みなさん、こんにちは。この番組は、誰もが知っている名作から、あなたの知らない 日記すぎる本まで、ゆるいトークで紹介する読書系ポッドキャストです。
改めまして、こんにちは。マト文庫です。 こんにちは、梶原コーヒーです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 年明けこれ、いつ配信になるかわからないですけれども、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
はい、そんなわけで、前回の収録から何ヶ月ぶりですかね?4ヶ月ぶりぐらいですかね?
あ、そうですね。4ヶ月ぶりぐらいですね。
そう、だいぶお久しぶりです。
お久しぶりで、季節も変わりました。めっちゃ寒いです。
はい、もうね、前回が確か9月の最初くらいだったので、まだ暑いとか言ってたんですけど、
もう今は冬の底みたいなところにいますよね、我々。
はい、マイナスです。マイナス温度です。
えー、やっぱりこう、冬って寒いんだなって。
いやー、本当にギチギチ寒くなりますよね。
なんか先週ぐらいまでは、全然温かいなーっていう感じで、ちょっと小春日和っぽい感じもして、
あー、そうですね。
冬の方と若干暑いかなっていう感じでいましたけど、で、ちょうど地元に帰っていたんですけど、年末年始はちょっと雪降ったんですよ。
で、そこそこ積もって雪かきとかもしてたんですけど、その後に、まあ先週帰ったので、全然その雪がもうあとかたもなく消えていて、
で、ちょうどその先週末は地元でたらじる祭りっていうのをやるんですけど、毎年。
あー、かんだらですか。
あー、そうです。かんだら祭りっていうのをやってるんですね。
で、だいたいあの時期って今までだと、あのー、猛吹雪をなんか行われるっていうのが習わせではあったんですけれども、
今年は、あのー、全然その雪もないし、まあ天気も良くて、暑いぐらいでむしろ。
えー。
そんななんか、あのー、熱々のたらじるを食べても美味しいのかなって果たしてっていうところではあるんですけど、まあお客さんすごく盛況だったんですけど、
あー、そういうのですか。
なんか全然、おー、たらじる祭りっぽくないなーって思いながら、あのー、帰ってきてもいたんですけどね。
でもやっぱりきっちり寒くはなるんですよね、その後。
なりましたねー、ほんとに。ちょっと気を抜いてたんですけども、やっぱり先週ぐらいからすごい寒いですね。
そうですよね。えー、大和の方は結構雪は降ってるんですか?
あー、あいにく山形市内は、あいにく?あいにくかな?違うな。
ありがたいことに。
えー。
山形市内は雪が少ないんですけれども、やっぱり周りはそこそこ降ってるんじゃないですかね。米沢とかも。
あー、そうですね。
多いっておっしゃってましたね。
そこはまあ雪に埋もれてるようなもんですからね、冬場はね。
そうですね。今日ちょうど午前中に米沢の方と市内で会ってたんですけども、なんか、市内は雪じゃないですねと言われ、
そうですね。ちょうどお昼ちょっと前ぐらいに別れたんですけども、その時も、
あー、市内は結構昼間青空になると溶けるんですよ雪って言ったら、
あ、溶けるんですねって言われましたけども、
そうですね、ありがたいですね。
まあ、ちょっと駅前の方とうち住んでるサイドではちょっと違うので、気持ち。
我が家サイドは少し雪があるんですけども、それでもやっぱり例年に比べたら全然ないんじゃないかなと思いますね。
うーん、そうですよね。ニュースだとどうしよう、新潟の方がもう大雪でとかやってますけどね。
肘寄りあたりも結構2メートルぐらい。
でも2メートルはね、まだ少ない方だしなと思いながら。
そうなんです、あの地域だとそもそもセンチで数えない地域なので、あのあたりまで行くと雪というものをメートルから始まるっていう恐ろしい地域なんですけど。
そうですよね、でもなんかこうね、その雪でいらない事故とかがあるわけじゃないですか。
そうなんですよね。
そういうのがあると、本当にただ消えるものなのに、そこで怪我をしたりする方が出てくると思うと本当に悔しいというか。
だってほっとけば消えるじゃないですか。
そうだし、仙台に引っ越してきて一番びっくりしたのは、雪かきを毎日しなくてもいいんだと。
それで生活が成り立つんだっていうのが本当に驚きだったし、こんなに地域によって、なんて冬の過ごし方って違うのかっていうのを、なんかまだまだと思い知らされて。
日本会話って何かの拷問を受けているのかなっていうぐらい。
本当ですよ。
なんなんだよ、うちらばっかり。なんなんだよっていう気持ちになるっていう。
なりますよね。
脳の音を言っててっていう、ちょっと恨みのましい気分にもなる。
だって山形市内から仙台って60キロぐらいかな、70キロないぐらいなんですよ。
なのに40キロぐらい進んだらもうちょっと気候が違うじゃないですか。空が青いし。
関山トンネルを越えるとそこは雪国だったっていう感じになりますからね。
そうなんですよね。
本当にガチで。
本当にびっくりしてるんですよ。
かますやすなりじゃんっていう、毎回思うんですけど。
本当に関山のトンネル、関山ね、聞かれてる方全然わからない方もいらっしゃるかと思うんですけども。
山形から仙台に向かう関山峠っていうのがあって、その峠が雪の魔王みたいな顔して、トンネルの上にそびえてたりするんですよ。
壁があるわけですよ。
そうなんですよね。
隔てる壁が。
すごいな、雪の魔王みたいな感じだなと思ってトンネルに入っていくじゃないですか。
で、出るとポカポカみたいな。
そうなんです。全然別世界なんですよね。
魔王どこ行った?みたいになるんですよね。
本当に毎回その実家に帰るたびに、あそこを山形堂を通って帰っていくので、関山トンネルを越えるとそこは別世界なんですよね。
天気が全然違うっていう。
びっくりしますよね。
びっくりしますよね、あそこね。
あそこで全部雪を落として、太平洋側の方に風が抜けていくっていう。
チリの時間にやったな、みたいな。
大三脈ってこういうことかって思いながら。
でもそんなに高い山じゃないはずなのに、なぜそんなに変わるっていうぐらい、空の色が、本当青空、びっくり。
はっきり分かれますからね、あそこで。
分かれますね。
太平洋側に住んでおりますけれども。
