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八風の音色
皆さんこんばんは。レッドチャンネル21時から八風の音色をお送りいたします。 パーソナリティはシンガーソングライターの八風がお送りいたします。
オープニングに聴いていただきましたのは、私のブルーという八風のオリジナル曲でございます。 この曲を全国の皆さんに聴いていただきたいなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
皆様これから30分間どうぞお付き合いくださいませ。 この番組は、ご縁・応援・貢献をテーマに夢ある番組をお届けする
ゆめのたね放送局 沖縄スタジオからお送りいたします。
ゆめのたね放送局
昨年11月にゆめのたねラジオのパーソナリティデビューしたシンガーソングライターの八風と申します。 出身は京都で今沖縄に住んでおりまして、5歳の男の子を子育てしながら
去年の6月ぐらいからかな、歌の活動をしております。 これからの音楽だとか、沖縄での日常生活などを通じて感じたことを皆様にお届けできればなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
はい、今日はちょっといつもと声の反響が違うと思うんですけれども、今日はお二方、ゲストの方をお呼びしながらやっていってます。
いつもですね、6月23日の慰霊の日に向けて、平和の木の下でっていう曲を作ったんですよ、みたいな話を私が結構してると思うんですけれども、
今日はお父さんと、あとはお父さんのこと以前取材したことのある 正之助さんにゲストにお越しいただきました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 軽く自己紹介していただいてもいいですか?
こんばんはですよね。 みなさんこんばんは。改めまして上山正之助です。
なかなかこの時間に僕の声が流れるっていうのは今まで多分なかったと思うんで、今はラジオの活動自体をお休みさせてもらってるんですけど、今日はゲストという形で呼んでもらって光栄に思っております。
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今日はよろしくお願いします。
で、あの、びっくりしてる。
お父さん、中二さんって言いますけどね。
そうそうそうそう。
もう85歳でね。
今はね、ちょっと病院に行ったり来たりしてますが、今日はちょっと戦争のお話と、ちょっと昔の頃の沖縄の話とかも一緒に聞いていきたいなと思ってるから、
一緒に正之さんも質問を中二さんに投げかけながら、ちょっと当時のことをお話ししてもらいながらやっていけたら良いなと思ってますので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっとね、私がね、なんでその平和の木の下でっていう歌を作ろうかなって思ったかっていうと、やっぱり内地出身だから、私関西人なんですけど、
なかなかこっちに来た時にちょっとやっぱり、何て言うんだろう、あまりにも戦争のこととかそういうことを知らなさすぎて、
あと慰霊の日に学校とか職場とか全部お休みになるじゃないですか、そのこともこっちに来てから知ったので、なんかもうちょっと県外の人たちにもそういうのを伝えていった方がいいんじゃないかなっていうのがきっかけで、
そういう取り組みを始めたので、ちょっと今日はせっかく中二さんも来てもらっているので、いろいろ話をお伺いしていきたいなと思います。
最初あれだよね、中二さん、どこで生まれたんだった?
南橋。
南橋、小六かな。
あの、池水。
泉崎。
泉崎。泉崎って今もありますよね。
ありますね、バスターナルのところから。
そうそうそう、バスターナルから。
その辺にお家があったんだ。
そこから、そこでは畳屋さんだったんだよね。
畳屋さん。
なんと兄弟は何人いるんだった?
9名。
だからね、でもお母さんも兄弟多いよね。
お母さんは8名くらい。
親戚周りが大変だよ。
リアルな声が。
リアルな嫁の声が。
そういう感じなんだけど、
なんかその当時はおばあちゃんとお姉ちゃんとお父さんと一緒に戦争始まった頃は逃げてたのかな。
そうそうそう。
で、お姉ちゃんがちょっと視覚障害もあって、
その頃はお父さんはもう歩けはしなかったわけ?
歩けなかった。
だからおぶわれて、手繋いで一緒に逃げてたわけね。
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おばあちゃんも一人というか、えっころえっころ逃げなかった。
ちょっとその時とかに、やっぱり5から5に移動するときなんか言われたりしたわけ?
