みなさん、こんにちは。のぞみです。 ゆんです。 上水優輝です。
討論カフェは、お題についてみんなで語り合う、 価値観の交換の場です。
この番組を聞いている間、ほんの少しだけ余白をもって、
さまざまな意見に触れる時間を楽しんでみてください。
さて今回は、人はなぜ怠けるのかというお題で、 価値観の交換をしていきたいと思います。
お願いします。
これさ、めっちゃディスカッション教室のね、 卒業した子がさ、
なんかすごい難しい難関校に行った子がいるじゃん。
その子が…
どこに行ったっけ?
あのイギリスの何所に行ったっけ?
ケンブリッジの?
そうそう、その子がね、
人はなぜ怠けるのかっていうお題をね、
Dコートに遊びにまた戻ってきた時に出してくれて、
イギリスの大学行ってみんな頭いいけど、 怠けるのやらないで、みんな怠けますよって言われたよ。
もうじゃあ、関係ないよ、頭いいとかみたいな。
なんで怠けてしまうんでしょうって、 その子も言ってたから、
みんなそうなんだなって思って。
今日ちょっと出しました。
ケンブリッジ行ってる子が言うんだったらそうなんでしょうね。
めっちゃ学歴史上過ぎですけど。
私はてっきり勉強が好きで、
なんていうかな、怠けるとか感覚もないぐらい、
やってる人たちなんだって、どっかですごくあんまり会ったこともないしさ、
そういう研究してますとかいう人にもさ。
けど、改めてそういう学問みたいなのが得意な人が、
なぜ怠けるんだろうって言った時に、
もうそれ私が聞きたいよと思って。
それはどういう問いだったんですか?
要は、自分が怠けてしまうって話をしてるのか、
怠けてるやついるな、なんで怠けてるんだろうって、
他人を見て評価しての怠けてるのか。
自分でしょ、自分でしょ。
自分自身だったら、大谷上平だって怠けてるんじゃない?
でもこっちから見て怠けてるように見えないみたいな。
それ全然怠けてないみたいな。
本人の中では、いやいやこれは自分が求めてる水準じゃなくて、
怠けてるんじゃないかみたいな話なんじゃないですか。
分かんないけど。
そっか、確かに。会ったこともないからね。
勝手にイメージしちゃってたね。
自分怠けないんでぐらいかと思ってた。
大谷上平がずっとソファで寝っ転がってて、
試合だけ出てて、あるんだけ成績残してた。
もうマジすごくね、怠けてるけどさみたいな話。
見えるけどこっちからも。
けど多分やってるんじゃないですか?日頃。
僕たちが思わない形で頑張って。
で、本人の中では、いやちょっと今日怠けちゃったなみたいな。
あ、怠けてるのあれは?みたいな。
確かに人によって怠けてるっていう度合いも違うしね。
私もさすがに大谷上平が怠けるっていうのをイメージしづらいな。
でも怠けてるんだろうね。
怠けてるんじゃない?本人の中では。
怠けてしまったなみたいな。
インスタとかしてるしね。
確かに。
ショート動画とか見てそうだよね。
別にいいじゃん、見て。
でも怠けてること言う自覚がどっかあるよね、本人が。
でも想像も大谷上平は世界で一番練習した人ってわけじゃないですかね。
一番才能があった人って掛け合わせだと思うんですけど。
怠けてるなっていうのは、私は正直怠けてる感覚はわかるんだけど、
自分が明確に怠けてるなっていうのはあんまりないよ。
なんていうか、一生懸命生きてるなって自分は自分のことを思ってて。
休息はしてる。怠けてるっていうよりは、
例えばショート動画ずっと見てるときも、休んでるなとか。
怠けてるってなんなんですか、その農さんが言う怠けてるは。
難しい。私の言う怠けてる。怠けようとかかな。
それも一生懸命じゃない。どうやったらいいんだろうね。
怠けようって明確に思えば怠けてるかも。
ちょっと待って、みんな教えて。私わかんないよ。
怠けようと思ったときの怠けるはなんなんですか。休むと何かとか。
締め切りをぶっ飛ばしてとか。
締め切りを。
締め切り飛ばすんですか。
それ怠けるってよりは無責任みたいな話じゃない。
そうやん、そうやん、無責任やん。無責任を相当覚悟を決めて無責任するかも。
例えば、歯医者を予約してて、どうしても行きたくないと。
ひどいじゃん、キャンセルって。その人たちも時間かけてるけどさ。
勇気を振り絞って怠けます、歯医者に行くの。
今思ったけど、なんか違う気がしてきた、みんなと。
違う気がしてきましたね。僕は怠けてるって思うときは自分で、
