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Yahoo! の音色
みなさん、こんばんは。レッドチャンネル21時からは、Yahoo! の音色をお送りいたします。 オープニングの曲は、Yahoo! のオリジナル曲で、私のブルーという曲をお聴きいただきながらお送りしております。
私自身は、Yahoo! と申しまして、蜂に風と書いてYahoo! と申します。皆様、これから30分間どうぞお付き合い下さいませ。
この番組は、ご縁・応援・貢献をテーマに、夢ある番組をお届けする、ゆめのたね放送局沖縄スタジオからお送りいたします。
こんばんは。改めまして、11月7日に夢の種のラジオのパーソナリティデビューをしました。 シンガーソングライターのYahoo! と申します。
第1回目に簡単にご紹介をさせていただいたんですけれども、もう一度お話しさせていただきますと、出身は京都で、今沖縄に住んでおりまして、5歳の男の子を育てながらシンガーソングライターをしております。
今、沖縄に住んでいるので、いろんな日常生活の築きとか、皆様にいろんな音楽をお届けできればなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
1回目に言ってたのは、夢の種放送局でオリジナル曲をたくさんの人に広めていきたいという思いがございますので、ぜひいろんなところで聴いてもらえるように、いろんな繋がりを持っていけたらなと思っております。
本日は何をお話ししようかなと思ってずっと考えてたんですけど、私のどういう音楽史を歩んできたのかっていうところのお話を、少し細かくしていきたいなと思っておりますので、皆様、飽きずに聴いていただければなと思っております。
最初はですね、私ずっとエレクトーンをやっておりました。3歳の時に、実はヤマハの用事コースみたいなのに入れられて、入れられてって言ったら怒られますが、入れてもらって、3歳なのでタンバリン叩いたりとかガスタネット叩いたりとか、そんな状態で行ったんですけど、小学校くらいからちょっと本格的にと言いますか、
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コンクールに出る出ない、そしてピアノを選ぶのか、エレクトーンを選ぶのか、みたいな分岐点がやってきて、私はエレクトーンを選び、そしてコンクールに出るという道を選びましたと。
小学校2年生か3年生くらいから、毎年のようにコンクールに出てたんですね。
学譜を書いたりとか、もちろんちっちゃい時は学譜を書いたりとかできなかったんですけど、小学校高学年くらいになってからは学譜を書いたりとか、あとエレクトーンは音を作ったりとか、あと練習したりとか、そういうのをやっておりました。
今日ちょっとね、子供が一緒に来てまして、声が入っちゃってるかもしれませんが、すみません。
喉が渇いた、ちょっとどこかに行って飲んでくれるかな。
ちょっと待ってくださいね。あともう少ししたら終わりますので。
って言いながらなかなか終わらないのが大人の事情なんですけどね。
年学譜を書いたり音作りとか、あと練習をしたりしてて、一つの曲ができるのに大体本当に3ヶ月とかそれくらいかかってて、結構1ヶ月は学譜書いて、1ヶ月は音作りして、1ヶ月は練習してみたいな感じのサイクルをもう毎年毎年繰り返してたっていうような感じで、
たまに発表会とかがあると、その後の3ヶ月は発表会につぶれたりとかっていう生活が続いていたんですけれども、
なんかその中でもちょっと象徴的なエピソードというかあったかなと思って自分の中でいろいろ考えてみました。
小学校の時に私、先生の学芸会かなんかのエンディングで、どうしても松田聖子のルリーロの地球を歌いたいんだよねって言って、
なんか言われて、でもその時は私ピアノしてなかったから、なんかピアノで弾けるかなとかって言ってたんですけど、学譜見たらもうシャープが4つくらいついてて、
これはちゃんと練習しないといけないなっていうので、ちょっとね母が思い切って奮発してその当時のクラビノーヴァを買ってくれて、
家にはエレクトーンとクラビノーヴァが2台並んでいるみたいな感じの環境でした。
ルリーロの地球を無事というか、なんとか練習しまくってやり終えて、学習発表会乗り切ったんだけど、その後そのピアノどうするのっていう感じだったんだけど、
結局私はエレクトーンの先生にもピアノを持っていることはあまり言えなくて、ピアノを家でしてるっていうのもあんまり言えなかったんですよね。
