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2026/09/23 山ドクターの北杜らいふ
2026-09-26 13:18

2026/09/23 山ドクターの北杜らいふ

 研究はどのようにして常識になるのか

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サマリー

ペコマはカナダ・ウィスラーで学会に参加した経験をきっかけに、アカデミックな研究と日常語としての「研究」の違いを説明する。2歳の子どもを富士山に連れて行く例を使い、疑問を持ち、本や論文を読み、実験・観察を行い、学会で議論して論文にまとめるまでの流れを紹介する。単独の実験や論文だけで真実が確定するわけではなく、多数の研究者による検証と合意を経て、教科書などに載る知見になると述べる。AIなどで情報を得る際も出典を確認し、科学的な方法に基づくエビデンスは信頼性が高いと伝える。

カナダの学会参加と研究の意味
山ドクターの北杜らいふ、国際山岳医のペコマです。 北杜市明の町に住む北杜診療所医師のペコマが、登山の魅力、応急処置のヒント、健康の秘訣など、楽しく真面目にお伝えします。
この番組は、社会福祉法人緑樹会北杜診療所の提供でお送りします。
こんにちは、ペコマです。 だいぶ涼しくなってきて、過ごしやすくなってきましたね。
僕は今、暑いって感じてるんですよね。 なんでかっていうと、またカナダに行ってきたんですよ。
今、ラジオでカナダどうでした?みたいな話を、ちょうど放送してるところだと思うんですけれども、その放送してる間に、またカナダに少しだけ行ってきて、帰ってきたところなんでね。
カナダ、もうね、最高気温10℃とかだったんですよね。あのウィスラーってところに行ってきたんですけれども。
だから、日本帰ってくるとだいぶ蒸し暑く感じるけど、とはいえ真夏の暑さから比べるとね、最近はだいぶ涼しいんじゃないかなと思います。
で、今回カナダに行ってきた理由が、あの学会っていうね、学術を発表する場みたいのがあるんですけれども、まあそれに参加してきたんですね。
で、まあその学会で何を発表したのとか、そういうのはね、結構難しい話なんですけれども、ちょっとね、今日話したいなと思っているのは、その学会とか研究っていうのはどういうことなの?みたいなのを、ちょっとね、一般の方にもわかりやすくお話したいなと思っていて、
っていうのは、結構その研究っていう言葉だったり、エビデンスみたいな言葉があんまり理解されてないんじゃないかなっていう気がしてですね。なのでちょっとね、研究っていうのはどういうものか、そしてまあ僕は研究する側なので、まあ言いたいこととしては、
疑問から論文調査へ
あの研究が積み重なってできているエビデンスみたいなものは、かなり信頼性があるものなんですよ、みたいなことをね、まあちょっと主張したいんですよね。で、まあそういう話をしていくんですけど、例えば、まあじゃあ研究って何なの?って話なんだけど、まあ僕は一応その山の医療みたいなのが専門なので、
で、じゃあ、あの一般の人がね、別にそういう専門家じゃなくて、一般の人が2歳の子供を高い山、富士山でいいと思うんですけど、富士山に連れて行きたいと思ったとするじゃないですか。で、2歳の子供を富士山に連れて行くの心配だなって思って、鉱山病とかにならないかなって思う。まあそういうなんか心配事とか、なんか疑問に思うってことが、まあ研究の一番スタートだとは思うんですね。
で、2歳の子供を富士山に連れて行きたいなって思ったとして、そうするとどういう行動を起こすかっていうと、まあいろいろ本を読んだりすると思うんですよね。で、まあ本を読んだりして、ああ、そっか、子供の鉱山病ってこういうものなのか、鉱山病にならないためにはこうしたらいいのか、みたいなのが本とかにいっぱい書かれてますよね。
で、そういう世の中に出回ってる本とかを一生懸命読むこと、それを研究って言っちゃってる人もいるような気がするんですよ。それは全然研究でも何でもないんですけど、あの一般の人がね、まあ私結構研究してるからみたいな言い方の研究ね。
