前リデザインだっけ?バンシゲルさんの四角いトイレットペーパー。あれプロデュースしてたんですよね。
そうです。あれが自分にとってのターニングポイントで、
あれをやり始めた時は、優秀なクリエイターは全部いいデザインを、
日常のこんなつまらないトイレットペーパーを作って、
それぞれみんな素晴らしいものを作るんだけど、
そのゴクブリキャッチャーは今のままだったりするし、
トイレットペーパーも今のままだったりするし、
成田空港の出入国スタンプみたいなものを結構面白い形に作ってくれたりするんだけども、
丸と四角っていうのがやっぱり一番飽きないしみたいな形で、
そうなってきたものを作っていく。
じゃあそれやる前はそこまでそう思ってなかったんですね。
日常のものが最強のデザインだっていうことに気が付かされた。
結局そこのむしろ見るほうが面白い点の中にだったんだなというふうにね、
後になって自分ではそこが強烈にわかったんですよね。
そこが転機でしたね自分では。
そういう意味でちょっとお茶に戻ると、
僕も最近お茶を飲んで、
お茶に戻ると、僕も最近立休の花入れとか、
受講政治ジャワンとか見てるんですけども、
あれはピカピカな形、デザインされたものから逆に普通に戻そうとする。
あれはだから面白いですよね。アンチデザインがデザインになっているという感じですね。
そうですよね。まさにそうですよ。
だから僕もお茶をやるまでは楽ジャワンって見たことなかったんですよ。
30歳ぐらいでね、戦争奥さんっていう人に楽美術館に行ったほうがいいよとか、
茶の美術館とかに行って15分ほどレクチャーされたんですよ、お茶に関して。
そしてその15分の戦争のレクチャーで、おこがましいけども、
だいたいエッセンシャルな部分が、なるほどってすごい分かったんですよね。
それで楽美術館に行って黒楽見た時にショックだったんですよ。
すっげえものがあるなと。この何の変哲もなさというか、
でもそれなりにすごい感じっていうのが一体、何の変哲もないけどすごい感じっていうのを
作った人はすごいなと思って。
もうそれがいろんな形しかもあって、もう点々と並んでるわけですよね。
思わずなんかもう展示台のガラスが鼻息で曇るぐらい見ましたね。
見入られて。だからああいう体験がやっぱり、
お茶の体験としては面白いですね。
ああいうものを茶室の中でもってやってるっていうのは、リキューっていうのは大変なディレクターだと思いますね。
僕も実は先週間の戦争奥さんと一緒に
そのリキュー花入れとお茶を見てて、
彼がそれを見てる時の雰囲気と持ち方と
話し方ってすごく重要で、なんか本読んでるとか
エッセンスがちゃんと出てきて、やっぱりそのお茶の
道具を分かってる人と道具を見ることがすごい勉強になる
っていうのも分かって、やっぱりこれもちょっと禅に近いなと思うのは
禅は人と人の繋がりで伝わってきて体験で繋がっていく
っていうのもあって、西洋からするとサドラのお茶の本だったのかな、
この西洋の昔日本に来た人たちは日本の工芸って
あまりにもこの人間の文脈とか人の繋がりを取り込みしすぎていて
ピュアな美ではないとか言ってるんだけども、ただ
人間の中に入ってるこの感覚の美っていうのが入っていて
それは多分西洋のアートの人には感じられてなかったのかどうか分かんないけども
なんかそこも文化的な文脈と意味がないと
メイクセンスしないものもありますよ。だからこの間僕も実は
長寿郎のお茶碗の説明を聞いたときに小学生が来たらこれ黒でもないし
綺麗でもないなって言って、親たちはビューティフルだねって言ってて
でもこの一年生が分かってるんだって言ってくれていて
アプリシエーションの仕方はやっぱりその表面の美じゃないよね
っていうことを普通の人には伝えるためには体験も必要
なんじゃないかなっていうのもあって、そういう体験と文化に
織り込んである美っていうのは、でもそれは海外にもトランスレート
できるんじゃないかなと思うんですけどね。
いや全くそうはできると思いますよ。
ローカル文化は分かるのはローカル人だけっていうのは全くの誤解で
全く同じ分量だけ分かると思いますよね。ただ分かるっていうとこまで
