そうなんですね。
浅井さん、写真も撮るけど絵もね、昔から描いてらっしゃると思うんですけど、
絵っていうのは自分がそんな得意じゃないので、
自由に自分が描くっていうことは知ったことないんですよ。
浅井さんもうすぐ固定もされるじゃないですか、絵の固定も。
今やってます。
今もやってる?
そういうことですね。
今現在進行形ね、ちょうど1月、今収録させていただいた1月11日っていうね、
また1、1、1っていうね、いい日に収録してますけど。
固定されてると思うんですが、浅井さんのホームページで写真だけ見たんですよ。
どっちかというと抽象的な、風景とかじゃない絵じゃないですか。
抽象的な絵を描かれるときってどういうことを思って描くのかなってすごいわかんないんですよ、実は。
抽象的な絵と、僕は絵本みたいな絵を描いてるんですけど、抽象的な絵ってその感覚なんですよね。
昨日思わなかったけど、今日は茶色使ってみようかなとか、赤使ってみようかなとか、
なんか筆で飛ばしてみようかなみたいなのがあったりするんですけど、
あとは僕どっちかっていうと、さっきの絵本みたいな絵のときっていうのは、
もう頭にビジョンがあるんですよ。
頭にビジョンがあるのをどうやって見える化するかっていうのを描いてるのが絵本だったり、
ちょっと細かい絵を描いてるときですね。
で、感覚を表現したい。
例えばそれが喜びなのか、悲しみなのか、怒りなのかっていうのを表現したいときは僕抽象画を描いてるんですよ。
そういうことなんですね。
だからどっちかって思考通さずに手が動く感覚でも自由に描くっていうイメージなんですかね。
そうなんですよ。
で、そこに色味だったり、例えばレイアウトのスペースだったりをバランスを取りながら、
見て、もうちょっと黄色欲しいなとかっていう感覚で描いてるので、
どちらかっていうと自然的にできる。
計算できないってことですよね。
その絵本と全く逆に無逆なんですよね。
イメージしたものじゃないってことですよね、最初に。
それじゃなく、どういうものが出来上がるかわかんないのが面白いとこなんですよね、抽象的な絵の。
でもやりすぎると結局ぐちゃってなっちゃうので、引き際だったりも大事なんですけど、
やっぱり自分の思った通りに、自然にできるけど自分の思った通りにできるときの方が多いですね。
そのときはもうダサくというか、ただの落書きで終わってしまって。
世には出ない。
そういうことなんですね。
自分が納得する加減っていうのも感覚なんですね、だって。
描いた自分が言うのもなんですけど、無茶いいなって思うんですよ、自分が見て。
俯瞰してみるんですけど、自分がこの絵を飾りたいか、見たいかっていうのってすごく重要で。
手元に置いておきたいかっていうこともあるってことですね。
そうなんですよ、そこ降りたくないんですよね。
そういうことか、気に入ったものはね。
日本の絵とかは特にそうなんですけど、原画自分で持っているんですよ。
それをポストカードにしたりとか、ポスターにしてクリエイターズマーケットで売ったりとかはしてましたけど、
基本的に原画って自分の子供みたいな、自分から生まれたもんなんで、持ってたいんですよね。
その絵自体が自分そのものだったりするのかな。
そうでしょうね。だから言い方は難しいですけど、夢見るじゃないですか。
夢を描写してるんですよ。
そうなんですね。
なので、そこの風景を描いてみて、ここを見るたびに僕はここに行けるんですよ。
そういうことか、自分はね。
でも普通の人から見たら、こういう風景の絵ですね。悪いかもしれないですけど。
夢の中のビジョンの憧れの街とかを描いてるから、それに見たら、この街行きたいなみたいな。
っていうのがあって、そういう絵を描いてるっていうのがあるので、
自分の中の世界を見るために、
これも映画みたいなものですよね。
あの映画見たいなと思って、ブルレーとかDVD入れてテレビに映った時に、その世界に入るじゃないですか。
ああいう感覚なんですよ、絵を見るっていうのは。
自分が描いた絵をね。
そう。だから人の絵で気に入ったのも僕そういう感覚ですね。
結構、そういう美術展行っても、その人の作品全部が好きなっていうのもありますけど、
1個の絵が好きですごいその絵の前にいたりとか。
ずっとね。
そう。この絵はすごいなーって。
でもその感覚はありますね。私も別に絵は描きは描かないですけど、
ね、やっぱりそういう美術館行って、例えば1人の人の展示だとしても、
そのいくつかある作品の中でもどうしてもその絵にすごい引き込まれるっていうのってありますよね。
そうですね。さっき言った共鳴じゃないですけど、なんかが響くんですよね。
その時のその感覚で。
それも出会いですよね。
そうですね。ご縁でしょうね。
その作品との出会いですもんね。
僕なんか、縁をすごい大事にするんですよ。
人もそうですし、場所もそうですし。
なんかこの、巡り合って巡り合わせみたいなのが結構あると思ってるので、
やっぱり出会うべくして出会った人は大事にしたいというか、
やっぱりいろんな人たちがいるので、仕事だけの付き合いものの人もいるし、
ただ会話で終わってしまう人とかもいるとは思うんですけど、
でもその人がまたいつか何年後かにタイミングで出会ったりする時があるんですよね。
でもその時は多分、会うべくして会っている時だと思うんですよ。
だからやっぱり何年前は僕が未熟だったり、何も感じなかったりで終わっている時も、
何年後かは僕は多分その人の気持ちがわかって、
共鳴したりとかもあったりするので、
やっぱり縁ってすごいタイミングだったり、大事だなっていうのが。
そうですよね。
こうやってね、去年のマナさんと出会って。
1ヶ月くらいでラジオ?
