なんか、このヨハチェルで映画について話すのは、あんまりなかったんですけど、
その映画はどうですか?
どうか、なかったか、はい。
そうなんですよ、そうそう、そうなかったんですよ。
本はちょっとあったんですけど、映画は初めてなので、なんかお互いその映画をどういうふうに見ているのかとか、
なんかその距離感の話からしたいなって思ったんですけど、どうですかね。
なんか私はもう映画好きで、ずっと前から見てたんですよ、僕。
へー。
母が好きだったので。
どんくらい見るんですか?映画好きな人って。
どんくらい見るのかな、映画好きな人は、なんかどうだろう、映画館で見るってことは、なんか最近はちょっと増えてきたけど、前はそんななくって、
へー。
その、なんだろう、ツタヤとかで借りて見るみたいなのがすごい多くって、ね、あの、
へー。
本当に。
母がすごい好きだったから、なんかお母さんって1日に2本とか普通に見てたら。
おー、いやね、そういう人いるよね。
そうそう。
すごいな。
いや、本当に。で、映画館、なんか視写でだいたい見てたみたいな。
へー。
で、そうそう。だから、私は本当にそのなんか上積みを、その中で、いい映画だけを見てきたみたいな感じなんですよ。
へー。
いい映画っていうのは人によるんでしょうけど、なんか私の、母と私が思ういい映画っていうのは結構なんか合致してたから、それはなんか。
そうそうそう。いい、そう、映画をなんか見てきたなって感じなんですけど。
なるほど。
うんうん。ど、どんな感じですか、しゃごさんは。
映画は全然見てないですよ。
あんまりなんか見ないですね。
そうなんだ。
あんまりどころじゃないと思いますよ。
あ、そう。
全然一般の標準から見ても見てない方だったと思います。
あ、本当?あ、そうなんだ。
あの、本当に多分、映画館に出たのは、一応中学ぐらいの時に一瞬だけ、なんか友達と映画館に行くブームがあって行ったけど、
多分高校から大学ぐらいまでの間、映画館一回も行ってないと思うし。
あ、そうなんだ。
で、津田屋とかそういうのでもほとんど見てなかったと思う。
あ、そうなんだ。
だから、映画はもうマジで全然ない。自分の中に映画の感覚は本当にない。
あ、そうなんですね。
で、社会人になって、まあなんかちょっといろいろ本読み出したりだとか、音楽聴いたりだとかっていう流れの中で、
まあちょっと有名なものは見ておくかぐらいで見てて、
まあ今、パートナーはちょこちょこ映画見る人なんで、まあそれでも月一本見るか見ないかぐらいだけど、
まあだからそれで、今回も急に具合が悪くなるは、
濱口隆介監督は、僕は偶然と想像がなんかちょっと話題になった時に少し見て、
逆かな?あれどっちが先でしたっけ、ドライブマイカート。
まあドライブマイカートを偶然と想像。
偶然と想像が先ですね。
偶然と想像を見て。
偶然と想像をめちゃくちゃ見たいんですよ。
あ、見てないんだ。
見てなくってそう、その当時にめっちゃ見たかったんですけど、見れなかったんですよね。
で、なんかもうあれもないから、配信もないから。
あ、そうなんだ。
そうなんですよ。
めっちゃ見たいんですよ。
なるほどね。
まあで、なんかそれとかで、まあだから今は一応、まあでも年10本は見てないと思うよ。
もう年数本話題作を、まあ一人でもほとんど見に行かないし、まあなんか興味があったら行くぐらい。
だから映画のことは本当にわからないと思う。
はいはい。
って感じ。
なるほど、なるほどですね。
おっきいですね、そんな感じで、えっとなんですけど、えっと、そっかそっか。
で、えっと、で、そっか、映画、なんかそんな感じでさ、見た?この急に具合が悪くなるって。
はい。
どこが刺さったのか、刺さったってか、まあどこが印象に残ったとか、どういう感じだったのかなっていうのは聞いてみたいんですけど。
そうそう、ポムさんはなんで、なんで見たかったんでしたっけ?浜口隆介が好きだから。
そう、浜口隆介が、まあ、そうですね、好き、好きっていうか、まあドラえもんはいかんめちゃくちゃ自分の中で良かったなっていうのがあって。
あーそうなんだ、へー。
で、あとですね、なんかその、浜口隆介のこの急に具合が悪くなるを、私の周りの人がすっごい絶賛してたんですよ。
なんか見た人が、なんかみんな4人ぐらいなんですけど、めっちゃ良かったって言ってて。
あとさ、たぶん身の周りに4人見た人がいるっていうのが、それなりの特殊環境なんじゃないかって思っちゃう。
あーそう。
すごい、すごいね、それは。
それは結構周りの人も映画を見るってこと?
