波乱の幕開け
こんばんは、八重山)LOVERSです。
このチャンネルは、石垣島のみならず、八重山諸島を子よなく愛する夫婦の会話の記録です。
はい。
はい。
久しぶりの収録となりましたね。
久しぶりだね。ちょっと1ヶ月以上経っちゃった。
あ、そんな経ってるか。
経ってると思うよ。
そうか。
トッドキャストウィークエンドが11月の最初の土日だったじゃん。
3日4日だっけ?
うん。
で、それを興奮して録音して。
そっから撮ってないってこと?
いや、だから11月の前半中旬以降、撮ってないんで。
そうか。
何があったかと言いますと、
私の時短勤務が、しおりちゃん3歳のお誕生日とともに時短勤務ができなくなり、
そうだね。
1日プラス2時間の労働時間がかせられたことによる疲労。
疲労ね。
疲労による睡眠。
そっかそっか。もう夜ちょっと起き上がってこれないと。
起き上がってこれないし。
あとなんだろう、気持ち的にマイク試したじゃん。
ポッドキャストウィークエンドで。
で、いいよねってなってさ。
いや、欲しいってなって。
調べ始めたもんね、ちょっとね。
そう。で、これは結局、
あ、皆様お気づきでしょうか。
音質が違うことにお気づきでしょうか。
皆様って誰が聞いてるんだよ。
誰も聞いてない。
後で自分たちで確認かもしれない。
後で自分たちで確認する。
けれども、というわけで、
マイクをね、新しく買ったんですよ。
導入してみたわけですね。
やったー。
素晴らしい。
イエーイ。
で、マイク欲しいねってなって、
マイク買っていいんじゃないかってなってから、
もうマイクが使えるって分かってんのに、
わざわざもうiPhoneで撮りたくなくなっちゃって。
そっかそっか。
できるチャンスは。
撮れなくもなかったよね。
撮れなくもなかったけど、
マイクも組んじゃうみたいな。
そんな感じで、
もうマイクじゃなきゃやだみたいになっちゃって、
そうなっちゃったし、
そうですね、生活の変化もあったりで、
こんな感じになりましたね。
マイクが届いてからもちょっとしばらくできなかったよね。
マイクが届いてからも、
1週間ぐらい全く起きれない日々を過ごして。
でもいろいろあったよ。
マイクが届いたけど、
実はマイクだけじゃダメだったんだ。
マイクだけじゃ撮れねえってなって、
何この機械の名前。
これは何て言えばいいんだろうね。
今回だからズームっていうメーカーの
ポッドキャストマイクパック。
マイクパック?ミックパック?
ミックパック。
マイク。
マイクパック。分かんないけど。
ときにくんが教えてくれたやつ、結局。
これがちょうど。
前回で概要欄に載せてたやつを結局買ったんだよね。
セットがいいしね、何も機材ないから。
で、届いたわーいってなって。
お値段もね、お手頃というか。
そうだよ、シュア。
シュアか。
シュア。
シュアはもうちょい高かったよね。
全部揃えたら20万。
それはちょっと趣味っていうんですかね。
どこまでハマるかまだ何とも言えないところだからね。
1万ちょっとで揃えられたんだけど、
トラックP4っていう中継機じゃない?録音するやつ。
そうだね、マイクとヘッドフォンを接続して録音する機械って言えばいいのかしらね。
SDカードを挿してっていうのがないとできないんだって。
これがあるのが一番お手軽なんだっていうことに。
他のやり方多分あると思うんだけど。
まさに時に君があの時使ってたセットがそのままあるわけなんですけれども。
皆様お気づきでしょうか。
だいぶこの喋ってる感じも本格感あっていいよね。
収録してる感がすごい。
収録してる感あるし、ヘッドフォンつけて喋って。
なんかあのポッドキャストウィークエンドで試したあの感じ。
自分の声を耳で聞くのとか不思議な感じだけどとてもいいね。