なんで言えなかったのかわかんないけど、やっぱり私はエレクトーン一筋でやってますみたいな、そういうガツポーズみたいなのは取り続けてたんだよなっていうのはすごく思いました。
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だけど、家で全然ピアノを弾いてなかったかって言われると、そうじゃなくて、当時エレクトーンとかピアノっていう雑誌があって、そこのエレクトーンっていう雑誌の後ろのページの方にピアノのポピュラーの楽譜が載ってて、それをすごい楽しみにして発売を待ってたみたいなのがあって、
そこにたまたまTスクエアの泉寛さんっていう方が作曲された、サガっていう曲が載ってて、その曲がもう私の中でビビビどころじゃない、松田聖子以上にビビリときた曲だったんですよね、サガっていう曲が。
この間それはね、ワンマンライブを9月に開かせていただいて、その時にも披露した曲ではあるんですけど、自分の中ですごい思い入れがあって、その曲ばっかり練習してたなと思って。
それの何が好きかっていうと、やっぱり和音だったりとかメロディーだったりとか、なんか私にはない価値観というかのメロディーとか、そういうのがあったんで、すごいなこの人って思ってたんですよ。
でもなんかよくよく見てみたら、エレクトーンのその練習の用のソルフェージュとかっていうのがあるんですけど、それに載ってたりはしたんですよね。でもそれを練習曲になるっていうのがあんまなくて、当時先生はそのクラシックオンリーっていうか、なんかあんまりポピュラーが好きな先生ではなかったのかなーっていう感じで、
この練習曲に選ばれるのはよりクラシックに近いものみたいなのが選ばれてて、家でちょっと遊びで弾くみたいなのが多かったかなーって思います。今思ったらね、あのオーメンズオブラブとかそういう曲とかも入ってたんだけど、でも家で聴くだけみたいな、そんな感じでやってましたね。
で、まああの時を経てというか、小学校時代はそんな感じで、中学校の時もドボルザークの曲とか、そういう曲を弾いたりとか、ベートーベンとかね、そういうのを弾いたりとか、それをスコアって言って、オーケストラのスコアの楽譜からエレクトーン用の弾くやつに直してって、みたいなことをずっとやってたんですね。
で、高校生くらいの時に、あのドビュッシーのね、祭りっていう、めちゃくちゃ難しい、今さっき自分でこの夢なたね、この放送する前に、ちょっと自分でyoutubeで聴いてみたんですけど、難しい曲やなーって思いながら、そう聴いてて、それでね、ようやく関西大会っていうところに行って、でもそこではですね、もう私の大っ嫌いな即興演奏というのがありまして、
それはね、50曲くらいの、なんか元の曲があって、そこから本番にね、3曲くらい選ばれて、で、その3曲のうちどの1曲でもいいから即興演奏してねっていうやつなんですけど、
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そもそも私試験勉強があんまり好きじゃなくて、用意とかもあんまり好きじゃなくて、先生にめちゃくちゃ怒られながら、あの50曲、まあ50曲全部ができたわけじゃないんですけど、もう目星をつけて20曲30曲ぐらいは即興演奏の練習っていうか、そういうのもね、もう夏休み返上でやってみたいな。
でも結局奇跡的に私の、なんか私本当に即興演奏が下手くそでできなかったんだけど、でも奇跡が起こったのは、私が一番好きな即興の曲が課題曲って出て、先生はあれでもう一安心だったと思う。
本当に奇跡起こって、これはいけるかもしれないみたいな、なったけど上には上がいてっていう話で、私のコンクール人生っていうのはその辺でちょっと停滞したなーみたいな感じではあるんですけど、一応大学生になってもずっとコンクールは出てて、なんか頑張ってたなーみたいな今考えたらね。
でも全然なんか音題に行けたわけでもないし、音楽の先生になれたとかでもないから、親には相当お金を突き込んでもらったのに、なんかなかなか音楽で花開いたみたいなのがない人生だったなってすごい思ってたなーみたいな、っていうのをちょっと思い出しました。
高校生の時にそんな厳しいコンクールを経て、たまたまマッキーがすごい好きで、私マッキーのコード進行とかもすごく好きで、メロディーとか、歌詞ももちろんなんですけど、私なんか歌詞を今まで読んできたことがない人生で、ずっと音ばっかり追ってたような人生だったので、なんかその当時はマッキーのこの音が好きだなーって聞いてたんですけど、
リッスントゥミュージック2っていうアルバムがあって、そこにご飯ができたよっていう柳巻子さんの曲があったんですよ。
