですけれども、
その月光、この小さいつをですね、どういうふうに表現するか。
月光なのか、月光なのか、本当溜め具合は人それぞれなんですけれども、
その溜め具合一つで情景が出てくるのか、ただ溜めているのかとかですね、
そういう違いが出るんだそうです。
いやー本当かと思いながらですね、
先生が本当に生き生き話していたんで、なんかいいなと思いました。
そしてもう一つお話ししたいエピソードがあってですね、
先生が他に教えられている生徒さんの話とはいえ、僕よりも何年も何十歳も上の方なんですけれど、
一人はですね、なんというか、すごい気真面目な方で、
もう真剣に、ちょっと力も入りがちなんだけれども、
体をガシッと、ビシッと立って、
背筋もピンとして、顔も動かさずに必死に吟じている方なんですよ。
僕も聞いたことあるんですけど、本当に姿勢が美しくて、堂々とされていました。
もう一人の方はですね、いい声をされているんですよ。
本当に味のある声をされているんですけれども、
ついついですね、吟じている際に、感情が入って首が動いてしまったり、体がちょっと動いてしまったり、
そして始まりにはですね、大揺りのところとか、そういったところで、
自分なりの、なんというか、自己流な表現方法がちらほら出てくるんですよ。
09:00
この両者の吟じ方、どっちもすごくよくわかるんですよね。
どちらかというと僕は後者なんですよ、後者。
ただ、詩吟、これ聞いている方には賛否両論あるかと思いますし、
ですけれども詩吟において美しい詩吟というものはですね、
前者、この体を動かさずにピシッとした姿勢でやるというものが、詩吟としてはやはり美しいんだと思います。
先生はそうおっしゃっていましたし、僕もその話を聞いて改めてそう思いました。
どちらかというとですね、僕は最近まで手も体も動かしてもいいから、
聞いている人が楽しくなるような情緒豊かな表現がですね、
それもそういう詩吟もやっぱりいいんじゃないかなと思っていたんですよ。
なんというか演劇みたいな詩吟ですね。
それも決して否定するところではないし、見せる場面とかによってはですね、
そういうのもありだと思います。ジャンルとしてはありなんですけれども、
なんというかな、吟道という道として考えた、捉えた場合にですね、
どういう詩吟が、どういう詩吟に向かっていくといいのかなって考えたときに、
この体を動かさないことがいいんだなと思いました。
すみません、ちょっと説明が今足りないんでもう少し重ねていくんですけれど、
なぜそれがいいかというとですね、詩吟っていうのは、
楽しむものというよりは突き詰めるものであって、
自分自身を立するものなんだと思うんですよ。
自然のありのままを出すんだというよりは、
自分をちゃんとした形に綺麗に当てはめて、
その中でより美しさを極めていくというようなものなんですね。
なんというかな、その中だからこそ詩吟の良さが出るもんだなと思うんですよ。
ダメだな、説明がうまくいかないな。
なんていうかな、体が動いている、自己流で表現できる、
そういう状態っていうのはですね、まだ精神的な余裕があるんですよ。
ゆとりが、まだ余白があるんですよ。
そういうのではなくて、銀道という突き詰める道なのだから、
そういう余裕を一切持てるほどのないように、
より美しい銀とは何なのかということを考え抜いた先がですね、
もう姿勢であったり、顔ももう微動だに動かさず、
口だけ動かして、出てくる声だけに集中して、
それで作者が表現したいものを朗々と表現する。
それが詩吟のあるべき姿、突き詰めるべき姿なんだろうなと思います。
12:07
本当に今日はすごいですね、なんというか全然散らばっているような話なんですけれども、
体が動いてしまうっていうのは、あくまでまだまだ自分に余裕があるんですよね。
余裕があるってことはまだ真剣味が足りない、突き詰めるところが足りていないとかですね、
そういうことになっちゃうんですよね、そう思います。
本当に先生からそう話されてですね、自分はまさしくもう体動かすなとかやっちゃうなと思って、
まだまだ詩吟の奥深さが本当に理解が足りないなと改めて思った次第です。
なんていうかな、そうなんですよ、そうなんですよ。
本当に言葉のちょっとした溜め具合だけでもとか、疎読を何回も繰り返したところでとかですね、
あとは型という意味であれば、より正しい発音、発声、アクセント、
これをですね、本当に100点に極めるだけでもめちゃくちゃ大変なんですよ。
今回僕やろうとしたんですけど、それでもなんか95点いけたかどうかぐらいなんですけど、
本当にそれだけやるだけでもめちゃくちゃ大変なんですけれども、
それに加えてさらに自分の表現とかですね、立ち振る舞いとか、
顔も動かさずに全て声に集中するとか、声を練り上げるとかですね、
そういうようなところを型にはめて、はめて、はめて、真剣にやって余裕がないぐらいにやった先に、
きっと得られるものが、銀道のより美しい詩銀なんじゃないかなということを感じました。
だから詩銀というのは、銀道と道という漢字がつくんだなということを今回改めて思った次第です。
本当にですね、今回全然これができればいいですよみたいな有益な話とかでは全然なくて、
