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それでは今回は、近体詩についてお話ししたいと思います。
近体詩というのは、中国の唐の時代から成立した詩の形式ですね。
これはですね、大きく、絶句と立詩の2つに分かれています。
実際には、それプラスアルファで、それを応用したものとか、
あとは、それとはちょっと分類できないようなものとして、
排義律というものとか、画符というものもあったりはするんですけれども、
まず基本的には、絶句と立詩に分類することで解決することが多いと思います。
まず絶句というのは、四句、4つのまとまりによって作られています。
で、その4つのまとまり、それぞれの文字数が、5文字の場合と7文字の場合があります。
5文字のことを5言、7文字のことを7言という言い方をいたします。
ということは、絶句には2種類ありまして、
絶句には5文字で作られた5言絶句、7文字で作られた7言絶句があります。
なので、例えば5言絶句というのは、5文字が4セットできているもの、
そして7言絶句というのは、7文字が4セットできているものだということであります。
一方の立詩というものは、これが8セットなんですね。
これも文字数がですね、5言5文字と7言7文字があります。
なのでこちらも7言立詩、そして5言立詩の2つがあります。
7言立詩といった時には、これは7文字が8セットあるということです。
そして5言立詩といった時には、5文字が8セットあるということなんですね。
そうなると4種類があることがわかります。
5言が5言絶句と5言立詩、7言が7言絶句と7言立詩ということになるわけですね。
この4つに大きく分類できます。
またこの数だけではなくてですね、内容についてもいくつかルールがあります。
この近対詩というものは、この句の数、文字の数ですね。
文字の数と句の数の他にも、また応韻というものがあるんですね。
応韻というのは何かというと、
この句の一つ一つの最後の文字、最後の文字の発音が大体似たようなものになるというルールがあるんですね。
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例えば、恩という発音があったとすると、それぞれの句の最後が何とか恩、例えば恭とか恩とか孫とかそういう発音になると。
実際には中国の発音なので厳密には違うんですけれども、大体そんな感じで同じような発音になるというルールがあるんですね。
これを応韻と言っています。応韻する場所も決められていまして、
絶句の場合も立詩の場合も5言の場合は偶数句末です。
つまり5文字で構成されているものについては偶数句の最後が応韻していなければいけない。
それに対して七言になると、これが第一句末、第一句の最後の文字も応韻していなければいけないというのが基本的なルールになるんです。
こうした応韻というものがあります。応韻される文字もある程度限られてはいるんですけれども、何種類か種類があります。
次に追句です。 追句というのはこれは立詩で用いられるルールなんですけれども、立詩は全部で8つの句で作られていますけれども、
だいたいこの句が1つ目と2つ目、3つ目と4つ目、5つ目と6つ目、7つ目と8つ目、つまり2つずつでセットになっているんですね。
そのうちの真ん中の2つセット、つまり3つ目と4つ目、5つ目と6つ目です。
この真ん中の2セットについては、それぞれが同じような構成で作られている必要があるというんですね。
同じような構成、似たような言い回しをしていなければいけない。そういうセットになっていなければいけないと。
基本的にこの2つというのは、だいたいセットにはなっているんですが、特に形式の上でもかなり類似したものにしなければいけない。
そうしたものをツイークという言い方をしています。
これはもちろんZECでも使ってもいいんですよ。使うこともあるんですけれども、
リッシュの場合は基本的にその2箇所、まずは基本的には使うと。
もちろんそれ以外のところで使っても構わない。
最大で3つくらいですかね。4つツイークがあるとちょっと逆に変な感じがするので、最大で3つくらいツイークが出てくることはあると思います。
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最後が標則と呼ばれるものです。標則というのは、標と則に分かれておりまして、標というのが高くて長く伸ばす音のことを言って、
則というのが変化させる音。まあ、まあ、まあ、みたいな感じでですね。変化させる音。
中国語は大きく分けると、その2つに分けられると言うんですよ。
その2つのバランスを整える、バランスの決まりを整えることを標則って言うんですね。
あまりこの点については少し複雑ですので、学校で勉強することはあまりないんですけれども、一応ルールとしてはこの標則というものもあります。
ここでご紹介したのはあくまで原則です。あえてそこを外すってことももちろんあるんですね。
例えば視線と呼ばれた理覚は、これをあえて壊すっていうこともあったりしますし、逆に姿勢と呼ばれる途方に至ってはものすごく厳格にこれを守ったりするんですね。
これ破格、あえて規則を破るのもまた面白いけれど難しい。また原則をしっかり守った上で美しいっていうのもまた難しい。
それぞれの難しさがあるんですけれども、その基本となっているのがこの詩の形式だということです。
こういったことを細かく定めたというか、細かく決められていったって言うんですかね、確立していったっていうのがこの正統の時代、これが近代詩というものができていったという成り立ちになってまいります。