これをやろうと決めていたことに到達しなかったら怠けてるなって思う。
だから今日一日一つと言っても、これとこれとこれをやろうってタスクを想定したときに、
それはもうやるべきことだから、でもそれができなかったら怠けちゃったなって思う。
あ、わかったわかった。
今の全く一緒ですね。
いや、わかったわかった。私、やるべきことをやらずに他のことをやってるときが怠けてるな。
それはめっちゃ怠けてる。だからいつも、いつもいつも怠けてる。
本当は今これを終わらせるために、この書類を作んなきゃいけないのに、
ゲームをするとかいうのは怠けてる。
うんうん、そういうイメージ。
やっぱそう。あ、それならもうめっちゃ怠けてるわ。
自分もずっと怠けてますよ。
うん、僕もですね。だいたい一日の朝書いたタスクが終わることはないですからね。
でもさ、一生懸命向き合って終わらなかった場合は怠けてない気がするんよ。
そうですね。
一生懸命向き合ったら終わる量しか書いてないですもん。
怠けてるね。
一生懸命向き合わなかった時間帯とかがあったせいで終わらないってことがよくある。
ようやくみんな怠けることがあるよねっていうところで、じゃあなんでそうなるのかが問いですよね。
ここまでスタートがやっとスタートになった。
スタートがやっと怠けるが共有化されたね。
うんうん。
オッケーオッケーオッケー。
じゃあなぜ人は怠けるのか。
まあなんとかなる系やない?
結局そうなんですよね。なんとかなるから怠けるんですよね。
なんとかなるけど、期待した、目指したとこにはいかないっていう。
受験勉強とかも本気でそれしないと死ぬって思ってないから。
手抜いちゃうんでしょうね。
うん。
で、第一死亡のところにおからず第二死亡ぐらいのところに落ち着くみたいなことじゃないですか。
そうだと思う。
なんとかはなってるもんね。
そうなんとかはなるんで。
でもたどり着いた先は理想のとこではなかったってことよね。
はい。
未来の見積もりが甘いってことなんじゃないかな。なぜ怠けるかで言うと。
楽観的ってこと?
楽観にしても、蓋を開けてみれば第一死亡に本当は行きたかったみたいなことがあったりするじゃないですか。落ちてみて。
はい。
なんで勉強してなかったんだろうとか、例えば後悔するみたいな。
だから未来にたどり着いたら本当は勉強して受かっておくべきだったってことがわかるんだけど、
例えば半年前の秋とか夏ぐらいに、勉強しなきゃな、このままで落ちるなって。
落ちるって漠然となんとなく思ってるのに、そのヤバさに対するリアリティがないってことですよね。
とか、まあこんぐらいで受かるんじゃないかな、なんとかなるんじゃないかなと思ってるとかっていう、
その未来に対するすごい見積もりが甘いからそういうことになっちゃうみたいな。
怠けちゃう。
なんか怠けた結果の見積もりが甘いってことよね。
怠けた結果のというか、見積もりが甘いから怠けるんじゃないですか。
例えばさ、さっきの受験勉強だったらさ、私の思う見積もりの甘いを言うと、
大学残念落ちちゃったじゃなくて、その先の人生も変わるっちゃ変わるじゃん。
だから、こんなはずじゃなかったは見積もりの甘さなのか、
いや、びっくりすることが降ってきて、コロナとかあってとか、急に親がいなくなってとか、
そういうものなのかで言うと、こんなはずじゃなかった。
あの時、大学落ちちゃったからってなったら、あれ?見積もり甘くない?ってなるかもしれない。
両方あると思うんですよ。見積もりが厳しすぎるパターンも今度あって、
めちゃくちゃガチガチにしてるけど、そんな頑張らなくてもなんとかなるやんってこともあるから。
見積もりが要は甘すぎるか厳しすぎるかって見積もれてなくて、
もうちょっと感覚の方が知ってて、その差分を怠けてしまってるみたいな。
やっぱなんとかなるからが、やっぱもう終わったね、このディスが。
なんとかなるから、見積もりが甘いからもなんとかなる。
腹の中でどっかで思ってるんですよ、なんとかなるっていう感覚はね。
なんとかなるはなんなのかってことよ、もっと言うと。なんとかなるとはどういうことですか?
なんでなんとかなる目標立てちゃうんですかね?
なんとかなるなら、じゃあ最初からそれ立てればいいじゃんっていう。その目標でいいじゃんっていう。
もうその、なんとかなるを打ち消すほど、絶対に欲しいものがないって可能性もない?