そんな日本海側に住んでございます。
寒いんですよね、でも太平洋側で風強いし、乾燥する。
そうですね。
そこはメリット、デメリットはあるかと思うんですけど。
日本はだいたい寒いですよ、船は、どこでも。
沖縄に行きたいなって感じですけど、毎年南の国に憧れるんですけど、そんなところではあるんですが。
はい。
で、そうですね。どこから話していけばいいのか。
じゃあとりあえず何冊。
そうですね。とりあえずこのメインで話したいのは3冊ぐらいですかね。
あとはその最近買って面白かった本とかちょっと話しできればっていうところなんですけど。
あれ、じゃあ私の方からですか。
はい。じゃあお願いします。
はい。去年のベストだなっていうのはですね。去年8月2日に配信。あともう1回確か前編後編で配信していた片岡まいさんの日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題っていう。
60年代から70年代ぐらいにアメリカで日本の文学小説を出版する、翻訳して出版するとなった時に、アメリカでその日本の翻訳本を売るとなった時にどういうふうに翻訳したらアメリカ人に受けるのか伝わるのかっていうところで苦戦したっていうのをですね。
いろんなその出版社とか翻訳者が書いた手紙ですとか、実際に出版された、翻訳されて出版された作品と原著とのどういう違いがあるのかと。
その違いってなんでそういう違いが生じてきてしまったのかとかっていうのをいろんな資料をもとに分析して書いた本で、サントリーの学立大賞も取ったっていう本だったんですけれど、これやっぱりすごく面白かったなっていうので。
ちょっとあの骨太っていうか、まあ読むのは若干こうサラッと読める内容ではないんですけれども、結構分厚いし、新書って言うんですかね。4,6版で結構あの固めの内容にはなってるんですけれども、これまあ最近あの日本の小説また海外で翻訳されて結構人気があるっていうところもあって。
そうですね。
なんかそれこそね、あのさっきもちょっと前座じゃないですけど、ちょっと話していた中で出てきたバターとか、海外で今翻訳されてすごく人気があるっていうところもあって。
そうなんですよね、すごいですよね。この前かな、中国語がまた出たって。
そうですか。ただその翻訳して海外で販売する、売り出すってなった時に、ただただその言語に翻訳すればいいのかっていうと、そうでもないんだっていうのはですね。
今のもしかしたかいだともうちょっと違うのかもしれないですけど、まあ60年代とか70年代ぐらいだとまた日本ってどういう国なのかっていうのがよくわからない。アメリカ人にとってもよくわからない未知の世界、未知で神秘的な世界ジャパンっていう、そういうところだったので、ただ単に翻訳しても何のこっちゃってなってしまう文化的な背景もありますし、
そもそもその小説の書かれ方っていうのが日本の小説と海外小説とで大きく違うし、しかもよりによって取り上げた、翻訳して売り出そう、日本の文化っていうのを色濃く残した文革作品を特に翻訳出版しようっていうので、選称したので、
本当に川端康成とか三島由紀夫とか谷崎純一郎とかですね、あの辺りの作品を訳しようってなった時に、やっぱりこれかなり難解というか困難なプロジェクトになるなっていうのは予想されるし、実際そうだったっていうですね、裏話というか現場の悲鳴みたいなのがですね、いっぱい残ってるんですよね。
だから翻訳って、なんていうの、ただ単にその言語に置き換えればOKなのかっていうと、全然そういうわけではいかないんだなっていうところがですね、すごく細かく書いてあって面白い本だったなっていう。
そうですね。その回面白かったですよね、このつんどくざんまいも。
そうそう。
なんていうんですかね、アメリカ人は明確な、これはこういう話でしたっていうのをわかるように書いてあるものを好むっていうのがあって、その当時はですけどね、今はわかんないですけど。
なので、日本人は逆に合間にしてる。小説の内容に、タイプによっちゃそこ違うと思うんですけど、その選書で選んだ作品としては、あんまりその細かく言及はしたくないと。どういう話なのか、どういう場面なのかっていう説明はしたくない。
ただ、余白の中から感じ取れっていうような書き方をするのはむしろ好ましいというか、そういうような書かれ方をする作品を選んでいるので、それをアメリカ人に納得させるっていうのが難しいっていう。
そのまま訳をしたところで、「で、オチなんなん?」って言われるっていう。これはオチはなんなんだっていう。
だって言語自体がね、そうじゃないですか。まず誰が何をしたみたいなところから入るじゃないですか。
日本は割と最後にこうだったみたいなのが。今はビジネス的なところでも、結論から先にみたいなことがありますけど、こんな本当最近の話じゃないですか、割と。
昔なんかのんびりしてたから、全然そんな結論から先になんて言われることあんまり。
そうでしょうし、多分おそらくあんまりこうはっきり言うっていうのが悪くないというか、はしたないっていうか、それはあんまりよろしくないっていうような考え方っていうのはすごいあったんじゃないかなと思うんですよね。
そうですね。
それは日本の文化というか、文化全体的にもそうでしょうし、小説の書かれ方としても、はっきり説明的に書いてしまうというのは話し論でしまうというか、部粋であるっていうような考え方ってすごくあったと思うんですよ。
その行間の中から読み取れと。そこでヒントはちゃんと書くから。そこからちゃんと読み取りなさいと。
それを別の文化圏に持っていくってなった時に、それをそっくり持っていけるかっていうとやっぱり難しいと。
となった時に、どのように翻訳したらよいかっていうのもあるし、ただなるべく原作の雰囲気を壊さずに翻訳するにはどうしたらいいのかっていうのを、
その言語の制約とか文化の制約に苦しみながらですね、現場の人たちがああでもない、こうでもないって思うんで、
ただ翻訳者の人としてはやっぱり原作の雰囲気をそのまま残したいっていうふうに役をするんだけれども、
編集者サイドとしてはこれではちょっと受け入れられんっていうので突破されるとか、そこのまた駆け引きもですね、すごく生々しくて面白いなっていうですね。
そうですね。難しいですよね。
