1. 心に刻みたい人生哲学のはなし
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2021-07-14 17:23

第1回「人生はあなたが思う通りに展開している」

メンタルのプロ「メンタルサポーター|成田儀則」に「プロインタビュアー|早川洋平」がインタビュー。

・メンタルサポーターとは
・番組への想い
・成田儀則が現在に至るまで
・『どんな人』に見てもらいたいか
・メンタルを学び続けた結果『一番の学び』とは


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【成田儀則プロフィール】なりた・よしのり/1961年生まれ神奈川葉山町育ち。
小学6年から父の影響でテニスを始める。将来プロになりたいと中央大学庭球部に入部。大切な試合になると、メンタルの弱さで全て負ける。結局レギュラーになれず、四年生で寮長で大学生活を終える。
日本火災海上に入社し社会人をスタート、6年間お世話になった後に独立、会社を設立し、新たなチャレンジをスタート。しかし、事業に失敗。億の借金を背負う。どん底の真っ只中、能力開発の草分け、株式会社TBR故夏目志郎氏に師事、ブライアン・トレーシーのプログラムを徹底的に学び、主席トレーナーになる。夏目氏引退を機に、有限会社ヒューマンリンクを設立。企業研修からオリンピック選手のメンタルトレーニング、学校に行けない子供達のカウンセリングまで幅広く活躍。現在にいたる。

【早川洋平プロフィール】はやかわ・ようへい/プロインタビュアー。キクタス株式会社代表取締役。
羽生結弦、コシノジュンコ、よしもとばなならトップランナーから戦争体験者までジャンルを超えてインタビュー。ユニクロ・ネスレなどCMのインタビュアーも。いっぽうで「音声」の可能性にインスパイアされ、声のメディアも創り続けてきた。『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良 大人の放課後ラジオ』などプロデュース。


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愚か者がやっと気づいた成功法則。
学校に行けない子供たちから、オリンピック選手をはじめとするアスリート、企業経営者、マネージャー、新入社員、メンタルサポーターとして20年間にわたり、講演・研修を行ってきた成田芳則が、
今と未来を変える人生哲学の話をお届けします。
視聴者、リスナーからの人生相談にもお答えします。
最後に緊張したのは、やはり講演で初めての方々、結構多い人数いたんですよね。そのときにちょっと緊張しました、やっぱり。
本当ですか。緊張したときに、こうすることで落ち着くとか、いきなり本編に入ってきましたけど、何かあります?成田さん、ジンクスとか。
とにかく、うまくしゃべろうとしないこと、自分が何を伝えたいかのメッセージを整理するように、いつもしています。
へぇー、そんな成田さんのことを。
これからお話を伺っていきたいんですが、まずそもそもですけど、成田さんのプロフィールとかも拝見したんですけど、
メンタルサポーター、例えば、なんかやっぱりメンタルの方なんだなとは当然思ったんですけども、
例えばメンタルというと、メンタルトレーナーとかコーチとかあると思うんですけど、メンタルサポーターっていうのはどういうことなんでしょう?
もう要はサポーター、応援なんですよね。
なるほど、コーチとかっていうよりサポート。
そうなんです。なんかコーチとか先生みたいなイメージ。
はい。
で、僕も今、もう本当に自分でもそう思います。
僕も勉強中なので、一人でも多くの人に要はメンタルの面で応援をしたいという趣旨でメンタルサポーターということで名乗らせていただいてます。
これね、実際あえてですけど、今日第1回ということで、これから本編でもいくらでももう成田さんお話いただけることあると思うんですけど、
やっぱりね、プロフィールは拝見したんですけど、そのプロフィールをね、ただ読み上げるだけでやっぱり面白くないので、
はい。
メンタルサポーターになりたい、よしのりが生まれるまでという感じですね。
この第1回は、それだけでもう公演になりそうな感じするんですけど、やっぱりなぜこのメンタルサポーター、道を選んだのか、ここに至るまでっていうの、どこからでもいいんですけど、どういう経緯があって今わかるんでしょう?