そうですよね。あれ2回目でしたもん、お会いしたの。
あのラジオが。
で今今日、これ前ちょっと写真撮られてたの、その時お会いしましたけど、
今日4回目です。
4回目か。すごいですね。
なんかやっぱりそういう引き合う何かがあるんですよね。
そうですよね。
人と人、人と物もそうかもしれないですけど。
なんかタイミングだったり、映えだったり。
それをだから、これは大切だっていうキャッチをするっていうか、
それすごく大事だと思う。
だいたい外に出たら皆さん出会うわけじゃないですか。
でもなんかその、あれこれ大事なご縁なんじゃないかっていうキャッチする、
自分の力もすごい大事かなって思ってるんですね。
意識してるかどうかの違いで、やっぱりその後の展開も変わってくるなっていうね。
営業ってあんま好きじゃなくて。
だから自分から会いに行って接点を作るって大事だと思うんですけど、
でもそれって言い方選ばなければ、
誰でもいいからとりあえず引っかかってっていう方法でもあると思うんですよね。
でもそれは僕、次の段階、
じゃあこれで一緒に仕事しましょうってなった時に、
はまらないことがやっぱあるんですよ。
そうですね。
だから何でもいいからやります、だったらそのやり方で僕はできるんですけど、
やっぱりこの人のこの人生の写真を撮りたいって思った時に、
営業で撮るっていうのが難しかったんですよね。
ちょっとはまらないですよね、そのやり方っていうね。
誰でもいいわけじゃないじゃないですか。
だから僕の写真を見てくれて、
って言ってくれる人っていうのは多分ご縁があるタイミングだと思うんで、
僕の写真を見ても何も感じない人もいると思うので、
だからそういう人たちは多分まだ僕とその人のご縁が繋がってないと思うんですよね。
だけどなんか写真見たりとか、
こうやってちょっと出会っただけでフィーリングがマッチする人とかっていうのは、
やっぱりタイミングなのかなと思うので、
仕事も僕はそう思う。
私も本当にそう思いますね。
私も誰でもいいからインタビューしたいわけじゃないじゃん。
やっぱりお互いだと思うんですけど、
私がもちろんね、お願いして出てくださいって言って嫌だっていう人もいるかもしれない。
今まで一度もないんですよ、断られたことが。
それはなんでかなと思うと、
私はその人だから行きたいって思ってるから、
それをそのまま伝えるから、
その方も時間を作って来ていただいて話していただくんですけど、
やっぱりその方の時間っていうか命の時間を使わせることなので、
こっちもやっぱり誰でもいいからただ単に出てもらえばいいと思ってないんですよね。
やっぱりそれも聞いていただく方にも失礼なことだし、
やっぱりその人がどういう肩書きあるか関係なく、
話を私が伺いたいか、この人を紹介したいかっていう軸があってやるから、
意味があると思ってるので、
今アサヒさんにお話聞いていただいてますけど、
私もアサヒさんだからこの人どんな人生だったんだろうってすごい興味深いし、
今までやってきたことにもすごい興味深いので、
その今言われたことすごくわかるんですよね。
それがすごい一番大事ですね。
そうですね、私もかなりの、ほぼそれが上位に来るっていうか一番に来るぐらい。
そうですね、だから怒られますけどね、周りからは。
何でもいいからお金を稼がなきゃいけないから、
っていう視点でいくとね。
仕事はやっぱりしなきゃいけないし、営業かけなきゃいけないし、
やりなよって言われますけど、
でもやっぱり頼まれてもできんもんはできないっていうか、
無器用なんですよ。
会社員だったらそれやらなきゃいけないと思うんですよ、
もしそういう会社だったら。
私たち今、自営業者じゃないですか。
そこが良さだと思うんですよ。
その代わりにリスクもありますよ、いろいろね。
リスクと思えばリスクですけど、
でも自分でそのやり方も自分で決めるわけじゃないから。
だからこそ、自営になる意味があるっていうか。
どうですか、先ほど言った、やれないんですよって言って。
やりたくないんですもんね。
写真の場合はシャッター押せば切れるんですけど、
さっきの絵と同じで、描けばいいっていう問題じゃなくて、
撮ればいいっていう問題じゃなくて、
しっくりこないんですよ。
気持ち悪いんですよね。
だから全然カメラ持って街に撮りに行くときも、
載ってないとき撮った写真って、
何も感じないただの風景の写真なんですけど、
やっぱ撮ろうって思ったときの撮った写真って、
なんかがその写真の中で光ってるんですよね。
伝えたいものがあったりとか、
その瞬間を撮れたりとかするので、
何でもいい、記録してください、
っていう写真の仕事もあると思うんですよ。
だから例えば運動会やったっていう記録で撮ってくれればいいので、