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#72 ネイティブ崇拝を今すぐやめたほうがいい理由
2026-08-12 15:28

#72 ネイティブ崇拝を今すぐやめたほうがいい理由

外国語のネイティブである、というだけで謎の権威性を感じてしまう風潮があります。このエピソードでは、そのようなネイティブ信仰・崇拝はなんの役にも立たないし、今日からやめた方がいい、という話をしています。ネイティブ信仰は多くの日本人の頭にギットリとこびりついてしまっているのですが、それを除去することは誰にとっても役に立ちます。


【プロフィール】

そっちゃそ(⁠⁠⁠⁠@trans_souta⁠⁠⁠⁠)。フリーランス産業翻訳者。東京工業大学(現:東京科学大学)大学院修了。2019年よりフリーランス産業翻訳者として開業し、現在に至る。専門は技術、IT全般。副業として語学指導や発音指導も手掛ける。ご意見・ご感想は⁠⁠⁠⁠公式HP⁠⁠⁠⁠のお問い合わせフォームからお気軽にどうぞ。ライオン君との共同ホストPodcast番組、『⁠⁠⁠⁠円卓上のイエティ⁠⁠⁠⁠』にもレギュラー出演中。


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サマリー

このエピソードでは、多くの日本人が抱く「ネイティブ信仰」が、語学学習において全く役に立たず、むしろ有害であると主張しています。ネイティブは自身の言語を説明できないことが多く、学習者の方が言語の構造や理由を深く理解し、説明できる強みがあることを指摘。単なる模倣学習は時間の無駄であり、ネイティブ信仰は貴重な時間とお金を浪費する「ダメージ」をもたらすと警鐘を鳴らします。現実世界、特に多国籍な環境では、ネイティブか否かは重要視されず、アクセントも個性として受け入れられるか、あるいは無関心であるのが実態であり、ネイティブ信仰は「コンプレックス」の一形態として今すぐやめるべきだと結論付けています。

