はい、余白のエクリチュール、略して余白ちゅる。 今回は立ち止まった経験について話そうです。お願いします。
はい、お願いします。 はい、これ私がきっかけ持ってきたんですけど、これのきっかけってなったのが、超相対性理論のある回です。
それが24回目の美とは何か後編で、この時に渡辺さんがあるギャラリーの中で、一目見て立ち尽くした絵があるっていう風に言ってました。
その時に何も言葉にできなかったんだけど、それを聞いた荒木さんが、これは後追いの美なのではないかって言葉が後から来るって、身体感覚が先に先立つ、そういう美があるんじゃないかって話をしてました。
私はこの経験が結構あるなって思ったので、それを話してみたいなと思って持ってきました。
ちょっと話したいんですが、はい、それでちょっとさっき庄吾さんと話してたら、これが何かないから分かんないって言ってて、その辺の感覚もね、ちょっと今回聞いてみたいなと思ってます。
僕は全く分かんないって言い切っていいかもしれないなぁ、なんか、時間が止まった経験立ち止まった瞬間みたいな感じで書いてもらってるんですけど。
今聞いても、一応ポットキャストは僕も聞きましたけど、あんまり引っかからなかったし、今聞いても、へぇーって感じ。
だから、もうちょっとまずはどんな感じなのか聞きたいです。
まずね、私もいろいろ考えてきて、単純に立ち止まったっていうのを考えてみたときに、これって身体が立ち止まるっていうのと、心が立ち止まるって2つあると思うんですよ。
なるほど、へぇー。
そうなんですよね。それでね、私はどっちもあるなって。だけど、心が立ち止まった経験の方が多くて、身体が立ち止まる経験ってなかなかないなって思ったんです。
それで、身体が立ち止まるっていうときに言葉はないなって思いました。
そして心が立ち止まるときは、言葉があるなみたいなことを考えたりしてて、身体が立ち止まった経験ってないんですけど、ほんとにほぼないんですけど、あるとしたら、
それは、私は中根錦作っていう作品がすごい好きで、その人の庭の前に立ったときは、めちゃくちゃ身体が立ち止まるなって思ってて、そのとき、その庭園に足を踏み入れたときに、なんか、もう圧倒されて、すごく足が、もうなんかその場から一歩も動けなくなる。
そしてこの庭園の、が作っている空間の中に、一度なんか自分を起きたい、この瞬間を止めたいみたいな気持ちになって、足が立ち止まる。これは身体的な感覚で立ち止まるっていうところ。で、もうちょっと話すと、心が立ち止まるというと、
ちょっと待ってくださいね。心が立ち止まるの前に。いや、なんか、身体が立ち止まると、心が立ち止まるに分けたのがね、まずへーって思ってて。
それは、それはそう、そうなんですよね。なんか、心としても。
なんか、その僕の理解だと、その超相対性論で話してたのは、身体が立ち止まる経験の話な気がしており、心が立ち止まるっていうのは、なんか、あれ、そういう話があるんですかね。
そういう話なんだっけと、僕は今一旦思っている。で、ちょっと一旦それを置いとくとして、で、身体の方の話は、今聞いていて、まあまあ、なるほどねとは思うし、けど、まあ、僕が、なんか、そういう経験があるかというと、あんまピンとこないなと。
ただ、なんか前に、たまにタイタンさんが言ってる気がするんですけど、やっぱなんか、人って、なんか、めっちゃでかいものを見ると、なんか圧倒されるんだろうなという気はしていて。
今の、庭がでかいかちょっとあれかもしれないけど、まあでもなんかその、やっぱ普通の日常では接しないような、明らかなスケールがあるものに対峙すると、なんか、やっぱその身体が立ち止まるみたいなことはあるのかなと聞いていて、思いましたね。
ありますね。その大きさっていうのは、めっちゃ、なんか、自分より、なんか本当に、なんか、圧倒されるもの。で、自分がその、なんか、空間の中に立ち尽くしてしまうような気持ちが、そこで生じて、すごい、なんか包まれてるみたいな、この、このなんか自然の前で、私は、なんか何もできないみたいな、そういうところで、なんか、自分なんか立ち止まるっていうのはあるんですけど、
そういうのもない、ないんですか?なんか、自然見て、お、わ、素晴らしいみたいな、思うってことはありますか?翔太さん。
いやー、だから、あんま分かんないんだよな。素晴らしいとは思いますよ。素晴らしいとは思うけど、素晴らしいとしか思わないというか。
それ、それ以上になんか、もう、なんか足が、なんかもう動けないみたいなことはない?