これがおそらく研究とかそういうものであれば、原文に沿ったものっていうふうなところをやっていくんでしょうけど、
やっぱりビジネスとして物を売らなければいけないってなった時に、やっぱり売れなければ次ないしっていうシビアな面もあるので、
売れるものとしてパッケージしなければならないっていうような要素も絡んでくると、なんかなかなかこれは難しい話なんだなっていう。
そうですね。まずは知ってもらわないことには始まらないっていうところもありますもんね。
し、あとこれがやっぱり評判が良かったっていう風にならないと、やっぱり次に出したとしても買ってもらえないっていうか。
なんかやっぱり最初の何作品か出すってなった時は、どういう作品をやっぱり選定するかっていうところと、やっぱり受け入れられるためにどういうふうに翻訳していくかっていうのがすごく苦労したっていうところもあって、
今でもね、映画とか小説、それこそ何か小説とかそういうものを海外に出すってなってくる時って、やっぱりそういうのってあるんじゃないかなとは。
そうですね。思いますよね。
あと、何ですかね。逆にこういうものを読むと、すごい日本っぽいものって何だろうなとか。逆に海外から海外小説の翻訳本とか読みにくさ、すごく読みにくいなっていう感じたりする作品ってあったりするんですよね。
ありますよね。
言い回しみたいな。あるじゃないですか。全然日本人使わなそうな言い回しだよなーとか、なんかすごいくどくどしいよなーとか。あと端的に何を言ってるのかわからないっていう文化的な背景がなさすぎてピンとこねーっていう話とかあって。
特に昔の作品の翻訳ものとか、ちょっと古い翻訳だったりすると、これは日本語も難しかったりしますしね。そもそもその翻訳で使われてる。
全然想像つかないみたいなやつとか。それをもうちょっと読みやすくしましょうっていう試みで大々的に売ったのが、たぶん公文社の古典新訳文庫とかのああいったレベルなのかもしれないですね。
そうです。CD訳ってやつですよね。
まさに新しい今の言葉でっていうようなコンセプトで、何回だったり、古くさいって言われてるような古典文学をもっと読みやすい今の言葉で翻訳しましょう。
あのレベルに関しては、結構あれなかなか癖が強いというか、割と自由な翻訳をやらせてるみたいなところがあるみたいなんですけど、別に日本語の作品っていうか日本語で書かれた古典文学を単位賞だったか何かの翻訳で関西のおじさんが飲み屋で喋ってるような感じの口調で訳してる本とか。
あとモーゴリーの花とかも落語調の口調で訳してたりとか、ちょっとそういう飛び道具みたいな感じの訳をしてる作品もあったりして面白かったりするんですけど。
だから、翻訳家大賞とかの翻訳の先生方のインタビューとか聞くと、読んだり聞いたりすると面白いですよね。その苦悩が。わかりやすすぎてもいけないみたいな。
でもそれはありますよね。それだし、わかりやすすぎてもあれだけども、自分が下手だとも思われたくないみたいな。原文がもうすごく難解不可解だからこういう風になっているけれども、それを読みやすくしてしまうと、またそれはそれでやっぱり原書のその難解なところが崩されてしまうし。
だからといって、その難解なまま出したら読み手に何も伝わらないしみたいなのの、そういうバランス加減とかがすごいですよね、あのお仕事。
ねえ、翻訳だから。今、翻訳なんてAIにやらせればいいじゃんっていうような、何でもAIにやらせればいいじゃんっていう波が今来てるじゃないですか。確かに、去年の、確かそれこそ正月に腰痛でうーんなりながらよく読んだそのノートの記事で、技術論文とか、
あとはその、あの人は美術系の人が確か書いてたノートで、ほぼ愚痴というか嘆きのような内容ではあったんですけど、多分そういうような文学的なものを求められない翻訳っていうのはおそらくもうAIにとって変わられてしまうだろうと。
だから自分、その自身の仕事、多分自分の仕事もやっぱり明らかに減ってきてるし、今後はもう減る一方であろうと。ただやっぱりその、今回その日本の小学生の翻訳にまつわる得意な問題とかを読むと、やっぱり文学の翻訳とかそういったものってまだやっぱりAIでどこまで大体できるのかなっていうところがあるかなと。
まあそれもパターン認識で全部できちゃうんで、パターンでこうできちゃうんだよって言われてしまうと、もしかしたらできるようになるのかもしれないんでしょうけど、学習、結局学習でしかないっていうふうに言われるのであれば。
ただなんかすごく本当に、何て言うんですかね、ただ単に翻訳すれば伝わるものではないんだなっていうのをこういった方に改めて思うんですよね。
やっぱりこう、きりと言いますか、この言葉にするのはすごく難しいんですけど、繊細な何かですもんね、心を動かすものって。
本当そうなんですよね。
きれいなだけじゃなくてっていうのがあるじゃないですか。
きれいに訳しちゃえばいいのか、それこそその米原まりさんの本で、何だったかな、ちょっとタイトルが出てこないですけど、原訳まま、その正確だけれどもあまり美しくない通訳、翻訳なり通訳か、それともまあちょっと意味合いとしてはだいぶ若干かけ離れちゃってるかなっていう、
誠実ではない訳ではあるが、耳障りの良いとか、美しいといえば美しい翻訳なり通訳なりか、どっちを追い求めるべきかっていう。
そうですね、定式なブースか不立な美女かっていうタイトルだったと思います。なかなかパンチチャー効いてるんですが、これもなかなか同時通訳されてた、ロシア語同時通訳された方の、これも通訳エッセイで、その辺りもなかなかこれと一緒に読むと面白い本かなと思いますし、
あと、文学の翻訳、なんで難しいのかっていうのを考える上で、もう一個、複読本として紹介した、井上陽水英訳詩集っていう、ドバートキャンベルさんが井上陽水さんとお友達だったっていうのもあって、
その詩を、井上陽水の詩を英訳するっていう、その英訳したものを、実際、陽水さんと、ここはこうなのかこうではない、こういう意味で書いたんだっていうのを、本人が解説するっていう大変贅沢な内容にはなってるんですけれども、この単語ってそういう意味があったのっていうのをちゃんと読み解かないと、本当に語訳になってしまう、全く違う間違った訳をしてしまうんだなっていうのを、
本当に難しい、難しすぎるって思って。傘の意味、傘は、傘がないの、傘って、どんな意味があるのかって、まさかそんな意味まで込められていたのかとか。
