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第498回 近藤悦康氏(株式会社Legaseed 代表取締役CEO)【前編】
2026-08-05 36:43

第498回 近藤悦康氏(株式会社Legaseed 代表取締役CEO)【前編】

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今回は、株式会社Legaseedの近藤悦康氏にお越し頂きました。

年間2万人以上が応募する、口コミで集まる人材採用の仕組みを構築した後、株式会社Legaseedを設立「はたらくを、しあわせに。」を経営理念に、600社以上を支援するお姿から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

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サマリー

株式会社Legaseed代表取締役CEO近藤悦康氏の前編では、中学時代から高校時代にかけての人生の転換期について語られました。中学時代は野球に打ち込みながら生徒会長を務めるなど活発な学生生活を送っていましたが、高校入学後に父親のがん、そして死を経験し、「人生はあっけない」「自分は何のために生きるのか」という深い問いに直面します。この経験から野球を辞め、一時的に引きこもり状態になりますが、恩師である書道部の先生との出会いが転機となります。先生の指導のもと、型にとらわれない自由な表現の世界に触れ、芸術活動に没頭するようになります。その後、大阪万博で太陽の塔を見て感銘を受け、自身も塔を建てたいという強い思いから、周囲の反対を乗り越え、友人たちと協力して学校に塔を建てるプロジェクトを成功させます。この経験を通じて、「自分にしかできない価値」を見出すことの重要性を確信し、その後の人生の指針となります。大学時代には、プロデュースという概念に興味を持ち、プロジェクトマネジメント学科に進学。在学中からイベント企画に携わり、組織やチームが継続していくための仕組みに課題意識を持つようになります。母親の勧めで参加したキャンプで出会った社長に誘われ、卒業前に営業教育を行う会社で働き始め、新卒採用の仕組み作りに挑戦。口コミで応募者を集める独自の採用手法を確立し、会社の成長に大きく貢献しました。

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社長に聞くinWizBiz
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お子様とそんな感じでいらっしゃいますね
どっちかというとそうですね
なるほどありがとうございます
中学・高校時代の葛藤と恩師との出会い
中学時代はどんなことをして過ごしたかと思いますでしょうか
中学から野球を本格的にやりながら
結構勉強もして
生徒会長の選挙でも生徒会長になったりとか
結構活発度が増したんじゃないですかね
中学時代
なるほどじゃあもう当時から
リーダーシップを発揮なさっていらっしゃった
そんな感じでいらっしゃいますね
そんな気配が出始めたのが中学生ですね
じゃあ中学時代から
社長様コンサルタントになりそうな
雰囲気が出ていらっしゃったと
そんな感じでいらっしゃいますね
全く出てないねまだね
まだねどっちかっていうとそうだね
とにかく何でも一生懸命打ち込んでたっていう感じがしますね
あとは目の前にあるチャンスとか
なんか機会を良い形に捉えて
キャッチしようと取り組んでた気がします
なるほどありがとうございます
高校時代はどんなことをして過ごしたなと思うでございます
高校は僕の人生の転換期だったかな
というふうに思うんですけど
高校は岡山県では新学校になる高校に入りまして
野球をやろうと思ったんですけど
やっぱ中学時代まで野球最前線でやってる中で
また高校に入ると
それこそグラウンド整備はボール拾いからスタートじゃないですか
別にそれ自体が嫌っていうわけではなかったんですけど
