1. 伊藤由美子のCozy Space
  2. 第175回「写真で伝えたい。そ..
2024-02-04 25:24

第175回「写真で伝えたい。その人の背景を」シネマちっく写真家:淺井走さん(前編)

▶️2024年2月マンスリーゲスト

『シネマちっく写真家』淺井 走さん

▶️今回の内容(目次)

01:52 ご紹介

03:51 「シネマちっく写真家」になったきっかけ

07:14  抽象画の描き方

12:16  人との縁を大事にする理由

17:35  仕事を受ける判断軸

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✅ 淺井 走(あさい・はしる)さんプロフィール

1980年名古屋市生まれ。幼少期、映画のカメラワークやデザインをデザイナーの父から学ぶ。映画の音楽にも興味を持つ様になり2001年にはイギリス・リヴァプール、Beatles縁の地CAVERN CLUBやGRAPESにてライブを実現。2005年には愛・地球博やチベットを訪れてライブをするなど精力的に音楽活動を行う。同時に2001年フレンチ・イタリアンの修行を経て、名古屋で飲食経営も行っていたものの、2008年、28歳の時、不景気の波を超えられず泣く泣く閉店。大手イベント企画・運営会社に就職し、その後、個人事業主としてイラスト・デザインの仕事を受けるため独立。2017年障害者福祉の会社にスカウトされ、写真/動画・デザインの仕事を中心に担当。そして2021年、株式会社Vothtory(ヴォストリー)を設立し、写真・アート活動をしている。

浅井 走さんホームページ・SNS情報

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◉愛知北FMにて

第1・第3月曜日13:00~13:30(生放送)

『伊藤由美子のCozy Space』

番組YouTubeチャンネル

サマリー

浅井走さんはシネマチック写真家で、写真を通して人の人生の背景を表現することについて話しています。彼は写真を通して人の背景を伝えることをテーマに、自身のシネマちっく写真について語られています。彼は自分の写真がその人とのご縁が繋がっていると感じ、自営業としてその思いを大切にしていると話されています。また、浅井走さんはお父さんの表情が伝わる写真を撮りたいという想いや、親子愛のような雰囲気を感じ取る写真が話題になりました。

