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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社 CS-C代表取締役社長 杉野原健さんで
いらっしゃいます。まずは、経歴をご紹介させていただきます。株式会社
メンチャーリンクにて、店舗コンサルティング業務に従事。その後、店舗×デジタルを
テーマに、店舗向けITサービス及びメディア事業責任者を歴任。2011年に
株式会社 CS-Cを創業。そして、2021年、昨年、東証マザーズに上場された
上場企業の社長様です。そして、私の後輩にあたられる社長様です。杉野原社長様、
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問なんですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
僕は福島県の南相馬市と言われているところで、18歳まで育っています。
じゃあ、原発の上の方という感じですか?
そうですね。原発の20キロ圏内、ギリギリ外れたようなエリアですね。
小学校時代の思い出なんてございますでしょうか?
福島県の南相馬市だったんですけども、小学校時代は割と勉強もできて、
足早いとモテるじゃないですか。その典型の子だったんですよね、小学生の頃。
人生モテきって3回あると言いますけど、明らかに1回目のモテ期は小学生の頃ですね。
じゃあ、ちょうどこれ収録時、バイランタインがちょうど周辺で収録しているんですが、
バイランタイン相当チョコをもらったってそんな感じですか?
小学生の時はそうですね、そこそこもらったりもしてましたね。
中学時代はどんな少年でいらっしゃいましたでしょうか?
中学はサッカー頑張ってまして、引き続き足が速かったので、サッカー部と陸上部を兼任してたんですよ。
なので、結構スポーツ頑張ってましたね。
サッカー部なのに陸上で高校の推薦が来たくらいになって、
陸上は速かったですね、当時は。
100メートル何秒かで走られたんですか?
100は僕そうでもないんですけど、中距離ですね。
中距離の選手で大会出てましたね、400メートルとか。
じゃあ、もしかすると陸上でオリンピック目指せるぐらいとかそんな感じらしいんですか?
結構ですね、小学校、高学年のあたりは、結構そこら辺の特大選手みたいな感じで選ばれてたので、高校生と混じって練習してたぐらいなんですよ、当時は。
もう今は全然ダメですけど。
その頃は、スポーツで上を狙っていくみたいなのは何となく無意識には考えてましたね。
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じゃあ、小学校、中学校時代はもうオリンピック目指そうかなぐらいな、そんな感じですか?
でも中学、途中でも折れちゃいまして、やっぱり遊びたいじゃないですか。
中学校2年生ぐらいの時からもう友達と遊ぶの楽しくなっちゃって、ただ元々足が速かったんで、高校の推薦はいただけたんですよね。
ただ、高校までそれをガチンコでやるつもり全くなかったんで、その推薦を受けずに一般入試で高校に入ったって感じです。
なるほど。高校も福島県内ですか?
福島県の原町高校という高校ですね。そこで3年間過ごしてます。
なるほど。高校時代はどんなことをして過ごしたと思いますか?
高校はアルバイトをしながら、やっぱり自分の洋服だったり、遊ぶお金を欲しさにアルバイトしながら、あとはサッカーですね。
サッカーをやって過ごしてたっていう感じですね。
田舎なんで、お金が例えばアルバイトで稼げたとしても、別に遊ぶところって今考えればそんなになかったんですけども、
なのでサッカーをやってアルバイトして、で、アルバイトをして、
その後はアルバイトをして、
アルバイトをして、
アルバイトをして、
で、友達の家で集まってみたいな感じの感じでしたね。
なのでその頃から東京の憧れはあって、
なんだろう、僕は中学の時、東京の高校に向けているんですね。
東京電力って高校を持っているんですよ、あそこ。
東電学園って言うんですけど、今は東電学園に行って、
東電学園に行って、東電学園に行って、東電学園に行って、東電学園に行って、
高校を持っているんですよ、あそこ。東電学園って言うんですけど、今あるかちょっと分からないんですけども、
東京の日野市にあるんですね。
僕、中学の頃からも東京に憧れが強かったんで、
その東電学園を受けて、東電学園って学費無料なんです。
要は将来、東電で働くことを前提に入学するんで、お小遣いまで出るんですよね。
これは良いなと思って受けてみたんですけど、残念ながら落ちて。
なので、高校自体も東京への憧れっていうのは、多分人よりも強かったんじゃないかなと思いますね。
なるほど。大学は一応東京ですか?
