『会社ではおならをしてはいけません』(双葉社)
https://www.futabasha.co.jp/book/97845753207870000000
【今回の内容】 初の鵜飼ソロ回 / 静かな生の感覚 / 我々はSNSで派手な人生を見すぎている / 綺麗な本 / 常識と非常識の外の部分に人間がいる / 機内安全ビデオ誰も見てない / 普段見過ごしているあわいを認める / 過去の自分の訂正 / 自分が正義でありたい気持ち / 許さないまま認め直す / 大人になると世界が曖昧になる / 笑うにしては痛すぎる / 自分の過去の膿も引き出される / 脚バタ案件の上モノ / サラッと書いてるけど! / カタルシスを感じさせる失敗談 / ピュアな部分急に出す / 文芸誌「GOAT」/ “理科室に差し込む細いひかりでも黒い机はぬくもりを持つ” / 情報や解釈は変えられるけどピュアな部分は変えられない / 書かれてないことについて考える読書 / 自信とは経験をかたちにすること / 歳を重ねることのリアルな意味 / 夏の課題図書にもどうぞ / 人って捨てたもんじゃない
【出演者】
🔴東京の歌人 上坂あゆ美 https://x.com/aymuesk
🔵京都の僧侶 鵜飼ヨシキ https://x.com/ziruziru1986
番組公式SNS https://x.com/yori_suna
📩おたより宛先 https://forms.gle/E6oFMLDcrJhUH2g57
🚗🚥番組公式コミュニティ「よりすな人間教習所」
https://rooom.listen.style/p/yorisuna
▼ご意見ご感想はSpotify上のコメントまたは #よりすな
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🔵京都の僧侶 鵜飼ヨシキ https://x.com/ziruziru1986
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サマリー
このエピソードでは、鵜飼ヨシキさんが上坂あゆ美さんの著書『会社ではおならをしてはいけません』について、一人で語り尽くすソロ回です。鵜飼さんは、この本から「静かな生の感覚」や「輪郭」を強く感じたと述べ、以前の著書のような攻撃的な印象とは異なり、より静かで、人生の「あわい」や曖昧さを丁寧に描いている点を指摘します。特に、常識と非常識の境界線上にいる人々や、誰も見ていない機内安全ビデオを真剣に見る主人公など、普段見過ごしがちな事象を通して、人間の多面性や、答えを出さないことの重要性を考察します。また、過去の自分の言動を訂正し、父との複雑な関係性を「許さないまま認め直す」というプロセスは、大人になるにつれて世界が曖昧になることのリアルさを示唆しています。さらに、笑うには痛すぎる失敗談や、ピュアな情景描写から見える作者の確信など、本書の多様な魅力を掘り下げます。鵜飼さんは、本書を通して「自信とは経験を形にすること」であると自身の考えを深め、若い世代にこそ読んでほしいと強く推奨しています。
はじめに:鵜飼ヨシキによるソロ回と本書の紹介
私より先に丁寧に暮らすな ということで、今回、特別回となります。
改めて、鵜飼ヨシキです。よろしくお願いします。 今回は、僕、鵜飼ヨシキが
上坂さんの6月に発売された新刊ですね。 会社ではおならをしてはいけません。
ふたばしゃから発売されています。 こちらを一人で、ただひたすらに感想を言う回となっております。
なので、全く上坂さんと打ち合わせもなく、 どんな話をするかとかも特に決めておらず、
開始しました。この本も発売されて、結構 読まれたよーって方もSNS等で見かけるんですけれども、
特にいわゆるエッセイ集なので、すごい ネタバレ的なものはないんですが、ただ、もし読まれてないという方は、
一旦再生を停止していただいて、 本屋に駆け込んでください。
もしすでに読まれたよーって方は、あくまでも 今回、すごい僕の感想というか、僕が感じたこととかを言うので、
いわゆる評論とかそういうものではなく、 なので、読まれた方は自分の読みとか、ここは違うなーとか、
ここ一緒やわ、みたいな感じで思いながら、 もう一度、ちょっと振り返っていただければと思います。
よろしくお願いいたします。
はい、それで、まずこの会社ではおならを してはいけません。上坂さんが言ったところ、通称おなららしいです。
なので、僕もおならと呼びますね。
