1. 伊藤由美子のCozy Space
  2. 第229回「¨踏み出して良かった..
2025-03-09 32:02

第229回「¨踏み出して良かった!¨激動の店舗移転とクラウドファンディング」音楽空間ond°オーナー:甲斐明俊さん(前半)

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▶️ 2025年3月マンスリーゲスト

音楽空間ond°オーナー:甲斐明俊さん


目次

()-OP

()-甲斐明俊さんのご紹介

()-ヤイリギターとの出会い

()-激動の店舗移転

()-クラウドファンディングの経験

()-ED

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

✅ 甲斐明俊(かい・あきとし)さん

プロフィール

1977年 神戸生まれ。2006年12月、愛知県春日井市にmusic space K-onn/Cafe Comodo開業。既存の工場裏社員寮を改装し楽器店/音楽教室/ライブカフェという、楽器購入~レッスン~発表までの流れをすべて体験できるコンパクトな音楽空間として、新たな音楽サービスを展開)。2014年、法人化に伴い、店名をond°(オンド)に一本化。音楽を日常生活に習慣づける遊び心に満ちたイベントやワークショップを企画・主催。発表会やパーティーなどのレンタルスペース運営、出張演奏・ワークショップ、チラシ製作など、多方面にわたり音楽家を中心としたフリーランスや企画主催者等の周辺作業をサポート。2015年、音楽療法との出会い―ミュージックケア・インストラクター(MCI)養成講座開講。2016年、MCI取得、介護予防指導士取得、Liberty Wings プロフェッショナル・カウンセリング・セミナー修了。学生時代、楽器店アルバイト~社員時代、渡米、独立開業後の計22年間で培った経験をもとに、心・音・体の三位一体の独創的なアプローチで、場を温め楽しませる「温楽家」として企業や店舗、施設、イベント会場等各分野で活動を広げる。2024年4月から新店舗での営業を始め、日々、音楽を楽しむための空間を創り出している。

音楽空間ond°ホームページ


・・・・・・

◉2022年7月〜配信中!の

甲斐明俊さんへのインタビューは

この番組の第93回〜96回で御視聴ください♪


◉愛知北FMにて第1・第3月曜日

13:00~13:30(生放送)

『伊藤由美子のCozy Space』

番組YouTubeチャンネル

(甲斐明俊さんゲスト回)

※番組内のBGMは全て著作権フリーの楽曲利用

サマリー

音楽空間ond°のオーナーである甲斐明俊さんが新店舗への移転に至る経緯を語ります。新しい場所では音楽教室やカフェの運営を通じて、地域とのつながりを深めることを目指しています。甲斐明俊さんが運営する音楽空間ond°の店舗移転に関して、家賃交渉や設計の課題に奮闘する様子が紹介されます。また、クラウドファンディングを通じて資金調達の工夫や、周囲のサポートを受けながら新しいスタートを切ったことが伝えられます。甲斐明俊さんが店舗移転とクラウドファンディングの経験を通じて感じた喜びや苦労についても語ります。支援者とのつながりや感謝の気持ちが強調され、「踏み出して良かった」という思いが伝わります。

