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#94 「真の英語力」なんてない。英語マーケティングの言葉遊びで振り回されて消耗しないために
2026-08-29 12:56

#94 「真の英語力」なんてない。英語マーケティングの言葉遊びで振り回されて消耗しないために

真の英語力、究極の英語力などといったかっこよく心地よいワーディングでこちらに近づいてくる人たちがいますが、そのような人たちの言葉遊びに振り回されてもほんとうになんにもなりません。今回のエピソードでは、現実のものごとを説明するのであれば、普通の言葉を使用すべきであるし、フィクションやファンタジーのようなふわふわしたワーディングは避けた方がいい、という話をしています。


【プロフィール】

そっちゃそ(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@trans_souta⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)。フリーランス産業翻訳者。東京工業大学(現:東京科学大学)大学院修了。2019年よりフリーランス産業翻訳者として開業し、現在に至る。専門は技術、IT全般。副業として語学指導や発音指導も手掛ける。ご意見・ご感想は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠公式HP⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠のお問い合わせフォームからお気軽にどうぞ。ライオン君との共同ホストPodcast番組、『⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠円卓上のイエティ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠』にもレギュラー出演中。


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サマリー

このエピソードでは、「真の英語力」や「究極の英語力」といった言葉が英語学習界隈で頻繁に使われることに対し、その空虚さを指摘しています。これらの言葉は具体的な定義がなく、ファンタジーのようなものであり、現実の語学学習には不適切だと述べています。スピーカーは、かっこいい言葉に惑わされず、英語力を自動車の運転技能や確定申告の能力と同じような、実用的でドライなスキルとして捉えるべきだと主張します。このような言葉に踊らされる背景には、劣等感やコンプレックスがあり、それらを解消しようとする心理が働いていると分析し、無駄な消耗を避けるよう促しています。