00:10
こんにちは。番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、あなたらしくいられるちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を活かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第175回。
浅井走さんのインタビュー
2024年2月のゲストは、シネマチック写真家の浅井走さんです。
浅井走さんのインタビューは、第175回から第178回の4回に分けてお届けします。
インタビューの1回目は、シネマチック写真家になったきっかけや、人との縁を大事にする理由などについてお話していただいています。
では早速、浅井走さんのお話をお聞きください。
今日は、シネマチック写真家の浅井走さんにお越しいただきました。
どうも、浅井走です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
昨年ね、秋にね。あれ、11月だったかな?
そうですね。
愛知機体ウムの私の番組にも出ていただいたんですよね。
楽しかったですね。
本当ですか。そう言っていただけると思ってやってる甲斐があります。
いやもう本当に足らなかったですもんね。
だって30分の生放送なんで、30分って言っても全部喋れるわけじゃないじゃないですか。
だからね、浅井さんの40何年間の人生をそんな短い時間では伝えられないだろうってことで。
本当は一言でパッと区切れたんですけどね。
いやいや、区切れないから面白いんじゃないですか。
そうですね。ありがとうございます。
今日はね、じっくりお聞きしたいと思いまして。
シネマチック写真家っていうことで、今カメラのね、写真を撮るっていう活動をメインにされてると思うんですけど、
あと絵を描かれたりね。
そのアートの世界を今ね、突き進んでるっていうことだと思うんですが、
毎時期タイムでも少しそのあたりのお話はしていただいたと思うんですけど、
写真を通してその人の人生の背景を撮りたいっていうところでやってるんですよね。
今回浅井さんを本当に来ていただいたのは、
誰かの人生ストーリーは誰かの生きるヒントになると思ってこの番組やってるんですよ。
いいっすね。
その人生ストーリーっていうのをすごく面白いなと思ってるので、
インタビュー番組してるので、
その人の人生の背景っていうところを撮りたいっていうところは一緒なんですよ。
そこがすごい私の中ですごいヒットしちゃって。
共鳴した。
共鳴したんですよ。
ここにもなんかちょっと動詞っぽい人がいるみたいな。
ところですごく興味深かったので、マザーの愛知県の方に来ていただいて、
言葉だけでは伝わらない部分をやっぱり映画なり写真なりっていうのは伝えられるんじゃないかっていうところでやってらっしゃるんですよね。
もともと僕も映画だったり写真だったりやりながら、
写真と映画の関係
映画が好きなんですよ。
最近の映画ってもうなんかこのスタートからエンディングまでいろんなことを伝えたいのがやっぱりすごい編集がうまくて、
やっぱり見た感覚で満足して帰れるじゃないですか。
それも娯楽的には僕好きなんですけど、
昔の映画って思わせぶりなところが何箇所かあって、
あれってどういう気持ちだったのかなみたいな、
結構考えさせられる映画って70年代80年代多かったじゃないですか。
あの感覚がむちゃくちゃ好きで。
言ってる意味すごくわかる。
わかりますね。
だからその人によってすごい明るい映画にも撮れるし、
すごい寂しそうな映画にも撮れるしみたいな映画って結構あったりすると思うんですけど、
時代時代のやっぱり背景もあったりとか、
あとはその見てる側の人の気持ちとかコンディションの問題もあったりとか、
言葉でなかなか難しいですけど、
魔女の宅急便って子供の頃見たのと大人になってから見たのって全然感覚が違ったんですよね。
そっかそれはありますね絶対ね。
また多分女性が見るのと男性が見るの、
お母さんになってから見るのとお母さんになる前に見るのとか、
多分全然見るところとかが違うって見えてくると思うんですよね。
でも多分子供の頃ってキキとかトンボの側から多分主人公になった気分で見てるから、
魔女の宅急便の最後の非公正のところも良かったって思うんですけど、
なんかもう親心で見るとめちゃくちゃ泣けてくるというか。
そうですよね。
その自分の人生がこうね色々ね移り変わりがね、
で経験してくるとか変わるとやっぱりその感じ方が変わるんですよね。