でもこの曲何?って思って、これはマッキーの曲だ、誰の曲な?みたいな感じで思って調べ始めたら、あの柳巻子さんっていう方の曲だったっていうので、そこから柳巻子さんの曲をめちゃくちゃ聞くようになってみたいな経緯があって、私は柳巻子さんすごい尊敬してます。
ご飯ができたよだけじゃなくて、もういろんな曲があるのでどれって言い切れないんだけど、最近でも紅白に出場されてたりとか、後、私の大好きなジャズピアニストの上原ひろみさんとコラボされてたりとかっていう、
70代になっても若い人といろんな人とコラボされてたりとか、ミーシャとかともコラボされてたりとかして、すごいなーって思いながら、でもやっぱり日々の気づきとか、小さい気づきなんだけど、それをどう歌詞に膨らましていくかみたいなところをすごい勉強になるなーと思って、ことあるごとにいろんな勉強させていただいてます。
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結局ね、クラシックばっかやってて、ポピュラー弾きてーみたいな、そういうのがすごい思いが強かったんだけど、結局それを先生とかにも言い出せず、一緒にやってた仲間にも言い出せず、結局22歳くらいの時に放り投げてしまったみたいなのが実情であるので、
そこからどういう風にしてやっていくかというか、こういう音楽をやるとか、バーソナリティーになるところまでっていうのが後半に続きますので、一旦ジングル挟んでいただきたいなと思います。
はい、ちょっと後半のヤフーに行きたいと思うんですけれども、そんなこんながあって、20代、30代ですね、もう音楽やりたくない。音楽真剣にやってる人見たらちょっと無理みたいな感じの時期がすごい長くて、
カラオケ行っても楽しいけど、そんなそこまでなんか、みたいな感じでシャーに構えてたりとかする時期もあって、仕事自体はもういろんな業界ちょっと点々としちゃって、営業のお仕事っていうのは一貫してたんですけど、でも結局どの会社にもあまりなじめなかったみたいなのはありまして、3年くらいいたら別の会社行ってみたいな感じの人生を送ってたんですね。
でもその中でもやっぱり、話すことは好きだなとか、そういうのは思ってたんですけど、なかなかラジオとかに出会う機会もめちゃくちゃ忙しくてなくて、結婚して子供を育てながらラジオに出会ってみたいな感じではあったので、
今こういうふうに話してるのが嘘みたいな感じでもあるんですけど、そこから私がどう立ち直っていくかというか、音楽に立ち向かっていくかっていうところをちょっと言いたいなというので、実は私は2020年に子供を産んで、超コロナか。
2020年の8月といったらコロナが今始まったぞみたいな時期で、もう病院閉鎖というか、旦那も入れない、親族も無理みたいな、もう一人で全部やってみたいな感じの時期に出産をして、同期の、同期のって大変ですけど、同じ年のお母さんと知り合う機会も全然なくて、
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保育園とか行っても、まあ送迎ぐらいだし、そんななんか話し込むとか全然なかったから、なんかこう、お友達作りにノートを始めたっていうか、なんかまあ、実は2021年くらいに登録してるんですけど、
でもその間ね、もう子供が0歳1歳とかだったから、全然何もできなくて放置してたんですけど、ちょうど2歳くらいになるタイミングで、ちょっと始めてみようって始めて、見たのがノートのブログだったんですね。
で、その企画で、そもそも私が絵本の読み聞かせをしてる時に、なんかポツポツとかキラキラとか、そういう短いセンテンスのやつがあって、それをこう、ちょっと音楽に聞こえた時期があったんですよ。
で、絵本からインスピレーションを受けて、それをちょっとアンパンマンキーボードで弾いてみようみたいな、自分でそれはまあマガジンにしたりとかしてやってたんですけど、なんかそんな混乱してるうちにノートの仲間が、なんかね沖縄の曲でみんなで一緒にやろうみたいな取り組みがあったので、それにちょっと参加させていただいて、その時にキーボードでね、弾いたりとかしてたら、なんかまだ弾けるかもしれないって思い始めて、
それからね、いろいろまあ、いろんな媒体で音楽してる人が見たりとかして、ああいいなーとか思うようになったんですけど、たまたまね、しゅがわさんとインスタで出会って、
あの、なんだろうな、なんかね、今まで歌を上手いねとか綺麗な声だねって言われたことがあっても、やっぱ心の琴線に触れるような声とか、そういうのを出したことがない人は是非、あの私の体験レッスン来てみたいな感じで書いてあって、なんだなこれみたいな感じで、最初すごいなんか信用せずに、なまま言って、でまあいろいろ話を聞いてたら、うーんみたいな。