00:08
こんにちは、番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、あなたらしくいられるちょうど良い場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
新しい始まりの予兆
伊藤由美子のCozy Space第229回、2025年3月のゲストは、音楽空間ond°オーナーの甲斐明俊さんです。
甲斐明俊さんへのインタビューは、第229回と第230回の前半・後半に分けてお届けします。
前半は、ギターの先生とレッスン生としての会話から入り、甲斐明俊さんへのインタビューは、2024年に旧店舗から新店舗へ移転するときのことをお話ししていただいています。
では早速、甲斐明俊さんのお話をお聞きください。
今日は音楽空間ond°のオーナー、甲斐明俊さんにお越しいただきました。
こんにちは。
こんにちはでいい、こんばんは。
収録してるのは今夜になっちゃってるんですけど。
おはこんばんは。前向いてるんです。
甲斐さんね、ポッドキャストのインタビュー、こちらの番組、2022年の7月にマンスリーゲストとして配信されてるんですよ。
もうそんな前になりますか。
もう2年半も経ってるという。
2022年がもうそんなに前に感じられる。
今ね、2025年の2月に収録してますけど。
明日から3月というところですね。
そうですよね。
じゃあこれが電波に乗っかる頃には、春という。
3月なのでね、春に入ってますね。
はい、ということでよろしくお願いします。
甲斐さんとはね、月に2回。
毎月2回会うね。
毎月2回ギターレッスンを受けてるので、甲斐さんとはお会いするんですけど。
そのね、2022年と変わらずそんなに練習せず、ギターレッスンに来ちゃうので。
じゃああれから習い始めた頃。
そうですね、2022年の4月から私はギターレッスンを甲斐さんに習っているので。
そこから3年くらい経つという。
3年やったらもうベテラン。
いやいやいやいや。
いやもう、いつもわかってらっしゃると思うんですけど。
練習せずにいつもギター持ってきて、そこで練習してるみたいな。
そんな人にはできない。
大きな山をいつも乗り越えて。
そうですね。山を乗り越えて。
一緒に乗り越えていただいてる感じもするんですけど。
一人だったらもうとっくに私は挫折してますね。
でも一番やりたい気持ちがある。やりたいというか、使命感がある。
使命感。
そんな気迫すら感じる。
そうですか。ギターを結局ラジオ番組のためにギターやってるような感じになってますね。
宣伝に使ったりというか。
そうですね。
ユリシンがもう体当たりで宣伝ファイターになるんだっていう。
実際それは本当にそうなので否定はしないんですけど。
でも本当にギターを習い始めて、もうすぐ3年になるんですけど。
やっぱり一つのことを続けてきたっていうこの3年っていうのは、やっぱり意味がすごくあるなと思いますので。
これ本当に習ってなくて一人でやってたら、本当にとっくにギターやめてます。
いつでもいいっていう感じになりますよね。
そうですね。いつでも弾けばいいって思ってたらいつまでも弾かないんですよね。
優先順位変わっちゃいますね。
変わっちゃいますね。
なのでやっぱり目的があって、そしてそれをやってるっていう。
何やり目的を作ってる。
作ってますね。
そうですね。その目的をいつも共有していただいてるので。
でも後から振り返った時に、こんな系の曲やってきたんだって。
そうですね。
それをちょっとリストに並べてみるだけでも、自分は褒めたくなるんじゃないかな。
でも10曲もやってないですけどね、私の場合3年で。
そうかな。
やってないですよ。
1個1個は行為ですよね。
行為ですね。
1曲目から多かったけど。
そうですね。
そうですね。
一人でやるわけじゃなくて、セッションの度にその練習をするっていう。
初めから目的作って、そこまで明確に目的を作ってやる人はそこまでいないかもしれない。
そうですかね。
だんだん目標ができていく人っていますよね。
初めからやりたい。ゼロの状態から。
そうですね。ちょっと無謀な目標を立てましたけど。
そういえば、先日新しいギターを買われたという。
そうですよ。そうなんですよ。
ヤイリのギターをね。
ヤイリのギターですよ。
県カニ市が誇る。
そうですね。
ここからね、温度さんね。愛知県笠川市にあって、今は笠川インターの近くにあると思うんですけど。
ここからだと1時間もかからないじゃないですか。車でね。
なのでね、そこは本当に永久保証なんですよね。
そう。永久保証です。