静かな生の感覚と人生の「あわい」
このおならは、最初に読んだ印象としては、 すごく何かね、静かな生の感覚というか、生は生きるですね。
静かな生きる感覚というか、輪郭というか、 そういうものをすごく実感した本なんですよね。
その静けさって何なのかというと、 上坂さんが以前に出されていた本、
特に一番最初に出された本ですね。 老人ホームで死ぬほどモテたい歌手ですね。
あの本はやっぱりね、パンチがね、強いんですよ。 むちゃくちゃ。攻撃力すごい高くて、そういう意味ですごく面白い本なんですけれども、
もしかしたらそれと比較しているのかもしれないですし、 さらには、まあ普段こう喋っていてね、
会話している中で、友人として知っている上坂さんと 比較している可能性はあるんですけれども、
そこに比べてもっとすごい静かというか、 もしかしたら、現在進行形で考えていることであったり、
悩みとかもあるかもしれませんし、 とても派手に何かを提示するとか、そういうものではなく、
こう、ただただこう、生きているというものを すごく実感させる本だと思ったんですよね。
その生きている感覚っていうのは、 実はすごく静かなんですよね。
僕らは普段、すごくインターネットとかいろんなもので、 派手な人生みたいなのを見すぎてるんですよ。
なんですけれども、自分の経験とかを触れ替えた時に、 もっと生きる実感って静かなもののはずで、
明確な答えとかがなくてもいいもののはずで、 そういうものをあえて上坂さんはそのまま、
なんて言うんでしょうね、例えば料理で言うと、 素材の味を楽しむみたいな、
今回は塩でお楽しみくださいみたいな、 そういう静けさを僕は感じました。
だからといって、エピソードが弱いとか、 そういう意味じゃないんですよ。
エピソードむちゃくちゃ強いやつとかあるんですけど、
なんかその出し方がね、なんかちょっとね、 綺麗なんですよね、すごい。
なんかすごい綺麗な本だと思いました。
っていうのがまず一番最初の印象ですね。
常識と非常識の曖昧な部分:アッキーと機内安全ビデオ
で、もう一つ、全体的に通ずるテーマとかはないんですけれども、
なんとなく感じさせるものは、 常識と非常識の淡いの部分を責めている、
みたいなことを感じたんです。
じゃあその常識と非常識の淡いって何なのかというと、
僕らは普段こうやって人生生きてる中で、
常識ってものにがんじがらめになってるじゃないですか。
でも、常識にとらわれない非常識さみたいなのが 自分の中にあるときに迷いとかになると思うんですよね。
で、その非常識な部分を人に認めてもらったり、 友人に認めてもらったりってことはあると思うんですけれども、
実はもっと曖昧な、
で、曖昧であるからこそ、綺麗というか、 人生というか、笑ってしまうようなものが、
結構散りばめられている気がするんですよ。
まずは最初のエッセイですね。
ツヤツヤの宝石というタイトルのエッセイなんですけど、
これがまぁ、今回のタイトルの、 会社ではおならをしてはいけませんの元にもなっているエッセイなんですけれども、
なんて言うんでしょうね。
上坂さんの友人が、こう会社でおならをする人なんですよね。
おならをする人って言ってから変なのかもしれないですけど、
社会で外でおならをすることがダメと知らなかった人の話。
これは以前、ヨレスナーでもちょっと、 このエピソード話してたと思うんですけれども、
で、その友人のことを書かれた。
で、ある意味、僕らは気がつけば、
社会でおならをしてはいけないというのを、 いつの日か知るじゃないですか。
で、それがもしかしたら常識と呼ばれるものになるんですよね。
なんですけれども、じゃあその常識を知らない人がいるというのは、
どっかで想像がつかなかったものなんですよ。
むしろ、例えば学校とか会社とかでおならをこぐっていうのは、
非常識やからこそ笑いにしたり怒られたりみたいな。
非常識ってわかってるからこそ、 それをどうリアクション取るかっていうのを、
どこかでいつか学ぶんですけれども、
それを全く知らなかったと、この友人の場合はね。
それって誰が決めたん?って話なんですよね。
で、これがもし悪意がある場合も、 それが非常識だとわかってると。
ただ、今回出てくるこの友人の名前、アッキーですね。
アッキーの場合は、常識とか非常識とかの外にあるんですよね。
で、この常識とか非常識の外にある部分に、
人間がいるというか、面白さになるというのがすごく感じさせるんですよ。