なんかまたちょっと道のり長いな
みたいなところも感じつつ
かといって新学校なんで
勉強結構ハードだったんですけど
最初の定期テストで
なんか自分が見たこともない点数を見たんですよね
なんか20点とか30点みたいな
俗に言う赤点みたいな
これ大丈夫かなみたいな感じで
思ってた矢先小学校5年の時に
親父ががんになったんですよ
自営業をやってて
それこそ岡山ではまあまあ一斉封尾した
生のジャズバンドを入れたバー喫茶みたいな
夜はバー朝はモーニングとか
昼はレストランみたいな
2店舗ぐらい経営してたんですけど
親父ががんになって店たたんで
高校1年生の時に
他界するんですよね
亡くなる瞬間を病室で見取るんですけど
その時に心電図がピーピーピーピーピーって
なる瞬間ですよね
人が死ぬ親父ですけど
死ぬ瞬間っていうのは
悲しいつらいって思いもあるんですけど
それ以上に僕が感じたのは
やっぱ人生ってあっけないなと
人はいつかやっぱ必ず死ぬんだなあ
っていうのを目の当たりにして
横で母親が泣き崩れてる中
ちょうど朝方だったんですけど
なんか病室がどんよりしてたんで
子供心に火を入れたいと思って
カーテンを開けたんですよね
そしたら朝方だったんで
子供たちは学校に登校し
車は普通にビュンビュン通っている
変わらぬ日常が窓越しに見えるわけです
親父は死んだけれど
社会は何もなかったかのごとく動いてるな
地球は回ってるんだなって思った瞬間
ふと自分が死んだらどうかなみたいな
自分が死んでも間違いなく
社会は動き地球は回るなと思った時に
自分は地球に何のために生きてるのかな
みたいなちょっと問いが
自分の中によぎったんですよね
今思うと親父が残したラストメッセージ
よしあそお前は地球に
何のために生きるのかみたいな
それを悶々とした中
ちょうど野球とか勉強とかが追い重なって
もう野球やめようと
親父がきっかけで始めた野球だったんですけど
別にプロ野球選手になりたいわけではないと
勉強も新学校に入りましたから
いい大学に入るみたいなことが
一つの目的というか目標みたいになっていて
別に東大・京大に行くことが目的でもないしな
みたいな
でそんな中家にこもって
俗に言う引きっていうんですか
今の言葉で言う引きこもりってやつ
だから学校にも行かず野球部も辞めて家にこもって
なんかこうポエムとか書き始めたんですよね
なんかちょっと暗い感じですけどね
普通だったら他人の先生が心配して
電話かけてくるはずなんですが
他人ではなくて書道部の先生で
曽我英久っていう非常に恩師ですけれど
その曽我先生が僕の家に電話をかけてきて
授業出なくてもいいから
とりあえず書道部に来いみたいな
全く私書道に興味があったわけじゃなくて
たまたま選択で美術・音楽・書道で書道を取ってたんで
そこで面識があるぐらいだったんですけど
ある日数日経って夏だったんですけど
近藤君って声が家にいたら聞こえて
ベランダから覗いてみると
曽我英久が車で家の前に来て
これから書道部の合宿があるんで
荷物をまとめて乗りなさいみたいな
これは一般的にラチって言うんですけど
いい意味でラチっていただいて
鳥取県の大仙っていう山奥に
連れて行っていただいて
初めまして書道部の皆さんみたいな感じで
スタートしたんですけど
私がイメージした書道っていうのは
先生が手本を書いて
星座して隅すって
模写するっていうのがイメージだったんですけど
いきなり外に出るぞって言って
外に出ておもむろに
ブルーシートのでかいやつを野原に広げて
テーブル3倍ぐらいの紙をばっと広げて
それこそ人間を逆さまにした
でかい筆があって
蘇我英紀が書き始めたんですよ
うーって唸りながら
その書く瞬間書いてる
そのプロセスも空気がピンと張ったような
凛とした空気が流れて
息を呑む感じですよね
出来上がった作品を見た時に
何書いてるか分かんなかったんで
蘇我英紀に聞いたわけで
何書いたんですかと
そしたら宇宙だって言うんですよ
で別に宇宙っていう漢字を書いてるわけではなくて
宇宙をイメージして書いていて
で見た瞬間確かに宇宙に見えてくるみたいな