持っていけば無料でやってくれて、お土産までくれるんですよ。
そうなんですか。
そうそう。
しかもこれ自分で買ったギターじゃなくて、人から譲ってもらったギターでもちゃんと保証してくれるっていう。
ちゃんとメンテナンス持ってったら。
めちゃくちゃ手厚いですよ。
そういったことも情報が入り、車で1時間もかからないところだったら、自分で持ち込めば安心だなと思ったんですよね。
そうですね。作った人の顔が見える。
そうですね。工場見学もしましたので。
もともと見学でっていうんですかね。
いや、というか。
ヤイリのギターがそういえば岐阜にあったな、近いところにあったなっていうのを、
数ヶ月前に知り、ああと思って検索したら、工場見学やってるんだ、土曜日。
予約して、その時にそちらでちょっとギター買えますかって聞いて、
一部なら買えますよって、全部は販売しないですけどって言って、買うつもりで行きましたから。
で、出会ったと。
これかなっていうので、これなら用意できますって言われたんで、じゃあそれでみたいな感じで。
じゃあ、より燃料が投入された感じ。
俺、インタビュー番組で申し訳ないですが、私の話多くなってません?
それはウォーミングアップだと思います。
ウォーミングアップね。
やっぱり一本目はね、初心者セットみたいなね、ずっと続けるかわかんないんで、
最初はちょっとお値打ちのやつでね、始めたじゃないですか。
やって口に、自分がそんなに上手くないのと、ギターはそんなに音が良くないので、
あんまり音の良くないなってことに気づき始め、二本目どうしようと思ってたんでしょう。
なので、やゆりのギターはね、やっぱり手作りでね、いろんな工程をね、いろんな方がね、職人さんが一つのギターをね、
作ってるじゃないですか。
もうね、弾いたらすごく自分が上手く聞こえました。
でもちゃんとわかったんですね。
全然違いますね、やっぱり。全く違います。
わかった気になって買うのはちょっと良くないけど、やっぱりそうやって触って、
ああ、これは良い、音が良いっていう、上手くなったような気がするのが一番良いギターの証ですよ。
いやもう全然違います。全く違うなと思って。
勘違いするぐらい。あれ、私こんなに上手かったっけって思う?
そこまで上手くないんですけど、ただ音が違うのは分かりますね。
音も弾きやすいです。
弾きやすいです、やっぱり。
音は鳴るはずの音が鳴ってなかったのは、技術だけの問題でもないっていうところもちょっとあると思います。
ああ、ちょっとはね。
そうですね、やっぱりもう全然握りやすいですもんね。
弾きやすいから、全然違うなと思いましたね。
握りのところでセットアップしてるからね。
そうですね、ウォーミングアップで私のギターの話から入れていただきましたけど。
新店舗の特徴
愛知県春日市の春日インターの近くに音楽空間、音堂があると思うんですけど、
この1年前に移転してきたっていうことで、
以前その2022年にインタビューを受けていただいたときは、
そう、旧店舗で。
旧店舗で、そこら辺から今もうね、場所が変わり、いろんな状況が変わってると思います。
激動になったんですね。
あれは2022年からで、移転をしなきゃいけないっていうことになったっていうのは、話としてはどのぐらい前にそれが分かったんですか?
去年が2024年、3月いっぱいで契約終了を告げられたのはその3年前だったんですね。
あ、そうなんですか。
コロナ待った中のときに、旧店舗って工場の、もともと社員寮だったところを音楽教室とかカフェとして利用させていただいたっていうところがありまして、
その工場、先代の社長に旧空間を使わせていただくことになって、事務たちに改造をして、
先代がちょっと2015年、今から10年前になくなったんですけど、
今2代目、僕とあんまり年の変わらない息子さんがやられてるんですけど、
そこはセラミックを作る仕事をしている工場をやってて、
結構好調な業種で、ちょっと手狭になってきて、裏を実は使いたいと思っているという話があって、
ちょっと親の義理というかね、それもあるので、とても言いづらいんだけどという話で、
でもちょっと3年後、おめどに契約を終了して、6日別で続けてもらえないかということで、
その時は借りてる以上はそういう話もあるなと思って、
知り合いにそれから当たったりして、不動産屋さんを紹介していただいて、結構動きもしたんですけど、
なかなか規模が大きい商売なので、なかなか同じような条件だったり、
広さがあっても家賃が3倍とかになるとか、かなり条件を良くしてもらってたと思うんですけど、
駐車場のこととか、次探すとなると大変だなっていうのが、だんだん迫ってくるというより分かってきて、
