番組紹介と北村六郎について
湧き水のほとり。
エフエム八ヶ岳をお聞きのみなさん。
各種インターネットからお聞きのみなさん。
ごきげんいかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組、
湧き水のほとりの時間です。
児童文学や、昔懐かしい物語、
さまざまな文豪の短編などを、
少しずつ読ませていただきます。
おいしいお水を召し上がりながら、
自身の「癖」について
ひと息ついてくださいね。
本日は明治3年生まれ、
重要無形文化財、いわゆる人間国宝に認定され、
東京出身ですが、大阪の舞台で活躍した
小山、女型俳優である、
初代北村六郎の書いた随筆、
クセを読んでいきます。
演劇の世界、毎回真剣勝負である、
生の舞台の裏話をお楽しみください。
どうぞ。
北村六郎作
クセ、人として一つのクセはあるものよ。
われにはゆるせ四季島の道。
これはよく話しかが枕に振る言葉ですが、
なくて七クセ、あって四十八クセといって、
誰にもあるんでしょうが、
そうなると私には、
夜更かしをするのがクセの一つでした。
私の若い自分の時間でいうと、
十二時ごろ寝るのは、
罪悪のような気がしたもんです。
それでいて朝寝坊は嫌いでしたから、
おそらくまず寝る間は、
舞台での居眠りエピソード(明治34年)
三四時間が関の山でしたろう。
もっとも今でも、
一晩や二晩の徹夜なら平気です。
でもこの節では五六時間は眠りますが、
まあ夜更かしのほうでしょう。
そのかわり昔から枕につくと、
ほとんどすぐ眠れます。
そういったわけあいで、
昼間、随時に居眠ることが多いんです。
稽古場の読み合わせなどのときさえ、
ちょっとでも間があると、
セリフ書きを膝に広げたままで、
夢の国へ遊びに行きます。
ですから一座の者には、
そのポーズが居眠りをしているとわかっていても、
私は俗にいう、
船を漕ぐというほうでなく、
不動の姿勢でいるために、
その習慣を知らない者には、
さらに気がつかないんです。
ところがその延長で、
舞台でも眠る悪癖がありました。
武士は靴羽の音で目を覚ますのたとえで、
まさにいざというときには、
不思議に目が覚めますね。
つまり神経は眠っていないんでしょう。
でもそういうときは、
きっかけが何秒かは遅れるので、
一緒に出ている者には、
多少迷惑をかけるわけになりますが、
自分にとってはこういうときほど、
いい気持ちで眠っているときなんです。
もっともそういうときは、
必ずそこに眠るだけの暇もあるからでもありますが、
いちいち話していてはきりがないので、
一つ二つ書くことにしましょう。
ですがこの最初のものは、
これまでにもよく話題になっているので、
ご存知の方もあると思いますが、
とにかく年代順としつつ、
かいつまんでご披露しましょう。
これは明治34年の2月、
大阪の朝日座に一座を組織していた時代、
徳富市のホトトギスを脚色して、
初めて上演したときのこと、
その大詰めの、
筋を少し書かないと模様がはっきりしないので、
その一端を示すとしましょう。
ちなみにこの作品の中で出てくる演劇の、
奈美子の役をしているのが北村六郎です。
幕楽と和洋節中の二松月で、
下手は上手より狭いが、
上手の方へ寝台を置いて、
これに奈美子が横たわっている。
それへ主治医の博士が、
すでに注射を成し終えたところで、
奈美子を取り巻いて、
おばの加藤夫人、
うば、
その他五六人いて、
いずれも無言。
博士の胸により、
加藤夫人が皆を連れて去る。
戦争芝居での転落エピソード(明治37年)
ある者は、
陽間との境へ金屏風を囲って退くが、
すべて沈黙のうちに行われる。
しばらくして陽間の方へ、
山木平蔵を女中が案内してくる。
そこへ奈美子のおば、
加藤夫人が出て、
これに横退する。
山木は立派な果物籠を持って、
川島家から奈美子の御前に代理として来た心。
それを加藤夫人は穏やかに、
けれども厳然と御前を受け付けない。
山木はやむを得ず、
癖の普遍性と番組の締めくくり
すごすご果物の籠を持って帰って行く。
そこへ入れ替わって主治医が出る。
続いて奈美子の父、片岡中将が登場する。
そうして加藤夫人と三人相対して、
白氏から奈美子の様態は、