それを見た時に
なんかこうハンマーで頭を殴られた感じがしまして
要は手本通りに書くと
今まで見た開書とか行書っていう
きれいな字を遥かに超えた
人の心を動かすものがあるんだなと思いまして
そこからもっと自由に生きていいのかもしれないと
なんか東大とか京大に行くことが良しとか
見たくれ表面的に世間常識に合わせる生き方というよりも
もっとこの卓越した世界に
挑戦するっていうのがすごいなと思って
そこから書道にのめり込みまして
ポエムと合わせて書や芸術活動をし始めたんですよ
塔建設プロジェクトと「自分だけの価値」の発見
そうなると世界的にはピカソとかミロとかですね
日本では岡本太郎とか
書家では井上雄一とか全員書道家がいるんですけど
そういう人たちの作品を見ていく中で感化されまして
大阪の万博の跡地に太陽の塔が建ってるのを
見に行きたいと思って
子供ごころに一人旅行で行ったんですよ
その後京都に寄ろうと思ってたんですけど
見た瞬間自分も塔を建てたいと思いまして
プランを変えて岡山に戻って
画材屋さんに行って紙粘土と針金を買って
こういう塔を建てたいっていう塔の模型
当時風とか草っていう字をよく書いてまして
草という漢字をモチーフにした塔
これを学校に建てたいと思ってですね
その模型を持って久々学校に行って
担任のところに行って
先生と塔を学校に建てたいんです
近藤くんと学校は塔を建てるところではないと
とりあえず授業に出なさいみたいな
もっともなことを言われたわけですけど
どちらにしても塔を建てる気満々でしたから
でも塔の建て方がわかんないですよね
母親に言ったらですね
そういえば建築家で友達がいるわよって
言われて紹介されて
その方に話してみたら
確かに気持ちはわかるけど
素人の近藤くんが
そんな何十メートルの塔を
学校が反対してる中建てるのは難しいみたいな
要は無理って言われたわけですね
使えない音だなとその時は思いまして
でそれを友達の三宅っていう親友に言ったら
うちの親父も建築家だよみたいな
じゃあ三宅の親父にも聞いてみたいわって言って
家に行って話したらですね
建てるか建てないか別として
学校の中の一番使ってない場所で
掘ってどこまで掘って元に戻すんだったらいいか
掘れる深さ聞いてこいって言われて
先生にですね
あの辺って何メートルぐらい掘れますかね
みたいですね
1メートルぐらいじゃないと
1メートルで戻したら別にいいですよね
みたいなよくわかんない話しまして
三宅のお父さん1メートル掘っていいって言われたと
そしたら近藤くんが
20メートル30メートルの塔は難しいと
建築法で下にどれだけ掘ったら
上にどれだけ建てられるかっていうルールがあると
1メートルだったらだいたい
7、8メートルの塔だったら建てれるけど
それでいいかと
いいです高さが問題じゃないんでみたい
じゃあ修正払いで協力してやろうみたいなですね
で先生のところにですね
どうやら塔は建てれるそうですと
20メートルの塔はやめて
8メートルぐらいの塔にしようと思いますと
先生は高さが問題ではないみたい
ダメなものはダメだみたいな
でそんな中ちょうど
文化祭が50周年だったんですよ
で50周年の記念のメモリアルタワーとして
作るのはどうかっていうので
企画書を作りまして
で友達13名をですね
率いて出したわけです
でその友達がやっぱ物理の一番とかですね
そういう子に声をかけてですね
ちょっと一緒に
あのちょっとこういう塔建てたいから
設計図書いてほしいとかですね
兄弟にその子入りましたけどね
そういう子に声をかけてるから
先生からするとブラックリストに載ってるわけで
近藤が頭のいい奴に声かけて
なんかとんでもないことをやろうとしてて
勉強の妨げしてると
で噂が広まって
で最終的には多数決で
教授会の多数決で決めるって言われて
これどう考えてもダメでしょ
みたいな状況に追い込まれてたんで
どうしようかなと思った時に
たまたま岡山県の教育委員会の責任者がですね
母校のOBだっていうことが分かりまして
すぐにアップ取ってですね
先輩と文化祭の50周年の記念に
