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建前が言えない。どうしよう【ふたりがたり5】
2026-06-29 42:42

建前が言えない。どうしよう【ふたりがたり5】

ディスカッションの学びの空間「Dコート」で子どもたちが発した印象的な言葉をテーマに、のぞみと上水が語り合う企画「ふたりがたり」。

「建前ができない」Dコートの高校生のその一言から、のぞみと上水も自分たちの建前事情を振り返る。頑張って建前を言ったつもりが全部本音ゾーンだったのぞみと、瞬間的にはできるが精神力を消耗しすぎる上水。建前にも本音にも暴力性があるなら、一体どうすればいいのか。

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サマリー

このエピソードでは、「建前が言えない、嘘がつけない」という高校生の言葉をきっかけに、話し手ののぞみさんと上水さんが建前と本音について深く掘り下げていきます。建前ができないことへの困惑や、社会生活における建前の必要性を認識しつつも、本音を言ってしまう、あるいは建前を言うと精神的に疲弊してしまうという自身の経験を語ります。建前にも本音にも暴力性がある可能性を指摘し、そのバランスの難しさや、現代社会におけるコミュニケーションの複雑化について考察します。特に、多様化する価値観の中で、建前と本音の線引きが曖昧になり、コミュニケーションの工夫が求められる現状について語り合います。最終的には、建前と本音のどちらか一方に偏るのではなく、両方の性質を理解し、状況に応じて使い分けることの重要性や、他者との対話を通じて自身の考えを深めていくことの大切さを伝えています。

「建前が言えない」という高校生の悩み
みなさん、こんばんは。ふたりがたりのお時間です。小中高生対象のディスカッションの習い事、Dコートの中で印象に残った言葉をテーマに、のぞみと上水の2人で価値観の交換をしていきます。
今回は、建前ができない。嘘が言えない。についてお話ししていきたいと思います。
はい。お願いします。
この時間がきましたね。
一応、バータイムという。
毎回確認しておきますけど、これはバータイム。カフェじゃないんですよ。
で、きょうこれね、なんか、あの、Dコートでいろんなディスカッションするんですけど、
日本の慣習で、これ残したほうがいいよね、とか、これいらんくない、みたいなディスカッションがあって、
それの中に、あの、たとえばさ、長いものにまかれろ。
そういう言葉がいっぱいあって、自分はこれはもうなくなってもいいんじゃないかと思ってるとか、
これは大事にしたほうがいいと思うとかってことを考えてみるってやつですよね。
で、その中で、ほんねとたてまえとかいうのがあって、
それを残したい残したくないの議論の前に、たてまえって何?みたいな話とか、
そういうのが、こう、もりあがったんだけど、ある高校生のセットが、メンバーがね、
自分はたてまえできんみたいな、嘘を言えないみたいな、
それがなんで言えないかっていうのは、ただ気持ちが悪いからみたいな、
だからね、あんまりまだ言語化されてなくて、ただただどうすればいい?みたいな感じだったんよ。
たてまえができない、嘘が言えない、どうすればいい?みたいな。
で、ちょっと、え、どうすればいいんやろ?って思ったんです、これ。最近。すみません。
で、でもね、めちゃくちゃみんな。
どうすればいいっていうのは、困っていますっていうことなんですか?
それとも、できないという事実があるんだっけ、現実があるんだけども、どう思うぐらいの感じなのかっていうと、どんな感じなんですか?
いや、やっぱね、これできないと、なんか、社会の中で大変そうだねっていうような。
はいはいはいはい。困りそうだな、どうしよう?みたいな。
いや、社会の中でっていうよりは、現にみんなできてる感じするね、みたいな。
できたらいいんじゃないか?みたいな。今聞かれて思ったんですけど、なんか、できなきゃいけない感覚に、あのときみんななってた気がします。
あ、たてまえをやらないといけないんだけども。
もうすでに、うん。なんか、たてまえちゃんとできなきゃいけない気がするみたいな。
でもできない、どうしよう?みたいな、なんかニュアンスだった気がします。
で、私もあんまりできるほうじゃないんですよね。
僕も全然できないほうですよね。
だから、どうしようって言われたときに、どうしようって意識になっちゃって。
建前と本音の境界線とコミュニケーションの難しさ
今度、またみんなでディスカッションするじゃん。価値観を交換するから、
そのときに、こういう見解もあるんじゃない?みたいな話ぐらいはしたいな、とか思って。
なるほどね。
うん。これを今日テーマにした。できないのね。
できないけど、でもたてまえが必要なのはわかりますよ。
やっぱり、共通のこういうもんだよねっていうものを持っておかないと、コミュニケーションがいちいち複雑になっちゃうし、
そうね。
まあ、摩擦が起こっちゃうし、摩擦がないようにとか、円滑に進めるために、たてまえとかルールとかいうものがどんどん表向きのものがあり、
本当はそう思ってないんだけど、それにのっといたほうが、いろいろ合理的だよねっていうので回ってるっていうのは、
社会全体で見れば、そういうことはありそうですよね。
なんかね、でもね、言わないってことは、かろうじでできるんよ。
はい。
たとえば、え、これ高くない?この定食。で、定食屋の中で言わないとかできるんだけど。
うんうん。たしかに。本音ですね。
ごちそうさま。そうそう。ごめんなさい。おいしかった。あ、ごちそうさまでした。おいしかったです。とは言えない。おいしくないのに。みたいな。
あー。
たとえば、友達とかに、え、これどう?って言われて、似合ってないのに、似合ってないと明確には言わないにしろ。あ、いいじゃん!とは言えない。そういうレベル感もたてまえができないって話だよね。
たてまえレベル、僕より低いかもしれない。
うそ?