ないねー。ないねー。
そうなんですねー。ただ、なんか、歩いててそれを感じるみたいなことなのでしょうかね。なんか、風を感じるとか、あくまでその生活の一部として、そこにあるみたいな感覚なのかな。
うーん、そうねー。なんか、分かんない。なんかその、立ち尽くすみたいなのってことは、要は多分、自分で中でうまく処理できないとか、なんかそういうことなんだろうなと、変換しているんですけど。
そう、そう、処理できないから言葉にできないっていうことに繋がるんですけど。
うん、それはなんで、その事象自体は理解ができるんだけど、なんかじゃあ、そういう経験があったか。
え、なんか私の仮説として思ってたのは、翔太さんは結構ライブに行かれてるイメージあるから、そのライブの中で、なんかこの音がすごくて、立ち尽くしたりとかないんですか。
うーん、ま、じゃあ1個、1個その話を、1個だけ僕が用意してきた話、1個、ただ1個だけど翔太をここに切ろうと思うんですけど、あのね、その質問に対しては、イエス、ノーで答えるなら、ノーなんですよ。ないんですよ、あんまり。
なんかね、結局僕がライブ見に行っても、ずっとなんか考えてる感じがする時は、一義的には。
はいはい。それ考えるのは、この音楽について考えてるんですか、それともそれ以外のことを考えるんですか。
それは、それもいろんなグラデーションがあって、まあ音楽について考えてることもあれば、全然関係なくことを、わあ、明日の仕事どうしよっかな、みたいなことを考えてることも全然ある。全然あるなと思っている。
ご丁寧感を感じないんですね。
ああ、まあそういうのはあるかもしれないですね。まあ今思ったけど、あるとすれば、最近はしないけど、結構暴れる系のライブとか行くと、まあそれはもうなんか、もはや考える余裕はなくなるから、確かに考えてないかもしれないけど、多分それと今の話は全然別だから、多分、まあそれはそうだよね、みたいな。
一つだけ切るカードは、僕は最近、アップルビネガーがやった、エビスリキュートルームでやった、モノナワレ、ドスモノス、こっちバンドの対話に行ったんですけど、久しぶりにモノナワレを見たんですよ。多分7、8年ぶりぐらい。
モノナワレはファーストがすごい好きだったんで。
そんなに昔から好きだったんですよ。
そうですね。
前から?
