1. 絶望カフカの何者かになりたいラジオ
  2. #63 道草、食ってたいんだ
2024-05-08 10:51

#63 道草、食ってたいんだ

学びの道草を食うってどういうこと?
学びって何?

今回は学びについて言語化してみました。

独学の地図/荒木博行
イノベーション・オブ・ライフ/クレイトン・クリステンセン
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サマリー

この番組は、元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお届けしています。最近の絶望は3つあります。今回は、学びの道草についてお話しします。皆さんは学び好きですか?

絶望カフカのラジオ
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は3体です。さて今回はですね、学びの道草というお話をしていきたいと思っております。
皆さんは学び好きでしょうか? まあ、コーナースタイフとかボイシーとか聞かれている方は
学びが好きなのかなっていうふうにも思いますし、僕も学び好きだなぁと思っていたんですけれども
じゃあその学びって何なんだろうなぁってことを考えるきっかけになった友人の言葉っていうのがあったんですよね。
まあその言葉をお話しながらちょっと一緒になって考えていただければと思っております。
さて、学びの道草とは何かっていう話をまずしていきたいと思うんですが、実はその友人からかけられた言葉っていうのが
まあブック沼ラジオで一緒に話しているお母さんなんですけど、お母さんからですね
私は学びの道草を食っているのが好きなんですっていう話をされたんですよね。
まあその文脈っていうのは次回のブック沼ラジオを聞いていただければと思うんですが
それを聞いて僕は道草を食うのが好きなんだって思ったんですよね。
つまり僕の中で道草っていうのはある目的地に向かって進む途中の中で他のことに時間を費やすことという意味があると思っていて
そしてその道草っていうのは単に知識を得ることっていうイメージがなんとなく僕の中にはあったんですよね。
ちょっとお母さんの中ではどういうイメージを持ってこの道草という言葉を使ったかはわからないんですけど
僕はそういうふうに思ったんですよね。
その上でもうちょっと解像度高くその学びの道草って何なんだろうなーってことを考えた時にですね
やっぱり自分の中では何かしらの成果に結びつくことが大事だと思っているんですね。
だからやっぱり学び、つまり知識を得ることによって何らか成果が出るっていうことが自分の中で大事。
ということは道草を食うっていうことが何かこう自分の中でイメージがしっくりこないなーって思っていたんですね。
なんだけれども、やっぱりこのボイスを聞いたり本を読んだりすることっていうのは必ずしも成果に結びついているわけではないなーってことに改めて気づいたんです。
だったら自分がこの学びだと思っていることっていうのは何なんだろうって改めて考えてみたんですけれども
それは自分にとっては新しい世界が見えること、開かれることなんだろうなーっていうふうに思ったんですよね。
つまりどういうことかっていうと、まあいろんな本を読んだりその人の考え方を知ったり
まあいろんな世界の語学みたいなものを学んだりした時に、そういうことを知った時に新しい世界が開けるなっていう感覚は僕の中にはある。
で、逆を言えばそういうものがなければずっと一つの世界に閉じこもってしまうという感覚がある。
で、それが嫌なんですよね僕の中では。
というのは、僕自身はアスリートとして閉じられた世界の中でずっと同じことをやり続けるということをやっていた。
で、それが僕の中ではそれだけでは嫌だなっていう気持ちがずっとあった。
なので、新しい世界に開かれる、新しい世界の扉を開いていくということが自分にとっては好きなんだなーって思ったんですよね。
そしてそれは知識を得ることだけではなくて、知識を得た結果行動することによって新しい世界の扉は開かれやすいなってことも体感として実感している。
まあ抽象的な話ばっかりしているので、リスナーの方にはちょっと理解できないと思われるかもしれないんですけど、自分にとっての学びとは。
学びの定義と創発的戦略
というふうに考えていただければと思うんですが、まあ今までの話を整理すると、僕にとっての学びというのが単に知識を得ることだけではなくて、その結果行動することによって新しい世界の扉が開く。
それが僕はやりたいんだ、好きなんだってことがまず分かったと。
そしてそれは必ずしも成果に結びついてなくてもいいなーってことが僕の中では分かったので、それは人生における道草を食うということなんだなーっていうのは改めて分かったんですよね。
で、その考え方って実は荒木ひろゆきさんが言っている独学の地図に書かれている独学の定義と一緒だなーっていうふうに思ったんです。
それは学びとは経験前後の2ミリの差分を生み出すことというお話をされているんですよね。
つまりその経験、何か動詞的な経験を通して、経験する前の自分と経験する後の自分、何が変わっただろう、それを言語化してみよう、そこに学びっていうものがあるんじゃないかっていうふうにおっしゃっていて、
まさにそれは僕の中では学びの道草を食うということなんだなっていうふうに思ったんですよね。
そしてそれをちゃんと言語化するっていうことが僕の中では非常に面白いというか、新しい扉を開くという行為そのものだなっていうふうに思ったりしているわけです。
さらにクレイトン・クリステンセンさんが書かれたイノベーション・オブ・ライフに書かれている意図的戦略と創発的戦略にも重なる部分あるなーって改めて思ったんですよね。
それはクリステンセンさんが言われている概念なんですけれども、意図的戦略というのは最初から逆算で考えられた戦略に対して創発的戦略というのは、知的好奇心に基づいて行動した結果、
何か変化していったもの、それが創発的戦略っていうふうにおっしゃっているんですよね。 つまり意図した何か、逆算した何かがあって行動するだけではなくて、知的好奇心に基づいて創発が生まれた結果、何かが出てくる。
この創発というところは僕にとっては学びの道草を食っていくということなんだなーって思ったんですよね。 もちろん逆算的な学びというのも必要なんだろうと思うんですが、あくまで道草を食うというところに関しては
この創発的な意図に基づいた何かだなーって思っているし、僕の中ではそれはある種知識を得ることと行動することがセットなんだなーって改めて思ったんですよね。
皆さんは学び、どういうふうに自分の中では考えていらっしゃいますでしょうか。 僕の中での学びの道草を食うということを今回は一旦言語化してみようと思ってお話ししていきました。
まあやっぱり 知識を得る、行動する、新しい扉を開く、創発的である
なんかそこらへんが僕の中ではキーワードかなーっていうふうには思いましたね。 とはいえやっぱりその道草にもあるように
何か目的地に向かっている途中というのは自分の中ですごく大事なところなんだなーっていうふうには思っています。
だからやっぱり目的地に向かう自分というのと創発的でありたい自分、道草を食っていたい自分というのは
ある種共存しながら学んでいるんだろうなーって改めて思ったりしました。 ここまで考えて
僕が大好きなバンドの歌詞を思い浮かべたので最後にそれを紹介して終わろうと思います。
心が貧しくなってたんだ だからさ道草食ってたんだ
わずかな知識でも慰めになるから 探し求め歩いては
また口つぐむだろう そして汚れた世界
熱い背中にハロー その頃の僕には湿った風が吹いてた
僕たちはいつか花となり土に戻るだろう 何も語らずに済むならばいいだろう
それもまたいいだろう はい、というわけで最後いきなり朗読をしてみました
はい というわけで今回は学びの道草を食うって何だろうなーってことを自分の中で原稿化をして
みました 最後までお聞きくださりありがとうございました
ではまた
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