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こんばんは、ヴァルです。 このチャンネルは、弱さを抱えた自分が人生をサバイブしていくための思考、感情の記録と、気軽に聖杯できる縛りのない緩やかな繋がりを作っていくために、今日も配信していきます。
はい、ということで皆さん、前回の配信、聞かれた方、すいません。 かなり感情的というか情緒的に話しちゃったなぁと思いました。
でもね、こういう出来事って基本配信にはしない。 例えば収録したとしても配信にはしないつもりだったんですけど、
前々回ね、加藤秀文先生の話を持ち出しているのに、 加藤先生の死に対して何も触れずにいるのは嫌だなぁと思って、
まだ整理できてない状態のまま出しちゃいましたね。 あと、いつもタイトルコールで、脆弱性を抱える、弱さを抱える自分があって、いつも言ってるので、
そんな配信もね、たまにはいいかなぁと思って、えいやで出してしまいました。
で、前回のようにね、実際にはこうやって出来た出来事に対して、 ちょっと大げさに捉えてしまったりとか、まあ感情が揺さぶられることもね、
多々ある人間なんですよっていうことでございます。 ということで、加藤秀文先生のお話から通じて、
今回は、いわゆる死というもの。 誰かを失うこととか、自分がこの世からいなくなることについて、
少し、もう少しね、あのー、冷静に話してみたいと思います。 くしくもね、私今日誕生日なんですが、
誕生日にこんな話するっていう感じでもあるんですが、 誕生と死はね、切り離せないものですからね。
どっちかというと、ライトにね、死というものについて、 ちょっと話してみたいなぁと思います。
えー、はい、私はね、加藤先生の、
亡くなられたっていうニュースを通じて、 この世からいてほしい人が、この世からいなくなってしまうっていうこと。
それから転じて、身近な人の死について、 ちょっと考えましたね。
で、こう世界にいてほしいって思う人が、 永遠にいなくなってしまうっていうこと。
私は幸いにも、身近な人に対してかな、 ほとんどそういう経験がない。
おばあちゃんをなくしたくらいで、 ほとんどそういう経験がないんですけど、
これから増えていくんだろうなと思っていて、 だからこう、まだ経験のないもの、
誰かを失うこと、死そのもの、
に対して、こう、恐怖、怖さをやっぱり感じていて、 経験したことってやっぱり、
あ、経験したことのないことって、 誰にとっても怖いものだと思うので、
だからこう、できるだけ理解したくて、 死がテーマで扱っている作品ですね。
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映画とか本とかドキュメンタリーとか、 ついこう気になってね、
そういうものを見たり手に取ることが多いんですけど、
例えば年末、去年の年末に見た、 兄を持ち運べるサイズにっていう映画があるんですけど、
これ、私が今住んでいる宮城県、
さらに田河庄市っていう場所が、 舞台になった映画なんですね。
これ私見たんですけど、
簡単に言うと、主人公の、 柴崎孝さん演じる主人公が、
小田切城さん演じる兄の、 死の後始末を通して、
お兄ちゃん、兄との角質とか、 お家族のあり方の、
こう、かたまた考え方を少し緩ませるようなね、 話で、とても良いお話でしたね。
で、ちょっと簡単にお話しすると、
小田切城さん演じる兄、主人公の兄は、 とにかくめちゃくちゃな人でね、
主人公をずっと振り回してばっかりで、
で、そのくせ、自分より母親に可愛がれていたのに、
母親が病気になった途端、逃げるように、 その場から去っていって、いなくなって、逃亡してしまったり、
あとは、自分に対してね、金の無心をしたりとか、
主人公は、とにかく兄を嫌って憎んでいたんですよね。
で、亡くなった後、しょうがなくね、 その兄の後処理っていうかね、
をしに行くんで、佐賀城市に行くんですけど、
で、兄はこう、離婚をしていて、元妻がいるんですね。
で、元妻と主人公は意外と仲が良くて、
で、一緒にこの新ペン整理っていうのかな、 遺品整理かな、をするんですけど、
兄が亡くなった布団のね、
わ、やばいねこれ、みたいな、
それをこう、えいやーって片付けてこう、
あの、思い切ってやっちゃえ、みたいな感じで片付けたりとか、
あとはもう、兄に対してね、こう、バカ野郎って言いながら、
こう、離婚したね、お兄ちゃんの妻と、
一緒にこう、焼却炉に片したゴミをぶん投げたりとか、
うん、なんか、何もまずは考えてらんない、悲しんでらんないし、
人生は続く、とにかく片付けっていう感じで、
でも、ところどころで、こう、兄が原影としてね、現れて、
で、整然と変わらない、ひょうひょうとした姿で、現れるんですけど、
で、物処理が終わった後に、こう、最後の姿、
やっぱ、兄がいて、それに対して、こう、ついにこう、正面から向き合うってことになって、
で、兄は、ま、社会的にも不適合な人間、チャランポランな人間だったけれども、
それだけじゃない、こう、人間としてね、
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良いものというか、うん、やっぱいい奴だったよね、
ダメな奴だけど、でも悪い奴じゃなかったよねっていうものをちゃんと持てたっていうのが、
うん、主人公の中で気づけて。
で、なんか、
お葬式って皆さんどう思いますか?