でそれも監督たちがそこまで言ってないじゃないですか。
これは親心側から見てくださいとか。
見てくださいとは言ってないもんね。
そう。でも感じ方ってそれぞれ違うのと同じで、
写真とか絵もそうだと思うんですよね。
だからなんかピカソの絵を見てなんかすごい分かんないなと。
これ何の絵なんだろうみたいなのを見る人もいるし、
描いてる側から見る、描かれてる側から見る、その時代背景から見る、
ピカソが何を描きたかったかを紐解いてみるとか、
多分色んな見方があって。
この時の感じ方で多分ピカソの良さとかが伝わる人伝わらない人が多分出てくると思うんですね。
そうですよね。
岡本太郎さんもそうだし。
なんかそれが写真もあるんじゃないかなって思った時に、
写真でパッて写った時の、例えば華やかな、もしかしたら写真かもしれないけど、
むちゃくちゃ写された方は、
こんな、例えば結婚式の写真だったりしたら、
お父さんにしたかったなっていう、
もうお父さんがいなくてねっていう気持ちで撮られてるかもしれないし、
多分その華やかな写真でも裏にどんなストーリーがあるかってのって多分あったりすると思うんで、
それを描写できる。
映画のような。
一枚で映画のストーリーが感じれるような写真が撮りたいなっていうのが最初のきっかけだったかなと思います。
絵の描き方と感じ方
そうなんですね。
浅井さん、写真も撮るけど絵もね、昔から描いてらっしゃると思うんですけど、
絵っていうのは自分がそんな得意じゃないので、
自由に自分が描くっていうことは知ったことないんですよ。
浅井さんもうすぐ固定もされるじゃないですか、絵の固定も。
今やってます。
今もやってる?
そういうことですね。
今現在進行形ね、ちょうど1月、今収録させていただいた1月11日っていうね、
また1、1、1っていうね、いい日に収録してますけど。
固定されてると思うんですが、浅井さんのホームページで写真だけ見たんですよ。
どっちかというと抽象的な、風景とかじゃない絵じゃないですか。
抽象的な絵を描かれるときってどういうことを思って描くのかなってすごいわかんないんですよ、実は。
抽象的な絵と、僕は絵本みたいな絵を描いてるんですけど、抽象的な絵ってその感覚なんですよね。
昨日思わなかったけど、今日は茶色使ってみようかなとか、赤使ってみようかなとか、
なんか筆で飛ばしてみようかなみたいなのがあったりするんですけど、
あとは僕どっちかっていうと、さっきの絵本みたいな絵のときっていうのは、
もう頭にビジョンがあるんですよ。
頭にビジョンがあるのをどうやって見える化するかっていうのを描いてるのが絵本だったり、
ちょっと細かい絵を描いてるときですね。
で、感覚を表現したい。
例えばそれが喜びなのか、悲しみなのか、怒りなのかっていうのを表現したいときは僕抽象画を描いてるんですよ。
そういうことなんですね。
だからどっちかって思考通さずに手が動く感覚でも自由に描くっていうイメージなんですかね。
そうなんですよ。
で、そこに色味だったり、例えばレイアウトのスペースだったりをバランスを取りながら、
見て、もうちょっと黄色欲しいなとかっていう感覚で描いてるので、
どちらかっていうと自然的にできる。
計算できないってことですよね。
その絵本と全く逆に無逆なんですよね。
イメージしたものじゃないってことですよね、最初に。
それじゃなく、どういうものが出来上がるかわかんないのが面白いとこなんですよね、抽象的な絵の。
でもやりすぎると結局ぐちゃってなっちゃうので、引き際だったりも大事なんですけど、
やっぱり自分の思った通りに、自然にできるけど自分の思った通りにできるときの方が多いですね。
そのときはもうダサくというか、ただの落書きで終わってしまって。
世には出ない。
そういうことなんですね。
自分が納得する加減っていうのも感覚なんですね、だって。
描いた自分が言うのもなんですけど、無茶いいなって思うんですよ、自分が見て。
俯瞰してみるんですけど、自分がこの絵を飾りたいか、見たいかっていうのってすごく重要で。
手元に置いておきたいかっていうこともあるってことですね。
そうなんですよ、そこ降りたくないんですよね。
そういうことか、気に入ったものはね。
日本の絵とかは特にそうなんですけど、原画自分で持っているんですよ。
それをポストカードにしたりとか、ポスターにしてクリエイターズマーケットで売ったりとかはしてましたけど、
基本的に原画って自分の子供みたいな、自分から生まれたもんなんで、持ってたいんですよね。
その絵自体が自分そのものだったりするのかな。