こんな塔を建てたいんですみたいな
めちゃくちゃいいねみたいなですね
応援してやろうみたいな
じゃあ一つだけお願いがあります
なんでもいいよ
今電話をしていただいて校長先生に
先生全員で応援してやれと
一言言ってもらえないかと
で電話をしてもらって多数決なくね
OKが出て
で塔が建ったんですよ
で塔が建った
塔を建てる時に3つ条件言われて
卒業と同時に倒せと
それから授業にちゃんと出ろと
高速守れみたいな
2つは大丈夫だったんですけど
高速が厄介で
9時に下校しなきゃいけないんですよ
で授業は6時と補校までやると
2時間ぐらいしか作業できなくて
で承認取れたのが
文化祭の10日前なんですよね
10日かける2時間で建てれるかって
三宅のお父さんに聞いたら
それは無理だと
もうちょい時間が4、50時間かかると
で高速よくよく見ると
9時に下校って書いてたんですけど
登校何時って書いてなかったんですよ
じゃあ9時に下校して
次の日の0時01分に来ればいいんだなと思いまして
朝方からですね
みんなで集まって作業したと
で無事立ったんですよ
立った時に
人が無理だとか不可能だとか
できねえって言ったけど
できるじゃんみたいな
でその時に
親父が残したラストメッセージの回が
閃いたんですよ
要は地球上に生きる意味ですね
吉安お前は地球に
何のために生きるのかっていう問いが
その等を見た瞬間
要は自分にしかできない
自分だけの価値が生み出せるんだったら
この地球にいてもいいかもしれない
って思えたんですよ
自分にしかできない価値なわけですから
自分が死んだら地球困るよねっていう
そういう生き方したらいいんだなと
でこれを超越と名付けようと
要は自分の限界を超え
世の中の常識を超えていくような
そういう世界観を作ればいいなと
そこから本当に漫画のような
なんか体にこうエネルギーというか
火がこうボワッと燃え上がるような
なんかこう生きる芯みたいなのが
みなぎってですね
でそこからパワーが出始めたんです
でちょうど高校3年生の受験で
大学進学とイベントプロデュースへの関心
勉強してないですから
400人中350番ぐらいになっててですね
でそこからの挽回どうするかっていう話で
で母親からお課題に行ってくれ
とにかく貧乏なんで
地元の国立大行ってくれと
でビンランを学校の案内見たら
全然ワクワクしないと
で母親に言ったら
吉田さん何がしたいんだと
いや自分にしかできない
自分だけの価値を生み出したいみたいな
いや分かるけど
それはじゃあ何なんだと
それはまだ分からんって
自分にしかできない価値は
まだ分かってないと
でそんな中たまたまその当時
小室哲也っていうですね
プロデューサーが一世を風靡していて
アムロナミエとかね
TRFとかグローブとかをプロデュースして
もう続々とヒット曲を当てていて
このプロデュースってすごいなと思ったんですね
要は世の中にない新たな素材を発掘して
そこに何かアレンジをして
世の中に活気やエネルギーを作っていくと
このプロデュースっていう仕事いいなと
で安直にですね
大学でプロデュース学部とか
プロデュース学科っていうのを探したんです
そしたら1校もなかったんです
でプで探しますから
ほとんどがプログラミング学部だったんです
でその中に一つだけ
プロジェクトマネジメント学科っていうのがあったんです
でこれを見たら
千葉工業大学の工学部になって
何か自分読んでるなと思って調べたら
まさに人物金情報時間って資源をうまく使って
世の中にことを起こすと
これはプロデュースの概念と一緒だなと思って
そこからこれを学びたいと思って調べたんです
でその学校は学科プロジェクトマネジメント学科
できて2期目の学科で偏差値は45
で千葉じゃないですか
で私立なんですよ
で母親も猛反対しまして
お金がないのに私立の理系で偏差値45の
できて2期目の聞いたこともない学科
プロジェクトマネジメント学科
言いづらいみたいな
そんな学科になんで行くんだみたいな
東京工業大学ならまだわかるけど
なんで千葉工業大学なんだみたいな
で売り言葉に変え言葉で