僕はまだ言えますよ。その服をどう思う?って言われて、似合ってる?って言われたら、似合ってるかどうかは答えるけど、どう思う?って言われたら、カッコであなたがそれをいいと思ったであればいいんじゃないか?って言うので、いいんじゃないか?って言いますね。カッコの部分を言わずに。
あ、自分がいいと思うならいいんじゃない?もう本音だよね。ぶっちゃけ。
結構絶妙。自分がいいと思ってるかもしれないけど、広い意味ではこれを着て、両方の面があるじゃないですか。自分自身が着てテンションが上がりたいからぐらい自分にベクトルが向いてたらいいけど、この服を着たらきっと華やかに見られるよねって思っていいなって思ってる場合に、
華やかっていうかちょっとそれは派手だし、ちょっと浮くんじゃないかなって思っても、本人がそれをいいと思ってるんだったら、どう思う?って言われたらいいんじゃない?って言う。
それ確かに。建前レベル。
建前でしょ。本音だって派手すぎない?っていうのが本音じゃん。
私はその色着ないとか言う。
確かにどう思うに対してどう思うか回答しますよね、本音。
そうだと思う。それは本音の付き合いをしてますよね。
そうでしょ。で、その時にさ、似合ってるかって聞かれたら、その似合ってるかどうか判断がつかないとか言うかも。
例えば、柄と柄で合わせてます。
柄と柄で合わせてて、もうオシャレだなって思う人もいれば、変に見えるもあるけど、それはあくまでも主観だから、ジャッジができないって思っちゃうよ、私は。
だから、例えば柄と柄で合わせてどう?って言われたら、オシャレかどうか私には判断できんって言うよね。
それもでも本音ですよね。自分には難しいってことを言ってるわけでしょ。
うん。本音だね。これちょっと縦前ゾーンかと思ったんやけど、縦音これ。
基本のほうさん、縦前レベルがめちゃくちゃ低めというか、本音レベルが高めというか。
僕も結構本音レベル高いほうだと思ってはいたんですけど、ちょっと足元にも及ばない感じがしてきました。
そっか、じゃあ本音すらレベルがあるからね。だから私は今は、めちゃくちゃ本音じゃないけど本音を言ってるってことだよね。
僕は縦前をその瞬間は言えるんだけど、やっぱ会社とか上司がいて部下がいてて、僕が正社員に入ってたら、その上司にずっと縦前言い続けないといけないじゃないですか。そういうのは結構精神的に病んじゃうタイプ。
ずっと言い続けるみたいなのがね。
そう。だからそれを本当のようにして生きていかなければいけないのが、長くなってくると、そっちの世界線が主になるじゃないですか。僕の中では偽りの世界なんだけど、それは。
縦前の世界なのに、縦前の中に巻き取られちゃって、縦前の世界が真の世界みたいになっちゃって、つらくなってくる。
だんだんね。
そう。継続する。
だから例えば、先輩すごいですねって思ってもないのに、先輩すごいですねって言って。
ずっと言い続けないといけないみたいな。
でも確かに一回そういうこと言っちゃうと、私はあなたのことすごいと思ってますみたいなふうに向こうも思うから、おい、これ教えてやろうかお前とかいうコミュニケーションになりがちよね。
そうそう。お願いしますみたいな感じになるじゃん。
でも、すいません。あの時すごいですねって言いましたけど、ずっと思ってるわけじゃなくてとかとは言えもんね。
だんだんその時も思ってなくてみたいな。だいたい言ってること古くてみたいな。今更言われてももうとっくに昔に知ってるようなことばかり言ってますよね。だって言えないじゃん。そんなことは。
確かに。一回そうね。
そこはもう5年前に通ったことを今更気づいたみたいに言われても困るんですけどとか言えないじゃん。
そうね。私は思いませんけどねぐらいで言えとったらいいんやろうけどね。むずい。
だから、僕はなるべく継続的に建前を言わなくていい関係性というか、そういう構造にどう身を置くのかみたいな。
いやでも学校に通ってて、クラスで友達に建前が言えないっていうのは。
きついよ。
結構継続的に関係するから。
きついよ。
いや、でもそういう人と思ってもらう説もあるけどね。
僕がたぶん高校とかの時そんな感じだった気がするんですよ。本当建前は言えなさすぎて。今よりも言えなくて。
社交辞令言えない人みたいな。
おかしいと思ったらおかしいって言っちゃうみたいな感じの。だったから、やっぱ引いてる人引いてましたもんね。
それ面白いと思う人が一部いるだけで、だいたいの人はみんな引いてる、どんびきされてるなみたいな感じを受けながら、ずっと高校生活を送りましたね。
なんか、建前を考えれて、建前という言語が出てくるんだったら、結構建前レベルあると思うよ。
でも、言語まで出てきてる頭の中で、例えばね、おいしくないけど、ここっておいしい、おいしいで言うべきよねっていうのが浮かんでるんだったら建前レベル高いんだけど。
高いの?いくつからあるよね、レベルが。
ごめん、高くない?おいしくないものをおいしいって言えるの高くない?