あーそうですね、なんかですね、なんかこの、今その読書会を本屋さんでやってて、そこの人たちなんですけど。
あーなるほどね、それから分かるか。
そうそうそう、で、なんか謎になんかその良かったって言ってる人って、なんか今はそのなんか西洋哲学の読書会やってるんですけど、前その資本論の読書会やってて、その人たちがなんかのきなみ良いって言ってたんですよ。
資本論の読書会やってる人たちか。
なるほどね。
で、どうだろうって思って見に行ったら、なるほどねって、これは確かに資本論の読書会やるってやってる人は多分良いって思うだろうなって納得したんですよね、すごい。
なるほどね。
それは良いって言うよなみたいな。
なるほどね。
言いたいことはすごい分かってきた。
はい、はい。
どうぞ先進んでください。
で、そうそう、で、なんかね、この映画がなんかどういう風な印象っていうのをまずは聞きたいんですけど、私のちょっと話をするんですけど、なんか私そもそもこの映画において人の交流を描いてる作品ってすっごい好きなんですよね。
で、私が好きなの、超シャンクの空にとか、グッドウィルハンティングとか、多分前なんかグッドウィルハンティング、
なんか言ってた、なんか言ってた気がする。
したんですけど、なんか今じゃないみたいなと言われて、
見てない見てない。
とかなんかグリーングッドとか、そういう話がすっごい好きで、で、なんかこの映画もそれに通じるものを感じたなっていうのは思います。
私はそもそもなんかそういうスローな映画が好きだから、その関係性がその人の会話によって変わっていく過程をそのまま捉えたっていう映画はかなり好きだから、
その部類で、その延長線上で、これもすごい良かったなって感じですね。
なんかその作品を見て、良かったなっていう良さと、自分のなんかこの作品自体はそこまで好みではないけど、自分の認知が変わったから、
それをもって良い映画って定義することが、多分私2種類あるんですけど、これは自分じゃですね。
別になんか自分の中は変わらなかったんだけど、特に変わったなっていうのはあまりなかったんだけど、
もう良かったなっていう感じの印象だったなって。
しょうごさんはどうなんだろう。
長かったなと思ったけど、まあでも、長かったなと思ったけど、まあでも退屈ではなかったなっていうのは、
まあでも確かにそれはすごい、見せるあれがあったんだろうなっていう感じはすごくするっていうのは、まず率直なあれで、
どうしようかな、何から話そうかな。
まあでも、うかはまぐち龍介のことは全然ちゃんと知らないけれど、その偶然と想像とか、
例えばマイカーとか悪化存在しないとか、一応それこうまでは見たから、
そういう中では、まあまあっぽさはあるんだろうなっていうか、なんかその会話劇みたいなところにすごく、
なんていうかな、やっぱりこだわりがあるんだろうなっていうところは、今回のこの映画を見てても、ずっと会話してたと思うし、
なんかそれは、そこは興味深かったなとは思いましたかね。
そうなんですよね。確かに、私ちょっとこれを見てた文学会で、国文広一郎とはまぐち龍介の対談があるんですけど、
それをまさに国文広一郎が、はまぐち龍介さん本当にその会話にすごいこだわりを持ってるんですねっていうことを言ってたんですよね。
確かに、そうなんだ、なんかその会話に対する、会話への期待値がめっちゃ高いっていうか、
ああ、でもその感じは分かる。
そう、なんかその、それによってちょっと何かが変わるんだっていうことに、なんかめちゃくちゃそれを信じてるんだなっていうところが、
すごい思って、なんかその、この急に具合が悪くなるの中で、私が印象的だったのは、あの散歩のシーンだったんですけど、
この二人がその夜歩くところ、夜歩くところもそうだし、道歩くところもあるから、最初にその言葉を交わすところで、