もうとにかく、メンタルが弱くて。
とてもそう、今は見えないですよね。
本当にもう元々はとってもメンタルが弱くて、常に周りを意識しながら、失敗したらどうしよう。
03:00
はい。
うまくできなかったらどうしよう。
はい。
で、大事なのは、僕テニスが大好きで、テニスを小学校の頃から父の影響で始めまして、で、大学は中央大学という、当時テニス強かったんですよ。
へぇー。
今でも強いんですよ。
はい。
当時も王座とってたぐらいなので、大学では日本一を当時行ってたんですよね。で、その頃には中央に入って、レギュラーになれれば、もしかしたらプロになれるかも。
はい。
なんていう夢を描いてですね、入ったはいいものの、大事な試合は緊張しすぎて、実力発揮できないまま全部負ける。それが実力みたいなもんなんですけどね。
でもそれこそ大学のその日本一クラスのところに入るってことは、その前もテニスやってるわけですよね。
そうですね。
ということは、その大学で初めてそういういわゆる本番、大舞台っていうのの前に経験してたわけですよね。
ジュニアの頃からやってたんで。
はい。
ジュニアって言い方でマジな感じですね。
結構ジュニアの草大会で入賞したり、結構頑張ってたんですね。
でもその時はあんまり、細かい話ですけど、メンタル自分弱いなみたいにあんまり思ってなかった?
その頃はもう実力がないだけって感じでしたよね。まだまだこれからと思って。ただ大学に入って結構練習を重ねて、で、ある程度実力つけたはずが、大事な試合をやる。
大事な試合はダメだというね、この情けない事態っていうんですが、そういうのを経験をし、で、結局大学、結局レギュラーになれずに、最後、僕の大学っていうのは体育会の人間ばっかりが住んでる寮があるんですよ。
はい。
南平寮、南平平、日野市の南平平っていうところに、もう体育会の人間ばっかり700人ぐらい。
すごいですね。
もう柔道部から相撲部から、もうすべての部がそこにいるみたいな。そんな寮がありまして、で、最後はそこの寮長ということで、縁の下の方で終わったんですね。
寮長されてたんですね。
寮長、はい。
すごいな。
各大学、各部の代表が寮長を集まって、寮長運営委員会っていうのがあってですね、そこで役に入れさせていただいたりしながら、大学生活を終えたんですよ。
ちょっとメンタルというか、ちょっと弱いなみたいなところはありましたけど、でも逆に今の肩書きを取るわけじゃないですけど、その最後はサポーターはちょっとやってたんですよね、寮長。
そうです、そうです。
で、そこから?
そこから、さあ、テニスの道はもうなくなったので、どうしようっていうことで、何をやりたいって、仕事何をやりたいかも何にも分からなかったんです。
テニスだけで来てたわけですね。
テニスだけで来てたんで。
はい。
で、当時は結構体育会の人間は人気があって、いろんな企業が家に来ないかっていうお誘いをね。
引く手はまただった。
いや、引く手はまただとは言わないんですけど、結構あったんですよね。
06:03
そういう形で、保険会社、日本火災という保険会社に就職をさせていただきまして、自動車営業部というですね、リーダーさんを担当した営業ですよね。
はい。
で、6年間お世話になって、東京に2年、で、大阪に2年、で、また東京に戻ってきて2年ということで、6年間お世話になったんですよ。
はい。
で、ただちょっと僕には、一生この仕事はちょっと向いてないかなという思いがあって、で、たまたま父が貿易の事業をね、自らやっていたので、僕長男なんでね。
はい。
まあ、将来は後継ぎたいなという思いもあって、で、独立をしたんです。
うん。
で、3年間になった会社に本当にもう、お礼を言ってですね、卒業をして、で、独立をしたんですが。
が。
が。
30歳ぐらい、間近ぐらいか。
そうです。
ですよね。
ちょうど29で独立して、まあ30の年ですね。
はい。
で、独立したんですが、父と2人で、父も会社を潰し、僕も要は父と将来一緒にやろうと思っていって作っていた会社を、私もぶっ潰し。
はい。
親子。
親子でもうボインと潰れて、もう全て失い。
はい。
で、最後悪あがきするんですよ。潰れる前って。
悪あがき、はい。
もう要は何とか潰さないようにするために、もう親戚や友人にお金を借りたり、いろんな努力をしたら、結局それがダメで潰れましたと。
はい。
そうするとお金返せないじゃないですか。
そうですね。
もういろんな人に迷惑をかけたり。
はい。
いろんな人に迷惑をかけたり。
はい。
いろんな人に迷惑をかけたり。
はい。
いろんな人に迷惑をかけたり。
はい。