だから、どういう段階があるんだろうな。まず、これは人から出してもらった料理だから、まずいとは言えないよねってことは、まずわかるかわかんないかがレベル1ですよね。
これって素直にまずいですっていうのは、本当に何も思いもよらずですよ。何も考えずに本当にまずいと思ったから、まずいっていうのはちょっとレベルが一番低いかなって思うんですよ。
建前レベルが。
次に、頭には浮かぶってことでしょ?まずいとは言えないよな、言っちゃうとあんまり良くないよなってのがわかるんだよね。
その次ぐらいに具体的に何をセリフとしておいしいですとか、昨日聞いたことを喜びそうなコメントが浮かぶってのがあり、次ぐらいに本当にそのように言えるってのがあり、
さらにその次に本当にそう思ってるかのように、ノンバーバルも、非言語の情報としても本当に思ってるかのように相手に喜びを伝えるみたいな。
おいしいですって言える、嘘じゃない感じで伝えるみたいなレベルがあるんじゃないの?建前レベルの高さで言うと。
もっと言うと一番高いのは、建前を言ったときに何のストレスも感じないだと思うよ。
達人レベルですね。建前レベルとかじゃない。もうそれはマスターした。建前はこの世界の一つだから。
建前とか本音とかじゃないんですって一気に盗雑してる人はいると思う。
それがめちゃくちゃうらやましくて、今嘘ついちゃったとか、今こんないいひんかな、こんな相手をだますようなこと言って、みたいな気持ちになってしまうから建前が言えないのか。
もう一つあって、実は私こっち側なんだけど、建前が言えないんじゃなくて、反応しちゃうんよね。
つまり、建前を考える前に、もう口から出てるみたいな状態なんよ。
なるほど、いますよね。
最近取引先の人が、スタバのフラペチーノが大好きって言ってる横でさ、え、あんな甘いの?って言ってしまったんよ。
でもその人は大好きなわけじゃん。私があんなに甘いフラペチーノって思ってるだけじゃん。
後々考えれば、別に私が甘すぎって言う必要はなくて、あれ好きな人多いですよねとか、美味しいですもんねって言うのが建前だよね。
その人は別に、私に無理やりフラペチーノを飲ませようとしてるわけじゃなくて、単純にスタバのフラペチーノは好きって話してるだけなのに、もうね、バッて出ちゃうよ。
それは嫌そうにしてました?相手。
あれ甘さ控えめよってくれて、めっちゃいい人ないよ。
でも僕今のは、建前レベルは低いけど、失礼な本音ってほどでもないなと思ったんですよ。
本音なんだけど、傷つけない本音みたいな。
要は本人は甘いのが好きだとかあるわけじゃないですか。甘いってことはお互い共通として持ってるんだと思うんですよ。
で、本人は甘いのが好きです。だからこれが美味しいんですってなってるけど、辛いとは多分思ってないからフラペチーノ、その人は。
この甘さがいいんじゃないかって多分思ってる。
で、ノンさんはその甘さが苦手だって言ってるから、これ価値観の違いとして議論できてる。
別にフラペチーノの善悪ではないわけですよ、そこは。
フラペチーノという甘い飲み物があり、私はこう思うができてるけど、この時にね、よくないなって僕は思うのは、フラペチーノが好きでですねって時に、あんなまずいものをよく飲めますねとか言うとやばいなと思う。
あ、確かに。まずい。
それはまずいって思ったら僕だけじゃん。僕はフラペチーノまずいって思ってないでしょ。
ただ思ってたとして、まずいっていう評価を勝手に下して、相手はそれをいいっていう評価してるのに、それは良くないものと評価しちゃった、この価値観の違いみたいになっちゃうと、やっぱり角が立ちますよね。
確かにね。だからジャッジするような言葉にしちゃうと、むしろ本音を言うのすら下手ってことになるね。
うん。だからノンさんは本音を言うのが比較的得意なんだよね。
なるほど。