さっきちょっと試してやって再生してみたけど、いいじゃんってなったよね。
iPhoneに比べたら。
あとなんか姿勢もちょっと楽っていうかさ、ゆったり話せるね。
iPhoneだとどうしても顔を近づけてちゃんと声が入るようにみたいな。
喋ってる人の方にマイク向けて見たりとかしてたけど、
ちょっと自分のスペースで喋れてるって感じがしますね。
皆さんこうやって喋ってるんでしょうか。
いいね、まあ趣味ですけど、せっかくならね、いい音でやれるといいから。
音質上げたいなって思ってたんで。
そうだね。
ザーっていう音で聞いてるのがいいっていう意見もお友達からはあったりとか、
一概に音質が低いのだけがNOじゃないっていう風に言ってくれた友達もいたりしたけど、
私は結構綺麗な音に憧れてたんで。
すごいよね、この機械。
すごいすごい。
ミュート機能とかついてて、自分が喋らない時はミュートにできるっていうのはすごいよね。
ラジオの収録的な感覚があっていい感じ。
だからみんな耳にこういうのつけてるんだって思うよね。
というわけでちょっとギアを整えてました。
今日は年末でございます。
具体的な日にちはあれこれそれですけど、12月末なので。
2024の振り返り。
はい、振り返りですね。
しましょう。
じゃあなんか。
なんか子供の声が聞こえた気がしたけど、幻聴だったわ。
じゃああれか、2024のスタートからいきます?
いきましょう。
流れで。
そうだね、時間の流れでいく、インパクト重視でいく。
まずちょっと全体としてっていうところで感想を述べてもよろしいですか?
いいですよ、どうぞ。
なんかね、波乱の幕開けからの波乱続きだったなって。
令和6年、2024年は。
って思ってますっていうか感じてます。
なるほど、全体的な感覚ね。
あのね、全く同感ですよ。
今年はすごかった。
ね、すごかったよ。
なんかもう激動。
ここ数年で本当に一番なんか、いろいろあったんじゃない?
なんかとんでもない、とんでもない一年だったなってもう。
じゃあその詳細を振り返りましょう。
そうだね、まずは元旦ですよ。
帰省してまして、私の実家、新潟県に。
元旦にまず地震がありましたね。
大きい地震だったね。
野戸が石川県のところで河心現地で大きい地震があったと思うんですけど、
新潟にいたので揺れたよね。
揺れたね。
震度5とかだったっけ?
今日とかだったかな?
夕方ね、すごい揺れて。
でもアラーム鳴りまくって、って感じでね。
子どもたちもめっちゃびびってたもんね。
びっくりしたね。
で、なんかびっくりしたまま、ニュース見て繰り返し津波から逃げてくださいみたいなアナウンスを繰り返し聞いて、
子どもたち2人はそのまま怖いし、しがみついたまま寝たって感じ。
無言だったよね。
無言で寝たって感じだったよね。
まずそこから始まって。
帰省する、あれ、ゆうくんだっけ、先に戻るって言ってたけど。
2日に帰ろうとしてたけど、電車が。
はい、すいません。
幻聴じゃなくて本当に泣いてました。
そんでね、2日に帰る予定だったけど。
新幹線が運行止めてて、2日は回復しなそうだってところで。
だとか、私と子どもたちで3日に帰るのがちょっと不安っていうのもあって、一緒に帰りましょうってなったんだよね。
そっか、そんで3日に帰ってきたのか。
3日だったっけ。
忘れたけど、ちょっと遅らして、ゆうくんはお友達とのお約束がダメになっちゃってって感じだったよね。
だから年明けからいきなりちょっと。
あとは私たちはあんまり直接関係ないけど、飛行機が燃えたりとか。
ああ、そうだね。
してたよね。
してたしてた。
そんなこともありましたね。
なんかそういう意味でも正月すげえなって感じだったね、今年はね。
家族の試練
