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#100 あなたが余計なお世話をするとき、しないときは?
2026-05-07 37:22

#100 あなたが余計なお世話をするとき、しないときは?

「される」話はよくあるが、「する」視点で余計なお世話を語ったらどうなるか。衝動に動かされて断捨離に飛び込む人、人間関係に強弱をつけろと言いに行った人、基本全部余計だと思っている人。3人の余計なお世話観が交差した100回記念(なお、100回であることには誰も触れない)。

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サマリー

今回の討論カフェでは、「余計なお世話をするとき、しないとき」というテーマで、それぞれの価値観が交差しました。話は、自分が「余計なお世話」だと自覚しながらも、それでも相手のために行動を起こすことの是非から始まりました。ある参加者は、自分の人生に口出しされることを「余計なお世話」と捉え、困っていると明確に言われない限り、他者の状況を推測して介入することはしないと語りました。一方で、相手の未来を大きく変えるような行為や、相手の家の「気」を良くするために片付けを手伝うなど、自身の感覚に基づいて大胆な「お世話」をしてしまう人もいました。また、人間関係における「強弱」をつけることの難しさから、相手を気遣って「余計なお世話」をすることがあるという意見も出ました。特に、相手との関係性が深く、自分にも影響が及ぶ場合に、意を決して「余計なお世話」をすることがあるという話は、その重みと覚悟が示唆されました。最終的には、相手が「いらない」とはっきり言える関係性や、自分で考える力のある相手に対して、自分の感覚に基づいて「お世話」をすることが多いという結論に至りました。子育てにおける「お世話」は、その前提があるため、余計かどうかの判断が難しく、流れるように行われることが多いという見解も示されました。

「余計なお世話」をする側の視点
みなさんこんにちは。のぞみです。ゆんです。上水優輝です。討論カフェは、お題についてみんなで語り合う価値観の交換の場です。
この番組を聞いている間、ほんの少しだけ余白を持って、さまざまな意見に触れる時間を楽しんでみてください。
さて今回は、余計なお世話をするとき、しないときというお題で価値観の交換をしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
余計なお世話ってあえてつけました。
する側ですね。しかも。
する側は語ることあんまないですもんね。されること多いけどね。
されて困ることってよくいろいろ愚痴りあったりとか。
たぶん今この現時点でも世の中でいっぱい話されてると思うんですけど。
自分のカフェで。
自分がする側ですよね。珍しいというか。
あんまり考えたことないですね。
余計なお世話が不足してんじゃないかなと思って。
通常、世話をしたら相手側が余計だと感じたってだけで、する側が余計だと思ってやるっていうのって結構珍しいじゃないですか。
あえて自分も余計だと思ってるけどしてる世話って話をするってことですよね。
そうです。自分がよかれと思ってしてることではないです。
余計なお世話なんだけど、それでもやろうということが減ってませんか。
なんか商工会議所のスローガンみたいなのありますよね。
余計なお世話やります。
余計なお世話、いやおせっかいって言い方ですよな。おせっかいが誇りみたいな。
なんかそんなようなことを書いてた。ポスターで書いてたんですよね。
商工会議所が?
何のおせっかいもしてこうけど。
でもそれをおせっかいするのは商工会議所だっていうこと。
例えばなんか聞きに行ったりとかしたら、やりすぎかなってぐらい、こんなんもあるよとか、こうしたらいいんじゃないっていうおせっかいをするのが私たちの誇りですってことか。
そういうことを言いたいんだと思う。
なるほど、行ってみようじゃあ今度。
テンションあるっすね。
でも理念だしね。
余計なお世話ってどんな、自分が思う余計なお世話ってどんなのか、まずあれしないと難しい気もしますけどね。
その人の人生に口出すみたいな。
その人の権限でなんかしないといけないことにわざわざ言っちゃうってことか。やっちゃう言っちゃう。
やっちゃう言っちゃうかな。
だけど受け直せはあんましないってことじゃん、ユン。
たぶんしないと思います。してないと思います。
しなさそうだね。
おせっかいせんかもね、ユン。
たぶんあんましないと思いますね。
仕事では言うことは言うけどみたいな。
どうなしてんのかな。
私はなんか窓が汚いからやったほうがいいんじゃないですかとか言われたことあるけど。
余計なお世話じゃないんじゃない?それは。
余計なお世話って、いやでもさっき言ったとおり、する側が意識することないですもんね。
必要だと思って言ってるから。
良かれと思っての提案が相手からしたら余計なお世話だっていうのが一般的によくある。
そういうことね。だから自分が余計なお世話っていう評価をしながらおせっかいすることはないよねってことか。
相当なんか意思がいるよねっていうやつね。
「余計なお世話」の定義と個人的な線引き
私でもね、基本全部余計なお世話だと思ってるんよ。全て。
一人で生きていけってことですか?