甘いってことはだって相手も思ってるわけだからさ、フラペチーノ。議論の対象音が生まれますよね、そこで。
いかにあの甘さがいいのかってことをプレゼンしたくなるみたいな。
あとは、全力でフラペチーノのことを考えた結果なんやけどね、私からすると。わかる?全力でも主体性持ってフラペチーノのことを考えて、「いや、あれは甘いぞ!」みたいな意気を言ってんだけど、確かに。
でもむずいね、そう考えると。それもさ、不快かどうか相手にもよるからね。変数が多すぎて、いろいろ。
そうだね。
その建前はいいですね、その建前は本音はダメですねとかっていうのは難しすぎて、たぶん私たちは建前マスターにも慣れてないし、本音マスターにも慣れていないという状況な気がしますね。
建前を言えない理由と本音の暴力性
でもさっきの例って取引先って言いましたよね?取引先の、けど結構あれなんですか?仲のいいって言いました?どんな人って言いましたっけ?関係性でと。
いや、仲がいいっていうか、私に対しては別に悪く思ってないと思いますけど、仕事をくれてる人ですね。私が仕事をもらってる人ですね、立場的には。
本来仕事をくれている人が何か自分が好きなんですって言ったら、私はこうですではなくて、え、どういうとこが好きなんですか?とか、少なくとも、わあ、なんか人気ですよね?とかっていう、持ちをひっくり返すようなお話をしなきゃいけないんだけど、私も持ちをたたえちゃうよ。
あ、そうだね。
え?ほ?え?ほ?って感じで。
そうですね。だから時々相手がもうひっくり返し始めたりとかしますよね。絶対離さんぞ、この、なんていうの、木槌みたいなやつを。
そうそう、そういう特性は自分には確かにあるから、その持ちつきを楽しんでる。あ、ちなみに相手は女性なんですよ。年上の女性なんですよ。だからすごいね、会話を楽しんでくれてる感じは勝手に思ってますけど。
そういうキャラみたいな話もありますからね。絶対この人はたてまえを言えないだろうっていうことがあって、5分でわかるみたいな感じじゃないですか?
あ、そうなの?
5分はいすぎたけど、でもちょっと関わってると、あ、この人絶対本音しか言わん人だな、みたいな、ある意味のそれがキャラ付けになり、
一般的には失礼みたいな言葉だとしても、むしろ本音で言ってくれていて気持ちがいいとか、たてまえを言わないから信用ができるとか、
わかった上でその本音に接すると、結構、そんなネガティブなものにならないみたいになるけど、中途半端にできちゃうと、あれなんじゃない?
間違いが起こるんじゃない?そこはたてまえのとこなのに本音を言ってきたこいつとかさ。
あー、確かに。
本音が欲しいとこなのにたてまえ言ってきたとかあるけど、野野さんは本音しか言えませんっていうのはもうわかるみたいな。
しかも開き直ってるわけでもなくて、もう言えないみたいなのがわかるみたいな。開き直ってるのはまた多分嫌な感じすると思うんですよ。
本音しか自分言えないんですよねとか言ってる奴って、たてまえを言う努力をしてないみたいな感じがするから。
それね、ほんと今秀逸ですけど、上水君、私ね、頑張ってたてまえ言ってるつもりだったんですよ。
そして今、上水君に本音のレベルが高いみたいに言われて、ちょっと衝撃を受けてるぐらいなんよね。
本音のレベルが高いと思う?
私からすると、たてまえ、頑張ってたてまえ言ったみたいなこと、本音ゾーンに入っちゃってるんだなって、今むしろあーってなっちゃってて。
だからさっき言ったね、Dコードのメンバーで、この本音が言えない、嘘が言えない女の子なんだけど、高校生の。
その子もね、たてまえが思いつかないタイプで、ちょっと頑張ってたてまえを言ったとって、それがたてまえになってないって感じがした、今。
あー、なるほどね。
それで言えない、できないってなってるのは、たぶんたてまえを言おうと努めてる人間は、なんかうまくいかないって思ってるんだよ。
なるほどね。
意味わかる?