で、その曖昧な常識でも非常識でもないものというのは、
わりとこのエッセイの中にいくつか出てきて、
実は一番最後のエッセイ、安全について説明しますので、
必ずご確認くださいというエッセイがあるんですけど、
ここも実は結構この常識と非常識の 曖昧みたいなところを攻めてると思うんですよね。
これは友人ではなく、植坂さん自身のエピソードになるんですけれども、
軽く内容を話すと、植坂さんが飛行機に乗ったときに、
機内安全ビデオを確認してるんですよね。
で、ここもの時点も結構実は、一番最初にちょっとだけ読むと必ずとのことなので、
毎回機内安全ビデオを行使しているから始まるんですけど、
実はここからでも既にちょっとずれてるんですよね。
というのも、僕も飛行機に何度か乗ったことあるんですけれども、
あれって基本的に誰もちゃんと確認してないんですよ。
すごく大事なもののはずやのに、適当に流してません。
むしろ、例えばなんか飛行機にすぐ乗って、
で、すぐさまディスプレイで映画を再生して、
で、その映画が途中で中断されるのが、それが機内安全ビデオみたいな。
そういうふうに結構みんながないがしろにしているものを、植坂さんの場合行使するんですよ。
この時点で、お?って思うんですよね。
で、それは当たり前とか安全のために必要とかじゃなくて、
植坂さんの場合は、かっこ必ずって言われてるからこそ行使してるんです。
で、そこからこうビデオを見て、こうこうこうこうって見てるうちに、
脱出するときのスライダー、脱出スライダーですね。
が、ハイヒールで傷ついたら空気が抜けて後ろの人が使えなくなったりするっていうのを見て、
なんかどんどん怖くなるみたいな話なんですよね。
そっからこうどんどん話が展開していって、
その脱出時に荷物を持つなって言われるけれども、
じゃあお金いっぱい入ってる財布あったらそれをすぐさま捨てて出られるのだろうかみたいな、
そういうことを考え出すと。
で、けっこうここはね、展開の面白さなんですけれども、
こうやってけっこういろいろ考えてるうちに、
飛行機がもう離陸してて、で、雲の上まで上がってて、
で、そうか、雲の上ってずっと晴れないやみたいな、
そういうことに気づくみたいな話なんですけど、
ここの最初に言ってた機内安全ビデオの確認と、
それを見なければいけないという個人の常識みたいな部分と、
雲の上やから晴れてるっていう、
よく考えてみたら当たり前みたいなこと、
こういう部分を普段見過ごすというか、
普段考えないんですよね、たぶん。
考えないっていうのは何かというと、
省略してしまうような一個一個の事実、
みたいなものがここには書かれていて、
そういうものを周りの人たちは分かっているのだろうか、
自分だけ知らないのだろうかみたいな、
またここにも語り手が、
常識と非常識の淡いに落ち込んでしまうみたいな、
こういう話を書くんです。
こういうものが、何て言うんでしょう、
過去の自己訂正と父との関係:手土産のエッセイ
答えを出さない妙というか、
これが常識であるとか非常識であるという答えを出すのは、
一見簡単なんですけれども、
簡単であるが故に、
これが良でこれが悪だみたいにしてしまったときに、
排除される人たちがいる。
そうではなくて、常識と非常識の淡いの中で、
考えていること自体を認めてしまおうみたいな。
で、その認めるっていうことは、
簡単そうで難しい。
僕たちはどうしてもどちらかに、
答えを出したがるんだけれども、
あくまでも認めていくという作業を、
この本ではしているからこそ、
静かな印象を与えるのかもしれないと思いましたね。
さらに他の部分で言うと、
過去の自分の訂正みたいなものが、
この本ではされていると思うんです。
で、植坂さんのエッセイには割と家族の話がよく出てくるんです。
歌手にもありましたね。
家族の話というものがありますし、
このポッドキャスト自体にも割と話が出てくると思うんですけれども、
今回もそんな話がありまして、
それがいくつかあるんですけれども、
僕がすごく面白いなって思ったのは、
手土産というエッセイですね。
これは久しぶりにおばさんに会う、
お父さんの兄弟かな、
に会うという話なんですけれども、
一番最後に会ったのが小学生の時で、
そこから20年ぶりの再会であると。
で、お父さんに関しては、
割といろんな部分でも語られているんですけれども、
まあなんて言うんでしょう。
旗から見て結構むちゃくちゃな人やったと。
本にも書かれていることのまま言うと、