で、それは別に日本語として間違えてるわけではないと思うんですけれども、そういう日常的に使う研究っていうのと今僕が話そうとしているアカデミックの研究っていうのは全然違う意味ですよっていう話ね。で、そういう一般の人は本とか読んで、私いっぱい研究してるからみたいな研究がスタートでいいと思うんです。
そうすると本とかを読んでるうちにさらに疑問が深まってきたりすると思うんですよね。例えばその2歳の子供についての鉱山病を本を一生懸命読んでもあんまり欲しい答えがなかったりすると思うんですよ。で、欲しい答えがなかったりするともっと知りたいってなってくるわけじゃないですか。
それとかあれここに書いてあることって本当なの?私の経験とはちょっと違う気がするんだけど、みたいなことになってくるんですよね。で、そうなると次はどういう段階になってくるかというと、じゃあこれをちゃんとアカデミックに研究して証明してみよう、したいっていう段階に入ってくるんですよ。証明する、私が考えていることを何とかして証明してみたいな、疑問を解消してみたいなっていう段階に入ってくる。
そうすると次はどういう行動になるかっていうと、論文を読むっていう段階に入るんですね。つまり、今人類はどこまでこのことについて知っているんだろう?人類の最先端はどこなんだろう?っていうのを把握する作業に入っていきます。
普通本に書いてあること、一般に図書館とかに並んでいる本に書いてあることっていうのは、人類最先端のことが書いてあるとは限らないわけですよ。人類最先端の、でもまだ正しいか正しくないかわかんないけど最先端で議論しているところはどこなのかっていうと、論文の世界にあるわけです。
なので、その関係する論文をいっぱい読んで、ここまではわかっているのか?これについてはまだ議論があるのか?こういうふうに主張している人もいるし、こういうふうに主張している人もいるのか?みたいなことをまず把握するっていうところに入ってきます。
その後、実際に研究という段階に入ってくるんですけれども、それについてはまた後半でお話ししていこうと思います。
その前に一曲を聴きください。ドビッシーで雨色の神の乙女。
はい、今日はアカデミックな研究っていうのはどういうことなんだろうっていう話をしているんですけれども、ここまでの話はその小さい子供を富士山とかに登らせたいなと思ったときにどういう行動をしていくか。
まずは本とかを読むよね。本とかを読んで、それでさらにその自分の疑問みたいなのは具体的になってきたら、論文を読む。論文を読むことで人類はどこまで知っているのか?どこが議論の対象になっているのか?みたいなことを把握することができるようになります。
実験と学会での議論
そこからがやっと研究活動の始まりなんですけれども、そうやって論文とかを読んでいくと、この先生が言っていることは正しそうだなとか、この先生が言っていることに対しては私はちょっと違う意見があるんだけどな、みたいなことを考えることができますよね。
自分が所属している研究室だったりとか、自分が置かれた立場とかによると思うんですけれども、じゃあ私だったらこれをこうやって証明できそうだな、みたいなことに対して実験とかをするわけですよ。
例えば子どもの抗残病の方だったら、じゃあ実際に子どもを高いところに連れて行って、こういうところを観察して、この論文に書いてあることが正しいのか、それとも私の考えが正しいのかというのを比べてみようとか、そういう実験をするという段階に入るわけですね。
実験をすると、ある程度実験結果というのが得られるわけですよね。
実験結果を持って自分が主張したいこと、疑問を解消したいこと、ということをある程度何らかの答えが出てくるわけですよね。
その出た答えをどうやって取り扱うかというと、自分がやった1個の実験がそれが真実なんてことは全くなくて、他にも同じような実験をしている人がいて、その人は違う結果を持っているかもしれないんですよね。
だから私がやったこの実験の結果はこうだからこれが正しいんです、なんていうのはその段階ではまだまだ全然言えなくて、
次ある段階は何かというと、自分が持っているその結果を持って他の人と議論をするという段階に入るんですよ。