良かれと思って、本音でもなく喜んでもらおうというか、円滑に進めようと思って、思ってもないことを言ってみたら、それがかえって刺さっちゃったみたいなね。
とかもある。
だし、結局たてまえとか言いながら、嘘は言ってないんよね。あー、これ結局たてまえはないやんとか、自分でも。
だから、たぶんどっかで気づくんじゃないかな。
堅くなに、絶対かわいいね、似合ってるねって言ってやんないとかは思ってないよ、別に。
上手に言いたいとは思っている前提な気がする。
上手に本音を伝えようと努力してる人ですよね、野野さん。
でも、友人関係とかだったら、それがたぶん一番いいっていうか、より、なんていうのかな。
むしろね、信頼感が意外に本音のほうがきたかったり。
思ってることを言ってくれたほうが信頼感があるっていうか、これのことを言ってくれる人なんだなとか、
絶対、思ってもないことを言わない人なんだなっていう安心感があると、本音のところをどう思うって言いやすい。
確かにそうですね。
上水君は確かに、瞬間的にはたてまえはできるけど、継続的にできないっていうのはすごい納得感あるわ。
あります?
新しい場所とか行ったら、ちゃんと上手にできてるのに、できそうじゃんとか言ったら、いやもう無理ですよな、言うじゃん。
相当な精神力を消費してるんで。
だから、たてまえマスターではないんやねっていう。
側だけ真似してて、心にまで落とし込めてないから、そこでダメージを受けないような。
トークン量を相当消費しちゃうんで、すぐに容量制限きちゃうみたいな感じですよ、AIで言うと。
もうたてまえ言えなくなりますみたいな。
たてまえ言おうと思ったら、めちゃくちゃトークン消費します。
5時間ちょっと待ってくださいみたいな。
たてまえ今度言いすぎてて、たてまえマスターみたいな人がいたとして、今度、本音は何ですかって言われたときに、本音がすぐ言えなくなってる人いるんよね。
自分の本音がわかんなくなってるみたいな。
いますよね。
それはそれで、本音を失うほどたてまえを言っちゃいかんじゃない?とか思ってしまうよ。
僕はそう思いますよ。僕もそう思うから、なるべく距離をとってますね。
たてまえを言わないといけないっていう強制力が働く場所から、どれだけ距離をとりながらギリギリ社会と関われるかみたいなのを模索しながら言ってます。
ツバゼリアみたいなね、県の。
ほんとギリギリのところですよ。あまりにもなって、それ外れていくと、もう行く場所がなくなっていくから、社会と接点がなくなり、死んでしまうっていうことだと思うので。
そうだよね。だから、もう世の中はこういうもんだし、これはみんながいいと思ってるんだから、自分がいいと思ってるかどうかじゃなくて、
それいいですねって言っちゃったほうが円滑なんだっていう話は、たくさん聞いてきたよね。
そこに疑問を持つことのほうが、すごくめんどくさくて、行きづらくなるから、疑問なんて持ってはいけないみたいなレベル感で、
それはね、たてまえとかじゃない気がするよ。意思を消すっていう行為に近いんですよ、私からすると。
マスターじゃなくて、上手にやれてる人っていうのは、もう内面化しちゃってて、本音とかっていうのをどこかに置き去りにして、
本音ってなんだっけみたいな。このシステムの中で生きてるから、システムに最適化された存在ですみたいな感じでやってる人はいっぱいいると思う。
結構多いと思うんですよね。だから、あなたはどう思うんですかみたいなことに対して答えられない人が結構多いのは、そういうことな気がする。
繰り返しの生活の中で、このようにしつけられているので、それをそういうもんだと思って生きていますっていう人が多いと思う。
それそれで生存の戦略というか、戦略させてやってるかは知らんけど。
私がコミュニケーションとってきて感じるのは、建前マスターではない、ただの建前が上手な人たちっていうのは、取引先に変なこと言わないとか、あらゆることがちゃんとできるみたいな人は逆にね、本音にめちゃくちゃ弱いっていう印象。
本音に弱い。
本音が飛んでくるとめちゃくちゃ怒ったり、すごい嫌がる。だから本音に弱くなってるから、建前マスターの人は、建前じゃない人がいるみたいになるよ、ただ単に。
でも、もう建前が基本になってると、その本音に耐えられないみたいに感じる。
それは宗教を否定されてるみたいな感じなんじゃないの?
一つの秩序の中に生きてるのに、その秩序を破壊する存在として現れるわけだから、自分たちの神を、別に具体的な神はいるわけじゃないけど、システムを維持している何かみたいなものを、真っ向から否定する存在として出てきてるから、自分たちが。
自分たちが本音しか言えてない前提になってますけど、まあでも、僕たちのような存在が、秩序を破壊したり、一つの宗教を冒涜するような行為をしちゃうってことでしょ?
