不完全についての再考
収録日は、2025年2月9日です。本日もあるスタジオよろしくお願いします。
はい、今回もよろしくお願いします。前回ですね、不完全だからいいというタイトルであげまして、
今日何を話そうかなと思って、いろいろメモはするんですよ。アイディアというか、ふと
なんか自分が考えていることとかを電車の中でメモするんですけど、
その時自分の中で熱量が高いことを話したいわけですよ。
で、その前に何を話したかとかっていうのはあんまり気にせずですね、とにかく今話したいことをメモするわけですよ。
で、今週はこれ話そうかなーなんて言って、よし決めたって思って今こう収録に臨んでるんですけど、
前回とほぼほぼ同じことを考えてましたね。前回しゃべったことを忘れてまして、今タイトル見てびっくりしてるんですけどね。
だからそんだけこの不完全に対することへのこだわりというかね、
自分の中の思いが強いんだなっていうのを再認識しているところですね。
なので今回はちょっと前回の話の続きというかね、ちょっと近しいところで話していければいいかなぁと思っています。
で、振り返りますと前回の話の大枠はですね、
完成してしまうとそこから先がなくて面白みがないよね。成長が止まってしまうよねみたいな話です。
で、要は完成形になりたいっていう気持ちを持ってる時が最も輝いていて、もう自分は完成形だと思った瞬間にそこから先がなくなって、もうあとは虚しさしかないみたいなことですよ。
RPGとかね、ドラゴンクエストとかやってる方は結構ピンとくると思いますけど、
ああいうゲームをね、エンディング迎える直前が最も仲間たちが強くなってて、もうちょっと無双状態みたいな感じになってて楽しいんですけども、
この魔王を倒した後のね、何とも言えない、楽しんでたこの世界が終わってしまうんだっていうこの虚しさですよね。
それに近いものを現実でも感じてしまうっていう話ですよ。これがその不完全の大枠ですね。
正しさの基準
はい、ということで、そこからね、もう少し話を広げてやっていきたいと思います。
それでは今日もよろしくお願いしまーす。
はい、ということで、まあね、タイトルをちょっとどう変えるかっていうところは未だ悩み中なんですけど、
正しいこと、完全に近しいこととして、正しいとか、正義とかね、そういうのがあると思うんですけど、
これも過去にあげた回でですね、写真に対する話を僕がしている回があります。
写真の極意っていうタイトルつけて話している回にもちょっと近しいんですけど、
要は良い写真とは何かみたいな定義の話ですね。
で、あの時は写真の話だけしましたけど、今写真に限らずですね、ほとんどのものに対して、
なんか勝手に決められた正しいっていうものがはびこっているように僕は感じています。
それこそファッション、オシャレとはこういうもんだとかね、それこそ今その k-pop の流行りにも乗っかって美容業界ですよね。
まあ整形とかも、整形ならまだしもさらに AI ですよね。
AI が作り上げる美女像とかね、
かわいい子ってこうだよね、みたいな、ああいう決めつけられた正しさに対するもやもや、
まあもやもやって言うとちょっと言葉を選んでますね。もう率直にちょっとした嫌悪感があるわけですよ。
なぜ自分がそれに対してその嫌な気持ちを持つかっていうと、冒頭話したですね、
完全不完全のところの部分が結構大きいかなと。
まあつまりそれを完成としてしまった時点で、
なんかもうゲーム終了というか、ここからどうすればいいんでしょう、みたいなところがあるわけです。
それは完成形を作った人はいいですよ。
私がこの写真撮ったんです。私が最も世界一美女です、とかね。
その一番最初の人は全ての恩恵を得られてるんでしょうけど、若者になればなるにつれですね、
これが正解でそれ以下の人は人権ありません、みたいな風に盛るとね、極論ですけど、そう感じるわけですよ。
クリエイティビティの重要性
なんでモチベもクソもないというかね。もう生まれた時点で世界中にスーパーマンが溢れ返っている状態で、
この中でどうやって戦えばいいんでしょう、っていう気持ちが芽生えるわけです。
そこに対する危機感もありますよね。
なので、どうなんだろうなーって、そこに問題意識を持っているわけです。
ちょうどですね、この収録の1日前に、写真店でチラシを作ろうみたいなことを今動いてまして、
仲間のポッドキャスターにもアイデアをいただきつつ、一緒にミーティングしてたんですけど、
その時に話してて自分で気づいたことがあるわけですね。
よくあるのがそのデザイン、写真もそうですけど、
最近ですね、もう一から作らずに、テンプレートが有名なサイトによって配られているのが当たり前な時代になってますね。
その中で、こことここだけちょっと動かして、パペってやれば知識ない人でもそれっぽいものができてしまうと。
それをSNSでですね、プロの私が教えるなんとかですみたいに、あたかもプロみたいな感じで情報を拡散することによって、
簡単にインフルエンサーになれてしまい、簡単にお金が稼げてしまうみたいな構造がもうほぼほぼできてるわけですよ。
だからこれっていうのが、お金をただ稼ぐことが人生の目標であれば正しい行為なのかもしれないですけど、
僕はなんか、そんなゲームだったらもう正直降りたいんですよね。
生きてる意味というか、そこまで実際考えてしまうぐらい、個人的にはやりたくないことです。
テンプレートを売って商売したりとかね。
これどうなんですかね。そういうことされてる方もしかしたらいらっしゃるかもしれないので。
あくまでね、これはそういう人を全否定する話ではないんです。
ただ、申し訳ないけど、自分の意見っていうのはあるので、
自分だったらそういうことする自分嫌いだなって思います。
自分で自分を嫌いになったら、割とやっていけないなって僕は思ってしまうので、そうなんですよ。
なかなかね難しいですよね、そういうところ。
なんで僕が写真の仕事をする上でも、何をするにでも、
結構ガチで意識してるのはですね、間違えられる余白を作るっていうことなんです。
わかります?
