スウェーデンからお届けしている「YIP体験こぼれ話」。今週は、南アフリカから招いたアランさんとスーさん夫妻による「ホリスティック・シンキング」の1週間を振り返りました🌿
「自分を実現するには、まず自分を開くこと」という、一見矛盾するような問いから始まったこのコース。私たちは、ただひたすらに植物と向き合い、その姿を観察する稽古を重ねました。
「花」とは、綺麗に咲いている一瞬の状態を指すのではなく、芽吹き、咲き、そして枯れて種になるまでの「流れるプロセス」そのもののこと。それは人間も同じです。私たちはつい「この人はこういう人だ」とラベルを貼って安心しようとしますが、実は一瞬たりとも静止している人なんていないんですよね。
植物が成長と衰退を同時に抱えながら、その「緊張感」の中で生きているように、私たちの中にも様々なエネルギーが渦巻いています。不便さや困惑の中で見つけた、世界をありのままに見るためのラディカルで受容的な視点についてお話ししています。
皆さんは、最近じっくりと「一つのもの」を眺めた時間はありますか?
もしよければ、コメント欄で教えてください🌿
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
00:00
スウェーデンから最年少と最年長の2人がお届けする 国際教育プログラム
Youth Initiative Program 通称YIPでのリアル青春体験ストーリー 尚子です。リオです。
先週はね、ホリスティックエデュケーション Enabling Life っていうウィークでしたね。
ちょっとその振り返りを していきたいと思います。
なんかね、スウェーデンはもうどんどん 春になってきて。
ねー、ちっちゃい青い花が咲いてね。
ねー。
すごい可愛い。
そう、どんどん花が咲いてて、 可愛い花がいっぱい咲いてて、
いい春の時期に。
もう最後の、なんだろう、まあこれから セルフデザインのカリキュラムはさ、これからあるけど、
ほぼね、こう、毎週のコースみたいなのは 終わりに近づいててるね。
そうだね。
うん。
そう、そんな中ね、来てくれたあの、 コントリビューターの人たちは、ご夫婦のアランさんとスウさん。
うん。
なんと南アフリカからいらっしゃった 2人なんですけども、
アランさん、スウさんは南アフリカを拠点に 活動する開発実践家、教師、作家で、
社会変革の分野で長年にわたり 国際的に活躍されています。
地域開発支援機関の設立者でもあり、
現在はスウさんと一緒にプロテイオス イニシアティブっていうものを共同主催されています。
ウェブサイトに書いてあった Enabling Life Holistic Thinkingのコースの概要をサクッと説明すると、
このコースでは、自分を実現するためには まず自分を開くことが必要だというような一見矛盾に見えるけれども、
深い真実を持つ問いを、 芸術や自然との関わりを通じて体験的に探っていきます。
頭で考えるだけじゃなくて、 感じて気づいていくような、そんな一週間です。
とウェブサイトには書いてありますが、
実際一週間やってみて体験どうだったっていうのを 振り返っていきたいと思います。
最後のあの日に振り返りの問いみたいな感じで、
What's new for you? 何があなたにとって新しかった?
What has been confirmed for you?
より腹に落ちたことというか、 より新しいなと思ったこととか、
さらにそこから出てきたクエスチョンとか、
そういう視点で振り返ってもいいかなと思ったけど、
それか全然それ以外でも、 なんかなお子が覚えてることとか、
印象的だったこととかある?
そうだね、全体的な印象として、
結局というか、何についてのウィークなんだっていうのはなんとなくあって、
03:09
一番最初のエクササイズでさ、
花がつぼみから開いて枯れていくまでの写真が何枚かあって、
その写真の経過を見た後に、
どこが花なんだろうねっていう話を、
っていうかその質問を与えられて、
グループでディスカッションをしたじゃん。
その時に自分は、何言ってんの?って思っちゃって。
なんで?
花って花じゃん、みたいな。
後からね、つぼみから開いてって、
全開みたいな状態になってから、
だんだん茶色く、赤黒くなってきて枯れて、
結局花弁の部分がもう落ちて、
種だけになった状態の写真まで、
なんて言うんだろう。
自分はね、花って花じゃん。
花弁のある部分のことじゃんって言ってて、
それ以上に何を話す必要があるんだろうって最初思ったんだけど、
グループの中で、
どこから花が始まるのか?
