みなさんこんにちは。のぞみです。ゆんです。上水優輝です。討論カフェは、お題についてみんなで語り合う価値観の交換の場です。
この番組を聞いている間、ほんの少しだけ余白を持って、さまざまな意見に触れる時間を楽しんでみてください。
さて今回は、余計なお世話をするとき、しないときというお題で価値観の交換をしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
余計なお世話ってあえてつけました。
する側ですね。しかも。
する側は語ることあんまないですもんね。されること多いけどね。
されて困ることってよくいろいろ愚痴りあったりとか。
たぶん今この現時点でも世の中でいっぱい話されてると思うんですけど。
自分のカフェで。
自分がする側ですよね。珍しいというか。
あんまり考えたことないですね。
余計なお世話が不足してんじゃないかなと思って。
通常、世話をしたら相手側が余計だと感じたってだけで、する側が余計だと思ってやるっていうのって結構珍しいじゃないですか。
あえて自分も余計だと思ってるけどしてる世話って話をするってことですよね。
そうです。自分がよかれと思ってしてることではないです。
余計なお世話なんだけど、それでもやろうということが減ってませんか。
なんか商工会議所のスローガンみたいなのありますよね。
余計なお世話やります。
余計なお世話、いやおせっかいって言い方ですよな。おせっかいが誇りみたいな。
なんかそんなようなことを書いてた。ポスターで書いてたんですよね。
商工会議所が?
何のおせっかいもしてこうけど。
でもそれをおせっかいするのは商工会議所だっていうこと。
例えばなんか聞きに行ったりとかしたら、やりすぎかなってぐらい、こんなんもあるよとか、こうしたらいいんじゃないっていうおせっかいをするのが私たちの誇りですってことか。
そういうことを言いたいんだと思う。
なるほど、行ってみようじゃあ今度。
テンションあるっすね。
でも理念だしね。
余計なお世話ってどんな、自分が思う余計なお世話ってどんなのか、まずあれしないと難しい気もしますけどね。
その人の人生に口出すみたいな。
その人の権限でなんかしないといけないことにわざわざ言っちゃうってことか。やっちゃう言っちゃう。
やっちゃう言っちゃうかな。
だけど受け直せはあんましないってことじゃん、ユン。
たぶんしないと思います。してないと思います。
しなさそうだね。
おせっかいせんかもね、ユン。
たぶんあんましないと思いますね。
仕事では言うことは言うけどみたいな。
どうなしてんのかな。
私はなんか窓が汚いからやったほうがいいんじゃないですかとか言われたことあるけど。
余計なお世話じゃないんじゃない?それは。
余計なお世話って、いやでもさっき言ったとおり、する側が意識することないですもんね。
必要だと思って言ってるから。
良かれと思っての提案が相手からしたら余計なお世話だっていうのが一般的によくある。
そういうことね。だから自分が余計なお世話っていう評価をしながらおせっかいすることはないよねってことか。
相当なんか意思がいるよねっていうやつね。
私でもね、基本全部余計なお世話だと思ってるんよ。全て。
一人で生きていけってことですか?
いや、じゃなくて、どう思うか私が決めるからさみたいな。苦労するよとかもそうですさ。
なんか、なんだっけ、女みたいな部分でも気を使ってくれたりとかあるけど、
困ったって言ってないものは全て余計な解釈じゃん。
そうですね。明確にこれって言えばいいですけど、そうじゃないって困ってそうだなって言ったらそうか。
例えば、離婚したんよって言ったら、それ大変やったっていうのと、大変やったねーは余計なお世話って考えたら後半は。
確かに小さい余計なお世話あるね。
自分も知ってるよ、全然。だけど、その解釈って離婚しました。
本人がスッキリしたって言うのに、でも寂しいよね。余計なお世話じゃん。
もっと小さなのを言うと、これされる側なんですけど、結構自分、風邪ひいた後治っても咳が1、2週間続いたりすることが多いんですよ。
でもゴホゴホすると、どうしたんだいじょうぶ、風邪ひいたんとかって言われたりするわけですよね。
言わんでほしいんですよね。でもこれって言わんでほしいのこそ超わがままだと思うんですよ。
実際そのみんなに聞こえるようにゴホゴホしておるから。
でも自分、完全自分主観で言えば、そう心配してくれるのは余計なお世話でありますね。
それは余計なお世話っていうよりも、言っとったがいいかなって人もいっぱいおるよね。
そうなんですよ。でも完全こっちからこっち目線で言えば、自分目線で言えば余計なお世話なんですよ。
言ってくれる気持ちもわかるし、多分自分も言ってると思うんですよ。
でも言わんでいいんですよね。
いや、わかるわかるわかる。
もっと身近なところで言うと、それはよく感じるなと思いますね。
なんか外国で最初になんか、えおーって思ったのが、かっこいいと思って使ったのが、
エクシャンって言ったらブレイスユーってあるじゃん。言わんでいいこと。
でもなんか一応気遣ってる。なんならあなたの席が不快ではないよみたいな、なんかそういう気遣いなんだと思うんだけど、
気遣いをでも余計なお世話って思っちゃってるってことだよね。
気遣いさせてしまった。で、ちょっとそれが自分的には負担になる時があるので。
じゃあ、ちょっと余計なお世話やけどさ、席大丈夫?って。
いや、それこそきついかもしれないですね。
余計なお世話って思う人って、余計なお世話をしないのかもなって思った。
私余計なお世話って、物もらったりとか余計なお世話ってあるかもな。
なんか大丈夫かなと思って声かけすることって多分あると思うんですけど、自分も。
でもそれが余計なお世話になっていることって多分あるんだろうなって、なんか自分で話して思いましたけどね、今。
でもあいさつレベルの声かけは、便宜上ってことでしょ、多分ね。
じゃあ、どういうコミュニケーションとるっていう負荷がかかっちゃうから、余計なお世話を続けるんじゃない?