じゃあ千葉工大一番に出た人と
東大一番に出た人と社会に出て
どっちが活躍するかわかんないでしょう
じゃあ確かにそうだわねって母親が言ってですね
じゃあ千葉工大で一番取れなかったら
親子の縁切るわよみたいなんですね
そんな流れの中でですね
この子は言ったら塔を建てるぐらいですから
効かないだろうなって親も思ったんでしょうけど
でその学科に行こうということで
大学に入るってちょっと高校時代長かったですね
いいですね面白い話だし
さすが社長様って感じのお話でございます
もう高校時代にリーダーシップを発揮して
13人もお友達を頭の良いお友達を集めるってところが
もう社長らしい社長様でらっしゃいますね
今思うとね
ある意味高校時代も起業してるようなもんじゃないですか
塔を建てるのに
ちょっと興奮するお話でありがとうございます
ちょっと続けさせていただきますと
じゃあその千葉工業大学時代は
どんなことして過ごしたなんて思いでございますでしょうか
千葉工業大学は母親との約束もありますから
一番を取るっていう一番というと
授業で言うとAとかSを取る必要がありますから
とはいえ一生懸命勉強してたまにBとかCとか
ついちゃうケースがあるんですけど
そしたら先生のところに行って
来年もう1回受けるから
授業受けてなかったことにしてくれた
でもう1回チャレンジするって言ってですね
そんな感じで基本的にはASを取って
大学2年生の時には卒業単位
他学科も受けてたんでもう終わってたんです
あとは卒論と必修でいいと
そんな中当時は本当にWindows 95が出た頃で
まだスマホもない時代ですから
今の時代だったら
もしかしたらすぐに起業してた可能性はあるんですけど
起業っていうキーワードも
そんなにまだ周りにはなかったんですよね
本当に他の大学の学生と交流した時に
学生起業家っていうのがポツポツはいましたけど
そんなにはいない中で
自分は何できるかなと思った時に
プロデュースの中でもやっぱりイベントだなと
当時は町おこしとか
例えば地元の岡山でウラジャ祭ってあるんですけど
これ意外と潰れかけてたのを再生するっていうのに
チャレンジさせてもらったり
あとは大学祭ってあると思うんですけど
大学祭って内輪で盛り上がって終わるんですけど
もうちょっと地域住民と一体となって
それぞれの文化交流をしていくっていう
文化祭っていうのは
実は今でも続いてるんですけど
文化の祭典っていう
これをゼロから作ったりっていう
そういうイベント企画をやりながらやってたんです
髪も金髪でゲタ履いて
なんかちょっとこうやってた感じでしたね
そんな中とはいえ
イベント団体3つぐらいと
サークル4つぐらい部活含めて
ゼミ長みたいな感じで
10個ぐらいの要はグループの長を
全部やってたんですよね
そうするとうまくいく分もあれば
そうじゃない分もあったり
自分の代はいいにしても
次の世代にバトンリレーした時に
うまくいかないとか
社会人スタートと採用の仕組み作り
この人がなんかやる気とか
この組織がうまく継続するって
何が大事なのかなっていうのに直面したんですよ
その時にたまたま母親が
親父が亡くなって
カウンセリングを学び始めて
家庭教室が塾や親子問題を解決する
みたいなのに挑戦してて
その世界九大カウンセリングの
一つの学びをするキャンプがあるから
よかったら行かないかって言われてですね
ちょうどその人や組織に興味があったんで
なんか面白そうなんで行ってみるって言って
行ったんです
そしたらそこにたまたまある会社の社長が
家族連れで来てたと
息統合しまして
そのキャンプが終わった後
何度か食事に誘っていただいて
よかったら家で働かないかって言われたんです
何の会社かって当時聞いたら
営業マンの営業教育をやる会社
僕はイベントプロデューサー
それこそオリンピックとかバンパークとか
人を感動させる世界中の人を感動させる
イベントプロデューサーになりたいって思ってたんで
断ってたんですよ
そしたら3度目の食事で
コンちゃんとイベントやりながら
かつ僕大学院に進学して
イベント学っていうのを作りたかったんで