なんか今年の始まり、日本の人たちみんな、なんだ、どんな始まりになるんだろうみたいな感じで思ったんじゃないかなと思って。
そんな感じでね、ドキドキ。
幸い家族も友人も無事でまた横浜に戻ってきて、生活をスタートすることができましたが、その後はみーちゃんが病気発覚したね。
そうだね。
猫飼ってた、飼っていたんですけど、私が2012年かな、飼ったね、私が結婚する前に前から飼ってた猫ちゃんが病気になりまして、
11歳、12歳目、拾った猫なんで、誕生日明確じゃないんだけど、満成人不全が分かって、ご飯食べなくなって。
そうだよね。
通院開始。
最初のヒントすごかったもんね。
前に2、3日に1回行ってたけど、ずっとその後も週に2回とか3回は点滴注射をうちに。
人間でいうと人工透析の状態って言う人だったもんね。
人工透析、そうだね。
腎臓がちっちゃくなっちゃって、機能してなくて、ご飯食べなくてめっちゃ痩せちゃったんだよね。
病院行ったら、満成人不全ですって言われて、そんな感じだったね。
そうだね、1月はね。その段階からだから、兄ちゃんの通院にかかる負担というかさ、ヒントも高かった。
そうだね。
結構なっちゃんが頑張ってくれたけどさ。
まだね、仕事が週3日だったよね、あの時は。
月末休みだったし、っていうので月末は連れて行って、土日もどっちか連れて行ってみたいな感じで。
札束に羽が入って、パタパタパタパタって。
保険効かないから。
保険入ってなかったから。
そうだね、そんな感じで通院が始まりましたよ。
子供の事故
それから、3月は、はい、たけるさん骨折ですよ。
そうだね、2度目の骨折。
2度目、3月だからまだ1年生で、1年生の時1回目もやってるからね。
1回目何であれだっけ?
鉄棒から落ちた体操クラブの鉄棒の上を。
上を越えようとして、休憩って、お水飲みに行きましょうってなって、
くぐるんじゃなくて上から行こうとして落ちた、見てないけど私。
のが1回目で、今回3月は学校の上り棒から落下して、
前回1回目はひびだったけど、今回はもうバッキリ。
でっかい骨がバッキリだったからね。
両方左の肘なんだけど、同じようなところをバッキリ折って、
一泊入院手術したね。
そうだね、学校から連絡来てさ、迎えに行った時にさ、
本人のいたがり方がさ、尋常じゃなくて、
これはもう折れてるなって思ったけど、
ゆうくんがお迎え行ってくれたんだよね。
折れてるなって思った以上にさ、状況はひどくてさ、
前の折った時に行った整骨院に連れて行ったけど、
これはお父さん、すぐに大きい病院紹介するから連れてってくれと、
もう緊急で対応が必要だからって言われて、
で、院長先生がさ、電話かけまくってくれて、
家からなるべく近くで、いいお医者さんっていうことでさ、
手当たり色々当たってくれて、病院見つかって、
で、あちゃんも自分が連れてきますって言ってさ、
車で連れてって。
連れてった先も、
今日はもう手術埋まってるからできませんって言われたんだよね。
あれじゃなんか来た意味あったのかなって思ったけど、
レントゲン取ったりとか状況を見てもらったら、
多分優先度が変わったのかな。
これはもうすぐやんなきゃダメだっていう話になったのかなと思って、
なんかそうできませんって言ってたんだけど、
もう夜の9時から手術するんで、
いろいろ書類書いてもらっていいですかって言われてさ。
このさ、放課後の学童の時間におったじゃん。
3時ぐらいじゃん、電話来たの。
6時間痛いまま耐えてたんだって思うとほんとかわいそうだったよね。
マジで胸が張り裂けそうだった。
まずだから迎えに行くのに時間が1時間ぐらいかかってるからさ。
まあなんかいろいろ感じるところはあったけど、
でも自分たちなりに最速でやった結果がそれだったから。