親があんまりいいことをしていなかったわけ。
そんなこと言われたわけね。
それで、親がそうでおられるみたいに言ってきたわけね。
そういう親御さんがなんかしたんじゃないかとか、差別みたいなことを今で言うね。
そういうことを言われながらも逃げながらもっていう感じだったわけね。
だから一人目を避けないといけないのさ。
時代、時代だね。今はね、いろんな人が多様性の時代だって言われてるからさ。
お外に出ても何も言われないけど、その当時はもうずっとお家でね、引っ込んでからって言ってたよね。
一人目してないよ、あれは。
今そういう障害のある方は、引っ込むみたいな話があったと思うんだけど、
そういう状況で逃げるとかっていうのってね、
正月さんが同じ立場にはなれないんだけど、ちょっと聞いてどう思うのかなっていうのとかね。
やっぱりね、以前にもやふとさんにお伝えさせてもらったと思うんですけど、
僕が最初のお話を聞いた時に、やっぱり僕も同じ身体障害なので、
周りからの目っていうのはすごい、特にまた僕も一応喋れはするので、
だから周りから変な目で見られてるなとかっていうのはすごい感じてた部分、
すごい感じる部分はあったので、
っていう意味で言うと、特にあの時代っていうのは、みんなが戦争に向けて、
国のためにっていう時代だったから、そこに役立つか否かで見られてた時代だったんで、
っていうのを考えると、やっぱり役に立てない自分って、
なんだろう、もどかしいなぁじゃないけど、生きてる意味あんのかなぁみたいなところは感じてたかもしれないですね。
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なるほど。めちゃくちゃいい話だな。
私は障害を持ってるわけじゃないから、そういう気持ちとかがわかんないけど、
一緒だよね。もう話すことはできない。口が断捨てだからね。
そうそう。
だからそういう話を聞けるとすごく、ああそうなのかって思うなやっぱりね。
やっぱり逃げてる途中に、いろんな人が亡くなってたりとかするところで行ってたりして、
やっぱり目の見えないお姉さんがいらっしゃって、いろんな言葉を投げかけてたと思うんだけど、
お父さんにさ、もう私たちいいから二人置いていってほしいみたいな話をさ、
言ったっていう話を何回もしてたさ、記者の人とかにさ、それも覚えてる?
覚えてる。
その時はどんな感じだったっけ?なんか情景とか覚えてる?
どんな感じっていうよりはあんまりあるしないしさ、
きっと人々を避けようと言われたりさ、一人一人を避けようと言うことはいつもあったから。
その時は逃げてる途中にそういう話があったんだよね。
そうそうそうそう。
一番さ、二人も障害者でかかってたり、みんなと一緒に逃げるというのはちょっと人に迷惑かかるさ。
それで父が何でもないからって言ってほんとに慰めてくれて。
なるほどね。
その話をさ、いろんな記者の人とか取材の人とかに言ってて、
その時言ってたのは、生きるのも死ぬのも家族一緒だから心配するなって言われたよね。
それはさ、すごく今の生きてる私たちが聞いても胸打たれる言葉よね。
それでちょっと踏ん張ったんや、家族で。
ヤフトさんのお父さんがあの時代にその言葉を伝えていらっしゃるっていうのがすごいね、やっぱり強い意思を感じるというか。
やっぱりあの時代だからどうしても心折れそうになると思うんですけど、周りからいろいろ言われたりとか。
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でもそれでもやっぱり最後までこの生き抜くんだっていうことを貫いて逃げ回ったっていうのはすごい。
すごい話をね、ほんとに。しかもこの時ってお姉ちゃんはいくつぐらいだったのかな。
10…
それ…
お姉ちゃんとはいくつ離れてたんだった?そもそも。7?8?9?
30までになってなかったぞ。
ちょっと待って、30までになってないと思うんだけど。ちょっと待ってよ。
10何歳とかじゃない?
そうそうそう。
だよね。お父さんが5歳ぐらいでしょ、だって。
そうそうそう。
そんなちっちゃい子がお父さんにそういう言葉を言う戦争って何なんだろうって、私はすごくその話を聞いて思った記憶があるな。
途中であれだよね、おばあちゃんとはぐれちゃったよね。
おばあちゃんは5で、5にお父さんが迎えに行ったらもういなかったっていう話をしたんですかね。
それでまだ見つからずにって感じなのかな。
そうそうそう。
2人はすごく不幸においてあるさ。
だから結構おばあがいなくなっているって言ってたからね。
一応報告というよりは、私に聞いていたわけだ。
おばあいなくなっているよって。
おばあちゃんいなくなっているよっていう話があったわけね。
心配するよりも、生きているよりも。
生きている人のほうをその当時は優先しなきゃいけないからっていうことだよね、たぶんね。
逃げて最終的には石川の収容所に行ったっていう話じゃないけどさ。
那覇のおろくからずっと歩いてこっち側まで行ったわけ?