結婚してからも常に複数人と不倫をしていて、
ギャンブル依存の気があって、
一晩で数百万を溶かす子供ザルに会ったので、
みたいなことがあったり。
また、お父さんとお母さんですね、
離婚された後にお父さんはすぐフィリピンのマネラに移住して、
そこから一切連絡が取ることができず、
そして上坂さん自身が30歳の時に、
お父さんは亡くなったという方なんですけれども、
で、そのお父さんについて上坂さんがこう書かれているんですよね。
私はずっと彼のことを嫌いなのだと思っていた。
ちょっと中略して、
父を仮想的として生きる方が楽だったから、
人はアンビバレントな感情を持ち続けると辛いから、
ついわかりやすいストーリーに流れてしまうと。
ある種、こうすることによって、
上坂さん自身が生きてきた、
強く生きていくしかなかったという部分はあるんですけれども、
それが30歳を超えて、
どこか訂正をしようとしていると。
で、ここが完全なリライトだったらまた話は別なんですけれども、
それではないんですよね。
それはそれとして、
年を重ねて30歳を超えて、
本当に父はどういう人だったんだろうか、みたいな。
こういう感情って、
すごい年取ってからすごいわかるんですよね。
何て言うんでしょう。
若い頃って、僕もそうでしたけど、
自分が正義でありたいというか、
正しくありたいみたいな気持ちって強かったんですよ。
さっきの話ともしかしたらかぶるかもしれないんですけど、
常識側にありたいというかね、
正しくありたいみたいな気持ちが強かった。
で、それに対して、
これが悪である、これが非常識であるっていうのは、
自分が保てないみたいな気持ちって、
大なり小なりあったりするんですよね。
ただ、それを年齢重ねることによって、
世の中そんな白黒で決まらへんのじゃないか、みたいなことがだんだんわかってくるんです。
善と悪で考えていたけれども、
善と悪の間に、
もっと何十種類、何百種類、何千種類という選択があり、
時には自分が誰かにとって悪にならなければいけない時があったり、
そういうのもだんだん気づいてくる。
で、自分にとっての悪を別に許すということじゃないんですよね、そこって。
悪は悪なんで、そして被害を受けたことは被害を受けたことなので、
許す必要はなくて、
グラデーションの悪があったとして、
ただ、それはその人が100%の悪であるかってなると、
そういうことでもないってだんだん気づいてくるんですよ。
その100%の悪であるかっていうのは、
多面性というか、この本で書かれていることで言えば、
父は結婚相手としては最悪で最低である。
でも、父としては、一個人としてはどうだろうっていうことなんですよね。
それは関係性の中で生まれる善と悪とかであったり、
一対一の世界で生まれる良い悪いみたいなことはある上で、
別の面としてその人っていうのは何やったんやろみたいな。
そういうことを、なんか大人になると何回もそういうことを考えなければいけなくなってくるというか。
で、このエッセン中では植坂さんが20年ぶりにおばさんと会って、
そこでどうやって話そうかとか、何を話そうか、昔どんな人やったかみたいなことを振り返るんですけれども、
ここでも割とさっき言ってた常識みたいな部分がやっぱり絡んでくるところがあるんですよね。
タイトルにもなっているように、手土産を持っていかなければいけないと。
で、こういう時にどういった手土産がまっとうなんだろうかみたいなことを考えると。
そして、こういう天気の話から、まず挨拶から、そして天気の話などして、
で、どういう対応をすることによって、なんかまっとうな大人になったと思われるんだろうかみたいなことを考えていくと。
で、実際におばの家に行って、で、お父さんの骨が入っている骨壷を見るんですよね。
で、そこでふと思い出す自分の幼少期の経験とかであったり、ここが、それはそれとして思い出して認めるっていうことだと思うんです。
なんかこれを思い出したからこそ、きれいな話として父を認め直すとかそういうのじゃないと思っていて、
なんていうんでしょう、モザイク画みたいな感じですかね。
そのシーンとそれとは別の嫌だったシーンみたいな、いろんなシーン、その多面的な記憶みたいなものをどんどん重ねていって、
その人を明確にする方法みたいな感じなんですかね。
この辺はすごいなんか生々しいなって思うんですよね。
大人になることがどういうことなんかみたいなのをたまに考えるんですけれども、
大人になるにつれて多分いろんなことって曖昧になるんですよね。
