子供を持つことの再考
おはようございます。詩吟YouTuberのheyheyです。このチャンネルは、詩吟で役に立つ内容であったり、副業と育児と会社員の中での悩みや役に立つ情報を配信していくチャンネルになっております。
今日2本目になるんですけれども、こっちはですね、プライベートのだいぶ込み入った話になりまして、子供の2人目をどうするかっていうところですね。
ちょっと前のところでは、今家に2歳の女の子、娘が1人いる状態で、年齢も僕が36歳、奥さんも36歳ですね。そろそろ僕37歳になるんですけど、という状況でどうしようかなというふうに悩んでおりました。
ただ、ここ数日になって、今までちょっといろいろ理由づけで考えたら、1人で十分なんじゃないかなと思っていたんですが、ここ数日でその考え方が結構切り替わってきたんですね。
2人目持とうかな、持つ方向で進めようかな、僕自身が望んだからといってできるものではないんですが、だいぶ気持ちが変わってきたので、
その理由をここに残しておきたいと思います。
本当に前の配信の復習みたいになるんですけれども、合理的に考えると、1人で十分だなってずっと思っていたんですよ。
やっぱり奥さんの年齢もだんだん高めになってきているというリスクもありますし、今1人ででも、子供1人なのに2人がかりで、結構丁寧にやっているような気はしなくはないんですが、
それで、ひいひいはーはー言っている状態で、これ以上子供が増えたらもうダメだというような、そして副業とかに費やす時間とかもなくなって、将来に渡せる選択肢、自分の選択肢も出し、
子供に見せられる選択肢も狭まってしまうんじゃないかなということを考えていてですね、その頃も疲れていたのもあるんですけれども、あまり乗り気じゃなかったんですね。
2人目を求める気持ちが、どうだろうな、4、6、6の方が1人でいいかなと、いらないかなと、2人目いらないかなという気持ちが6で、いるというのが4という、それぐらいの責め気合でいました。
ただですね、ここがそれが変わってきたんですけれど、その大きな理由はですね、そんな子供を持つか持たないかっていうのを、理由いるかなっていうところですよね。合理的に考えるのって正しいのかなって思ったんですよ。
合理的に考えること自体が違ってきたように思いました。それはスケさんの配信というかコメントのやり取りでもですね、スケさんがもう体調崩されていても、それでもなおですね、やっぱり子供がいるっていうのはすごくいいですよって話していたのも、それも結構心に残っているというのもあります。
あとですね、もう一つはちょっと話がそれるような感じがするんですけど、僕の中では大事なところでですね、古典ラジオ僕大好きなんですよ。その古典ラジオの古典の代表の深井龍之介さんが執筆している本があるんですね。
歴史思考、思考っていうのは思って考えるの思考ですね。歴史思考っていう本の冒頭の方に書いてあったんですけれど、いろんな仕事を進める上でとかですね、悩みがあるんですよ。この30代とかになったらこれぐらいのことできてないといけないよなとか、周りの人はこれだけ稼げているからダメだなとかですね、もっと実績を残すために何々しないといけないとかですね。
そういうふうについつい自分を追い込んでいたんですけれども、歴史的に見たらですね、行為意識的に行動することですね。行為はなんか大して意味がないというか、行為をしたからといってその結果が得られるかというと全然そんなことないよっていうことを話しているんですよ。
一番極端な例とかで言うとですね、イエス・キリストがもともとは大工さんだったんですよ。大工さんで30代とかになってから3年ほどですね、布教活動をして、でもそこでそんな膨大な数の人に布教できたというわけでもないんですよね。たった3年間ですからね。
だけれどもそれがその後に死後にですね、もうとてつもない影響力を持つ宗教にまで組み上がっていったという話があります。
あとはガンディですね、インドの非暴力不服寿のガンディについても全然パッとしない人生だったんですけれども、南アフリカに行った2週間でスイッチがキリッと変わったような、そういう体験を経て全然違う道にと言いますか、進んでいったというところがあります。