で、で自分の歌い方が、その時はマッキーのね、あの僕の一番欲しかったものっていう曲を歌ったんですけど、なんかそれをいろんな想像しながら、こう言ってくれてたら、なんか全然違う歌を歌ってるような気持ちになって、でまあ自分自身が涙を流せたんですよ、その時に。
この曲を歌って、まあ涙なんか出したことはなかったし、とにかくここの音をどうやって当てるんだ、みたいなことしか考えてなかったんだけど、まあそういうのがあって、でそれからまあなんかいろいろラジオの企画とかなんだとかで、曲を作る機会に恵まれまして、であの結果、えっとまあ、えっとママと歩く道っていう曲かな、が一番最初にできて、で繋がりの日々っていう曲ができて、
でその後にさっきあのオープニング曲で聴いていただいた私のブルーっていう曲ができたりとかして、なんかどんどんどんどんその自分の日々の出来事とか、日々の感情とかがこんなしてこう音楽になってくんだなぁみたいな、でまあ一番最初にそのシュガーさんに言われてすごい印象的だったのが、私も音楽めっちゃ黒歴史なんで、みたいなことを言ってたんですよ。
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でもなんかあのいや黒歴史じゃないよみたいな、あなたの財産だからそれちゃんと生かさないとダメだよみたいな話をされて、えー財産だと全然思ってないみたいな、もう逃げてしまったから黒歴史でしかないみたいな感じだったんだけど、まあそれから本当にあのなんていうかなちょっと立ち直ってきたっていうか、そんな感じでやってました。
でまあシュガーさんその音楽を作ってる時に思うことは、なんかまあ何でも日々のことって音楽にできるんだなっていう学びというか、まあ子供とそのね遊んでる時とか、もう昨日もあったんですけどそういえばあのなんかタコさんのね風船をなんかピエロみたいな格好してるお姉さんに作ってもらって、でなんかあの持って帰ってきたんですけど、
まあそれ名前つけたらみたいな話を言ってたら息子がじゃあつけようって言って、マヘリっていう名前がいいって言ってたから。マヘリって何ってお前ら。
でもあの本当それだけでもマヘリっていう曲が作れそうなくらい、なんかそういう日々のちっちゃい気づきが、ちっちゃい気づきと感情が無駄じゃないんだなっていうことが、まあ音楽を通じてなんですけど、それすごい感じたなぁみたいな感じかな。
なんかすごいそこが一番あって、ちょっとまた次の月とかになるかもしれないんですけど、次の月っていうか来年くらいかなわかんないけど、あの6月23日ねあの慰霊の日っていうのが沖縄にはあって、でそれのための曲も私の旦那のお父さんとのエピソードでできた曲で、
そのエピソードも多分なんか作ろうと思って作ったわけじゃなくて、もしもう戦争経験されてる方が少なくなってるじゃないですか、その中でそういう方たちが亡くなった時に、なんか何もない状態だったら困るじゃんみたいな。
その時にちゃんと曲として残して、まあ本人の声というか、本人の声が入ってるわけじゃないですけど、本人のエピソードが盛り込んでる曲があったら後世に受け継がれるんじゃないかなっていうのもあって作ったりしてるので、なんか日々の気づきが音楽作るっていうことに繋がるんだなぁみたいな感じがすごい受けました。
だから結構その人との出会いで人生が変わるとかっていう話をよく聞くんですけど、まさに去年はね本当にスタイル風でいろんな人と出会って、でもシュガーさんとも出会って、でこうして夢の種の放送局のパーソナリティもできてみたいなことで考えると、やっぱり動いて出会ってなんか人生を変えていこうみたいなのはすごい自分の人生に合ってるんだなっていう風に今は。
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思ってます。
ちょっとね、じゃあどうなんでしょう。
まだもうちょっと話しても大丈夫なんですかね。
今ね、いろんな曲を作ってまして、沖縄の曲も数曲、なんか自分の頭にはあるんだけど、ちょっとまだまとめきれてはないから、来年、来年じゃないな今年中かな、ぜひ形にはしたいと思ってるんですけど、全然予定が立ってなくて。
びっくりするぐらい行き当たりばったりの人生を歩いているので、ちょっとね、いつまでに何をやるかっていうのはちゃんと決めないといけないなと思いながら、日々過ごしてます。
あとは、コロムっていうところで、実は9月にオンラインライブをしまして、その時もこういう自分の音楽誌っていうのを話しながら歌いながらっていうのを2時間ね、やったんですけど。
