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2025-04-23 08:01

【しゃべれるだけしゃべる】#0165 インプットアウトとアウトプットインと対話と過去未来フィードの話 from Radiotalk

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【しゃべれるだけしゃべる】隔日(奇数日)15時配信
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《しゃべれるだけしゃべる》三原則
話をつくらず
なごりを残さず
墓場に持ち込まず

Don't make up stories, don't leave a trace, don't take it to your grave

RadiotalkのほかSpotify, ApplePodcasts, AmazonMusic, YouTubeなどで聴くことができます。
Host https://radiotalk.jp/program/137267

サマリー

インプットとアウトプットの重要性を探る中で、対話やフィードフォワードが成長に不可欠であることが強調されています。特に、過去の自分との対話を通じて新たな視点を得ることが、実際の効果を生むための鍵となっています。このエピソードでは、対話の重要性とフィードバックを通じて過去を否定することが未来を変える鍵であると述べられています。さらに、インプットとアウトプットの関係性が人間の思考プロセスにどのように影響を与えるのかについて深く掘り下げられています。

インプットとアウトプットの考察
はい、優雅に始まり、のんきに終わる、喋れるだけ喋る、165個目のエピソードかな。はい、インプットアウトとアウトプットインと対話と過去未来フィードの話という、まぁそんなタイトルにしました。
文字数の都合上、やや変な言葉なんですが、インプットアウト、アウトプットイン。対話。過去未来フィードとは、フィードバック、フィードフォーワードってことですね。
この話は、ちょっとまぁざっくりとしてみようかなと思うんですね。なんでかって言うと、インプットが大事とかね、インプットだけしててもダメだから、アウトプットしないとインプットしたものも生きてこないって言うんですが、その面白いのは、インプットしてアウトプットするって言うね。
右の耳から入って口から出てって終わっていくというね。インプットしてアウトプットするっていう、これがインプットアウトなんですが。インプットアウトって言い方あんまりしないんですけど、インプットとアウトプットと言って、インプットしてアウトプットするって言うんだけど、
これ流れて、流れて行っちゃっうって変ですけど、
外から飛び込んで外に出すってね。
一回脳みそをくぐるはくぐるんだけども、
そこでだけど何も考えずにくぐらせてたらあんまり意味ないわけですよね。
インプットアウト
ホースを
ホースに水流すみたいなもんでね。
インプットアウト
だからただのインプットアウトしててもあんまり意味がないというね。
全部忘れてっちゃうんで、歳とるとともにね。
だから一番大事なのは、こうやっぱり脳の活性化って言うと変ですけどね。
そのインプットしたものをアウトプットする前に、
どんだけ脳みその中でとか
自分の中でこう消化したり
動かしたり、
あるいはそれに違った観点から
オリジナルな観点を付け加えるなりね。
もっと別のもの
対極のもの
全く矛盾するものをインプットしてその上で考えるとかね
いう。そこを省いたのは、インプットしてアウトプットしてってよく言う人がいるんだけど、
あんまり意味がないということで。
作ったことばがあって、あるかどうか知りませんが、
インプットアウトとアウトプットインがあって、
むしろよくやるべきなのはアウトプットインなんですよね。
アウトプットイン
自分がアウトプットしたものを自分にインするっていうね。
自己との対話ですよね。
アウトプットイン
意外とインプットアウトしたらもうアウトプットしっぱなしになっちゃって、
アウトプットインしない人が多いような気がしてて、
見てるとね。
どこ見てんだって感じですけど。
これはだけどね
インプットアウトだけじゃやっぱダメでね、
あのアウトプットインをしないといけない。
アウトプットインを
なんでしないかっていうと
理由があるんですけど、
インしても
その自分が喋ったことをインしても、
