1. 詩吟日本一による「声を鍛えるラジオ」
  2. 経験に投資を惜しまない母親の話
2024-12-05 15:35

経験に投資を惜しまない母親の話


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おはようございます。詩吟YouTuberのheyheyです。
このチャンネルでは、詩吟に関する役に立つ話だけでなく、
36歳の私が副業と子育てと会社員の三足原地でどういう風に工夫しているか、
悩みや役に立つ内容をお話ししていく内容になっております。
今日お話しする内容はですね、昨日、自分の父親の話をしたんでですね、
昨日か一昨日かしたんで、今日は母親の話を声に残しておこうかなと思います。
母親についてはですね、基本的に反面教師ではなくですね、
もうまさしくそのまま正面教師と言いますか、背中を見て育っているなというところもありつつですね、
ただ政治論争は面と向かってやったりするという、こういう立ち位置になっているので、
自分の要素の結構な割合を占めているように思います。
なので本当にプライベートの話なんですけれども、なかなか人に話すタイミングがないんでですね、
わざわざ聞いてくださっている方に今日はもう好きにしゃべりたいなと思っています。
僕の母親はですね、父親よりちょっと少し年が離れていて、
父親が75、6歳で母親が70ぐらいだったかなというところです。
そうですね、何が特徴かちょっとザックバラにいこうかなと思うんですけれども、
読書はめちゃくちゃしますね、読書好きでしょっちゅう本を図書館から借りまくってきている、
毎晩必ず読むみたいな人ですね、そしてめちゃくちゃにおしゃべりです。
読んだ本の内容とか、新聞の面白かった記事とか、テレビで見た面白いドキュメントの話とかですね、
そういうものを片っ端から紹介するというか、子供のような僕とかに話しかけてくれるんですよ。
これは自分だけじゃなくお姉さんとかにもガンガンガンガンしゃべり続けます。
こういう本があったのよみたいな、大事なところは結構うっかり忘れていたりするという、
もうたくさんしゃべりたがるし、とはいえ抜けているところもあるしというところです。
だからよくたまに学生の頃とかですね、家親元離れていて寄生したりするとですね、
母親がずっとしゃべり続けるんですけど、20分ぐらいずっと一人でしゃべってるんで、
10分か20分に1回ぐらい、ああそうなんだねとかって適当に空返事をするっていうスキルを身につけました。
それぐらい本にはしゃべりたがるんですよ。
僕も直接会った方は僕がよくしゃべるっていう印象あるかもしれないんですけど、
本当にですね、僕の母親は僕の2倍から3倍しゃべるような人です。
あともう一つの特徴としては、やりたいことをですね、ちゃんと自分で周りの目を気にせずにやろうとするっていうところがあります。
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一番大きかったのはですね、母親が3ヶ月間アメリカに、
3人中2人の子どもを日本において3ヶ月間アメリカに移り住んだことがあるんですね。
これは向こうのホームステーの制度を使って向こうの小学校の校長先生の家に行ったんですよ。
それに僕も当時、僕が一番年下で小学校3年生だったんですけれど、
一番手がかかる頃だったんで、僕があえて一緒に連れて行かれたという経緯があります。
その時に日本人的なことをやっておけばアメリカの学校でも受けがいいからという話でですね、
その時に空手と詩吟を習わされたんですね。
そこから僕の詩吟人生が始まっているわけです。
母親は向こうで何をしたかったかというとですね、
日本語教師になりたかったのと、日本語教師のちゃんと実践する場ですね。
向こうの小学校で日本の文化について教えるということをどうもやりたかったみたいで、
日本語教師の資格もどれぐらいかな、5年ぐらいかけてなんとか取って、
ようやく受かって、それも使って向こうに3ヶ月行ったというところですね。
貯金も別にそこまで多かったわけではないはずなんですけれども、
なけなしのお金をはたいてですね、
子育てがほとんどできていない父親と実家に言い含めてですね、
なんとか押しのけたと。
日本に残った姉たちはですね、お弁当が多くて嫌だったとかいろいろ言ってましたけれども、
よく実行したなって本当にしみじみ思います。
小学校3年生と小学校4年生の姉と中学校1、2年生の姉ですね。
そんな状態で旅立ったという感じです。
そういうことでやりたいことはやるというところがあります。
その次にですね、僕にどんな影響を与えてくれたのかという視点でちょっとお話ししようと思うんですけれども、
資金を始めたのはですね、まさしくもうこの母親の子の流れがあったからです。