設計師さんとかね、いろいろと知り合いにもいるんだけど、なかなかこんだけの規模は難しいぞと。
本当に残り1年切ってまだ全然見つかってない状態。
これがなかなか2023年かな。1年切ってどうしようと本当に思い出して、
今のこの大仙寺町というところなんですけど、2階建ての元施設だったところなんですけど、
前よりはもちろん小さいんですけど、やっぱり割と似たスケールでそのまま移行できるんじゃないかという場所を見つけていただいたのが知り合いの知り合いで、
音楽をやっている司会議員さんがいるんですけど、その方がここどうだということで見つけていただいてお話をさせたんですね。
ここだったら新しい音楽基地になるんじゃないかという。
それを見に行ったのが2023年の8月だったかな。8月に入って初めて中に入れていただいたんですよ。
じゃあもう半年ぐらいですか。契約が切れる半年ぐらい前。
移転をするという公表したのが6月くらいだったかな。それでもかなり驚かれたんですけど。
そのピンポイントな御縁があったので、この物件がもともとNPO法人で、アルコール依存症の方の支援施設だったという話なんですけど。
今の温度の建物がということですね。
建物前のですね。その御家さんとまた別の知り合いのその方から紹介いただいた方とお話をして、御家さんとまたつながって、
そこで中を見せていただいて、その時は1階も畳があったりとか、今はちゃんとカフェになっているんですけど、やっぱり施設という感じなので。
2階建てで、2階にも個室はなくても本当に広い、多い事務所という感じで。
アクセスは、前は工場の裏だったから全然人からは見えない、通りから全く見えないような場所だったんですけど、
ここは国道沿いなので、人の目にはずっとつき続けるというような感じで。
店舗移転の奮闘
デメリットもいっぱいありそうだけど、やっぱりとりあえず一番優先するのは今の事業をそのまま。
継続。
そう、継続するということでも動いたので。
家賃交渉だったりなんだか。やっぱり最初はこう、いいよいいよという話になってくると、
だんだんだんだん、親さんの方も周りから、もうちょっとつかないかよとか、
なってくるし、あれ最初と話が違うなって。
でもちょっとそれ以上難しいなとか、でもここを逃したらもうないなって。
その家賃の交渉自体もちょっとギリギリまでかかったんですね。
あれですよね、イベントもやってたりとか、あと音楽教室もやってたりするので、
やっぱりその生徒さんがいることを考えたら、もともとあった場所からすごく離れるわけにもいかないし、
スペースもある程度ないといけないし、結構本当に大変だったかなと思うんですけど。
部屋数の前、社員寮だったので、2階だけでも9部屋あったんですよ。
そのうちの1部屋は機材庫に使って、収納もあったので、結構その中にいろいろ使わない楽器とか楽譜とか入れたりしてたんですけど、
こっちに来るとそういうのも少々無くなるんだけど、生徒さんは100人以上もいるので、
なんとか継続してもらえるようにということで探した。
あと個人レッスンだけだったらまだね、何部屋か借りるだけっていうアイデアもあったんですけど、
グループレッスンでこちらのコンガとかいう、カホンとかパーカッションとかね、
グループレッスンもあったので、そうなると多い時は10人ぐらい同時にレッスンできるスペース。
あとはライブだったりね、音楽のイベントをやったりすることもあったし、
それこそ発表会もそうだし、ことがやっぱり同時にできるスペースっていうのがもう本当にギリギリここしかなかったんですよね。
そうなんですね。規模としては建物自体の規模が3分の1ぐらいになったイメージなんですかね。
そうですね。以前と比べると。
そうすると今までやれてたことをもうちょっと工夫してやるようにしていかなきゃいけないことって結構増えたんじゃないですか。
そうですね。まだちょっと移転前には全くそれが見えなかったんですけど、
まずこの中をどう作るかっていう設計がいるじゃないですか。
その設計師がたまたま、僕は兵庫県の出身で前もちょっとお伝えしたんですけど、神戸市で生まれて、
今の実家は三木市っていうところに隣なんですけど、両親が家を買って、もう40年近くかな。
そこで高校生、大学生まではいたんですね。
高校の時の、僕水泳をやってたんですけど、水泳部の3歳下の後輩が、
今は岐阜県にいて、原型の鏡で設計師をやってる。
彼との繋がりも、彼の奥さんがサックスの先生でとりあえず。
どうもうちの先生ととても仲がいい。
そうなんですね。そんなところで繋がってた。
そこから15年くらい前に繋がったんですよ。