大学院に進学しながら
かつ家で働かないかみたいな
3つ全部できるならいいかもと思いまして
僕は親父が死んで
高校大学大学院と奨学金で行くとしたら
600万ぐらいの借金を抱えて
社会に出ることになるんで
働きながらやれるんだったら
それはそれでいいなっていうのが
思いとしてあって
即決でじゃあやりますみたいな
大学4年生の4月にその社長と出会って
5月に意思決定して
その会社に訪問してみたんですよね
一般的な就活してないですが
説明会や面接を受けたわけではなくて
社長とキャンプであって
3回飯食って決めたっていう話なんです
で入ってみるというか
行ってみると
まず大卒で初めての入社の1人だったんですね
新卒1人目みたいな
社員が20名ぐらいの会社で
売上が3億円で創業14年目
まさに中小零細企業っていうやつですね
で母親にもなんでそんな会社に入るのとか
って言われたんですけど
僕のそれこそ生きるポリシーの中に
やっぱこう決断の時点で正解って分かんないんで
自分で縁とか運で巡り合うものを
自分がそれを生かして
どうやってそれを正解に繋げていくか
っていうことが大事だって思ってるんで
まずは縁と運を感じたんでやってみると
でやってみたらですね
最初フルコミッションセールスの会社
これも聞いてなかったんですけど
俗に言う外資系のなんか政府みたいな感じ
売らないと給料上がらないみたいなね
なので新卒上がりのこの子に
そんなできんのって周りからなんか
冷ややかな身を感じながら
ここはとりあえず結果出さないと
何も始まらなさそうだと思いまして
とりあえず大学4年生のアルバイトだったんですけど
結果を出して
なんか新卒上がりの子なのに
なんかできるみたいなんですね
で社長に言ったんです
中等もいいけど
新卒の僕みたいな若い人が入れてほしいと
仲間が欲しかったんですよね
そこから
でも近藤君たまたまキャンプで出会ったけど
大手に入るような優秀な人材は
うちみたいに名もない
無名の会社が取れないだろうみたいな
社長じゃあうちの会社が有名になって
名のある会社になるのは何十年先ですかって
つい言っちゃったんですよね
すごい賢悪なノイドになりまして
それこそニワトリが先か卵が先かみたいな
でかい会社大きな会社だから
いい人材が入るという考えもありますけど
結局いい人材が入らない限り
いい会社はスケールを作れないなと
どんなスポーツチームでも
スカウトが一番大事だよなと思いまして
それを熱弁して役員会議で
100枚ぐらいのプレゼンテーションの資料を作って
出したんですよ
それが僕のバイブルなんですけど
でも100ページの提案書なんて
役員会議読まれないですよね
今だとA3一枚まとめたくなりますけど
当時そんなことも知らないんで
量があれば通るだろうみたいなね
でについで見る間もなくもう分かったと
中途最悪で300万年間予算取ってるから
その範囲で新卒でも中途でもいいから
300万でやれるならやってみろみたいなね
僕からすると300万という予算は大金だったんで
成功も同然だみたいなね
そこから大学まだ4年生でアルバイト期間ですけれど
採用の仕組みを作ろうと
当時僕の同期はみんなもう就活を終えて
内定者だったんですよ
僕は金髪で就活もしてなかったですから
どうやって就活してんだって聞いたら
ナビに登録するとか合節行くとかね
面接行ってとか色々聞いたわけです
でナビ会社とか呼んでですね
年間掲載したらいくらなんだと
だいたい年間掲載して
DMとか送ったら200万から300万ぐらいです
1掲載でそんなすんのみたいな
それからパンフレット16ページフルカラー
作りたいって言ったら
これも2、300万かかると
それから映像もね
2、3本ぐらい流したいなと思って
映像会社呼んだら
それも2、300万かかると
世の中は何やっても300万かかるんだな
みたいなですね
これはもう頭を使わなきゃいけない
金使ってる場合じゃなくて
頭使わなきゃいけない
で友達10人中7人ぐらい聞き始めた時に
あることに気づいたんです
これが僕の中では
人生の大きな発明だったと思うんですけど
