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くらぬきです。
中山です。
ザッソウラジオはくらぬきと学長こと中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして雑な相談の雑草をしながら威力喋りしていくポッドキャストです。
今回のゲストは、エール株式会社代表取締役の櫻井将さんです。第2回となります。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回は、昨年出版された初の著書をまずちゃんと聞くというところから、聞くに興味を持たれた背景だとか、その本に書かれている僕らが面白かったなと思うところをご紹介して、
まだこの本に書かれていない、聞かれるっていうことを聞かれることの体験みたいなものを分解分析してみてるみたいな話になり、そこにもう学長がアンテナが立ちすぎてしまった。第1回後半学長喋らないみたいな話をしたけど、第2回はその辺から探っていきたいなと思いますけど。
どこまで櫻井さんの考えが進んでいるか聞くところから。
全然進んでなくてですね。考え始めた背景を少しお話しすると、喋ってくれない部下がいるっていう相談をたくさんもらうんですよね。
部下側は2人で作るものなので、上司側だけトレーニングしても結構難しいなと思っていて、部下側のトレーニングもやっぱり必要だよねってよく最近言われていると思っていて。
部下に聞かれ上手っているじゃないですか。相談上手というのか、吐き出し上手というのか、何が起きてるんだろうなーみたいなこととかを分解しないと、部下向けの研修って作ろうと思っても作れないよなーみたいなことを思っているのと、
あともう一個背景としてあるのは、エイルってサポーターと呼ばれる人が3000人くらい。話を聞き役の方が3000人くらいいるんですけどね。この方々がデビュー前のプロセスを2ヶ月3ヶ月一緒に講座みたいにやるんですよ。
で、聞くっていうことに興味があるんで、自分は聞けてるのか、うまく聞けたのか、ちゃんと聞けたのかっていうことに意識が向くんですけど、聞くっていうことにすごく興味がある人は自分が聞けたのかっていうことに意識が向くこと自体がちょっと聞けてないようになって思ってるっていう、わかりますか。
要は相手が聞かれたのかどうかが大事であって、自分が聞けたのかどうかではないじゃないですか。この時間で相手は聞かれたという体験ができたのかどうかっていうことをちゃんと測ると言ったらあれなんだけど、分かるようにしないといけないなというふうに思ったときに、聞かれるっていうのは何なのかっていうことを考えなきゃなっていうのをやっと思い始めているという、
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なんで今までむしろ考えなかったんだろうと思ってたぐらいなんですけど、みたいなことを考え始めてますと。
僕がいろんな方に聞いたときに、言えなかったことが言えたっていうことを聞かれたっていう話をしている人と、気づきが得られたみたいなことを言う人と、時には自分にぴったりのアイデアとか意見をもらえたっていうことも聞かれたっていう人がいるんですよ。
あとは、精神世界側に入っていく、気区に入っていくと、一緒にいてくれたとか、自体一体な感覚があったとかって、そういうのを聞かれたっていう人もいるんですよね。
結構バラバラだなと思っていて、ちょっとだけ僕が今整理しているのは、まず自分が知っていることなのか知らないことなのかっていうところに一個分岐が最初ありそうだなと思っていて、自分が既に気づいている知っていることを、普段も言えるんだけど時間がないから言えなかったことを言えたっていう話から、
信頼してる人だったら言えるんだけど、他の人には言えないけど、この人には言えたみたいなのも聞かれたんだし、これは実は墓場まで持っていこうと思ってた、誰にも言えなかったことなんだけど言えましたみたいなことを言えたって、これも聞かれたっていう話だなと思ってます。
知っている側、今の話なんですけど、知らない側の分岐に行くと、自分では気づいてなかった、自分では知らなかったんだけど、時間さえあれば、誰とでも考えれば分かった話っていうのに気づけたっていう話と、
信頼してる人だから相談ができて、それによって気づきが得られたって話と、この人との対話だったから気づけたっていう話みたいな、人による種類の話がありそうだなみたいなことと、あとは知らない中でも、これは聞くの結構ディープなところに入ってくるんですけど、
知らない中でも、僕今セッションリプレイっていう取り組みしていて、中村さんももちろんご存じだと思うんですけど、ジャッジリプレイってあるじゃないですか、ダゾーンでやってるサッカーのジャッジリプレイってあるじゃないですか。