そうでしょうね。だから言い方は難しいですけど、夢見るじゃないですか。
夢を描写してるんですよ。
そうなんですね。
写真を通して人の背景を伝える
なので、そこの風景を描いてみて、ここを見るたびに僕はここに行けるんですよ。
そういうことか、自分はね。
でも普通の人から見たら、こういう風景の絵ですね。悪いかもしれないですけど。
夢の中のビジョンの憧れの街とかを描いてるから、それに見たら、この街行きたいなみたいな。
っていうのがあって、そういう絵を描いてるっていうのがあるので、
自分の中の世界を見るために、
これも映画みたいなものですよね。
あの映画見たいなと思って、ブルレーとかDVD入れてテレビに映った時に、その世界に入るじゃないですか。
ああいう感覚なんですよ、絵を見るっていうのは。
自分が描いた絵をね。
そう。だから人の絵で気に入ったのも僕そういう感覚ですね。
結構、そういう美術展行っても、その人の作品全部が好きなっていうのもありますけど、
1個の絵が好きですごいその絵の前にいたりとか。
ずっとね。
そう。この絵はすごいなーって。
でもその感覚はありますね。私も別に絵は描きは描かないですけど、
ね、やっぱりそういう美術館行って、例えば1人の人の展示だとしても、
そのいくつかある作品の中でもどうしてもその絵にすごい引き込まれるっていうのってありますよね。
そうですね。さっき言った共鳴じゃないですけど、なんかが響くんですよね。
その時のその感覚で。
それも出会いですよね。
そうですね。ご縁でしょうね。
その作品との出会いですもんね。
僕なんか、縁をすごい大事にするんですよ。
人もそうですし、場所もそうですし。
なんかこの、巡り合って巡り合わせみたいなのが結構あると思ってるので、
やっぱり出会うべくして出会った人は大事にしたいというか、
やっぱりいろんな人たちがいるので、仕事だけの付き合いものの人もいるし、
ただ会話で終わってしまう人とかもいるとは思うんですけど、
でもその人がまたいつか何年後かにタイミングで出会ったりする時があるんですよね。
でもその時は多分、会うべくして会っている時だと思うんですよ。
だからやっぱり何年前は僕が未熟だったり、何も感じなかったりで終わっている時も、
何年後かは僕は多分その人の気持ちがわかって、
共鳴したりとかもあったりするので、
やっぱり縁ってすごいタイミングだったり、大事だなっていうのが。
そうですよね。
こうやってね、去年のマナさんと出会って。
1ヶ月くらいでラジオ?
そうですよね。あれ2回目でしたもん、お会いしたの。
あのラジオが。
で今今日、これ前ちょっと写真撮られてたの、その時お会いしましたけど、
今日4回目です。
4回目か。すごいですね。
なんかやっぱりそういう引き合う何かがあるんですよね。
そうですよね。
人と人、人と物もそうかもしれないですけど。
なんかタイミングだったり、映えだったり。
それをだから、これは大切だっていうキャッチをするっていうか、
それすごく大事だと思う。
だいたい外に出たら皆さん出会うわけじゃないですか。
でもなんかその、あれこれ大事なご縁なんじゃないかっていうキャッチする、
自分の力もすごい大事かなって思ってるんですね。
意識してるかどうかの違いで、やっぱりその後の展開も変わってくるなっていうね。
営業ってあんま好きじゃなくて。
だから自分から会いに行って接点を作るって大事だと思うんですけど、
でもそれって言い方選ばなければ、
誰でもいいからとりあえず引っかかってっていう方法でもあると思うんですよね。
でもそれは僕、次の段階、
じゃあこれで一緒に仕事しましょうってなった時に、
はまらないことがやっぱあるんですよ。
そうですね。
だから何でもいいからやります、だったらそのやり方で僕はできるんですけど、
やっぱりこの人のこの人生の写真を撮りたいって思った時に、
営業で撮るっていうのが難しかったんですよね。
ちょっとはまらないですよね、そのやり方っていうね。
誰でもいいわけじゃないじゃないですか。
だから僕の写真を見てくれて、
って言ってくれる人っていうのは多分ご縁があるタイミングだと思うんで、
僕の写真を見ても何も感じない人もいると思うので、
だからそういう人たちは多分まだ僕とその人のご縁が繋がってないと思うんですよね。
だけどなんか写真見たりとか、
こうやってちょっと出会っただけでフィーリングがマッチする人とかっていうのは、
やっぱりタイミングなのかなと思うので、
仕事も僕はそう思う。
私も本当にそう思いますね。
私も誰でもいいからインタビューしたいわけじゃないじゃん。
