00:06
突然ですが、突然ですよね。当たり前。不法が届きました。 つい先日まで一緒に活動していた方なんです。
今週も来週も予定がありました。 あまりの突然の知らせに言葉を失いました。
ご遺族の移行により家族相とのことでお別れをしに行くことができません。 同時に、公伝だけは受け付けるという連絡がありました。
なんか、モヤモヤとした違和感がふつふつと湧き上がったのです。
今回はその正体に迫ります。 思考は完成させなくていい。
The Thinking Trunk! 気になったテーマを深掘り。
改めまして、今回は合理化した葬儀からこぼれ落ちるものをテーマに進めてまいります。
びっくりしました。
日頃よく会っていて、今後も予定があった方なので、驚くと同時に、しっかりとちゃんとお見送りを。
自分で、自分の知り合いなものですからね。 お見送りに行きたかった、立ち会いたかった相手でもあります。
それは一つの節目としてきちんとお別れをしたいという意思。
ですが、ご家族のご意向を尊重すべきなので、どうするかはご家族が決めることであり、今回は家族層とのことで。
それはそれで、ありはありだと。 それ自体を否定するのではないのです。
その後ですよ。
ただ、三列できないけれども、組織の代表一名だけは三列ください。
で、公伝は受け付けますよ。
どなたも。
ということだったんです。
なんかこの辺から、何か違和感を感じたわけです。
自分はいけない、お別れに立ち会えないけど、お金だけ託して届ける。
遺族には面識がないわけなんです。本人だけ。
普段から日頃からお付き合いになる遺族、ご遺族でしたら、あの人たちに使ってくださいねという意味もあって、
お返しはいりませんから、お役立てくださいという意味でも渡したいし。
でも、お別れをしに行くというのが目的で、手ぶらで行かないで公伝を持っていくという意味で言うと、
本人に行かないのに公伝だけ託すって、自分にとってその公伝って何なんだろう。
公伝を出すのが目的、それだけになってしまいますよね。
というところから、何か違和感が生まれたのではないかと。
じゃあ、自分ってその葬儀に何を求めていたのか、ちょっと整理してみました。
03:02
一番大きいのは、繰り返し言ってますけども、個人との最後のお別れ、対面。
そして、個人を忍ぶその場でね、時間をかけて、その場所で。
で、ご一緒した方なんかと生前の功績を称えたり、あるいは感謝、ありがたかったエピソードを語ったり、
ご遺族にそのお話をお伝えしたり。
とにかく、個人がとてもみんなに対して感謝されていたってことを遺族に伝えたりすることもできますし、
遺族に伝えることはできないことも多いですが、みんなで称え合うというかね、
振り返って、その個人のためだけに時間を費やす時間、それを過ごしに行く。
3列車同士でももちろん構わないです。
そういう場でもありますよね。
言うならば、葬儀っていう場は、個人と関係者が対面して節目を迎える儀式というイメージだったんです。
一方、コロナで対面非接触とかね、密を避けるというところで、葬式のスタイルもあの時ガクッと変わって、
それをきっかけかどうかわかりませんけれども、今までみたいな代々的な葬式は減った気がしています。
関係者だけ、家族だけで集まってやることが増えたように思います。
それは従来型の形だけでかくて、何のためにやるんだろう的な、無駄にでかくない?みたいな疑問もあったでしょうし、制度疲労もあったんだと思います。
葬儀屋が儲かるだけの儀式じゃん?みたいな、悪く言うとね、惜しきせのものであったというストレスも溜まっていたことで、大きく転換した可能性もあります。
それは否めません。そう思ってます。私も。
そこから発生して、今風に変化していく。今風へのアレンジ。
一つは規模の縮小ですね。小さくする。一番小さいのがやっぱり身内だけ。
いろいろやると大変なので簡素化する。それはそれでいいんです。いいんですよそれは。悪くはない。
でも、ちょっと待って。従来型の葬儀って無駄ばっかりだったんでしょうか?