はい、日本大学に行きました。
なるほど。日本大学に進んだ理由とか何かございますか?
受かったからってだけですか?
なるほど。
大学時代の思い出とか、どんなことして過ごしたなんてございますか?
大学はですね、本当にその一般的な大学生で、
僕、大学1年生からバーテンダーやってたんですね。
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池袋でやって、その後歌舞伎町でやって、
バーテンダーっていうのは、何故やったかってよく聞かれるんですけど、
単純にかっこいいなと思ってて、当時。僕の中ではですね、バーテンダーが。
なので、シェイカーを振る姿とかっていうのに憧れてバーテンダーをやって。
学生なんで、バーテンダーの道をちゃんと真面目にやろうとすると、
結構シフト入らないとバーカウンター出れないんですよね。
なので、本当にその学校が昼間あって、夕方からお店入って、朝までやるみたいな。
なので、寝不足の記憶がすごいあって、学生時代に。
学校よりかもやっぱりバーテンダーの方が楽しくなってきて、
大学は、もちろん席は置いてたんですけども、バーテンダーやってるのがすごい楽しくなったんで、
大学4年生の時は、普通大学4年生って残るは就活だけとか、単位も1個か2個じゃないですか。
僕、単位56個余ってたんですよ。
なので、相当しんどくって。
ただ、もう4年生になったけど、友達も授業出てないんで、自分で授業出ざるを得ないし、
あとは就活しないといけないしっていうので、今でも、今も僕45歳ですけど、
今でも大学卒業できない夢見るぐらい、追い込まれてましたね、4年生の時って。
留年はなさなかったんですか?
大丈夫でした。
何か卒業できた秘訣なんてございます?
あれじゃないですか。一応、就職先も決まってたんで、何が何でも卒業しないといけないという中で、
テストを最後受けた時に、一応回答しきった後に、回答用紙の裏面に、
いかに僕は卒業しないとやばいことになるかっていうことを全部つらつらと文章書いて、
就職決まってるし、この後やりたいこともたくさんあるし、
自分の人生プラン考えた時に、今先生が僕のこと落としたら、僕の人生どうなるかみたいなことをつらつらと書いて、
確か1個でも落とすと卒業できなかったのかな、結構フル単位でとらざらえなかったんで、
そんなことを書いたのがすごい記憶に残ってますね。
お願いの文章が大変お上手でやらせちゃったという、こういうエピソードで。
びっしり書きました。
なるほど、ありがとうございます。
新卒で一番最初に行ったのは、先ほど聞きました証券会社でしょ?
はい。
どちらの証券会社ですか?
今はもうないみたいなんですけど、スターフューチャーズ証券っていう福岡が拠点の、
当時で言うナスタック上場ですよね。
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されている会社に決めて、これ理由で言うと、
フューチャーズってついているぐらいなんで、先者取引と証券と為替を全部扱っている、かなりユニークな会社だったんですね、当時。
っていうところが、新しいスタイルっていうところに興味が湧いたのと、
あと当時ですね、将来いずれかは起業したいなっていうのをおぼろげながらあったんで、
金融のお金の流れっていうところを掴めば、経営の勉強になるかなと思ったので、
投資銀行業務っていうのにすごく興味があったんです。
ただ、さすがに外資系はなかなか飛び込めないというか、無理、資金が高すぎたので、当時の僕は。
なので、当時の僕が入ったスターフューチャー証券っていうのは、いわゆる投資銀行業務をこれから立ち上げるっていうふうな時期だったんですね。
だとしたら、先輩後輩っていうふうな力関係もなく、ゼロからスタートなんで、
一気に初年度からでも自分の努力次第ではいろんな経験を進めるかなと思って入社したっていうのが一番の理由ですね。
なるほど。何年ぐらいいらっしゃったんですか?