全然前、全然前。
だから僕は玉置周景がああいう人だとは一ミリも思ってなかったわけですよ。
めちゃくちゃカリスマ風な雰囲気が持ち出してたから、そういう感じなのかなと思ったら、めっちゃいじられるなみたいな、そういう感じで。
全然想像と違ったから、まず最初のギャップ、そこがすごかったんですけど、それは余談で良くて。
で、まあはっきり言っちゃえば、ファースト以降のモノナワレはそんなに追ってなかったし、そんなにピンときてなかったから、久しぶりにライブを見たんですよね。
もちろん名前は知ってたし、聞き換え会とかでもずっと触れてたから、なんかタイミングがいえば見たいなと思ってたけど、まあそれくらい。
で、まあ今回たまたま機会があったから見たんですけど、まあでもそれがまあ良かったんですよ。
これ結構普通に、こんな良いバンドになったんだって思ったし、なんか想像してた何倍も良かったから、なんか良かったなと思っていて。
で、話を本論に戻すと、一応これはマナーとしてどうなんだっていう話は置いとくとして、僕がライブに行くと、なんかちょっとは動画とかを撮っておこうかなと思うケースがあるんですね。
ただそれは自分のログ的に、別にSNSにあげるとかあげないとかは関係なく、ログ的に撮っておこうと思ってて、モノナワレも少し撮っておこうかなと思ったんですけど、気づいたら終わっちゃって、撮れなかった。
そうなんだ。
で、これは終わった後に、あべ、俺撮り忘れたわって思って、なんか、あ、そっかって思って。
で、なんかこれはね、結構僕の中でも結構衝撃で。
あ、そうなんだ。
なんか別に撮り忘れることがないとは思わないんだけど、なんかね、普通に撮ろうと思ってたのに、なんかいつの間にか終わったのは、なんか結構自分の中ではあんまりない経験だったから。
そうなんだって。
なんか本当に良かったんだろうなと思って。
いい経験ですね。それはもうなんかいろんなことを、日常の雑念とかを忘れて、そこに集中できたんでしょうね。
うん。まあでもいろんなことは考えてたとは思うんですよ。やっぱりなんかいろんな、今まで昔、やっぱ昔の曲、ファーストの曲とかやってなかったと思うし、なんかそこの感じとかと違うなとか、いろいろ考えてたりして聞いてたから、
別になんか考えてなかったわけじゃないんだけど、なんかでもその、普通にやろうと思ってたことをすっかり忘れてたみたいなのって、あんまりないとは言わないけど、なんかちょっと今まであんまり経験してなかったかなと思って、ちょっとまあそれは今回の話と近いかもなと思ったって感じかな。
あ、そうですね。なんか私もそのライブ行くときに結構なんか、
身体が動かなかったって感じだったよね。
そうなんですね。それをなんか、その時の感情とかを言葉にすることって今できるんですか?できる感じなんですか?そこは興味深いポイントなんですけど、それとも本当になんかもう動かなかったという身体だけがあるのか。
うーん、そうねー。
そこはなんか気になるポイント?
あんまないかもね。やっぱその、動かなかったっていう感じ。だからなんかね、いや別になんかね、正直めっちゃその良さを言葉にできる感じもしないし、したいともあんま思わない。なんか普通に良かったなって感じなんだよなと思って。
へー。
それってそのなんかライブのその曲とか、なんかその演奏の様が良かったというのか、なんかそう、今までの文脈とかを考えて良かったっていうの、どうなんでしょうね?
うーん、なんかあえて絞り出すとすると、なんか僕が基本的に良いと思うものは、なんか長い間ポッドキャストでも言ってますけど、自分の想像を超えてくるものだったり、なんか自分の驚きが得られるものが基本なので、なんだろうな。
こないだ金島大沢のライブも行きましたけど、金島大沢のライブの良さを語るみたいなのは、やろうと思えば多分できます。自分の想像がこういうもので、それをこう裏切ってくれたみたいなこととか、なんかそういうことを話せるんだけど、なんかね、こないだのモノノアーレのライブは、そういうのじゃないんだよなっていう感じ。
ストレートに曲が鳴って、別にもういいじゃんって思えたっていう感じで、なんかそこに、なんかね、こう、ここがこうだからいいみたいなのがあんまないんだよなぁ。なんで良かったのかわかんない。
結構普通の、なんか普通の4ピースバンドが、そんなにてらったことを、木をてらったことをせず、普通に鳴らして、普通にいいって感じだったから、なんかそれ以上のことがあんまり言えないかもって。
あ、そうなんですね。いや、それもそれでまたいい経験ですね。素晴らしい経験らしい。なんか私が思ってるのが、確かにしょうごさんがさっき言ったように、その想像の範囲を超えたときに素晴らしさを感じるっていうのは、ずっと聞いてたんですけど、そうじゃない素晴らしい感じ方が、しょうごさんの中で3つ見つかったというか、まあそれは別にもあったとは思う。他にもあるとは思うんですけど。
なんかそのライブを見ることで、なんか新しいなんか自分の、新しいでもないかもしれないですけど、それに気づいたっていうのが、めっちゃいい経験だなって。
なんかなんだろうな、この新しさの別のベクトルを、なんか素晴らしさの別のベクトルを見つけるってことが、なかなか私の今までのなんか人生あんまないなって思うので、なんかそれめっちゃいい経験だなって思いましたね。
なかなかないですかね。
あんまり消化できてないけど、なんかだからなんだろうな、全然、こう言っちゃえば全然別に今の時代にあった音楽ではないなと思ったし、なんかそのトレンドみたいな意味でのじゃないなと思ったし。
オンラインあんま聞いたことないからわかんないんですけど。
なんか普通にバンドがこうちゃんとやってる。
俺アジカンとかも撮ってないかわかんないけど、アジカンとかもちょっと近いのかもしれないんだけど、なんかやっぱなんかそういう普通にバンドがバンドとしてやってるみたいなのが結構いいかも。
なんか最近くるりのアルバムとかもいいとかって言ってたから、もしかしたらそういう文脈はあるのかもしれないけど、どっちかって言ったらそういういわゆるバンドみたいなのもあんまり特に最近聞いてないからかもしれない。
ちょっとなんかちょっと飛び道具的な少しシーンのエッチが聞いたようなところばっかり聞いてることが多いから。
なるほど。ヒップホップ的な?