いや、じゃなくて、どう思うか私が決めるからさみたいな。苦労するよとかもそうですさ。
なんか、なんだっけ、女みたいな部分でも気を使ってくれたりとかあるけど、
困ったって言ってないものは全て余計な解釈じゃん。
そうですね。明確にこれって言えばいいですけど、そうじゃないって困ってそうだなって言ったらそうか。
例えば、離婚したんよって言ったら、それ大変やったっていうのと、大変やったねーは余計なお世話って考えたら後半は。
確かに小さい余計なお世話あるね。
自分も知ってるよ、全然。だけど、その解釈って離婚しました。
本人がスッキリしたって言うのに、でも寂しいよね。余計なお世話じゃん。
もっと小さなのを言うと、これされる側なんですけど、結構自分、風邪ひいた後治っても咳が1、2週間続いたりすることが多いんですよ。
でもゴホゴホすると、どうしたんだいじょうぶ、風邪ひいたんとかって言われたりするわけですよね。
言わんでほしいんですよね。でもこれって言わんでほしいのこそ超わがままだと思うんですよ。
実際そのみんなに聞こえるようにゴホゴホしておるから。
でも自分、完全自分主観で言えば、そう心配してくれるのは余計なお世話でありますね。
それは余計なお世話っていうよりも、言っとったがいいかなって人もいっぱいおるよね。
そうなんですよ。でも完全こっちからこっち目線で言えば、自分目線で言えば余計なお世話なんですよ。
言ってくれる気持ちもわかるし、多分自分も言ってると思うんですよ。
でも言わんでいいんですよね。
いや、わかるわかるわかる。
もっと身近なところで言うと、それはよく感じるなと思いますね。
なんか外国で最初になんか、えおーって思ったのが、かっこいいと思って使ったのが、
エクシャンって言ったらブレイスユーってあるじゃん。言わんでいいこと。
でもなんか一応気遣ってる。なんならあなたの席が不快ではないよみたいな、なんかそういう気遣いなんだと思うんだけど、
気遣いをでも余計なお世話って思っちゃってるってことだよね。
気遣いさせてしまった。で、ちょっとそれが自分的には負担になる時があるので。
じゃあ、ちょっと余計なお世話やけどさ、席大丈夫?って。
いや、それこそきついかもしれないですね。
余計なお世話って思う人って、余計なお世話をしないのかもなって思った。
私余計なお世話って、物もらったりとか余計なお世話ってあるかもな。
なんか大丈夫かなと思って声かけすることって多分あると思うんですけど、自分も。
でもそれが余計なお世話になっていることって多分あるんだろうなって、なんか自分で話して思いましたけどね、今。
でもあいさつレベルの声かけは、便宜上ってことでしょ、多分ね。
じゃあ、どういうコミュニケーションとるっていう負荷がかかっちゃうから、余計なお世話を続けるんじゃない?
軽く言ってしまうな、私も余計なお世話、それで言うと。
別に聞きたくもないのに、聞いてるみたいなこともあるのかもしれないなって。
言ってるんでしょうね。
なんか、商売人っていうカテゴリーで言うとよくあるよね。
儲かったら、いやもう生きとるだけよ、わかるわかる。貧乏暇なしよ、だよね、みたいなトークするんやけど。
それはあいさつ代わりで、その後いろんな話をするんやけど、スタートから急に本題に入るみたいなのが難くて、そういうトークをしたりはする。
上水くんの、余計なお世話と思うことじゃないよ、今日。
思うことのハードルがめっちゃ高いなって、2人の話聞いて。そんなレベルではあんま思わないから、結構厳しい目のジャッジだなって思ってる。
余計なお世話。
自分の基準、まず自分が余計なお世話だなって感じるときの基準がどうだろうなって思うのを考えながら聞いてましたけど、どうでしょうね。
未来を変えられるとちょっと思うかもですね、勝手に。
相手の?