軽く言ってしまうな、私も余計なお世話、それで言うと。
別に聞きたくもないのに、聞いてるみたいなこともあるのかもしれないなって。
言ってるんでしょうね。
なんか、商売人っていうカテゴリーで言うとよくあるよね。
儲かったら、いやもう生きとるだけよ、わかるわかる。貧乏暇なしよ、だよね、みたいなトークするんやけど。
それはあいさつ代わりで、その後いろんな話をするんやけど、スタートから急に本題に入るみたいなのが難くて、そういうトークをしたりはする。
上水くんの、余計なお世話と思うことじゃないよ、今日。
思うことのハードルがめっちゃ高いなって、2人の話聞いて。そんなレベルではあんま思わないから、結構厳しい目のジャッジだなって思ってる。
余計なお世話。
自分の基準、まず自分が余計なお世話だなって感じるときの基準がどうだろうなって思うのを考えながら聞いてましたけど、どうでしょうね。
未来を変えられるとちょっと思うかもですね、勝手に。
相手の?
お菓子を1個持ってくるとか、そんな未来変わんないけど、たとえば白菜10個持ってくるって未来変わるじゃないですか。今後白菜これめっちゃ消費しないといけなくなっちゃうみたいな。
自分の未来を勝手にどれくらい決めるかで余計かどうかが決まるなっていうのがあるけど、今度、それ今行為の話だけど、トークのパターンもあるじゃないですか。
発言で余計なお世話だなと思うみたいなのが、何か基準ってあるのかなーみたいなことを考えている途中で、今パスとか回ってきた感じですね。
僕も思いつくのあんまないな。
なんかでも学校の先生とかで余計なお世話してる人のおかげで今があるみたいな人山ほどいる気がするけどね。
例えば大学とか行く感覚さえ、選択肢さえない家に生まれましたみたいな人がさ、
学校の先生にあんたちょっとこの道って大学行ってその道も考えんねとか言われたから今がありますみたいな人もいるじゃん。
なんか商売とかもそうだけど、あんたこうした方がいいんじゃないとか言って余計なお世話言われて今がありますとか。
余計なお世話だと思って言ってないんじゃない?それは。
その言った人は。知らんけど。
わかった、私全部余計なお世話だと思ってる。
一生懸命大事なことと思って言ったんじゃないか、学校の先生も。
だと思いますからね。自分も大学で回ることに適性があると思った生徒に。
言ったんじゃない?
大学に行った方がいいと思うよと言うわけですよね。
でも知らなかったら、知ってしまっても戻れない。
自分は良かれと思って美容師になるぞとか例えば思ってたとしても、新しい選択肢を見せられたことによってもう戻れない。
あの美容師への情熱は美容師になりたくなかっただけか。
だと思います。
確かにそうだね。
結局は。
結局はそうだね。
でもあんまり他人に口出したりとか他人の人生こうした方がいいよっていうのは、そもそも言わない方がいいよねみたいな雰囲気を感じてるんだけど、それは。
言わなくなりましたよね。前はめっちゃ言ってましたよね。
言ってたよね。
介入しまくりの時代があった気がするけど、最近はもう言わない風潮ですよね。
なんかその、介入しまくりの時代って正解があったからじゃないですかね。
なるほど。
確かに。
今じゃあサーリーマン、いい大学行ってサーリーマンになることが、いい会社のサーリーマンになることが本当に成功に近づくのかっていうと、ちょっと自信が持てなくなるっていうか。
わかる。
80年代だったら自信持ってそれを絶対そうすべきって言えたと思うんですけど。
確かにね。
だからお見合いとかも進めれたんかもね。結婚絶対した方がいいっていう正解みたいになってたから。
自信持って進めれなくなったからじゃないですかね。
確かに。
その人の価値観でそれは正解じゃないかもしれないと思ったら、そうね。
なんかその、よくさっき言ったように価値観が多様化したから正解じゃない可能性が出てきたというよりは、そういう社会になったからのほうが、外部要因のほうが大きい気がします。
え、どういうこと?価値観は実は多様化してないってこと?