まあそうでしょうね。
そんなにだから、その先のこと、別に来週とかでもいいですよ。
その先のことを見越して生きるようにできてないんじゃないですか、僕たちが、単純に。
今日のことしか考えられない体なんじゃないですか、本当は。
お腹が空きそうかどうかみたいな。とか、寒そうか。
いやでもなんかね、最近ね、私ほら縄文時代好きじゃん。
好きじゃんって違うけど。
好きなんよ。
で、その縄文時代どんな生活してたかみたいなのをまとめてくれるYouTuberがいっぱいいてね。
いっぱいいるんだ。
それで、めっちゃ見てんよ、縄文時代の暮らしみたいなの。
そしたらその、山でうさぎとかそういう動物をこう罠仕掛けて食べたりしてたんだけど、
そのガブガブ食べたりはせんらしいよ。肉ってあんま得られないから。
で、その罠を仕掛けるときに、山中に仕掛けないらしいよ。
それは、まあこれは説だけど、縄文時代の人がその循環の意識があったんじゃないかみたいな。
だからすべてのうさぎを極論とってしまうと、もううさぎたちがまた繁殖しないから、
すべてを取り切ることはよくないみたいな感じで、その罠を仕掛けるとこを限定的に失踪にやってましたみたいな説があって。
相当先どころか、自分が食べる獲物の生の循環みたいな山の中のを考えてたの?と思って、ちょっと衝撃だったんよ。
いやー、僕はそこまで、だってさ、自分が食べる分でいいわけでしょ。そんなにいっぱい取らなくていいじゃん。
いや、一応干したりとかいう文化あったらしいから。
1年分とか干しておく必要もないですよね。
確かに、でもその朝晩しか食べてない感じで失踪に。うわー今日はもう3回食べれるわとかいう気持ちがなかったってことよね、じゃあ。
なんか縄文時代、歴史あんま詳しくないけど、確か結構長かったですよね。
2万年くらい?
取りすぎて滅びた村があったんじゃないですか、近所に。
あー、だからその言い伝え的に、干すると滅びるみたいな。
そうそうそうそう。
なるほど。
自分たちも子供作ったりとかしてるから、うさぎが生まれて育つまでの時間がかかるってこととかは想像つくと思うから、やっぱ確かに取りすぎて絶滅するみたいなのは、科学とかなくてもわかりそうですね、想像で。
2万年もあれば多分、最初の1000年でそれぐらいの知見は得られるんじゃないかなと思うんですよね。
なるほどね。
取りすぎたらやべーぞって。
生態系とかそんなこと考えてなくて、単純に。
ごめん、1万年以上やった、今調べたら。
でも結構長いよね。
そうだね、だから考えてたというよりはもう学習したり感じてたってことか。
多分そうじゃないですかね。
で、もっと面白かったのが、ごめん、面白い話になってるね。
狩るっていうことが、全てが苦ではなかったっぽくて、遊びの延長線上にもあって、岩場を探してタコを発見して食べるとか、結構タコ食べた後とかめっちゃあるらしいんよ。
それも取らなきゃで取ってたんじゃないんじゃないかみたいな、そういう再現があったんだけど。
それもあれじゃないの。
例えば今のビジネスパーソンは楽しく遊びのように働いてる人もいれば、もう死にそうになりながら仕事をせざるを得なくて嫌々やってる人もいるみたいな。
いろんな縄文人がいましたみたいな話じゃないの、単純に。
確かに、そうかもね。
楽しく飼育をする人もいました。
でもね、縄文時代について考えることは結構大事な気がしてて、そのサボるとか怠けることに対して。
だって、人間って100万年以上ありますよね、確か。人間の歴史って。
でも、昔なかった仕事とか試験とか、1週間先とか1ヶ月先とかを見越してやらないといけないことって、たぶん何万年もなかったと思うんですよ。
大学受験はなかったもんね。
なかったですよね、たぶん2000年とか長くても、ぐらいじゃないですかね、3000、4000くらいかな。
1000年以内ぐらいじゃない、試験があるレベルは。
解教っていつなんでしょうね、ちょっとわからないけど、結構古いですもんね。
ギリシャの時代とかでも、学問が発展してた時期があったから、たぶん。
じゃあ、2、3000年にしとく?