8人ぐらい聞いていくと
みんなの見解の中で
就職活動ってそんなに
楽しいもんじゃないってことが分かったんです
説明会行くけど面白くないって言うんですが
面白くない説明会行かなきゃいいじゃんって言ったら
行かないと選考受けれないんだみたいな
そういうもんなの
選考って何なのと
筆記や面接みたいな
面接ってうまくいったと思ったら
なぜかダメだったりとか
これ落ちたでしょと思ったら
なんでか合格だったりとか
落ちたら落ちた理由って教えてくれるでしょって言ったら
そんなの教えてくれるわけないじゃんと
連絡が来ないイコール不合格なんだみたいな
そんな冷たい社会なのみたいなね
みんな内定したのだから入ったら何するのって聞いたら
いや細かいことは入社してみないと分かんないんだって
みんな言うんですよ
この時に学生は時間とエネルギーと労力使ってるけれど
企業もコストと労力使ってるけれど
お互いにとって有意義な場になってないなと思った時に
これはチャンスかもしれないと思いまして
そこから隣の会社が何やってるかとか
何が会社にとって採用やりやすいかじゃなくて
候補者にとって何が本当にためになったり
嬉しかったり来た価値になるような
採用活動ができるのかっていうことを
徹底して作ってみようみたいな
説明会一つ面接一つ
こんな説明会受けたことないみたいな
こんな面接自分の人生をここまで本気で考えてくれる
面接なんて受けたことないみたいな
一個一個をとにかく作り込もうと
どの会社も通常お客様にはやってるのに
候補者にはやってないと
これはチャンスだと思ってやった結果
1年目応募が1000人来て
20名の会社に16人新卒入れたんですよね
翌年今度プチコミが広がって
この会社の説明会インターン行った方がいいみたいですね
応募が10倍の1万人超えて
また15人入れて
4年後に応募が2万人超えて
その頃には当時私が入社した時にいた
20人のうちの半分ぐらいはいなくなって
残ったメンバーと入った新卒と
そこから取った中途で
会社がぐーっとスケールしていったんですよ
なんかそれが僕の大学時代のスタートと
社会人スタートみたいな話ですね
大変勉強になるお話ありがとうございます
アチーブメントでの経験と「超」超越への気づき
じゃあアチーブメントでのお話を
なさっていらっしゃると思いますが
アチーブメントでの一番の思い出は
今のお話って感じでいらっしゃるんですか
アチーブメントのまずスタート段階の思い出はそこですね
そこから人も入ってきて
新規事業を作ったり
会社の中核になるプロジェクトスタートしたりとかっていうので
大体7部門ぐらいの責任者を経ながら
大阪の支社を作ったりとかって最前線でやっていて
僕は10年は辞めないと思ってやってたんですよ
これは縁もありますし恩もありますし
あとは最終的には
やっぱり自分がその会社に何かを残して
親父が死んだ時に思ったんですけど
自分が死んだとしても
その先何かしら残るものを作っていくっていう
それには10年ぐらいかかるなと
10年経った時に経営者ぐらいに指名されるぐらいの
経営者になりたいと思ってたわけではないんですけど
価値をちゃんと生み出して
そういう候補になれる人材になりたいなと
そんな中27歳ぐらいの時が最盛期だったんですよ
とにかく自分が作った企画がバンバン当たって
事業も成長して売り上げも達成して
メンバーも各部も合わせると
20人直下で超えていくみたいな
その時の一番の思い出で言うと
乗ってた時に自分が信頼したメンバーたちから
近藤さんとはもうやれないみたいな
直談判に専務のところにみんながいて
もうやってやれないみたいですね
でそこで自分が専務のところに呼び出す意があって
でメンバーこんな風になってるよ
みたいなで1時間ぐらい話して
最後に言われたセリフがこんちゃんねと
自分のためにやってるから
メンバーがついてこないし
疲弊しちゃうねと
その時ムッとした思ったんですよ
自分のためになんかやってねーしみたいな
これだけ会社の成長とか
お客様のためとかメンバーのためとか
真剣にやってるのに
