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和田おはまです。今日は、20年ひと昔というテーマでお話ししてみたいと思います。
私はですね、37歳の時に、当時ね働いていた証券会社で、事務職から営業職に移りました。
で、ふとですね、あれちょうど20年前だなって思い出して、私ねずっと10年日記をつけていて、まあ今3冊目なんですけど、
そのね古い日記を引っ張り出して見てみたらですね、2003年の3月の23日から5月の2日まで研修で東京に行っていました。
営業に移るということで、まあそういう人ばかりに集まって、当時研修をしてもらったんですけど、
私は関西に住んでいるので、その間に1回だけ確か帰ってきたことがあったかなと思うんですけど、ずっとその間に家を空けていました。
で、なんかもう20年も経ったんだなっていうのをちょっとまずびっくりしたのと、で、さっきねちょっとその10年日記、昔のをチラッと読んだりしてたんですけど、
当時ですね私の子供たちはまだ小学校を、その時にもうすぐ小学校2年生ともうすぐ小学校4年生の2人の息子がいて、
で、まあ離婚して、その時も正式に離婚していて、私の実家の両親と一緒に5人で暮らしていました。
で、まあなんかそんなすごい手がかかる時期とかではなかったんですけど、まあやっぱりその子供たちにしてみたら結構ねストレスだったのかなって思うんですけど、
なんかねその1ヶ月半ぐらい私がいなくて戻ってきて、で戻ってきた次の日かなんかに、なんかねこうあんまり普段そんなに兄弟喧嘩とかしないんですけど、
あのなんかすごい激しい喧嘩をして、で、なんかそのね日記に書いてるのは、なんか弟の子だったかな、なんか果物ダイフを持ち出してきたりとか、
お兄ちゃんもねなんかあのすごいこうなんか荒れてたみたいで、まあなんかやっぱりこう
子供なりにすごい我慢してたりとか、その時にしてたんだろうなっていうのを思いました。
で、でもまあその後のことをねそんなに覚えていないっていうことは、まあ多分その後すぐにそれは収まっていったんだと思うんですけど、
やっぱりねそうやってこうちらっと見てると、あのまあ私が忘れっぽいのかもしれないんですけど、
まあなんかその昔の大変だったことって結構忘れちゃうんですよね。
で、なんかやっぱりこうその時にすごい困ったこととかしんどいことがあると、
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特に私の場合はその子育て、まあ子育て自体が大変だったっていうよりも、まあそれとねその子、当時の夫とまあ仲が悪くなって、
裁判して離婚してみたいな、そういうね結構なんか大変な時期だったので、本当にその時はねなんかすごいいろんなことがあったなって思うんですけど、
なんか振り返ってみたら、そういえばそんなこともあったなっていう感じで、
まあよくね10年一昔とかって言いますけど、まあ私の場合はもう20年経ってるんですけどね、
なんかやっぱりこうその時目の前のことっていうのはやっぱりこうすごく大変なことだと思ったり、
もうなんかねこのままなんかこうずっと辛い状態が続くんじゃないかなって、まあ私も思ってた時があったんですけど、
やっぱりまあそういうことを、時間っていうのは、よく関西で日にちぐすりという言葉があるんですけど、
やっぱり時が経てば解決できることってたくさんありますし、まあそう考えるとね、その時にすごく大変な時こそ、
なかなかできないと思うんですけど、なんかちょっと長期的に考えるとか、そういうのはすごい大事なんじゃないかなって思いました。
で、やっぱりねその私の場合はその20年前にこう、本当になんか大丈夫かなって思いながら事務職から営業職に移って、
そこからね結構いろんなことがこう人生が変わっていったので、やっぱりまあ時にはねそういう自分で決断するっていうのも大事だなって思いますし、
やっぱりねこう目の前の大変な時こそ、なんかまあそれに立ち向かうのか、それともそこはもうスルーしてしまうのか、別の方法を考えるのかっていうのは、
まあそれはそのケースバイケースだと思うんですけど、やっぱりねなんか短期で見ないっていうのはすごい大事なんじゃないかなっていうことを思います。
で、まあね私もあれから20年経って、なんか当時の私がなんか想像していなかった、今ね50代になっていて、
まあでもやっぱりまあ年を重ねてきて分かったこととか、得られたものもたくさんあるので、私にはこの20年というのは無駄じゃなかったなって思うんですけど、
これからもねそういうふうに思えるような年を重ねていきたいなっていうことを思いました。
ということで最後まで聞いていただきましてどうもありがとうございました。