お菓子を1個持ってくるとか、そんな未来変わんないけど、たとえば白菜10個持ってくるって未来変わるじゃないですか。今後白菜これめっちゃ消費しないといけなくなっちゃうみたいな。
自分の未来を勝手にどれくらい決めるかで余計かどうかが決まるなっていうのがあるけど、今度、それ今行為の話だけど、トークのパターンもあるじゃないですか。
発言で余計なお世話だなと思うみたいなのが、何か基準ってあるのかなーみたいなことを考えている途中で、今パスとか回ってきた感じですね。
大胆な「お世話」とスピリチュアルな感覚
まあでもね、自分は余計なお世話を意識的にやってきたんよ。
はい。
なんかまずね、上水くんに謎にニューヨークに行けみたいな。
ありましたね。
余計なお世話やろ、相当。
でね、何かね、何でそう言ったんですかって、何かね、そんな気がするなよ。
はい。
行ったほうがいい気がするなよ。
はい。
で、いやもうお金も出すから、あなた行くべきだと思うっていう、謎の。
でも最近あともう一個やろうとしている余計なお世話があって、
ある活動をしている人なんだけど、すごく面白い、文質家っていうかすごいいい文章を書く人で、とてもいいんよね。
だからその人の家に勉強会っていうか飲み会みたいに行ったら、ちょっとね、気が悪かったよ、家の気が。
もうこれも私の感覚ね、スピリチュアル。
ここからいい?
で、何か風通りも悪いし、玄関が悪い。
キッチン水回りも悪いなって、まあ散らかったのは散らかったんやけど、散らかったっても別に気が悪いって思わん家もあるけ。
で、ちょっとその人の知り合いにお願いして、片付けさせてくれと。
あまりに気が悪いからって言ったんよ。
そしたらその人が連絡してくれて、どうぞお願いしますって言われた。
で、そのスケジュールまで組んで、その人の玄関片付けに行こうとしたら、その前にその人ね、ちょっと捕まっちゃったんよ。
で、私、気が悪かったけやなって、今でも早くやればよかったなっていう余計なお世話。
それ気のせいでしょうね。
もともと悪いことしてたから捕まったんでしょ?別に気が悪いから捕まったわけじゃないよ。
色々いろいろあるんだろうけど、気が自分の中で、これやったほうがいいとかいう感覚で相当大きな余計なお世話をしてしまうよ。
例えば、ちょっと気になったけ、お花贈りますとかそんなのじゃなくて、もうその人の家を買いようとしてるじゃん。
それってすごい余計なお世話なの。
ダンシャリに参加したね、友達の。
ダンシャリに行くわとか言って。
すごい余計なお世話してるなって自分思ってる。
趣味じゃなくて、何か世話としてやってるんですか?
ダンシャリ、汚い家とか気が悪い家を捨てたりとか、
ゴミとか荷物捨てて、気が良くなって自分を
わあ、なんかビフォーアフター楽しかったみたいな
娯楽でやってるんだったらそれは余計なお世話かもだけど
自分の趣味としてやってる部分もあるって感じがするから
半々な感じだけど。
嫌なことは多分しないから
比較的ダンシャリも掃除も嫌ではないと思うんやけど
でもトータルして言うと
やった方がいいっていう感覚に動かされる。
じゃあ余計な世話寄りなんだ、その消毒。
そう、完全余計なお世話寄り。
私の人生は何も変わんないから。
私の充足感のためとか、私の人生が変わるからとかじゃないんよ。
もうとにかくこれやった方がいいって思い込んでしまうよ。
で、やる。
人間関係の「強弱」と「余計なお世話」
それで言うとないっすね、ほとんど僕。
ほとんどないっすね。
1回、2回、
ねえ、ノーンさんには1回ありましたよね。
余計なお世話ですけどって言って。
余計なお世話ですけどって言ってた、明確に。
わざわざカフェに呼ばれて、余計なお世話ですけど。
って言われたよね。
なんかもう、
人間関係。
人間関係、なんていうかな、
人間関係の手を抜くところってあるじゃないですか。
あると思うんですよ、誰もが。
ここに一生懸命やっててもしょうがない、
ここは一生懸命やろうみたいな、その強弱みたいなのは
ノーンさんに全くなくて、全部今日やるから
疲弊してる時期があって、
そこを頑張らんでいいやろうって僕の中で思ったけども、
そもそも人生だからあんまり口出すことではない。
けども、でも、
強弱なさすぎてしんどそうだから、
ちょっと余計なお世話ですけどって言って、
結構口出したことがありますよね。
うーん。
強弱つけたらいいんじゃないですかっていう話を。
そうそうそう。
だから私、もう本当に勘ないわけ。
全員、ある意味全員に向き合っちゃうんだけど、
結果疲れちゃって、
あと大事な、ね、例えばDコートに来る人とかさ、
本当にちゃんと仕事としてもらった相手と向き合わなきゃいけない時に、
もう疲弊してますとかもあるわけよね。
けどそれをなんか、
ここは100%で向き合わなきゃ、
ここは70%とかしきらんのよ。
だけ余計なお世話ですけどって言ってくれた時に、
じゃあどうすればいい?
