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2024-12-04 10:09

反面教師から正面教師になった僕の父親の話


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おはようございます。詩吟YouTuberのheyheyです。このチャンネルは、36歳の私が詩吟に役に立つ配信であったり、副業と育児と会社員の三本柱で頑張っている中の悩みとか役に立つ情報を発信していく内容になっております。
今日お話しするテーマはですね、反面教師の後に正面教師になった僕の父親についてというテーマで話したいと思います。
正面教師という言葉があるのか、僕はよくわからないんですけれど、反面教師はありますよね。こんな人になりたくないなぁと。
だからその逆の道を行こうということで、ある意味一つの教師になっているということですね。相手をやゆしている形なんですけれども。
僕の父親は今、後期高齢者に行っています。僕が一番下の方なんでですね、長女の姉に比べると6歳離れているんですよ。
というのもあってですね、そこそこ父親がいい年をしている状態になっています。
結構長い間ですね、僕は父親のことを反面教師にしていました。
父親が定年になるまでですね、定年になるまで反面教師にしていて、定年を過ぎた後はですね、いいなこういう人っていうふうに切り替わったんですよ。
今日は本当にそういうお話になります。興味のある方は最後まで聞いてもらえればと思います。
早速なんですけれど、僕の父親はですね、僕が家にいる頃は、父親が働いている間の頃はもう仕事人間でした。仕事人間ですね。というふうに子供の僕には見えていました。
なぜなら、もう分かりやすくですね、朝は僕が起きるよりも早く出社していて、帰りは僕が寝るよりも遅く帰ってきたのが当たり前だったんですね。普通だったんですよ。
休日だけ家にいる。でも休日もたまに仕事持ち帰ったりとかですね、ちょっと忙しくしているような感じで、だから母親にばかり育てられてきたんですけれども、母親はですね、やっぱり抑えきれないんですよ。文句いっぱい言っちゃうんですよね。
私ばっかり見てみたいな感じの文句を言ってるのも聞いていたので、やはり母親寄りの視点を持ってしまうんですよ。
だから僕としてはですね、こんな家庭のことのバランスが取れないような、そんな生き方をしている父親は嫌だと。そんな風な働き方、そんな風な生き方はしたくないっていうふうにずっと思っていましたね。
学生の頃とかは常に思っていましたし、ただ社会人になってからですね、朝から晩まで子どもいながらも働き続けることの大切さとか大変さというものは分かったので、そこでちょっと変わってきたところはあります。
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あるんですけれども、ただやはり一番大きく変わったのはですね、父親が定年退職した時です。雇用の延期とかもせずに、何歳だっけな、65歳?60歳?そのぐらいかな。思いのほかスパッと辞めたんですよ。スパッと辞めたんですね。
仕事人間だと思っていたのに、あれスパッと辞めたぞってなって、その次にですね、どれくらいかな、辞めた年の1年以内ぐらいに世界一周旅行行っちゃったんですよね。
ピースボートっていう有名な、よく張り紙をしてあるやつですね。それで一人で、一人なんですよ。一人で3ヶ月間世界一周旅行に旅立ちました。
エジプトも行ったし、マチュピチュも行ったんですよね。一通りのところヨーロッパ行って、エジプト回って、インドも寄ったんだっけな。そこら辺も寄って、みたいな感じの世界一周旅行を行ってきたんですよ。
夫婦で行かないんかいっていうツッコミはなくはないんですけれども、我が家の父親両親は独特な感じですね。お互いのテリトリーは大事なんですよ。
各々の時間を結構大事にしていて、各々それぞれの部屋でそれぞれの全く違ったジャンルの本を読んでいるような人たちなんですけれども、思想が全然違うんですよね。
結局仲がいいんで、こういう仲の良さがあるんだっていうのは、これは最近になってからわかったことなんですが、そんな感じで一人で行きました。
これがですね、やっぱりまず素晴らしいなってすごく思ったんですよ。
あんなに仕事人間だったのに、一気に趣味というか自分がやりたいことというか、そっちに振り切れるその情熱をずっと持ち続けていて、その情熱をもとに実際に行動に移したっていうのはですね、