入り込んでくれる人がどこまでいるかっていうことだけで
今ジャパンハウスっていうのを僕は3年でやってるんですけども
日本の茶碗とか置いててありえない値段になってるわけじゃないですか
380円くらいかなと思ったものがとても無いじゃないですか
なぜかみたいなそういうミステリアスな日本のお茶碗とかっていうのは
茶碗というか陶磁器っていうのはね。だけどなんでそんなことになってんのとか
割れたものを金継ぎするとか、この金継ぎってなんか美貌くさいじゃないですか
で金継ぎすると結構かっこよくなるかもしれないとかっていう
こういう発想ってどっかで出てくるのっていうことを
例えばフランス人でもちょっと興味を持って
入り込むとやっぱり夢中になって、気がついたらなんか
唐津の山の中入って古い廃物大石を掘り起こすフランス人がいるみたいな
そういう世界は容易に想像つくわけですよ
文化に対する感度の高い人は世界中にいて
日本人だってフランスのワインに夢中になる人もいるし
日本の陶磁器の破片に夢中になるドイツ人がいても全然おかしくない
文化ってそういうもんだと思うんですよね。ただそういうものがグローバルな時代
今もうそんなこと言っても何千歳ぐらいグローバルだけども
お互いであればこそ全部混ぜ合わせてグレーになるんじゃなくて
一個一個の個別文化がちゃんとビビッドな色であるっていうことが豊かなことだから
日本になんかイタリアンレストランのおいしいのができて素晴らしいとか
インド料理は日本の方がうまいとかそんなこと言うんじゃなくて
インドに行ってカレー食ったほうがうまいに決まってるんじゃないかっていう
日本で寿司食ったほうがうまいに決まってるんじゃないかっていうそういうことをお互いに分かるっていうことが素晴らしいことで
グローバルっていうのはローカルティーが輝く時代だと思うんですよね
日本人にそれは理解できるっていうかそういうベースを持ってるのがやっぱり
ホモサピエンスのいいところだと思いますよ
それを全く分かんないっていうことになっちゃうとこれは大変だけども
イスラム教だって日本人は理解できるんじゃないですかね
ちゃんと分かれば日本人ってそういうオープンマイナーとかありますよね
一神教じゃないからイスラムの神様でもちょっと理解してみたいなとか
思ったりするようなこともあるし神道だけの仏教でもいいかみたいな
なんか結構オープンなとこありますよねそういうのが意外と大事かなと思ったりする
でもジャパンハンスとかで海外にいずれは段々こういう道に入ってくる
道をなぞってあげてるっていう感じなんですかそれとも違うものを出して
だから僕もこれジャパンハンスやるからって言ってプロデューサーをやったんですよ
今はクリエイティブアドバイザーとか役割なんですけどね作ってる時に思ったのは
世界の大半の人はほぼ日本のことなんか考えたことないで過ごしてますよね
で割とみんなでも知ってるつもりなんですよ
なぜかアイノーアイノーって2回くらい言うんですよね
アイノーアイノージャパンとかアイラブスシーとか言うんですよね
でもどれくらい分かってるのかなと思うんだけどほぼ分かってない
だけどちょっと入ってくると自分たちの文化のOSとは全く違うものがあるってことが分かった瞬間
結構衝撃なんですよそれはだからエンプチネスみたいなものも茶碗もよく分かんない最初は
ちょっと分かったりすると結構衝撃なんですよね
分かる衝撃っていうのをどう作るかっていうのがジャパンハウスの一つのやり方で
たくさん喋ったりとか折り紙を売ってびっくりさせたりとか
寿司を出しておいしいねって言ってもらったりすることはしない
できるだけどうやってお茶を入れるかっていう映像をちゃんと作ったりとか
おろしがね鬼おろしとか大根おろしとかわさびおろしとかいろんなおろし動画があって
おろしをちゃんと見せたりすると職の文化のことがちょっと分かって
みんなおろしがね買いたくなっちゃうわけですよね
どっちかというとね日本人の僕らの方がそういうことを通して日本に驚くんですよ
おろしがねってすげえんじゃないかと思ったりするわけですよね
そういうちょっと柚子の皮をちょんちょんなんて削ってそれを蕎麦にかけたりして