まあそういうのとかも含めて。
なんかいわゆるバンドのグッドミュージックをちゃんと鳴らしてますみたいなのって最近あんまり聞いてない気がする。
しかも中堅でしょみたいな。若手だったらまだしも。中堅でなんかそれをがっつり見たの、ほんと久しぶりだったし。
わかんない、もう言葉できないな。
めっちゃ面白い話ですね。いいなあ。
そっか、なんかその言葉にできなさがいいなって、たぶん、なんだろうな、私は言葉にできることがいいと思ってなくて、
芸術作品とかも言葉にできないことの方が尊いなってめちゃくちゃ思うんですよね。
自分がいいと思ったからいいのだとか。
それこそ超相対セリロのそこら辺の回ではそういう話をしてた気がする。
絶対絶対そうなんですよ。そういう話をしてたんですよ、本当に。
なんかね、深井さんが何だっけ、暫定的絶対美とか。
なんかね、わけわかんないなと思って聞いたけど。
でも論士としては言いたいことがわかるみたいな感じがします。
そういう話ですよね。
めっちゃいい話が聞いてよかった。
じゃあ、そうした時に話をぐるっと戻して、心が立ち止まったみたいなのは、なんかちょっとよくわかってないんですけど、そこの話をお願いしていいですか。
えっとね、心が立ち止まったっていうのは、例えば映画を見た時にすごく胸の奥がすっとする感覚とか、すごくなんかいいなっていうのが広がった時、なんかその余韻を感じた時に心が立ち止まったなって思ってて、思うことがあるんですよね。
えっと、私が好きな映画はいくつかあるんですけど、小ジャンクの空にっていう映画があって、それってあらすじとか見たことありますか。
なんかね、多分音楽の授業かなんかで見た気がする。
へー、そうなんですか。
けど何も覚えてない。
音楽の授業で見るんですね。
音楽の授業じゃないかな、違うかな、わかんない、俺が違うものともしかしたら勘違いしてるかもしれないけど。
そうなんですか。
何かの授業で見た気がするんだよな。
へー、そうなんですね。ちょっとあらすじはもう全然省くんですけど、最後に広大な海が映し出されるんですよ。
その時にめちゃくちゃ、小ジャンクの空に行って刑務所での話なんですけど、脱獄してその後の海のカットが広がった時に、
本当に自分の心が自由になるような感覚を私は得て、見てる時はやっぱりそこの主人公に感情移入に近いことを思うから、
その自由さを感じた時に心が立ち止まったっていう風に思ったんですよ。
立ち止まったというか、なんかこの経験、この資格の記憶とか、これを、この映像を見て自分の中に広がった色とか風景を忘れないでいたいっていう意味。
で、これを自分の心に留めておきたいっていう意味で止まったな、みたいなことを思ったんですよ。
そういうところかなって思って。
で、私がなんかいろんな人に今回立ち止まった経験についても聞いてみたんですけど、
映画で同じように、そういうなんか要因を残す映画を見た時にそう思うっていう人もいたし、
あとは人と離れてしまう時に、離れざるを得ないってなった時に、
でもその人の記憶だけは自分の中で良いものとして生き続けさせたいっていう時に、
私はその、その人はその心が立ち止まるかも。
その時間をタイムカプセルのようにして自分の中に保存しておきたいと思うかも、みたいなことを言ってて。
そういう立ち止まった経験もあるなっていうふうに思ってるんですよ。
それが心が立ち止まることかな、私の中で。
うーん。
そういうことが、しょうさんはあるのかな。
なんだろうな。ちなみにしょうしゃんくの空には見てないかもしれない。
なんか勘違いしたかもしれない。
ぜひぜひ。
なんかね、いやでも、名前はすげー聞くんだよなと思って。
それはそれとして、うーん。