やっぱりお互いだと思うんですけど、
私がもちろんね、お願いして出てくださいって言って嫌だっていう人もいるかもしれない。
今まで一度もないんですよ、断られたことが。
それはなんでかなと思うと、
私はその人だから行きたいって思ってるから、
それをそのまま伝えるから、
その方も時間を作って来ていただいて話していただくんですけど、
やっぱりその方の時間っていうか命の時間を使わせることなので、
こっちもやっぱり誰でもいいからただ単に出てもらえばいいと思ってないんですよね。
やっぱりそれも聞いていただく方にも失礼なことだし、
やっぱりその人がどういう肩書きあるか関係なく、
話を私が伺いたいか、この人を紹介したいかっていう軸があってやるから、
意味があると思ってるので、
今アサヒさんにお話聞いていただいてますけど、
私もアサヒさんだからこの人どんな人生だったんだろうってすごい興味深いし、
今までやってきたことにもすごい興味深いので、
その今言われたことすごくわかるんですよね。
それがすごい一番大事ですね。
そうですね、私もかなりの、ほぼそれが上位に来るっていうか一番に来るぐらい。
そうですね、だから怒られますけどね、周りからは。
何でもいいからお金を稼がなきゃいけないから、
っていう視点でいくとね。
仕事はやっぱりしなきゃいけないし、営業かけなきゃいけないし、
やりなよって言われますけど、
でもやっぱり頼まれてもできんもんはできないっていうか、
無器用なんですよ。
会社員だったらそれやらなきゃいけないと思うんですよ、
もしそういう会社だったら。
私たち今、自営業者じゃないですか。
そこが良さだと思うんですよ。
その代わりにリスクもありますよ、いろいろね。
リスクと思えばリスクですけど、
でも自分でそのやり方も自分で決めるわけじゃないから。
だからこそ、自営になる意味があるっていうか。
どうですか、先ほど言った、やれないんですよって言って。
やりたくないんですもんね。
写真の場合はシャッター押せば切れるんですけど、
さっきの絵と同じで、描けばいいっていう問題じゃなくて、
撮ればいいっていう問題じゃなくて、
しっくりこないんですよ。
気持ち悪いんですよね。
だから全然カメラ持って街に撮りに行くときも、
載ってないとき撮った写真って、
何も感じないただの風景の写真なんですけど、
やっぱ撮ろうって思ったときの撮った写真って、
なんかがその写真の中で光ってるんですよね。
伝えたいものがあったりとか、
その瞬間を撮れたりとかするので、
何でもいい、記録してください、
っていう写真の仕事もあると思うんですよ。
だから例えば運動会やったっていう記録で撮ってくれればいいので、
写真には縁がある
別にいい写真とかいい写真じゃなくていいので、
とりあえずまんべんなく撮ってくださいっていうのは、
多分僕じゃないなって感じ。
他の方ですね、またそれをやりたい人がいるからね。
記録っていうカメラマンの方も多分いると思うので、
僕はそういう仕事としてはやれんことはないですけど、
あえてやりたいかって言ったら、
僕はそれができないんですよ、逆に。
今それ正直な気持ちじゃないですか。
できないんですって。
その自分に正直でいるっていうことが、
私最初のベースだと思うんですよね。
そうですね。
嘘ついて仕事しても自分に嘘ついてやったところで、
いい写真は撮れるわけないし、きっと。
それは写真じゃなくても、
違う仕事でも全部そうだないかなと思うんで。
いい写真っていう定義もすごく難しいんですけど、
じゃあちゃんとピントがあって、
バッチリ撮れてる写真がいい写真っていう人もいるし、
構図がしっかりしてて、
綺麗な写真がいい写真っていう人もいるし、
あとはレンズとかカメラの機材が良くて、
そういったテクニックをちゃんと見せれる写真がいい写真っていう人もいると思うんですよ。
僕、そこがすごく疑問だったんですよ。
いい写真の定義って何なんだろうね。
それって昔のカメラ、
今よりも例えば機材レベルが少なくて、
画素数も低くて、
例えば昔の携帯のカメラとかって、
とんでもなく画素悪いじゃないですか。
でもいい写真あるんですよ。
ありますよね。
そうなんですよ。
間違いなくあるんですよね。
その時しか撮れなかったその写真って、
多分画素数とか色とか技術じゃないんですよね。
何を撮りたくて撮ったのか。
私、今ふと思い出したのが、
アサヒさんのお父様が昨年亡くなったとき、
その亡くなる前に写した写真、
おそらく実家なのかな。
浅井走さんの写真に込められた想い
カルボナーラ食べたやつですね。
