番組紹介と室生犀星「音楽時計」の朗読開始
湧き水のほとり
FM八ヶ岳をお聞きの皆さん、各種インターネットからお聞きの皆さん、ご機嫌いかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組、湧き水のほとりの時間です。
児童文学や、昔懐かしい物語、様々な文豪の短編などを、少しずつ読ませていただきます。
美味しいお水を召し上がりながら、一息ついてくださいね。
今週来週2回に分けて、石川県金沢市出身、詩人でもある室生犀星の作品「音楽時計」を読んでいきます。
それでは早速どうぞ。
室生犀星作 音楽時計
音楽時計と病気の少女
開花では、晩にさえなると音楽時計が鳴り始めた。
ばらばらな音色ではあるが、静かに聞いていると、不思議にすべてがつながれあった一つの消化をつづり合して聞こえた。
昨日も今夜も毎日それが続くのである。
ねじがなくなるにしたがって音色が次第に物を浮くだるい調子になって、始まりにはまるで消えてしまうようにいつの間にか止むのである。
あとは、しんとした小道の奥の暗い詩の垣根をめぐらした古い家が、何一つ音もなく降り続く雨に閉ざされているのであった。
お母さん、またその弱々しい腹の底から出たような小羽根が、二階の私の机のそばまで聞こえた。
私はその声を耳に入れると、はしご壇を降りて茶の間をあけた。
そこには痩せて小さくなった白うりのような顔が、低い伝統の光を受けてすぐ私の方を眺めた。
病めば病むほど大きくなった瞳孔がすんで物上に私の顔にそそがれた。
今ね、お母さんが通りへ買い物にいらしたんです。
だから用事があるなら行ってごらん。
私はそう言って覗き込むと、小さい病人は黙って目をつむってしまった。
物を言うこともいやなような疲れた顔をしていた。
行ってごらん。
また遠慮しているんでしょう。
その時小さい病人はまたぽっかりと目をあけて私の顔を見た。
そしてにっと優しく微笑んで見せて小さな声で、
時計にねじをかけて下さいなと言って、
弱い筑紙のような微笑んだ皺を頬にあらわした。
ああそうか、少しも気がつかなかった。
私はすぐねじを巻き始めた。
その手つきを病人は楽しそうに見つめていたが、
まもなく音楽時計がいつもと同じ調子で鳴り始めた。
それは明るい華やかな曲がちょうどピアノのような美しい音と色と思って絶えず暗い一室に繰り返された。
と子供の喜びそうな単純さと失望さ等を絶えず繰り返すのである。
小さい病人は目をあけてそれを一心に楽しそうに聞いていた。
そしてしまいには熱そうな小さい腕を床の中から滑り出して、
お母さんは遅いわね、と突然に病人が言い出して病的に涙ぐんだ。
妙に音楽にでも誘われたような優しくうっとりとしたような声であった。
かいかからだるい声でよくこう呼ばれたが、
おかみさんは通りへ買い物に出かけた後なので誰も返事がなかった。
雨の音だけが屋根をたたいていてその小さい病人のだるい声を響かした。
雨の日は妙に人声が重く響くものである。
少女の願いと語り手の気遣い
お母さんもう十分もたつとね。
私はどう言っていいかわからなかったので気休めにそう言った時、
病人はまた突然に雨が降っていてそう私の顔を見つめた。
低い聞えるか聞えないかの程度で外は長い雨も終わろうとするかすかな雨の音を続けていた。
少し降っていますよ。
あすになると晴れるでしょう。
病人はまた目を閉じてしまった。
時計はだんだんねじのゆるむにしたがってゆるい絶え絶えな音色を続けていた。
またぽっかりと病人は目をあけて低い声でささやいた。
おじさん二階へ行って勉強していて下さい。
もういいの大人のように言って微笑んだ。
子供も病気をすると大人のような気持ちを持つようになるものだと思いながら。
ご用があったら呼びなさい。
かまわないから。
さあそういうと、
ええとうなずいて目を閉じた。
二階へあがりかけるとこの古い家のはしご壇が暗くて変な闇のにおいのようなしけた臭みがした。
病状の進行と別れの予感
ひとりでも病人がいるとどうしてこんなに陰気になるものだろうと
そこらの壁や板べりなどに何か陰気なものがべっとりとくぎついているような気がしてさびしかった。
通りから小道へ入ってくるらしい足音がした。
傘を打つ雨足がだんだんに近づいてきたので母親が帰ってきたことに気がついた。
ただいま。どうもありがとうございました。
おかみさんははしご壇のところでそう言ってすぐ茶の間へ入った。
しばらくすると例の時計が鳴り出した。
私はだるい毎日を二階に送っていたがときどき貝家へ行ってはおかみさんの洗濯や買い物に出かけたときに少しずつようたしをしていた。
小さい病人は日に日にやせて気難しくなって音楽時計のねじばかりかけさしていた。
そのうえ苦しそうにだるい声でああと熱にうかされてはうなっていた。
風の具合とか雨の晴れ間などにそのうなり声が遠くなったり小さくなったりしていた。
その声を聞くたびに私はくらい気持になってわさとはしご壇のそばまで行って耳をすました。
ときには貝家へおりるとよわやわしい声でなにかぶつぶついうのがいつのまにかわからなくなっていた。
もうなにもたべないばかりでなくいつ息をひきとるかわからなくなっていた。
病気がなおったらぼくがいろいろなところへつれて行ってあげますよ。
どうぶつ園でもうえのえでもね。
そういうと女の子は私の顔をまんじりとながめる。
そしてあたしなおるかしらなおらないかもしれないわ。
こういうとさびしそうにわらってぼんやりと白い障子をながめるのであった。
きっとなおりますよ。
病気したって死ぬなんてきまっていないんだからね。
わたしは病人のだるい目のひかりがなにかとくべつなものをかんじているようにおもわれた。
たとえわたしが気やすめになにをいっても女の子はじぶんのことをちゃんと知っているらしかった。
なにもかもしっていてわたしになおるかどうかというのかもしれなかった。
番組からのお知らせ
というところでお時間となりました。
つづきはまた来週です。おたのしみに。
さて、FMやつがたけをおききのリスナーのみなさまにおしらせがあります。
アーカイブス配信の発信元があたらしくなりました。
2026年3月からはポッドキャストリッスンで公開されています。
スマホやパソコンでFMやつがたけのホームページにあるリンクから飛んでいただくか、
Googleなどの検索窓にわきみすのほとりと入力してみつけてみてください。
いつでも何回でもおききいただけます。
そして、2026年4月からわきみすのほとりの放送日が変更になります。
毎週月曜日11時半と17時半、そして土曜日の12時半となります。
スプーンでは毎週火曜日更新、リッスンでは毎週土曜日更新です。
おききいただきありがとうございました。
お送りしましたのは、開運商店でした。
このあともFMやつがたけでお楽しみください。
本日もいい塩梅に過ごせますように。
またお会いしましょう。