なんかこうそこでね
何かがないと、インする意味がないっていうね
話になっちゃうんですけど。
結局だから脳内で何が起きてるかっていうね。
ただ単にこう水をホース流すだけじゃダメだっていう。
流れてた水を戻してもその後どうしていいか分かんない。
インはしたはいいけどね。
また同じこと繰り返してアウトプットしても、
これオウム返しになっちゃうんでね。
ダメだと。ハムスターになっちゃうんでね。
そうすると、インプットアウト・アウトプットインだけじゃダメなんだけど、
対話の重要性
ただアウトプットインって意外とやんないんだよね。
これいわゆるよく言われるのがフィードバックですよね。
フィードバック、
フィードバック。
フィードバックが大事だよっていうんだけど、
実はフィードバックよりフィードフォーワードの方が大事なんですよね。
っていうかフィードフォーワードしない
フィードバックってあんまり意味が無いっていうね。
なぜならば
過去をいくらフィードバックしても
過去は変えられないからね。
結局はフィードフォーワードの中で
フィードバックは活かすしかないんだけど、
フィードフォーワードを起点、
フィードフォーワードをやっぱり
一番中心に置いてね。
そのためのフィードバックじゃないと、
実はフィードバックフィードバックって言っても、
これさっきのインプットアウトと一緒で。
インプットアウトとフィードバックだけを強調する人は、
肝心要のアウトプットインとフィードフォーワードが できていない場合が多いんですよね。
どっちが大事かっていうと アウトプットインですね。
自分がアウトプットしたものを 未来の自分っていうかね、
過去の自分がアウトプットしたものを その後の未来の自分がインプットするっていう
自分との会話ですよね。
これ成長ない人は、成長ない人って失礼な言い方だけど、
過去の自分と今の自分に変化がないと、これいくらアウトプットインしても
しょうがないわけでね。 だけどそこに変化があれば、
っていうかそこに変化がなければ、アウトプットインする意味って
あんまりないわけだけども。やっぱり、例えば1週間前に喋りました、
1ヶ月前に喋りました、1年前に喋りました、
1年後に聞きました。何も変わってないと
いうんだと、アウトプットインの意味はないわけで。そこにやっぱり変化だよね。
何らかの思考の進化なり変化なり そういうのがないと意味がないんだけど、
そこがあんまりできてない人って、アウトプットインの意味が分からないんだと思うんだよね。
もう一個は、同じように 過去と同じことを繰り返しているとすると、
過去をずっと反省しながら 結局フィードフォワードができてないと、
フィードバックしてるつもりになっても フィードフォワードができてないから、
フィードフォワードの中に フィードバックが位置づいてないと、
何のためにフィードバックしてるのか 分かんなくなっちゃうっていうね、
形になっちゃうんじゃないかなと思って こんなタイトルにしたんですけどね。
もう一個大事なのが、これ今言ったのは結局、
インプットアウトは人が書いた本とかを 自分の勝手な読み方で勝手にインプットするんだけども、
もう一個大事なのは やっぱり対話なんですよね。対話ね。
本を読むっていうのは本当は対話なんですけど、ただ対話しないでやっぱり一人よがりで読んじゃうんでね。
やっぱり生身の他者ですよね。生身の他者との対話っていうのがないと
結局、自分が都合よくインプットして、それを都合よくアウトプットしてる。
過去で反省点をフィードバックしたって、でもフィードフォワードがないから、
結局同じことを繰り返すみたいなね。私もそうかもしれませんが。
そこで結局、生身の他者っていう、自分と意見の違う人っていう、
最近は結構、共感できる人としかくっつかないので。オタク文化がはびこって以降ね。
自分と違うと思ったらもう遠ざけちゃって、関わらないわけですよね。
なのでやっぱり異物、異物って言ったら変だけど、異文化と、異文化、
対話とフィードバックの重要性
異文化っていうのもまたね微妙で、その本当に対話してるかっていうとね。
お互い無関心だから共存してるだけで、本当の対話してないと。
本当に対話しようと思ったら それこそ激論になったりとかね、
批判しあったりとかね いうのが本来の対話なんだけど。
自分が否定される部分が出てくる。これ否定、肯定って言い方もいいね。
結局、過去を、フィードバックで過去を否定するのは 結構、痛みがないからいいんだけど、