うーん、だけど、そうね、確かに。だから、それは本音に弱い。逆にこっち、私は建前に弱いんよ。建前を信じやすくなったりとか、逆にあの人は建前よって言われた瞬間、もう何一つわかんなくなるみたいな。だから、バランス大事かもね。
多様化する社会とコミュニケーションの再定義
けっこう、僕はあれですね、その場限りなのかっていうのと、継続的に関わるんだったら、役として、その役だったら別にいいって思えるかどうかっていう感じかもしれない。
たとえば、太極拳であんまり本音を言おうとか思ってないっていうか、太極拳教室では、良き40代であろうと思って爽やかに挨拶をして、もうイエスかハイしか言わないみたいな感じで、ただ先生が言うことをやってるみたいな感じなんですよね。意見とか別にしないし。全部こうで、わかりました。
指定関係っぽいね。
そうですね。弟子として言ってる。それ役じゃないですか。だから、やってるっていうだけで、それが暗黙の感じで上下関係を押し付けられる、その広いシステムの中にいるっていうときに、別にその役にコミットしてねーしみたいな気持ちになると、ダメージを受け始めるみたいな感じかな。
コミットメントの話だと思う。自分は。
そっか。だから、それは今、太極拳の中では立て前をある意味、ちゃんとできてるってことだもんね。
うん。なんか悪い意味じゃなくて、嘘ついてるというよりは、わざわざ本音を言う必要がないというか、感じ?
確かに指定関係になるとね、私もそこまで本音じゃなくなるのは、本音っていうのは、今思ってる疑問っていうのが積み重ねることによって、変わる可能性を感じるから言わないってことができるんだけど、
どんなに積み重ねても、それはこれ本当にいいと思ってやってんだろうかとか、一回思い出すともう止まらなくなるって感じ。
指定関係は面白くて、指定関係的なものを多分、幻想として抱いてる人結構いると思うんですよ。指定関係じゃないのに。
例えば会社の先輩と部下なのに、ちょっと指定関係っぽい雰囲気持ち込んでる人とか、いると思うんですよ。
でもそれさ、両者が心地いいなら、私は結構警戒。
合意なく空気として、こんだけ教えてあってんだから俺は師匠だよな、みたいな言わないし、師匠とか本人は思ってないんだけど、明確には。
無意識レベルで、これだけ教えている師匠的存在の自分が、なぜ弟子のこいつにそんなこと言われないといけないんだとか、こんな態度とらえないといけないんだ的なものはあるんだろうなっていう。
そんなにどらえにみんな、教える役割と教わる役割でしかないからね、みたいな感じで切り離せてないんじゃないかな。
いやー、だからやっぱ師匠の方のレベルが低いんじゃない?
やっぱり師匠っていうのは、反論が来た時に、やっぱ偶のでも出ないことを言ったりとか、改めて自分も初心に考えて考えるとかが師だから、
その師と呼ばれる人たちは、私がギャーギャー言ったとて何も動じない人たちって感じ。
だから動じてる時点でも、あ、師を超えたなと思っていいんじゃない?あ、もう我は師を超えたくらい。
だからまさに師じゃないんだと思うんですよ。
師じゃないんだと思った。
そういうもんですよね、みたいな。先輩と後輩ってそういうもんですよね、とか、役職が上としたってそういうもんですよね、とか。
別にそういうわかりやすい上下関係だけでなくても、いろんなところに何らかの上下を見出して、上列みたいなものを見出して、自分は上列の上にいるから、
っていうようなのが暗黙であると、やっぱり立て前を言わないといけない感じが出てくる。
だから対等の友達関係で言う立て前とかは、思いやりだったりもするわけじゃないですか。
今きつい本音を言うよりは、ここはちょっと柔らかく言っておこうかなみたいなこととかもあるだろうし、
本当はあんたの問題なのだから頑張れよって言いたいけど、あなたの問題とか今は言えないなとかいう時あるじゃないですか。
立て前として、いろいろきついよねとかっていうこともあるし。
そうね。
でもそれで言うと、別に上下関係の上が下がっていうよりは、今もう本当に本音が言えなくなってはいるかもね。いろいろな意味で。
上げ足取りみたいな側面もあるしね、かなり。
ちょっとハラスメントとかも注意しなきゃいけないし、生まれ育った環境が違うから、
ちょっとした質問がめちゃくちゃ失礼みたいにもなるし、
そういう意味で言うと、立て前どころか、おさほがわかりにくいおさほになってる気がする。
おさほは機能してないんだと思うんですよ。
いわゆる多様になってるから、秩序とかがそもそも、分かんない。
5種類ありましたみたいな世界から、500種類になりましたみたいな時に、秩序ってなんだよみたいな。
500パターンあるってパターンとして結構複雑じゃないかみたいな話なんだと思うんですよ。
そうだよね。