はじめに:今回のテーマ
こんにちは、そっちゃそです。この番組、そっちゃその語学ラジオでは、語学学習というテーマを軸に、その本質やあり方について、哲学的に考えていきます。
ここで扱うエピソードは、もともとYouTubeに公開した内容をもとに、音声コンテンツとして再編成したものです。
映像がなくても理解できるように設計していますので、通勤中や作業中など、長ら時間にぜひお楽しみください。
それでは今回のテーマに入っていきましょう。
こんにちは。今回も音声の配信を始めたいと思います。今回も英語学習、語学学習系のネタになります。
ネイティブ信仰とは何か
今回は、僕がよくノートとかYouTubeとか、ここのポッドキャストでもそうなんですけど、ネイティブ信仰は意味ないっていうのがあります。
ネイティブ信仰、ネイティブ崇拝っていうのは、その言語のネイティブであるっていう理由、ただそれだけの理由で、
その人がやっている話、その人がやっているアドバイス、サジェクションというのは例外なく正しいと思ってしまうというのがネイティブ信仰なんですよ。
典型的なのは、ネイティブがこのように言っているから正しい、もしくは逆にネイティブはそれが不自然であると言っているから正しい、
ネイティブに通じるからそれは合っている、ネイティブに通じないからそれは間違っている、
というふうにネイティブがというものを、まず一番最初に置いて文切り方に肯定または否定してしまうというのがネイティブ信仰、ネイティブ崇拝ですよね。
これは正直、圧倒的多数はその通りというか、そう思っていると思います。
ネイティブに近づけば近づくほどよろしい。
ネイティブから少しでもずれていて、ネイティブらしくないことがあったらそれを調べて直すべき、修正すべきである、
許す許さないの問題はもしかしたらあるかもしれないですけど、
ネイティブに近ければ近いほどよろしくて、ぴったり一致することがとても素晴らしいことである、
というふうに考えている人が多数派なんじゃないのかな、というふうに僕は考えています。
ネイティブ信仰は無意味である
今回の話の本筋は、このネイティブ信仰、ネイティブ崇拝に関することで、
僕はどちらかというとマイノリティ、少数派で、
ネイティブ崇拝は全く役に立たないし、効果ゼロだし意味ないし、
むしろネイティブ崇拝をするほどダメージを食らうという、
そういう意味不明な事態になると思っているというのが僕の意見です。
立場を逆転して考える:日本人ネイティブの場合
それの話のまず一つをしてみたいと思います。
何でそのように言えるかというのは、基本的に、
基本的にというか、自分の立場と相手の立場を逆転させると分かるんですよ、一瞬ですぐに。
例えば、日本語は、我々と言っても、このポッドキャストを聞いている人は全員日本人とは限らないはずですけど、
日本人ですよね、多分。
当然、日本語を学習したい外国人というのが一定数いるんですよ。
ニーズがあるということです。
当然その人も日本語ネイティブに関する何か考えを持ってそうですよね。
その時に私たちが、私たちが英語ネイティブに対する憧れとか、
意見の念というか、そういうのを抱くように、
多分ですけど、一定数の人が向こうからこっちにネイティブ日本人であるという、
それだけの理由で崇拝してくる人も多分いるんですよ。
実際に見たことがあるかどうかで言ったらちょっとないので分からないんですけど、
多分いますよね。
ネイティブ日本人とおしゃべりしたい、ネイティブ日本人と友達になりたい、
話し相手になりたいという人たぶんたくさんいると思う、たくさんじゃないかな、一定数いると思います。
その時に、私たちがそのような眼差しを向けられた場合に、
さっきちょうど言った立場が逆転した時に、いざそうなった時に、
私たちがどう感じるだろうなというのを考えてほしいんですよね。
そうすると多分偉そうに、私たちはネイティブ日本人だと言って、
偉そうな発言を垂れ流すことは多分できないですよね。
むしろ謙虚になって、そこまで私たちはそんなに大層な人物ではございませんよと言いますよね。
むしろ逆に学習者の方が実際に物をよく分かったりするんですよ。
私たち日本語はしゃべれますけど、日本語の発音も日本語の文法もほとんど説明できないですよね。
はと、私はのはのと私がのがで何が違うのか、いまだによく分かってないじゃないですか。
僕もよく分かってないですけど、技能としては披露できるが、技能としてはいくらでも何回でも披露できるけど、
その説明を求められたときに何も言えなくなるというのは、日本語に限らないんですけど、
ネイティブという人の全体的な特徴なんですよね。
そういう時にむしろそういう点を見ると、むしろ外国人日本語学習者の方がむしろよく知ってたりするんですよ。
逆にこっちが勉強する立場になるっていうのがよくあるんですよね。
例えば発音を一つとっても、日本語にもイオンがあって、
イオンっていうのは異なる音を取り出してのにもかかわらず、一つの文字として認識される。
例えば和音の音ってイオンが6種類あるんですけど、これもたぶん知らない日本人の方が多いですよね。
そもそもイオンっていう専門用語を知らないっていう人も多いと思います。
日本人ネイティブ、日本語ネイティブっていうのは正直何も分かってないんですよ、自分の言葉について。