1年半ですっていうのが、入社してわかったんですけど、いわゆる法人相手のホールセールっていう業務をやらないっていうことになって、
なんじゃそりゃっていう話になって、結局リテール営業に回されたんですよね。
一応、とはいえ置かれた環境で一生懸命頑張ろうっていうふうに頭を切り替えて、1年半頑張ったんですけども、
業界のその空気というかがちょっと僕には合わなくてですね。
具体的に言うと、相場って誰かが儲かったら誰かが損する構図じゃないですか。
いわゆるゼロ差分ですよね。
そういった中で働いている趣向回路っていうのを見たときに、自社が儲けてクライアントは二の次みたいな空気っていうのが当時あってですね。
それはその金融業界全般なのか会社なのかちょっと僕は分からなかったんですけども、当時僕は新卒で目先の仕事はそれなりに頑張っていたので、
賞をいただいたりとか、かなりスピーディーに昇進もしてたんですね。
上に上がれば上がるほどそういったその金融業界の中身が見えてきて、ちょっと自分に合わないなっていうふうに考えて、
だったら早めに、1年半ですけども、早めにその判断を入れた方がいいかなというところで退職、転職を選択したっていうのが理由ですね、当時。
なるほど。で、その後ベンチャーリンクでいらっしゃいますでしょうか。
ベンチャーリンクを選んだ理由というのはございましたか。
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一個はやっぱりその企業化配出機関というネーミングに惹かれたっていうのが一つですよね。
当時もおぼろげですけども、企業は行くがしたいなっていうのがあったので、そういった修行ができる会社っていうのを探してたんですよね。
で、そのベンチャーリンクという、さっきの企業配出機関っていうキーワードが飛び込んできて、
正直何やってる会社か全然わかんなくて、サイトとか見たりしたんですけども、全然わかんないながらもその一言に惹かれて応募をして、
面接がですね、結構強烈でして、僕、面接7時間かな、あの時されたんですよ。
誰でしたか、面接が。
石川さんです。
人をすごく見る面接だったので、グループ面接が確か5人くらいいたのかな、あの頃。
夕方から始まって終わったのが、本当に12時近くだったんですね。
で、その時に結構いろんなストレートなことも言われて、何かっていうと、君とは一緒に働きたくないと言われたんですよ、僕、面接で。
っていうふうなことを言われて、落ちたのかなと思ったんですけど、
よくよく後から聞いてみたら、そういう本人のためを持った言葉をストレートに伝えた後の本人のリアクションを見てたっていうふうな話もあったんですよね。
それぐらい本当に一人一人と向き合って、面接で一部上場の役員がそれだけ時間かけてくれる会社って想像がないなと思って。
なんで、厳しい修行になることは分かりきってたんですけども、それぐらい向き合ってくれてる会社であれば間違いないっていうのは最終的に選んだ理由ですね。
なるほど、ありがとうございます。
本日でした、面接は。
そんな面接を石川さんやってんだなと違うことを思ってしまいましたけども。
リスナーの皆さんが分からないことは、私よりも少し年上で後から入られた石川さんは、同じ常務仲間だったら。
そうですね。
元の話にもなりまして、ベンチャーリーグ時代の思い出ってございますでしょうか。
僕はお店をサポートするスーパーバイザーっていう業務を担当させていただいて、牛角というお店を初め僕担当させていただいたんですけど、
クレームばっかりで僕、今でも忘れないんですけど、初めて担当させていただいたお店が千葉で、次が埼玉の、ちょっとエリア特性しちゃうとあれなんで、某お店だったんですね。
初めて担当する千葉のお店のオーナーにお電話したときに、初めてですよ、初めてお電話したお電話で、お前のとこ解約するっていきなり僕言われたんですよ。
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なんかその前工程でトラブってたみたいで、営業担当の方とのコミュニケーションギャップがあったみたいで、その怒りが全部僕に来てですね、いきなり。