でも、それそうじゃない何十万年があったはずなんですよね。
考えたら、自然な動物的なことじゃないんですよ、たぶん。
今、私たちがやってることが。
計画立てて仕事を進めるとか、1年後の試験に向けて一生懸命勉強するとかって。
そうね。
やっぱり、合うはずがないって考えるのが、ほうが自然じゃないかなと、それこそ自然じゃないかなとは思うんですけど。
だから、なまけないほうがむしろイレギュラーなのかもね。
だから、なまけないために、たぶんいろんな仕組みを整えたりとか、いろんな空想をしたりとか。
もしダメだったときのリスク管理とか。
ありがたい言葉を聞いたりとか。
そういうので、なんとかごまかしながらやっていくかどうかっていうところなんじゃないですか。
そんな気がするね。
だから、みんなの中にベース縄文人がいるってことよね。
縄文人。
うん。
原始人ベースで、俺たち原始人ベースで考えたほうが、なんで怠けるかを考えやすい気がしますね。
そう思う。
よくある話、社会のシステムは進化してるけど、人間が別に進化してるわけじゃないって話があるから。
それはそうだね。
そこのギャップにある気がするよね。社会システムと、現実時代の自分たちとのギャップにヒントがある。
それはそうだね。だって、25,000歳の人いないもんね。
そうなんですよ。
25,000歳の人は今、すごいことになってそうだもんね、本当なら。
けど、一応、書物とかそういう考え方とかが残ってるから、
昔の人よりは本来より文明的というか、より考えることもできるっていうことで勉強してんじゃないの、私たちは。
発見だとか言うのに時間をかけずに知ることができるってことですかね。
勉強得意じゃないんですけど。
縄文人が、ここに行ったらとこめっちゃ取れるぞっていう新しい発見に喜べるように、現代人も新しい発見に喜んでるだけじゃないですか。
現代人の新しい発見って何のこと?例えば。
そうですね、何でもいいんですけど、格言の新しい攻略法とかでもいいんですけど、もっと学術的なことでもいいし。
確かに。でも結構、そういう意味で言うと宝探し終わってるかんない?
例えば、私いつも思うんだけど、ごぼう食べようと思った人すごいなって思うよ。ネッコじゃん、あれ。
相当食べ物に困ったか、好奇心旺盛の人かが多分発見してんじゃん、ごぼう。
食べ物としてのごぼうね。
ほぼ食べるものも発見されつくしてるじゃん。食べれる食べれないがさ。
今からチャレンジするって、相当危険性高いやん。このきのこ食べてみるか。誰も食べたことがないきのこみたいな。発見しつくされと感じてんの。
そうですね。
だから、同じ縄文人としては、もうちょっとタコ見つけたぐらいで喜べんくなって感じさえ、タコは知ってるから。
だから、発見みたいなのをするのはすごい難しい。現代人のほうが難しそうな気がする。
発見はむずいでしょうね。そういう。
生けるっていうのは、発見できそうにない感覚がない?自分がちょっと動いたからって。ちょっと動いて発見するなら、生けるっていうより好奇心で動きそう。
人類初になる必要はないと思うんですよね。
じゃあもう、タコいたって。タコは知ってるけど、岩場でタコを見つけるってことか。
その岩場でタコを見つけることが、自分の知る限り最初だったらいいんじゃないですか。
そうね。
そのきのこがどんなきのこかも、自分が知る限り最初だったら別に、それはそれでいいと思うんですよね。
だからってタコを探しに行かないよね。やっぱなんか。
タコを探しにはいかなくても、雑誌読んだりとかする、新しいネット動画見たりとかするんじゃないですか。
じゃあ、消費と発見ってどう違うんやろうね。消費の中で発見していくってこと?現代人。
別にタコを探したの消費の中で。なんか食べようと思ってたんだから、消費しようとしたらタコがいてって。
原始時代のタコを採るのって、消費であると同時に生産活動でもあるので。
生産の、今の現代人でも生産の中で、生産活動、仕事の中で新しい発見しても、それはそれで喜べる人は喜べるし、消費活動の中で。
だとすると、やっぱ怠けるってことは好奇心をくすぐることが減ったからかなと思ったけど、そうじゃないね。
だと思います。
普通に好奇心は通常通り、好奇心をくすぐるものは山ほどあるけど、やるべきことがやっぱ怠けるに付随してるからね。楽しいことはやれるのか。
1週間とか1ヶ月の先とか1年先の予定を立てるのに、そもそも向いてない人が多いんじゃないですか。
そしてそこに好奇心とかワクワクで臨めるかどうかというと、もう一段階あるっていう、まず計画立てるだけで能力の差があれば、さらにそこにワクワクできるかってあるしって考えていくと、どんどんできる人はいなくなっていくってことじゃん。
じゃあ、超意識を高く持たないと怠けちゃうね。
そうですね。
だっけ、意思の力しかないじゃん、それ抗うなら。
もう人間はそうできてるんだっていうのは。
まあ、仕組みでっていうこともできますけどね。
どういうこと?