ね、それをすごく説明ぽく書かれちゃっても、ちょっとね、興ざみしますしね。
そうなんですよ。だって、あの陽水さんの、何を言ってるかわからないけど伝わってくる感触っていうのを、そこまでをやっぱり翻訳するときに持ってこなければいけないっていう。
ただ、すべてを持ってくることはできない。その翻訳のときに全部背負ってくることはできないから、いかにしてどれだけのものを主催選択して持ってくるかっていうのが翻訳者の作業になるっていう風に、翻訳するときの難しいところではあるっていう風にキャンベルさんもお話はしていたんですけれども。
なんかそれは結構翻訳者のインタビューとかドキュメンタリーとか本を読んだりするのも結構好きなので。
前に山形のドキュメンタリー映画祭でもやっていたドフトエフスキーの作品を、もともとその人はロシア語が母語で、第2言語がドイツ語で、その第2言語のドイツ語の方に翻訳するっていうのをやってた方がいて。
だから自分のもともとの母語じゃない言語に翻訳し直すっていう、これまたハードルが一個弱くなってるなっていうような仕事をされてた方がいらっしゃったんですけど。やっぱりそこのところでも、やっぱ詩とか文学を訳するっていうのは、言語によっている作品であればあるほど難しい。
ロシア語でカブトムシっていう単語だと、カブトムシの羽ばたきの音も聞こえてくるけれども、その発音的にですよ。その歯音のような、私ちょっと発音できないですけど、歯音のような音になるんだけれども、それをドイツ語に持ってくることはできない。ドイツ語単語にはその歯音はないから。
だから、有名なカブトムシって確かプーシキンか何かの詩があるんですけど、翻訳するときにそこまで意識して書かれているものっていうのを別の言語に移すにはどうしたらいいのか。
日本で言えば芭蕉のシミールやセミの声っていうのは、結局外国人にとっては壊れた洗濯機の音にしか聞こえないっていうエピソードとかありましたけど。
そうそうそう、言われてましたけど、この壊れた洗濯機の音は何?って。
そのエピソードめっちゃ好きなんですよね。
ちょっと詳しくは、これ後編の方でお話ししてるので、第49回の余白を楽しんでくださいっていう回で、そのお話ししてたかと思うので、興味のある方は聞いていただければ。
すごい爆笑してしまったんですけど、それ。でも結局そうなんですよね。わかんない人にはそのセミの声みたいな、これ何言ってんのこの歌みたいな、なっちゃいますからね、翻訳したら。どうするんだろうな、ああいうのって。
そうですよね。
あとほら、なんかこう日本語じゃないですけど、シャウダージっていう言葉があるじゃないですか。
どこの言葉かな、南米の方かな。
スペイン語とか?
ちょっとどこの国か忘れてしまったんですけども、あれはやっぱり日本語にはない感覚らしくて、なんか母を思うようなとか、母上でもないし、
でもすごく大切な、その国では大切な言葉なんだけども、それを日本語に説明しようとすると、ぴったり合う言葉がないっていう言葉らしいんですよね、シャウダージって。でもそういうのってどこの国でもあるじゃないですか。
あと方面とかにもありますよね、そういうのって。
確かに。だからそういうのをまた訳すときに、その気持ちっていうか、気持ちを乗せることがすごい難しいですよね。
わかります。私方言結構地元に帰ると使うんですけど、
そうですか。
そうですよ、バリバリ方言場所なんですけど。
そうなんです、素敵。
やっぱり感情の乗せ方が、やっぱり方言の方が乗りやすいなっていう感じは若干ありますよね。離れて20年近く経ちますけど。
そういうのって、やっぱり英語にしちゃうとストレートすぎるし、やっぱり方言は難しいですよね。
そう、もっと生っていう。もっと生っていう感じ。もっとプリミティブな、もっと生っていう感じがするんですよね。
人肌もあるみたいな。
そう、なんかもっと加工されてない感じっていうんですか。
なんでしょうね。
標準語だと、やっぱりちょっと加工されてる感じがするんですよね。それこそみんなに伝わるようにパッケージングされてる言葉っていう感じがするんですけど。
方言とか、もしくは、そうですよね、その国で話されてる言語って生って感じがするかもしれないですね。
まったに行けば、まったに行くほうが生なんでしょうけど。
何とも言えない。
それこそ昔の文学なんか、特にそういう美しい日本語じゃないですけど。
シストとか。
そうそうそうそう。川端、谷崎、三島あたりは、それぞれの持つ熱量が宿ってるじゃないですか。
気持ち悪さとか。
気持ち悪いって言う人もあるんですけど。
ただ、それを、なんていうか、また質感の違う言語に移すときに、その質感をどこまで伝えられるのか。
いやー、これは本当に難問ですよ。無理なんだよって言ってくるよなって。
そりゃ現場悲鳴上がるわっていう。無理ってなるわみたいな。
編集者から、これ意味わからんか。200箇所くらい直しときました。赤でぺって返された時の絶望感。
そうじゃねえんだよなーっていう。
長くなっちゃってもね、ちょっと格好悪いですね。やっぱり。
やっぱり短い言葉って切り味があるじゃないですか。
そうですね。パワワード的な感じですよね。
この言葉の持つパワーというか、そういうのが、長いとちょっとダラッとしちゃうから、また伝わる方が緩くなっちゃうっていう感じもするし。
2冊目、どっちにしようか迷うな。
2冊目は、「一千五輪たちの横丁」というですね。
これはちくま文庫から出ている本なんですけれど。
小沢たかやさんとあと桑原きねおさんという方で書かれた本なんですけれども。
内容よくわからないで最初買ったんですね。
表紙の写真がすごく雰囲気があっていいなと思って、パッと買ってきたんですけど。
これもともと結構昔に出された本の復刊だったんですよ。
この本出たのは1975年にもともと小文社から刊行されて、それがまた岩波現代文庫版が2000年に出て、それがさらにちくま文庫版として去年出たんですね。
内容が、帯に書いてあるんですけど、99枚の死命、負傷、家族の写真からあの戦争が見えてくるっていうので、戦時中に撮られた家族写真に写ってる人たちの消息を追ったドキュメンタリーの本なんですよ。
またそうだね。