5パターンだったらまだね、あそこのリュウハネってみんなわかるみたいな感じだけど、もう分かんないみたいな感じなんだよ。
選択肢が増えるっていうのは、いいような悪いような、ある一定の数になるとめちゃくちゃ不可能な気もするよね。
でも今は本音が言いづらい世界のようでいて、本音が言いやすい世界でもある気もするんですよね。
強烈な秩序がないから、全員から締め出されるみたいなことがないじゃないですか。
誰か支持者がいるみたいなことが起こるわけですよね、本音を言うと。
批判はされる確率は上がるんだけど、絶対数が多くなくて賛同者もそれなりにいるみたいなことが起こるから賛否が出るみたいな。
前だったらずれてること言うと、賛とかはなくて全否定みたいな。全国民から否定されますみたいなことになってた気がするんですけど、
なんかそこが少し変わってる気がする。批判は来るが賛同も来るみたいな。
でも確かに、それもしかしたらあれかもね。インターネットのおかげかもね。
私、あんまりSNSとかインターネットしてないから、リアルコミュニケーションになると賛同してる人とかほぼいない。
リアルコミュニケーションだったら確かに難しいかもね。
目の前の相手にあった本音とか建前を言わないといけない話だから、それが500パターンになりましたら単純に難しくなってますよね。
5パターンから500パターンへってなると、100倍難しいですよね。
そう。だから単純にインターネットの世界は、100種類のうちの1種類の言語を持ってて、検索するってことができるけ、検索してもらえる、検索するみたいな関係性があるよね。
でもリアルだと、検索して出会ったわけじゃないから、500種類あるうちの1人に出会いましたみたいな状態だから、そういう意味で難しいのかもね。
確かにな。今、いろいろ話しながら思ったけど、自分はそのポッドキャストとかで本音を言ってる気がする。
建前と本音のバランスとコミュニケーションの工夫
で、さっき言った会社に所属して、そこで先輩部下とか、ガチッと構造的に規定された中で、役として建前を言わないといけないみたいな話で言うと建前がきついと思っているし、そういう場面で建前って思ってる。
けど、日常のコミュニケーションでは、あんまり本音と建前の区別をしてないかもしれないって思った。
え、どういうこと?
例えば、さっき例にも出したんですけど、悩みを聞く誰か。たとえば、のんさんが悩んでますって聞いて、僕個人の、僕の視点から見ると、それはのんさんが自分で決めてっていう決めの問題だから、周りがどうのこうのって話じゃないと思う。
みたいな、僕個人の感想としても。でも、なんかいろいろ聞いた感じ、いや、でも今すごい落ち込んでるし、ダメージを受けてるから、今は励ましてほしいと思ってるんじゃないかと思って、ちょっといろいろつらいですよねって。
いつでも話してくださいって言うのは、建前というよりは別のベストを尽くしてるって感じで、あんまり建前として言ってない気がする。
コミュニケーションのただの工夫な感じするよね。今本音を言ったとて、相手を傷つけたり、たとえば、むしろ逆効果だったりっていうので、今はこういう声かけにしとこうみたいなの。単純に工夫だもんね。
嘘ついてやろうとか、適当にこういうときは丸く収まるんでしょ、みたいなことじゃないから、その場合は。建前でもない気がする。
それで言うと、私もそういう意味で言うと、リアルでは建前ほぼないけど、建前がいる関係性を避けてきてるのかもな。
僕はもう圧倒的に、かなり意識的にそうしてるかも。
たとえば、私とか、ご飯今度行こうって本気で思ってんだけど、本当に時間がないとか言うだけで、どうしよう、もう本当に時間がないんです、ちょっとこの何月でいいですか、何月でいいですか、みたいになっちゃうみたいなのあって。
けど、実は相手がそれが建前だったってときもあるよね。そこまで頑張って開けなくていいですよとか言われたこともあるよ。
え、わかんねえ、みたいな。
建前っていうか、温度感じゃないですか。そこまで無理してまで行かなくていいっていうか、行けるんだったら行きたいですねぐらいの軽い感じだから、そんな絶対開けてみたいな、そんな忙しい中無理やり開けてもらうほどの熱量ではありません、みたいな話じゃない。
なるほどね、なんか自分は行きましょうとかやりましょうっていうのは本気で言ってんだけど、みんなの本気感がどれぐらいかわかんないから。
そうね、熱量みたいなのもあると思う。僕もありましたよ、飲みましょうよとかって言って、相手がちょっと今年はわりと、今月はこんな感じでとか言ったら、
忙しくて。
また全然落ち着いてから行きましょうよとかって言って、別に次とか決めないまま。
でもそれさ、別に建前じゃないでしょ。タイミング合えば行きましょうってことやろ。