そういうところがバレるというか、だんだん露骨に現れるんですよね。
日本語ネイティブだからすごいというふうに思われたときに、
いや、実は私たちは皆さんが思うほど大したこと分かってないですよってバレると思うんですよね。
日本人ネイティブが別に大したことないよっていうのが。
ネイティブの致命的な欠陥:説明能力の欠如
それとまた全く同じことが、英語ネイティブに向けられる日本人からの眼差しにも全く同じことが言えそうですよね。
英語ネイティブが何か分かってますかって何も分かってないんですよね。
全く同じで、その技能としては披露できるんですよ、当然。
で、合ってる間違ってるのを数字で言ったら、合ってる方が多いんですよ。
日本人と同じで、見慣れた言葉の使い方とかも当然あるんで100%正解ですとは言えない。
基本的には技能としての数字は高いですし、それは何かやいのやいの言う余地はないんですが、
致命的なのはネイティブの場合って、なぜそのように言うのか、なぜそのように説明するのか、
なぜそのような並べ方で物事を説明するのかって本人が説明できないっていう致命的な欠陥があるんですよね。
これは全く日本語ネイティブと同じです。
学習者の強み:言語化と説明能力
そこに説明を与えることができるのが、要するに学習者の方なんですよね。
学習者は自分の言葉で説明できるってすごく強い強みがあるんですよね。
なぜそうなるかを説明できます。
これ天才と習才のアナロジーに似てて、天才っていうのは天才も習才も優れたパフォーマンスを発揮しますけど、
天才はなぜそのようにしたのかが説明できないんですよ、自分で他者に。
習才っていうのはそのようにした理由を再現できるんですよね。
このようにするのがいいのはこのためですって説明できる。
であるがゆえにコーチングとか指導とかスポーツの話ですよ。
スポーツとかそういう系の話で他人に再現させることができるんですよ。
自分がやってることをある程度理屈で説明して他人に教えて、その他人がどのように頑張るかにも当然よりますけど、
不特定多数の人間に自分と同じ技能を伝承できるんですよね、で再現できるんですよね。
これが説明できるっていうつもりです。
模倣学習の限界と時間の無駄
説明できないと見よう見まねで真似てください、おしまいになっちゃうんですよね。
これ発音とかもそうで、発音って要するにネイティブの発音を聞きましょう、浴びるように聞きましょう、
英語のシャワーしましょう、シャドーイングなり、シャドーイングなり、英語のイマージオンしましょうってみんなが言ってるじゃないですか。
それも要するに真似ろって言ってるんですよね。
真似ろって言っても説明のないままに音を聞いても真似ることができるわけないじゃないですか。
時間の無駄ですよね。
欲しいのは何が違うのか、日本語の音と対して英語の音がどのように違っているのかっていうのを言語化して、
当然ある程度ですよ、ある程度言語化して対比を作って、対比の中からこれは日本語とは違うなとか、
ここは英語にも日本語にも共通の普遍があるなとか、そういうのを説明で理解しつつそれをなぞるというか、
それに整合するようにトレーニングを積んでいくっていうのは普通の学習じゃないですか。
これをした方がいいのにも関わらず、みんながネイティブネイティブって言うから、
あたかもネイティブと近ければ、ネイティブと触れ合っていれば、ネイティブの披露する技能を何千回何万回と聞いていれば、
勝手に良くなっていくっていう妄想がすごく多いんですよね。これがまさにネイティブ信仰の実態だと思います。
要するにこれって量をこなせばそのうち良くなるっていう、そういう性質を持つ話じゃ全然なくて、
100万年やっても意味ないんですよね。本当に時間の無駄で、これが冒頭で言ったダメージしかないっていう話です。
ネイティブ信仰がもたらす具体的なダメージ
要するにダメージっていうのは具体的には、時間が無駄になる、要するに貴重な時間。
お金は時間で、時間はお金じゃないですか。お金を無駄にする時間を無駄にするっていう、本当に無益な作業に終始、
従事させられるっていう最悪の時代なわけですよ。それがネイティブ信仰なわけですよね。
これを回避するためには、さっきも言ったように、ネイティブ、ノンネイティブっていう縦の対立を作らないで、むしろさっきも言いましたよね、
ノンネイティブ学習者の方がよく知っている部分っていうのはすごくたくさんあるんですよね。
そういう人はまさに貴重な存在で、そういう人の情報っていうのはすごくためになるはずなんですよ。
ここがネイティブイコール正しい、ノンネイティブは劣化コピーのように考えてしまう人がいると思うんですけど、
それは個人的には改めた方が良いのではないでしょうかっていうのが僕の差別調になります。
ネットと現実のギャップ:多国籍企業での実態
あとちょっともう一つ別の角度で説明しますけど、基本的にネットの景色と現実の景色って結構違うんですよね。
ネットはみんながみんなこちらに煽ってきますよね。
ネイティブになりましょう、ネイティブレベルを出しましょうってもう文切り方に100万回何千万回とみんな行ってきますよね。
それじゃなくて、そっちを回避して現実を見に行く。
要するに現実は実際に第二外国語として言語を使っている人がどのようにやっているかというのを見に行って、