裏のあらすじというか、解説みたいに読むと、戦後30年を前にした東京ハイトークの下町で、著者は戦時中に桑原、金王氏により撮られた死命、負傷の人々を探してひたすら土地を歩き、家の塔を叩いた。
そうして探し合ってた彼らが語ったのは、戦場と横町それぞれに降りかかった戦争だったっていう。タイトルのその一千五輪っていうタッチの、一千五輪って何かっていうと、その一千五輪の覇気で出征していった横町の兵士たちっていうことで、覇気代が当時は一千五輪だったっていう。
そういった横町から出征していった人たちの戦争の話っていうのを、戦後の話っていうのを、毎日足しげく通って聞いて回ったっていう記録なんですよね。
で、去年こういう本が出たっていうのは、戦後80年の死命があったっていうのがあって、結構去年は戦地関係の本が本屋にあったのかなっていう。ちょっと去年全然本屋行けてなかったんで、あんまりよく覚えてないんですけれども、やっぱりこれも多分それに関連してまた復刊されてきたのかなっていう本なんですよ。
で、この本、写真がたくさん載っているんですけれど、この写真がですね、ちょっとこれ実際にもし手に取っていただく機会あったら見ていただきたいんですけど、めちゃくちゃ鮮明なんですよ。モノクロ写真なんですけど、全部。とてもこれ80年以上前に撮られた写真に見えないんですよ。ぱっと見。なんか昨日撮りましたぐらいの綺麗さなんですよ。なんだったら。
そうなんですね。
そのぐらい綺麗な状態なんですよ、この写真。なんでかっていうと、これ撮った桑原さんが根を保存していて、フィルムを保存してたんですよね。だからそのフィルムから現像し直してるんですよ、全部。
現像は最近っていうか、もう50年くらい前ですかね。
もしかしたら写真とかもっと復刊されるときにね、またやってるのかわかんないですけど、もうやたら綺麗なんですよ、この写真。でも写ってる人たちの格好とかは明らかに戦時中なんですよ。なんかそれがすごく見てて寿司にな感覚になってくるんですよ。なんか私の今まで見てきた戦中の写真ってだいたい古めかしいじゃないですか。
ちょっとセピアっぽくって。
でもそれってたぶん写真そのものをまた載せていったりするから、写真自体が古いから、もうその、なんて言うか、現像されたものとして古くなってるから、どうしても不鮮明だったりボロボロになったりするものを載せてるから、なんかすごく時代を感じるなっていう、古いなって感じはするんですけど、なんかこれ載ってる写真みんなすごく鮮明だから、本当に80年前の写真っていう感じなんですよね。
なんか昨日撮りましたぐらいの、なんて言うんですかね、鮮明さなのにでも80年前の人の顔、こんなにはっきり生々しさで載ってるから、ずっとこれ見てて不思議な気分になって、ちょっと不気味さもあるなっていう。
逆にね。
空気真空パックされたまま、なんか立ち上がってくる感じがして。
あれじゃないですか、今でいうAIで作られた何かみたいな感じの、なんだろうな、ちょっと不思議な感じ。
自分の中でバグが起きるっていうか、年代と。
そうそう、なんか見てきた戦時中のものとは全然風合いが違うから、なんか見てて、なんとも言えない気分になる。
でも値段もすごい保存が良かったんじゃないですか。
本当にそう思います。本当に綺麗に残してたんだと思いますよ、これ。
だって50年前の、普通に50年前、80年前じゃなくて50年ぐらい前の写真でも割とぼやっとしてたりしますもんね。
本当に綺麗な状態で、すごく状態の良い。
たぶん現像もすごく綺麗に現像してるんだろうなっていうぐらい、本当に綺麗に残ってるんですよね、写真が。びっくりするぐらい。
でもなんていうか、やっぱり格好とか雰囲気とか、あとやっぱりその当時の人の顔立ちと今の人たちの顔立ちってやっぱりちょっと違うよなっていうので、
これはその昭和のもう80年以上前にの人たちの姿だよなーっていうのはわかるんですけど、なんかでもわかるんだけど、なんか不思議な、本当。
何とも言えない気分になる本で。
内容としても、やっぱり戦時中の話を聞きに行って、かつ戦後はどういうふうに生きてきたかっていう、どういうふうに時代の移り変わりを見てきたかっていうのをインタビューしていく。
最初はその戸口叩いても入れてもらえないんですよね、家に。どこの馬の骨かわからんような人、いきなり戦時中のこの写真の写ってたあなたですよねって尋ねて行って、話しかけてもらっていいですかって言ったところで、今更そんな話すことないよっていう。
でもそれを毎回毎回通っていくうちに、ちょっとずつ話を聞くことができてっていう。この横丁に私は何度通ったかわからないって、もう自分の故郷ぐらい、なじみになるぐらい足へ通ったっていうふうに言っているのと。
あとこの語りの文体も、これもなんか独特の文体で、なんか講談っていうか、普通のノンフィクションの文体とまたちょっと違う、もう少し砕けているっていうか、砕けているじゃないですけど、語りを聞いているような文体で書かれているんですよね。
いわゆる文章っていうより、もうちょっと語りに近い感じの、なんとも言えないリズムのある文体で、実際にはこれ一人で書いてなくて、何人かインタビュー行ってるらしくて、それを3人ぐらいこれまとめてるらしいんですけど、実際のところ。
なんかそういうふうにして書かれた本っていうのもあって、なんていうんですかね、やっぱり生々しいというか、いろんな人が語ってくれた戦時中の話、戦後の話っていうのもすごく生々しいですし、そういうふうに毎回足に通っていくうちに、だんだんこの写真の人はもしかしたらどこの人かもしれないよっていう情報が集まってきて、
またさらに足に行くっていう。ただやっぱりどうしてもたどり着けない人たちっていうのがいるんですよ。それはもうもちろんその街からいなくなっちゃったから、もうちょっとわかりようがないっていう写真もあるんですけど、ある一角町内の人たちの写真だけがどうしても誰にもたどり着けない。
誰もこの著作にたどり着くことができない。ここだけはなんかすっぽり抜けてる。ここの区画だけがすっぽり抜けてるのはなんでなんだろうなっていうのを尋ねていったら、そこの区画は全部通衆でやられているから、その街ごとなくなってしまってるんだよっていう話を聞いて、まあそうかっていうような、この写真に写ってる人はもういないんだっていうような。
こんなに生々しく写ってるのにっていう。生々しいからなんかもうこの人たちはこの世にいないっていう。空襲で一たまりもなくいなくなってしまったっていうのはなんかすごく怖いんですよね。