でも絶対に話さないといけないことがあるんだったら、じゃあ5月に日程組みましょうかみたいな、今のうちから決めておいていいですかってなると思うじゃん。確実に落ち着くのっていつぐらいですかみたいな。
じゃあこれ以降で、この日開いてますけどって日程調査はすると思うんですけど、絶対話さないといけないわけじゃなくて、なんとなくまた行きたいねぐらいの感じだったら、
ふわーっと、じゃあまた大津田行きましょうみたいな感じで、ふわーってなって、行かないみたいな、行きたいんだけど行かない、タイミングを逃したなみたいな感じで。
なんか、無理やりっこしたいわけじゃないけど、タイミングが合えばとか、あなたに好意は持ってますよみたいなやりとりとして、また飲み行きましょうとか、お茶でもしたいですねっていう会話があるだけなんだけど、
なんか建前という世界があるせいで、それを建前だと思われると寂しいなとか思うよね。
いや、これ私、言われたことあるよ。高谷さん、どうせ忙しいし、建前でしょみたいな。え、悲しいみたいな。
なんかもう言わんがいいんかな、建前と思われるぐらいやったらとか最近思ってて。
なんか単純に時間が足りないだけなんよ、私、ほら、レッスンとかもあるし、夜が限られるじゃん。
討論カフェも年間100回くらいやってますね。
そうそう、そうなんよね。あ、そうだ、だから、そうだね、討論カフェ来てください、確実ですって。でも、なんかそれもね、なんか、どうなんやろうね、わかんないけど。
そう、そういうね、建前のせいで本当に思っててコミュニケーションの工夫とか、本当に事情としていけないだけのものも建前と処理されることが、なんかもうむずいなっていう感じやな。
今日思ったけど、ちょっと解像度荒かったわ。建前か本音かみたいなとこじゃなくて、どういうコミュニケーションの工夫をしたらいいかみたいな話を、もっとみんなでしたいな、今度そのディスカッション、あの価値観の交換。
そうですね。建前って明確に機能してるんですか、学校とか会社とか、明らかに固定化された構造の中に身を置いてるときに発生している、なんかこういう穴いかんのでしょ、みたいなやつだから、意外とそうじゃなくなって、そういう場所以外はそうじゃなくなってきてる気がする、社会全体としては。
対応をやりすぎて。
いや、ほんとそう。だから、ほんとそう。なんかだから、私はDコートでもいつも思ってるのが、今の時代の常識って、1年後、常識かわかんないじゃん。だから、みんなとそのグラデーションを確認し合うみたいなコミュニケーションを、やっぱこう、みんなとやりたいんよね。
だから、その答えがある問いじゃない、嘘と大げさはどこから違うかとか、私にとって友人とは何かとか、そういうのを話したいのは、やっぱりそこのグラデーションが変わってく中で生きてくからさ、そういう意味でも早く一緒にやりたかったよね、中高生と。
私たちの世代でもう失敗が多すぎるよね。今から建前か本音かって、グラデーション見れたらいいよねとかって、個人的にはめっちゃ思ってるんだけど。
そうですね。そこの線が引ける領域と引けない領域とかに気づくみたいなのも面白いと思うし、いいと思う。
漠然と、どうせ建前しかダメなんでしょうとか、本音しか言いたくないとか、極論に走っちゃうと、選択肢が狭まっちゃうという意味で、生きづらさにもつながりそうだから、そこを考えて、自分である程度納得してバランス決めれるといいですけどね。
建前の世界の重要性も気づいたりするしね、話してるうちにね。嘘の暴力性に気づいたりとか、本当に。
本音の暴力性にも気づくでしょうしね。
そうだった、本音の暴力性が。
両方ね、暴力性があるなって。
そうだね、そうだね、確かに。
そこなんだよ、両方暴力性があるから、そこがやっぱ厄介なんですよね。こっちが暴力で、こっちが暴力じゃないとかないから、場面によってはどれも暴力になりうるみたいな。
そうね、とか相手によってはどっちも暴力になりうるとかね。
そうなんだよね。だから、別にこう、考える力みたいなのよく言われるけど、それって一人でつけてくっていうよりは、自分の考える力の限界を知って、誰かと話してみるとか、
本来調べてみるとか学んでみるみたいなのがつながってると思うんだけど、なんかそのスタートラインみたいなところを楽しめたんよ、こないだみんなで。
何も答えは持ってないけど。
いやいや、考えてみるってことはね、やっぱり大事だと思うんで。
そうね、なんでちょっとこの話はメンバーにもしときますんで。
ぜひ聞いていただきたいですね。
そうですね。最後まで聞いていただきありがとうございます。
Dコートでは毎月体験レッスンを開催しています。興味を持ってくださった方は概要欄をご確認いただけると嬉しいです。
Dコートの体験レッスンにぜひ遊びに来てください。
待ってます。
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