僕全く何も経験ないんですけど、そこから炎上して、僕も対象の人か分からなかったんで、炎上して上司を巻き込んで、巻き込まざるを得なくてですね、クレーム処理に当たったっていうのが一つ。
二つ目に担当した埼玉のお店っていうのは、これ今はなくなっちゃったんですけど、コンビニの跡地に牛角作ったんですよ。どう考えたら無理じゃないですか。コンビニが撤退する証券で牛角って。
当時の事業計画の半分ぐらいしか売り上げいかなかったんですよね。でもそれもやっぱり担当は僕なので、フランチャイズオーナーからすると、かなりの投資をして業績いかなかったら当然僕に来るじゃないですか。
当時つらかったのが、そういった僕も力量がなかったんで、一生懸命やってたんですけど業績が上がらなくてですね。そこのオーナーが、当時のフランチャイズオーナーがですね、ベンチャーリンクの創業者の小林会長に直談判に行かれたんですね。
業績どうにもならんと。小林会長からすると、じゃあうちの社員何やってんだっていう話になるじゃないですか。当時の僕からすると小林会長ってもう神様なので、そんな方から全社集会か何かの時に杉野原っていう名前が会長から出てきたんですよ。
それもたまらないですよね、その緊張感たるや。その会社全体が動き始めて、なんとかその埼玉のお店をなんとかしないといけないっていうので、上司総出でですね、そのお店をなんとかしなくちゃいけないプロジェクトが走り、当時僕担当だったんで。
そこで、いわゆる指導がありみたいなので、すさまじかったですね。週3は困ってました、あの頃会社に。
ちょっとですね、インタビュアーの私、小林さんの名前が出たと、私も1日3回無能って言われた時期だったんで、あんまり聞きたくない名前をちょっと聞いてしまい、
ビジネスの皆さんの私がなんかこうちょっと微妙に黙ってるな、嫌な思い出を私も思い出してきたみたいな感じで、杉野原さんと私一緒の感じだと思うんですけど。
でもフォローするわけじゃないんですけど、あの頃の経験が今でも僕の現代圏で、仕事の仕方でしたり、やっぱり店舗オーナーってやっぱりディスクを抱えて皆さん商売されているので、
そういったところの、本当にその差し迫った時の状況を見てますし、やっぱりあれは今の僕の現代圏にはつながってますよね。
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なるほど、ありがとうございます。今の仕事に近づくのをやるのはその後でらっしゃるんですか?
そうですね、その後にSV部からベンチャーリンクの戦略本部っていうところに移動して、戦略企画部っていうところで仕事してたんですけど、そこ何やってたかっていうと、
お店が使う、いわゆるITツールの開発とか運用とかをやってたんですよね。そこの責任者をさせていただいてやってたっていうところが、今の流れに近くなってきてますね。
なるほど、なるほど。いわゆる入学の携帯などを使った反則活動みたいなのを杉浦さんを中心にやってらっしゃる。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはY社様です。メーカーさんだそうです。私の父が始めた会社です。ここ10年は次々と売り上げを下げております。利益はトントンがいいところで、最近はカジがついてます。
後継者として息子が働いているのですが、先日ベース会社を作って自分で仕事をしたいと切り出されました。そろそろ私は引退をして、息子に会社を譲ろうかと思い始めてた矢先の出来事でした。
聞けば数年前より、うちの会社はもうダメだろうと思っていたとのこと。俺が社長になっても自立心の先行きしか見えないと言われました。
引き止めようにも断らず、一家座から捨ててというのが精一杯でした。どうにか息子を引き止める手立てはないのでしょうか。これは大変難しい問題ですね。
私の知り合いの女性経営者の方が、お父様も会社経営をやっていらっしゃって、息子さんは長男さんに継がせようと思って一緒にやっていたのですが、結局長男さんは外に出てきて、自分でフリーランスみたいな仕事をしながら今やっている。
結局、弟の会社さんは潰してしまった。いわゆる整理してしまったということがございました。そんな話を聞いたときに、難しいな親子関係はと思ったものです。
どうして繋がなかったのかというと、やっぱり儲かってないですね。儲かってない会社を継ぎたいと思う方は少ないですね。