これで何が言いたいかというとですね、そこから先にすごく感銘を受けた言葉があって、行為そのもので人間の価値が決まるというよりは、それはもう神のみぞ知るというかわからないんですよね。
それ以上に、そこに存在していることですね。存在していること。存在しているだけで99%人生の意義が成立していて、人に与える影響はある程度存在していることで決まっていて、残り1%が行為によって決まってくるというふうに書かれていたんですよ。
自分がどう行動するかが、別にそれが直接結果じゃないんだよという話ですね。存在していること。これがものすごく心に残っていてですね、理由とかどうでもいいんだなというか、どう行動するかとか、どういう理由で何を行動するかとかがですね、そこまで考えなくても関係ないんじゃないかなというふうに思ったんですよ。
これをちょっと子供の話に、なぜか僕は結びついてですね、いろんな理由をつけて子供が欲しい欲しくないとかじゃなくてですね、やっぱり人は存在しているだけでもういいんだからですね。僕がもう存在して欲しい。心からですね、2人目が普通に欲しいよねっていうふうに思っているのであれば、それでいいんじゃないかなって思うんですよ。
しかもあとはその先がどうなるかっていうのも、なってみないとわからないっていうのもあるかなって思いました。
ちょっと話が今日飛躍しているような感じはするんですが、僕の中ではしっかり影響しているんですよね。
細かい理屈、合理性、意識的な行為、そういうものが直接自分の将来にとか、自分が死んだ後とかですね、そういう影響力、意義に何が直結するかというと、そんなことじゃないんだと、そこにいるだけでいいんだという話です。
2人目の計画
だからですね、子供もあれこれ理由をつけて欲しくないというよりはですね、理由という枠から外れて、元々どうしたいんだっけっていうところに振り返ったんですね。
そうなると、僕も奥さんも不妊治療を始める前は、お互い3人兄弟だったから、やっぱり子供って3人いたらいいよねっていう話をしていたのを思い出したんですよ。
だからまあただ年齢とかから、そこからその3人というのはちょっとさすがにとは思うけれども、でも2人目はいていいんじゃないかなとか、そういうふうにだいぶ気持ちが変わってきました。
今までリズメで言ってたからですね、未来を心配すればするほど理屈で安心したいんだと思うんですが、だからどんどんリスクの方ばかりを考えて、求めない方向にずるずる行っていたんですけれども、ここで一気にパラッと気持ちが切り替わってきた感じです。
この話は奥さんにも直接、この歴史志向のことも含めて話していて、奥さんもちょっと話が伝わったみたいでですね、あとは今不妊治療中に良質な卵子と精子を保管していて、保管期限ももう5年ぐらい延長してるんですが、そろそろ期限なんで、本当の期限らしいんで、それが一体どういうふうな期限になってくるのか、そこをちょっともう少しちゃんと確認して、
それから行動方針をちょっと早めに決めていこうということになりました。確か保管期限が3月か4月なんですよね。
だからそれがどういうふうに関わるのか、それによっていよいよ本格的に2人目、もしうまくいったら、奥さんも3級に入るし、僕も1級にがっつり入るし、
そこから一気に副業を本業にするフレーズに入るかもしれないし、とはいえ本当に先を考えてもどうしようもないし、今の行為を嘆いても嘆かなくても関係ないし、
今自分がやっていることはただちゃんとその場、今に集中してやればいいんだということですね。
ちょっと子供のことだけじゃなく自己肯定感が上がった話でもあるので、ちょっともっと掘り下げたいところではあるんですが、
とりあえず1回この子供を求める気持ちはですね、ここ数日で変わったよということをここにボイスメモとして残させていただきました。
プライベートな話ですが、聞いてくださってありがとうございます。何かしらコメントあればですね、とても嬉しいです。
では最後まで聞いてくださってありがとうございました。バイバイ。