1. 人を見て、自分を知るラジオ
  2. 少しずつ人の親切を受け取れる..
少しずつ人の親切を受け取れるようになった
2026-10-04 08:30

少しずつ人の親切を受け取れるようになった

#循環 #親切 #12年前のこと #電車 #受け取る
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/617f8dae3db982af5256ae61

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:06
こんばんは。今日ね、12年越しに消化できた話をしようと思います。 先週、ウニさんという方のグルハピっていうセミナーを受けて、受け取り力とか循環について考える機会をもらえて、それでそれを振り返っていて、ふと思い出したんですけど、
12年ぐらい前、娘ちゃんがお腹の中にいた頃、通勤中の電車でお気を泣かしているのを見て、だと思うんですが、満員電車の中で席を譲ってもらったことがあるんです。
その時、40代前後ぐらいの男性が席を立って、どうぞお座りくださいって譲ってくれたんですけど、そう、譲ってくれたんですよ。
なのにね、私座れなくてね、満員電車の中で座ってたって、むしろ横に並んでたって、しばらくすごい緊張感みたいな、私は緊張したっていうだけなんですが、しばらく満員電車そのまま進んでたっていうね、席が空いたまま。
お礼は言ったんですけれども、座れなくて、その感覚ね、12年も前の話なのに、まだ覚えてるんですよね。すごいな、記憶力っていうか、あの時の気まずい感覚みたいな。
で、ちなみに今の私だったら、遠慮なくありがとうございますって言って、ちょこちょこんじゃないか、まぁまぁ、座れると思うんですね、普通に。
でもね、昔はね、それができなかったんですよね。
あの、このエピソードって、遠慮ばかかった自分がズーズーしくなったみたいな話じゃなくて、ズーズーしさとかも生きていく上で身についているとは思うのですが、
12年間の間に人からの行為を受け取る、記憶が増したというか、受け取り、受け取ることに対する感覚みたいなのが変わったんだなぁと思うんですよね。
その当時は、私はまぁ、誰かに何かをしていただくのはおこがましいとか、申し訳ないとか、せっかく譲ってくれたけど、どうしようみたいな感覚?
なんか受け取ることへの緊張感みたいなのがあったんですよね。
感覚的な話なんだけれども、抵抗があった、明らかに。
だから、男性がどうぞお座りくださいとか言って、かなりね、明確に親切を示してくれたのに、体はね、座れなかったんですよ。足が動かないっていうか。
03:11
座ってもいいんだろうけど、できなかった。
映画のワンシーンみたいに覚えてるんだけど、席が空いたまま満員電車の中でシーンとしてる。
譲ってくれた男性も、もう一回座り直すこともできませんよね。
私も座れず、そのまま満員電車ですよ。そこだけぽっかり空いてますみたいなのがね、続いていて。
電車がね、急行みたいなの乗ってたんだけれども、自分の中で頭ぐるぐるドキドキしてるっていうね。
振り返ってみると、微笑ましい光景ではあるんですけれども、微笑ましいんだけれども、ちょっとチクッと痛いみたいな。
男性の方はきっとね、妊婦さんだから座ってもらおうみたいに、親切心で席を譲っただけなのに。
片っぽはどうしようどうしようみたいな緊張感のある顔してて。
今だったらね、もうね、速攻で「ありがとうございます!」って座ると思うんですよね。
これって、図太くなったとかではなくてですね、人様の親切を受け取ることも人との関係の一部っていう感覚が、
だんだん自分の中にも育っていったというか、身についてるんだろうなって思って、私ちょっと成長してるんだなって感じました。
以前はね、はっきり白黒、世の中で白黒をつけられることなんてわずかしかないと思うんですけれども、ほとんどグレーだと思うんですけどね。
与える側が善で、受け取る側は申し訳ないになりやすかったんですよね、感覚的に。
でも今は、あなたがくれた行為を私はありがたく受け取りますっていう風に受け取ることがちょっとはできるようになって、
これってね、まさにね、循環なんですよね。先週学んだ。
そう、受け取ることが苦手だったりすると、循環が途中で止まっちゃうんですよね。
うん。
親切を差し出してもらえたとしてもね、いやいやそんなとかって謙遜しますみたいな感じで受け取らないと、
親切を差し出した人もね、なんか必要なかったのかなとか、逆にちょっと踏み込みすぎたのかなとかね、
ちょっとちょっぴり残念というか、そんな気持ちになったと思うんですよね。
でも、ありがとうございますって素直に受け取ると、
親切を差し出してくれた人も、なんか良いことしたんだなみたいな、嬉しくなるっていうか。
そう、それをその場限りの人だから、どこの誰かもうわかんないんですけれども、
06:03
それをどこの誰かわかんない人に私も返せばよかった、それだけのことなんですよね。
そう、そうやって回っていくんだろうなって今は思うんだけど、
12年前の電車の出来事を今でも覚えてるっていうのは、
あの時、自分は親切を受け取れなかったなっていう後悔が残ってるんですよね。
あの時ありがとうって思うし、座ればよかったっていろんな意味で思うんですよね。
今の私なら普通に座らせてもらえるんですよ。
ご親切をありがとうございますって言って。
自分の中では変化だなって思っていて、
受け取る練習を始める前の自分がそこにいたっていう風に今なら見えるんですよね。
今なら、あの時のどこの誰かわからない男性に言えるんですよ。
ありがとうって。
今だったら喜んで座りますよって。
あの時はありがとうございましたって言えますね。
これも本当にどこの誰かわかんないし、
だから誰かに返していくしかなくって、
恩の送り返しっていうのかな。
恩送りみたいな感覚。
なんですけど、自分の中でそういう風にして消化することしかできない。
その当人にお会いすることはできないから。
なんだけど誰かが、例えばお困りだったら、
電車の中に限らずですけど、
ちょっとした親切を差し出すっていうことを私もやりたいなって思います。
そうやって循環させていきたいなって思いますね。
今日も聞いてくださってありがとうございます。
では今からシャワー浴びて寝ます。
おやすみなさーい。
08:30

コメント

スクロール