儲かってない会社を継いだ方って渋々というか、そうせざるを得なくて継いだ方がいらっしゃいます。私の知り合いも、セミナーなんかもよくやっていらっしゃる方で、よくご自身の話をしている方は、
お父さんは急に亡くなって、どうなっているんだろうと思って、会社のことを全く知らず、大企業のサラリーマンをやっていらっしゃって、出世会話を持っていた方なので、会社の方を見に行って、金庫を開けて、決算書を読むと、うーわ、すごい悪い成績ということで、
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もう閉じちゃうんだなと思ってたら、経理のおばさんが腕をつかんで、話さず、どうにかしてくださいって涙川に引き止めて、逃げないでくださいって言われて、えーっと思ったと。
その後、葬式とかやってたら、葬式で金融機関さん、支店長とかみんな来て、息子さんついてくれるんでしたんで、葬式の最中に詰められたと。
渋々継ぐことになって、あまりにも借金が多くて、赤字も多くて、年賞より借金が多くて、もうどうしようと思って、やらざるを得ないし、やるしかなくなっちゃったんで、最後、奥様と日めくりカレンダーを作って、何百日というですね。
この何百日でもしこの会社ダメだったら、全部その借金も連帯保証人というか保証人になりますので、自身銃しようと決めて、お次になって、結果的に借金も全部無借金券まで持っていって、大成功した方いらっしゃる。
それ覚悟ですよね。それ以外にも、やっぱりお父様が急に亡くなられて、いろいろ見たら、3社経営してたけど、うわぁ本当はこれ資金ぐり回ってない、どうするみたいなので、俺がやろうって決めた方が、今ではご法無借金経営、大変有名な建設関連の企業をやってらっしゃるなんてお話も、お仲間ですが、社長仲間ですが、お聞きしたことあります。
つまり、お次になるということは、自分が何とかする、みたいな覚悟をしないと継げないということですね。それ以外にも、アクセサリー会社さんで、自分が継ぐからいいからお父さん引退してくれと言って、免証とほぼ一緒の借金があった方に、今では無借金まで持っていった方がいらっしゃいますけども、それはやっぱり、それぐらい覚悟をしないと無理だということを示している。
3事例だと思うんですね。
息子さんが別会社を作って、自分で仕事をしたいと言い出した以上は、とらくお次になることは難しいんじゃないでしょうか。
もしかして、今の社長様が、いい企業、大変儲かる企業を作って、未来もある企業を作ったらば、息子さんにも継ぎたいと思うかもしれないし、その息子さん以外の担任の方も継ぎたいと思うかもしれないし、相手はM&Aで高く売れるかもしれません。
そういうものなんじゃないかなと思います。ですので、まずはどうしても継がせたいというのは、いい会社を作る。業績のいい会社を作る。働きたいと思うような会社を作る。継ぎたいと思うような会社を作る。それが最優先だと思います。
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もしそれができないならば、今の社長様の代で潰すなり、生産するなり、M&Aで売るなりすることも視野に入れた方がいいんじゃないでしょうか。息子さんがどうしても継がないならば、他人でお次になる方もお探しになることもお勧めしたいと思います。
やっぱり会社をやるというのは覚悟が必要です。昔、日本酒の雑菜のメーカーの桜井会長にご講演会をしていただいたときに、こう言われました。社長は育てない。社長は勝手に育つ。こういうことをおっしゃっていただいたことがあります。私も大変共感しています。
そういう意味では、自分が覚悟すれば会社を継ぐこともできるし、立て直すこともできると思いますが、ご覚悟を持っていない方にはちょっと厳しいのではないかなと思います。若干は覚悟を持たせるぐらいのことをするしかないのではないかなと思いますので。
もしよろしければ、大変難しい問題ですので、無料で経営相談なども持っていますので、ご相談のりますので、ぜひそんなことでクラウンを考え直していただけたらいいんじゃないかなと思います。本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。