嫌ですかね?やっぱり避けるべきものっていうイメージありますかね?
なんか、私も数えるほどしかお葬式はまだ行ったことがないんですけど、
その人のね、人生の、なんか、総計算を見ているような気持ちになりますね。
その人がどう生きたかとか、こう、どういう人に囲まれて生きてきたかがわかるというか、うん。
で、それって、あの、ある意味亡くならないと、
わからないことっていうか、生きているうちはどんなことがその人に起きるかわからないし、
どういう気持ちの変化とか性格が変わるかとかわからないので、
亡くなってみないと、その人がどう生きたかってわからないんですよね。
お葬式ではそういうことがわかるので、
なんか、そんなに嫌な感情は湧いてこないんですけど、お葬式に対して。
で、ちょっと話がまたそれって申し訳ないんですけど、
あの、今日ちょっと通院したんですが、
その時に、えっと、
薬局に置いてあったパンフレット、
で、それが、こう、癌を経験した方のインタビューだったんですね。
で、それ、
インタビューの出だし、こういう経歴が、みたいなのを、
どっちかっていうと、人生の苦難に対して、こう、
つらつらと述べられている。
例えば、高校時代は引きこもりだったとか、
仕事も、もう何年も泣かず飛ばずでとか、
何年に癌を患ってとか、交通事故があってとか、
なんかそれって、逆履歴書みたいな感じだなって思って。
で、それってなんか通常の履歴書と違って、
こう、嘘がつけない部分ありますよね。
だって、こう、どんな苦難、苦しいことがあっても、
こう、その人は存在しているっていうね。
もう、生きていることが、もう、
困難があったけど、でも生きているっていうことが、
もうそれだけで、何だろう、意味があるというか、
証になるというか、魅力すらになるというか、うん。
強烈にその人を、こう、形作るものになるというか、うん。
逆履歴書っていうのも、なんかあっていいなって、
すいません、話し逸れたんですけど、思いましたね。
で、その詩に関してで言うと、
えっと、平野圭一郎さんの本心っていう小説、
これずいぶん前に読んだんですけど、
これは結構、なんか自分ごととして考えさせられましたね。
うん。
で、その小説の中ではね、こう、AIの技術で、
こう、本物と同様に生前の母の姿を、
こう、アバターとして生み出して、
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こう、生きてた時のように、会話ができるっていうサービスが存在してるんですね。
で、その主人公の母親は、自死、
自分で死ぬっていうことを選んでいて、
で、ただ、その母親は特別不幸せだったわけでもないし、
主人公自身も愛されて育ってきたと思っているし、
で、母には生きていって欲しかった。
なのになぜ自死を選んだのかっていうところ、
で、それが知りたくて、
そういうアバターを作るサービスみたいなものに契約するんですけど、
で、母はね、育成と同じ、全く同じ声で、
ほとんど違和感なく会話できるんですけど、
でも、ところどころ、やっぱり、
母親では言わないことを発言してしまって、
主人公は自分で修正をするんですよね。
で、お母さんはそんなこと言わないでしょって、
こういう時こう言ってたじゃないかって言うと、
そうだったわね、ごめんねって言って、
こう、主人公の理想の母親像に非同修正するんですけど、
でもなんかそれって、
こう、本物に近ければ近いほど、
育成を使って、アバターを使って、
本当にリアルに母親に近づけようってすればするほど、
そのちょっとした違いが浮き彫りになって、
こう、辛いんじゃないかなって思って、
やっぱり本物の母ではないので、
うん。
で、実際にこう、中国で、
こう、亡くなった方の見た目とか育成を、
AIで再現してるっていう記事を見かけたことがあるんですね。
それって、こう、救いになるんだろうか、
どうなんだろうかって思ってて、
うん。で、人は声から忘れていくっていうことも聞いたことがあって、
なんで、その声を残しておける、
姿を残しておけるっていうのは、
慰めにはなるとは思うんですけど、
でもやっぱり人生を一緒に歩めるわけじゃなくて、
いつかは、こう、その人を失うっていうこと、
喪失と向き合わなければならなくて、
うん。
だから、こう、一日一日を大切に、
じゃあその人と向き合おうって言うまでは、
そこまではそんなに一生懸命、
毎日生きれないよって思うんですけど、
でも、いつか失うかもっていう心の準備を、
うーん、しておきたいなって思いました。
出なければやっぱり受け止めきれない。
辛すぎるなって。
うん。
で、昔、こう、黄身の水蔵を食べたいでしたっけ?