私もなんか気持ちのやり場がなくて、
なんか誰かのせいで会ってくれた方が楽だけど、
完全に自爆だったっていうことだし、自分でもそう言ってるし、
誰かとぶつかったわけでもないし、
でもなんかその学童のせいにできたら楽なのにとか、
例えばね誰かに押されてたらとかさ、
そんなことない方がもちろんいいんだけど、
誰も責めどころがなくて、
手術するのを終わるまで家でしおりんと一緒に待ってたけど、
なんかその気持ちのやり場がなくてっていうのがあって、
その後もなかなかよくなんなかったじゃん。
そろそろよくなってもいいのに指の動きが戻んなくて、
違う病院行って神経の検査したりとかしたじゃん。
それがまたなんかもう繰り返しになるけど気持ちのやり場がなくて、
もっと早く手術してたらこんなにならなかったんじゃないかとか、
なんていうのかな、
学童であんなになってたら救急車呼んでくれればよかったんじゃないかとか、
思ったりしたけど、そうやって勝手にそういうことはできないというか、
その辺も学童の先生に、その辺の対応のね、
医療職の人いないわけだからどういうふうになっているんですか、
とか聞いてちゃんと説明してくださったり、
みんなの整形外科の先生になんかもっと早かったら違ったんでしょうか、
みたいなことを漏らしてしまったこともあったんだけど、
いやもうなんかあれは最善でしたよって言って、
これから何ができるか、たけるくんのが良くなるためにそっちを考えていきましょう、
みたいに言ってもらって、
攻めたかったわけじゃないけど、
なんか自分が抱えてた本当にこれで良かったのかみたいなのを、
関わってくれた人たちに伝えて、
みんなが最善を尽くした結果だったんだって思ってから、
やっと切り替えられた感じがした。
リハビリと家族のサポート
それって何か3月にやってからどのくらい、
多分2ヶ月くらい経ってたかもしれない。
忘れちゃった。
なんかその、じゃあもう治療っていうかさ、
どうやったら良くなるかに気持ち、よし切り替えるかって思えたのは、
1ヶ月以上経ってたかもしれないな。
そうだね。
そうしてさ、4月の26日とかにギブスを外したんだよ。
で、その時はまだ手が変形してないっていうか、
まだ良かったんだけど、
なんか時が経つにつれて変な手の形になってってさ、
そうだったね。
あれって思ってさ、
全然なんかその痺れがあるとかっていう話を。
痺れも全然取れなかったよね。
これもしかしたら麻痺残っちゃうのかなって思って、
そういうちょっとやっぱりもっと早く何とかできなかったのかなとかさ。
手術してくれた先生もさ、
綺麗に神経ちゃんと癒着とかさせて、
やったんですよねって言ってくれて、
いろんな検査もしてくれてさ、
おかしいなって言っててさ、
そういう経過もあって、
手の整形医科の専門医がいるからって言ってさ、
教えてくれて、連絡取ってくれて、
定員っていうかね。
一回そっちで見てもらってくれって言ってさ。
言ったよね。
そこでさ、なんか別にリハビリで特殊なことをしたとか、
そういうことじゃないんだけど、
その先生が見てくれて、
でもこれならリハビリしていけばよくなると思いますってさ、
言ってくれて、
なんかそれでちょっと希望を持てた感じ。
そうだね。
その頃からまた急に回復していった感じもあったよね。
そうだね。
だから3月大怪我して、
一泊入院、全身麻酔手術して、
まさかの初めてのお泊り病院だったみたいな、
一人でのお泊り。
本人さん迎えに行ったら、
入院悪くねえなみたいな、
ゆっくり漫画読めんなみたいな感じだったけど。
でもやっぱね、あれだよね、
俺がさ、
突き沿ったっていうかさ、
寝る前最後さ、バイバイって言ってさ、
全然本人、朝も大丈夫そうにしてたけど、
泣いてない?泣かなかった?