心が立ち止まった。
それはなんか、ちょっと若干ちゃんと理解できてないかもしれないけど。
なんかその、速攻的でなくて、何て言うことがいいんだ。
ちょっと遅れて良さがわかるみたいな、なんかそういうことなんですかね。
そういうこともありますね。
遅れて良さがわかる。
私が今しょうしゃんくで感じたことは、本当にリアルタイムでいいなって思ったんですけど。
なんかね、でもちょっとその話、ちょっと知恵性の話もしたくて。
なんかその知恵性で聞いてくるときって、結局なんか自分がその人生の経験として獲得したときに、
言葉が、言葉というか、なんかね、良さがわかるなっていうのはめっちゃ思ってて。
その良いなって思った、その感情が、なんでかわからんけどいいなっていうのも、それはそれでいいんですけど。
なんかそれを、それがね、でも私はめっちゃ一番大事。
なんでか説明できないけどいいなって思う感情をすごく大事にしたいっていうのはあるんだけど、
それはそれとして、それを言葉にして自分の気持ちを説明できるようになることもプレシャスだよねっていうのがあったときに、
それは遅れてやってくるときは、なんかその遅れてやってきたことを、ちょっと待ってうまく伝えられるかわかんないんですけど、
遅れてやってくるときに、その遅れっていうのは、言葉が身体とともに獲得できたときに、遅れてやってくるのではないかみたいに思ってて、
ちょっとこれは全然伝えられてる気がしないんですけど。
でも言ってることはわかる。話の流れはちょっと硬いけど、言いたいことはなんかわかるような気は。
ちょっと具体例をちょっと用意してきたので、これに対して言いたいんですけど、
中学生の時に読んだ大河誠さんの「言葉の力」っていう一節があって、
それが教科書に載ってたんですけど、
出た、教科書。よく覚えてますね。
すごく覚えてるんですよ。めちゃくちゃいいなって思って、
それがね、私が言葉に興味を持ったきっかけでもあるんですよ。
この全文は見れるので、ぜひ探してみてほしいんですけど、
人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。
しかし私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉はない。
みたいなことから始まって、
この人は桜を見たときに、その桜の花びら一枚一枚が言葉であり、
その中幹が文脈であるみたいなことを言ってるんですよね。
これ私の解釈ですけど、
それを読んだときにめちゃくちゃいいなって思ったけど、
なんか言葉にできないなっていうのがあって、
この良さを言葉で説明できないし、
自分はめちゃくちゃいいなって思ってるけど、
それの良さを本当にはわかってないんじゃないか。
理由を言えないとわかってないんじゃないかみたいなことを思ってて。
でも、それをね、私大学生とか中学生のときに始めてみて、
高校とか大学とかは社会人になっても定期的にこの詩のことを思い出すんですけど、
なんか上手くずっと言葉にできないなみたいな。
これが良いと思う。
言葉に理由が言えないなっていうのがあって、
それってこの話で言うと、
ここで書いてる桜の美しさとかっていうのを、
私は本当には理解してないからなのかなって思って、
そういうここで書いてる、なんだろうな、
言葉とか文章だけで表している、
この文章で作り上げられた世界じゃなくて、
本当に自分の身の外にある、身体の外にある世界で、
この美しさを獲得しないと、
なんか多分踏み落ちることはないんじゃないかなみたいなことを思ってるんですよね。
私がもうちょっと話すと、
めっちゃ好きな町柳洋平さんってめっちゃ好きな人がいるんですけど、