はじめに:英語学習界隈の「真の英語力」への疑問
こんにちは、そっちゃそです。この番組、そっちゃその語学ラジオでは、語学学習というテーマを軸に、その本質やあり方について哲学的に考えていきます。
ここで扱うエピソードは、もともとYouTubeに公開した内容をもとに、音声コンテンツとして再編成したものです。
映像がなくても理解できるように設計していますので、通勤中や作業中など、長ら時間にぜひお楽しみください。
それでは今回のテーマに入っていきましょう。
こんにちは、今回もPodcastの配信を始めたいと思います。今回も語学系の話になると思います。
語学系の話なんですけど、今回も前回とこれまで以前同様、ちょっと抽象度の高い話になるんじゃないかなという風に考えています。
今回は、英語学習界隈でよくある景色、そしてなんかちょっとおかしいよねっていう景色を僕がピックアップというか指摘して、
なんかそういう考え方ってちょっとおかしいんじゃないのかなっていうのをちょっと僕なりの説明にするっていうのをやってみたいと思います。
キーワードというか今回取り上げたいのは、みんながよく言っている真の英語力とか究極の英語力とか本物の英語力っていうのは果たして存在するのかっていう話をしたいと思います。
曖昧な言葉の空虚さ:定義なき「かっこいい言葉」の危険性
まあよくありますよね。真の英語力を身につけるにはとか、究極の英語力を身につけるにはなんとかかんとかっていう広告、
具体的にはネットのバナー広告とかYouTubeの差し込みみたいなやつで出てきますよね。
そういうの見たことあるっていうのを経験がある人も多分多いんじゃないかなと僕は考えています。
このように真の英語力とか究極の英語力みたいな話をする人ってすごく少なくともネットの中にはたくさんいるんですけど、
じゃあそれって何ですか?真の英語力って具体的に何ですか?って問われたらなんかよくわかんないじゃないですか。
なんかネイティブレベルですとか言っても、じゃあネイティブレベルって何ですか?それはネイティブの英語です。
じゃあそれはネイティブの英語とネイティブではない英語に何が違うんですか?って言われたらもう何も言えなくなっちゃいますよね。
かっこいい言葉っていうのは語学の文脈に限らないんですが、かっこいい言葉であればあるほど大抵の場合って定義がとんでもなく曖昧で、
多用される割には、そしてみんながそれを喜んでしまう割には、それって何ですか?って言った時に何も答えられなくなるんですよね。
これってすごく致命的じゃないですかね。
真の英語力という言葉は中身がないんですよね。だって誰も何も答えられないじゃないですか。
英語能とかもそうで、みんな英語能英語能って言いますけど、英語能って何ですか?って言ったらほとんどの人は何も答えられないわけですよ。
それって空虚じゃないですか?っていうのは僕の今回言いたかった一番大きなメッセージになります。
要するにフィクションとかSFとかファンタジーとかの話をしてるわけじゃないですよね。
英語学習って現実の話をしてるわけじゃないですか。
現実の話を大真面目にしたいとき、しているときには、そういうファンタジーっぽい空虚な言葉は可能な限り混ぜない方がいいんだろうなっていうのはだんだん感じますよね。
かっこいいだけで中身が伴わないワーディングがバックをするっていうのが学習会話によくある景色だなというふうに僕は考えているんですけど、
ここに大きな問題があるんじゃないのかなっていうふうに僕は考えています。
「かっこいい言葉」がもたらすファンビジネスと時間の消耗
これってなんとなくそのように言いたくなるのもわかるんですよね。
それを言えばいいほど真の英語力を目指すって言うほど何かすごそうなことを言ってるのではないかっていう感じはするじゃないですか。
これってファンビジネス、信者ビジネスだと僕は思ってるんですけど、
心地よい言葉を言った人が勝つっていうゲームのルールになってしまってるんですよね。
それが本来の目的である普通に語学学習をしたいっていう話と全くかすってないじゃないですか。
それは困りますよね。
かっこいい言葉にメロメロになって侵略してしまう、そしてお互いの時間を消耗してしまうっていうのは全く意味ないですよね。
それはしない方がいいっていうのが繰り返し今回のエピソードで言いたかったところですよね。
「普通の言葉」で現実を説明する:他の技能との比較
これと対極的で、対極的というかこれと対照的なのが要するに普通の言葉ですよね。
普通の言葉っていうのは別にかっこつけた言葉じゃなくて、普通に現実を説明する言葉。
何が起きてるかっていうのはちゃんと普通に説明する言葉。
普段日頃から我々が使うような言葉を使えばいいのにっていうのが僕はいつも思ってるんですよね。
それをなんかしないで死んだの究極だなんてそういう話ばっかりするのはまずいんだよ。
まずいよねってずっと思っているんですけど、語学力のアピールをするときに真とか究極って言うのは本当にすごく多いなっていうのが僕の感想になります。
で、なんかこれで真の英語力って何か不意的というか、だって真の数学力とか真の数学力とか言わないじゃないですか。
数学力も何かよくわからないですけど、そういう謎にかっこいい言葉を添えてしまうっていうのは英語に関してはなぜか言われちゃうんですよね。
なんか真のタイ語能力とか言わないですよね。タイ語の能力はタイ語の能力、タイ語の能力なわけですよ。
自動車を運転する技能、確定申告をする技能も、技能って言ったら能力かな、能力。
もう別に真の自動車運転技能とか言わないですよね。
自動車を運転する技能ってさっき言った普通の言葉で日常的に使う普通の言葉で説明すればいいじゃないですか。
で、それの判断も簡単で、自動車を運転している人がいたらそれは漏れなく自動車を運転する技能を持っている人ですよね。
こういうドライな判断、無駄にカッコつけない判断っていうのが当たり前なんですよね。
その時に真の究極能とか言わないですよね。
仮にあの人は真の自動車運転能力を持っているって言われたらなんかちょっと滑稽じゃないですか。
何言ってるんだろうって思いますよね。
それと全く同じ感覚を僕が真の英語力を作るとか、真の英語力を目指すっていう人たちに感じてしまうんですよね。
それが何かあります。本当に今もよくわかってなくて、なんでその真の真のって言っちゃうのかなっていうのは本当にまだよくわかってないんですよね。