悪いけど100を50にしたりはできんわ。
って言ったら頻度を変えたらどうですか?とか言って、
ああいいわって、いまだに助かってるよ。
会う頻度、100%聞けるけど、
毎週連絡が来るとかいう人もいたわけよね。
毎月会いたいって言って来てくれるとか。
でもやっぱりそれをちょっとごめん、
もう今いろいろ忙しいから来月にしてもらえてありがたいなって言えば、
100%向き合っても疲れないみたいな調整ができるようになったよね。
ありがたいお世話でしたよ。
結果的に。
「余計なお世話」をしない理由と別の目的
ユンには余計なお世話したことないと思うけどね、私。
そう、だと思うんですけどね。
余計なことは言ってるけどね。
余計なことはめちゃくちゃ言ってるけど、余計なお世話しないから。
ユンしたことないの?余計なお世話。
いやでもあるんだろうな。
余計かどうか関係なくお世話したことあるかって言うと、
多分したことあるんですよ。
でもそれじゃあ絶対余計じゃないって自信があるかって言うと微妙っすね、それは。
それは難しいよね。
もう相手が決めることだからどこまでこっちが気を付けても、
向こうは余計だって思ってることはいっぱいあると思うから。
お前本当にそれ余計じゃないんかって聞かれたら、
いやわかんないっすね。
自分で余計だなと思ったけどやったっていうのは思いつかない?
それはないと思いますね。
何か必要があると思って。
それか、やるとしたら多分意地悪でとか知的好奇心とか。
自分の欲求を。
欲求を満たすためにやってますね。
例えば相談するふりして詳しい内容聞くとか。
人間関係で何か揉めてたりとか、
そういう話を聞いたり、そういう噂を聞いたりしたら
詳しく聞きたいからってことで相談を受ける。
本当は詳しい内容聞きたいだけ。
そういうことはよくありますよね。
本当に余計なお世話をするためだと思ってっていうのはないですね、やっぱり。
時代背景と「余計なお世話」の変化
僕も思いつくのあんまないな。
なんかでも学校の先生とかで余計なお世話してる人のおかげで今があるみたいな人山ほどいる気がするけどね。
例えば大学とか行く感覚さえ、選択肢さえない家に生まれましたみたいな人がさ、
学校の先生にあんたちょっとこの道って大学行ってその道も考えんねとか言われたから今がありますみたいな人もいるじゃん。
なんか商売とかもそうだけど、あんたこうした方がいいんじゃないとか言って余計なお世話言われて今がありますとか。
余計なお世話だと思って言ってないんじゃない?それは。
その言った人は。知らんけど。
わかった、私全部余計なお世話だと思ってる。
一生懸命大事なことと思って言ったんじゃないか、学校の先生も。
だと思いますからね。自分も大学で回ることに適性があると思った生徒に。
言ったんじゃない?