間違えすぎててはいけないんだけど、
どっかで必ず自分がミスするかもしれないぐらいのリスクの枠をですね、常に用意しておく、結構意識してやってるんですよね。
これはね、実は本業でもそうで、お金もらってやってんのに手抜くのかって思われたらすごい嫌なんですけど、
でもね実際そうなんですよ。お金もらって仕事してるけれど、必ずですね、どっかしらでやらかすかもしれない余白を自分の中で用意してるんです。
それをすることによってですね、さらに上を目指せる感覚があるんですよ。
もちろん求められてるクオリティを下回るってことはプロとしてありえないと思うので、
基本60点以上が合格っていう時に、100点を目指さないってことですね。
70点は確実に取れるようにして、
残りの部分は、もしかしたらダメかもしれないけど上手くいったらなんかめっちゃテンション上がるよねみたいな部分を作っておくっていうことですね。
これをすることによって正直仕事をする上でのモチベーションも上がるし、とにかくやってて楽しいんですよ。
これ結構大事で、もちろん仕事ってその日でおしまいじゃないから、持続可能ってことが何より大事なんですよね。
っていうのを意識したときに、結果トータルで見たときに、自分が楽しく続けられるかどうかっていうのが最終的に自分のクライアントさんに対して、
もっとも多く還元できる方法だなと思っているので、
オリジナリティと教育
なんでこれが手抜きと言われたら、その日だけ切り取ったら手抜きにも見えかねないんですけど、
僕の中では最大打点を出す方法であるわけです。
なのでね、どうしても目標がないと歩いていけないっていうのはわかるんですけど、
やっぱり目標と、そのモノマネはあるところまではいいんですけど、ある部分からはやっぱり持続していかないと、
結局ですね、先生を超えることがないんですよ。
単なるモノマネでしかないから。これ追いつこうとするか追い越そうとするかっていう意識がとても大事でですね。
僕結構、過去にね、元相方もそうですけど、写真を後輩とかに色々教えてた時期があるんですけど、
その時もですね、基本は教えるからには、自分のコピーを作るよりむしろ追い抜いてほしいぐらいの感覚で教えるわけですよ。
じゃないと、ただのコピーだし面白みがないし、
だからどっかしらでオリジナリティを出してもらうことによって、自分がそれによる気づきとかも得られるかもしれないし、
それが例え間違ってたとしても、間違いの中からの気づきもあるんでね。そういうことを常に考えてるんです。
伝わりますかね。まあとにかく不完全であること、間違いが混在していることに対して僕は愛を持っているというか、
それがいいよね、それが気持ちいいよねっていう感覚を持って生きてるわけです。
ぜひですね、自分の顔が気に入らないとかね、これはもちろんいろいろな意見ありますよ。
その成形することでね、人生が変わったって方もいるんで、そこまで否定する気はないですけど、
けど僕はだいたいオリジナリティ、元が好きな人なんで、化粧とかもね、そんな、やりすぎなくていいよって思いますよ。
あくまで自分が自分で好きでいれる範囲内で無理せずですね、多少欠点があるぐらいが最も愛らしいと思うので、
そういう価値観の人もね、今の時代だからこそ増えていってほしいなと個人的に思いますね。
はい、ということで、今回は以上になります。エンディングでーす。
はい、エンディングです。ここまで聞いていただきありがとうございました。
アルスタジオではいつもコメントの方をお待ちしております。
完璧と欠点のバランス
各社アプリの方からコメントいただいても大丈夫ですし、SNSの方もやっておりますので、
ぜひそちらで反応いただけたら嬉しいです。
Xの方ではハッシュタグ、アルスタ、ひらがなのアルにカタカナのスタで使っておりますので、
こちらもぜひご活用ください。
はい、ということで、長々と不完全な話、
欠点があっても美しいよ、みたいな話をしてみました。
これ系の話はね、
まあ、もう本当に自分の意見で本音の部分でもあるんですけど、定期的にですね、
これは多分、
自分が天の弱だっていうのも気づいてるので、
どっかしらね、その逆張りしてるだけ、その逆張りしてる自分が好きみたいなところも、
一部乗っかってるんですよ、間違いなくね。
なので、
強く言えないというかね、
自分が絶対だとは思ってないです。
ただ、少なからずそういう
ことってあるよねっていう。
だからバランスだと思います。完璧は完璧で、やっぱり
そういう世界はあっていいものだと思うし、
やっぱりないとね、目指すところがないと人は不安になるので、
それはいいんですけど、まあ欠点も愛せるようになるっていう、そのバランスが
とても重要かなと思います。
あとはその、
なんかその完璧、今完璧とされているものをさらにリニューアルするみたいな
動きができると面白いですよね。
完璧を作り変えるというか、テンプレートを新たに作るというかね。
まあそういう動き方も結構人間らしくていいんじゃないかな、なんていうふうには思いますね。
まあとにかく、人がこれをやったら正解だっていうことにとらわれずにですね、あえて
絶対ダメだよそれって言われたことをやってみるっていうね。
この感覚ですよ、僕が常に大事にしているのが。
そう。
うん、そう。
だから僕が家で変な生活してるのも、
誰しも
これはこうあって当然だよっていうところに対する逆張りなんだと思いますね。
僕は今の生活、割と正解気味に感じているので、
間違いに突っ込んでよかったなぁなんていうふうには思ってます。
ぜひぜひね、
どっかでふとそういう気持ちが芽生えたらですね、
恐れずに間違いに突っ込んでいただきたいなと思います。
はい、ということで以上です。また次回よろしくお願いします。
ばいばーい。