そのことを最初隠して、電話かけてきて彼らが来たんですね、2人。
そうなんですか。
えーなんでっていう。
急に来たんですね。
実はこういうふうにここで彼女が僕の奥さんになるんですけど、
サックスの先生ととても仲がいいって。
いろんなところで繋がってますね。
全く学生時代は水泳以外の話をそんなにした思いもなかったんですけど、
彼は僕から音楽の話を当時も聞いたよみたいな話を言い回してくれるんですけど、
その話を公表したぐらいの時に、僕の妻が絵の仕事をしてるんですけど、
仕事でやったロゴ、お店のロゴとか会社とか、いろんなロゴを展覧会で展示して、
土屋くんですけど、土屋くんが2人で来て、その時に移転の話もしたんだ。
大変ですねって言って、ここでよければ力になるって言ってくれたんですよ。
それから1ヶ月後かぐらいにここの場所が見つかって、
本屋さんに中を見せていただく時に、一緒に彼も来てくれたんです。
中を見て、そこから僕は一回実測しますって言って、
そこからいろいろと作ったりとかしてくれて、
今やってるお店のコンセプトとか、それはずっとSNSとかでも見てはくれてるので、
できたら今の店舗をそのまま次に引き継げるような形でお手伝いできたらいいなと思いますということで、
すごくそれが強力な助っ人になったんですね。
実際ここの工事をしてくれる人もずっと温度ができた時から、
お世話になっている方にここの施工管理をしてくれるということで、
やってもらえる人は決まって、
そういうところで契約がなかなか決まらないっていうのがずっと続いて、
本当にやっと鍵をもらったのが2月の15日。
そんな間際だったんですか?
クラウドファンディングの挑戦
そうなんです。だから年越しもモヤモヤの年越しだったんですよ。
そうなんですか。
だからそれもうちょうど1年ぐらい前ってことですよね。
そうそう。だからやっと1年前に。
ほぼ決まりなんだけど、あとちょっとのお客さんだったりとか、
1個の質問に対して返ってくる返答がとても遅いとか、
こっちもそれが決まらないと。
クラウドファンディングのことも考えていたし、
それを発表することすらはできない。
そうなんですね。
来る人来る人にはどうなったのか。
みなさん気になりますよね。
ほぼ決まりなんですけど、まだまだって言って、
え、まだ?みたいな。
だんだんだんだんそんな空気もなりつつあったところでやっとだったんです。
そうなんですね。
今ちょっとクラウドファンディングの話が出ましたけど、
その移転をする上でちょうど1年ぐらい前にクラウドファンディングをされたってことで。
もうやっぱり資金がどんな抑えようとしても掛かるなって。
移転費用いろんなのね、やっぱり準備するのに。
準備もだし、やっぱりなんだかんだ設計とか、
設計もだけど施工してということを考えると、
その間やっぱりどうしても売上が落ちちゃう。
そうですよね。
イベントができない、教室もできないところもあったりしたので、
それ考えると1000万円は絶対できないという状況で。
クラウドファンディングで全部とは思わなかった。
それは難しいと思う。
いろいろ分かってたんですけど、
融資を受けてたりとか、もちろん身内からちょっと補助をいただいたりということもしながら、
クラウドファンディングでどこまでやれるかなっていうので、
ちょっとスタートしたという感じですかね。
2月15日に契約が決まりましたということで、
次の場所も公表した。
そのタイミングでほぼ同時にクラウドファンディングの発表もしたんですね。
その文章を考えるのもやっぱり2ヶ月ぐらいかけてやったかな。
そうですか。
あと、商工会議所の補助金なんかもちょっと頼ってたんで、
そこでいろいろとプレゼンの文章とか同時に書くことがあったんで、
いろいろと自分のやってきたことを17年間振り返るいい機会にはなったんですけどね。
そのキャンプファイヤーを選んでスタートしましたね。
期間ってあれってどのぐらいでした?
39日、ほぼ40日ぐらい。
1ヶ月半ぐらいですかね。
実際やってみてどうでした?
僕は割とクラウドファンディング自体が始まったというか、
例えばちょっと有名な人だとキングコーンの西野さんとかがやってるのを割と早いうちから見てて、
こういう集め方ができたんだとは思ってたんだけど、
やっぱりまだまだ日本でそういう土壌が全くなかったし、
クラウドファンディングで集めたけど、結局その後店だったりなくなったとか、
そのプロジェクトできなかったみたいな、そういう事例もちょっとあったり。
どっちかというとネガティブなイメージが周りでは多かった。
必ず成功するわけじゃないですしね。