未来なんだよね、結局ね。未来の中で否定する部分が見えないと、
今を変えられない。 未来に向けての現在を変えられないわけだけども、
同じようにアウトプットインもそうで、自分がアウトプットしたものがあって
そこでそこに否定するものがなければ、つまり1ヶ月前に自分が喋った中で
否定するものがなければ、次のステップに行かないわけだけど、
それがないとすると、そこに否定の要素がないから
1ヶ月前言ってたこともやっぱ全部正しかったな という話になっちゃったらね。
っていうか今も一緒だなとか言ったら、これほとんど意味がないっていうね。
結局、同じとこぐるぐるぐるぐる、 前ハムスターの話しましたけど、
ハムスターがホイール回してるようなもんで。
やっぱりそれはね、もうちょっと ぐるぐる回ってるように見えても、
ちょっとずつ階段上がってるみたいなね。私よく言うのが、
ハムスターのホイールと 螺旋階段はちょっと違うっていうね。
上から見ると天国から見ると天から見ると、螺旋階段回ってても、
横から見たホイール回ってるのと 一緒に見えるんだけど、
間違いなく高度は上がってるっていうね 部分ですよね。
同じ地点にいるように見えながらも ちょっとずつこう螺旋的に上がっていくっていう。
まあよく螺旋状の発展なんて言い方 昔はよくしたんですけど、
最近はあんまりしませんけどね。
やっぱり螺旋階段を昇るようにこう 歩んでいくっていう部分が、
思考のプロセスとしては大事だろうなと 私は思うんですけど。
その時にやっぱり対話とか、アウトプットインとかね、
過去の自分を否定する。
フィードバックは フィードフォワードのためにするというね、
ことがやっぱりないと。
まあ単なるインプットアウトプットだけを 強調するのが多いから、
インプットとアウトプットの関係
まあ、ってことはインプットもできてないし アウトプットもできてないんだなっていう
話になっちゃってるんだけど、
それはもう普通にやらなきゃいけない話であって、
その上でアウトプットインと対話と、フィードフォワードのためのフィードバックっていうね。
フィードフォワードをするために 必要なフィードバックをするっていうかな、
なんかそういうことができていかないと
螺旋階段を昇れないんじゃないかなっていう気がしていて。
まあ昔ここで確か思考の前に進め方なんて 話をしたような気がするんですけど、
そこの螺旋階段の昇り方と
カラカラカラカラ回る、ハムスター話になっちゃった、
ホイール回ってるのと。
ホイール回ってるような気になるんですよね。
ホイール回ってるような気になるんだけど、
回ってて満足しちゃうのがハムスターで、
ホイール回ってると満足しないのが ホモ・サピエンスだと思ってるんですけど。
そうするとホイールをいかにこう
螺旋階段にしていくかってね。何の話してるかわかりませんね。
そこが結構大事で、
その時にインプットアウトだけじゃなくて アウトプットイン、
そして自分と違う他者との対話、
ホモ・サピエンスが見つからなきゃ AIでもいいと思うんですよね。
AIに喧嘩ってみるっていう。それ違うんじゃないのって。
私が調べたところではこうだよとか言って
AIに負けちゃうかもしれないけどね。
AIと論争するぐらいでやっても いいんじゃないかなと思うんですけど。
あ、論争って言葉もなくなっちゃっいましたね。
論争もできなくなっちゃいましたね。
クリティークがなくなっちゃったわけね。自己に対する。
それができないのに攻撃はするというね。
異物に対してはね。何の話してるかわかんなくなっちゃいましたね。
結局、フィードフォワードがないから、
フィードフォワードしたら そんな攻撃してる場合じゃなくて、
やっぱりね より良い、お互いにとってより良い高み、
高みなんて言葉、嫌われちゃうけど。
対話することでお互いが認識をこう少し高めてね、
違う共存のあり方を見出すみたいなのが
結局フィードフォワードなんですけど。
結局フィードフォワードできないから、
過去をこうね 否定して否定して否定して、
潰して潰してみたいな話しか出てこなくなっちゃってるような気がするんだけど、
まぁ何の話してるか ますますわかんなくなってきましたね。
まぁとにかく、インプット アウトプットと言ってるだけではダメ、
フィードバックって言ってるだけではダメってことが言いたかっただけです。
ということで、のんきに終わりたいと思います。
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