審判のジャッジをもう一回見て、このジャッジはどうだったのかっていうのを見るんですけど、めちゃくちゃ面白いんですよ、これが。僕大好きでよく見てて、これセッションリプレイっていうのを僕はやりたいなと思って、ちょっと話ごめんなさいに逸られちゃっていくんですけど、料理のレシピが網から動画になったことで、めちゃくちゃ料理作りやすくなったじゃないですか。
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あれがないから聞くってダメなんだなって思ってて、僕がテキストでいくら聞くを書いたところで、実際の良質な聞くの音声動画ないんですよね、とかうまくいってない動画がないんです、密室でやられてるんで。
なんで、エイルでやられてるセッションで、社内でやられてるセッションの中で、リアルにやられてるセッションで、双方がオッケーって言ったやつを、一回僕が全部聞いて、で、ここのポイント、サポーターの方に、ここ僕だったら喋っちゃったんですけど、この間ってなんでこの間待てたんですかっていう話とか、この語尾の言い回しすっげえ絶妙なんですけど、
これどういう意識でこの問いが出てきたんですかみたいな話とかを聞きながらリプレイしていくっていう遊びをしてるんですよね。そうしていくと、気づきの話に戻ってくるんですけど、気づき方がいくつかあって、純粋に話し手と聞き手で、
なんていうのかな、外部から新たな刺激を与える、新たな気づきを与えるっていう意味でのアドバイス的な気づきがあったっていうパターンもあるんですけど、なんかですね、この聞き手が話し手の景色っていうか世界の中にどっぷり入っていって、で、それを自分ごとのようにその世界にいると、
これってこういうことですかみたいなことが出てくることがあって、それがその話し手のすごい気づきになることが結構あるんですよ。
なんかその知らないことに気づいたってやつも外から外部的に新たな気づき与えられたってやつと、なんか聞き手が本人になっちゃうことで、なんかその人の知らない部分があらわになるっていう現れ方をするときが先に感じて表現してくれるっていう感じなんですけど、そういう気づき方もあるなみたいな、それも聞かれたってみんな言うんですよね。
みたいな話があるなって、知ってる知らないっていう中でこれぐらいの分岐があるなと思っていて、あとはさっきちょっと精神世界って言ったんですけど、一緒にいてくれたってやつですね、なんかこうただそこにいてくれたっていうことで、その時間が本当に自分にとってはすごい効いてくれた時間だったっていうようなことを言ってる人がいて、
なんかこの辺の分類を何の切り口で整理をするといいのかな、こうか最終的に出てきたこうか気づきなのか、なんか自分に起きた変化なのかみたいな話とか、関係性をなんかちょっと見ていくと今の話が紐解けるのか、なんか話の密度なのか、なんかこの辺、どの切り口で今みたいな話を聞かれるっていうことを整理するといいんだろうみたいなことを、今この辺までしか言ってないという感じなんですね。
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これもうその四小言なのかテーブルなのか、なんかフレームワークにしたくなってきてるやつですね。
おっしゃる通りです。
学長的にフレームワークマニアの学長として。
まず聞いてる風だけど聞かれてないっていうのはどういうパターンがあるのかみたいなのを考えていくみたいなアプローチは僕しがちですかね。
それこそ前回言ったフェイシングとかミラーリングめっちゃされてすっげー嫌になるよねっていうのって聞かれてないじゃないですか。
はいはいはいはい。
こっち側をコントロールしにきてるなこの人みたいな感じを受けると全然聞いてもらえてる感はないよなっていうのが一つのパターンとして聞かれてないパターンあるから他にもたぶんいっぱいありそうですよね。
聞かれるっていうことを考えるのであれば聞かれてないというものの、だからまあここを塗っていってパッと話すと浮き上がるよねっていう。
開始から出せるんじゃないかってことですね。
あと例えばその肯定的意図っていうのをちゃんと聞いていこうっていう話が本に書かれてましたけど、僕あの判断の公式って言っているものがあって、
判断イコール価値基準かける入力情報っていう公式として表現をしてるんですけど、
算数が苦手でなければYイコールFXみたいな感じで、入力がXに入ってきて自分の価値基準で計算をした結果が判断として、
これはいいねとかよくないねとかやろうやめようみたいな判断として出てくるわけですけど、