カッコいいから、集客とかそういうのが強くなってしまうからっていうのがあると思います。
原因性の一つなのかなっていうふうに思いますよね。
「真」とは「リアル」である:スピリチュアルな要素の排除
真っていうのは別に何かがリアルってことですよね。
何かがリアル、リアルっていうのは実在する存在するっていうことじゃないですか。
リアルならばそれってすごくドライに判断すればいいわけなんですよ。
英語の話に戻りますけど、英語を使っている人がいて英語を使ってるなっていうのを確認したら、それこそ真の英語力じゃないですか。
リアルの英語力じゃないですか。
ここにスピリチュアルな要素は全くないわけですよ。
実際に披露してそれを再現してくれるっていうのがあれば技能ですよ。
技能を再現できる、披露できるっていうのが実際に知覚して確認できるのであれば、それは漏れなく真の英語力って言えそうじゃないですか。
だからそこでなんか変なことを言って、
まるでこの世には真の英語力とそうでない英語力があるように思ってしまうのは本当にファンタジーの世界の中で収まるべきところなのに、
大真面目に議論をしているのがすごく変だなって僕はいつも考えています。
コンプレックスが「真の英語力」を求める心理の根源
なんとなくそれを言ってしまうのがわかるんですよね。
これってやっぱりコンプレックスの一形態で、
自信がない人ほど英語力、英語に関わってたとさわった人に自信がない人ほどやっぱり人側向けで少数派のエリートになりたいっていう、
そういうセンシティブな願いが多分あるんでしょうねっていうのは僕は考えています。
そこにどこかの誰かがこの方法だったら真の英語力を獲得できますよって言われるとやっぱりセンシティブな人には響いちゃうんですよね。
そういう人ってやっぱり自分はまだまだまだまだまだで、やはりなんかその頭一つも抜けてないっていう状態が、
そういう感覚を持ってしまっていると、その少数派のエリートになれるっていうチャンスをちらつかされたときにすごく反応しちゃうと思うんですね。
そういう感覚を持っている人がいるんじゃないかなっていうのが僕の考察です。
くどいようですけど、これってファンタジーとか幻想とかそれに近いんですよね。
真の英語力なんて存在しないわけですよ。
英語力は英語力で、それは技能を披露したり確認したりすることで簡単にチェックできるドライで淡白な要素なわけですよね。
本当にそれ以上でもそれ以外でもなくて、それを過度に深刻化するのはやっぱりおかしいなって思います。
英語力そのものもドライな、本当に自動車の運転技能と確定申告の能力と全く同じ土俵に配置するような、できたらいいねっていう、できるといいよねっていうその程度の話なんですよね。
別に自動車の免許を持っている人に深刻化しないですよね。
あの人は自動車の運転ができて素晴らしいとかすごいとか尊敬の話を多分送らないですよね。
自動車は運転できるんですねって思われますよね。
それと全く同じ感覚を英語ができる人、あの人は英語ができるんですねおしまいに、くらいの感覚でドライに判断する方が僕はいいんじゃないのかなって僕は考えています。
なぜかというとさっきコンプレックスって言ったんですけど、英語力を持っている人を深刻化するほど、それをするほど相対的に自分を多分下げますよね。
それがコンプレックスビリエスの標的になっちゃうんですよね。
劣位の感情を持てば持つほどそれを解消したいっていうプロスペクト理論的なやつで勝手にですよ、自分勝手にですよ。
勝手に劣位の感情を持てば持つほど、それを解消したいっていう消したい、超消しにしたい、チャラにしたいっていう力が働きますから、
それで真の英語力とか究極の英語力とかそういう言葉に踊らされちゃうようになっちゃうわけですよね。
そこはコンプレックスを勝手に作らない、勝手に劣位の感情を開かないというのがすごくいいと思います。
英語力はドライな実用技能:過度な期待と歪んだイメージ
だから英語力はくどいですけど、ドライナー能力の一つとして考えればいいんじゃないかなっていうふうに考えて、当然役には立つんですよ。
英語力を持っていると地球上に存在する人間の中で話しかける人間の数が増えますから、
英語スピーカーは地球上に15億人いますから、単純に日本人1億人の15倍、要するに話しかけることができる人間の数が15倍になるわけですよ。
これは確かに便利で役に立つという技能ですけど、それだけじゃないですか、別に。
英語力を身につけてもコンプレックスが一気に解消してすごく自信盛り盛りになるって思わない方がいいんですよね。
そこが世間的によくあるイメージがちょっといびつなんじゃないのかなというふうに僕はいつも考えています。
まとめ:英語力をドライな能力として捉えることの重要性
今回の話は以上になります。まとめますと、真の英語力とか、そういう究極のウンタラカンタラっていう広告のコンテクストでよく言われるような話は、
基本的にはファンタジーやフィクションであって、それは実態を全く反映しなくて心地よいだけのそういう話であると。
それを間に抜けるほど、そういうファンタジーに振り回されてしまうし、それは良くないですよとか、良くないんじゃないのっていうのが僕の意見です。
それはやっぱりコンプレックス劣位の感情っていうのが根底にあるのではないかなっていうのが僕の考えで、
それをちゃんと打ち消すというか、そもそもそういう考えに至らないためにも、英語の能力は決して神の能力でもなんでもなくて、
ドライな能力の一つで、自動車の運転技能とか確定申告の能力とかと平地されるような、
普通の能力でもドライな能力でも一つであると解釈するのが良いのではないでしょうかっていうのが僕の考えです。
今回のエピソードの話は以上になります。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
noteやKindleでもこのラジオで扱っている内容をより体系的に整理したコンテンツを発信しています。
さらに深く学びたい方は概要欄から是非チェックしてみてください。
また、英語発音講座の無料体験を常時受け付けていますので、こちらもお見逃しなく。
詳細はエピソード説明欄、まつりのリンクからご確認ください。
オンライン完結ですので、ご自身のペースで取り組むことができます。
それではまた次回お会いしましょう。
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