で、どこで花は終わるのか?
っていう話をしてて、
結局自分たちが話してたのって、
フラワーとフラワーリングの違いだっていうのをね、
なんとなくその話してる中で気づいたの。
花って家庭の中で一定の期間の間、
自分たちが目に見えて確認できる状態。
今はこれは花だって言える状態なんだけど、
自分と話してた子が言ってたの、
花はその家庭のことを言うっていう。
家庭っていうのはどこからどこまで?
だからきっとつぼみになって枯れていくっていうのもそうだし、
枯れてからまた種から生えてくるのも全部花なんだっていうのを言っててね。
自分のこの認識がその子の言った通りなのかはちょっと分かんないんだけど、
06:07
ややこしいと思って。
花って実際に生活してて、
花咲いてるよって言う時って、
この花弁がちゃんと開いてて、
目に見えて、まさに絵で描かれる花のようなものの時にしか、
花咲いてるよって言わないじゃん。
そうね、あまり言わないね。
花咲いてるって言わなくても、花あるよとか言う時もさ、
でもつぼみになってる状態の花を、花あるよって言わないじゃん。
そうね、つぼみだね、みたいな言うとしても。
その子の言う、花のエッセンスは全てにあるんだっていう感じ。
分かるけど、難しいなというか、
自分の考え方、物の認識の仕方って、
やっぱり科学的というか、目に見えて認識できるものに囚われるんだなっていうのは、
わりとこの1週間を通してでもすごく出てきた話なんじゃないかなって。
冒頭、花のワークしたけどさ、
花の観察、プロセスを観察した後に、
じゃあ自分を花に例えたら、どう描くみたいな感じでさ、
私は最初、日本で質問されたら、
まさに花の花弁?花びらバーンみたいな、ここだけを描くイメージだったんだけど、
ふと思った時に、自分のことを改めて見た時に、
まだこんなにいっぱいバーンって咲いてないかもなみたいな、
つぼみのこの段階かもしれないって思って、
つぼみを描いたりしてたんだけど、
奥子はどんな絵を描いたりした?
自分はね、たぶんバーンっていうのは描かなかったんだろうけど、
花弁の周りの、
なんて、名前分かんないんだけどさ、
茎じゃないんだよね。
花、花弁支えてるようなところ。
あれもちゃんとついた花を描いたと思う。
でもなんか、あまり深いあれはなくて、
いや、花ってこれだよねっていうのを描いただけだったな、自分は。
09:00
今週は植物と向き合うことが多くて、
アランさんとスーさんは、今名前しか言ってなかったけど、
イメージで言うと、ジブリで出てくるおじいちゃんとおばあちゃんみたいなご夫婦。
絵に描いたような、木で例えたらちょっと古い木が二つ立っているような、
すごい優しい雰囲気。
私はもうその雰囲気自体で大好きだったんだけど、
でもやってることは結構抽象度高くて、これは何を今やってるんだろうって、
なかなかその意図とかを明確にしないまま、とりあえずまずやってみるみたいなことが多くて、
困惑が確かにあったけど、
私的に今振り返ると、
YEPっていわゆるSocial Entrepreneurship、
社会に一歩踏み出てアクション、イニシアチブを取っていく人を育てていく上での、
世の中の見方とか、自分の在り方みたいなものを稽古する、
そんな一週間だったなって思ってて、
例えばその一週間、私も結構ハテナが多くて、
少人数の話で今何が自分の中で起きてるかとか、振り返る時間があったじゃん、後半。
4人ぐらいでカフェに行ってさ、近くのカフェに行って、
お互いの話を聞き合うみたいな時間があった時に、
みんなもやっぱそれぞれ違う形で困惑してて、
すごい聞けてよかったなと思うのが、
いつも元気で前向きで、
なんかこう、やはりザ・妖怪みたいな。
ここでさえ、すごい前向きに捉える自分もいれば、
もうちょっと疲れたみたいな、
困惑してる自分もいて、
いつも見てる側面じゃない、ゆっくりゆきというか、
常にその人自身もいろんなものが蠢いてる。
だなっていうのを、そのストーリーを聞かせて、
経験を聞かせてもらうことで、
より見れたし、
もう一人別の子が、
私普段その子の仕草を見ていて、
なんでいつもそんなことしてるんだろうって、ちょっと謎。
いつも謎だったんだけど、
12:02
その人の体験談を通じて、
謎ではあるんだけど、別にそれに対してレッテルを貼る、
嫌だとか、なんだんだこいつって思うんじゃなくて、
