インテリジェンスを尊重するというのは、 別に僕が勝手に作った造語ではないんですけど、
これスターバックスの話なんです。
最近読んだ本に、英語の本なんですけど、 日本語に訳しつつ書籍が出てるんですけど、
日本語の題名が、 スターバックスはなぜ値下げもCMをしないのに、
ずっと強いブランドでいられるのかという タイトルなんですけど、これを読みました。
この中にあったのが、お客様のインテリジェンスを 尊重するという話なんですよね。
前置き的ですけど、確かにスターバックスって 値下げもCMもしないですよね。
コーヒーって差別化が極めて難しい業態ですよね。
スペシャリティーコーヒーとか、 スターバックスは強みを出してますけど、
それも差別化ってそんなに簡単ではないじゃないですか。
マックとかだってコーヒーが結構強いですし、 コーヒーがスペシャリティーだから差別化ができますよっていうのは、
基本的にはあまり効果的ではないんですよね。
個人でカフェをやってる人もいますし、 そこだけで勝負するのはやっぱりあれなんですよね。
強豪が参入しやすい、強豪が増えやすい業界で、 確かにスターバックスって広告費にすごく力を入れてないように見えるから、
確かにポジションを揺るがされてる感じはしないですよね。
それはなぜかっていう話がこの本につながったと書いてある感じで、
その中の一つがインテリジェンスを尊重するって話なんですよね。
インテリジェンスを尊重しないアプローチから 先に説明するんですけど、
これって要するにお客さんを下に見てる、
下に見てるっていうのは、もっとアリで言ってしまうと 舐めてるっていう感じなんですよね。
こういうことをしたらどうせ来てくれるだろうとか、
そういう相手の考え方があまり巧みではないというふうに考えて、
要するにこちらが上手いことを誘導できるっていう、
そういう安直な考えで何かすることを、
インテリジェンスを尊重しないアプローチである というふうにしてるはずなんですよね、
この本の中では。
例えばクーポンが典型的で、
クーポンって紙切れでもいいんですけど、
電子的なクーポンでもいいんですけど、
クーポンって安いから来るっていうのが典型ですよね。
例えば半額のセールをしたら、
半額のセールをしたらほぼほぼお客さんは増えるじゃないですか。
そういうのってスーパーなど、
もしくは飲食店などで結構ありますよね。
例えば牛丼とかでも一時期あったじゃないですか、
無料でばらまくみたいなそういうのがあったじゃないですか。
それってインテリジェンスを尊重してますかって言われたら、
多分尊重してないですよね。
お客さんを安くすると増えるっていう結構安直で、
あんまり上品とは言えない方法で集客してますよね。
これがインテリジェンスを尊重しない方法なんですよね。
他にも本に書いてあったのは、
例えばセットメニューを作らないとかもその一つです。
セットメニューって例えば、
これとこれを合わせるとお得ですっていう、
そういうセットを作ってパッケージングして販売するっていう、
よくある手法ですけど、
これもインテリジェンスを確かに尊重してないですよね。
お客さんは選べない、選ぶことはできないっていう暗黙の前提のもとで、
こちらが勝手にお勧めするっていうのは確かにちょっと野暮な感じがしますよね。
お客さんは選ぶことができるっていうそういう高い期待を持って、
高い期待を持った上で、
こちらはセットメニューっていうそういう安易な発想はしないという、
そういうのがあるんです。
要するにお客さんは高い水準の欲望というか、
高い水準の考えを持っているというふうに、
敬意を示してサービスを提供したり、
プロダクトを提供したりしてるっていう感じなんですよ。
ダマ暗かしたり、ちょろまかしたりすることはしませんよっていうのは、
これがインテリジェンスを尊重するっていうアプローチなんですよね。
なんでその語学ラジオの文脈で、
このスターバックスの話を突然持ち出したのかというと、
この本の話って結構語学ラジオの話とリンクするというか、
重なる部分があるんですよね。
語学学習って基本的に僕がよく言っているのは、
どれでやりましょう、勝手にやりましょう、
自分の体制を持ってやりましょうっていうのが原則なんですけど、
それが難しい場合も当然ありますよね。
その時ってやっぱ助力を求めますよね。
多くの人は助力っていうのは具体的には先生とか、
教えてくれる人、教えてくれる誰かっていうのは求めますよね。
それ自体は全く変なことではないんですけど、
この外部の別の人から教えてもらうという関係性を作るときに、
さっき言ったインテリジェンスを尊重するかしないかっていうのが
めちゃくちゃ効いてくるはずなんですよね。
これは双方向だと思います。
教わる側、教える側っていう双方向の関係に関して、
相手をリスペクトできるか、相手を、
要するにさっき言ったように舐めた態度で接しないかどうかっていうのが
すごく効いてくるはずなんですよね。
なぜかというと、実際に舐めた態度というか、
インテリジェンスを尊重しない態度で何かを言っている人って