女田家まで。
女田家まで歩いて?
歩いて。
相当時間かかりますよね。
すごいですね。
日に日にすごくかかってるさ。
だよね。
でも今思ったら、よみたんとかそっち側から入ってきて、お父さんたちはこっち側に逃げたから助かったんよ。
たぶんそうだよね。
そのまま那覇に留まってたら、たぶん今助かってなかったよね。
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早めに逃げ始めてよかったんよ、その当時はね。
いろいろあったけど。
その石川に行ったときは、テント小屋みたいな。
収容所があった。
でもそこでもあれだね、やっぱり人の迷惑にならないようにって。
親を引きつけるさ。
そうですよね。で、家族みんな一生懸命やってて、下に弟二人いてて、兄なんかも17歳とかね、8歳とかみんな若い。
でも結局あれだよね、兄弟全員助かった。
一人は生まれてすぐ亡くなってるけど、その他は全員助かったんだったよね。
だからすごいのよ、みんなもう生き延びる力が。
すごいですね。
すごいと思って。
ただやっぱりさっき言ってた、障害者がいるっていうので、
20年間くらいもうお家に引きこもってたみたいな話を前にしてたでしょ。
それの話もね、ちょっと聞かせてもらえたらなと思うんだけど、
お家にいるときに歩けないし、張ってたんでしょ。
張ってたから、ちょっとタコみたいな人がいるみたいなこと言われたりとかさ、
国際障害者年っていうのかな、そこに行き着くまでもう本当に閉じこもって、
やっぱりなかなか外に出れなかった期間が長かったんだよね。
その国際障害者の年とかは正直知ってはいる感じですか?
知ってはいますね、1980年。
だけど生まれてはないんだけど。
そこからどんどん障害のある人たちの立場というかがだんだん変わってきたっていうのは聞いてはいるんですけど。
そこまではね、お外でバスとかも見たことないし、トラックもね、なかったって言ってたから、そうなんだと思って。
ヤフトさん、僕にね、しょっちゅう言ってましたもんね。
僕は20年くらい普通、一般の人よりは遅れてるんだっていう話をしてて、
それくらいずっと中にいたからっていうお話をされてて、
やっぱり外に出る経験ってすごい大きいんだなと思って感じたのを覚えてます。
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だからね、今85歳だけど、20引いて65歳の気分で言ってんだよね。
もう気持ちは若いから、チュウさん。
そこからあれだよね、今はちょっと行けてないけど、B型の就業支援施設を一緒にお母さんとやってみたいな流れがあったけど、
やっぱり私病院で一回お父さんに戦争の話をチラチラ聞いてた時に、
やっぱり戦中も大変だったけど、戦後も大変だったよっていう話があったからね。
戦後まで残ってた、その気持ちは。
映画を俺から見るというのはさ、戦後までずっとあったよ。
戦後ってさ、いつまで戦後っていうのか私はちょっとよくわかんないんだけど、
でも自分が結婚するちょっと前ぐらいまでしんどかったのかな、わかんないけど。
もっと若い頃に。
もっと若い頃に。
20代とか。
そこぐらいまで戦後の厳しさっていうのは続いたっていうことでね。
なんかあれだよね、その後はいろんなところに遊びに行っててあれだけど、
講座とかさ、若い時の話はまた次の回でしようかなとは思ってるんだけど、
一回そうだな、一回やっぱり平和の木の下で流してもらいましょうかね。
ちょっと時間がちょうどいい感じになったので、
一旦じゃあ私の作った平和の木の下でっていう曲を流してもらいたいなと思います。
21:35
悲しくないかもしれない
喧嘩ばかりで泣く日々を
それでもここで生き決めてはいたんだけど
どこかで生きづらさを感じながら暮らしてた
あなたと話したくて
あなたと笑いたくて
あなたを知りたくて
家族になりたかった
この曲を作って、これはさ、慰霊の日のために作ったよ、この曲を。
それを広めたいなと思って、今言ってるんだけど、実はこれ去年にリリースしてるんですよ。
でもちょっと私がすごい安易な考えで、