人と違っていても気にするなっていうのもですね、
やっぱり僕の母親の世代だとこの周りの同調圧力というものはものすごく強いんですね。
それを基本的に認識しつつも嫌だわ嫌だとか文句言いながらですね、結構否定しようとか、
自分はそうなりたくないみたいなのをよく常々言っていました。
自分の僕の世代よりもはるかにその大変さがあると思うんでですね、
なかなかそういう意味では田舎の中でとても珍しい性格だったんだと思います。
あとはですね、人と違うことを基本的にやっていいよというふうに言ってましたし、
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堂々とやりなさいというふうにも言ってくれていました。
母親もB型の血液型ですね、それを自慢してたんでやっぱ同じ血筋なんだなと思います。
大事なところはですね、子育てにおいてなんですけれども、
子育てでやっぱり重要だと思うところはですね、
お金以上にお金よりもその体験の重要さに価値を置いていたという考え方です。
お金よりもその場で今経験できるこっちの方が価値があるよねっていうそういう考え方をしていました。
ただ元々はですね、基本的にはお金家全然なかったんで、
だいぶ節約したりっていうのをやっていたし、よく口に出していたんですね。
僕は大人になったら稼ぎたいっていうふうにそこでも根付いたんですけれども、
そういうふうに常々言っておきながらもですね、
大事なところはちゃんとお金を使うっていうのが、それは本当に考え、今自分にも根付いています。
具体的にはですね、かわいい子には旅をさせようっていうのをある意味実行していたんですけれども、
僕小学校5年生の時に北海道に1週間、そして中学校2年生の時に沖縄に1週間、
これは親なしで行ってるんですよ。
知らない団体に自分がくっついていってですね、周り別に知ってる人一人もいないんですけれども、
こういうそういう街の企画ですね、街とか県とかの企画があって、
それに1週間で、北海道はですね、1人当たり1週間で5万円だったんですよね。
沖縄のやつもどれくらいだったかな、10万くらいしたかもしれないんですけれども、
そういう子どもたちがメインで自発的に、自律的にやる旅行みたいなイベントがあって、
そこに結構躊躇なく、むしろ背中を強く押して出されました。
その時に母親が言ってたんですけど、やっぱり周りの誰々さんは5万円なんて高いわとか言ってたけど、
いやそんなことじゃないのよ、5万円自体が1週間で5万円なんてそもそも安いし、
子どもの頃にこんな経験できるなんて、もっと価値が大きいわよみたいな、そんなことを話していました。
普段ケチケチしているのに、そんなところでちゃんとお金使えるんだっていうのはですね、
小学生ながらに結構記憶に残っています。
だからそうなんですよ、僕は親元離れるの全然めちゃくちゃ慣れていたんですよね。
アメリカにもとっとと行ったし、親なくても別にできるな、そこでコミュニケーションとかも全然できるな。
高校生入るところで僕は寮生活、校船の寮に入ったんですね。
もう家にいる期間はだいぶ短いなというところはあるんですけども、そんな感じで自分で考えて自立すると、
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自分で生活するっていう考え方がだいぶそこで鍛えられたと思っています。
あともう一つはですね、新聞配達をさせてくれたんですね。
小学生の時に新聞配達を始めました。
小学校6年生だったかな、小学校6年生から。
ただ本当にアルバイトとしてやったらですね、これ違法なんでダメなので、
僕の祖母が、母親の母親ですね、が新聞配達をやっていたので、
そこの一部を分けてあげて、お小遣い稼ぎとか社会経験的にやってみたらどうかいっていうのをやって、
母親も進めてくれたというところです。
ただまあ母親はそんなに続かないだろうと鷹をくくっていたんですけれども、
結局丸4年間ですね、中学校の間ずっとと、小学校6年の4年間僕は新聞配達をやっていて、
ただ会社に一般家庭向けとかは基本的に減らしてもらってですね、
遅くてもいい会社向けの新聞とかを割り当ててもらったんでだいぶ楽したんですけれども、
朝6時起きとかでしたね、6時か5時半起きぐらいでずっとやってた感じです。
雨の日も雪の日もですね、雪の日はちょっときつかったですね。
雪がどれぐらいだ、膝丈ぐらいまで積もっていても、
なんとか自転車で走れるんだっていうのはその時に学びました。
重心のかけ方を考えたらですね、適切に2、30センチでも自転車走れるんですよ、ママチャリで。
というところで、もともと6年生だから月600円のお小遣いがですね、
まず5000円に増えて最終的に月2万円になったんですね。