なんかずっとそう、なんかカットが途切れず、それをなんかその二人の仲が会話によって、その狭まっていく、その速度をそのまま見せてくれたなっていうところが、
私は一つすごくいいなって思ったところでした。
それは、まあ分かるっていうか、そうだろうね。ただなんか一個が分かんないのは、濱口隆介ってことの人のことはあんまりよく分かってないからだと思うんだけど、
だからなんか濱口隆介監督がこれで何を描きたかったのかなみたいなのが、だからどこまで意識的なのかどうかっていうのは、なんかまだあんまりピンときてないっていうか、
そこらへんはどうなんだろうなっていうのはちょっと分かってないっていうか、会話で何を見せたかったのかなみたいなところは、
もちろんなんかなんていうかな、その最終的な結末というか、あそこにたどり着かせたかったっていうのはまあそうなんだろうけど、
そこにどこまでのメッセージ性を込めてたんだろうなみたいなのは、なんかどうなんだろうなーっていうのは、なんかぼんやりと俺の中ではしてるかな。
なんか私が思ったのは、この会話のなんだろうな、これって2つテーマがあると思うんですけど、
1個はさっき言った会話を見せるっていうところと、もう1個は資本主義の話で、今困っている人が介護施設とか、
これはその、この舞台はね、そもそも舞台は映画では介護施設だったんですけど、
その中でどうそのユマニチュードって言って、その介護、その利用者を人として扱う、その人を人として扱うっていうことをどう達成するかっていう話なんですよ。
その中でそのユマニチュードを導入しようと、浸透させようと主人公は頑張るんですけど、
でもその中で、でもそのユマニチュードって研修が必要で、それには研修費が必要で、そうなるともうその施設もそのお金を払って、
施設がその資金をその中でどう確保するかっていう問題もあるし、その介護職の職員がそこでどう忙しい中でどう時間をかけるかっていう問題もある。
で、そこが何か傾向していくっていう話でもあるんですけど、
それがなんかその主人公がそこで悩んでいることが、その、ただそのミクロの話じゃなくて、もっと大きなその構造の中での出来事なんだよっていうことを、
もう一人のこのがん患者の人がホワイトボードに確信があるですね。
ありますね。
そこが、そうそう、そこがすごく印象的だったんですけど、なんかそれがもう一つの伝えたいことなんだろうなって思ってて、
この、私もいくつか記事を読んだんですけど、この浜口隆史がこの映画を書くにあたって、ナンシー・フレーザーのなぜ資本主義は私たちを豊かにしないのかだった。
なんかそういう本があるんですよね。
たぶんチクマ新書から出てるのかな。
で、それをめちゃくちゃ参考にしたって言ってたんですよ。
で、浜口隆史が今のユマニチュードを描いた、この映画のモチーフにしたっていうのは、私はすごく納得したのが、この福文広一郎の対談を読んだときに、
たぶんこれ別の記事でも書かれてたと思うんですけど、このユマニチュードっていう概念が映画でも同じだと。
同じ構造があるなっていうのを、その介護の現場と映画の現場で、っていうのも感じたらしいんですよ。
特になんか日本だと、その映画を撮る環境っていうのが整ってなくって、
なんかもう労働時間が決められていない、厳密には決められていなくて、休みもないみたいな。
そうそう。そういうところで、でもなんかそのフランスだとすごい決まってるらしいんですね。きっちり守られて、その仕組みがあって。
そうそうそうそう。
なんかね、このね、休憩時間もね、日本だとだいたい30分だけど、なんかフランスではきっちり1時間撮られてる。
なんか国文さんは学会の昼休みは2時間あるみたいな。
へーそうなんだ、へーおもろい。
