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こんにちは、そっちゃそです。 この番組そっちゃその語学ラジオでは、
語学学習というテーマを軸にその本質やあり方について、 哲学的に考えていきます。
ここで扱うエピソードは、もともとYouTubeに公開した内容をもとに、 音声コンテンツとして再編成したものです。
映像がなくても理解できるように設計していますので、 通勤中や作業中など長な時間にもぜひお楽しみください。
それでは今回のテーマに入っていきましょう。
こんにちは、今回も音声配信を開始したいと思います。 今回も語学学習、英語学習の話がメインになると思うんですけど、
いつも僕がYouTubeとかノートで言ってる、教えてもらう人がいて、 先生的な人とか学校とかそういう教えてもらう環境、場所、状況っていうのがあって、
そういうところで何か偉い人とか、 よく知ってそうな人、よく経験を持ってそうな人から教えてもらうっていうのが、
語学学習で役立つのかどうか、役立つとしたらどれくらい役に立つのか、 効果があるのかっていうのを話してみたいと思います。
僕のポジションは役に立つか立たないかで言ったら役には立つけど、
ぶどまりというか、程度問題で考えると、 そんなにあまり期待できないのはないでしょうかっていうのが僕のポジションです。
今回は学校とかで教えてもらうっていうのが、 役割と意義とかそういう話になると思うんですけど、
そういうのについて話してみたいと思います。
これは時代背景とかもあると思うんですよね。
時代背景っていうのはネットがない、AIがない、 大量に流通した書籍がないとか、
そういう時代においては消去法的にそこに行くしかないっていう状況ですよね。
例えばネットはAIというのは言わずのがね、 その情報にリーチしやすくなった手段なんですけど、
もっともっとその歴史を遡ると、 本ですらまともに手に入らない時代っていうのは当然ありましたよね。
今は本が手に入らない、目的の本が手に入らないという状況は考えにくいですけど、
昔って本当に昔の昔だと流通する書籍とか文字自体が少なかったんで、
正解が存在する場所っていうのがもう貴重だったわけですよね。
大学とか、当然今はひら返ってますけど、 昔は閉鎖的だったらしくて、
大学の中に知識をため込んで、 牽引性を保っているのがあったらしいんですよね。
僕も詳細はよく分かっていないんですけど、 そういう感じだったそうです。
だから一昔前、一昔前じゃないな、 すごく大昔っていうのは知識とか正解をため込んで、
そこに保持しとく、今でも特許みたいに独占する手段はありますけど、
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それとは程度が比較にならないぐらいの形で、
どっかに正解をためておく、どっかに正解を保持して、 秘密にしとくっていうのは有効だったわけですよ、昔は。
でも今は当然そんなことできないですよね。
さっきAIとかネットとか言いましたけど、それと同じで、 正解っていうのはもう簡単に手に入るようになってしまったんですよね。
そうすると、それがもう一つですよね。
人に教えてもらうことのメリットというか、 それが役に立つのかという問いに対して一つ言えそうなのは、
もう正解って流通し続いているから、わざわざ人に会いに行ってその人に正解を聞くよりも、
聞くことが自分で正解を探して取りに行くことよりも、 どのように有利になるのかというのはパッと回答できないですよね。
それがまず一つです。
もう一つは、これは経験的に言えることなんですけど、
例えば、10個何かを教えてもらったとして、 そのうちの何割が自分の手元に残ると思いますか。
それって多分ですけど、1も残らないと思うんですよね。
要するにパーセンテージで言うと、100%を教えてもらったとしても、 5%か10%かそれぐらいしか多分記憶に残らないと思うんですね。
これってすごくぶどまりが悪くないですか。
例えば、学校の義務教育で教わった内容を何割覚えていますかと言われた質問をされたとして、
多分ほとんどの人はその通りだと。
その通りというか、5%か10%って回答すると思うんですよね。
だから、ご自身の経験からも多分5%か10%くらいしか残らないとわかると思います。
そう考えると、このラジオのエピソードの一番最初で言った、
人から教えてもらうことの効率、効果というのを考えた場合に、
95%くらいは消えると思ったのが、ものすごく実感のあるような感じがしませんか。
というのが2つ目というのは、
効率の問題で教えてもらわないような圧倒的多数が消えちゃうという問題なんですよね。
何でそうなるのかというと、
問いがあるかないかという、問いというのは問題課題と言ってもいいと思うんですけど、
自分の教えてもらう側が問題課題意識を持っているかどうかというので、
全てがまとめることができると思います。
問いというのは、当然こうなのではないかとか、
ここが重要になるのではないかとかそういう話で、
これは正解を教えてくれる学校の用意してくれるものではないんですよね。
自分で考えて自分で判断するための、自分で決めるための材料素材が問いなんですけど、
これは自分で用意する必要があります。
学校も問いを用意、当然学校も問題を提示したり解かせたりするんですけど、
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それは学校の問いですよね。
ポイントは学校の問いとこっち側持っている問いが噛み合っているかどうかということなんですよね。
それは大抵の場合は噛み合っていないんですよね。