大学に行った方がいいと思うよと言うわけですよね。
でも知らなかったら、知ってしまっても戻れない。
自分は良かれと思って美容師になるぞとか例えば思ってたとしても、新しい選択肢を見せられたことによってもう戻れない。
あの美容師への情熱は美容師になりたくなかっただけか。
だと思います。
確かにそうだね。
結局は。
結局はそうだね。
でもあんまり他人に口出したりとか他人の人生こうした方がいいよっていうのは、そもそも言わない方がいいよねみたいな雰囲気を感じてるんだけど、それは。
言わなくなりましたよね。前はめっちゃ言ってましたよね。
言ってたよね。
介入しまくりの時代があった気がするけど、最近はもう言わない風潮ですよね。
なんかその、介入しまくりの時代って正解があったからじゃないですかね。
なるほど。
確かに。
今じゃあサーリーマン、いい大学行ってサーリーマンになることが、いい会社のサーリーマンになることが本当に成功に近づくのかっていうと、ちょっと自信が持てなくなるっていうか。
わかる。
80年代だったら自信持ってそれを絶対そうすべきって言えたと思うんですけど。
確かにね。
だからお見合いとかも進めれたんかもね。結婚絶対した方がいいっていう正解みたいになってたから。
自信持って進めれなくなったからじゃないですかね。
確かに。
その人の価値観でそれは正解じゃないかもしれないと思ったら、そうね。
なんかその、よくさっき言ったように価値観が多様化したから正解じゃない可能性が出てきたというよりは、そういう社会になったからのほうが、外部要因のほうが大きい気がします。
え、どういうこと?価値観は実は多様化してないってこと?
外部要因によって価値観が多様化しちゃった。
外部要因って何?
要はサラリーマンが一番いいとされてた時代があったわけじゃないですか。
そうじゃなくなったし、それにそうじゃなくなったがゆえに、結婚もすべきかすべきでないかはその人次第になってきたし、っていうようなことですね。
時代が変わったから、今で正解されてたものがされなくなったから、余計なお世話が増えていったんじゃないですかね。
減っていった?
お世話が余計になったんですよ。
お世話が余計なものにどんどんなっていってる。
例えば、就職するのが一番いいと思ってたら、実は転職活動があんまうまくいってなくてさ、みたいな。
仕事無職なんだよねって言ったら、就職先探してあげるよって言うのってお世話だったと思うよね。
でも、自分ちょっと今YouTubeとかで動画上げてチャレンジしてるんでって言ったら、ごめん、いらんこと言ったねってなるよね。
急に余計なお世話になるんだけど、YouTubeがなければ余計なお世話じゃなかったのが、
ありがたいことだった。
余計なお世話になっちゃったんですよね。
いやでもあれじゃん、就職者でも責任はもうバイトでいいんですみたいなのもあるからさ、そっかそっかみたいなのもあるじゃん。
昔だとそうは言ってもさ、就職しないとさ、みたいなことがあったけど、今だと就職もいい子とかもわかんないみたいな。
本当にその人がそうって言ったら、そうなんだって。
バイトは時代関係なく価値観って感じがするな。価値観の多様化って感じしますね。
だから、お世話をするっていうのはある意味、一定の自信とコミュニティの中にある正解が共通してないとできないんやろうね。
そうですね。確かに。
自信と感覚に基づく「お世話」
自信持って言えなくなってるんだろうな、やっぱり。
でも自信持つとこはさ、私の感覚だけど、あなたのことをとても思っていますという自信しかないもん、今。
だから気が悪いっていうことを自信持って言えたんですよね。
すごいよね。
野野さんはすごいですね。気が悪いっていうことに対して自信持って主張できたのか、その時。
絶対にやったほうがいい。気が悪い。
だってそれ、もうあれですよ。たとえ断ったとしても、気が悪い家として認定された家ということは変わらないですからね、その人の中で。
だから、もうすごいことをしてますよ、野野さん。
確かに、そうだ。
言われる前と言われた後では世界が違いますからね。
本当だね。今、すごい余計なお世話どころか、すごい悪いことした気がする。
必ずその気は変えに行くわ。必ず。
確かにね、だから自信持って言えることは、自分の感覚しかなくなったって感じ。
常識に当てはめたりとか、その人が困ってるって言ったとか、そんなことじゃなくて、
自分の本能に近いところからのメッセージしか自信が持てなくなった。
そうですね。今では社会情勢とかが後ろ盾になってくるんだけど、それはもう関係なくなっちゃったから。難しい。
「余計なお世話」をする勇気と寂しさ
でも占い師とかはすごく自信持って言えてると思うよね。
それが仕事なんでしょうね。
相談してきてるって言って欲しいっていうサービスだから、言っていい対意名分あるじゃないですか。
そうね。
とはいえねって感じしますけどね。言い過ぎな占い師とかはちょっと悪影響だと思うから、よくないなと思うんですけどね。
だから自信を持って、自信を持ってやるお世話よりも、自信があるかないかというより、あなたのことを持って余計なお世話だけど言いますみたいなコミュニケーションって、
すごい勇気がいるから、しないほうがいいってなって、失敗も自分で責任を取るみたいな世界になってて、それがすごく相手を配慮した世界かもしれんけど、なんか寂しくもあるなと自分は思ってしまってて。
そうですね。
だから、すごい自分が大事やなと思う人には、あえて余計なお世話をする。でも、わかんない。余計なお世話されて、ごめん、そのお世話いらんわってちゃんと言える人にしか言わないかも。
そうだ、私の基準そうだ。いらないって言える人にしか言わない。余計なお世話するとき、しないとき。
いつすんだろうな。
するとき、しないときよ、これ。じゃあ、余計なお世話と思ってないときにするんだね、ユンは。一応今のとこ聞いたら。
そうですね。それか、別の目的があるとき。
それお世話じゃなくない?