すごくたくさん観察できるんですよね。
観察できるって言っても、僕はネットの中で
SNSやnoteやYouTubeやそういうところを見て、
何かこの人の説明は説明を受け取る側がすごく仕立てに見てるなって
そういう匂いを感じることがあるんですよね。
僕が感じるってことは、
多分他の人も同様に等しく感じてるんじゃないかなって思っています。
それは良くないよねっていうのは今回したい話の最も大きなところです。
まず一つ具体的な例をあげたいと思うんですけど、
これは前回のエピソードで何回か1回か2回程度だと思うんですけど、
英語学習の隙間時間っていう話でもすごく絡んでくるような気がしています。
その時したのは隙間時間で頑張るっていうのは、
要するに作業の間に作業を詰めましょうねっていうことを肯定してるわけですよね。
これって全体的に見た場合って、
例えば作業の間に作業を詰めまくったら、
それ全体的に見たら単に作業量が増えただけでおしまいですよね。
これって構造上の限界が絶対にあるんですよね。
人間のリソースは一定で、やらなきゃいけないことは単調増加していったら、
どんな人でもどんなにエネルギッシュな人でもいつか必ず破綻するじゃないですか。
これが隙間時間の構造上の限界なんですよ。
これは例外がありません。
だからこれってサジェスチョンとして破綻してるんですよね。
この話は今回の本数字とはちょっとずれるので深入りはしないんですけど、
気になる方は多分このエピソードの説明欄に過去のエピソードのリンクを貼りますので、
ぜひそこからご覧ください。
本数に戻るんですけど、
隙間時間で頑張りましょうと言ってしまうってことは、
これもインテリジェンスを尊重してない一形態だなって感じませんかね。
具体的に何が言いたいかっていうと、
言う側、言われる側という2者の関係があるとしてとかありますよね。
その時に隙間時間で頑張りましょう、
イコール作業量を増やしましょうと言ってしまうということは、
その話をする人が、
この人は優先順位をつけることができない人物であるというふうに案にみなしているかどうかですよね。
もし優先順位をつけることができる人物だと思うのであれば、
そんなこと言わないですよね。
仮に優先順位ってダイナミックですから、
今日の優先順位と明日の優先順位は変わりますから、
そこでうまく判断して、
じゃあ今はこっちに集中した方が良さそうですねとか、
今はこっちの方が大事だからこっちを集中的にやるけど、
おいおいこういう方向性に回した方がいいんじゃないでしょうかとか、
そういうダイナミックなセレクションは多分できるはずなんですよね。
もしインテリジェンスを尊重していれば、
それができない、つまりダイナミックな対応はスタティック性的ですよね。
スタティックな説明しかできないと、
さっき言った通りの隙間時間が発生イコール、
もしくは隙間時間が発生したならば、
作業を詰めて詰めまくるという破綻の道に繋がるわけですよ。
これがインテリジェンスを尊重しない、
つまりこの人は頑張ること以外選択肢が取れないとか、
この人は作業量を増やして猛烈に頑張ること以外に脳がないという解釈、
判断してしまうのがめちゃくちゃまずいというのがこの一例ですよね。
インテリジェンスを尊重するかしないかという話は、
この隙間時間云々関連の話とかなり密接にリンクするんじゃないかなと僕は考えています。
あとはもう一つ別の切り口で、
インテリジェンスの話をしたいと思うんですけど、
これで説明そのものに関しても2つのモードがあって、
そこでもインテリジェンスで積み分けることができます。
例えば説明の仕方というのがあるんですよ。
何か事物や物事があってそれを説明するときって、
説明の方法ってユニークじゃないですよね。
相手が何を求めているかも、そもそも相手はどれくらい理解しているか、
すでにですよ、どれくらいの知識がバックグラウンドにも備わっていて、
どのくらいの程度の話を求めていて、
そもそもその人はどれくらいの理解能力があるのかって、
そういうのを総合的に判断して説明の方法って変えるのが丁寧ですよね。
幼稚園児にする説明と専門家にする説明を同じものにしたら困るというのが分かりますよね。
これは説明のモードって言ってるんですけど、
それは同じ事物同じ現象を説明するにしても、
相手に合わせてこちらが話し方の順番を変えるというのは、
これは普通というか通常ですよね。
その時にやってはいけないというか、まずいなっていうのがあって、
それは説明じゃなくて、相手が分かったような気分を与えるっていうのが一番まずいと思うんですよね。
具体的には例えばSNSとかで図解とかイラストとかアニメとかで、
一撃で理解とか一発で理解とかそういうことを言いたがる人ってすごくたくさんいるじゃないですか。
それですよね。
これって典型的な分かったような気分を与えるコンテンツですよね。
これさっきの話で言うと、まさにインテリジェンスを尊重しないという1Kみたいな気がしません。