それをそれとしてただ見るっていう訓練をさせてもらったときに、
いかに普段自分は、鼻だったらこの上の部分とか、
この人はこうとか、
そういうのを勝手にラベルを貼ったりして、
反応しちゃってたなっていう自分に気がついたんだよね。
それが行き過ぎると、いわゆる、
自分の中で勝手に敵を作っちゃったりしていくことになっちゃうじゃん。
改めて、でもそのどのエネルギーも、
そういう批判的な自分も、需要する自分も、
全て必要なエネルギーであって、
どちらかに偏りすぎてるのが良くないみたいな、
自分も常に動いているっていうことを、
この1週間、植物のワークもだったり、
対話の時間も通じて、
すごい体感的に学んだ気がして、
自分がこれから社会に出てリセーチを取っていく上で、
痛い自分の在り方みたいなものが、
少しより具体的に見えてきたかなっていう、
ちょっとね、今抽象的に話してる気がして、
伝わらなかったらごめんって感じなんだけど。
花のエクササイズの後に、
2人ペアになって、外歩いて、
身の回りに生えてるもの、草木、花とかが、
成長してるのか、ディケイン。
腐敗しつつあるのか、ディケイン。
腐敗というか、枯れていってるのか、成長していってるのか、
どっちかメモしてってっていうエクササイズをしててさ、
そのエクササイズの後にみんなで、
みんなの振り返りみたいなときに、
1人の子が言ってたのがさ、
今自分たちが見てきた草木って、
自分たちの中で振り返って、
成長してるように見えて、もう枯れていってるようなものもあるし、
すごく枯れてるように見えるんだけど、
15:01
すっごいちっちゃい蕾が、実は、
もうあって、成長してるように見えるみたいな、
そういうのが見えたんだけど、
自分たちが見たものって、
やっぱりすっごい大きい、長い過程のほんの一部なわけであって、
自分たちがさ、普段歩いてるときに、
木も花も、生えてる草も、
全部静止してるように見えるというか、
止まって動いてないように見えるけど、
実は全部動いてるんだっていうのを改めて、
というか、気づいたっていうのを言ってて、
そうだよなーと思って。
理科の授業とかでさ、
種から蕾になって、
種から葉になって、どんどん伸びてって、
何かの植物になりましたとか、
昆虫がさ、
さなぎの状態から、
ちょうちょになるまで、
すごいタイムラプスの動画とか見させられたりしたじゃん。
そうね。
それって、
いいとこ撮りというかさ、
過程を一気にババババーって見せられてさ、
そうすることでしか過程って見れないじゃん。
普段の生活の中でそんな状況ってさ、
もう本当にずっとじーっと見て、
寝るまま欲しいんで、ずっとこう見てたら、
ようやく、あ、今葉になったとか、
今ようやくさなぎから、
何かに変化したぞって見えるってことじゃん。
それは人間に置き換えても同じだなと思って。
この人はこうなんだってこう、
何かしらのボックスに入れて、
過程がないもんだと思って見てたら、
次会ったときに、
なんでこんな別人になったんだみたいな。
自分がこう、
この人はこうなんだって思った瞬間から、
もうその人は自分が思った人じゃなくなってる。
アラントスも植物の観察をアルプスかどっかの山にしに行ったときに、
ネイチャー・オブザベーションのやつを、
何か一つの花をずっと見ながら、
いつ咲くかいつ咲くかってずーっと見てたけど、
咲く瞬間も見れなかったって言われて、
18:01
私の中ではそれだけちょっと意味がわかんなくて、
授業終わった後に、
どういうことですかって聞いたら、
常にその花が常に動いてるから、
パッて咲く瞬間とかがないというか、
常に徐々に開き始めてるから、
気がついたら開いてた。
だからこの瞬間に咲きましたっていうのがなかったっていうのを聞いたときに、
さっきナオコが言ってた、
まさに人間にも当てはまるなと思ってて、
よく友達、親戚の子とかでもいいんだけど、
友達のお子さんとかでさ、
今日会ったとして、
また何ヶ月後かに会うと、
すごい成長してるのが、
私はわかるのね。
だけどそのお母さんにとっては、
そんな変わった?みたいな。
その親にとっては、
そんな成長?そっかね。みたいな感じなのは、
たぶん常にずっと親御さんを見てるから、
でも私にとっては、
しばらく間があったから、
その変化がやっとわかるというか、
人間も植物も、
常に動いているっていうこと?