それをする場が学会ですね。
多分今まで論文しか読んでいなくて、論文の何々先生こういうこと言っているわ、B先生はこう言っているわ、みたいな話が自分の中にはあるわけですけれども、実際にA先生とかB先生に会える場が学会発表の場なんです。
だから学会に行って、こんにちは初めまして、どこどこの誰々です、あなたの論文読みました、あなたはこう主張してますよね、こんにちはB先生、あなたはこう主張してますねっていうことを話しながら、私は実はこう思うんですよ、みたいなことを議論できる場が学会の場ですね。
論文審査とエビデンスの信頼性
だから学会発表の場で自分の発表時間が与えられているので、そこで自分はこういう実験をしました、こういう結果が出ました、だから私はこういうふうに考えています、みたいなことを言うとA先生がいやいやそれは違うんじゃない、B先生がいやいやその通りだと思うよとか言いながら議論して、
なんとなく自分の実験の正しさっぽいこととか問題がある点とかもだんだんわかってくるわけですよ。その過程を経て、それでもまだ研究成果にはなっていないんです。ただ議論しただけです。どうやって研究成果になるかというと、論文にまとめます。
今まではA先生が書いていた論文、B先生が書いていた論文を読んできたんですけれども、今度は自分が書く案です。その学会発表とかで議論したことを基に自分が考えていることとか実験結果を論文という形にまとめて世の中に発表すると。
そうすると正式な実験結果として、僕の主張として世の中に出すことができたということになるんですね。それで論文は出せたと。そうすると他の違う研究者も僕の論文を読んで、そういう考えている先生がいるんだなとかそういうことがわかるようになるわけです。
ただ論文を出したからその論文が正しいかというとまだ全然そんな話ではなくて、まず論文を出すというのは出したいから勝手に出せるわけじゃないんですよ。論文というのは科学雑誌というのを話す茶読者というのがいて、その論文のチェックをする人がいるんですね。相当厳しいチェックが入ります。
そのチェックを通らないと論文として掲載されないんですね。チェックのレベルも論文によって結構違って、例えば世界的に有名なネイチャーとかサイエンスと言われているような科学雑誌に出すには相当厳しいチェックをくぐり抜けなきゃいけない。
なので論文に出ている時点である程度の信頼性はある。とはいえまだまだ全然議論の余地があるというか、全然反対のことを当然論文で挙がっていたりするわけです。だから論文で書いてあるから正しいというわけでもない。
じゃあ何が正しいかというと、その論文をいっぱいいっぱい集めた中で大体みんなこういうことを主張しているところは一致しているよね。コンセンサスが得られているよねみたいな部分。それは正しそうだ。それは大体医学の教科書とかに載ってくるものなんですよ。
とか図書館にある本とかに載ってくる。何百何千の論文の中からここに関しては誰もが合ってるよねって言ってそうだよねっていう部分がやっと本になってるんですね。なのでそういう本に書かれているものっていうのは基本的にはその専門家がつまり人類全体が正しいと思っていることということなんですね。
だから一人の人がなんとなく考えて書いた本っていうのと、その科学雑誌に書かれている教科書に書かれている正しそうなことっていうのは正しさの信用性が全く違うんですねっていうところを今日はちょっとお伝えしたくて。
なので今AIとかアタッチっていくらでも情報を得られるんですけれども、そのソースは何なのかっていうのはちゃんと見た方がいいですね。そしてちゃんと科学的なアプローチをとって主張しているエビデンスっていうのはかなり信用性が高いものっていうことをちょっとこの機会にお伝えしたかったなと思います。
ということでね来週はじゃあ実際僕が何の発表したのっていうのもねちょっと話そうかと思いますのでそちらもお聞きください。それではまた次回のヤマドクターの北斗ライフでお会いしましょう。
13:18

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