泣かなかった。
すごいなって思ったけど、やっぱママの顔見て、
泣き出したから、
急に口角下がって。
安心したんですね。
結局それでさ、
なんか長くなっちゃったけど、
タケルの骨折は半年以上さ、
次に時間かかって、
ようやく終わったからね。
9月までさ、
週に平日のさ、
リハビリ夕方連れてくるさ、
で、プラスみーちゃんでしょ、
なんかもうどうやって生きてたか、
全く思い出せないんだけど。
前半はだからみーちゃんも会わせてたってよね。
みーちゃんのツイート、タケルのツイート。
そう。
そうなんだよね。
まあだから、
4月から私週4勤務になったけど、
週3の時はまだちょっと回せてた感ある。
いやでもタケルは怪我したばっかだから、
わかんない、もう覚えてないわ。
でもまあ4月になったら、
そうやって仕事もして、
4月になったら、
そうやって仕事も増えて、
みたいな感じだった。
でもお互いなんとかだから、
仕事都合つく時にさ、
そうだよね。
ローテーション回してさ、
ローテーションフォーメーション組んで、
今日は誰がどっちに行くんだみたいな、
誰がどうするって。
土日もね、もちろん、
みーちゃんに使ったりとかしてたけど。
でもタケルはそうだね、
ティーブス取れるまで夜中とかさ、
全然もう泣かなかったのにさ、
夜泣きとかしてたよね。
寝返り多分うまく打てなかったりさ、
苦しそうに腕ブンブンして、
フィーンとかやって泣いてたから、
かわいそうだったけど、
よく頑張ったよね。
結果的にさ、
感知したから。
今はすっかりよくなりましたが、
9月までリハビリやりましたね。
4月はそんな感じで、
新年度始まったりね。
終了、そんな状態で。
そうだね、
なっちゃんはだから大きな変化が
仕事である中で、
大変だったね。
まだでも時短できてたから。
あとね、
個人的には、
小学校のPTAの本部役員にも、
なっちゃいました。
いろいろ言い忘れちゃった。
ちょっとミスってなっちゃった。
みーちゃんとの思い出
はい、
4月やって、
5月も、
回し続けて、
そして、
9月ね、
みーちゃんが、
お空に旅立ちました。
みーちゃんも頑張りましたね。
みーちゃん頑張ったね。
医者大っ嫌いなのにね。
毎回毎回、
飼い主に噛みつくぐらいの勢いで。
シャーシャー言ってた。
シャーシャー怒って。
頑張ってたね。
タケルの頑張りと、
みーちゃんの頑張りを思うと、
泣けてきますね。
そうだね、
みーちゃんの話を聞いて、
最後のね、
お話聞いた時は、
最後の話とは?
全然さ、
泣かないしさ、
私に言うような話。
なんかすごいなぁと思って。
みーちゃんね、
最後1週間ぐらいは寝っぱなしだったもんね。
食べれないし、
飲まないし、
食べない飲まないってなって、
体重も減ってくだけだけど、
一応、
病院には連れてって、
だったけど、
そう、みーちゃん、
じゃあ、
明日からねって言って、
バイバイって言って、
私としおりんが出ようとしたら、
にゃーにゃーにゃーって、
3回、
3,4回にゃーにゃーにゃーって、
泣いて、
大きい声で、
泣き声も出ないから、
えーどうしたの?
とか言って、
振り返ったら、
目一点集中で、
なんかもう、
はぁはぁしてて、
あ、もう死ぬんだって思って、
そのまま、
見守って、
いやでも、
見とれてよかったよね。
みーちゃんとの別れ
家帰ってきてさ、死んでたっていうよりはさ、
そうだね、家帰って、
たけるが先に帰ってきた日に、
みーちゃん死んでることもあるかもしんないよとかさ、
言ってたけど、
びっくりしないでねとか言って、
まあびっくりするんだろうけど、
そういうこともあるかもとか言ってたけど、
ちゃんとだから、
じゃあ行くからねって言ったのが、
分かってくれたんだなと思ってさ、
あんなに泣かなかったら、
振り返んなかったし、
そうか、
そうだよね、
じゃあ行ってくるね、バイバイとか言って、
言ったら、
元気だった時の、
全力のご飯くれみたいな声で、
泣いて、
それで、え?とか言って振り返ったら、
そんな感じの顔と呼吸だったんで、
何を言ってたか分かんないけどさ、
もう行くよって、
もう最後だよって感じだったのかな、
ありがとうって言ったのかさ、
分かんないけどさ、
すごいよね、
飼い主との絆っていうか、
やっぱなっちゃんとの絆って感じが、
感じたなと思って、
みーちゃん、
みーちゃんはね、
私が一番辛い時期に、
20代の、
中盤から後半の時に、
一緒にいてくれた子だったんで、
そうだね、みーちゃんが若い頃は、
よく遊んだな、
走れてた頃さ、
ね、
まあ、おしゃべりな、
いい子でしたよね、
かわいい子でしたね、
あの、タケルが生まれるまではさ、
我が家の主役っていう感じだった、
主役張ってたけどね、
子供が生まれてからは、
生まれるたんびにどんどん、
完全にモブ化して、
それか子供のおもちゃになって、
引っ越しも経験したりさ、
そうだね、
いろんな子供たちの友達に、
構われてシャシャ怒ってたりとかね、
してましたけど、
はい、
みーちゃんにはたくさん笑わせてもらったり、
癒しをいただいたり、
してました、
はい、
それが6月の、
13?