それが少なくとも39年ちょっと生きた僕の体感なんですけれども、
ちっちゃい時とか学生時代の方がもっと世界って明確やった気がするんです。
なんですけれども、どんどん歳を重ねるごとに、どんどん世界の物事が曖昧になっていくんですよね。
で、その曖昧っていうのは何かというと、
さっき言ったような、自分が悪だったものが、悪でありながらも別の要素を持っているとか、
逆もしっかりですよね。
自分が善だと思っていたものが、善でありながらも違う要素を持っているみたいな。
そういうものがどんどんどんどん増えてきて、
気がつけばそのものは善とか悪とか言えないものになりつつあると。
こういうことをすごい考えるのが、ある意味ではすごくリアルなのかもしれないと、
どんどん思っていきますね。
痛すぎる失敗談とカタルシス:はみ出ている人
この番組では結構僕、何でも受け入れる曖昧みたいな感じですけれども、
実は全然そんなことなくて、
それこそ昔しょっちゅう喧嘩してましたし、
自分が許せないこととかいっぱいあったんですけど、
なんかだんだんそういう多面的な世界みたいなのが見えてきた時に、
自分のモットーみたいなのがわからなくなって、
むしろその場その場でどういう判断をしなければいけないかというものに、
ひたすら選択を問われるというかね。
そういうことを思わされます。
他にもこのエッセイの見どころとして、強いエピソードとして、
植坂さん自身の過去の話、特に過去の失敗の話があって、
これはもう笑えると言ってしまっていいのかどうか。
笑うにしては痛すぎるんですよね。
人が失敗した話とか、友人がこんな失敗したっていう話を笑うっていうのは、
ある種オブラートに包まれているものなんだなって気づいて、
そういう点でいうと、おならで書かれている失敗談って結構あられもなくて、
自分の過去の海みたいなものを一緒に引きずり出されるみたいな、
そういう怖さっていうのかな、があるんですよね。
笑えるんですよね。笑えるんですけどね。
それが特に出ているものとして言えば、はみ出ている人というエッセイですね。
これはマジでね、足旗案件の乗物みたいなことが書かれているんですけれども、
昔あった失敗とか、思い出したら足をバタバタさせたくなるように恥ずかしいという経験みたいな、
そういうのを僕らはイベントでこだわるごとにリスナーに書かせるんですけれども、
本当にそれのかなり研ぎ澄まされた内容がここに書かれています。
内容としては、就職活動をしていたときの話なんですけれども、
ある会社が、弊社ははみ出ている人を求めています。
型にはまるのではなく、はみ出るほどの熱量で自分から企画を出せる人を歓迎しますって書かれていたから、
それを読んだ学生時代かな、植坂さんは、その会社にエントリーシードを出して、
書類の審査を通って、その後にプレゼン企画をすることになったと。
中身としては映画の企画書だったんですけれども、
それに加えて本に書かれた通り言うと、
私の人生を題材にしたこの映画を宣伝するためのフライヤーと、
映画公開に伴い密着ドキュメンタリー番組情熱大陸に、
私が取り上げられたときの番組動画を全部自作して持っていったと。
これ、僕全然知らなかったんですけど、やばいですよね。
それでまたこだわって作られているんですよね。
本当に情熱大陸にあるようなテロップで、
あなたにとってクリエイティブとは何ですか?みたいなことを入れて、
その後に神妙な顔をした上坂さんが、
生きるってことですかね?と答えて、それはないよという。
これはすごいなぁ。
ほんで結果、不採用の連絡が来て、
その時に納得できずに理由を尋ねているんですよね。
これさらって書くんですけど、ここもすごいんですよね。
絶対的な自信というか、
理由を聞いたら、あまりにもはみ出しすぎているみたいなことを言われるんですけれども。
この本ね、隙を見たら結構読み飛ばすそうなところにね、
味のするものが詰まっているんですよ。
こういう端の部分であったり、
面白いんやけれども、
同時に読んでいるこちらのじゅくじゅくしたものが引き出されるもの。
これはこれでカタルシスなんやろうなと改めて思って、
笑えるだけのものはそれはそれで良さもあるんですけれども、
笑わすだけでは終わらさへんもの。
何かこちらの弱い部分、じゅくじゅくしたものみたいなものを一緒に引き出される、
そんな過去の失敗の書き方みたいなものは改めてあるんやなと気づかされましたね。
一緒にこっちのうみも出しちゃうというか、ここはお見事ですね。
