#31 交換留学から帰ってきてあえて留年を選んで感じたこと
2023-05-10 22:18

#31 交換留学から帰ってきてあえて留年を選んで感じたこと

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感想

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安岡信一の遠くへ行った。
綺麗なギターの音色でさぁ。 ありがとうございます。
へそのゴマを取って嗅いで回すとか言ってる人が作ったとはびっくり。
見せちゃうわ。
いい音色でございます。 ありがとうございます。
しんちゃんの遠くへ行ったのコーナーです。 遠くへ行ったのコーナーなんですけども、
今日何話しようかなぁとか考えてて、
高校サッカーずっとやってた。
本気でやっていて、16歳の時にブラジルに一人で留学もして。
1年経って帰ってきて、高校を1年、いわゆる留年してるわけですよ。
向こうに1年間留学していたから、1年下の学年に戻ったってことですもんね。
自分の同級生はみんな高校3年生なんですよ。
僕は高校2年生をもう一回やるということで、
ちょうど1個下から、僕が聞いた高校2年生の台から、学欄からちょうど高校がブレザーに変わったって話もしてたじゃないですか。
帰ってきてそれを僕選べたんですよ、実は。
好きな方を?
高校3年生から始めてもよかったし、高校2年生からでもよかったんですよ。
なぜなら向こう、交換留学という制度で行っているので、向こうの高校には通っていたんですよ。
でも自分で日本でもう一度ちゃんと勉強し直したいという気持ちがあるのであれば、
高校2年生からでもやって大丈夫ですっていう本人の希望次第だったんですよ。
僕はそこで選んだのが高校2年生を選んだんです。
これって思春期の、言うたら特に体育会系の部活動の中では結構大きなことで。
言うたらもう学年が1学年に違うだけで、先輩との上下関係というのはものすごいある中なんですよ。
でもそれって難しいですよね。
1学年下で戻るけれども、でも1個上の学年、もともとの学年の人とも友達でしょ?
もちろんです。
だからどうなるの?先輩になるんですか?それでも。
一応先輩っていうか同級生になるので。
2年生だけれど3年生は先輩というよりは仲間みたいな感じ?
そんな感じですよね。
だから卒業しちゃうときは、先に卒業しちゃうわけじゃないですよ、僕の同級生が。
そのときは卒業式に行けないくらい寂しかったです。
ものすごくここからもう俺あれだみたいな。
特に体育会系の部活の中で言うと、きちんと年齢を分けられてる。
じゃあしんちゃんは戻ってきたとき、高校2年生で戻ったけれども、サッカー部の中では。
03:00
1個上の学年と思われてたんですよ。やっぱりみんな敬語ですよ。
2年生同じ学年になったけれども、それでも先輩扱い?
そうですそうです。やっぱりそんなのはやっぱり。
ただね、やっぱり2年くらい一緒にサッカーをやっていくと、やっぱり徐々にため号が出てきたりとか。
打ち解けていくというか、ちょっとフランクになっていくんですかね。
それまでやっぱり時間がずっとかかりましたけど、ずっと1個1個その学年でこうやっていくっていうことの大変さももう味わったし。
そしてちょうどインターハイ。僕は年齢制限があったのでインターハイには出れなかったんですけど。
学年じゃなくて年齢で言われるってことですね。
インターハイはですね、確かそうでした。
そうなんだ。
インターハイが夏にあるんですけど、インターハイが終わると基本3年生のプレイヤーは引退になるんです。選べるんですよ。
選べるんだ。
その後実はサッカーで大きな冬の選手権大会っていうのがあって、その選手権大会まで残るか残らないかっていうのはこのインターハイ終わった時点で本人が決めていいんです。
次の進路のことも考えてということですよね。
だから基本トップチームに入っていない3年生はほとんどインターハイでみんな引退するんですよ。
トップチームに入っている20人の選手っていうかその選手たちは選手権まで続けていくっていう。
やりたいですよね。
12月までやっていくんですけど。僕は12月までやっぱりやったんですよ。トップチームに入らせていただいてたので。
トップチームとはいえやっぱりレギュラーと私立の争いがあるわけですよ。
毎回レギュラーとかではないんですよ。
どっちかというと補欠組でサポート選手になるわけですよ。
やっぱりそれだけレベルが高いんでね。
その中で切磋琢磨して12月の選手権大会。
これが結局東福岡と一回戦で当たって
僕ら地供養学園負けちゃったんですけどそこで引退なんですよ。
その瞬間僕は試合に出れなかったの。
最後の試合に?