そうそう面白いですよ、なんかそういう話をしてて。
だからなんかそういう監督の個人的な話から出発してたんだなっていうのはめちゃくちゃ感じたんですよね。
で、なんか今その、なんか私がこれ見て思ったのは、そのホワイトロードの場面ってなんかめちゃくちゃ直接的だなって思ったんですよ。
その資本主義なこういう構造があるから、そのケアをする時に、そのケアをするっていうのを、なんだろう、その人の介護職の人の勘定労働とかで、そのお金が払われてない部分って成り立ってしまっているとか、
でもなんかそれはその資本主義っていうものの構造としてそうなっちゃってる。
その資本主義がお金に、なんかその外部からものを、資源を搾取することで資本主義は増殖していくって話があったと思うんですけど、
あれがなんかめちゃくちゃその、なんか本当に直接的すぎるなって思って、私はそれが見てからすごい気になったっていうのが率直な感想だったんですけど、
なんかもう、今その将吾さんのそのメッセージが何だったのかっていうのに応答するとしたら、もうそのような形でしか今はその人が言葉を受け取れなくなってるんじゃないかなみたいなのをすごい思って、
なんかその映画って、映画の良さってその監督が伝えたいメッセージをそのメタファーの形で表すっていうのが結構好きなんですけど、
なんかその同じように資本主義を書いた作品で、ファイトクラブっていうのを私は結構好きだったんですよね。
名前だけは。
あれはね、めちゃくちゃ面白くていい映画だから。
面白いということもめっちゃ知ってる。
見てほしいんですけど、なんかそのファイトクラブだともうちょっとその資本主義批判みたいなが結構メタファー的だったんですよね。
っていう記憶して、でもなんかこれはかなり言葉を持ってその構造を主人公の会話で表現してるっていうのがなんか印象的で、
でもなんかそれは今の時代だからこそこういう形になったのかなっていうのは思ったんですよね。
なんかそれがメッセージかなって。
その見たては面白いな。
だからこの映画の印象的なシーンはいろいろあると思うんだけど、
多分明らかに一個はホワイトワードのシーンだと思っていて、
なんかなんとなくXでも見かけた気がするけど、あれは完全に賛否が分かれると思うんですよね。
なんか映画であれを見る必要があるのかって多分思う人は確実にいると思う。
なんかあそこは映画的って言うとちょっといろんな人が怒られるかもしれないけど、
なんか映画でのよりかは、あれビジネス系YouTube見てるみたいな、そういう話がシーンに見れなくないから、
そこは確かになんかいろいろ見方あるよなぐらいに思ってたんだけど、
確かになんか今ポンさんが言ってくれたように、そういう形でないと言葉が届けられないのではないかっていう課題感を持ってるのかもっていう見たては、
なるほど確かにっていう感じはめっちゃしたな今。
そうなんですよね。
でもなんかそれだけじゃないっていうのが、この羽口さんの、羽口龍介の映画の良かったところで、
本当に言葉にしない、映像のところはちゃんと映像で見せるっていうのがすごい良かったんですよね。
3時間あったからあれ入れられたっていう話はあるかもしれない。
3時間なかったらあれ入れれると多分ちょっとなんか、多分あっちがあまりにもフィーチャーされる気がするような気もするけど、
3時間あってもっとメインのところがちゃんと立ってたから、あれが入れられたっていう感じはするかもね。
あともう1個ね。
ごめんちょっと1個だけ話しちゃうと、今の話の流れでちょっと興味深いなと思ったのが、
ちょっと有料ノートだけど、宮城さんが「吸入が悪くなる」のノートを書いていて、
これは本題は面白かったんだけど、余談的にちょっと有料部分だけど若干引用しちゃうと、
