ネットを使って、まさにこれもネットなんですけど、ネットを使って語学学習をしている人ってすごくたくさんいますよね。
昔はネットがない、もしくはYouTubeとかもそうですけど、YouTubeって最近と言ったらあれですけど、ここ10年くらいでだいぶポピュラーになっただけで、
それ以前の時代にはYouTubeで英語学習なんて考えもしなかったですよね。
そういう時にあるのが、ネットのおかげですごくたくさん選択肢が増えたんですけど、ネットを見ると一つの傾向みたいなのを感じませんか。
僕が思うのは、似たような情報が、似たような言説が大量に湧いてくるという感覚がありませんか。
みんな、テンプレというか型みたいなのがあって、それを何度も何度もいろんな人が繰り返しているという感じがしませんか。
ネイティブがよく使うフレーズなんとかとか、そういうのがたくさんあるじゃないですか。
それって、何でだろうとなっていますか。それが良いとか悪いとかいう話ではないんですよね。
ネイティブがなんとかっていうより、トピックが悪いとか良いとかそういう話ではなくて、
何でネイティブがどうのこうのとか、便利なフレーズとか、覚えておきたい単語とか、
そういう、ざっくり見ると似たような話を永遠と繰り返している感じがしませんか。ネットの中で。
何だろうなという疑問を感じると思うんですよね。
今回の話は、その疑問が一つの話の開始点になります。
さっきの具体と抽象って話をしたんですけど、それを使うと、
TOEICによく出る英単語、何とかかんとかによく出る英単語、ネイティブがよく使う英単語になって、
共通項が一つあって、それはいずれも具体的なんですよ。
具体的であるということは、誰にとっても分かりやすいですよね。具体的な話なので。
何の話をしているかって困ることはないじゃないですか。
さっきの話を言い換えると、世の中、ネットとかで湧いてくる英語系コンテンツってすごく具体的なんですよ。
最近、ご自身で英語学習系の動画を見たり、ネットの記事を見たりすることがあると知って、
それを思い返してみると、みんな具体的ではありませんでしたか。
抽象的な話はないですよね。
これが今話したようなことですよ。
言い換えると具体的なコンテンツばかりで、抽象的コンテンツはないなって感じませんか。
今回の動画の話の大筋は、抽象的コンテンツ、抽象的内容をもっとケアした方がいいんじゃないかというのは、
僕の思想なんですけど、それを持ってくるために、今の状況として、
世の中は具体的な話ばかりだよねっていうのを確認したという感じです。
抽象的って今何回か言ったんですけど、ちょっと分かりにくいですよね。
言葉の整理として、具体的であるということは何かというのと、抽象的であることは何かというのを
いまいちと確認したいと思うんですけど、
それって高肌の力みたいなもの、はしごみたいなのがあって、
はしごの地面にすれすれのところが具体的で、
しざっていうのかな、しざが低い現場レベルの話、
そこからどんどん上がっていって、はしごが上がっていって、
ひろいしざ、しざがひろい高い視点っていうのを持つのが抽象的な話です。
だからこの辺の話っていうのは、表現が何かとかフレーズが何かっていうのはあまりどうでもよくて、
逆にここの表現がどうこう、フレーズがどうこうっていう話では、
このひろい視点、高い視点というのを獲得していないという感じになります。
プラス、何が言いたいかというと、具体的な話があって、抽象的な話があるんですけど、
これって別に何か良い悪いという感じではありません。
こっちが良くて、こっちが悪いという感じではありませんし、
もちろんはしごですから、高いところと低いところという、ただそれだけの話です。
高いとか低いとか言っても、あんまりパッとしないと思いますけど、
これって良い分け方があって、それは人間にしかできない考え方、思考法かということですよね。
人間にしかできないことって、人間以外の動物ができないことなんですけど、
それって人間もできるし、他の動物もできることもありますし、人間にしかできないこともあります。
これは例えば感情を持つというのは、人間も動物もできますよね。
喜んだり悲しんだりするというのはできますし、あとは具体的な事物を記憶することもできますよね。
記憶した内容をもとに行動に移すというのも多分できますよね。
例えば犬がお手とかお座りするときって記憶してますよね。
過去の経験をしつけられるじゃないですか。犬をしつけて芸を仕込められるじゃないですか。
その時に過去の経験を蓄積してますよね。
褒められるような行動を選択するってなっているじゃないですか、犬は。
それが記憶に残って犬はお手とかお座りができるようになるんですけど、
それと同じで、具体的な話を咀嚼して、それを理解、記憶して反映させるのも人間以外もできるんですよ。