交代枠もその当時3枠かな。
3枠の交代枠の中に僕入れずに結局最後の交代枠は1年生が出ちゃったんだけど。
今後のことも考えて大会を経験させておくのもいいよね。
あれだなとかって思いつつ
ブラジルにサッカー1年行って
最後の12月まで残ったその大会の時に
フィールドで選手たちは泣ける11人と僕は泣けなかった選手なんですよ。
フィールド上で泣けなかった。
その時に小さい時からずっとサッカーをやってきて
06:05
ブラジルに1年サッカー留学をして
自分の意思で高校2年生をもう一回やって
同じ年の奴らを卒業してる中で
最後12月夏で引退せずに12月まで自分で残って
そして最後の試合にフィールド上で泣けなかったっていうのが
15,16年やってきたこのサッカーに
ものすごくどうしようもない絶望感を感じたんですよ。
高校3年生の時に。
それだけ全てをかけて本気でやってきたっていう証ですよね。
そうなんですよね。
その絶望感を味わった12月かな
そこからサッカーが終わってからの残り
12ヶ月で次の進路を決めないといけないんですよ。
そうですよね。
これが高校18歳の時に
僕だけ19だったのかな?卒業者の19歳の時に
今までサッカー15年やってきて
ほぼサッカーしか情熱を燃やしてこないかった
そのユータ青春期を全てサッカーに捧げた
僕がそこで終わったから
じゃあ次の進路を決めてくださいって言われて
決めれないんですよ。
残り2ヶ月で俺何をすればいいんだろう?
その並行で
もちろん12月までサッカー全力で頑張ったと思うんですけど
並行でその後自分はどうしていきたいなっていうのは
考えながらやってたわけではない。
もちろん大学のセレクションを受けたりとか
ここの大学なら推薦が来てるよとか
進路の相談も並行して進めていくんですけど
モチベーションは
引退せずに冬まで残ってるから
モチベーションは選手権大会になってるんですよ
僕ってちょっと変わってて
1つのことを思い始めると
もう同時に2つのことはできないんですよ
もう1つに全力を傾けたい
集中したいって
だからあんまり進路っていうのを
大学に行ってサッカーをしたいのか
ピンとこなくて
やっぱりその時の少年しんちゃんにとっては
12月のその選手権が
全てだったんでしょうね
そうなんですよ
それにやっぱり出たいっていう
フィールドに立ちたいっていうのが夢で
中学校時代からそこの高校に行って
地球学園に行って
サッカーをしたので
どうしてもその選手権が終わってから
2ヶ月間で進路を決めないといけないってなると
サッカーにものすごく
挫折感と絶望感を感じて
サッカーを続けたくないなっていう気持ちが
逆にね
09:01
もう俺はやり切ったと思うと
自分の中でそういう風に
心を整理するのに1ヶ月2ヶ月で
それでなんとなく専門学校に実は行ったんですよ
専門学校に行こうと
とりあえず絵が好きだし
デザインの専門学校行ってみようと思って
デザインの専門学校に行くんですよ
幼い僕はね
やっぱり夏にデザイン学校って
なんかムードデッサンがある
ムードデッサンがあるのみたいな
そこ?
そこなのよ
だからサッカーが終わってしまった途端に
僕ってもう何か体の芯の
部分がなくなってしまっているから
何を基準に何を選んでいいのかも分からない
その時にムードデッサンがある
デザイン専門学校に行こうって
あったのよ
それで親も行かせてもらって
行って
やっぱり思いが中途半端だから
行って
本気でデザインを学びたいっていう人が
たくさん来てる中でってことですよね
僕はやっぱり
思いが
ムードデッサンをしたかったために
そんな自分の進路を選んでしまっている以上
サッカーがなくなっちゃったんだもん
だから絵を描いてても何か
満たされない
ワクワクもしないだろうし
自分でバイトしながら
毎日山のような課題を出されて
絵を描く山のような課題を出されながら
夜はバイトしてカラオケのバイトをしながら
最後にはカラオケで倒れて栄養失調になりみたいな
これしたんですけど
そうそう
で結局
ほとんど睡眠時間も取れないような
生活が2,3ヶ月続いたんですけど
ムードデッサンの日に僕結局
1分でも遅刻したら入れないんですよ
遅刻して30分
何のために行ったんだ
そう
その瞬間にまた訪れたんですよ
デザインに対する絶望感
でもそれはしんちゃんが求めていたものと
違ったっていうことですよ
やりたいことじゃなかったってことよね
絵を描いたりとか
木の棒を使って色々ね
物を作って立体物を作ったりするんだけど
そのね
絵とかの
デザインの専門学校に
絵に100点はないと
正解はないってことですね
マックスでも75点までしかない
12:03
いわゆるデッサンの基礎が抑えられているか
とかいうのは点数につけられるけれども
美に関してこれが絶対の正解ってのがない
絶対に100点はないよって教えられて
0点ももちろんない
下は25点
25点から75点の点数つけてやっぱり
思いがブレてるから
いろんな強化があるんですよデッサンの強化
絵を塗る強化グラフィックの強化色々あるんですけど
インテリアの強化とか色々かがあるんですけど
強化があるんですけど
ほとんど全部僕
良くないんですよだって
あんまり分からないままやってるから
一つだけ
物を作るね
クラスがあったんですよ
言うたら図工みたいな感じなんですけど
それでみんなでこれだけの1000本くらいを使って
1000本くらいの棒を使って
自由に何か物をその先生がすごくいい先生で
唯一その先生が僕の物に75点つけてくれた
どんな物を作ったんですか?