なおのこと厄介なのは、多くの人ってそういう一撃で理解系のコンテンツを本質をついたかっこいい端的で素晴らしい説明だと思ってしまうんですよね。
拡散したり、いいねがたくさんついたりして、どんどんどんどん大衆の目に触れやすくなるっていう、
そういうあまりにも都合が悪いとか、あまりにも悪循環が働きやすい行動になってるんですよね。
そうすると、分かった気分にさせてくれるだけのコンテンツが前面にどんどん出てきて、
尺を取って普通に説明する、さっきの言葉で言うところの相手がちゃんと理解できる人物であるというふうに敬意を払いつつ、
長い尺を取って丁寧に説明するという人たちが消えちゃうんですよね。
目立たなくなっちゃうんですね。これがめちゃくちゃまずくないですかっていうのがあります。
当然、エンタメとかそういうのも絡みますよ。
エンタメっていうのは別に成語よりも面白さを尊重しますし、
SNSってさっき言いましたけど、SNSとかYouTubeとか動画を見る人って別に大真面目に勉強したい人が全員じゃないですよね。
暇な時、疲れた時、しんどい時とか、特に頭を疲れたくない時とかでもSNSを開くじゃないですか、
そういう人って別にその時に大真面目に何かコンテンツを消費してるって感じじゃなくて、
むしろ暇で使いたいからちょっとリフレッシュしたいっていう人もいるはずなんですよね。
そのようなあまり頭を使わない、使いたくない、使いたがらない状況でも確かにそういう一躍で理解のコンテンツはフィットしちゃうんですよね。
だからそういうエンタメとの積み分けもありますけど、基本的には良い方向だとは思えないですよね。
これがインテリジェンスを尊重しないという位置形態になります。
これって具体と抽象の話で説明することもできますよね。具体と抽象。具体と抽象っていうのは対立する概念で、
具体的な話と抽象的な話っていうのは要するにはしごのみたいな関係で、死座って言いますね。
死線の死に座るって書いて死座って言いますよね。それと同じですよね。
高い低いの関係で、はしごの上り降り、ピラミッドの高さって言ってもいいと思うんですけど、これと似ています。
基本的に人間っていうのは具体的な話であるほど理解できるんですよね。
そこにペンが置いてありますとか、今日は晴れですとか、空が曇ってますとか、そういうのって具体的な話じゃないですか。
これを理解できない人物っていうのはあまりいないんですよ。
あるがゆえに世の中って具体的な話イコール分かりやすいってみんな思ってるんで、具体的な話ばかりみんな従うんですよね。
ただそれって動物的で、同時に動物的じゃないですか。
空が青いからどうしたんですかとか、ペンがあるからどうしたんですかっていう、
要するに意味とか意義とか、そういう抽象概念に触れることをしない方が理解されやすいんですよね。
そこで空が青くて素晴らしいとか、ペンがあるけどこれは何を意味してるのかって、
そういう抽象概念に触れると初めて、さっき言ったところの相手のインテリジェンスをリスペクトするって話につながるんですよね。
抽象的である場合って大衆には理解されないけど、理解されないが、相手のインテリジェンスを尊重することはしやすいんですよ。
なぜなら、抽象概念ほど意味があって本質に近づきますから、相手に本質を理解させようとしているというこちらの態度を示せますよね。
それってすごく敬意じゃないですか、リスペクトじゃないですかっていう話なんですよね。
これもあります。世の中って具体的な話しかしない人がすごく一定数いるんですよね。
それはやっぱり動物的であると同様に、相手に対して敬意を示さないっていうあまりよろしくないモードになっているはずなんですよね。
こんな感じで最後におまけ的な情報なんですけど、ポッドキャスト、まさにこれポッドキャストですよね。
音声で話を配信してコンテンツを作るポッドキャストなんですけど、
これは僕は個人的にはインテリジェンスを尊重しやすい媒体メディアだと思っています。
というのも、さっき言った短く細切れにするとどうしてもドーパミンヒットするだけのしょうもないコンテンツを作る方向に流れちゃうんですけど、
長いコンテンツを聞いてもらえることを想定しているという時点でやっぱりリスペクトできてるじゃないですか。
他のポッドキャスト番組とかもたぶんこのラジオと並行して聞いていると思うんですけど、
他のポッドキャスト番組もちゃんと難しい話を頑張って届けようとしているっていうポッドキャスターの意図を感じると思いませんかね。
それと同じなんですよね。
聞く人とコンテンツを出す人という2者の関係があった時にお互いをリスペクトしやすいというのがポッドキャストのすごくいいところだなというふうに考えています。
カウンターカルチャーとか言いますよね。
最近はコスパタイパ収支で短いコンテンツ、すぐに理解できるコンテンツ、倍速コンテンツがちやほやされてますけど、
それの逆走する方向、カウンターカルチャーの方向にポッドキャストとかは移動してますよね。
自分のメッセージ、そちらのメッセージを断点達する手段としてはすごく優秀なんじゃないのかなというふうに僕は今現状考えています。