これさっきのホワイトボードのシーンを見て、やっぱホワイトボードシーンだけじゃないかもしれないけど、
この映画を見ると社会の構造がわかるっていう感想を述べてる人がいるらしくて、
宮城さんはそれに対して、やっぱそういう、つまりは人文書とか新書とか本って読まれてないんだなって、
がっくりきてしまうみたいなことを書いていて、だからそれはわかるっていうか、
浜口映画を見るような人ですら、やっぱこういうことに対してはそこまで考えられてないのかなーみたいのは、
直感としてはわかって、でさっきのポムさんの話に戻ってくるっていうか、
だからこそ浜口隆之がこういう形でないと言葉が伝わらないって思ってるのかもっていうのは、
なんかそれはかなりそうかもっていう感じがめっちゃしちゃったなって思った。
確かにね、私宮城さんの映画を見て、あ、宮城さんのノートを見てないんですけど、
確かに伝えられるものっていうのが、
やっぱ本、何でしょうねこれは、本っていう媒体だとテキストだとやっぱりなんかどうなんだろうな、伝えられないような。
そうだと思うよ。こういう、むずいな、むずいけど、こういうパッケージ、フィクションとか、
こういうパッケージの中でないと伝えられない何かっていうのが多分あって、
そういうものの総量がどんどん増えていってる感じはすごいあるっていうか、
昔はもう少しテキストとかでも伝えられてきたものが、
なんかやっぱ伝え方とか含めて、
もっとかなり繊細な工夫を凝らさないと伝わらなくなってきてるっていうのはあるんだろうなって感じはすごいするかな。
なんかやっぱりその人の生活っていうか実感っていうのは、
そういうなんか、世の中の構造っていうのとどんどんなんか乖離していくっていうか、
そうかもね。
そう、それもあるし、やっぱそういう、そこに余裕がなくなってくるっていうのもすごいあるのかなって思うんですけど、そう思いますね。
で、そうね、えっと、そっかそっか。
この、なんか私が一個面白いなって思ったのは、この急に画が悪くなるの、
今原作もね、読んで見てたんですよ。
そしたら、これもう原作もね、めちゃくちゃよくって。
へー、そうなんだ。
そう、そうなんですよ。
これ宮野真希子さんと磯野真帆さんっていう方で、宮野真希子さんの方が哲学者なんですよ。
で、空気収蔵を研究してた。
出会いの淡いっていうのを描いた、これが最後だったのかな。
で、あと磯野真帆さんの方が文化人類学者らしいんですよ。
スポーツ医療を勉強してたのかなっていう2人の文書館で、
そう、私はなんかこれを読んで、インタビューとか読んでた時に、
この磯野真帆さん側から、この自分たちの対談、この往復書館っていうのは、
自分たちのアカデミア出身だからっていう、その文脈がめちゃくちゃ乗ってて、
だからこそあり得た往復書館だった。
なるほど。
その映画に絶対に反映させてほしいっていうオファーがあったっていう、磯野さんが。
なるほど。
だから浜口隆介はそれを組みたいと思って、そのホワイトボードのシーンを見せたっていうふうに書いてて、
それをめちゃくちゃ納得したんですよね。
それは納得だね。
なんかね、今の文明館に乗るとめっちゃわかるっていうか、
普通に撮ると浮いてるんだよ、あれきっと多分。浮いてると思うんだけど。
でもそういう話があるんだとすると、すごい納得する感じはする。
あえて浮かせてる説すらもあるかもしれないって思った。
あえて浮かせてる、確かにそうなんですよね。
あれは、でもなんかあれがなんだろうな、ケアっていうものが何なのかっていうことを、
なんか考える一つの場面でもあったかなって思ってて、
お互いにその二人が、この映画の話で、お互いにケアをしていたのだなっていうことを思ったんですよね、お互い同士でも。
それがなんかその、二人が会話をすることであるし、
このフランスの、これ何?