もし噛み合っていたら、すごく教えてくれたことの9割以上消えちゃうという状態にならないと思うんですよね。
自分がまさに欲しいと思っている問いの答えを学校がもし教えてくれるんだったら、
それで覚えちゃうじゃないですか。
自分の疑問を持っていて、自分のその疑問に対する回答がピタリ、
学校が持っていて、それをしかもご丁寧に教えてくれますよと言ったらすごく嬉しいですけど、
実際にはそうならないんですよね。
何が言いたいかというと、
学校が持っている問いというのは自分の持っている問いとは違う。
もっと大事なこととして、学校が持ってくる問いというのは、
こちらの意図をあまり反映していないことのほうがいいんですよね。
では何を反映するのかというと、
その時代、その時代背景、
例えばその雰囲気、価値観、規範というのをすごく反映すると思います。
なぜかというと、これは実際に実物の教科書をさかのぼるとわかると思います。
教科書って、例えば50年前、100年前に教科書に書いてあることと、
今、教科書に書いてあることは全然違いますよね。
例えば、今だったらSDGsとかそういう話がすごくふんだんに盛り込まれているはずです。
例えばそれよりもちょっと一昔前の2000年代、00年代とかは、
リサイクルとか環境問題にすごく関心があったはずなので、
そういうリサイクル関連の話、環境汚染、環境問題の話とか、
たぶんふんだんに入っていたはずです。
それって当然、その時の問題意識を反映して、
こうであるべきですよというのは学校側が持ってくるわけですよね。
学校というのは、よく学校というのは工場のように解釈されますよね。
それはごもっともというか、その丸い意味があってて、
その時代の価値観、その時代の規範に合わせた人を作りたいというのが当然あるんですよね。
それが価値観とかその時代の時代背景を反映した問いが設定されて、
それがこっちに来るわけですよね。
こういうふうにあるべきですというのは向こうから落ちてくるわけですよね。
こういうのって今学校の話をしたんですけど、
別にこれ学校の教育の話に限ったことではありません。
何が言いたいかというと、今回語学学習の話ですよね。
語学学習もそうなんですよね。
全く同じ。メカニズムは全く同じです。
学校ではなく語学学習の時も、
誰か他人がいて、その他人が持ってくる問題とか他人が持ってくる正解は、
大抵の場合、自分が持っている問題意識とか自分が持っている問いとは全く重なっていないんですよね。
それって困りますよね。
自分はここで悩んでいる、ここが重要だと思っている、
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ここがリソースを削るべき、リソースを傾斜させるべきところであると考えているのと、
世間とかネットの人たちが考えていることと全然かみ合っていないですよね。
僕はいつもネットに英語学習の方法とか英語学習のやり方、
おすすめの定番の学習法とかを漁っても、
大抵の場合それは何にもなりませんよって言っているんですけど、
その理由もここで本人が考えていることとネットの人たちが考えていることで全然違うんですよね。
だから方法そのものピタリ、ピタリこれさえあればOKというのは探さない方がいいし、
探してそれらしきものが見つかっても大抵の場合何にもならないというのをいつも言っています。
それも根拠がこれで問いが違うからというのは一言で還元できます。
じゃあ何を恐るかというと批判的に捉えるというのは何なのか。
批判的というのは要するにこれは否定しなさいとかじゃなくて、
何もかも常識を疑いなさいとかじゃなくて、
適度な距離感を保ちながら周りと人の話はとりあえず理解しつつも、
その理解していないように対して無批判にそれを受け入れない、
要するに偉い人だから頭が良さそうだからとかそういう理由だけでその人の話を受け入れて、
それを正解のように扱わないというのが一つの対策というか考え方になると思います。
だから正解探しをしちゃうと最もそれっぽいことを言っている人を探して、
その人の言っていることを頭の中にコピペするという作業に終始するんですけど、
それは違うよねというのが言いたいところです。
人の話を聞くのは便利なんですし便利ですしした方がいい時もあるんですけど、
内容をコピペするというのはあまり役に立たないし、
それは問いを設定してこちらの問いを守る、こちらの問いでやっていくというのがすごくおろそかになってしまいます。
よく僕が言うのは学びというのは対話、ダイヤルを一対一で会話して、
こういうことを大事だと思ってますよというのを相手にシェアしつつ、
相手から対話に対応レスポンスを受け取って、
この人はこんな風に考えているんですねというのをメタ的に把握して、
そして問いを深めていくというのは対話、ダイアログなんですけど、
これをやった方がいいのではというのは僕はよく考えています。
いずれにせよ今回のキーワードは問いで、
問いを持たないと何もできないし何もならないし、
人の話を聞いてもそれは情報がこちらに入ってくるだけで何もならないという話です。
本当に問題設定、課題設定の意識にすべてが還元されるのではないかという風に僕は考えています。
今回の話は以上です。次回の動画、次回のエピソードもぜひよろしくお願いします。
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最後までお聞きいただきありがとうございました。
ノートやKindleでもこのラジオで扱っている内容及び体系的に整理したコンテンツを発信しています。
さらに深く学びたい方は概要欄からぜひチェックしてください。
それではまた次回お会いしましょう。