実は私も一回模種を経験しております。無駄とは言い切れない。むしろ合理的っていう部分があったりするんです。
まず一つは、プロの葬儀屋というプロが入ることで、模種なんて普通何度もやらないんで、場に慣れてない、不慣れな、右も左も分からない模種の手となり足となってくれる。
模種は判断するだけでいい。必要な助言とか煩わしい手続きを代行してくれる。
06:10
葬儀屋とかね、その周りの方々。周りの方々っていうのは葬儀屋以外のプロじゃない方でも相互に助け合って、ご近所さんとか親戚とか。
昔はやってきているので、お互い様ということでいろいろ手伝ってくれたりします。
連絡なんかもそうですよね。関係者への連絡。全員に連絡することはほぼないです。
誰かに連絡するとその関係者自体にどんどん広がって、皆さんが広げてくれる。
段取りも難しいじゃないですか。仮葬場ってどうやって予約してもいいんですか?みたいな。そんなところから調べたらキリがないわけですよ。
埋葬っていつどのようにするの?証明書が必要だったりとか。そういうのも全部ワンストップで流れに乗れば知らなくてもできるわけですよ。
そういった煩わしいいろいろな細かなことまで大きなことから細かなことから重要なことからどうでもいいことまで含めて
いろいろあるものがどのようにしたらうまく処理できるかっていうのが長年この葬儀というものを繰り返して蓄積されてきたノウハウ。そこが葬儀屋にあったりするわけです。
分業も進んでいます。持ちは持ち屋じゃありませんが葬儀屋の中にもそれぞれ持ち場があっていろんなところに頼むシステム化もできているしオペレーションもどんどん分業が進んでいるのでいろんな業者さんが入って進んでいきます。
つまりは手と足があることで母主は判断に集中できるわけですよ。いろいろやらなくていい。
その時私が感じたのはお金もかかりますけれどもかかったお金以上に手間暇はやっぱり激減しててものすごく合理的に物事が短時間に進んでいく。その良い部分もあるわけなんです。
じゃあ手作りの家族層をこだわってやるのもいいです。そこと何が違うのかというとまず普通は何度もやるものじゃないので初めてだったり母主ね。
ご遺族もあるいは多くても2回目だったりするわけで大体何をすればいいか分かっている人がいませんよ。
よっぽどお見送りの就活していれば別かもしれませんけれどもそれでもいざ本番になったら手慣れているわけがない。
何をすればいいか分からない。そんな時に見えてくるのは必要なこと。つまり必要なことは分かるのでやりますけれどもそれは分かっていることだけなんです。
見えている範囲でしか判断できない。見えていないこと見えていない関係者バックボーンにこんな人たちもいるとかこんな手続きあったの的な。
知らないからこそ見えてないことが多いんですよ。それは関係者であったり手続きもそうなんですけどもう一つあるのが心の整理。
09:03
自分の見送る側の心の整理なんかも実は葬儀をする中で気持ちが整理されていくという効果もあったりするんです。
それはもう見えないものなので経験しないと分からないです。
とにかくやることが多い割には知らないことばかりなので抜け漏れもある。
漏れていて忘れたりとか気づかなかったっていうこともやらなければいけないことは時間差で必ずやってきます。減るわけじゃないんです忘れたからといって。
漏れたからといって忘れて良くない後付けでも必要になる届けでとかあるわけです。
それを個別にどんどんやっていくといつまで経っても終わらないんです。
初七日法要とか言ってる場合じゃないです。一週間で終わるわけがないんです。
だから自分たちでやろう人任せにしたいでやろうって簡素化しようって合理化したつもりでも実は知らないこと素人がやろうとしているので
よくよく考えたら効率が悪くてとても非合理なことをやってになってしまうこともあるわけです。
それでも別にそれを選択することは悪くない。それは自由意志なんだよね。
ただ大変ですよ。思っているより大変だっていうことが結構あるんじゃないかと。
ちょっと立ち返って、じゃあ何で葬儀って何のためにやるの?