ヴィルジニー・エフィラさん主演、ヴィルジニー・エフィラさんなんですけど、
この人が、なんだろうな、その二種類のケアの仕方があるなっていうのを思って、
すごく感情的っていうか、寄り添うようなケアもあるし、
それはなんか、二人のその日常の会話でもあるし、
なんかそのもう一個は、もうちょっとその俯瞰したところから、
あなたはこういう、あなたが悪いのではなく、
あなたのこの置かれている構造が悪いのだみたいなところで、
の説明の仕方でケアをするっていうのもあると思ってて、
なんかそれって、ともすればその構造を説明するっていうのは、
現実を生きてる、生きていればいるほど、
なんかそれって、今別になんかそういうこと聞きたいんじゃないみたいな、
なんかコンプリクトが発生しちゃうかもしれないですけど、
なんかそこが上手い形で書かれてたのが、
なんかいいなっていうのを私は思ったんですよね。
なるほど。
なんかあれですね、私の感想回になっちゃったんですけど、すみません。
いや、いいけど。だいたい話したいこと話せました?
うんうん。
じゃあ時間回りなんですけど、2つぐらい話したことがあって、
1個は、僕がまずこれを一番最初に見た、映画を見ている最中にまず思ったのが、
うわ、めっちゃ中間管理職の話じゃんって最初思ったんだよね。
主人公。
主人公が。
あの、あれね、マリー。
リルフィラさんね。
めっちゃ大変じゃんって思って。
だからなんか、フランスの映画界は結構ちゃんとしてるとか、
そういう話はありつつも、あの人めちゃくちゃ働いてたじゃんって思ってて、
なんかその感じとか、あとベテランの看護師として描かれてたソフィーっていう人が、
僕はすごくずっと気になっていて。
それ国文さんですか?
あの漢字もめちゃくちゃ日本っぽいなって思ったんだよなって思ったんだよな。
そう、なんかね、国文さんがね、僕が好きなのは看護師のソフィーさんなんですよって。
そう、そうなんだ。
ソフィーさんはその古いタイプの介護をプロフェッショナル、プロフェッショナルとして身につけた人として出てくる。
で、自分の仕事に誇りを持ってる。
で、まあ観客もそれに気づいてくるんだけども、なんかそれが、そこがなんだろうな、
どうしてもその主人公と逆行しちゃう、逆行っていうか対立してしまうみたいなところがあると。
で、そうね、なんかそうなんだよな、ソフィー、ソフィーさんは、なんか私はその読んだときは、
あ、見たときは、その、なんかあんまりたぶんしょうごさんのことは引っかからなかったんですけど、
そうなんだわ、へー。
そうなんだなって。
なんかたぶん置かれてる立場とかがやっぱ違う人によって、
誰が引っかかるっていうのは変わってくるんだろうなって思ったんですけど、
しょうさんはなんかどういうところで、もうちょっと聞きたいな、そんな話を。
いやーもう全部なんだよね。
やっぱなんていうか、あの人をなぜ描いたのかみたいなのもすごく気になったし、
もう少し直接的に言うと、結局あれは最後どうなったと捉えられるのかっていう、
あの物語としてどうなったと捉えられるのかっていうのも、なんかやや微妙なラインだなと、
なんとなく思ったんだよね。
例えば、なんか見る人によっては、あれはすごい分かり合えたっていう終わり方をしたっていう見方も、
もしかしたらできるかもしれないけれど、僕のうがった見方をすると、
結局あの二人は分かり合えなかった、分かり合いはしなかった。
けれど、一応、すごいその二人の対立の中でも、一応やってきるようにはなったぐらいな、
なんかすごい微妙な捉え方もできるような気がしてるという中で、
羽生一隆介があの人をどういうふうに位置付けたかったのかなっていうのは、
結構気になったっていう感じかな。
そうですね。確かに私は、分かり合えるっていう話で言うと、
私は分かり合いはしないだろうなっていうのは思うんですよね、この二人の。
まあそうだね。
それはそうでしょう。
だって二人の考え方は対立、真っ向から対立するから、それも、
それが変わるってことはないだろうし、別に変わらなくてもいいと思うし、
それが組織の中で二人のパターンがいるってことが健全というか、健全という感じもするし、
それはそれで貫き通してほしいと思うっていうのは、
ちょっとうまく自分の実感を言えてる感じがしないですけど、今。
でもそうなんじゃないというか、
なんとなく僕が見とった感じも、どちらかというとそういう感じに近くて、
それがなんとなくテーマ的な、何ていうかな、
介護っていうものを施設に閉じ込めずに外と、うまく限界を認めて上でやっていくっていうのと、
かぶせていたんだろうなーとは思うわ、思う。
そうそう、そうです。
この対談の中でね、このソフィーさんの参考にした人物がいるらしくって、
実際にいる人物が。
主催で庭が出てきたじゃないですか。
どの庭だ?
