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#80 質の高いものがあればよい、という発想をやめよう
2026-08-16 12:08

#80 質の高いものがあればよい、という発想をやめよう

令和の現代で、そこそこのクオリティのものを手元に集めてそろえることは、そこまで難しくなくなりました。その一方で、「では、それでことはよくなりましたか」と問われたさいにどう回答できそうですか。今回のエピソードは、「品質が問題を解決してくれるわけではない」という話を軸に、そっちゃその意見を展開します。


【プロフィール】

そっちゃそ(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@trans_souta⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)。フリーランス産業翻訳者。東京工業大学(現:東京科学大学)大学院修了。2019年よりフリーランス産業翻訳者として開業し、現在に至る。専門は技術、IT全般。副業として語学指導や発音指導も手掛ける。ご意見・ご感想は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠公式HP⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠のお問い合わせフォームからお気軽にどうぞ。ライオン君との共同ホストPodcast番組、『⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠円卓上のイエティ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠』にもレギュラー出演中。


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サマリー

そっちゃそは、質の高いものや情報が容易に手に入る現代において、それだけでは問題が解決しないという考えを展開します。高品質なプロダクトやサービス、あるいは「正解」とされる情報が手元にあっても、本人が自身の問題意識や主観に基づいて価値を見出せなければ、実質的な進歩には繋がらないと指摘。テレビの進化や日本の英語力低下の例を挙げ、単に質の良いものを求めるのではなく、自ら問いを設定し、課題を定義する能力こそが、語学学習を含むあらゆる主体的な行動において不可欠であると強調しています。

