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快食ボイス804・日本における豚肉食は新しい習慣だ
2026-06-02 13:48

快食ボイス804・日本における豚肉食は新しい習慣だ

肉食禁忌という、長い長い前提
日本における食肉の歴史を話すと、たいていの人が驚く。それだけ誤解が多い、というか、ほとんど知られていない領域だと思っている。少し長くなるが、整理してみたい。もともと日本では、肉食禁忌というものがあった。675年に天武天皇が「肉食禁止の詔」を発布したので、公には肉を食べてはダメだった。仏教の影響と、農耕社会における家畜の役割が重なった結果だろう。もちろん、禁じられていれば隠れて食べる人間は出てくる。「薬として食べる」という言い訳も使われたらしい。江戸時代の文献の中にも、その痕跡は残っている。いわゆるモモンジヤと呼ばれる店がそれで、そこでは肉を植物の名前に言い換えて提供していた。鶏肉をかしわ、鹿肉をもみじ、猪肉をぼたん、馬肉をさくら。全部植物の名前だ。「これは肉ではなく植物です」という苦しい言い訳の文化的痕跡がそのまま残った形だ。

隠れて食べた肉には、文化が継承されない
ここで一つ、重要なことを指摘しておきたい。「隠れて食べていた」ということは、「文化として継承されなかった」ということだ。この二つは全く違う。鳥を一羽解体してみたことがある人なら分かると思う。まず殺して、羽を抜いて、内臓を取り出す。大腸菌の汚染を避けながら、毛や汚れが肉に触れないよう気を配りながら、できるだけ無駄なく解体していく。これは相当なスキルと知識がいる作業だ。牛や豚となれば、なおさらだ。きちんと血抜きして、適切に部位ごとに分けて、美味しく食べられる状態にまで持っていく。その過程には、世代を超えて積み上げられた知恵と技術が必要になる。隠れて食べていた人たちには、その知識が次世代へとつながっていかない。鎌倉・室町・江戸を通じて肉食が行われていたとしても、食肉文化の本当の意味での蓄積はほとんどなかった。

植物の名前がついた4種の肉
先ほど挙げた4種の肉を、もう一度見てほしい。鶏、鹿、猪、馬。この4つには植物の隠語が与えられている。禁忌の時代にも隠れて食べられていたから、こういう名前が残った。逆に言えば、牛肉と豚肉にはそういう隠語がない。つまり、牛と豚はその時代に食べられていなかったのだ。馬肉の方が、豚肉よりよほど歴史が古い。軍馬として身近な存在だったし、役目を終えた馬を食べるという流れが自然にあった。鶏も、卵を産まなくなったものを庭先で締めて食べるという形で、最も庶民に近い肉だったはずだ。それも年に一度あるかないかの、特別なご馳走として。

薩摩の強さと豚肉の関係
明治維新において、薩摩軍の強さは際立っていた。その理由はいくつかあるが、人口の四分の一が武士という、他藩では考えられない構成比も一因だ。だが、食文化を無視することはできないと思っている。江戸時代において、豚肉を文化的に食べていた地域はほとんどなかった。例外が沖縄と、その影響下にあった鹿児島だ。沖縄は琉球王国の食文化を持ち、豚肉料理が豊富に発達していた。鹿児島もその影響を受けて、今でも角煮をはじめとした豚肉料理の文化が残っている。昔の日本人の平均身長は150センチ前後で、タンパク質が絶対的に不足していた。薩摩の人たちが豚肉を食べ、体を作ってきたという事実は、西郷隆盛の体格という形で象徴的に伝わっている。あの体の大きさは、食べてきたものの違いだ。薩摩芋と豚肉が、薩摩の強さを下から支えていたと思っている。

豚肉の受容と、洋食・中国料理の上陸
では、豚肉がいつ頃から全国に広まったのか。これが驚くほど新しい。明治維新以降、西洋料理と中国料理が日本に入ってきた。これらは豚肉を多用する料理文化だ。その需要を受けて養豚が本格的に始まり、大久保利通が今の新宿御苑に養豚場を作った。関東大震災の後、養豚はさらに盛んになっていく。やがて牛肉の消費量を超え、豚肉が日本の食卓の中心に躍り出ていった。ただし、これは首都圏の話だ。洋食も中国料理も、最初に根付いたのは東京だった。西へ広がっていくには、京阪という文化的な巨大な防波堤がある。

「肉玉」と「豚玉」の間にあるもの
大阪のお好み焼きに「豚玉」という名前がある。なぜ「肉玉」ではないのか、考えたことがある人は少ないかもしれない。答えは単純で、大阪では「肉」といえば「牛肉」のことだったからだ。今でも非常に古い店には「肉玉」が残っている。それは牛肉を使ったお好み焼きだ。豚肉を使う場合は、わざわざ「豚玉」と名乗らなければならなかった。肉イコール牛という認識が、西日本には長く根づいていた。大阪でそれが崩れたのは昭和に入ってからで、うちの母親は「豚は不潔なものだからしっかり加熱しないといけない」と本気で言っていた。その言葉が、当時の認識をそのまま伝えてくれている。

広島のお好み焼きが「肉玉」を飛び越した理由
広島においてお好み焼きは「肉玉そば」と呼ぶ。これは大阪より後に形成された食文化だからだ、という見方ができる。広島では戦前には肉のお好み焼き文化がほとんど存在しなかった。戦後に豚肉が受け入れられた後に食文化として定着したため「肉イコール牛」という前提が刷り込まれることなく、最初から「肉イコール豚」として広まった。だから「肉玉」という言葉の必要がなかった。牛肉文化の重みを経由せずに豚肉文化に入った広島では、そのまま「肉玉そば」の呼び方が根づいていった。

食文化の深さは、歴史の長さに比例しない
日本の食肉の歴史は非常に浅い。禁忌が長く続いた分、文化の蓄積が薄い。だから今でも、地域によって「肉」という言葉が指すものが違う。東日本ではカレーや肉じゃがに豚肉を使い、西日本では牛肉を使う。この違いは、豚肉の受容がどの地域でいつ起きたかを食卓に刻印している。食べるということは、文化を継承するということだ。隠れて食べても、文化にはならない。それが食肉禁忌の長い時代が日本に残したものだと思っている。
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