ため息からの気づき
2025年4月24日、木曜日毎度大きにタートルでございます。よろしくお願いいたします。
皆さん、疲れてないですか?疲れてますか?って聞かれて、疲れてるとか疲れてないとかって自分で判断できますかね?
今日朝、ため息ついたんですよ。 ああ、今ため息ついたなーって自分で思ってて。
で、まあ無意識のうちにちょっと時間経ってもう一回ため息ついたんですよ。 そしたら間髪を入れず、うちの妻が
疲れてるんですか?って聞いてきたんですよ。 いや、疲れてないよ、別に。
特に寝不足でもないし、特にいつも以上にストレス溜めてるわけでもないし、みたいな。
でもなんかため息2回したよなーっつって。 っていう話になって、疲れてないよとか言ってたんですけど
またその後ね、ため息したんですよ。そしたら、ほらまたって言われて、 あ、
してたな、今ため息って言って。疲れてるんかもしれないって。 自分で分かってないけど疲れてるんかもしれんなーと思ってね。
で、そんなことが今朝あってですね。で、今いつも通りスタイルを撮ってるんですけど、いつも立ち歩きながら
歩きながら喋ってるんですよ。 うろうろしながら、で、手とかも結構
ジェスチャーつけながら喋ってるんですよ。
で、に比べて今、座ってるんですよ。椅子に座ったまま喋ってるんですよ。 あんまりやらないんですけど、これ。
で、さあ、いつも通り収録ボタンを押して、毎度お気に入りとか言ってたら、 あ、しんどーと思って、やっぱ疲れてるかと思って、あのー
このね、いつもの毎度お気に入りみたいなって、普段喋るトーンより
2トーンぐらい声の大きさも高さも上げているんですよ、イメージ的には。 頑張って聞きやすい、聞いていただきやすいようにする工夫を自分なりにしてるんですけど、
あー声出すってしんどいなーと思って。 しんどくないように声出すにはどうしたらいいんやろうと思って。
で、ちょっと考えてたらまた溜息出て、そしたら、あ、これやと思って。 溜息って一番楽じゃないですか。
しんどい溜息のつき方ってないですよね、たぶん。 それこそめっちゃ高音で溜息つくとか、はぁーみたいな。
それどっかで頑張ってるじゃないですか。 どこも頑張らんと、ただただ吐き出すような、
はぁーみたいな、あ、これ、このトーンや。 ここが一番自分の楽で喋りやすいところやったんや、みたいな。
そう思ったら、リアルで喋る時って大体この喋り方、こういう声で喋ったりするよなー思って。 特に一対一でなんかしんみり喋る時って、声張り上げるんじゃなくて、
大体この声で喋ってるよなーと思って。 まあ聞きにくいですよね、多分スタイフで喋ってたら。
切り替えますよ。だからいつもこの声で喋ってるんですけどっていう、なかなかあれでしょ。 声出すってしんどーと思って。
あのなんでしょう、息継ぎすると肩も上がるし、なんかその肺とか胸とか動くじゃないですか。 この辺の筋肉も使ってんやろうなー思って。
で僕は納得できひんかったら、もう一回撮り直すんですよ。 8分だろうが10分だろうが13分だろうが喋って、
あ、これ言い忘れたとか、ここの言い回しあんま過ぎじゃないなと思ったら、 歌詞を修正するんじゃなくて、もう全部消してもう一回一から喋るんですね。
それしたら結構酸欠になってる時あってたまに。 あーしんどーみたいな、ボッとするわ、クラッとするわみたいな。
結構頑張って喋っていいんじゃない、いつもってその時思うんですけど、そういう時に限って撮り直しても上手くいかへんから、
3回とか4回とかになってしまう時があって、ああもう嫌やと思って。 時間が経ったら余計に喋れへんことになったりとかしてね。
そういうことがあるんですけど、 この日々できていることのありがたみというか、
声出すもせやし、体を動かす、日常の歩く、走る、仕事する、家事をするって動くじゃないですか。
こんな当然できて当たり前のことだと思いますけど、高齢者のリハビリってね、 手すりを持ちながらこの廊下を行って帰ってくるとかね、
あるいはこう椅子に座って足を曲げ伸ばしするとかね、椅子から立って座って立って座ってするとかって、
今の生活からしたら、考えられない体の鈍さじゃないですか。
高齢者にいつかなってそういうリハビリが必要になった時に、ほんまに動ける時って幸せやったよなって思う時が来るやろうなぁと思って。
動けるうちに動かなあかんとか、声出るうちに喋らなあかんとかっていう気が今日また改めてしたなぁと思ってね。
動けるうちに喋りたいだけ喋るって、だからこそ毎日やっぱりスタイルフリー喋りたいなって僕は思ってるんで、
喋り続けるんですけれども、 じゃあこの真に喋りたいこと、真に動きたいこと、真に自分のしたいことって一体何だろうかっていうことを改めて考えました。
動けることの重要性
自分のしたいことは何ですかって言う時に、
ビジネス的に成し遂げたいことと、プライベート的に生きたいところとか、いろんなことが含まれるじゃないですか。
自分がなりたいとか、達成したいとか、体験したいこと、欲の中に。
まあまあでもそれもあるけど、とりあえずそのバランスをしっかりしようよって言われたのがライフワークバランスって言われて、何年か前に流行った言葉がありますよね。
ライフとワークのバランス、生活とビジネスにおける時間をうまいこと切り分けて、うまいこと生活しましょうねみたいな家庭の時間を持ってとか、
仕事の時間はここで切り上げてとか。 この切り分けて考える方法っていうのが僕は好きじゃなくて、
仕事も生活のうしやし、生活の中に仕事が入っているしっていう、ここに境目をあまりつけたくないので、仕事も楽しいし、
家庭でしんどいこともあるしっていうふうに考えたら、分けたくない。だから、ごちゃ混ぜになった自分の生活の中に、
いろんなやりたいこと、リストみたいなものを設定する必要がちょっとあるな、将来的になぁと思って。
真にやりたいことって本物は何だろうなぁと思って。
南の島に住みたいとかね、わからへん。南国、沖縄に移住したいとかあったとして、
やろうと思ったらできるじゃないですか。今の生活すべて捨てて、ありったけの財産を持って移住して、そこで家借りて、バイトなりなんなりし始めたら別に生活するし、できるし、
やろうと思ったらできることだけど、それが真にやりたいことかって言われたら全然、僕はあんまり、
今の生活を捨ててもすることではないなって思うし、昔海外生活してみたいなっていう欲はすごく強かったんですよ。
海外で仕事してみたいなとかって思ってたことがあって、一応計画っていうか、理想のイメージは結構あったんですよ、自分の中で。
こういう段取りで、いずれ海外に住んで仕事をするっていう。でもそのためにまず、この基盤を作るためには、いきなり飛び出すんじゃなくて、
宅配であったり、準備っていうのを日本でしてからって考えているうちに、
結局日本で生活するのが一番合理性いいし、自分に合ってるよなって思ってからは、海外は住むところじゃなくて旅行するところっていうふうに切り分けて考えると、
その欲はなくなったし。
まあ今の生活が好きなんですよね。
困ってもいなければこれ以上の幸せを求める。でも欲がないな、それって。それって良くないですよね。欲がないですよね。もっと大きいこととか言ったらいいのにね。
っていう、今日何の話?終わります。