介護施設の中庭が。
そこら辺を見学してた時にスタッフの人にインタビューしてたらしいんですけど、
まだユマニチュードの研修っていうのが実際のインタビューしたところでもあったらしくって、
まだその研修を受けてない年配の看護師の方がいたらしいと。
その方がソフィーさんの参考になったらしいんですけど、
そのユマニチュードに対してどういう印象を持ってるかって聞いたら、
そういう丁寧なケアは一週間に一度できれば十分だように思いますっていう返事が返ってきたと。
それがね、何の悪意もなく現場の正直な意見だと玉口さんは受け止めたらしいんですけど、
でもなんかこれは大変そうだなっていうのをそれを聞いて思ったらしいんですよね。
で、そのなんか自分の、そのソフィーさんは自分のプロフェッショナルで、
自分のやってきたことに誇りを持って、そのやり方を貫きたいと思っていると。
で、なんかそういう疑問を、ユマニチュードに対して疑問を持った存在っていうのを、
この映画の中に位置づけたいっていう風にここに書いて、位置づけたいとは書いてないか。
まあ扱う上で重要なのではないかってこの人書いてるんですけど、
なんか多分そういう役割も一つ持ってたんだろうなって思いますよね。
その、このユマニチュードが絶対にいいものであるっていうところで書く。
それを別に、なんか一方の視点から書くわけじゃなくって、
一つその別の視点を持つ、取り入れるっていう上で、このソフィーさんがいいみたいな。
分かるよ分かるよ。
でも今考えてて思ったのは、まあちょっと勝手にまとめちゃうけど、
この映画をすごくざっくりすると、
主人公、2人の主人公はやっぱり会話をすることでものすごく関係性を気づいた。
会話をすることで気づくことができた。
一方でマリルの方とソフィーっていうのは別に会話をすることで関係性が気づけたわけではないと思うんだよね。
っていうその対比は綺麗に描いたのかもしれないなと思ったのと、
あとなんかちょっと、この映画としては、
なんていうかさ、すごくさ、その介護施設の話もすごく綺麗に、
ある種綺麗にその外と交わることでより良くしていくんだ、みたいな風に綺麗にまとめたなぁとは思いつつ、
実際問題みたいな話はやっぱりどうしてもあるなぁと思う中で、
多分あんまり深く、深いコメントじゃないと思うんだけど、
TBSの濵地監督へのニュースのYouTubeの動画をたまたま見て、
その中の一節として、さっきの映画界の労働状況みたいな話の中で、
強烈なルールがないと日本は変わらないっていうことを濵地さんは言っているみたいで、
それをこの動画はサムネにしてるんだよね。
で、なんかこれは、この映画のすごい会話とかをして、
しっかり納得感を持って変えていくんだっていう話と、なんとなくコンフリクトしてる気がしていて、
やっぱり濵地監督の中でも、そこの二面性みたいのは、
この中である種描きたかったのかなぁみたいな風に今聞いていて思っちゃった。
その視点はなかったから、なるほどなって思ってるんだけど、そうか。
確かにな、なんかその会話だけで描くっていう、その綺麗なものだけで描くんじゃなくて、
なんかある種の何かしらの暴力的なものがないと動かないんだって、
その事実も伝えたかったところではあるかもしれない。
そうっていうのが、話したかった1個目の話で、
もう1個だけあってちょっと時間割れなんだけど、
で、結局俺がこの映画を見て、一体何の映画だったんだろうなってちょっと考えた時に、
これは人生はリニアには進まないっていうことを言う映画なんだなって、
もう俺は今まとめてます。
で、もうタイトルからして改めて考えると急に具合が悪くなるんだから、急になんだよ。
