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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社識学代表取締役社長 安藤広大様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1979年、大阪府生まれ、早稲田大学卒業後、株式会社NTTドコモに入社。
その後、Jコムホールディング株式会社を経て、識学と出会い、独立。
2015年に株式会社識学を設立。
そして、2019年には東京証券取引所、マザーズ市場、現グロス市場に上場されている上場企業の社長様でいらっしゃいます。
安藤社長様、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は大阪府のことで、小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか。
小学校時代は一時的に京都府の上岡市というところに住んでたんですけど、非常に新興住宅地で田舎の小学校にいて、
小学校1年生のときは1学年8人、男4、女4みたいな感じで、卒業時には3、40人ぐらいになったと思うんですけど、
そういう田舎の小学校で育ちまして、小学校のときは自分で言うのもなんですけど、本当にめちゃくちゃ勉強できまして、
スポーツもそこそこできたっていうことで、生徒会長とかもやってたりとか、本当にクラスの中心的存在でいたっていう感じだったと思います。
小学校のときはリーダーシップを発揮したり、表になってた感じでいらっしゃいますか。
そうですね。本当に当時のレベルで言うと何でもできたと思うので、そういう感じだったと思います。
中学時代はどんなことして過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
中学校時代も公立の中学校でしたので、小学校の延長線上で、他の小学校2校、3校の小学校が集まるという小学校にいたんですけど、
スポーツのほうはさすがに小学校のときほど何でも一番という感じはなくなったんですけど、そこそこできるほうで、
勉強のほうはずっと一番できたので、中学校でも変わらず生徒会長とかをやってて、
あとはバスケットボールをやってまして、バスケットボールのキャプテンとか、あとは田舎の中学校でしたので陸上部がなくて、
陸上大会に出ようってなったときには各部からの寄りすぐりで招集されて、それで大会に出たんですけど、
そこでもキャプテンとかやらせてもらったり、とにかく何かあればリーダーの立場を任せられるという存在だったと思います。
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なるほど、じゃあそうすると今も社長様でらっしゃいますので、もともとリーダーシップをお持ちでらっしゃったんですか?
そうなんですかね、ちょっと分かんないですけど、あったのか、たまたま勉強ができたので、
そういうところに無理やり配置させられたのかちょっと分かんないんですけど、そういうところはあるかなと思います。
なるほど、ありがとうございます。高校は京都の方も高校でらっしゃいましたか?
高校はですね、高校から大阪の方に家族ごと引っ越しをしまして、大阪の公立高校の方に入りまして、なので大阪ですね。
なるほど、高校時代はどんなことをして過ごしたのかお思いでございますか?
高校時代はですね、ここから大きく変わるということなんですけど、高校は今でも大阪で一番の新学校って言われてます。大阪府立北野高校というところに入りまして、
もうここではですね、勉強もですね、本当にみんな本当に各中学校の上位の人たちが来ますので、そういう意味では勉強も全然できる方じゃなくなって、
高校ではラグビーをずっとやってたんですけど、ラグビーを一生懸命やってたので、いいわけなんですけど、勉強もあんまりしてなくて、成績もですね、400人中300番から350番ぐらいを推移するっていうような形で、
なんとか必死で勉強はついていきながらも、部活を中心とした、そういう生活を過ごしたかなと思いますね。
なるほど。ラグビーはポジションはどちらをやってらっしゃいますか?
ポジションはセンターというポジションで、12番、13番というバックスの真ん中のところにいるポジションなんですけど。
じゃあ足も速くて、そんな感じで。
そこそこ速くてっていう感じですかね。
なるほど。ありがとうございます。大学は早稲田大学とのことなんですが、早稲田大学を選ばれた理由は何かございます?
高校でラグビーやってまして、当時大阪って私立の超強豪校と、次の層に来るのが、僕らみたいな公立の新学校がラグビーは強くてですね。
僕らもまあまあ強いチームでして、ただ私立の強豪が強いので、全国大会には行くのは現実的に難しいレベルだったんですけど、
僕らのレベルで言うと、ベスト4ぐらいまで行けると、出し切ったなというかやり切ったなっていうような形で高校のラグビー生活を終えて、
大学はちょっと違うスポーツをやろうと思ってたんですけど、ベスト16ぐらいのところで負けるはずがないというか、あんまり負けることをイメージしなかった相手に負けてしまって、
もう少しちょっとラグビーしっかりやりたいなっていうふうに思いまして、
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大阪大学が、ご存知の方も多いと思うんですけど、大学日本一を常に目指しているような部活ですんで、
大阪大学に受験で入って、受験で入ってラグビーに入ろうということで、大阪大学を選んだという感じですね。
ありがとうございます。体育界のラグビーに入られたんですか?
体育界のラグビー部に、はい、4年間。
これはもうすごいお上手じゃないと大変だと思うんですけど。
大阪のラグビー部っていうのは、半分は推薦組が来て、半分は僕らみたいに受験組がいますんで、そういう意味では決して珍しくないというか、いうことでした。
結構試合にも出れたもんだんですか?