その肯定的意図って、それなんでいいと思ったの?みたいなのの内側の計算式。
どういうものを入力して、どういう価値基準で計算したからいいと思ったのかみたいな、その計算の内側、計算のプロセスみたいなのをちゃんと聞くと、
だいたいみんな悪意があるわけではなくて肯定的な意図で計算されてるよねみたいなことだという風に僕は肯定的意図のあたりを読んでるんですけど、
なのでそこの内側のところをまだ受け取ってくれてないのに、その判断のところをこうした方が良いのではとか言ってくると、聞いてもらえてないなという気がする。
なるほど。
判断のタイミングとかね。
こうした方がいいんだよって判断だけ見られて、いや内側にこういう事情あんだけどなみたいなのとか。
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うんうんうん。
いやーこれは面白いな。
あとどういうのがありますかね。
これ聴講モードにみんな入るパターンのやつですね。
さっきのそのペーシングとか、やたらなんかしっくりこない質問を、ちょっと薄っぺらめな質問をいろいろしてくるとか、質問の間とかもなんか早いみたいなのとか。
いやーそうね。
なんかさっきの整理しながら聞いてて、さっきの精神性じゃないけど、多分話した側、聞き手側でその会話の後に本人が癒されたと思うのか、エネルギーが増したと思うのかっていう、つまりそのマイナスの状態をゼロに戻してくれたって。
これは悩みとか聞いてくれて、本当は言えなかったこと言えて、つらかったことが癒されるっていう、前回のゲストに出ましたようにケアみたいな、ケアをする文脈での作るっていうことと、話してと聞き手の会話の後、結局そこの2人のエネルギーの総量が増えてるみたいな状態を作れるっていうのがもう1面ある。
聞く話すみたいな感じがあるなと思って。
なんか整理としては少なくともそこはなんか、知ってる知らないもちろんあるんだけど、知ってることでもお互い分かったことで、いろいろ分かったよねみたいなことになる瞬間があるけど、
静かに終わってスッと良かったねって終わるやつと、その2つなんかありそうだなって。
僕も聞かれたなと思うの、両方あるなってやっぱり思いますね。
言ってくれたなって言った時に、ほんと飲み屋とかでちょっと悩んでることをつい話して聞いてくれたら、それはそれで辛かったことが解消されるみたいなのもあるし、一方で結構学長との雑談はありとも喋ってたらお互い勝手にアイデアが浮かんで、みたいな。
これは学長側があれかもしれない。お互い喋ってるだけかもしれない。
いや、ちゃんと聞いてると思うんだけど。
まあ、なんかそっちのね。
クラルヒさんと2人で喋ってる時に、例えばどっちかが相談事があって、例えば今本書いてるんだけど、この辺今どうしようかなって思ってるんだよねみたいなところを一緒に考えるみたいなパターンあるじゃないですか。
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あの時はさっきの中に入って、自分だったらどうするかなみたいなのを考えながら、ここってどういう風に考えてますかみたいなことをやりとりしてると、話が深くなっていくというか、共有度合いが深くなっていくというか、っていうのは体感としてありますよね。
結構なんか、ここ扱わないと解けなそうだなと思ってるのは、さっきクラルヒさんおっしゃった、2人のエネルギーの素量って言ったんですけど、なんかね、聞かれたって言ってるんだけど、聞き手側の状態がどう変わったかとか、この関係性がどう変わったかっていうことを扱わないと、聞かれたっていうことに対する答えは出なそうだなって感じがして。
確かに。
その辺は多分あるだろうなっていう風に思ってます。
はいはいはい。
それはあるな、確かに。
言ってみてもエネルギーの交換みたいなところあるので、さっきの寄り添う、寄り添ったことによって寄り添った聞き手側が逆に傷を負うみたいな、受け取ってしまうみたいな。
話したほうが楽になるんだけど、受け取ったほうがしんどくなるってありがちだけど、逆に言ったらそうじゃないケースもあるだろうし、プラスがプラスになることもあるし、みたいな。
その辺もやっぱり相手があってのことだから違いますね。
分類できそうな気もするな。
確かに。
あと、コーチだったりファシリテーターみたいなことをやってると、職媒みたいな例え表現が使われたりとかするじゃないですか。
変化のスピードを速くするのが職媒ってことだと思うんですけど、ただ職媒って例えに使えるなって思ったけど、よくよく考えてみて、ちょっと疑問が湧くところとしては、
職媒って定義としては職媒自体は変化しないっていうのが職媒っていうことなんですよね。
なるほど。面白い。
科学変化は促進されるスピーディーになるんだけど、職媒自体は一切変化はしません。