はじめに:質の高いものを求めることの是非
こんにちは、そっちゃそです。 この番組、そっちゃその語学ラジオでは、語学学習というテーマを軸に、 その本質やあり方について、哲学的に考えていきます。
ここで扱うエピソードは、もともとYouTubeに公開した内容をもとに、 音声コンテンツとして再編成したものです。
映像がなくても理解できるように設計していますので、 通勤中や作業中など、長ら時間にぜひお楽しみください。
それでは今回のテーマに入っていきましょう。
今回も英語学習系、語学学習系の話をしてみたいと思います。
今回なんですけど、英語学習に関する話、100%という感じじゃなくて、 それ以外にも通常でもっと一般的な話になると思います。
今回のテーマは、質の高いもの、クオリティの高いもの、 高品質なものを求めることについてという話をしたいと思います。
高品質が必ずしも問題を解決しない理由
何が言いたいかというと、世の中で消費財、 例えばプロダクトとかサービスを購入するとき、
もしくは情報を求めるとき、 ネットとかAIとかそういうのを使って、ほとんどの人は求めているわけではないですが、
何かをする方法、何かを達成する方法とか、そういう情報を求めるときに、 当然全てにおいて質が低いよりは高い方が当然良いですよね。
そこは僕も当然そうだなと思っています。
当然コストパフォーマンス的なものもあって、 安くして質を犠牲にするとかも当然ありますけど、
質の高いものがあればあるほど良いというのは思いそうじゃないですか。
ただポイントはそこじゃないというのが僕の言いたいところで、
質が高ければクオリティが高ければ高いほど物事を解決してくれる期待が高まって素晴らしいというわけではない、
質が高いもの、ハイクオリティなものを手元に寄せれば寄せるほど素晴らしいというわけではないというのを知ってみたいと思います。
要するに質を求めるというのとは別の方向に大事な要素がありますよという話ですよね。
それもケアしないといけませんという話です。
時代背景とテレビの進化に見る品質追求
これは時代背景的なのもあるんですよね。
そもそも質が高いものを頑張って手に入れようとしても手に入れることができなかった、
もしくはできるがすごくコストがかかった、量力がかかったり、
もしくはとんでもない時間を投下しないとクオリティを手に入れることができなかったという時代はあったんですよ。
例えばテレビって今テレビって例えばヨドバシカメラとか山田電機とかに行くとデカデカとテレビコーナーあるじゃないですか。
だいたいその代々的にプッシュされているのは4K、8Kとか超大画面とかそういうやつですよね。
当然それは文句なしで何を推しているかというとクオリティ、品質、画質ですよね。
画質とかサウンドとかそういうのを機能面で誰の目から見ても品質がいいですよというのは
だいたい的にアピールしてますよね。デモ動画とか出してないですか。
かっこいい映画の映像とかをデモ画面デモ映像で山田電機の店内でプッシュしてますよね。
それはまあそういうのよくありますねっていうのは簡単にイメージできると思います。
これが品質が高いことをアピールするということなんですよね。
それって別にその時に始まった、今になって始まったことじゃないですよね。
テレビって逆走するとラジオがあってテレビが登場して、テレビが登場した当初はモノクロのテレビですよね。
カラーテレビが登場してカラーであること、色がついていることがプッシュされて、
次に画質、解像度が上がったことがプッシュされて、さらに地デジとかに移行して4K、8Kとどんどん機能面で品質面で上がってますよね。
これは最初に言ったように別にウェルカムな傾向で品質が良くないことに何か問題があるとは絶対に言えませんが、
ここで本筋で、それは何かを良くしましたかっていうのがあるんですよね。
主観と価値理解の重要性
ここで主観の話が入ってきます。主観っていうのは本人が何をしようとしていて、
ある人がその本人がどのようなことに問題意識を感じて何をしたいかっていうのはまず決めるんですよね。
それに対応するように、こういうことをしたいであるがよいにこれぐらいの品質のものが欲しいっていう、
そういう順番なんですよね。テレビでまた言いますけど、4Kテレビと8Kテレビは当然いいんですよ。
いいんですがそれはあなたの主観に対してどのように働きかけますかっていう話で、
そこをどうにかしないと手元に高品質なプロダクトやサービスや情報が来ました、おしまいで終わっちゃうんですよ。
文句なしで価値があるものが手元にあるが、その本人が価値を理解できないとか、
もしくはその本人がそこに価値を見出せない場合って本当に何もならないじゃないですか。
これが今回のエピソードで言った、品質が高ければ、
クオリティが高ければ、それで例外なく物事を解決してくれるわけではないっていう話ですよね。
「正解」がもたらす進歩の限界
正解不正解の話もひとつしかあってもあると思います。
正解っていうのは世の中正解の情報ってありふれてるじゃないですか。
正解不正解も同じで、当然正しい情報の方がただ正しくない情報よりもいいわけですよ。
それは間違いないんですが。
では正解が簡単に手に入るようになりました。
高品質な正解がいつでもどこでもネットやAIを通じて手元に来るようになりました。
よかったねってまだありますけど、その時のポイントはまったくテレビの話と同じで、
じゃあ手元に正解が来た。
ではその正解はあなたの主観から感じられる問題意識にどのように役立てられるのでしょうかって問われたら、
多分何も言えなくなっちゃいませんか。
正解が来ましたおしまいで終わっちゃいますよね。
そういう人っていますよね。