僕が今どれだけ銀道の手前にいるものなのかということを改めて知ってですね、
まだまだ先だなと思いながらも、とはいえですね、
いろんな新しいものがどんどん生まれて、価値観がどんどんいろんな価値観が生まれて、
何が正しいのか、何が素晴らしいのかとかですね、ぐにゃぐにゃしているこの時代においてですよ。
この道という一つはっきりしたカッコとした突き詰められるものを持っているっていうのは、やっぱ嬉しいなって思うんですよね。
そう、迷わないというか、そういうものが銀道という道を一つ自分は歩めているっていうのは、
やっぱ体に一つ芯が通ったような感じがしたいですね。いいなって思うんですよ。
だから最初今日の話は、これこそが資金の魅力だみたいな感じでこの銀道の話しようと思ったんですけれど、
15:06
なかなか僕もうまいこと説明できる自信がなかったんで、こういうもやもやした感じになっています。
やっぱりですね、いろんなことを突き詰めた上で、その先の先の先にあるのは、ある資金の魅力っていうのは、
この銀道という言葉に表されるようなですね、本当にある意味カッコとした道、道があるというもの、
声で表現する道があるということがですね、資金の本当の魅力なんじゃないかな、
唯一の最終地点のような魅力なんじゃないかなと思った次第です。
これほどまでに、本当に今日は取り留めなくて申し訳なくて、それでもこの話をしておきたいなと思ったのは、
昨日先生からそういう話を聞いてですね、改めて本当に資金歴20何年経ってようやく、
資金の魅力ってこういうことなんだっていうのを知ることができたんですね。
これは自分のためにも残しておきたいし、資金になんとなく興味を持って、
ただ余計なところで壁を感じてですね、資金の魅力を知らないまま辞めていかれるような方がいても、
本当にそれは悲しいことなんで、資金の先ってこういうものがあるんですよというのを、
少しでも本当にエッセンスというか、ちょびっとだけでもですね、雫だけでもお伝えできれば、
やっぱりお伝えしないまま去っていくのは悲しいことなんで話してみました。
いかがでしたでしょうか。
本当に取り留めなさすぎて、何と言ったらいいかわからない方も多いかもしれないんですけれど、
何かしら一言でも感想いただけたら嬉しいです。
今日はちょっとたくさん話してしまったんですけれども、
この話の中で今日出てきたですね、詩を一つやろうと思います。
李白、李白の聖夜詩ですね、聖夜詩。
こちらの詩になります。
先に詩文いっていきますか。
聖夜詩、李白。
正然月光を見る。
豚の楽はこれ。地上の下かと。
神戸をあげて三月を望み。
神戸を垂れて、垂れて、故郷を思う。
寝台の前に月の光が明るく白く差し込んでいる。
あまりの明るさに霜ではないかと疑ったが、それは月の光なのであった。
神戸をあげて見れば山上に明月が光々と輝いている。
異郷にあってこのような美しい月を見ると、
とりわけ故郷を思う状に惹かされて、感慨に沈んでしまうのである。
先生が話されていたのがこの月光なんですよ。
正然月光を見るのが月光らしいですね。
これの言い方だけでものすごく研究したとおっしゃっていました。
18:02
僕はもう何の研究も今していないんですけれども、
これがスタート地点だったみたいな感じですね。
仕事が始まったら通勤時間を使って、
祖読千回チャレンジしてやろうかなと思っております。
では、まだまだ道、途上の自分の吟ですが、お聴きください。
聖夜市、利伯、正然月光
聖夜市、利伯、正然月光
神戸をあげて三月をのぞみ
神戸をたれて故郷をのぞみ
歌謡楽はこれ
ちょっとこれ間違えたかもしれないですね。
歌謡楽はこれ地上のですね。
真剣にやらなきゃとか言えば言うほどですね。
自分をちゃんと見ていないみたいな感じですけれど。
本当にダメですね。生活リズムが乱れております。
もう少し来週から仕事が再開して、
車の中で毎日10回真剣に祖読をする。
21:00
それを平日毎日繰り返す。
一つの詩に対してできるだけ突き詰めていくということもやろうかなと思っております。
本当に私吟の教室はしばらく休むんですけれど、
僕が通う方ですね。
それでもできることっていうのは、
教室に通わなくても、
詩吟で吟道に対してできることっていうのは、
本当にたくさんあるんだなということをしみじみ感じたのでですね。
近々そういうような話についても、
今日の話はあくまで本当の何か言いたいことのエッセンスなんですけれど、
そこから細かく分けていってですね。
各々実践しやすいような、練習しやすいような、
そういう話を分かりやすくお話ししていきたいと思っております。
本当にここから先は自分でも実際にやりながら、
吟道の道を少しでも前進しながら、
その得られた学びとか感覚を共有していければいいんじゃないかなと思っておりますので、
引き続きどうか温かい目で見守って、
そして一緒に詩吟を楽しんでいただければ嬉しいなと思います。
では本当に今日はざっくばらんな話ばっかりして申し訳ないです。
感想ちょっとでもいただけたら嬉しいです。
詩吟のミルクを発信する詩吟チャンネル、
今日は以上です。どうもありがとうございました。バイバイ。