で、それこそもうニッチもサッチもいかない状況。で、借金は当時多く超えてたんで、もうちょっとどうしたらいいか分からずに、そっからですね、2年間ぐらい引きこもったんですよね。
はい。
当時、実は結婚したばっかりだったんですけど。
はい。
そんなふうにもうボロボロになったもので。
はい。
奥様もすごく素晴らしい方だったんですが、僕がそうなっちゃったんで、もう家から出てってもう何十年帰ってこないので。
なるほど。
罰1という。
現在2タイプじゃない。
はい。
そんな状況で1人になり、ボロボロになり、さあどうしようというところで、半分引きこもってました。
で、たまたま週に何回かコンビニに買い出しに行かなきゃもういけないので、とりあえずいやいや家を出ながら。
はい。
で、歩いているときに、僕結構あの能力開発のセミナー大好きで。
はい。
いろんな本読んだり、たまたまそういったセミナーに出たりっていうのが結構好きだったので、その出たときに昔習った先生とばったりすれ違ったんですよ。
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本当に偶然なんですね。
偶然。で、その先生がどうだ、最近どうした元気にやってるかって言われて、いや実はボロボロなんですよ。もうちょっと終わってますという話で。
で、向こうもびっくりしてですね、えーそうなのかと。じゃあもう一回一からね、勉強しなおしなさいということで、たまたま私の家の近くにTBRっていう会社があったんですね。
TBR。
今はもうないんですが、もうなくなりまして、夏目志郎先生という、あのブリタニカの百科事典って昔あったんですよ。
はい、ありますね。あるある。
それのギネス記録を持っている、すごい営業マンですよね。
はい。
それから帰化されて日本でずっと、えーいろんな形で動かれている方で、その先生が起こしたTBRという会社がありまして、ブライアントレーシー。
知ってます。
能力開発の。
はい、神様ですよね。
はい。もうあの素晴らしい、えー体がいらっしゃって、そのブライアントレーシーの教えのプログラムの極東の判件を持ってたんですね。
へー。
で、そこでその判、あの日本にそのプログラムを売りながら、
はい。
えー、セミナーを展開し、っていうような事業をされてたんですよ。
はい。
で、そこに拾っていただいて、もう一問なしだったんで、もうとにかく一からそのプログラムを勉強しながら、フルコミッションのセールスから、
すごい。
えー、要は新たなスタートを切ったという感じなんですね。
はい。
フルコミッションか。でもまあある意味、今のね、もう最初の前半だけでちょっとこう衝撃的な感じです。
だけど。
はい。
そこから、まあでも、どんな感じだったんですか?つまりこう、まあもう、とにかく夢中で、無我無心でやったのか、なんかやっぱりいろいろ不安がありながらも、なんかこう葛藤しながらやったのか、あっという間だったのか、どんな感じなんですか?
いやもう、とにかく僕の中の思いは、こんなはずじゃないと。要は僕の人生は、こんなことで終わるような、はずじゃないと。
うん。
もっと力があるはずだっていう、どっかでそういう思いがあったんですね。
はい。
おかしいと歯車が全く合ってないな、という。あの、チェーンが外れちゃった自転車を、一生懸命漕いでるような。もう一生懸命漕ぐんだけど、全然前に進まない。
空回りですよね。
もうそんなような状況で、なぜだろうって、ずっと思っていたので、そのブライアンの教えが、本当にこう身に染めるように、一つ一つ、あの、前から能力開発、いろんなそういった成功哲学が、
ありますよね。
はいはい。
本も読んだし、セミナーも出たし、プログラムも、ナポレオンヒルとか、有名なプログラムもありますよね。
はいはい。
とってもいいプログラムですけども、買って、聞いてはいたんです。
うん。
ところがですね、全部勘違い。
勘違い。
分かったつもりでいたっていうことが、やっと分かったんですよ。
12:03
つもりが、やっと分かった。
やっと分かってきたっていうのかな。まだ勉強中です。今でもまだ勉強中ですが。
はい。
徐々に、その言ってることが、やっとちょっとずつ分かってきたんですね。
うん。
それで、ハグルマンが徐々に会ってきて、人生が大きく音を立てて、変わったという。
うん。
こんな感じですよね。
うん。
うん。
それでこうね、そのメンタルサポーターとして、まあまさにその、20年にわたってずっとやってこられたってことですけど、
はい。
その中で、まあそういう意味では、こう、何ですかね、やっぱりどん底も経験されて、
はい。
そこからこう、今があるってことだと思うんですが、
はい。