それから今回の革新です。私3つ思いつきました。
1つはそもそも遺体ね。個人を埋葬するっていう遺体の処理ですよ。
物理的にもね。死亡届けとかもそうですけど。
2つ目はちょっとさっき申し上げましたが、
残された人たちの気持ちを整理する場。
バタバタバタバタほんと最初忙しくて余計なこと考えないで悲しみは後からじわりとくるんですが
一瞬でもその苦しみを紛らわせる時間に葬儀というところが短時間に集中するところで
気持ちがどっか別のところに行って
一時的に整理が止まるというか
いろいろやっていく中でいろんな気持ちがだんだん落ち着いていく。
ショッキングな瞬間から徐々にいろんな人が関係していろんな手続きが集中することで
少しずつ和らいでいく。心の整理。
3つ目が個人、亡くなった方と関係した人たちあるいは物だったり
あるいは組織関係とかそういったものを
仕事やっている方はそっちもそうですね。
整理するというのが3つ葬儀の核心にはあるんじゃないかと。
特に3つ目の亡くなった方と関係していた直接の知人とか人とか物
これって家族だけの問題じゃないんですよ。
亡くなった方って本当にお年を召されてほとんど社会とつながりがなくなって
12:00
久しい方は別として現役で社会とつながっていた方って
やっぱり急に途切れるっていうことは周りの方に影響が大きい。
友人、知人はもちろんのこと。仕事していたらなおさらです。
組織に所属していたらその組織に影響が及びます。
世話になっている人あるいは世話している人
いなくなっちゃったの?世話されている人もいたりします。
現役の方はね。さまざまな関係性がある。
そんな中従来型の葬儀の目立たない隠れた機能としてあるのは
大勢が一斉に集まるという従来型の大きな葬儀っていうのは
それを前提としているので一度に知らせる。
一度にみんな集まってお別れをする。
一度に個人を共有する。
一度に感謝を伝える。
一度に関係性を成立する。
つまり一瞬その落ちやない葬儀のたった2日間で
一瞬で大量に関係者たちに連絡周知とか
いろいろなものが終わるわけですよ。
個別にパラパラ100人が100回来場したら
100日間休む人がなくなりますからね。
それが1日で終わっちゃうわけですから1日2日で。
そこをうまく吸収してくるんですよ。
譜法っていうのもよくできてますよね。
それを印刷されたものとかPDFとかデータでもいいんですけど
あれば問い合わせ先も書いてあります。
遺族がいちいち電話券の大変だから
葬儀場、葬祭場とか葬儀屋さんに連絡先があって
どのような質問事項も全部対応してくれます。
関係している人にはとにかくその譜法だけを回せばいい。
途中に開催する人が取りまとめたりする必要はない。
とにかく広げるだけでいいんです。
あとは受け取った人がどう関わっていくかは決めればいいだけなんです。
関係する人がいたら送ってあげようって。
強いて言うなら転送するぐらいで十分ですよね。
何にも考えなくたってみんなが自動的にといえば何なんですが
お作法に従ってうまいとこ着手していくんですよ。
悪く言えば何にも考えなくたって
今までどのようなお作法に乗っかっていれば
なんとなくちゃんと終わりが来る。
そういうことなんです。
今回の気になった不法に戻りますと
組織にも属して活動されていた方なので
組織については1名だけ参列してください。
それは合理的ですよね。
家族葬儀でも1名は行きましょう。代表で。
組織として公伝なりお花なりをお出しする。
組織としての儀礼的なものあるいは
組織内での告知は済むのでそれで一旦成立。
ただそれは組織の話で
亡くなった方と自分との個人的な関係についてはどうでしょうか。
15:01
お諮りをする機会がないわけですよ。
組織の代表者は言ってますけども
個人を忍ぶ場もない。感謝も伝えられない。
経済的な公伝だけが
ただ見ず知らずの人、遺族のところに行くだけ、到達するだけ。
受け取った人も誰から来たのか
この人誰だろうってわからないまま届くということなんです。
私は別に出したくないわけじゃないです。
別にお金はいいんですけども。
ただ公伝を出すのは目的じゃないんですよ。
お別れがしたかったわけなんです。
ありがとうって誰かに言いたかったんですよ。
仲間でもいいんですよ。
もちろんご家族に言えればそれでもいいです。
本人を目の前にして本人にも手を合わせて改めて言いたかった。
一つの節目として区切りをつけられる場。
それは自分にとってはそうですけども
皆さんも亡くなった方に関係した人それぞれ
お別れをしたいという思いがあります。
それが葬儀の中でできていく。
つまり個人を送り出すだけではなくて
失った周りで残された人の気持ちを整理する場でもあるわけですよ。
あるいは残された人たち同士それぞれの関係を整理する場にもなっていたということなんです。
そんなことに気づいたわけです。
葬儀を簡素にすることと葬儀の役割まで簡素にしてしまうことって
似ていて非なるものなんではないかと。
もっと言うと葬儀って誰のためにやるの?
という感じなんでしょうね。
今回はこの辺りで。
最後にお断りです。
この配信では身の回りでセイラージーが感じたことを基に
ネットやAIなどから得た情報の参考に構成しています。
正確性についての保証はいたしかねますので
くれぐれもご自身で最終判断をしてください。
疑い式情報やお気づきの点がございましたら
お知らせいただけると助かります。
The Thinking Trunk
思考は途中にこそ価値がある話ですけど
葬式って三列した人同士が個人を偲んだり
生前の功績をたたいたり
思い出話をしたり
そして近しい相手であれば伝えきれなかった感謝を
遺族に申し送りする。
言われた方も嬉しいんですよ。
見送る側も遺族として
母子として私がやった時に
18:00
みんなに感謝の言葉をいただきました。
世話になりました。ありがとうって。
それが遺族に対して個人が残してくれた
最後の財産だとも感じました。
そんな場が葬儀の一つの大きな意義でもある。
そう考えたり、自分に築けた一見でした。