無駄知識っぽいことをベラベラ披露できるくせに、それ以外のことは何もできないといけないじゃないですか。
それって本質的にはAIがやってることを自分でやってますよっていう、正解をばらまくことを自分人間人力でやってますよっていう、
それ以外の何もでもないんですよね。
なんかそうやって面白いかつまらないかで言ったらたぶんつまらないですよね。
それが正解を手元に持ってきても何もならないって言うんですよね。
品質の良いもの、高品質なもの、正解不正解というところの正解を手元に持ってくるだけでは、
実質的にマクロなものを見た場合、本当に何も進歩していない、参天していないということですよね。
ここからまた言えるのは、精度を良くする、前よりも品質が良くなりました、前よりも精度が良くなりました、前よりもクオリティが高くなりましたという話ではなくて、
そっちとは別の方向の方向性に評価の軸がありそうな気がしませんか。
語学学習と日本の英語力低下のパラドックス
それって語学学習でもわかるんで、語学学習でもたぶんすごく感じると思うんですよね。
正解の量と質というのは確かに増えていることは間違いありません。流通している正解の量と質、学習のノウハウチックな話でもネットにすごくありますし、
それ自体が正解か不正解というのは極端に正解か不正解ではないですし、ネットから情報を接することはできます。
正解精度も多分良いと思いますし、それは役に立ちますし、それは僕も否定していませんが、ノウハウだけ山盛りにしてこっちに持ってきました、おしまいとなる、
それ以上のことに達成できてますかね。多分できてないですよね。
これって事実からもわかることで、例えば日本の英語力は90何とかいいですとか、毎年毎年ネットのニュースに出てくるじゃないですか。
これって逆センスなんですよね。逆センスというのは毎年毎年高品質な情報がネットから湧いてくるわけですよ。
語学学習に関する高品質な情報が。
それって品質は、もし品質がクオリティが正解がことを良くしてくれるのであれば、英語力、日本人の英語力は下がることはないはずなんですよ。
でも下がってるんですよね、事実として。
92から96とかそういう話ありましたよね。
じゃあなんで正解の数が増えてるのに英語力が下がるのはなぜだろうともなりませんかね。
それが正解を大量に供給することが本質的な問題の解決に全く貢献しないことの十分な印じゃないですか、と言いたいところなんですよね。
問いを持つこと、課題設定能力の必要性
今回一貫して言いたいのは、良いものを持てば、良いものを手元に所有すれば、グッドなクオリティのものを手元に所有すれば、それは問題を解決してくれるクリティカルな要件になるわけではないとなんですよね。
だから問いを持つこと、問題を持つこと、課題設定位置、課題設定能力を自分で行使して、自分の問題主観でやっていくっていうのが要するにマストなわけですよね。
それありきで、じゃあ何が必要かなっていうのを持ってくるっていうのが順番じゃないですか。
これ語学学習でも言えますよね。語学学習でネットの情報、AIの情報を山盛りに、とにかくイマージョンなの、なんとかカントだのっていうのを頑張って、量を追求しても、ただ疲れておしまいになっちゃうんですよね。
そういう経験ってすごくあると思いますよね。嫌じゃないですか。
だから、であるがゆえに問いを設定する、課題設定を使うっていうのをやることで、虜を回避できるっていうすごく大きなメリットがあるんですよね。
それが順番の問題です。
これは要するに、自分ってそもそも何がしたかったんだっけっていう話に回避するって言ってもいいと思いますよね。
自分が何をしているのか何をしてきたのかに対して、例えば他人がみんながやってるからやってますとか、なんかお勧めされたからやってますとか、なんか人気らしいからやってますって言葉が出てしまうのであれば、
それは何て言うんでしょうね、他人依存で自分の問題、課題設定能力を全然発揮してないですよね。
他人がやってるからやってるっていうのは全く理由になってないんですよね。
他人がもし、その他人もまた、その人もまた他人がやってるからやってますだったら、なんかちゃんちゃらおかしい結果になりますよね。
みんながみんな、お調べて、人気らしいからやってますって、なんか集団的無知じゃないですか。
それなんか変ですよね。そういう話なんですよ。
結論:主体的な行動における問題設定能力
最後に結論的な話、ちょっと月並みの話なんですけど、ポイントは正解の制度、クオリティの制度、クオリティ良い品質、正解の制度の問題ではない。
品質が良いことは間違いない。品質が良いことでそれって別に悪いことではないが、品質が良くなければ良くなればなるほど物事が勝手に解決するわけではないし、
そこは完全な先見の関係ではなくて、別系統に問題の設定能力、課題の設定能力がありまして、これが主観で決まること、
そしてこれが効いてくるのが、語学学習を含む主体的な行動全般に等しく当てはまりますよねって話になります。
エンディングと関連コンテンツの紹介
今回のエピソードは以上であります。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
ノートやKindleでもこのラジオで扱っている内容をより体系的に整理したコンテンツを発信しています。
さらに深く学びたい方は概要欄からぜひチェックしてみてください。
また、英語発音講座の無料体験を常時受け付けていますので、こちらもお見逃しなく。
詳細はエピソード説明欄末尾のリンクからご確認ください。
オンライン完結ですので、ご自身のベースで取り組むことができます。
それではまた次回お会いしましょう。
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