6月11日にリリースしたら6月23日に間に合うんじゃないかっていう
そういうのでやってたんだけど、もう全然広まらなくて
ちょっと今年は方向をいろいろ変えてみて、ラジオとかいろんなところで流してもらって
聞ける機会を多くしたいなっていうので、いろいろちょっと動いてはいるんですけど
なんかこの曲の一番の肝は
さっき言ってたお父さんにね
生きる時も家族が一緒だよっていう話が一番
私の中では胸に響いたエピソードだったから
それをちょっとサビっていうかもうちょっと行ったところかな
で、言ってるっていう感じかな
そこだけちょっとボリューム上げてもらいましょうかね
もうできないのかな
全然動かないね
この次かな
お父さん
24:11
もう逃げていいさ
わおいてかんねと言った
それでもそんな自分に
いちまりん
まじゅう
ここを聴いてほしくて今挙げてもらったんですけど
ありがとうございます
ありがとうございます
いちまりんっていうのはいつまでもっていうのだよね
いつまでも
で、まじゅうが一生っていうことで
別に最初から方言を入れる予定はなかったんだけど
なんかその言葉ってお父さんが言ったこと
中3のお父さんが言った言葉だから
やっぱりちゃんと方言にした方がいいかなと思って
その言葉を入れさせてもらったっていう感じかな
なんで
この曲自体が
海軍司令部号って知ってるね
知ってるよ
そこが私のお家から近いんですよすごく
そこにたまたま平和の木っていうガジュマルの木があって
それは結局令和2年に名付けられたらしいんですよ
平和の木って
それまで普通のガジュマルの木だったんだけど
そこの公園で子供と遊ばせてるときに
すっごい綺麗な景色と
すっごい綺麗な青空なんだけど
まだオフスプレー飛んでるわとか
戦闘機飛んでるわっていうのに
すごい違和感を当時は思ってて
でもそれでも何年も住んでると当たり前になっちゃって
それに違和感だと思えなくなっちゃってる
自分もいるなみたいな
いろんな気づきがあったんやけど
その平和の木の下で子供と遊ばせてるときに
思い浮かんだ歌詞とか音とか
そういうのを作ってるので
この曲を作ったっていう経緯がありますのでね
皆さんよかったら
これはAmazonミュージックとか
違う違う違う
アプリミュージックとかSpotifyとか
いろんなところで聴けるので
よかったら聴いてください
平和の木の下で
平和の木の下で
海軍司令部号の
ふもとっていうか
にあって
その木を
ちょっと拝借した
そういう歌を作りたくてね
やってみたっていう感じですね
素晴らしい歌でした
ありがとうございます
じゃあちょっとエンディングに向かっていきたいなと思いますので
ジングルの方よろしくお願いします
27:07
夢の種放送局
お空旅だった
あなたは
はいじゃあエンディングは
Yahoo!のオリジナル曲の
涙雨の向こうでという曲を
聴きながらお送りしております
もう一回目の放送
終わっちゃいますけど
二方の感想があれば
そうですね
じゃあ私から
久しぶりのラジオ出演だったんですけど
そうですね
一番はYahoo!さんにまた再会できたこと
それが一番嬉しかった
本当に
8年っていう長い歳月だったんですけど
おかわりなく
すごい
湧いてきたので
今回もいろんなお話を聞かせていただいて
改めて生きることの大切さっていうか
そこを本人が一番経験して
辛い思いもしてるからこそ
そこから滲み出てくる思いだったりとかっていうのを
改めて感じたので
特にこの時代だからこそ
僕だからこそ伝えていけるっていう
言葉を
これからも一緒に伝えていけたらいいなと思いました
ありがとうございます
ありがとうございます
知事さんはどうだった?
よかったね
ということで
今回は私のお知らせを挟むのがあれなんだけど
そういう経緯があって
平和の木の下でっていうのを作ってますし
6月23日に向けて
オンラインでライブをしようと思っているので
ぜひ皆さま情報を確認していただいて
お越しいただければ嬉しいなと思っております
ということで
皆さま素敵な金曜日の夜をお過ごしくださいませ
私もあなたも最強の運と笑顔で
また来週お会いしましょう