そうですよね。写真が生々しいから怖いんですよ。あ、いなくなったんだこの人みたいな。家族写真だから余計ですよね、また。そうなんですよ。家族写真もすごいいろんな写り方があって、これみんなこの戦地に行った家族に送る写真として写ってるんですけど、
精一杯のおめかしをして、本当に一番いい着物を引っ張り出してきてきてますっていうようなお家族もいて、笑顔で写ってる人もいれば、普段に寂しそうに写ってるご夫婦とかもいるんですよ。
悲しそうっていうより寂しそうっていうか、どういう顔して写ったらいい、顔していいものかなっていうような戸惑いみたいなのが伝わってくるような写真もあれば、くったくなく笑ってる子どもとかもいれば。
あと本当になんだろうな、この写真っていうのも結構あったりして、なんだろうこれみたいな、なんでこのシーン撮ったんだろうなーとかいうよくわからん写真とか、仁王立ちしてるお兄さん、たぶん兄弟2人とか、なんかそのスナップを見るのもなんだろうな、その家族家族の雰囲気とかあって面白い。面白いって言い方あれですけど。
何だろう、でも本当にこういう写真を今まで、戦時中のその資料であんまり見たことがなかったなあっていうのが、すごく教員深かったし、やっぱりその中で語られる話っていうのは、まあやっぱり結構シビアな話多いんですけど、
自分の家でその居酒屋、飲み屋をやってて、その飲み屋をやってて戦後帰ってきて、もちろん戦地から帰ってきた人たちが軍歌を歌うわけですよ、酔っ払って。今で言うJポップみたいなもんですから、その時流行ってた曲みたいな感じで、みんなで仲間と歌ったら歌だっていう感じでみんなで歌うんですけど、
それをなんか聞きながら、自分の息子は死んだんだよなあっていう、戦地でっていうのをなんともたまらない気持ちで聞いてたっていう話とか、あとは自分はその町内でラッパを吹いてたと。で、ラッパ隊でラッパ吹いて出生していく人たちの景気づけみたいな感じでラッパを吹いてたんだけれども、
もう自分はそういうのでもうラッパ吹きたくない、二度とそういう音楽は鳴らしたくないっていうようなことを言ってるおじいちゃんとか、そのおじいちゃんが言ってたのは、ベートーベンはいい、用のある音楽はもうゴリゴリだっていう風に言ってて、用のある、何か意味のある音楽っていうのはもう嫌だっていう、なんかその一言がすごくね、その時代体験してると絶対出てこない言葉だよなこれっていう。
一つ一つの言葉が、何て言うんですかね、もう本当に普通の人々なんですけど、普通の言葉で話してるんですけど、絶対これ経験したことがない人じゃないと出てこない言葉が、何気ない言葉なんですけど、これ小説とかでは絶対書けないなっていう、そういうことがすごく多かったですよね。
なんかそういう、何だろう、本当に資生の人たちのその時代の記録って意外なさそうですもんね。その戦争の記録とか、その戦争に、今回の戦争にまつわる話ではありますけども、すごい個人に近い話っていうか、何ていうのかな、ファミリーストーリーですけども。
そういうのが集められてるのって意外になさそうですよね。
そう、あるとしたら、あれですかね、前にやっぱり聞き書きの本の時に紹介した沖縄の生活史とかは、あれは沖縄が日本に返還されたっていうか、した日にあなたは何をしてましたかっていうのを、縁にしていろいろ話していく話だったので、やっぱりそこも戦争って必ず通ってくる話ではあったんですけど。
普通の人の戦争の話って、前後50年とかそういう時とかあったのかなと思うんですけど、今もうそれ語る世代の人どんどんなくなっていきますし。
そうですね、もううちの親世代もその頃は、ギリギリなんだろう、何て言うんでしたっけ、戦争小児みたいなのになるかならないかぐらいの。
うちの母は多分日本で生まれているのかな、彼女は。でも彼女の彼女というか、うちの母のお兄さんお姉さんは満州で生まれていて。
そうなんですね。そうなんです。それで引き上げの時に、やっぱり子供を置いていけ、置いていかないみたいなのがあって、ちょっと一歩間違えれば、戦争残留小児と呼ばれた、今ね、なかなか残留小児って言っても伝わらない方が多いと思うんですけども、
何年か、それこそ戦後60年ぐらいの時までは、毎年夏ぐらいになると、残留小児だった方が家族を探すために、よくテレビとかで、
そうですよね。日本に私を知っている人いませんか?っていう番組とかがよく放送されていたんですけれども。ありましたよね、昔ね。そうですよね。やっぱりでも今はもう、お年もお年だし、その親御さんとかご家族の方も年齢的に蓄えされている方が多いから、どんどんなくなってきてしまったんですけども、
戦後60年ぐらいまでは、割とやっぱり戦争の話は身近でしたけどね。そうですよね。60年、でも70年ぐらいになってくると、やっぱり語る世代がどんどん少なくなっていくと、やっぱり昔の話になっていくんだなーっていう。
戦後80年だったっていうことも、ちょっとピンとこない。東北だから余計なんですけども、空襲とかが。でも仙台も空襲が。仙台空襲はありましたよ。結構やけの腹になってますからね。古い建物がないのは空襲と地震のせいっていうのがありますから、仙台は。
5番の目でね、美しい大町並みになっているのは空襲ですけども。そうなんですよ。なかなか、特に山形は割と被害が少なかったところですよね、きっと。
海側は爆撃があったりしたところもあるみたいですけど、飛行機とか飛行場とか、そういうのに間違えられてとか。ただ、軍事工場みたいなところもそんなになかったでしょうし、鉱山とかそういうところはあったんですけど。ただ、工場とかそういう爆撃の標的になるようなところがそれほどない。ただ単に田舎だしっていう。
こんなところを落としたところでっていう。
もったいないっていう考えっていうか、そういうのがあったでしょうから。
やっぱり都市部の直接そういう戦火があったところ、もしかすると沖縄みたいに本当に戦場になったところ。
そうですよね。あと九州の方なんかも特攻隊の方が飛び立つ飛行場なんかがあるので、やっぱりこう、戦争の話になるとちょっと重くなりますけどね。
まあ確かに。うちの祖父母は結構早く亡くなってしまったので、あんまり祖父母の口からそういう戦争の話って聞くことはほぼなかったんですけど、親世代がちょっと聞いてたかなっていうぐらい。