職媒じゃないもんね。
職媒じゃないなって思ったんですよね。
なるほどな、面白い。
でも、プロっぽいけど本当のプロじゃないコーチの人とかって職媒っぽい人いるなって思った。
なるほどな。
こっち側のこと染みてませんねみたいな感じがするというか。
染みてないと聞いてもらった感じないよね。
スポンジ側の中でコーティングされてるみたいな感じのイメージっていうんですかね。
何言っても吸い込んでなさそうな感じ。
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でも、そういう人に限ってめちゃくちゃテクニック持ってそうな感じあるから。
テクニックはすごい持ってるから。
それ、そうだな、スポンジ感かな。
面白いな、スポンジ感ね。職媒、これはちょっと面白いな。
聴いたのがあれですね、聴いてインスピレーションもらって、これも一つの聴いてもらえた感があるやつですね。
今僕は多分すごい聴いてもらった状態です。ものすごく聴いてもらったなっていう。
逆に言うと僕も聴いてもらった感がありますよね。
聴くと聴かれるって固定じゃない感じがしますよね。
これは本当に面白いんですよ、サポーターとのセッション、リプレイしていくじゃないですか。
もう最後の方、サポーター全然聴いてないんですよ。
なんだけど、喋ってる方は聴かれたって言うんですよ、みんな。
意味がわかんなくて。
どういう意味ですか、聴いてない、最後の方聴いてない。
ジャッジっぽいって見えるんですよ。
ジャッジっぽいんですけど、僕の今の理解は、本当にセッションしていていいセッションになってるときって、
なんかね、ジャッジしてるんですけど、こっちの人間としてジャッジしてるんじゃなくて、
相手側ね。
相手としてジャッジしてる感じがするんですよ。
そうするとジャッジされたって感じないっていう。
そうだと。
ことがすごい起きていて、だからそのセッションだけ聞いて、
表装だけ切り取るとめっちゃジャッジメントだらけのセッションなんですけど、
なんかそれは、だからジャッジメントという、
ウィザウトジャッジメントな感じをどう表現しようかな、みたいなこともすごい。
ジャッジメントなんだけど、ジャッジメントしてるわけじゃないっていう。
なんかそれこそ段階じゃないけど、
でもその状態になるまでには、それこそ本じゃないけど、まずちゃんと効くがある。
そうなんです、そうなんです。
なるべくバイアスをなくし、そのフラットな状態で潜入感なくし、
かつ相手の状況を、相手の意図を自分の中にインストールしていくことがあって、
初めて相手としてこうしたらよいんじゃないって話になるので、
その順番があるだけで、
セッション通すと聞いてくれたことになるけど、
後半はジャッジをしてるのは、その人になりきってジャッジしてるみたいな感じがあるから、
どこを切り取って聞くと呼ぶのかってことだと。
そうなんですよね、そうなんですよね。
でもそれ絶対あるなと思ったのは、僕も採用の面接のときそういうことするんですよ。
はいはいはい、すぐわかる。
まずウィザウトで、ジャッジするんじゃなく聞かないとわからないし、
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少なくとも僕らの会社で採用するときは、人いっぱい欲しいわけじゃないので、
せっかく応募してきてくれた人が一番良い選択取れるように考えたいっていうセッションなんですね、採用面接。
だから採用面接終わった後に合格フォーカスっていうよりは、
採用面接終わった後にその人のベストな選択は何だったのかっていうのを一緒に考えたい。
その道筋の一つが僕らの会社だったら、一緒にやれるねってなるし、
その人のやるべきことは別の会社だったら、うちじゃなかったねっていうことも僕から言うこともあるんだけど、
そのプロセスを今のやつで思い返すと、確かにまず最初聞いてるんですよ。
僕は最初聞くところからスタートして、全体の多分半分近くずっと聞いてる。
ウィザウト、ジャッジメントで本当に聞いてる。
聞いていくと面白いから興味持ってどんどんその人の深掘りを、
それこそなぜだとか、きっかけはとかって聞いていって、
そうするとだんだん自分の中に入っていって、その次に僕がやるのは、
これ開発者、エンジニア的なあれですけど、
抽象化するとか、モデリングするっていうことだったり、
ロジックを作るというか、その人のロジックを見つかるっていうふうに考えて、
っていうプロセスがあり、そこでロジックの組み立てをしたら、
この人にとってはこうですねって最後ジャッジをするんだけど、
でも多分それは聞いてもらえたと思ってくれてる。
間違いないですね。