香りがいいなんていうのはこんなカルチャーってなかなかないですよね
そういうのもこういっぱいあるわけですよ
ジャパンハウスというのは日本の影響力を強化するために
外務省が文化の発信拠点として作った施設
原健也さんは総合プロデューサーを務めています
ジャパンハウスにはギャラリーやショップレストランはもちろん
図書室やホールなども併設
現在はサンパウロ、ロサンゼルス、ロンドンの3都市で運営されています
4カ所目の拠点が東京に!なんて日ももしかしたら近いのかもしれませんね
ちょっと探せばあったりするんですが
僕もこの間お茶やるのには茶人は茶釈を削らなきゃいけないって聞いたから
タカノチッコに行って茶釈削りをやって
でも先を切ってるからノコギリも大事だよねって思って
京都だったらきっといいノコギリ屋さんいるってググると
ノコギリの神様がいるんですよ
そこを訪ねていくとちっちゃな部屋でノコギリだらけで
手で削って整えていて
君竹は特別なんで1ヶ月かかるけど作ってあげるって言われて
そして1ヶ月後そのノコギリ屋さんの神様から竹の先を切るためのノコギリが届いて
やっぱりすごいんだよね
多分そんなにもうみんな訪ねに来てくれないんですって
今はもうみんなアマゾンかなんかで買ってて
でもいるんだよねそれはいたんだけど
でもいなくなっちゃった人もいて
今花入れ買って
これ割れてるから安いって言われて花入れ買ったんだけども
1910色のリサイの花入れでそのタカノチッコに
割れを直してもらうと
リキューの花入れみたいにこういうかっこよく直したらいいんじゃないかなって送って
うちは職人は10色は手付けちゃダメだと
誰が手付けられるの
いや今もいないかもしれない
その竹を直すかっこよさを今は表現できる人がいなくて探しまくってて
でも僕もまだそんな始めて直後なのに
もう職人がいないところにたどり着いちゃうぐらい
結構今危機に陥ってるんだなっていう感じもしたんだよね
そうですね
日本の風土っていうのは竹が生えてるとか木が生えてるとかそういうことですけど
そういうことにインスパイアされてできてきた文化が
ほんとちょっと崩れ始めてるかなと思いますね
この間竹中の大工道具館っていうのが神戸にあるんですよ
茂木のすぐそばで
そこに行って改めて僕はびっくりして
この大工道具の世界っていうのはとんでもないなと
その時にキュレーターの方に教わって
なるほどと思ったんだけど
日本っていうのはやっぱ中移動体っていうかね
スウェーデンとかノルウェーとかあの辺の信用樹はいっぱい生えるんだけど
ヨーロッパの木ってどっちかというと硬いんですよね
日本のやっぱりあの火の木とか杉っていう比較的柔らかい木が
ものすごい巨木に育って
巨木がいっぱい生えてる
そういう場所は中移動体にはあまりないんですよ
だからまあ薬杉にしてもそうだし
まあこのイセジンゴを作る丸太にしてもそうだけど
火の木の巨木があってそれ切ると結構柔らかい
もう大工さんがその木組みとかやるときは
あたかもう一つの木の塊かのようにやりたいもんだから
木目を合わせたりするわけですよね
木目が合ってるみたいなそういう
そういうところまでその技術を高めてしまう
何がしかないものがあるっていうのはやっぱり素材なんですよ
マテリアル
僕はセンスウェアという言い方をするんですけども
人間に何か行っちゃったのかっていう気持ちにさせる
媒質っていうものが必ずあって
白い鍵もそうだし石じゃね石もそうだと思うんだけど
日本における柔らかい信用樹の巨木っていうのが
あの大工道具の素晴らしいラインナップを
生み出してしまったっていうか
そういうところがあっておそらく竹のノコもそうだと思うんですよ
まあいい感じの竹がいい感じに生えてるっていう
その環境から何が生み出せるかみたいなこと
風土ってまさにそういうことなんですよ
風土そのものが非常に大きなセンスウェアとして機能して
人間にやっぱ行っちゃったのかっていう気持ちが沸かせてくれるっていうか
文化ってそこからこうはびこってくるものだからね
でもその日本の大工も含めて
多分海外よりもオタクみたいに深く行くよねみんな日本人