その時にもね、なんか、何だろう、段取りの悪さがすごくて、それがいいって言ってくれる人もいるけど、このままではいけないなっていうのもあるので、ちょっとずつね、自分の世界観をたくさん出していけたらいいなとは思っているので、なんかそんな感じでやっていきたいなとは思っています。
っていう感じで、まだまだ余ってますか、時間は。
あと8分あるみたいです。
どうしようかな、ちょっとね、
今日言い切りたいことは全部言い切りました、でも。
だからなんだよって感じなんですけど。
私のやってる、毎朝ね、スタンドFMっていうラジオやってて、それが7時から7時半くらいでやってるんですけど、今ね、ちょっと、11月はどうしてるかわかんないですけど。
ポコチャっていうね、アプリもあって、そこと2限中継やってるんですけど、なんかちょっと今日は全然うまくいかなかったから、これが11月まで続いてるかわからないんですけど、一旦スタイフはずっと毎朝7時、7時半はやってるので、
もしね、夕方とか、ちょっとなんだろうな、
夕方じゃない、朝起きて、ちょっと私のラジオをルーティンで入れてくださる方がいらっしゃれば、ぜひ聞いていただきたいなと思ってますし、
あと先ほど言ってたノートですね、ノートのブログは、
もうね、最近ちょっと書くのが奥になってきちゃって、あんまり更新はできてないんですけど、それでもコロムのライブがあるときとか、
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あと、なんだろうな、いろんな、どっか行きましたとか、そういうのを日々のブログにしてやってるので、ぜひそちらも見ていただきながら、
そちらでもいろいろ、広報はしてるんですけど、お知らせとかはしてるんですけど、なんかほんとそれだけって感じなので、
ちょっと皆さんの有益な情報をちゃんとお届けできるようにしたいなと思ってます。
やり始めたときは正直、あれなんですよね、
沖縄に住んで気づいたこととか、なんか沖縄生活っていうマガジンを作れるぐらい、もう110何本かな、書いてるので、
もしそれ見たいなという方はぜひ見ていただければ、
Yahoo!苦悩してんなみたいな感じでわかると思うので、ぜひぜひっていう感じかな。
あとはXとかは、もうほとんどコロムの情報しか流してないので、それはそれで見ておいてもらえればなと思っております。
では、一旦ジングル挟んでいきますか。
はい、エンディング行きたいと思います。
エンディング曲はYahoo!のオリジナル曲、涙雨の向こうでを聞きながらお送りしていきたいと思います。
今日の感想はいかがでしょうかということで、いかがでしょうかって誰にも聞かれてないんですけど、
何だろう、なんか話したいことがいっぱいあったはずなのに、あっという間に時間が来てしまって、
そして最後らへんはちょっとグダグダになっているので、初回、初回というか2回目にしては、よく話した方なんじゃないかと思ってますが、いかがでしたでしょうか。
先ほど申してましたように、インスタグラムとかXとか、あとノートとかね、夢のために放送局のホームページとかもご覧いただければ、私のいろんな活動の情報を見れますので、ぜひ見ていただければなと思っております。
あと、コロムっていうバーチャルなライブ会場をオンラインで見ることができますので、そちらのお知らせとかも各媒体でやっていきたいなと思っておりますので、ぜひチェックの方よろしくお願いいたします。
ライブの情報ばっかりになっちゃったらあれなんで、次からはちゃんと沖縄の気づきとかね、そういうのもやってきたらいいなとは思っておりますので、皆さん楽しんでやっていってください。
私の放送を聞いて、また沖縄の生活どうなんとかっていうのがあれば、ぜひご質問いただければ嬉しいなと思っております。
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あとね、子育てのところでこんな感じのことで困ってますとか、うちもねめちゃくちゃ困ってることいっぱいあるので、もし一緒のような方がいらっしゃれば嬉しいなと思ってます。
うちはもう保育園に行かないで、毎朝もうプロレスラーのような決闘をして、めっちゃ大変です今。
でもとりあえずね、そんな日々でも楽しく過ごしておりますので、そんな感じのヤフーが音楽を作ってるんだなっていうのを聞いていただければ嬉しいなと思っています。
はい、ということで、そろそろエンディングに行かせていただいても大丈夫ですかね。
はい、それでは皆さん素敵な金曜の夜をお過ごしくださいませ。私もあなたも最強の運と笑顔で、また来週お会いいたしましょう。
by H.