だっけ、
週末に、
地元の、
私の実家の方のお祭りに帰省する予定だったから、
そのちょっと前か、
それ行ってる間に帰ってきて、
死んでるかもとかさ、
思ったけど、
ちゃんとお別れをしてくれて、
石垣島もね、
シッターさんとか頼まずに、
だから行けちゃったっていうかね、
一応頼む予定にしてたんだよね、
そうだったと思う、
連絡取ってたんだもんね、
いつもだいたい帰省とかさ、
旅行から帰ってくるとさ、
みーちゃんがすごい文句を言って、
にゃーにゃー言ってるところから、
はいはいただいま、
みたいな感じだったり、
散らばった毛を掃除機で
吸うところからだったけど、
ね、
あ、みーちゃんいないんだって思って、
もちろん病院行かなくなってさ、
お金がかからないとか、
手間がかかんないとか、
時間ができたとか、
あるけどやっぱり、
寂しい部分はね、
あるよね、
そうだよね、
まあそんな感じで、
みーちゃんお空へ旅立ちました、
家族との旅行
旅立ちしてしまったと、
30分経ったけど、
一回この辺で、
まあいいんじゃないの、
どう?
どうする?いいんじゃない?
だらだら、
だらだら行く?
ちょっと子供とみーちゃんの話がさ、
ちょっと長く、
まあそれくらいインパクトあったんですよね、
思いがさ、あるけど、
あとはそんなでも、
ここからまあ激動な感じ、
激動感というか、
うん、
物理的に大変だったの
こんぐらいじゃない?
そうだね、そっか、
子供とペットの大けがと、
命の終わりは大きすぎるから、
そうだね、
特に上半期がすごかった、
上半期がすごかったってことなのかな、
うん、
ただそんな中でも、
石垣島への旅行は、
はいはい、
行ったと、
お友達の家族と一緒に行ってね、
そうだそうだ、
楽しかったよね、
それはまたペット振り返りの会話、
ありますかね、
まあ無事今年も恒例で行けて、
違ったのは友達家族と、
割と2回、3回ぐらい向こうで、
一緒に泳いだり、
ご飯食べたり、
できたなっていうのが良かったよね、
あそこまで何か日程かぶせて、
うん、
過ごせたのでさ、
結婚式とか、
あ、宮古島ででもあれか、
なっちゃんの友達と、
あ、そうだね、そういうこともあったね、
確かに一緒にツアー行ったりとかね、
うんうん、
久しぶりだったよね、
ああいう感じ、楽しかったよね、
うん、楽しかった、
はい、
そんな感じですね、
私のその後は、
その後の私のメモは、
8月は2015年ぶりに、
私一人で外泊をした、
っていうことが書いてある、
おー、
京都行って、
学会で行って、
で、
親も合わせて来て、
学会の隙間に一緒に、
観光したりして、
うんうん、
大人になってからする旅行、
めっちゃ楽しい、
大人になってから行く京都最高ってなった、
っていう話かな、
そうか、
何かあります、8月とか、
8月はでもそれじゃない、イベント的には、
うん、
すごいなんかね、リフレッシュできた感じでさ、
すっごい楽しかったって、
なんか誕生日プレゼントとかいらないから、
旅行行かして、
みたいな感じで言った気がする、
1日1泊2日を私にくれ、
みたいな、
そういう感じで、
思ったね、
物はいらんみたいな、
そっかそっか、
まあ俺はちょっとね、
その間実家に帰らせていただいたわけなんだけど、
資源使いやがった、
ちょっと頼っちゃったよね、
いいんじゃない、
そうだね、
しおりんがね、
まだちっちゃいからさ、
夜大丈夫かなという不安は少なからず、
あったので、
まあでもそれもね、