いやもう全然出れなくてですね、結局最後までレギュラーになれなくて、常に2軍とか3軍とか、メインはずっと3軍とかぐらいが多かったと思うんですけど、
うろちょろしてるっていうような感じだったんですけど、たまたま3年生の春だけ、1軍の試合に数試合とさせていただく時期がありまして、
その時に、その後の人生につながるんですけど、その時にNTTドコモのラグビー部から声をかけてもらってですね、
ラグビー部の推薦という形でNTTドコモに入社が決まったという形ですね。
なるほど、ありがとうございます。
新卒でNTTドコモに行かれたのはラグビーがきっかけでなんでしょうか?
そうですね、ラグビーがきっかけで、いわゆる社会人ラグビーというか、当時はラグビーっていうのもここまでプロ化が進んでいなくて、
ラグビーやりながら社会人生活を過ごす、要は社会人としての比重が、ビジネスマン、社会人の仕事と比重が各チーム違うような形でして、
ドコモはとはいえ、当時は関西のBリーグの、関西の2部リーグの下の方にいたので、
なので割とラグビー中心というよりは仕事を中心にして、仕事をちゃんと6時までやって、
その後、週に3回ぐらい練習をするっていう、ちょっとクラブチームに近いような形の運営のところに入るという条件で、
普通にサラリーマンやりながらですね、ラグビーもやるという形でNTTドコモに入所したという感じですね。
なるほど、ありがとうございます。NTTドコモでの思い出なんてございますでしょうか。
そうですね、いろいろあって、やっぱり大学4年間しか本当にラグビーを中心に過ごしてきましたので、
そういう意味ではこの社会人でのラグビーっていうのは、いまいち情熱が入ってこないというか、
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その時を同じくしてですね、入社してすぐにですね、NTT西日本のラグビー部が配分になるということで、
NTT西日本のラグビー部はすごい強かったので、関西のAリーグの一下かBリーグの上位にいたので、
NTT西日本のラグビー部はそのままドコモと合流することになりまして、
急にドコモのラグビーを強化するって言われましてですね、
そこから仕事は半分ぐらいでいいよみたいな話になって、
ラグビーをやる気もそこまで思ってなかったし、
急に強化されて仕事のほうをやらなくていいっていうふうに言われるのもちょっと違うなということで、
1年目でラグビー部を辞める決断をしました。
っていうところが一番初めにあって、そこからは本当に仕事中心で4年間やってきたんですけど、
ずっとドコモの中では割と評価を受けていまして、
4年目で辞めるんですけど、3年目の半分ぐらいまではずっとA評価をもらってましてですね、
今思うと何が評価されたかわからないんですけど、
仕事はすごい楽しくやらせていただいていましたね。
大学のラグビー部時代っていうのは本当にちょっとだけアルバイトしてたんですけど、
ビジネスのこととか全く考えたことなかったんで、本当ゼロからのスタートでしたので、
そういう意味では社会人の基礎というのを身につけさせてもらった場所かなというふうに思います。
NTTドコモではどんな系の仕事をなさったんですか?
僕は代理店営業をやってまして、いわゆるドコモショップとか量販店とか、
いわゆるドコモの商品を売っていただいている代理店様のサポートするという形でやらせていただいてました。
なるほど。ありがとうございます。
その後、Jコムホーディング様に移られてらっしゃいました。これはどういった経緯で移られてらっしゃったんですか?