成功したとしても、じゃあそのお金をどう使うのかみたいな。
連携と支援の重要性
だから有名のあるシステムだとも思うんですけど、
まだちょっと日本では難しいのかなと思ってて、
コロナが来て、コロナの時に割と支援に使う人も結構いた。
そこでクラファンというものがあんまり馴染みなかった人にも浸透したのかなと思います。
だから僕が去年やる頃にはクラファンだったらいいんじゃないのっていう先輩の人でもいる。
確かに印象は2年前から比べると結構受け入れられやすくなってますよね。
どっちかというとあんまり印象がないというか、
人からそんなところがあって、そこが一番ネックだったよね。
さじ感を合わせる。
夫婦の間でね。
でももうやっぱり運資とか自己資金だけがちょっと足りない。
周りの人も割とだから5枚来たらやるしかないじゃんって言ってくれた人もいたりして、
分かったみたいな感じで心の文章をわーっと書いて、
その文章を見せたら思いはやっぱりそこで共有できたところがあって、やっとスタートできた。
もうギリギリっていうエネルギーもあったと思います。
もうやるしかないみたいなね。
余裕がある間はやっぱり変に迷ったりする。
迷う時間があるってことですよね。
そう、余裕があるんですね。迷ってる時は。
でもそこでもういろいろな。
欲しいね、日がついて。
もう日がついてるところの話じゃないと思うんだけど。
契約切れるのが3月末だったんですよね。
やっぱりお客さんも何とか支援はしたいけど、
クラファーどうするんやろうかわからん。
クラファー自体の仕組みがわからないっていうね。
結構慣れててもめんどくさいですよね。
登録してもなかなか次またログインできなかったりとか。
あんまりネット関係が得意じゃない人は難しいかもしれないですね。
だから公表する日にちょうど毎月やってる
トピー伝送会という企画があって、
本当に前日から明日公表しようっていう時に
ふとこのプレゼンのために書いた文章そのままコピーして
バーっと資料を作ろうと思って。
それで急遽決めて冊子を作ったんですよ。
それが割と良かったです。
もうキャンプファイヤーじゃなくても
ポイっといって1万円ポンと。
これでいいの?
支援された。
全然ありがとうございますみたいな。
支援していただいたんですね。
そうやって結構だからリアルなご支援というのも
割といただいたりして
その冊子の愛では結構良かったですね。
やっぱりネットじゃないね。
目で見るものでね。
そこで伝わるものとか。
これが僕らが音楽をやっている生が良いという
類のものかなと思うんですね。
スタートダッシュはちょっとあんまり良くなかったかもしれないですね。
そうなんですか。クラブファンディング自体のスタートダッシュは。
目標がちょっと高かったところなんですけど
最終的に目標が600万に対して340万。
でもすごい最後のスタートがあったんですけど
知り合いの人でもきっとそんな葛藤があるんじゃないかなっていうのも
ちょっと感じながら。
葛藤っていうのは具体的にどういったんですか。
やっぱりスマの話をしたけど
あんまり良い印象を持ってない人も
昔からある仕組みじゃないですからね。
そのこと自体はやっぱり強く押すことはできるんじゃないかな。
向こうの方の気持ちで支援していただけるかということですね。
こっちから発信するのはこういう風にやってきて
今ちょっと困ってはいるけど
でも未来はもっとこういう風に描いて
温度っていうお店をみんなに愛される場所にしますっていう
ポジティブな絵をずっとこっちは発信し続けるだけ
そうですよね。
それになるじゃないですか。
クラウドファンディングの挑戦
支援お願いしますだと支援になるし
支援は支援なんだけど
それをどう自分の中でもちゃんとアウトプットするかということもあるし
これをどう使うかということもあるんですけど
いろんなジレンマはありますね。やってみて
ギターの品を考えるということもどういう風にしよう
とりあえず出す時点で全然決まってなくても
とりあえずこういうものをざっくり出します
そこからもうやりながら考える
返礼品ですよね。
自分たちが用意しているものじゃないものが支援に入ったりすると
やっぱり準備していたとしても
こっちのがみなさんを喜ぶんだって言ったら
そこを変更していくっていうのってやっぱり大事じゃない
割と融通が効かないんですよ。一回出しちゃったら
それを後から変更することはできない
そうですね。できないですよね。
それも後からできるのかなとちょっと思ってた
いや、できないですね。
そういう自分の調査不足
そこはめちゃくちゃ反省で
変更はできないけど
返礼品としては用意できると思うんですけど