そこの部分から、なぜ、改めて言うんですけど、例えばね、それを講演とか研修とかでもお話されてると思うんですよね。
そのご自身の経験も含めて。で、そこだけでとどまってもいいと思うんですよ、もちろん。
うん。
ここで、なぜ、まあ僕もご縁いただいて、今日こういう機会ありますけど、やっぱり、まあ改めてですけど、この番組を始めようと思ったのかとか、
はい。
やっぱりどういう人に聞いてほしいのかとか、なんかそれをもう少し今の流れから教えていただけますか。
うん。あの、とにかく今、いろんな意味で人生に行き詰まってしまってる人っていっぱいいると思うんですね。
まさに特に今そうかもしれないですね。
まあ今コロナもあるし、まあいろんな形でこう苦しんでる方、いっぱいいると思うし、で、僕はこの学んだ考え方というのを、
はい。
もっと若いうちに、きちっと勉強しておいたらよかったなって思うんですね。
はい。
そしたら僕はもう山ほどの失敗、いろんな過ち、もうそこからやっと学んでるんですよ。
うん。
で、よくね、愚か者なんでね。
はい。
自らの失敗から学び、賢者は先人の教えから学ぶってこういうわけですね。
はいはいはい。
で、僕は先人の教えだけでは学びきれずに、自ら失敗して失敗して、やっとなんかちょっとわかってきたっていう。
うん。
だから僕の人に、そのいろんな意味でのいらない失敗はいらないよねって。
うん。
だからなるべく今、心きつい苦しい人にちょっとでも勇気が与えられたら、
はい。
ちょっとでも楽しく未来がイメージできたらありがたい、嬉しいし、
はい。
お役に立てればいいし、できるだけ若い子供たちに、まだ若いうちからこの考え方をちょっとでも正しく理解してくれたら、まったく人生変わるんじゃないかなって思って、
一人でも多くの方に発信したいなと思って、この決断をしたんです。
はい。
ありがとうございます。
はい。
これからね、第2回、第3回にわたって、もうずっといろんなテーマをお話しいただけると思うんですが、
はい。
せっかく収まりがいいところ、僕もインタビュアーなので、ちょっと気になったことを1個聞いてもいいですか。
どうぞ。
先ほどね、やっぱりこう、ブライアン・トレーシーのことを学んでて、
15:00
はい。
散々いろんなこう、人生手作りを学んできたつもりになったのが、
はい。
まあ、初めてリコをできてきた。
はい。
そして現在に至るってあると思うんですけど、その、うーん、これからお話しいただく話と重なるかもしれませんけど、
ブライアン・トレーシーを学んで、たった1つ、なんか1番の学びってあげるとしたら、それは抽象的なこと、具体的なことなんでいいんですけど、なんでしょうね。
人生は、あなたが思った通りに展開してるってことなんですよ。
うん。
要は、考えた通りに人生って起こってるよって。今ある自分の人生は、私たちの過去の考え方の集大成でしかないんだ。
だから、全て自分が意図して描いてきたことが今あるんだっていうことに衝撃を受けましたね。
なるほど。
ええ。
これ、まさにここからさらに入っていきたいんですが、おそらく多分2回目、3回目で、
はい。
たっぷり入っていくと思うので、
はい。
それぞれずに言えば、今の人生は思った通り、思い描いた通りって、まさにね、分かったつもり。
はい。
多分、失礼を承知で言うと、ここだけの言葉だけ聞くと、あ、それ聞いたことあるよって、多分そういう人いっぱいいるじゃないですか。
はい。
でも、そのつもりがつもりじゃなくなったことを経験されてきた。
そういうことですね。
なので、皆さん是非、2回目、3回目以降で、僕はずっとつもりで生きてきたので、本当に学ばせていただこうと思いますので、いろいろお話を伺っていきたいと思います。
はい。ありがとうございます。
よろしくお願いします。
ということで、この番組では、視聴者、そしてリスナーの皆様から、成田さんへのご相談、質問、そして番組へのご感想を募集しております。
ご応募はhttp://j.mp//jtetsugaku http://j.mp//jtetsugaku
http://j.mp//jtetsugaku
お寄せいただけだと思います。
YouTube、Podcastともに、この放送会の概要欄の方にも、今のURLが記載してありますので、是非、そちらのフォームから成田さんへのご質問、ご相談を取っていただけたらと思います。
ということで、成田さん、今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
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