っていうのが僕は採用面接、今まで言語化したことなかったけど、
俺かもしれないってちょっと。
これ僕は聞いてもらえた感ある。
僕も今考えてたこと言っていいですか。
聞きたい聞きたい。
さっきの判断の公式の内側のプロセス、
それを趣向プロセスと呼ぶとして、価値基準かける入力情報の部分を、
聞いてくれてるwithout judgmentな状態で、
その計算のプロセスを一緒に考えて、
その人なりに計算問題のプロセスこうやって書いて、
自分の答えはこれでこう出たって言ってるときが、
それって自分ではもちろんジャッジしてるわけですけど、
でもそれを自分の回答として出していて、
その相手の人が出した回答を評価してるわけじゃないっていう、
その違いっぽいなって思ってますよね。
途中過程を共有するってことですよね、多分ね、その趣向プロセスの。
そう、同じ問題を一緒に解いてくれて、
そういう解き方もあんだみたいな。
結果だけ渡されても聞いたことにはならん。
そう、結果だけを評価するのとは違うから、
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ジャッジしてるのは何なのかっていうのは自分の回答をジャッジしてる。
結果だけだと本当にジャッジになるんですよね。
だから趣向プロセスのトレースだと、
別にこっちがジャッジしてるわけじゃなく、
あなたの趣向プロセスをトレースして、
こうジャッジしたねってことを一緒にジャッジするというか、
一緒に考え見つけるってことだから、
いやー全然違うな、なんだろうな。
この何でもない聞くということをこんなに
分析分解することがあって。
僕はお題、回答、しなんっていうプロセスで
プログラム設計するんですけど、
要はお題に回答する、一緒に回答したっていう。
そのジャッジメント、ウィズアウトジャッジメントとか
ジャッジメントって言ってるやつは、
そのしなんに当たるところだと思うんですよね。
その出てきた回答に対して、
どうフィードバックをするかみたいな。
なので、回答としなんの違いだなって思ったんですよ。
なんかちょっと話ずれそうなんですけど、
昨日それこそセッションリプレイってやつをやってたんですよ。
サポーターの方の結構長いペアで、
それこそ10何回セッションやってますみたいなペアで。
で、だから、
入力情報があったときに、
この人はこういう価値基準で判断するんだなっていうことが、
サポーターにはある程度インストール結構されているので、
プレイヤーがバーって喋った、
プレイヤーって話した人がバーって喋った後に、
今の話って違う切り口で似た話をしてる感じがちょっとしますね、
って言ったんですよ。
で、これ、結構コツがあるんですよ。
で、これ結構この言い方一つで、
受け取りって変わるなと思っていて、
今のって違う切り口で似た話してますよねって言われると、
ちょっと嫌なんだけど、
似た話をしている感じもちょっとしますよねって言う方だと、
受け取れるみたいなところがある感じがあって、
なんかその、ジャッジするんだけど、
相手の価値基準みたいなものでジャッジするんだけど、
それを断定しないっていうか、
感じもするねとかっていうふうに、
なんか俺には思えるけどなみたいな、
いう言い方をするかしないかで結構差が出る、
って話をまさにしてたんですね、昨日。
そこはちょっとテクニックっぽくなるような気もするんですけど、
そこの伝え方はあるよねなんて話をした。
絶対ある。
それは否定ないじゃないですか。
かっこいいですねって言ったら評価になるけど、
僕はかっこいいと思いましたって言ったら、
かっこいいですねって言ったら、
そんな自分もそう思ってないけどになるけど、
かっこいいと思いましたって言われたら、
それを否定はできないみたいなのがあるので、
伝え方ですよね。
まさにまさにまさにまさに。
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そこを断定されると、
結構拒否反応を喋る側がする。
そうですね。
まさに聞かれてない中の典型かもしれないですね。
勝手に決めつけてくる、っていう。
最段的に。
こうやって経験が出来ると、
自分に振り返ってやってないかな って怖くなるやつ
気を付けようって思いますが もう 第2部これでまた盛り上がり
盛り上がってた
聞くだけで盛り上がるな
面白かった
いやいや じゃあということで まだ第3回がありますので 第3
もよろしくお願いします
よろしくお願いします
また来週
じゃあね
じゃあね
じゃあね
じゃあね
じゃあね
じゃあね
じゃあね
じゃあね
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします
よろしくお願いします