それをずっとね
木で四角い枠を作って
それをずっと重ねていって少しずつずらしていって
この立体の模型を作っていって
そこにもう一個別で俺なんかこう
作ってたんですよ
使っていい本数を超えてしまったんですよ
この本数でやりなさいっていうね
僕は羽を作ってたの
それを繋げて羽を作ってて
本数が足りないの
両方作れなかったの羽
片方が作れなくて
その先生がその2つ作ってお前どうするの?
その先生が僕に聞かれて
本数足りなくなっちゃった
片方だけなんです
本当は2つここに付けようと思ってたんです
片方だからいいんじゃないのか?
羽は
片方じゃ付けられないのか?って教えられて
それがずっと模型がねじれていって
ぐーっと羽になってる
そういう模型を作ったんですけど
イメージ分かりますかね?
私の想像してるのは木の枠が少しずつずれていって
立体的な
パイプみたいなものがねじれながら
回転して
その先がずっと羽になってる
っていう模型を作って
75点はいいですけど73点かな?
ほとんど満点生のクラス1位だったんです
唯一デザイン学校で
15:00
その模型だけ
最高得点だったんです
その時に
歌指と羽って名前もそういうね
リスペクトがあってそういう子が出てきてると思うんですけど
その先生に出会って
物の考え方とか価値観
両方ないと羽じゃないっていう風に
思い込んでいた固定概念みたいなものが
ドサッと崩れた感じがして
あっそうだわ
と思ったんです
その時に
ハッと思って専門学校辞めました
だからこその今があるってことですね
そうなんですよ
それがきっかけだったんです
さっきヌードデさんがどうのとか言ったんですけど
若い頃の横縞なただの気持ちであって
ただ本当の思いっていうのは
こういうところの
キロには誰かがいて
先生とか中学の時もいろんな先生がいたし
高校の時もいろんな先生が
そのキロに立った時に
誰かがやっぱり導いてくれる人に僕は出会えてるっていうか
何かその先生は
いまだに僕は忘れられないというか
もしかしたらしんちゃんは確かに興味はあったけれども
本当にその道に進みたかったわけではない
でもそのデザインの世界に飛び込んでみた
なんか違うな違うなと思っていたけれども
そこで人生を変えてくれるぐらい大きな出会いがあった
だからその人と出会うために
その道に進んでいったのかもしれませんね
その先生がやっぱ
お前はデザインがやりたいのかっていう質問を投げかけてくれるんですよ
物を作りたいのか
先生たちからしたらきっと何かが見えるんでしょうね
作品を通してしんちゃんの迷いだったりとか
しんちゃんが本当に
ワクワクしながらやってないとか
何か違うところに違うことを求めているんだなっていうのが
きっと作品からわかったんでしょうね
先生方はね
その先生だけ
他の先生は俺のことをすごく煙たがっていた
本当にいい人と出会えたってことですね
僕の立体物に唯一
最高得点をつけてくれたことに対して
その先生が投げかけてくれた言葉で
やめようと思った
しんちゃんは歌い人羽って名前をつけるとき
羽は片方では飛べないしねって
2つないと飛べないよねって言ってたけど
先生が言った通りだから片方がいいんじゃないって
一人の力でやるんじゃないよって
誰かと一緒にとか
人と支え合ってじゃないけれど
それでいいんじゃないのっていうようなメッセージが
何かね込められているのかしらと思ってしまいますね
親にね
18:02
お金を出してもらって
専門学校に行っているわけじゃないですか
だから子は子なりに
ものすごく
心にあるんですよやめられないっていう
やめられないし続けないとこれは申し訳ない
っていう気持ちにあるんですよ
でもその瞬間その先生の言葉で
俺何か
2ヶ月でやっぱ決めちゃいけないものだったんだっていうのを
19歳の時に
大きな学びだったんですね
本当だったら工作の方に続けていく可能性だったのに
その先生が最高点をつけてくれて
お前はものを作りたいのか
絵を描きたいのか
っていう言葉を投げかけてくれた時に
僕はそれをデザイン学校を辞めようっていう
何かその
何か見えたですよ
今日はねその時のそんな話をしましたけども
皆さんもね
出会いってあるしそれを大事にできるかどうかは
その人次第だからやっぱり大事にしたいですよね
いや本当にその先生は結構
博多駅から通勤されてたんでね
辞めた後に一回
お会いしたことがあったんだ
駅でバッタリ
何やってんだってささやいてた
音楽やってますって
いいじゃねえかと頑張れよってその一言が最後で
それからはお会いしてないんですけど
この話が届いてるといいですね
またねそういう感じで再開させてもらえると
ありがたいと思いますけど
22:18

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