全然大丈夫だったね、
結果的には、
しおちゃんも大丈夫です、寝れますから、
さっき泣いてたけど、
まあでも誰か横にいればね、
またやって寝れるわけだし、
なんかだから、
あれのおかげでさ、
ちょっとだから片親が、
夜もういなくても、
なんとかなんじゃねっていうのがさ、
確立されたというか、
立証されたというか、
父親がいないパターンはね、
全然あったんだけど、
寝る時間までにいないってパターンはね、
母親不在、
っていうのが、
いいんじゃないですか、
そんな感じで、
あとはね、
11月に、
11月に、
さっきも言ったけど、
時短勤務終わって、
プラス1日2時間の
勤務時間が増え、
ともない、
朝7時半に保育園に送り、
6時半にお迎えに行くっていう、
新たな我が家のフォーメーションが
スタートしたわけですね。
スタートしました、はい。
で、
12月は、
しおりんが保育園
卒園して、
満3歳児で、
幼稚園に入ったり、
とか、
慣れ親しんだ保育園を、
卒園して、
でもまあ、慣れてきたよね。
タケルも行ってた、
幼稚園、一番家から近い、
そして環境も先生も、
教育方針も、
大好きな、
私が、
幼稚園に入って、
とにかく、
動物がいっぱいいて、
敷地が広くて、
アスレチックがあって、
お勉強ごとを一切しない、
とにかく、
野生児になれる、
のびのびと、
でも本当にその子の個性をさ、
尊重してくれる、
園だから、本当にいいなって思うし、
環境もいいし、
生き物もいいし、
大好きでございますので、
はい。
無効3年間。
無効3年間、また子が始まりました、
って感じかな。
個人的には結構、
スプリングの活動で、
新たな挑戦と成長
結構、
新しい挑戦をしたりとか、
あんまり、
自分の仕事と関係ないパートを
喋る練習になった。
法律のこととか、
あんまり専門じゃないけど、
話すのを挑戦できたな、
とか、
9月とか。
12月はまだ形になってないけど、
仕事の、
結構自分の中では
一世一代間の仕事、
3月くらいの形になるのかな、
って思うけど、
それも挑んだな、
って感じがするし、
目まぐるしかったですね。
なんかすごかったわ。
あと何かありますか、
個人的な。
個人的にはね、
石垣島の後に、
キャンプ、
何回か、
行きましたけど、
今年はね、結構、
雨に悩まされたな、
と思ってさ。
今年は雨キャンだったね。
とにもかくにも。
石垣島一緒に行った、
ご家族と最初に行って、
あれ何月だっけ?
あれ9月。
雨キャンでしたね。
割とまあまあ強めに降ってたね。
まあまあ強めに降ってたね。
10月、
うちの、
これ配信したよね。
過去一過酷だったって言って、
でも後半はなんか、
感謝と多幸感でいっぱいの
エンディングになってた気がするんだけど。
2日目良かったからね。
そうだね。
雨キャンでしたね。
これもそう、
おじキャン、11月。
友人たちとの振り返り
おじキャンも振り返ってるよね。
おじキャンの回あるよ。
おじキャンは、
さっきのさ、8月に、
なっちゃんが一泊した、
っていうのと同じで、
俺も、
あれ俺だけ一泊って他であったっけ?
いや、あの、
死より生まれる前だけど、
一人で沖縄行ったりとか、
なんか知ってたんじゃない?
家族でキャンプ行ったりとか、
なんか、
そうだね、そういう機会はあったんじゃない?
でもまあ、死より生まれてから
多分なかったからね。
なんか久しぶりに、
高校の友達とね、
新鮮で。
しかもみんなで行くの初めてなんでしょ?