また他の部分でいうと、結構僕、中でも好きあったエピソードの一つが、
ピュアな部分と確信:にじこさんと文芸誌GOAT
にじこさんの話。
にじこさんというタイトルのエッセイなんですけれども、
これはちっちゃい時の話ですね。
文字が読めるようになって、
家にあるカレンダーとかお菓子のジュースとか、
いろんなものに書かれている文字を読んで、
すごいなと思っている時期の話ですね。
年的には小学生くらいかな。
あるときにおばあさんとお姉さん、
3人でタクシーに乗って、
そのタクシーの運転手さんが、
にじこという名前やったんですけれども、
それをすごい見て、
なんでにじなのかな、みたいなことを考えていると。
その後に、おばあさんが家に着いた後ですね、
バックがないことに気づくんですよね。
で、どこで落としたんやろう、みたいなことを考えると、
もしかしたらタクシーじゃないか、みたいな。
タクシーと言っても、
どのタクシーとかって覚えてないじゃないですか。
で、普段僕らは運転手の名前とかもあまり見てない。
なので、どうしようどうしようとなっていたら、
このちっちゃいときの植坂さんが、
運転手さんの名前を覚えているということを家族に知らせ、
それによってどうにかおばあさんのカバンは見つかる、
という話なんですけれども、
これは説明するのがすごく難しいというか、
すごくニュアンスのエッセイであって、
なんかすごいピュアな部分が出ているというか、
これもいわゆる何か答えというものが書かれているものではないんですけれども、
シンプルに物の動きとか絵の流れがすごいきれいなんですよ。
で、起きていること自体は、
実際そんななんか世の中にとって大したことではないはず。
なんですけれども、
この語り手、特にちっちゃいときの語り手にとっては、
すごい大事件なんですよね。
この時間と視点の変化というか、
作者にとって、語り手にとっての、
その世界の事件みたいなものをすごくきれいに書かれているという、
結構ハラハラする部分であったりとかも伝わるんですよね。
で、こういうピュアな部分を植坂さんはたまに突然出されるんですよ。
ここにね、何か書くみたいなものがあるんかなって僕は勝手に思っていて、
同じようなものを感じたのが実はあって、
それはこの本ではなくて、
文芸師のゴードってあるじゃないですか。
小学館から出ている、結構話題になっている文芸師なんですけれども、
文芸師ゴードの企画で、
鈴木ジェロニモさんと対談をしているものがあったんですよ。
2005年の夏に出たものですね。
特集アクという黒い表紙のものに載っていて、
そこで植坂さんと鈴木さんがそれぞれに作られている単価とかも載っているんですけれども、
これはイベントで作られていて、そのイベントでは実は僕も行っていて、
なんでしてたんですけれども、そこで書かれていた単価があるんです。
それを植坂さん自身がインスタグラムでも載せているので、
ちょっとここで読ませてもらうと、
理科室に差し込む細い光でも黒い机はぬくもりを持つ。
理科室に差し込む細い光でも黒い机はぬくもりを持つ。
っていう単価なんですけれども、
これを見たとき、おお、すげえと思って、
なんかこの人のそのピュアな画みたいな部分、結構そこ知れんなと思って。
それはなんていうかね、情景なんですよね、たぶん。
見ているものというか、見ているものに対して、
僕たち大人は解釈をするじゃないですか。
見ているものを解釈して、それが情報になり、
知らない人にも伝わるみたいなことがあるんですけれども、
その解釈する以前のその情景自体に、その人の確信がある。
それを僕はピュアっていう言葉で言ったんですけれども、
そのピュアな部分がすごく静かで綺麗なんですよね。
そのピュアな部分ってたぶん変えれないんですよ、僕たちって。
その上に乗っかっている情報であったり解釈っていうのが、
大人になってから上を変えられる。
だからこそそういうピュアな部分みたいなのが、
ふと上坂さんの場合出されるので、
おお、すげえって思っちゃうんですよね。
ピュアな部分であったり、一番最初に話した常識みたいなことを、
ある種、総合的に入っている。
これも僕、この中では割と好きな一つなんですけれども、
その一辺がキャラメルポップコーンっていうエッセイですね。
ここの中に友達とカツオのたたきを一緒に食べるシーンがあるんです。
カツオのたたきを置く場所がないから、
捨てようと思っていたデスクトップパソコンの本体の上の部分に