なんで自分のためとか言われなきゃいけないんだと
侵害だと思ったんですけど
ここで専務と喧嘩しても全然意味がないんで
もう蓋をパッと閉めてたんです
でメンバーと向き合って
それぞれの思いや考えを伝えあって
それはそれでもう1回チームビルディングされて
誰1人かけることなく
またいいチームで迎え合えたんですよ
そのエピソードは起業して42歳の時に
そのエピソードがまた復活するぐらい
でもその時には閉まってたエピソードなんですけど
今振り返るとその27歳の時に
自分が気づいてなかったことが
結構大きなポイントだったんだろうな
っていうのを思うという感じで
27歳の時合わせて思ったのが
それだけ再生期になってた時に
自分が親父が死んだ時のラストメッセージにあった
この超越するっていう
これが体現できてるなって実は思ったんですよ
これ自分にしかできない
自分だけの価値が生み出せてるなと
この新卒採用という分野において
あらゆる会社が成功していってましたから
このコンサルティングノウハウは
唯一無二だなと思いまして
自分にしかできない価値が
生み出せてるって思って
ちょっとこう息が治ろうと思った瞬間
待てよと思ったんです
何思ったかっていうと
今度自分が死んだら地球困るかもって
思い始めたんです
自分が死んだら地球が困るぐらい
価値ある自分になろうと思って
頑張ったんだけど
その自分にしかできない
唯一無二の価値を持った瞬間
今度自分が死んだら
地球困るなみたいな
これはちょっと地球に感謝がねえぞって
思い始めまして
じゃあどうするって思った時に
そっかって思ったんですね
要は人間っていうのはいつか終わりが来ると
いつか死ぬと
しかしながら組織とか
チームとか
そういうものというのは
次の台にバトンリレーしながら
ずっとなくてはならない価値を生み出せる
過去として存在し続けられるかもしれないな
と思いまして
ですから自分にしかじゃなくて
自分たちにしかできない
自分たちだけの価値を創造するっていう
複数形にする必要があるなと
すなわち超越ではなくて超超越だと
だからドラゴンボールで最悪人じゃなくて
スーパー最悪人ぐらいにならなきゃいけない
みたいなね
その時に気づきがあったんですよ
そこからピンのコンサルタントとか
ピンのビジネスパーソン
プロビジネスパーソンという立ち位置から
やっぱり組織やチーム集合体を作っていくっていう
観点になった時に
経営者とかリーダーみたいなものに
もっと言うと
仕組みや構造を作るみたいなことも含めて
すごく考え始めたっていうのが
27歳の転機なんですよ
で31歳ぐらいの時に
ちょうど10年になった時に
たまたまその当時ですけど
社長はお子さんに都合かな
みたいな話も出てきた中だったのと
あとは経営人の会社を
こういう会社にしていきたいという方向性と
自分がちょっと考える方向性と
一致する部分と
ちょっとどっちが正解ではないんですけど
違う部分がありまして
だとしたら自分で船をもう1回作る
イカダ船から挑戦するっていうことも
やってみる価値があるかなっていうことで
独立したっていうのが31歳
そんな流れです
本日も社長に聞くインウィズウィズを
お聞きくださり
誠にありがとうございました
この番組は2017年1月から
毎週配信を続けております
これまでにたくさんの
生光社長、生光経営者のインタビューを
お届けしてまいりました
その内容はすべてテキスト化いたしまして
私どもウィズウィズが運営するウェブサイト
経営ノートでも
閲覧いただけるようにしております
音声だけでなく文字で読み返すことで
新たな発見や気づきがあり
皆さんの会社系に役立つヒントが
きっと見つかるのではないかと思いまして
サイトの方にもさせていただいています
ぜひネット検索で
経営ノートスペース社長インタビュー
と入力いただき
経営ノートのサイトをご覧になっていただければ
というふうに思っております
本日の社長に聞くインウィズではここまで
また来週
36:43

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