失敗したら入れ墨入れていくとか、失敗した数だったら、小の字入れていってずっと失敗した数が刻まれていくとかだったら嫌じゃん。
いや、その入れ墨入れるのを怠けるやつたぶん。
だから、自分で入れるんじゃなくて、入れる怖い人がいればやるじゃないですか。
失敗した数が刻まれていく。
でも、今怖い人いなくない?
だから怠けるんですよ。
怖い人がいないから。
怖い人って必要やったんや。怠けないために。
意識を自分で上げるか、命の危機を感じるかのどっちかってことでしょ。
そうね。じゃあ、命の危機を感じるくらいだったら怠けてていい気がした。
だからみんな怠けてるんじゃないですかね。
そうね。必死ではなくなるよね。喜びもね。
でもね、最近、ちょっと田舎にあるところで、ぐるぐる屋さんってとこがあって、子供が遊べる場所なんやけど、コインゲームがあったんよ。
子供向けのコインゲームってか、昔ちょっと流行ったコインゲームとかが置いてあるんだけど、無料なんよ。
1時間いくらで子供と入れてるから。
コインがすごい、ボーンって置かれてて、ご自由にお取りください状態。
で、そのコインでわーって楽しく遊んでたんだけど、500枚とか当たったときに嬉しくなかったんよ。
なんて、そこにあるじゃん。何千枚ってあるから。取り出すのすらめんどくさいんよ。
本当のコインゲームで500枚当たったら、うわーってなるじゃん。
なりますね。
資本主義ってこういうことかなって思ったんよ。
興奮するのかもなって。そのためには、多分一生懸命やる人いるだろうみたいな。
でもコインが何千枚ってあったら、もう一生懸命にやられん。
コインを出すことも怠けるし、なんか1枚1枚を丁寧に入れることもないし、なんかもう本当不思議な感覚やった。
ぐるぐる屋さんっていう名前が気になってるのに全く話が入ってこなかった。
でも、ぜひね、無料のコインゲーム体験してみて。
いろいろ気づきがあるんだけど、言語化できなくて、ちょっと誰か一緒に行ってほしい。
でも想像できますよ。
本当?
わかりますよ、言ってること。自分もコインゲーム愛好家なんで。
だからすごい、ベーシックインカムとかあれで今一度考えたいなって思った。
我々は何が満足なんだろうかみたいな。
何千万枚ってあるコインを目の前にして、すごく考えました。
だから縄文時代は多分不足感はあったと思うよね、常に。
その不足感が実は、もしかしたら現代人より怠けてなかったかもしれないとは思う。
だって取らなきゃ食べれないから。
でも魚屋さんに魚が無限にあったら、頑張りますっていう。
頑張れないですよね、でも本当。
取り放題やったらね。
取り放題やったらね。
怠けてていいんじゃないですか。頑張る必要もないんじゃないですか。
魚が無限にあるんだったらね。
でも楽しみたいな、せめてコインゲームはやっぱり。
不足感でね。
それはそういうゲームを作り出せばいいですからね。
それをたまたまグルグル屋さんに与えられた、何のスリルもないゲームだったからつまんないなってなっただけで、
スリルのあるゲームを自分が作り出せばいいだけですから、生存を脅かす必要はないっていうか。
生存を脅かすことが最も生きてる実感になるのかもなって。
その線もあると思うんですよ、例えばサウナに行くとかそういうことだと思うんですよね。
暑いとこ行くとか頭おかしいじゃないですか。
でもそれがすごく生きてるなって感覚が持てるみたいな。
それを人工的に作り出している。
激辛食べるとかもそうですよね。
自分を痛めつけることで喜びに変えているみたいなことがあるから。
だからそれを作り出せばいいけど、人から強制的に暑い部屋に入れられるとか、辛いものしか食べさせられないとかなったら、それはちょっと苦しい世界だなと思うんで。
ご楽として自分で作り出していくみたいなのは。
今日は結構そういう意味で言うと怠けてもいいみたいな結論だね。
仕方ないですね。
怠けられる社会になっているっていうことですよね。
ですね。
でも我々は半分縄文人で苦手なんですよね、この社会がね。
縄文人なんでね。
最後まで聞いていただきありがとうございます。
お聞きのポッドキャストアプリで討論カフェを番組フォローしていただけると番組更新のモチベーションになります。
ぜひお願いします。
またXでハッシュタグ討論カフェをつけて番組の感想や質問ポストしていただけると嬉しいです。
そして討論カフェは毎月イベントを開催しています。
詳しくは概要欄のリンクをクリックしてご確認ください。
一緒に価値観の交換しましょう。
ぜひ遊びに来てください。