悔しさの重要性を探る
ざんていラジオぉ。
えっとね、クラロアは必要かどうかが分かったよ。
なんで必要かっていうと、負けて悔しい思いをした者が、平穏との差分によって平穏のありがたみが分かるから。
あははは、わりくどい。そうなんだ。
よく間違われるのが、上に行くのが楽しいんじゃないの?っていうことを言われてるんだけど。
今までできなかったことができるとか、トロフィー上がるところが楽しいんじゃないかって言われてるね。
今までできなかったことができるのはダンスに似てるから、ちょっとそれは違うんだけど、人間、同じ人間に勝ったり負けたりする。
うん、永遠にね。
もちろんダンスも上を目指せばそれがあると。
でも上を目指すのが目的ではなかったということが分かりました。
なぜですか?
悔しいと思いたいからです。これが本体。
なんで上を目指すことじゃなかったってことが分かったんですか?
ん?だって上を目指したってさ。
永遠に上がいるから。
永遠に上がいるから、それは合理的でない。
なるほど。
ならば、なんだったんだと。そして戦いはいつまで経ってもやめれないだろうと。
なぜだと、馬鹿らしいと。
悔しい!って思いたいからね。
これはもう間違いない。
悔しいから来る、何が欲しい?
エネルギー。
差分が欲しい。
エネルギーは別にわからないです。
TGがたまるばっかりです。
それをやめたときの平穏感。これが欲しいんじゃないですか?
ライキさんはよく動画の最後でやるやつね。
やった!やったー!って言います。
これでやめれる!って。
よし!やった!って。
やっとやめれるこのゲームを。
このクソゲーを。
このクソゲーをって言うんだ。
で、次の日にはやってるんだけどね、また。
面白い。
そういうことだよね。
あのやった!を味わいたいわけです。
やっとやめれる!って。
すごい愚かだね。
ちょっとこの案は穴だらけのような気がします。
とりあえずここで終わっておきます。
はい、わかりました。では!
はい。