まあ結構過酷だったみたいですけど、一人はシベリアに抑留され、一人は南方の激戦区に行ってたので、よく見きて帰ってきたなっていう。
うちの母方のおじいちゃん、祖父がやっぱり満州からのシベリアかな。ロシアの方に行っていたと。
この辺、山形とかの人って結構、中国の東北部とか行ってた部隊があったっていうのは聞いたことあります。やっぱ北見とか北の方やられるのかなとか思うんですけど。
わからないですけどね。なんかそういう話は聞いたことありますね。よくそっちの方に行ってたっていう。
あとは何だったかな。本当かどうかわかんないんですけど、前一箱古本市で吉村明の戦艦武蔵を売ってたら、うちのじいさんは戦艦武蔵に乗ってたっていう。
帰ってこなかったけどっていうような話を聞いたことがあって、本当にいるんだっていう。フィクションじゃないんだなって。本当かどうかわからないですけど。
後ろ親父がこれに乗ってたよっていうふうに言ってたおじいさんもいましたけどね。
だからね、だんだんやっぱりそういうのが薄れてきているのが、平和といえば平和。
ただ、薄くなってくると危機感もなくなってくるので。
そうですよね。今がね、そういうのがすごく色濃く出てる感じはしますよね。危機感の無さというか。
そういう本も手に取るチャンスがなかなかなかったりもするじゃないですか。
重いから撮るのはなかなかっていうのはあるかもしれないですけど、この本は結構写真を私は見るだけでも価値があったなって思うので、写真を見る感じで見るのも、本当にちょっと不思議な感じの感覚になるので、見てると。
なので、もし機会があれば、ちくわ文庫なので、まあまあ手に入りやすい本かなと思いますし。
写真興味ある方とかは見てみると面白いんじゃないかなと思います。
その時代の雰囲気とかがすごくよく撮れているなって思うので。
で、次ですかね。
はい。
ちょっと本当迷うところではあるんですけど、ちょっとこれにしようかなと思って。
ノンフィクションばっかり出てるんですけど。
「死の海」っていう。
これは小林照幸さんという方が書かれた。
副題が「日本充血急中症との戦い」っていう。
新潮文庫から復刊されたノンフィクションですね。
はい。
これも幻のノンフィクションって言われてたみたいで。
ウィキペディアとかで結構これ、日本充血急中症っていうのを検索すると膨大な記事が出てくるっていうので。
帯にウィキペディア三大文学っていう風に書かれていて。
で、何かっていうと読み始めると思わず引き込まれてしまう秀逸なウィキペディア記事のことで。
で、八甲田産中工軍遭難事件。
八甲田産のあれですよね。
産経別飛沫事件。
地方病、日本充血急中症という項目で、すごく思わず読んでしまうような膨大で、そして秀逸な記事がありますと。
で、そのうちの主要賞文献になった日本充血急中症のページで参考文献として取り上げられている本がこの死の会っていう本で。
これも出てから結構経ってるんですよね、もともとの本は。
1998年にもともと文芸春秋より刊行された。
98年なんで、さっきの本よりしたら30年経ったか経たないかぐらいですかね。
ただそこからちょっとしばらく手に入りにくい状態になって。
で、ただこのウィキペディアでこれの記事が有名になるにつれて、いろんなところで話題になって。
で、復刊が令和6年ですね。
新潮文庫から復刊されたっていう本なんですけれど。
私これ出たときにすごい気になってて、書いたいな、読みたいなと思ってたんですけど、
ちょっとその年もやっぱりちょっとバタバタしていて、
5月ぐらい試験直前期なんで、試験終わったら読もうとか思ってたと思うんですけど、
やっと去年ちょっと時間があったときに、あ、それは詩の回であったなと思って、
ふと思い出して、詩の回をちょっと買いに行って読んだっていう内容の次第なんですけど、
タイトル副題にあるように、日本重血急中症っていうのが、今も絶、根絶されてはいないんですけれども、
ほぼ根絶というか、収束したっていう、収束宣言が出ている病気ではあるんですけれども、
かつてその、とある地方に謎の奇病がですね、蔓延していて、それがなんていうか、
幸福盆地なので山梨県ですかね、山梨県と、あとは勝田山地方、岡山と、
あとは四国川の流域なので、この辺だと福岡とかその辺なんですかね、九州の。
そうですね、大分の方ですかね。
そうですね、その辺りだったと思うんですけど、そこが特に有効値になっていて、
なんていうか、お腹がすごく膨れてきて、なので水腸傍慢病っていう風に言われて、
水に主要な月辺に重いって書いて腸って読むんですけど、あとは月辺に長いって書いて腸慢、
とにかくお腹が膨れる、水腹になってくると、水膨れみたいにお腹だけが膨れていて、
ただ痩せ細って、全体としては痩せ細っていくし、これ小さい子供がかかると、成長は止まってしまうと、
もうぱっと見小学生みたいにしか見えないけれども、成人とか、成人してるのに全然成長しない。
で、だんだんお腹だけが膨れて痩せ細って死ぬっていう、最終的には。
それが大体、発症すると大体5年ぐらいでそういう感じになって死んでしまうっていう。
要はあんまりよろしくないっていう病気で、ただなんでそういう病気になるかっていうのは、
昔からそういう病気はずっと確認されてはいるんだけれど、原因が全然わかんない。
ただなんか水に関するじゃないかと。どうも水になんか、あそこの水が悪いらしいっていうのがあって、
だからその地域に例えばね、あの、とつぐってなった時に、官王家も一緒に担いで行けっていうぐらい。
新生族を持っていかなきゃいけないとか、そういう風に言われるぐらい、あそこにはそういう病気があるから死にに行くようなもんだっていう風に言われるぐらい、
やっかいな病気としてずっと知られていたと。
明治時代になって、だんだん医学が発達していくにつれて、ドイツとか西洋の医学とかをちょっと学んできて帰ってきた人たちが、
これは一体何なんだということで研究していったりですとか、
あと住人からこの病気の正体をどうにか追求してほしいっていうのは、
県の方にも探案書みたいなのがかざされて、お願いしに行くって事態になって、
政府としても明治時代には不国共兵とかの時代なので、当時は徴兵制とかもあったし、
ただそのこの病気になってしまうと、成人でも子供みたいな成長ができなくて死んでしまうっていうのでは、