大半が貯金かトレーディングカードゲームに消えていきましたけれども、
あの時にもっとお金をちゃんと稼いで貯金して、
それを投資するってところまで教えてくれたらもっと良かったのになっていうのは、
少し惜しかったなって思います。
その頃に株式投資も教えてもらえればよかったんですけど、
母親は株式投資やってたんですよね。
だから新聞のここの銘柄が今日いくらか教えてっていうのを僕が日課にさせられていました。
その年か確かファナック買ってたんですよね、覚えてます。
Cファナックがいくらだったか。
その時からずっと思ってたら結構違ってたと思うんですけれど、
ロボット会社とかですね、という感じでいろいろやっております。
あともう一つですね、やっぱり僕の中でこの影響は大きいし、
大事な価値観を植えてもらったなというのがですね、
思ったことをストレートにぶつけるっていう話ですね、性格ですね。
自分が嫌だと思ったらちゃんとそういう胸を喋ると、
感情とかをとにかく喋って表現するというところです。
これは別に母親が意識してやっていたかというと、
多分無意識的な感じだと思うんですけれども、
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母親が今どういう考えで子育てをしているのかとか、
どういうふうに今家の家計のこと、
ただお金の具体的なところまではなかなか話してくれなかったんですけれども、
そういうところ、やっぱり子育ての方針とか本の素晴らしさとかですね、
そういう自分が何を考えているのかというのを、
極力できるだけ喋ってくれていたというのが、
やっぱり僕は大事だと思っているし、
それが今に生きているかなと思っています。
この音声配信にしろですね、
オンラインで資金を人に教えていることにしろ、
この抽象的なことを言語化して人に話すっていうのは、
やっぱり重要だなと思っています。
人付き合いにおいてもですね、
なんかあけっぴろげに言えば大抵なんとかなるかなと、
むしろ下手に抱え込んでしまうと悪循環になるというふうに感じているので、
この人にまず話そうっていうところがですね、
やっぱり効いているなと思っています。
こんな感じでですね、
母親に関しては基本的に正面教師というか、
もうプラスの要素ばっかりあるところです。
一つネタとして話しておけばですね、
政治的な論争はよくやります。
母親はですね、
田舎だと地元の新聞が好きな読んでいる人が大半なんですよね。
新聞配達をやってるからなおさらその情勢はわかっていてですね、
配っている人の9割5分ぐらいが北国新聞かな、
地元の新聞、北日本新聞とかそんな感じなんですよ。
だけれども母親は朝日新聞なんですね。
全国誌の中でもちゃんとバランスよく扱っているという認識らしいんですが、
僕の場合SNSとかでいろいろ周りの見たりしているとですね、
だんだん朝日が信用できなくなってですね、
自分なりに情報収集していたりするんで、
よくそのあたりで母親とぶつかります。
朝日新聞の中にも役に立つコラボとかもちろんあるんでですね、
文章の扱い方とかそういうところはいいと思うんですけれども、
政治論争になったりするとですね、
それもそれでお互いの考え方をただぶつけ合うと。
1、2時間しゃべりあったらまあだいたいお互い疲れておしまいになるんですけど、
別にそれだから人間関係が悪くなるとかそういう話でもないんですね。
お互いの考えをひたすらぶつけ合う、
ちゃんと出す、言語化するっていうそこの重要さを教えてもらったような気がしています。
ということでですね、
もう本当にひたすらしゃべった誰得の話なんだっていうところはあるんですけれども、
やっぱり自分が生きていく際にはですね、
その経験の重要さをお金よりもやっぱり大事にしたいなと思っていますし、
自分の子供にもですね、そういうふうな価値観で与えてあげたいなと思っています。
同じようにですね、
とっとと自立するということも覚えてもらいたいし、
親元離れるのも早くてもいいんじゃないかなとかっていうのは、
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それもやっぱり母親の影響ですね。
ということで取り留めもなくなってしまったんですけれども、
なかなかこういう話ってすることまずない、ないですよね。
本当にないと思います。
仲のいい友達にもそんなこと話すことないんで、
今日は好き勝手お話しさせていただきました。
もし聞いてくださっている方がいたら本当にありがとうございます。
いいねとか押してくれるととっても嬉しいです。
ではありがとうございました。バイバイ。
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