ビニールと布を敷いて机にしたと。
その後日、二人で一緒に食べていた友人から言われた言葉が、
パソコンを机にするなんて、パソコンの上でカツオのたたきを食べていいなんてびっくりしたの。
今までの世界がひっくり返るみたいだった。
みたいなことを言われるんですね。
すごいこれいい言葉だと思っていて。
ある種常識みたいなものがひっくり返る。
と同時に、この一文、この言葉自体の肌触りというか質感みたいな。
こういうものがさっき出たピュアの部分。
これがうまくね、マッチングしている。
きれいって言うと文章が整っているみたいに聞こえるんですけど、
それも含めてなんですけれども、どちらかというともっと人が現れているみたいな。
そういう意味でのきれいさですね。
この一文もすごい面白かったです。
自信とは何か:経験を形にすること
他にも面白いエッセイとかいっぱいあるんですけれども、
なんかね、この本読みながら、この本のテーマとは違うんですけれども、
なんか自信ってなんだろうってずっと考えてたんです。
自信って、自信があるなしの自信ですね。
で、これはこの本には書かれてないんですよ。
書かれてないんですけれども、なんかずっと頭の中から離れなかったんですよね。
で、僕は割とそういう読書体験って好きで、
書かれているものだけを読むのではなく、自分も体験するみたいな。
で、自信って割とよりそのお便りとかにもあるんですけれども、
自信があるなしってすごく個人の中でも問題じゃないですか。
自信がなくて困っているとか、どうしたら自信がつきますかみたいな。
で、僕なりには自信っていうのは2つあると思ってて、
1つは根拠のないハッタリだと思うんですよ。
もうなくてもあると言ってしまうみたいな。
案外それでも人には通じるみたいな。
それはでもね、ちょっと力技でできる人とできない人がいると思います。
言うてるけども僕もできない。
で、もう1つ自信があるなってこの本を読みながら思ったんですよね。
それは自信があるっていうのは多分、経験があるってことなんだろうなと思ったんですよ。
自信っていうものを自分の中に今あるものとして考えるとないなって思っちゃうんです。
けど過去の経験によって私はこういう選択をしたであったり、私はこういう失敗をしたっていうものに関しては、
これは多くの人だってあると思うんですよね。
で、ただ個人個人によっては経験はあるんだけれども明確じゃないというか、
その経験をちゃんと自分の中で形にできていないというか、
そういう人がもしかしたら自信がない人なのかなって思ったんです。
だとすると、なぜ僕はこの自信というものをこの本を読みながら考えていたかというと、
多分植坂さんはその経験というものは確実にこの本の中に残していくんですよね。
その経験によって何を得たかとかどう変わったかみたいな部分は一旦出さないものもある。
だけれども経験というそのもの自体には確信がある。
だからこそ私はこういう経験をしたという自信があるみたいな。
なんかそれをすごく感じさせてくれたというか、自分の中でも。
あ、確かに。自分の中でもこうやって過去の経験を自信に変えれるんだなみたいな。
だからもし自信がないっていう人は、その自信を経験という言葉に変えてみたら、
多分ね、自信ってみんなあるんだなと思って。
それが例えば失敗した内容であったり、右も左もわからないような都市の話であったり、
どんなものでもいいんですけれども、
でもその経験が今の自分を作っているってちゃんと思わせてくれるもの。
それを今回この本を読みながらすごく思い出させてくれましたね。
まとめ:リアルな人間像と本書の推奨
ということでひとりがたりさせていただきました。
夏なんでね、学生のみんなはこれを課題図書とかにしてもいいと思う。
というかむしろ僕はこれ若い人が読んだら面白いんじゃないかなって本当に思いました。
若い人が思っている大人とは全然違う大人が書かれていて、
しかも学生時代が思う大人よりももっとリアルな大人が書かれているみたいな感じ。
なんかこれを高校生の時に読んだら、
年を重ねるっていう意味合いがちょっと変わってくるかもしれないとも思いましたね。
人って捨てたもんじゃないなみたいな。
そういうある種、リアルな、血の通った、そういう人がこの本の中にはあると思いますね。
ありがとうございます。
チャンネル登録、よりすなって教えてください。
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