これ自分の場合できないなって本当に思うんですよ。きっとそれだけ長い期間仕事人間だったらもうその色に染まっているんじゃないかなと思うんですよね。
そうではなくて、ずっと中にはその炎を持ったまま定年を迎えた瞬間にスパッとやって行動して、しかもそこのピースボットでものすごく生き生きと過ごしていたんですよ。
その上で楽器はちょろちょろ、素人に毛が生えた程度楽器ができたり歌ったりするのができたり、リコーダーを吹いたりするのが得意で、それで簡単な音に起こしたりとかができるんですよ。
という音楽系の趣味とかがあるんですけれども、それで船の上でですね、親父バンドってやつを結成したんですよ。
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そこで本当に同年代のおじさんたちと各々持ち寄った楽器でですね、それで何か演奏してたっていう話ですね。
そこでの繋がりがもうピースボットの旅行から終わった後もずっと続いていてですね、日本中に散らばっている友人が新たにできたんですよ。
北海道の方からはですね、鮭とかが送られてきたりとか、四国とか中国地方とか、本当にいろんなところですごい繋がりの深い友人を作っていたんですよね。
この年でこんなアクティブな生き方ってできないなって自分では思うんですよね。
しかも今75歳なんですけれども、年を重ねていくほどにパソコンが詳しくなっていくんですよね。
最初は音楽ソフトを自分なりに何とか作曲したいからですね、とか書き起こししたいからそういうので無料のやつを使っていたんですけど、だんだんその操作も慣れていってですね、
もう何か数十、100曲以上はもう普通に作ってるんですよね。耳コピでCMの曲とかもいろいろやったりとか。
どんどん作っているし、あとは町の広報紙ですか、町内報みたいなやつもしっかり担当していて、
結構クオリティがどんどん上がっていて、あとは家族の誕生日の時に家族新聞みたいなやつも結構しっかり作り込んでいるんです。
どんどんパソコンが上達していって、年を重ねるほどにですね、今まで仕事人間だった父親が趣味の方にやりたいことの方に振り切っていっているんですよね。
あとはその状態になってからですね、僕が帰省する時に、父親は若い頃どんなんだったのか、僕を産む前はどんな感じだったのかというのも、
やっぱりこういう時に話さないといけないなというふうに雑談していたらですね、なんか引き出しがいっぱい出てきたんですよね。
もともとは世耕管理関係の装飾関係か、内装です。内装関係の仕事をやっていたり、
あとデザイン化を行っていたからレタリングとかが結構得意だったりですね。音楽も趣味でやっているし、合唱は今も続けているしというところで、
何でもできるんですね。何でもできる、本当に。前はいつも確か親族の会社のところで手伝って、いつもしっかり作ったことがあるし、日曜大工もできるし、
何なんだこの人はというのを思ったんですよ。だから本当にそれまでは反面教師だったんですけれども、今はまさしく正面教師ですね。
こんなふうに好きなことに情熱を持ち続けられるような人間になりたいなと思っているわけです。
父親は60歳過ぎてからそれを実現したわけなんですけれども、やっぱり僕としては40歳ぐらいでやりたいですね。
40代前半、早ければ早いほどいいんですけど、それぐらいでそんな状態に近づきたいなって本当に思うんですよ。
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別に60歳過ぎてからの世界一周旅行じゃなくてですね、もっと感受性豊かで楽しめる体力があって、そういう状態でもっともっと旅行も行きたいし、趣味に打ち込みたいというところなんですよ。
だから今副業でいろいろ頑張っているわけなんですけれども、原動力というか見本として父親の背中がですね、大いにあります。
3分の1ぐらい、3分の1かな、もしかしたら半分ぐらいあるのかもしれないですね。
ということで、その反面教師がですね、正面教師に変わることがあるんですよっていうことを今日は話したくて、しかもこういう話って別に友人にとうとうと話せるタイミングとか一切ないんでですね、
この音声配信で自分が好き放題喋れるこのタイミングでちょっとふと思いついたテーマだったので話させていただきました。
では皆さんのこの反面教師の方いますかという感じで終わりたいと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。バイバイ!
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