外部要因によって価値観が多様化しちゃった。
外部要因って何?
要はサラリーマンが一番いいとされてた時代があったわけじゃないですか。
そうじゃなくなったし、それにそうじゃなくなったがゆえに、結婚もすべきかすべきでないかはその人次第になってきたし、っていうようなことですね。
時代が変わったから、今で正解されてたものがされなくなったから、余計なお世話が増えていったんじゃないですかね。
減っていった?
お世話が余計になったんですよ。
お世話が余計なものにどんどんなっていってる。
例えば、就職するのが一番いいと思ってたら、実は転職活動があんまうまくいってなくてさ、みたいな。
仕事無職なんだよねって言ったら、就職先探してあげるよって言うのってお世話だったと思うよね。
でも、自分ちょっと今YouTubeとかで動画上げてチャレンジしてるんでって言ったら、ごめん、いらんこと言ったねってなるよね。
急に余計なお世話になるんだけど、YouTubeがなければ余計なお世話じゃなかったのが、
ありがたいことだった。
余計なお世話になっちゃったんですよね。
いやでもあれじゃん、就職者でも責任はもうバイトでいいんですみたいなのもあるからさ、そっかそっかみたいなのもあるじゃん。
昔だとそうは言ってもさ、就職しないとさ、みたいなことがあったけど、今だと就職もいい子とかもわかんないみたいな。
本当にその人がそうって言ったら、そうなんだって。
バイトは時代関係なく価値観って感じがするな。価値観の多様化って感じしますね。
だから、お世話をするっていうのはある意味、一定の自信とコミュニティの中にある正解が共通してないとできないんやろうね。
そうですね。確かに。
確かに、そうかも。それで言うと子どもとかにも超余計なお世話言いまくってるな自分。
子どもはいいんじゃないか。世話しないといけないじゃないですか。
余計なお世話じゃないのか。子どもを世話しないといけない。
でも余計なこともあるよ。
結構余計なことあるでしょ。
余計なお世話を堂々としていい相手みたいになってない?子どもが。
まあ確かにですか。でも余計な、子ども世話しないといけないって多分法律に書いてるじゃないですか。
幼児期にお世話することと、公園に行って、ほらあの日ブランコ、相当市行ったら?とか余計なお世話やん。
結構余計なお世話してると思うよ。せっかく山来たし、川入ったら濡れるから嫌だ。入っときいいよとか余計なお世話しまくってる気がするよね。
難しいね。子育ての。
普通の異色獣は余計なお世話と思わないんだけど、選択肢を広げようとしちゃうじゃん。多分大人って。
こんな本読んでみたら余計なお世話。
難しいって。だから普段世話してない相手に世話をするときは、めっちゃ世話をするときは、なぜこの人を世話するのかって考えるから、
どこまでが無駄で、どこまでが余計で、どこが適切かとかめっちゃ考えるけど、
子供を世話してる前提の中で、余計か余計じゃないか判断するのめちゃくちゃ難しいんじゃないですか。
もうやってるから世話を。
そうやね。
流れるように余計なお世話もそこに含まれてくるみたいな感じで。
そんな日々振り返ってこれは余計だったなってできてる保護者の方って相当少ない。難しいんじゃないですか。毎日が忙しいし。
なんならそれが、向こうの医師が出てくるのが、明確な言語として医師が出てくるのが、5歳、6歳、小学生ぐらいじゃん。
もう5、6年慣れちゃってるからね、世話することにね。
もっと言うと子供は子供で賢く、親がこうしたいんだろうから世話させてやってるみたいな場面もたくさんあるわけじゃないですか。
言わせてやってるみたいな。
家を出て、うちの親、超余計な世話をしてくんだよねって、みんな大学とかで文句言ってるわけじゃん。
だから、あるんだと思いますよ、その余計な部分っていうのは必然的に。
それをわざわざ余計だって言ってくるか言ってこないかは、関係性だったりその人の性格だったりよるけど、やっぱ含まれると思うよ、それは。難しいよ。
たしかに。世話をする相手には、もう余計か余計じゃないかなんてことを考えてるのも大変だもんね。
前提になったもんね、世話するのが。
だから、全部世話と思って認識してくださいって感じだよね、一回。
で、最後、精査するってことでしょ?これは余計なお世話だったな、これはありがたい世話だったなみたいなのを、最後、最後。