ドコモの仕事をすごい楽しくやってたんですけど、3年目の終わりぐらいに、
僕は関西採用だったんですけど、東京採用の人間ですごく仲良くした人間が、
ドコモを辞めるということを言い出しまして、何でだというふうに言うと、
簡単に言うと、環境がやっぱり恵まれすぎているというか、
このままいると自分で生きていく力を身につけられなくなるというようなことで、
もっとチャレンジしたいんだということで辞めるということを言ってまして、
その時は僕はすごい衝撃的だったんですけど、でもよくよく考えてみると、確かにそうだなというふうに思いまして、
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4年目に入って、僕も4年目の前半、
辞めることを決断して、そこからどういう道があるのかなということを探り始めたという感じなんですけど、
その時に、Jコンホールディングスという、当時メインの事業は、
携帯電話業界向けの派遣会社というのがメインの事業でして、
いわゆる我々はドコモの業者さんというか、ドコモと取引なるというか、
そこがもうすぐ株式上場するらしいという話を聞いてまして、
ただ、僕らがお付き合いさせていただいているような、
営業マンとか、営業のところの責任者の人とかと話をしていると、
ちょっと言い方はあれなんですけど、決して何と言っても、
何と言っても、何と言っても、
すごい仕事ができるなという感じでもなかったんですね。
で、何でこの会社で上場できるのかなというか、
何でこんなに伸びているんだろうというふうに思った時に、
たまたまそこの会社の、今でも社長をやられているんですけど、
方とお会いする機会があって、この人だなと、
ひょっとしたらこの人の仕事ができるかどうか、
この人の力が圧倒的だから言っているんだろうなというふうなことが、
ある程度自分の中では分かって、
なので、この伸びている会社で、かつトップの圧倒的力によって伸びている会社で、
僕が入って、ちゃんと頑張れば、割と早いタイミングで伸びている、
もしかしたら伸びているかどうかというふうに思った時に、
何と言っても何と言っても、
上々企業の経営者に近いところで仕事ができる可能性があるんじゃないかなというふうに、
直感で思いまして、入れてくださいということで、
お願いをして採用してもらったという感じですね。
なるほど。ありがとうございます。
チェイコム・ホールデン様での思い出は何でございますでしょうか。
本当は過去の話なのであれですけど、入って言ってしまえば、
ドコモンの時は本当にくじごじの生活というか、
ほとんど厳しい残業もないし、厳しい数字に追い込まれることもほぼない4年間だったんですけど、
そんな待遇も良かったですし、給料も良かった、
捨てて転職したわけですから、
成果を上げるしかないという環境の中で、
言ってしまえば、当時は今は知らないですけど、
そのブラックな環境の中で、
いかに最短で自分が評価をされる、
自分が数字で評価されるにはどうしたらいいのかということで考えたときに、
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人材派遣業なので、割と労働集約の部分も大きい、
いかに多くのスタッフとコミュニケーションできるか、
いかに多くのお客さまに提案できるかという、
時間とアタック数に比例して売上伸ばせるなということが、
なんとなくわかったので、とにかく働こうということで、
めちゃくちゃ働いたんですね。一番働いたのは、
4月から入社させてもらって、翌年の2月から、
携帯電話繁忙期が始まるんですけど、2月、3月、4月は休みゼロで、
毎日1時ぐらいまで会社に行って、
特技な会社に寝泊まりするような形でやって、
本当に売上急激に伸ばして、ということをやったのが思い出ですね。
大変でしたね。その後、一段落してゴールデンウィーク明けのときに、
多分、僕、人生で初めて寝坊してたんですけど、
会社から電話がかかってきて、そのときの上司から連絡がかかってきたんですけど、
何も怒られなかったというか、僕が3ヶ月、
休みなしで働いたのをしてたんで、大丈夫かみたいな感じにだけが来たというか、
そういう思い出がありますね。
なるほど。劇もこなして、優秀な成績を上げて、
そういう感じでやらせますね。
そうですね。当時はそうですね。
ありがとうございます。そのジェイク・モフォルニクスの後、
お互い独立ということなんですが、これはどういったきっかけで出会ったというか。
そうですね。ジェイク・モフォルニクスの中では、
そういうふうに必死で通じを残した結果、
多分3年ぐらいで、ナンバー3のポジションぐらいまで上げさせてもらいまして、
親会社では取締役ではなかったんですけど、
当時は本当にその子会社のJ.COMという会社が
売上げのほとんどでしたので、そこでは役員という形で、
実質、営業のトップですね。社長の次。会長、社長がいて、
その次のポジションが僕だったので、そこで3年間ぐらいずっと
全国の営業の責任者という形でやらせていただいてて、
当時の携帯電話派遣業界の中ではナンバーワンの会社でしたので、
そこでの営業責任者として、いろんなクライアントの責任者クラスを退治して、
取締役という経験を積ませていただきまして、
やはりそのポジションとかになってくると、最後は
トップの人との経営方針とか、会社に対する考え方とかの
ズレが出たら、そこはオーナーの会社なわけですから、
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自分が合わせることができないなというふうに思ったら、
辞めるというのも一つの選択肢だと思うんですけど、
そのタイミングで、当時クライアントだった e-Access から
ヘッドハンティングをしてもらって、e-Access に転職をすることを決めたんですね。
それで辞める予定だったんですけど、辞めても入社日も決まって
というタイミングで、e-Access がソフトバンクに買収されたんです。
ソフトバンクに買収されて、もともとNTTドコモにいて、
e-Access みたいに、小さくないんですけど、
他の通信キャリアに比べると、小さい会社が
そこへ戦っていくというところに魅力を感じて、
そこに入って、割と組織の上位のほうでやらせていただける話になってましたので、
ということに魅力を感じて、転職を決めたのに、
ソフトバンクに入って、いい会社なんですけど、
部長をやるっていう人生はちょっと違うなということで、
逆に行くのを辞めたっていう感じでした。
辞めたんですけど、辞めて
という時に、たまたま式学というロジックに出会ったんですね。
それで、これはすごいなというか、
というふうに思ったっていうのがきっかけです。
本日も社長に聞くイン・ウィズビズをお聞きくださり、誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
ネット検索、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただき、
KAノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くイン・ウィズビズはここまで。