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マツダミヒロの余白白書。 今日も少し立ち止まってみませんか。
マツダミヒロです。 今日はですね、
先日日本に帰った時に大阪で ご紹介いただいたシェフがありまして、
そのシェフがですね、パリにもお店を持っていて、パリに来るということで、
1ヶ月ぶりぐらいかな、お会いしました。 よくよく聞いてみると、
そのお店は、今住んでいる僕の家から歩いて、20分ぐらいのところなので、
本当に近所にあって、いつでも通えるぐらいの距離感で驚いたんですが、
そしてランチをさせていただきました。
その時に、料理の話にもなり、 そしてその料理の盛り付けの話にもなって、
僕がこの間フレンチのコースを作る 料理教室に行ったことなどもあったので、
そのことがすごく難しいという話をした時に、 その盛り付けもやっぱり難しかったんですよね。
お皿いっぱいに料理を盛り付けるというよりも、
お皿にもすごく余白を持って盛り付けるのが、ちょっと美しいとされていると。
それは実は、フランスが昔からそうだったかというと、 結構日本の影響を受けているということで、
日本の料理の影響、盛り付けの影響もですが、
日本のわびさびとか、なんかそういう思想や文化の影響も 受けているんじゃないかなと思うんですけども、
なので盛り付けがすごくスペースがあって、 だからなんかこう、料理が美しく見えるんだなということを感じました。
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だいぶ前のことなんですけども、
あるレストランに行った時に、そこも何度も通っている沖縄のレストランだったんですけど、
すごい大きい皿に、本当にちょっとだけ盛り付けてたんですよね。
で、思わず聞いてしまって、 今となってはちょっと疑問だったなと思ったんですけど、
でも聞いてよかったなと思い、 この余白というか、空間って何で空いているんですかって聞いたんですよね。
そうしたら答えがさすがというか秀逸で、 空いているように見えますかって言われたんですよ。
なるほどそうかと思って、 その余白というかスペースというのは空いているわけじゃなくて、
そこに存在があるということが余白なんだなと思って、
だから何かをすることで余白を埋めるんじゃなくて、 何かをしないということであえて埋めることが余白でもあるんだなということもちょっと思い出したことでした。
今日もおいしいねおいしいねって言って食べてたんですけど、 このおいしいねっていうのは余韻だと思うんですよね。
でもこの余韻を味わうっていうのは、 余白がないとできないんだなと思って。
なので仕事の合間に余白なくパッと食べるっていうのは 余韻を味わう時間がないわけなので、
時にはそういう忙しい時もあるかもしれませんが、 人はなぜ食べるのかという問いを立てた時に、
生きていくために食べるということもあるとは思うんですが、 自分の人生を生きるというか自分の豊かさを味わうために食べるということも大事だと思うんですよね。
なので、やっぱり余韻を楽しむためには余白がないといけないなと思ったので、 この2つがセットなんだなと思いました。
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別にすごく高価なものとか特別なものを食べる時だけ 余韻を作るのではなくて、本当に普段食べているものとか、
普段のご飯とか、普段飲んでいるお茶とか、 何気ないお菓子とか、
そういうのも、ちょっとね、余韻を作るだけでも、 その時間そのものがすごく豊かになっていくのではないかなと思います。
ということで、今日の問いは、どんな余韻を感じたいですか?
それではまた、次の余白で。
松田みいろでした。