めっちゃ考えてる。
いや、いつすんだろうと思って。自分にも影響あるときじゃないかな。要は人のことなんだけど、それが自分にも波及してきてるから、
なんていうのかな。やっぱりちゃんと、でも自分のこととして言うには相手のことだしな、みたいなときに、いや、これ余計なお世話なんですけどって言ってる気がしますね。
でも自分に影響したときに、その人から離れればいいやっていう感じなのかなって思ったけど、そういうわけじゃないんだ。
確かに、それだけだったらそうかもね。影響するだけだったら離れれば影響しなくなる。
仕事関係とかだったら離れようがないときもあるんで。家族とかだったり。
継続的な関係を結んでいて、自分にも波及してるときには、まず言ってみるんじゃないかな。余計なお世話だけどもっていう。
その上で、相手が決めることだからどうするかわかんないけど、またそれを見て自分が決めるみたいな感じなのかな。
いきなり自分で決めないってことじゃないかな。相手との関係があれば。
結構だけ関係性の強弱がするしないを決めてるってことか。
強弱の強で、かつ自分にも波及してきてるときに、すぐ自分が離れますじゃなくて、まずコンタクトとってみるっていうことかな。
そのときに余計なお世話だなと思ってるから、余計なお世話なんですけどっていうことを言ってる気がする。
同じ空間にいるのでぐらいの感じだろうね。
「余計なお世話」の重みと関係性の重要性
でも結構深刻かもしれない。今思ったこと。
ノンさんが言う通り、大概のことは自分が離れれば試合終了じゃないですか。自分で挑戦すればいいから。
それでいいんだけど、そうしないために言っているぐらいの感じだから、結構重たい気がした。
上水くんが余計なことを言うときは意外に重たい。
要はその人との関係性を僕が考えるための結構重要な材料として言っているみたいな。
さっきのシチュエーションとかもわざわざカフェに呼び出してやってるわけですよね。多分重いですよね。
結構仕事とかにも影響が出てて、プライベートな人間関係だし、あんまり言うのもなとかって結構迷いがあったけども、そこはちょっと…
でも注意とは違うんですよ、別に。選択だから。
それでもそういう生き方もあると思うから、別に絶対そうすべきだ、ダメだとか言いたいわけではなくて、どうしたいですかねっていう。
やり方がわかんないならやり方としてはこういうこともあり得ると思うしっていう、提示できるものは提示しつつっていう感じなのかな。
わかんない、ちょっと思い出せない、その時のことは。
重たいとは、私は感じてなかったけどね。上水くんの中では重たい。
そう、だから問い詰めるとかではないんですよ、別に。
だって相手が決めるべきことだから、余計なお世話だから、別にこうすべきだとかはないけど、
こうなっちゃってるように見えるけど、こういう構造でこうだから、こういう選択肢とこういう選択肢があるように思うけども、みたいな。
ただその状況をわかりたいみたいな感じのことですね。
わかった上でどうしたいかをまた僕は考えるっていう感じっていうか。
うん、そうだね。
「余計なお世話」が洗練の機会となる場合
でもそのレベルの余計なお世話は、上水くんほど覚悟を決めてやってない、ちょっと言っちゃってる感がある。
あんたもういかげん人さ、関係性考えなとか言ってしまうとこはあるね。
多分ゆんの結婚離婚の時も結構平気でいろいろ言ってた気がするもんね。
人生一人なんやけーとか謎に平気で言ってる気がするけど、
私はね、言われた方がいい価値観になっちゃってるんだけど、それがなんでかっていうと、
仕事もさ、あんたさもうそれ儲からんよとかさ、あなたそれって誰に向けてやってるんですかとか、余計なお世話が100、200と山ほど来たんよね。
それで事故を知るというか、余計なお世話だって思うのか、ちょっと考えないかんなって思うのか、
自分の思考以外の刺激で自分のやりたいこともそうだし、稼ぎ方もそうだし、そういうものが洗練された気もするんよ。
でも今どうやって洗練する機会が、AIがあったわ。