全体像を把握して、みんながどういう心理でみんながどういう心境でやっているのかなっていうのを見に行ったほうがいいと思うんですよね。
一つ多分その時に気づくことがあって、みんなネイティブかノンネイティブなのか気にしてないんですよね。
多国籍企業とかじゃないですか、日本に由来する日本ルーツの国内の企業ですよとかそういう感じなくて、
この会社は本当に国境の垣根がないグローバルな企業で、どこの国の企業なのかよくわかんないっていうのは結構よくありますよね。
そういうのに対してそういうので働く人って当然どこの国の人なのかよくわかんない人がたくさんうじゃうじゃ混じってるわけですよ。
そういうところで何かコミュニケーションを取ると、ネイティブかノンネイティブかっていう話が心底どうでもよくなるんですよね。
そういうところの人たちって別に自分と自分以外の人が違って当然っていうカルチャーで生きてますから、
そういうところの人たちと実際に関わってみるとわかると思うんですよね。
ネイティブ振興が心底どうでもいいっていう話で、ネイティブ振興っていうのはネットの世界とかそういう現実とちょっと違う部分で反映した、
ちょっと異質で異端な存在、考えなんだなっていうのがわかると思うんですよね、現実を見ると。これが一つです。
アクセントへの無関心:コンビニ店員の例
キーワードとしているのは無関心ですよね、無関心。他人の、よくも悪くも他人のアクセントがどうでもいいっていう感覚が無関心だと思います。
これって日本にいる日本人でもわかると思うんですよ。
例えばですけど、今って多分首都圏とかで得意な現象だと思うんですけど、首都圏のコンビニ7-11とか首都圏の飲食店、ファミレスでも何でもいいんですけど、
そういう飲食チェーン店ってアルバイトの人は多分ほとんど日本人ではないですよね。
なんか中国系とか東南アジア系の人はすごく多いなって思いませんか。
その時に多分日本語で接客をしますよね、その人たちは。日本人ではないのに日本語で接客しますし、
事実、日本語プラス母国語アクセントは入ってるんですけど、その時にどのように感じますか。
この人たちはネイティブの日本語は日本語に鉛が入ってて嫌だなって思いますからね、そんなことはないですよね。
プラス同時にそれに対してプラスの感情とかマイナスの感情とか何でもいいんですけど、そういうのをいただけますか。
これもまたほとんどの人は無関心でどうでもいいって答えると思うんですよね、そこなんですよね。
アクセントで優劣をつける以前の問題で、そもそもアクセントに興味がないんですよ、日本人は他人の日本語に対して。
当然、程度問題があるんであまりにも聞き取れないと困りますけど、意思の伝達が、意味の伝達ができる範囲に収まっているのであれば、アクセントは親族どうでもよくて、
それは単なる個性であって、むしろもっと言うと個性であると認識されないぐらいに影の薄い存在なんですよね、そういう鉛っていうのは。
それを異常に気にしているのがネイティブ信仰なんですよね。
さっき冒頭でネイティブと近ければ近いほどよろしいっていう風潮があるって言ったんですけど、それと全く相容れませんよね。
コンビニバイトとか飲食店バイトの外国人を見てわかることで、それは現実と離れた話です。
我々はある一定水準に満たない小さなアクセントに対して無関心という感情を持つんですよ、これは普遍的な感覚だと思います。
そういうのもあって、だからこういうのもネイティブ信仰はどうでもいいっていう話にプラスというか、ネイティブ信仰はどうでもいいっていう考えに寄与すると思いませんかね。
結論:ネイティブ信仰はコンプレックス
最後にまとめなんですけど、ネイティブ信仰っていうのはコンプレックスの一つだと思っています。
だから西洋人が素晴らしい、西洋系の人が素晴らしいっていうそういう感情ありきで、
とにかくそこに近づくことが良いとするっていうそういうコンプレックスの一つの形態がネイティブ信仰なはずなんですけど、
これはここまででつらつらと説明したように全く役に立たないですし、
ダメージ、具体的には時間を無益に無限に消してしまう、無駄にしてしまうという無意味な結果になっちゃうんですよ。
だからであるがゆえにネイティブ信仰はどうでもいいし、今すぐやめた方がいいし、
そういうことを言い出す人が周りからやってきたら、かまってあげない方がいいんじゃないのかなっていうのが僕の考えであります。
エンディング
今回のポッドキャストのエピソードは以上になります。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
noteやkindleでもこのラジオで扱っている内容をより体系的に整理したコンテンツを発信しています。
さらに深く学べたい方は概要欄からぜひチェックしてみてください。
また、英語発音講座ののりお体験を常時受け付けていますので、こちらもお見逃しなく。
詳細はエピソード説明欄まつりのリンクからご確認ください。
オンライン完結ですのでご自身のペースで取り入れることができます。
それではまた次回お会いしましょう。
15:28

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