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  2. #28 読書、掃除
2024-09-02 08:37

#28 読書、掃除

簡単な味噌汁
沖縄のかちゅー湯の作り方を参考にしたもの。
https://www.yamaki.co.jp/special/the_kachuyu/

 

※メモ
日記タイトルのナンバリングがずれたのを修正。
 

#声日記

00:01
12時26分、今日の声日記です。
今日も暑いです。すごくムシムシしています。
今朝は、7時ごろに目が覚めました。
朝食は、きゅうりのつくだ煮と、白いご飯と、
簡単な味噌汁を食べました。
簡単な味噌汁というのは、ケトルでお湯を作って、
器に味噌と、かつお節と、つるむらさきという、
緑色の野菜を入れて、そこにお湯をかけただけのものです。
その後、洗濯をしました。
今日は日差しはないですが、暑いので、洗濯は乾きそうな天気です。
朝食の前と朝食の後に、本を一冊ずつ読みました。
片方は物語、片方はエッセイでした。
どちらも、あまり明るく楽しくというよりは、
文章としてはとても面白いのですが、内容が苦いものがあるテーマでした。
それを物語だとか、面白そうに描写できるというのは、
著者の方々ならではなのかなと思いました。
どちらの本も、共感できるポイントがいくつかありまして、
本を読むことによって、鎮痛剤を飲んでいるような感覚です。
この頃は、本を読むという行為に対しても、
思いが至っていないところがあるなというのを、今更ながら知るようになりました。
03:04
本を読むというのは、紙だとかあるいは電子媒体を持って、
目で追って理解してというのが浮かぶものですけれども、
それはある意味一部の人だけだよねという、
読書という漢字に縛られているという漢字というのは、文字の意味の漢字です。
漢字に縛られているというか、文字も何語かにもよるのですけれども、
漢字も何語かにもよるのですけれども、言語を文字という形で追いかけるというのは、
それだけが読書なのかと考えだすと、
頭の中で答えのない問いかけにハマっているなという、ある意味の危険信号を発しているような気がします。
この危険信号というのは、それを考えだすと、ずっとそこに目が向く、意識が向いて、
他のことは手につかなくなる、やりたくなくなる。
他のことというのは、食事ですとか、トイレですとか、眠るですとか、
生きていくのにはちょっとだけ麻痺させておいた方がいいような感覚を呼び起こしてしまうというか、
そういう意味での危険信号です。
その話を戻します。
2冊目の本を読んだ後、今度はいよいよ重い腰を挙げて掃除をしました。
もともとキレイ好きではないのですけれども、部分的なこだわりというのがあり、
06:00
そのこだわりに当てはまるところが、ちょっと汚れが目立ち始めていたので、
なんとか掃除をしようと決心しました。
私の場合、掃除というのはもう1日がかり、短くても半日がかりになるので、
やる時はもうずっと掃除をするのですが、やらない時はもう数週間は放置という極端なところがあります。
それで掃除をしていたのですけれども、今ちょっと一旦休憩して、こうやって喋っています。
頭の中に何かを入れるのを続けてやると、体が置いていかれてしまうというか、
身体感覚が非常になくなっていくので、どこかで頭の中に入っているものと、
持っておかれた体を結びつける作業というのが必要になってきます。
その作業というのが、今日の場合は掃除なんだと思います。
これは一時期、体を動かすのがメインの仕事をしていた時に身についたことです。
割と頭だけで考える傾向があるので、何らかの形で身体にサインを送るというのを意識してやることが求められているように思います。
それを意識しないでできる人に憧れているという、
憧れているというか、ある意味怨念に近くなっているようなところもある気がしないでもないですが、そんなことを思っています。
今日の声日記はここまでです。
08:37

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