人間の場合ってそれ以上もできますよね。抽象的な思考もできますよね。ここが違いなんですよ。
例えば抽象的な話、芸術とか感性とか芸術、そういう具体的ではない話は人間にしかできないんですよね。
絵を描くとか音楽を鑑賞するとか作曲するっていうのは人間しかできないじゃないですか。
その時に例えば人間以外の、象が鼻を使って絵を描くってありますけど、あれも一見芸術性を発揮しているように見えますけど、
あれは違くて、あれは単にさっきの犬の話と同じで、そうするようにトレーナー的な人が仕込んでるだけなんですよ。
だから象の場合はあれは競技の芸であって、単に具体的な事物を理解して記憶して反映するという感じですね。
さっきの話に戻ると、人間にしかできないことがまずあって、それは抽象的な話であると。
抽象的な話っていうのは概ね感性とか、いまいち説明しにくい部分で聞いてくるっていうのがあります。
ここまで抽象的な話と具体的な話がありますよと。
具体的な話っていうのは簡単であるが、簡単であるが理解しやすいが、それは誰でもできるし、動物でもできるって話をしました。
抽象的な話っていうのは、これは感性とかセンスっていうのは結構聞いてきて、これは抽象的な思考力がある人にしかできない、そういう話をしました。
で、冒頭で指摘した英語系の話に戻りますよ。冒頭で指摘したなんで世の中このフレーズを覚えよう、この表現を覚えよう、ネイティブのこの表現を覚えようみたいな話ばかりになるのかっていうと、
さっき言ったように具体的な話っていうのはすごく動物でもわかるくらい簡単なんですよ。
それって歓迎されるといえば歓迎されるんですけど、なんかちょっと嫌じゃないですか。
私たち言語学習者が欲しいのって、そんな動物的な個別の事例を丸暗記して、それを犬の芸とか象の芸みたいに仕込まれるってことじゃないですよね。
それ嫌ですよね。犬がお手とかお座りをするのと同じ感覚で英語学習をするって嫌じゃないですか。
欲しいのは抽象的思考ですよね。抽象的思考っていうのはさっきはしごの上り寄りの上の方って言いましたけど、そっちが欲しいんですよね。
だから具体的な話ばかりになるっていうのはあんまり歓迎されないんですよ、英語学習者からしてみれば。
それはあくまでも地面すれすれの具体的な話ばかりで、動物的なんですよ。
動物的っていうのはあれしろこれしろとか、あれするなこれするなみたいな、トレーナーに芸を仕込まれるみたいなそういう感覚なんですよね。
それってなんか芸語学習って感じじゃないですよね。でもやっぱり現実事実として景色はそうなんですよ。
ネットに転がってるのは具体的な話ばかり。具体的でわかりやすいっていうのは歓迎される風潮があるんですけど、
ネットに転がってるのは具体的でわかりやすい話ばかりで、動物的でつまらない。そういうのがあるんですよね。
抽象的な思考っていうのはやっぱりいるんですよ、英語学習をするときに。
なんでかっていうと表現っていうのはあくまでも個別事例の表面を見せられてるだけであって、それは本質じゃないんですよね。
現象事物を見に行くっていうのは大事なんですけど、その背後にある本質、それこそ抽象的なんですけど、そこを愛に行って獲得して言語感覚を手に入れる。
言語感覚ってさっき感性って言いましたけど、これまさに言語感覚も抽象的であって感性ですよね。
これを取りに行くっていうのが英語学習なんですけど、そこがやりにくいんですよね、今の英語学習の景色を見ると、具体的な話ばかりで。
だから噛み合ってないんですよね、世の中の景色と。
世の中の景色は具体的でわかりやすい、誰でも理解できる、誰でもすぐに理解できる話ばっかりしたがるんですけど、それは言語学習者が欲しい景色じゃないんですよ。
本当に欲しいのは、具体的な事物から、事象から上に持っていって抽象的な感覚を手に入れるっていう、そういう梯子を登る操作が必要なんですけど、これがすごくやりにくいんですよ、みんな具体的に従うので。
似たようなことを何回も繰り返して言っちゃうんですけど、語学学習っていうのは別に暗記をして、具体的な表現を、フレーズを丸暗記して、
どんどん暗記して、それを臨機応変に使いこなすって感じではないんですよね。
それは、暗記が得意な人っていますけど、どっかでパンクするじゃないですか。
暗記って理由も名もなく、理由なしで、あれはこれ、これはそれって頭に詰め込む作業なんですけど、こうやって頭のいい人だったらできるかもしれないですけど、どっかで無理が出ますよね。
そういうのって辛いですし、楽しくないですし、何やってるのか自分でもよくわからなくなるはずなんですよ。
そういう具体的な詰め込みをせずに、やっぱり上に登る、梯子の下を眺めて、そこから上に編んでいくっていうのはやっぱり語学学習では必要になってきます。