その人も同じようなことを言ってて、
新しい認識と一緒に言葉を見つけていかないと、感覚が上手く伝えられないとか。
あとは、戸羽和久さんっていう教育者の人がいて、
私はこの人の方も好きなんですけど、
この人も最近の子ども、その人塾をやってて、小学生がいっぱい来るんですけど、
最近の子どもは、自分の身体の経験よりも先に概念とかを学習しちゃうから、
それは良くないんじゃないかみたいな。
ガチャっていう言葉があって、
それはね、戸羽さんが言ってたのは、
ガチャっていう言葉は、ガチャっていう中に当たりがあるってことを想定して言ってるけど、
実は当たりがない可能性もあるのに、
それでガチャって言って、その概念を知ったから、
それを回し続けてしまうみたいな。
いろんなね、転職もそうですけど、
人との関わりもそうかもしれないけど。
そういうところで、
なんか概念を先に身につけてしまうと、
ダメなのでは?みたいなことを言ってて、
私もなんか、結構物語とかも、
ずっとなんか読んできたし、好きだったし、
その言葉で作り上げられた世界を、
楽しむことも、めっちゃ良かったし、
私の経験にもなったけど、
なんか今からもっと、
その自分の外の世界を、
本当に探っていきたい、みたいなことを、
このなんか、ポッドキャスト準備してるようになって、
なんか改めて自分の中でそう思ったっていう、
ことがありましたね。
なるほど。
そういう精神世界とか、
身体の世界について、
どう思います?っていうのは好きだった。
いや、なんか、なんて言うかな。
いや、めっちゃ分かるって言葉でいいのかな。
めっちゃ分かるんですよ。
何、なんかね、
これは僕も最近考えることの一つではあると思うんですけど、
めちゃくちゃ端的に言えば、
要は言葉って、
世界を抽象化したものなので、
解像度は明らかに世界より落ちてるはずなんですよね。
めっちゃ分かる。はい。
それはその相対セリフの中でも、
なんか可笑しいこと言ってた気がするんですけど、
だから言葉を扱ってるだけで、
世界を理解できるなんてことはありえないはずなんですよね。
っていうことを、
前回の最後にも言ったAIとかの話にめっちゃ感じるんですよ。
僕は最近。
AIの話に感じる。
あれ、そこはAIと結びついてない、私まだ。
要は今のAIって、
インターネット上にあるテキスト情報を、
なんかめちゃめちゃ学習させたら、
なんか頭いいの出来ちゃいましたっていう、
ただそれだけなわけじゃないですか。
つまりその、
実際の、実世界から解像度が落ちた情報を、
学習させてるだけなのであるから、
その実世界と、
なんていうんだろうな。
だからなんかその、
あくまでそれでしかない。
世界との距離はかなりあるはず。
なのに、なんかそれをもって、
もうもはやAGI、ASIとか、
いろいろありますけど、
要は超知能みたいなものになっちゃってるんだ、
みたいな言説があるのが、
よくわからんというか。
なるほどね。
結局解像度が落ちたものでしかないと思うんです、
言葉っていうのは。
だからこそ、言葉にできないことっていうのは、
普通にあるはずで、
それは別に、
いいことでも悪いことでもないっていうか、
だからそういうもんなんだと思うんですよね。
むしろその、
実際の感情とかそういうものを、
全て言葉にできるわけがない。
うん。
言葉にしちゃってるんで。
って僕は思うので、
なんか、
一方さんの言ってることは、
僕はそういうことかなと思っていて、
それは本当そう。
それは全然否定するとか、
そういうすることはあんまり、
ポイントないんじゃないかな、
っていう感じかな。
そうなんですよね。