あの表情の優しいお父さんの表情、
あれはやっぱり自分の家だってこともあるでしょうけど、
自分の愛する息子が撮ってるから、
あの表情だと思うんですよね。
そうだと思います。
別にいいレストランでカルボナーラを食べて、
すごい綺麗なところで、
ちゃんといいカメラで、
じゃあお父さん撮れますよって撮った写真は、
世間一般から言ったらいい写真かもしれないですけど、
僕は違うんですよね。
実家の撮るよって言って、
綺麗にしたわけでもないまんまのところで、
あれは多分僕、もともとイタリアンだったので、
その話はちょっと後からお聞きしますけど、
今はまずね。
僕のパスタをすごい好きで食べてくれてたんで、
久々にカルボナーラを実家に作りに行ったんですよ。
あれが多分最後作ったパスタでしょうね。
そうなんですか。
父親が食べたパスタが最後の表情であります。
そこを撮った瞬間、その写真をLINEで送ったら、
安地家の家族みたいな写真だなって言って、
笑って喜んでましたから。
私もすごいインスタで見たと思うんですけど、
すごいあの写真やっぱり私、
お父様のことね、
お会いしたこともないですよ。
でも、なんか親子愛っていうのが感じ取れるっていうか、
全ては分からなかったとしても、
それがやっぱり何か私の中にも引っかかって、
なんかいいな、この写真って思うっていうところが。
嬉しいですよね、伝わると。
だからそれこそ何か本当に、
何にも伝えてないですけど、
伝わってくれたっていうのが、
さっきのそのストーリーの背景じゃないけど、
なのかなって思いますね。
なんかそのあたりはすごい大事に、
そういうのなんか私も大事にしていきたいなって思いますね。
写真で伝える人間味のある部分
その人の背景っていうか。
だからなんか運動会とかでも、
かっこいい一員の撮ったとこを撮りたいと思うんですよ。
そういった記録であれば。
だけど、僕たぶん一番後ろ走ってる子撮りたくないと思うんですよね。
一生懸命走って、
そこをお父さん、
もう家になればその子が走ってるとこを、
お父さんとお母さんこれ撮りすぎていく、
そこのここを撮りたい。
お父さんとお母さんが、
お父さんがドベでもいいから頑張って走れよって言ってるシーンを撮りたいと思うんですよ。
そういうのってわかりますね、すごいね。
イメージがもう、その写真のイメージ湧くじゃないですか。
一生懸命走って、
ドベかもしれない、
でもお父さんとお母さん頑張れって言ってるこの写真って、
絶対グッとくる写真ですよね。
1位を取って喜んでっていうのも、
すごいいい写真だと思うんですけど、
どちらかというとやっぱりフォーカスポイントって、
主人公ってたぶん肌万丈で、
いろいろある人がやっぱり主人公になりがちですよね。
そうですね。
むちゃくちゃ全部できますっていう人って、
なかなか絵的に面白くないというか、
やっぱりどんくさかったのかのび太くんみたいな、
失敗が多かったりする人が、
どうやって頑張るのかっていうのが、
多分主人公だったりすると思うんで。
みんながやっぱりスーパーマンじゃないから、
そういうとこに自分を投影したりするんですよね。
できないところの部分にね。
でもやっぱりさっき言った1位の子も、
努力してると思うんですよ。
そうですよね。
だったら僕は大会の1位じゃなくて、
例えばよなやな走ってこないで、
頑張ってるところを取るほうが、
やっぱり絵になるというか。
で、1位を取った。
だったらその子の背景だと思うんですよね。
だからやっぱり努力祭というか、
人間味のある部分を、
僕は描写したいなとは思いますね。
だからその写真っていうのも、
浅井さんのおじいさまが写真家だったんですよね。
そうなんですよ。
父方のおじいちゃんが写真家だったんですよね。
で、お父様がデザイナーなんですよね。
デザイナーなんですよ。
浅井走さんにご登場していただきました。
次回も引き続き、浅井走さんに
破天荒なお父様から受けた影響について
お話ししていただきます。
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、
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この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの提供でお送りしました。
それでは次回もお楽しみに。伊藤芋子でした。
25:24

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