あのメンツでキャンプ。
結構そこもリフレッシュして
帰ってきたよね。楽しかったって言って。
良かったじゃん。
なんかお互いいい発見というか、
新しい過ごし方が。
俺はそのくらいかな。
前半はだから、
結構気持ち的にきつい、
家族の
辛さを
抱えながら、
物理的にもきつい
感じだったけど、
その後はバタバタしたけど、
いろんな新しいことが
あったりとか。
この間も言ったけど、
寒くなってきて、
みーちゃんのいない生活にも
残念ながら慣れてきた部分は
あって、
みーちゃんいないときは、
いなくなったばっかりのときってさ、
みーちゃんがいた場所に
自然と目が行ってたんだよね。
みーちゃんどこかなって。
目線が探すっていうかさ、
ここにいない、ここにいないって。
別に今いたときも
声かけたりとかしてた。
あんまりしてたわけじゃないけど、
ふとさ、なんかキッチンに立って、
キャットウォークのところ
見たりとか、
みーちゃんのお布団のところ見たりとか、
どこにいるかなって探してたんだなって
思ったけど、どこにもいないんだみたいな
話したことあったと思うんだけど、
そんなことも多分自然と
しなくなってたんだけど、
寒くなってきたよ、
最近。
みーちゃんが寒くなってくると、
お布団に入ってきて、
あ、冬だなって思って、
あったかいなって思ってたけど、
今年は寒くなってきたけど、
あ、みーちゃん入ってこないなとか、
みーちゃんと一緒に寝たいなとか
思ったりして、
またみーちゃん不在を
夏、秋、
夏ぶりぐらいにまた実感して、
みーちゃんのいない冬をね、
初めてなんだなって
思いました。
2024年の思い出
あとはあれだな、
ポッドキャストが新しい趣味になった。
そっかそっか。
後半か。
SNSの、なんだっけ、
プロフィールのところは、
バスケとコスメが好きです
って書いてあったんだけど、
バスケとコスメとポッドキャストが好きですって。
付け加えられた。
付け加えられた。
新しい趣味になったな。
やっぱ苦しかったね。
なんだろう。
よく頑張りましたって感じ。
でも辛いだけじゃなくて、
辛いとか
しんどいとか、
不幸な一年って感じではなくて、
とにかく、
激しかった。
激動だった。
そうだよね。
っていう感じだよね。
激しい波に乗っかったみたいな。
そうだね。
みーちゃんの病気も、
タケルの骨折も、
なきゃない方が良かったけど、
もちろんそうだね。
良かったけど、
自然の摂理というか、
タケルの骨折はまた違うけど、
みーちゃんはもう、
自然の摂理で終わったのかなと思うと、
ちゃんと、
天に召されて、
遅れたし。
そうだね。
タケルも結果的に、
ちゃんと感知できて、
振り返って、
本当に激動だったけど、
嫌な一年だったなという風には、
思わない。
そうだね、同感です。
はい。
というわけで、
よく頑張りました。
お疲れ様でしたって感じ?
お疲れ様でした。
そうだね。
俺も仕事をさ、
今年大きな制度改正があったからさ、
そういうのも大変だったなって、
今ちょっとふと思った。
忙しい時期あったね、秋。
全然帰ってこなかったもんね。
9月、10月か。
が一番忙しかったな。
10月が一番忙しかったな。
夜9時以降とか、
なってたよね。
そうだね、遅いとこでね。
まあでも、
頑張りました。
2025年の抱負は、
まだ考えられません。
まあいいんじゃない?
こんな感じで、
楽しくやっていきましょうって感じですね。
とりあえず振り返りなんで、
ダラダラ喋って、
二人ごとがこんな時間になってしまいました。
はい。
こんな感じで、終わりでよろしいですか?
大丈夫です。
友達とかの2024年も、
振り返りも聞きたいね。
そうだね、聞いてみたいですね。
聞いてみたいけど、
子供にも聞いてみたいです。
確かに、そうだね、聞いてみよう。
はい、じゃあそんなところで、
今日はおしまいです。
はい、じゃあまたねー。
またねー。