国策にもよくないしっていうのもあって、この日本充血中急中の病気以外にも、
衛生とかそういうのに力を入れていくって時代の中で、何が原因なのかっていうのを地道に地道に研究して、
なんていうか、突き止めて、そしてどのようにこの病気の下を立っていくかっていうのを、
その記録をひたすらまとめた、地道にまとめたっていう、それだけの本なんですけれど、
ただなんか、ドラマが地味なんですよ、ドラマとしては、一個一個のドラマの書き方としては。
でもその地味なドラマのつながりっていうのが、逆に熱いなっていうような、
なんですかね、やっぱりその事実の生々しさというか、
なんか一個一個なんですかね、難問を解決していく、なんかプロジェクテックスみたいな感じの。
私も事前に話を聞きましたけれども。
中島みゆきのテーマソングが聞こえてくるような感じなんですけど。
あのナレーションと。
あのナレーションと、ハイライトになるシーンが差し込まれてくるみたいな。
差し込まれていました、話を聞きながら。
いろいろ熱くなるシーンがあるんですけど、結局最初のシーンでグッとくるポイントとしては、
まず病気の解明するには、何がこれ体にどういうことが起きているのかっていうのを調べるために、
解剖した方がいい、解剖しなければならないっていう話は出てくるんですけど、
免治のあたりってまだ解剖ってすごく抵抗があるんですよ。
罪人が受けるようなもんだみたいな。
体を切り刻むなんて、みたいな。
まあまあ今でもね、まあまあ。
検体とか、なかなか抵抗あると思うんですけど。
だから動物とか、お医者さんが自分の飼い猫を病気になっているから、病気っていうか、
同じような症状が出ているような、家で可愛がってた猫を、
まず解剖するっていうような話があったりとか、もうすごい断腸の思いでそれをやったりするんですけど、
でもやっぱり人でやらないとそれは意味がないんじゃないか。
データとしてはやっぱり正確なデータが取れないんじゃないかっていう。
ただなかなかそれをやらせてくれっていうのは言いづらいよなってなった時に、
そのある女性の患者はですね、私が死んだら私の体を解剖してくれ。
それでこの病気の原因が少しわかるんだったら、
それが私の願いだみたいなことを反論するんですよ、お医者さんに。
で、そのお医者さんはこんな願いをまたとない機会なのでっていうことで引き受けて、
その方の亡くなった後に神社の境内で解剖するっていう。
なかなかまだそういう、田舎だししかも。
この地方病が流行っている地域ってすごく田舎なんですよね。
だからそういう説明もないところでやるってなった時に、
田舎の境内でやるっていう道具を持ってきてですよ。
県の医学の施設から持ってきてやるっていうような。
でもそれでやっぱりどうもこういう厳虫というか、寄生虫が原因なんじゃないかと。
ただそれは突き止められたんだが、今度その寄生虫はどこから来てるのかっていうのを、
また探るところでまた壁にぶち当たりっていう。
ただ最終的には川に生息するミアイリガイっていう貝、ちっちゃい貝、米粒ぐらいの貝がどうも原因なんではないかと。
で、この貝が貝を媒介して人に感染していくのではないかっていうのを、
またこれもちょっとずつちょっとずつ地道な研究を音に突き止めていくんですよね。
最終的に、じゃあその貝をどのように駆逐していったらいいのかっていうところでまた、
ただ単に駆逐すればいいって言っても、やっぱり水を介して広がっていくので、
五眼工事をしてもコンクリートで全部固めてしまおうとか、そういう話もあって、それをやっている地域とかもあって、
ある程度の効果は認められたりするんですけど、やっぱ費用的な問題がとか、
あとはやっぱりその、一回は収まったけれども洪水が起きてしまうと、
まだその対策が取れてなかった地域からまたその貝が流れてきて、また結局元のモック網になってしまうとか、
でもその住人の人はこれで防げるんだったらいいので、もう毎日のように貝をザルですくって焼くっていうのを、
本当にもうバイバイゲームぐらいな感じで貝は増えていくんですけど、それをもう来る日も来る日も来る日も来る日もやるんですよ。
そういう地道な、地道な、しかも本当に地道な努力っていうか、でちょっとずつちょっとずつ撲滅の道に進んでいくっていう。
そういう地域ってまたね、そういう差別的に扱われてしまうし、
それでその中でまたね、解剖っていうのはまたハードルが上がるし、そこの人たちがまた自分たちでそういう貝を駆逐していくっていう。
大変ですよね。
そう、でなんかこれ読んで、そういうことあったんだっていうのもあったんですけど、山梨って今、ぶどうとか果物の産種として有名じゃないですか。
その果樹園が坂になったっていうのも、その米、もともと米を育ててはいたんですけど、米って結局水を使うので、これだとその貝が繁殖しやすい環境になってしまうから、その田んぼを全部埋め立てて果樹園にしてしまうっていう。
で、観光果樹園とかにして都心の方からお客さんを呼べば、農家としても他の米に代わる現金収納を得られるからっていうので、あの辺が。
っていうのもあって、なんていうんですか、果樹園、果樹を育てる地域になったっていう背景もあるみたいな。
全部が全部じゃないんでしょうけど、そういうこともあって、果樹園が増えたっていうのもあるのを聞いて、
あ、そうなんだみたいな。そういう背景はあったのかっていう。
この日本中級血吸中事態の収束宣言が、結局1990年代、94年とかにやっと一旦は収束しましたと。
まったく撲滅されたわけではないんだけれども、収束しましたということで、宣言が出されたっていう。
ということは治療方法を見つかったってことなんですかね。
そうですね。途中で効く、これが効くっていう速報薬的なものも発見されて、かかったとしてもそこまで命を落とすほどでもない病気にはなったけれども、
結局感染源を立たないと、収束したとは言えないのでっていうところで、その会の撲滅、結局死滅させるってことですよね、人間の手によって。
ただそのところも後で、いろいろ買図家っていうのを立てて悔いをするっていう。
またそこも日本人っぽいですね。
すごい、なかなか。
プロジェクトX、地味なプロジェクトX的なノンフィクションっていいよなって思わせられる。
後半に続きます。