至感的なることを告げられる。
中将は静かに一言、
やむを得ません。
と言って白氏に籠を射す。
白氏はこの場を退く。
加藤夫人はこれをドアまで送って、
元の椅子へ戻るまでに、
中将はここで初めてため息をつき、
椅子の背へ持たれて目を閉じる。
そこで奈美子が薬から醒めて、
「おばさま、おばさま。」
と二声呼ぶことになるのだが、
このきっかけがすこぶる厄介戦犯なので、
その中将の微妙な心理的の仕草は、
両部に隔てられているから、
私からは見えようがない。
だが相手は高田実が中将をやっているので、
高田ならこのぐらいの間だと考えて、
初日から二三日やってみた。
それは白紙のセリフが切れるところから
測って見当をつけるのだが、
でもうまくその前ぴったりと入っていけたものの、
かなりこれは難しかった。
すると四日目ごろから、
中将が椅子に持たれるところらしいんだが、
そこになると見物から、
という激惨の叫びがあがる。
こうなると私にとっては、
何より楽なきっかけが与えられることになったので、
その喝采の止むのを合図に、
おばさま、おばさま、
と言うことにした。
ところが、半秒過ぎたある日のこと、
そのきっかけが来ても、
奈美子からおばを呼ぶ声がしない。
何か新狂言をするのか?
と加藤夫人をしていたものはうつむいたまま、
憂いに沈んだ思い入れなどをして待ってみたが、
さらに呼びかけてくる気配もしない。
見物もこの場の慣れゆきに
かたずをのんでなりをひそめているものの、
そろそろ舞台に穴があきそうになってくるので、
気が切れなくなってきた。
このおばをしていたのが、
坂井正利という舞台数もふんでいる
芸達者のお山だったので、
奈美子の様態が案じられる思い入れで、
立ってきて、
びょうぶへ手をかけてのぞいてみたが、
それでもなんとも言わないので、
静かに病床へ近よると、
いい気なもので、
当人すやすやといびきをかいてねむっている。
で、見物に知らさないように起こそうと、
いかにも病人をいたわるようなしぐさをしながら、
羽布団へ手をかけようとしたとたん、
私はここで目がさめた。
しまった!
と思ったが、
その瞬間、
病人らしく、
よわよわしい声で、
おばさま、
と呼びかけたもんです。
すると、
いかにもそれが自然らしかったので、
あきれた坂井は、
ふっと吹き出しかけたのも、
半ケチをくわえて後ろ向きになったが、
こみあげてくる笑いがとまらず、
声をのんでみをふるわせていたのが、
かなしみにせきあげるようにみえたので、
はくしゅかっさい!
おおうけにうけた。
それからいらいは、
だれがやっても、
おばのほうからくるのがかたになってしまったんですが、
なかにはこういったあやまちのこうみょうもありました。
それからこれは、
三十七年の日露戦争のじぶん。
これも大阪のなにわざで、
戦争しばいをやったとき、
わたしはたまをうけて戦勝するちゅういのやくで、
そのころたちまわりがとくいだったわたしは、
うまのうえからまっさかさまにおちるけれんなどをやっていたんですが、
そのひはらくぼをしたはずみに、
はくしゃがくらにひっかかっておちきれなかったのを、
うまはぬいぐるみをかむっているのでわからないため、
かけこもうとしていちにけんひきずられるうち、
やっとじぶんでもぎはなしてそこへたおれることにした。
それからしばらくはてきみかたがぶたいでこんらんをきわめてまくになったが、
たおれているわたしがそのままおきあがらないので、
おとこしをはじめどうぐがたがかけおってみると、
うちじにをしたしがいはいびきをたててねむっていた。
ながねんのあいだのこと。
かぞえあげるときりがないが、
そうしたくせはかならずしもいまなおあとをたったわけではない。
みつごのたましいひゃくまでというたとえもあるので、
まだまだそれがきえうせるまでにはかなりさきのあることだと、
かんがえているしだいであります。
北村六郎
くせ
でした。
おききいただきありがとうございました。
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このあともFM八ヶ岳でおたのしみください。
本日もいいあんばいにすごせますように。
またおあいしましょう。