なんか徐々に具合が悪くなるじゃなくて、急に具合が悪くなるだし、
2人が仲良くなったのも、なんか普通にたくさん会って仲良くなったわけじゃなくて、
なんか会話してたらめっちゃ仲良くなっちゃいましたみたいな、
ちょっといい語弊があるかもしれないけど、みたいな話だし、
ちょっと事前にポップさんとは共有したけど、
ヤナセさんっていう人が書いたノートはすごく非常に興味深くて、
この映画自体が少し時間軸をずらしたトリックを使ってるんじゃないかみたいな話を踏まえると、
やっぱり人生ってリニアに積み重ねていくものっていうよりかは、
急になんかいろいろなことが起きたりして、いろいろ物事が変わっていくんだっていう、
なんかそういうことを映画を通してなんか書いてるような気もしていて、
なんかそういうふうに改めて自分としては受け取ってるなぁと思ったっていうのが1個あるかな。
あともう1個あれかな、印象的なので、やっぱなんかその、
あれそこまで言ってたらわかんないけど、やっぱだからなんかその、
この2人が出会って仲良くなったのは結局それまでのたぶん準備というか、
なんかもうすべては準備だみたいなステルがあったかどうかちょっと忘れちゃったけど、
なんかそういう準備みたいな話をすごくしていたような気がしていて、
やっぱ結局なんかキャリアみたいな話とかも、
何かのキャリアに目指してちょっとずつ積み重ねていくっていうよりかは、
ずっと多分それに対して準備を重ねた結果、
突然何かが起きるっていう多分そういう話なんだな、
そういう話なんじゃないかなみたいなことも改めて思っていて、
やっぱその人生をリニア的に捉えるっていうこと自体がやっぱちょっと違うんだなっていうふうに思って、
そうじゃない人生の捉え方を知っておくと、
多分物事の考え方がいろいろ変わるのかもなって思いましたっていう感想でした。
いやー、そうですね、なんかすごい私も、
なんか私の感じたことと結構、なんだろうな、
私も、
いや、ちょっと先にあれか、
確かに急に、
その急座を描いてるなっていうのを思ったんですけど、
なんかそこで、この濱口監督は、
そこの偶然性っていうのを、
なんかより、なんだろう、こっちに納得させる形で描けてるのが、
いい映画だなっていうのをすごい思ったんですよね。
そうそう、なんかそうなんですよね、そのなんだろう、
私は今、昇吾さんの話聞いて思ったのは、
私はなんか、前は人生をコントロールできるものだと、
なんかコントロールしたいみたいな欲求があったんですけど、
なんかそういうことでもないんだろうなっていうのは、
なんか最近になってわかってきたっていうのはあるし、
でも、なんか逆にでも、今はコントロールしたい欲求がある人の方が多いみたいな気はしたんですよね。
なんかその中で、そうそうそう、その中でなんかこういう映画があって、
そうじゃないんだってことを、なんか思い出させてくれるというか、
なんかそういうのっていいなって思いましたね。
そうなんじゃないかなっていう感じがするし、
でも多分そういうふうな直接的な、なんか偶然性っていいよねとか、
なんかコントロールはなんてできないじゃんみたいなことを、
多分直接描いても多分伝わらなくて、
っていうのもなんかわかるから、
だからこそこの3時間の会話劇にしたのかもっていうふうに考えると、
なんとなく納得するというか。
そう、そうですよね。
なんかそこの長さが必要だったんだなっていうのをすごい思います。
この偶然性とかそこからの換気を描くにはっていうのは。
そうですよね。
っていうのは、話したかった話だね。
僕は話せたので満足ですが、なんかありますか?