常にダイナミクスの中にあるっていうこととかは、
すごい同じ生命物として似てるんだなっていうのは。
なんでネイチャーオブザベーションなんかするんだろう?みたいな。
何の意味があるの?って正直思ったけど、
やってみると学ぶことが非常に多くて、
おったまげました。本当に。
もっとめっちゃやりたいと思う。これから先。
なんかエクササイズも紹介してくれたよね。
そうそう、してくれたね。
ぜひリスナーの皆さんもやってみてほしいんですけど、
一人でやれるものとしたら、
一つ植物を決めて、
それをそのまま見て描く。
絵が上手い下手とか関係なく、
一旦ただ見て描く。
で、次の日どう変化してるかを予想してまた描くんだよね。
で、次の日またそれを見てそのまま描く。
で、それ昨日予測したのと、
今日実際に描いたのを見て比べて、
また気づいたことを描き出してみる。
その繰り返しのワークと、
あともう一個、
3人組とかになったらできることとしては、
お互い3人がそれぞれ自然のものを1個持ってきて、
何でもいいと思う。植物でも葉っぱでも石とかでもいいんじゃないかなと思うんだけど、
持ってきて、それをお互いそれぞれ持ってきたらそれぞれを見て、
描き出すのかな、気づいたことを描き出す。
で、10分間とか描き出したら、
21:01
その自然物、持ってきたものを交換して、
また10分観察したことを描き出す。
で、またさらに最後ローテーションして、
また描き出す。
で、その後にお互い気づきをシェアする。
これはね、めっちゃやりたいなって思いますね。
それも見て、見るだけじゃなくて互換?
匂いとか、音とか、
全部テクスチャーとか。
ね、味とかもね。
そうそうそうそう。
ね、ぜひね、かじってみて。
うん。
食べてみた?姉ちゃん、自然物。
食べてない。
食べてない。
けど、なんか、みんながポップコーンスタイルでシェアしてた時に、
成長してるって思ったものの味はマイルドで、
で、こう、枯れていってるって思ったものの味は、
なんて言ってたかな、ドーナツ。
アルフィー?
アルフィーとか言ってないか。
それを私の友達が言ってたのか。
なんかこう、渋みが増したとか言ってたかな。
で、なんか、イメージ通りって思った。
そうだね。
マイルドってなんだよって思ったけどね。
ね、私つぼみみたいなの食べてみたけど、
マイルドっていうよりかなんかこう、
ワイルドな野菜、なんて言うの?野菜。
生きてた?
ちょっと若い野菜。
シャキシャキしてた?
そう、ちょっとシャキシャキ、水々、やっぱ水分をすごい含んでた。
そう、そういうね、前後感を使って観察すると、
もう本当に学びしかないので。
いや、本当に、まさに何度かネイチュアオブザベーションの話は聞いてたけど、
なんでやる意味が本当にあるのかっていうのが、
本当に分かんなかったんだけど、
でもなんか、この1週間を通して、
なんていうのかな?
観察するっていうプラクティスがいかに大事か。
それをそれとして見ることとか、
私たちの中も外も動き続けてる。
例えば植物一つとっても、
デケイと枯れつつあるものと生きつつあるものが同時に、
一方の植物でも、つぼみのものもあれば腐敗してるものもあったり、
枯れつつあるものもあったり、それが同時に存在してて、
それは別に矛盾でもなんでもなくて、
お互いがそれを必要としてて、
むしろそのテンションが必要。
その緊張関係みたいなものが生命物にとってすごい必要で、
24:01
それは自分とってはニューというか、
頭で理解してたものをより腹に落ちつつあるなっていう。
コメント
スクロール