洗練される機会になるんじゃないかと思って余計なお世話してきましたっていう感じかもね、今思ったけど。
いやでも怖いのが、もう一個軸があるなと思ったのは、何でも間に受けない人じゃないと、変に崇拝とかリスペクトされすぎると、言ったらその通りしましたとかいう人いるじゃん。
その通りしましたじゃねえんだよって思うっていうか、その後のことも全部こっちに聞いてくるんかみたいになるじゃないですか。
全部には責任を負えないから、その一点のことについて意見をしただけだから、よく考えてほしいみたいなことあるじゃないですか。
言われたんでそうしましたみたいなのさ、その後どうすんだよみたいなのがあったりすると、なんかもう危なっかしいし、
言った通りしたのにこんなことになりましたとか言われると、その後のことがぐちゃぐちゃじゃんとかもあるわけじゃないですか。
やっぱ考える力みたいなのが一定ある状態の人にする。だから私はNOと言える相手っていうのはそういう意味かも。
そういうことだと思う。それは結構気をつけてるかも。関係性があって理解があって自分に影響があっても、言ったら正解みたいになる相手には言わないようにしてるかも。
子育てにおける「余計なお世話」の難しさ
確かに、そうかも。それで言うと子どもとかにも超余計なお世話言いまくってるな自分。
子どもはいいんじゃないか。世話しないといけないじゃないですか。
余計なお世話じゃないのか。子どもを世話しないといけない。
でも余計なこともあるよ。
結構余計なことあるでしょ。
余計なお世話を堂々としていい相手みたいになってない?子どもが。
まあ確かにですか。でも余計な、子ども世話しないといけないって多分法律に書いてるじゃないですか。
幼児期にお世話することと、公園に行って、ほらあの日ブランコ、相当市行ったら?とか余計なお世話やん。
結構余計なお世話してると思うよ。せっかく山来たし、川入ったら濡れるから嫌だ。入っときいいよとか余計なお世話しまくってる気がするよね。
難しいね。子育ての。
普通の異色獣は余計なお世話と思わないんだけど、選択肢を広げようとしちゃうじゃん。多分大人って。
こんな本読んでみたら余計なお世話。
難しいって。だから普段世話してない相手に世話をするときは、めっちゃ世話をするときは、なぜこの人を世話するのかって考えるから、
どこまでが無駄で、どこまでが余計で、どこが適切かとかめっちゃ考えるけど、
子供を世話してる前提の中で、余計か余計じゃないか判断するのめちゃくちゃ難しいんじゃないですか。
もうやってるから世話を。
そうやね。
流れるように余計なお世話もそこに含まれてくるみたいな感じで。
そんな日々振り返ってこれは余計だったなってできてる保護者の方って相当少ない。難しいんじゃないですか。毎日が忙しいし。
なんならそれが、向こうの医師が出てくるのが、明確な言語として医師が出てくるのが、5歳、6歳、小学生ぐらいじゃん。
もう5、6年慣れちゃってるからね、世話することにね。
もっと言うと子供は子供で賢く、親がこうしたいんだろうから世話させてやってるみたいな場面もたくさんあるわけじゃないですか。
言わせてやってるみたいな。
家を出て、うちの親、超余計な世話をしてくんだよねって、みんな大学とかで文句言ってるわけじゃん。
だから、あるんだと思いますよ、その余計な部分っていうのは必然的に。
それをわざわざ余計だって言ってくるか言ってこないかは、関係性だったりその人の性格だったりよるけど、やっぱ含まれると思うよ、それは。難しいよ。
たしかに。世話をする相手には、もう余計か余計じゃないかなんてことを考えてるのも大変だもんね。
前提になったもんね、世話するのが。
だから、全部世話と思って認識してくださいって感じだよね、一回。
で、最後、精査するってことでしょ?これは余計なお世話だったな、これはありがたい世話だったなみたいなのを、最後、最後。
まとめと番組からのお知らせ
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