いろいろだから自分もめっきり発信した
いっぱいあるし
常に考えながらずっと進んでぐるぐる回っているような
今考えたら
ちょっとプライベートな話で
飼い猫もその時期に調子悪くなっちゃって
本当に死にかけてたんですよね
毎日病院にも行って
遺伝のこともやってたんで
結構大変でしたね
今考えたらすごいなと思います
でも体を壊さず無事なんとか引っ越す
引っ越す直前にも手術になっちゃって
猫が
それ逆によかったんですけど
病院にいてくれたので
引っ越しの時に家帰ったらどうなんだろう
っていうような状況じゃなくて
病院に行ってもらえば安心だったんで
3月31日とも引っ越しで
4月1日が新店舗っていう状態の中で
それは復興中の幸いだったと思うんですよね
そのクラウドファンディングを40日くらいやった時に
大変なことはいっぱいあったと思うんですけど
逆にすごい感動的な
感動の中でも最初はネガティブな話をしたんですけど
感動が多かったですよ
しばらくごく去ったっていうか
昔来ていただいてた犬の人だったり
地元の同級生だったりとか
一人京都の人かな
京都でスタジオ営んでる方が
今スタッフでやってくれてる
ウェリちゃんっていう子がいるんですけど
ウェリちゃんのインターネットで知り合った
音楽仲間の奈良の人が
トビーで演奏会に来て
その人がこういう場所あるよって話してくれた
スタジオの人が支援いただいたりとか
思わぬ繋がりだったりとか
一つ一つの支援というか
増えていくっていう
エネルギーというか
これは何にも変えがたいというか
こんなに後押しになるんだ
その支援のエネルギーってすごいですよね
やっぱり金額の問題とかではなくて
上手くできるんですよね
数字が増えていくことで
盛り上がっていくみたいな
ラストスパートなんか特にすごかったし
すごいってなってまた最後ギューンと増えたりもしたんですけど
機能としてキャンプワイヤーのサイト上で
支援金額が見えると同時に
支援していただいた方の
メッセージがどんどん入ってくるじゃないですか
あのエネルギーって本当にすごいですよね
引き取りとしては一つなんですけど
それが頑張ってくださいっていう
それが提携だったとしても
やっぱりすごい一つ一つは
みなぎっていきますよね
そこにはね
人の顔は見えてなかったとしても
エネルギーとして来ますよね
そういう意味でやってよかったなと思うと
の方がもちろん多かったですよ
今考えたらというか
やっぱり踏み出してよかったなと思う
勇気がいるので
そうですよねやるってこと自体はね
やったことないことをやっぱりやるっていうのは
なんでもやっぱり勇気がいりますもんね
分かんないことがたくさんあると思うので
これはファンをやる上で
絶対に自己紹介として
今度はこういうお店です
こういうことをしてきました
振り返ってバーッと書くんですけど
書いているうちに
ちょっと思い出してくる部分もあるんですけど
店舗移転の意義
それをさらけ出すってことは
言うたら自分の評価を委ねるってことではある
そうですよね
怖いですよね
実際そうですよね
逆に言うとそういうシーンが
始まったってことは
間違ってなかったんだっていう風には感じましたね
目に見えてそれが金額となって出てくるって
結構シビアですよね実際には
シビアな世界にずっと
本当は商売してるってことはそうなるはずなんですけど
でもより目に見えたし
一番本当に大事だと思う時に
そういう風に動いてくれた人が
実際に金額として出していただいた人もそうなんだけど
そうじゃないもっと周りで支えてくれてる人も
本当にたくさんいらっしゃって
だから一人一人に
全員にお礼をちゃんとできたのかなっていう
不安なぐらい
本当に多くの人の力を借りて
このイベントは成り立ったと思います
最初にちょっとお話ありましたけど
以前の店舗から今の店舗で
3分の1ぐらいのスペースになったと思うんですね
そうするとこう
貝秋俊さんにご登場していただきました
次回のインタビュー後半は
店舗移転後の音楽空間温度についてお話をしていただきます
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は
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この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの提供でお送りしました
それでは次回もお楽しみに
伊藤絵美子でした
32:02

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