僕も世界一だと思っているオタクがいて
ブライアン・レムって言って
ワイヤーカッターっていうアメリカのサイト作ったやつなんだけども
彼はもともとエレクトロニクスとか道具のオタクで
でもオタクのサイト作って
こう物を比べるのがすごく流行ったんだけど
今彼はもう日本大工にハマって
日本に修行に来てるんだけども
世界一のオタクが世界一のオタクがいっぱいいるのが
彼は日本の大工だと思っているみたいで
ひたすら彼は日本の大工がどんだけすごいかって
語りまくるようになっちゃったんだけども
それって何なんですかねこの日本がこうグワって入っていっちゃう
だからやっぱり僕はその加工的性のある機があったから
それに対してやっぱ深く入ってしまったっていう
ヨーロッパの大工さんもそれなりにすごい技術を持ってると思うんだけど
やっぱり固い栗の木とかでやる加工と
その柔らかい木でやる加工って
やっぱりちょっと制度的には変わってくると思うんですよね
だからそういうところのものとか
やっぱり森林に囲まれてるので木が豊富にある
一回切っちゃうともう二度と生えてこないみたいな
スコットランド行くとみんなここ昔に生えたんじゃないかっていう
大航海時代に木切って船作りすぎたんじゃないかみたいな感じもするんですけど
日本のオンタイモンスンって切っても切ってもやっぱり生えてくるんですよね
そういう風土っていうのはやっぱり木っていうものを
ものすごい進化させたんじゃないかなと思う
だからそれが今無くなりつつあるっていうか
切る人が大工さんもいなくなってるんですね
一つに巨木がないっていう
伊勢神宮の柱を建てるために一生懸命森を守ってて
そこはまあ辛うじてあるんだけども
でっかい寿司屋のカウンター作ろうと思うと
やっぱり金田山の火場とかそういうの探さないとないんですよ
そういうようなやっぱり500年経たないと
育たないものがいっぱいあったっていうかね
でも今は水やお湯がまだあるし
やっぱり森そのものも育てていけば
するとここでジョイさんと原さんに質問があるという若者がやってきました
どうやら韓国でデザイナーをやっている方みたい
どんな質問なのか少し聞いてみましょう
原けんやさんの本の中で欲望のエデュケーションという概念があって
それを読んでデザイナーとしての役割ができた気がして
すごく喜んだ記憶がありますが
私のデザインで
原けんやさんが図書などでデザインの本質として述べているのが
欲望のエデュケーションというもの
これはデザインとはそもそも市場や顧客の欲望に影響を与え
この水準を変容させていくことなのだ
というデザイナーとしての心得のようなものなのですが
今回質問しているこの方は原さんの言葉に感銘を受けて
デザイナーとして働くようになったものの
デザインの本質にたどり着けず少しもがいているみたい
この欲望のエデュケーションが実際に可能なのか
本人に聞いてみたいと思ったようなんです
原さんはどう回答したのでしょうか
欲望のエデュケーションでおこがましいことを言ってしまったんだけど
人間というのはどういうものかということを
リサーチしていく考えていくということがデザインだとすると
こういうことなんじゃないかなということを自分で発見して作ったものが
それを使う人が新しい気づきや目覚めがあってくれると
嬉しいなと思っていますけどね
やっぱりマーケットというのはどんどんスポイルされていくんですよ
今コンビニのパッケージとか見ると
面白いという外国人がたくさんいるんだけども
僕はちょっと恥ずかしい気もするのね
カレーのパッケージはいかにもよだれが出そうな
おいしそうな写真を入れて
健康のマークがついていて
エコロジーのリサイクルマークがついていて
100グラム増量って書いてあって
そういうことの情報が満載しているわけですよ
もう少し静かにしていればいいのにと思うんだけど
そういうことをやるとお客さんはそれを買うわけですよね
そうしなきゃいけなくなるから
ますます周辺の隣の人たちもみんなそうなっていくわけです
そうするとよだれが出そうなカレーしか買えない人たちがユーザーになってくると
そういう国ってどうですかみたいな