なんかそういう作品があったなって思うんですけど、
なんか私は、こう、作品に消化したいような気持ちになりましたね。
例えば母親で言うなら、
母親のでっかい頭のおじ、頭っていうか、
あの、頭部のオブジェとかね。
うん。
母親のでっかい顔のオブジェが、
ボンって置いてあったら面白いなとか、
ちょっと笑えるし、
なんかそういうの作ってもいいかなとか、
思ったりしましたね。
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で、なんか私自身の死っていうことについては、
うーん、
なんか消えたいって思うこと、
なんか辛いことがあって、
消えたいって思うことは多々ありますが、
死にたいって本気で思うことは、
私はないです。
うん。
なので今のところ、まだまだ生きるつもりなんですけど、
あの、スイスとかではね、
採用されている、
損原種とか、
そういうものも、
どうなんだろうって、
うーん。
またその、私がおばあちゃんになった未来で、
そういうものがもしかしたら、
日本でも適用されるのかなって思ったり、
うん。
で、これまた、
あれですね、エッセイコミックを書いている、
前にもご紹介したかもしれないですね。
週末北欧語の、
ちかさんっていう方が、
エンディングノートっていうのを書いててね、
これもいいなって思いましたね。
何が自分が好きで、
何が嫌いかとか、
自分をどう扱ってもらいたいか、
みたいなものを、
書いておくと、
自分がもしね、意思を伝えられなくなった状態になっても、
ノートが代わりに伝えてくる、
っていう感じで、
そんな早すぎるだろうって、
思われるかもしれないですけど、
でも作っておいてもね、
いいんじゃないかな、
と思いましたね。
私は結構、こういうものが好き、
こういうものは好きじゃないっていう、
こだわりが強いタイプなので、
死んだ姿も叶うなら、
コーディネートしたいですよね。
こういう服着て、メイクはどうで、
とか、
あとね、お葬式楽しんでてほしいですよね。
もうお葬式を、
結婚式の二次会みたいに、
出会いの場にしちゃってもらって、
OKよ、みたいな。
ワイワイやっちゃって、みたいな。
で、こうガンガンクラブ、
クラブミュージックかわかんないけど、
なんかかけて楽しんで、
バイバイしてもらう、
お葬式とかだったらいいなって思いますね。
で、やっぱり、
わからないことだらけだから、
これからも、
死っていうものとは、
なんか積極的に、
向き合っていきたいなって、
私は思いますね。
痛みっていうものとか、
悲しみっていうものとか、
やっぱしおらないと、
怖いままだから、
だから向き合うっていうか、
うん、知りたい。
なんかそれを聞くと、
なんかヤバい人なのかな、
みたいな。もしくは、
超ネクラなのかな、みたいな風に、
思われるかもしれないんですけど、
それはそれでその通りかもしれない。
でも、これが私の、
なんだろう、
喪失との乗り越え方、
っていうかね、
心の準備の仕方、
かなって思いましたね。
はい、皆さんはね、
どうやってこう、失うことの痛みと、
関わってますか。
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もしくは、それは、
やっぱりこう、自分の中では、
タブーというか、
あえて触れないように、
今を生きるっていうことを、
大切にしてますか。
なんかこういう話って、
うーん、あんまりこう、
積極的に、
交わされることないですけど、
こういう話はなんか別に、
重たくじゃなくて、
カジュアルに話してもいいんじゃないかな、
って思いますね。
なんかいろんな人とそういう話したいな、
って思いますね。
ぜひ、コメントでも教えていただけると、
嬉しいです。
あとは、そうだ、来週ですね。
えーっと、ちょっと待って。
準備してなかった。
来週の、
コラボライブの
アナウンスです。
1月31日の
土曜日の
お昼、今回は
お昼ですね。12時から
いつも
お相手になってくれている
あやまるさんと
コラボライブしたいと思っています。
休日の
ゆったりとした時間に、
心のこと、
特にそのメンタルの
ケアとかね、
うーん、私は特に
その、
気分の浮き沈みが
大きいっていう性質、
双極性障害って、この平たく言うと
言われているものを
今も抱えていて、
うーん、でもまあ、
乗りこなしながら、
何年もかかってますけど、
乗りこなしながらやってきました。
で、全く
同じ人も
は、なかなかいないと思います。
同じ病状でも全く同じではないと思うし、
えー、例えば鬱を
経験したりとか、
鬱病っていうことではないけども、
気分の落ち込み、やっぱりあるよねっていうこと、
これって結構普遍的に
言えることなんじゃないかなって思っていて、
うーん、
なので、
あやまらさん自身もそういったものを
経験されている方なので、
どういう経験をしていて、
どういうふうにじゃあ、
うーん、乗りこなすっていうかね、
日常をこう変えていったかなとか、
そういうことを
あんまり形式ばらずに
っていうか、お昼の時間なのでね、
ゆったりとした気持ちで、
うーん、1時間ぐらい
お話してきたらいいなと思っております。
なので、お時間あれば
ぜひ、あのね、
作業のお友とかに
聞いてもらえると嬉しいです。
はい、宣伝以上です。
では皆さん、
良い夜をお過ごしください。