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なぜ中世は豚を裁いたのか#53
2026-10-15 1:06:54

なぜ中世は豚を裁いたのか#53

殺人事件の被告人が、なんと1頭の豚?

現代からすると信じられない話ですが、15世紀フランスなどの中世ヨーロッパでは、豚やネズミ、虫などの動物を正式な法廷に立たせる「動物裁判」が数多く行われていました。

なぜ当時の人々は言葉も通じない動物を大真面目に裁いたのか、その裏にある「責任」をめぐる人間の心理と社会のからくりとは。

今回は弁護士とインターン生が、奇妙な裁判記録の実態と、現代のAI事故にも通じる「誰が責任を取るのか」という深い法的テーマを徹底解説します。


下記のnoteでも深堀り解説の記事を書いていますので合わせてご参照ください。

https://note.com/prospire/n/n1f19e853b6be


■お便りフォーム

https://prospire-law.notion.site/2f023c21bcd58017a664f65bcf615325?pvs=105

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■参考

・E.P. Evans(1906),『The Criminal Prosecution and Capital Punishment of Animals』,William Heinemann

 https://archive.org/details/cu31924021236017

・エヴァンズ(1995),『殺人罪で死刑になった豚―動物裁判にみる中世史』,青弓社

 https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787220080/

・池上俊一(1990),『動物裁判―西欧中世・正義のコスモス』(講談社現代新書),講談社

 https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000148844

・中村生雄(2001),『祭祀と供犠―日本人の自然観・動物観』,法藏館

 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784831826350

・Paul Schiff Berman(1994),「Rats, Pigs, and Statues on Trial」,『New York University Law Review』69巻288頁

 https://scholarship.law.gwu.edu/faculty_publications/284/

・Katie Sykes(2011),「Human Drama, Animal Trials」,『Animal Law』17巻273頁

 https://www.animallaw.info/sites/default/files/lralvol17_2_273.pdf

・Gabriel Audisio(2022),『Massacre en Provence: Le Parlement et les vaudois 1540-1545』,Classiques Garnier

 https://classiques-garnier.com/

・『Deodands Act 1846』(英国・デオダンド廃止法)

 https://en.wikipedia.org/wiki/Deodands_Act_1846

・パウサニアス『ギリシア案内記』6.11(テアゲネスの彫像)/『出エジプト記』21章28-29節


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■目次

子豚6匹、証拠不十分

動物裁判とは何か

証拠のかたい事件簿

伝説の外縁

ネズミ弁護人の真実

実は3000年やっている

なぜ裁いたのか

日本は裁かず祀った

AIと私たち


■プロフィール

【弁護士 光股 知裕(みつまた ちひろ)】

・X / @CMitsumata

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・プロスパイア法律事務所(東京弁護士会)

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【インターン 吉田(よしだ)】

・プロスパイア法律事務所のインターン生

・法律勉強中

・割と動物は好き


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#動物裁判 #中世ヨーロッパ #AI #責任問題 #法律 #弁護士

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サマリー

15世紀フランスで、5歳の男児を殺害したとして雌豚と小豚6匹が起訴され、小豚は証拠不十分で返還、母豚は死刑となった記録が紹介されます。動物裁判は12~18世紀のヨーロッパで行われ、家畜は世俗裁判所、ネズミや虫は教会裁判所で扱われるなど、動物の種類に応じた手続きも存在しました。ファレイズの豚、ブドウ畑を荒らしたゾウムシ、ネズミを弁護したシャスネ、共犯とされたロバなどの事例から、記録の確かさや、動物の意思・責任をどう認定したかが検討されます。さらに古代アテナイのテアゲネス像や、事故に使われた物を神に捧げるデオダンド制度にも触れ、動物や物に責任を負わせる発想が長く続いたことが示されます。日本では動物や道具を裁く代わりに供養によって気持ちを整理してきたと説明され、針供養やパソコン供養が例に挙げられます。最後に、AIが事故を起こした際にAIを責めたりサービスを解約したりする行為を動物裁判と比較し、AI利用時の責任主体をどう定めるかが現代の課題として提示されます。

豚が被告人になった裁判
フランスのとある村で、殺人事件の裁判がありました。
罪状は、5歳の男の子の殺害。
共犯者とともに、公然と行われた精算な事件でした。
判決は死刑。死刑になったのは、1頭のメス豚。
それから、そのメス豚とともに血まみれで発見された、共犯を疑われた小豚6匹。
この計7頭が、被告人として起訴されたというような事案です。
- それって、物語のお話ですか?フィクションですか?
- これは、1457年1月10日、ブルゴーニュ地方のサビニーという村で、実際にあった裁判のお話です。
- 実際にこれがあったんですか?
- 15世紀フランスのお話です。
詳しい事案というか、中身のお話に関しては、後でちょっと解説をしようと思うんですけど、
一旦、この裁判、どういう結末を迎えたか、というお話を先にしていこうと思います。
共犯の疑いをかけられた6匹の小豚。
この小豚に関しては、証拠不十分という形で飼い主に返還されました。
- ちゃんと、裁判手続きを行われてそうですね。
- 実際に犯行に加担した、というような積極的な証拠が足りていなかったということで、
やっていなかったということまでは分からないんだけれども、
ただ血まみれでいたというような状況証拠しかないので、証拠不十分ということになったと。
- ちゃんと、疑わしきは被告人の利益にっていうのは、そういう理念のもとを行われたんですね。
- そうなんです。さらにその小豚、幼さであったりとか、母豚の悪影響も考慮されて、
証拠不十分ということなので、上場借料ではないんですけれども、
そういうことを総合的に考慮した結果、今回は処罰することができないというような判決になったという記録があります。
- 頭がこんどらがってきますね。
- なので、このような疑わしきは被告人の利益にというお話であったりとか、
積極的な証拠はどういうものがあって、状況証拠は何があるのかというようなお話。
それから小豚、子供というところがどれだけ影響を受けるのかというような上場面のお話。
それから先ほども言ったように、証拠不十分で返還というお話だったんですけれども、
追加証拠が出たら再出頭というような条件付きの釈放だったようです。
いわば保証付きの補釈みたいな形だったというようなところ。
さらに当然、ただ借り主に返還という形なので、逃がされたわけではなくて、
身元引き受け人がいて初めて引き渡される。
- 確かに、そうですね。
身元引き受け人ですね。これからの公正の道を見守ってくれる人なんですかね。
- そうそう、きちんと管理するというようなところ。
やはり血まみれで見つかっているので、かなりの確率で犯行に関与していた可能性自体は高いなというようなことなんだと思います。
つまり、ブタでありながら現代の刑事司法のフルセットを体験するというようなことをしているわけで、
ここまで全部が現像する裁判記録に残っているというようなところ。
15世紀、フランスという形で、いわゆる中世ヨーロッパというような時と場所ではあるんですけど、
やっぱり中世ヨーロッパって変だよねというようなお話なのかというと、
実はそんなことはないというか、実はそれだけで済む話じゃないのかもしれないというところ。
今回はこのような動物を被告人とする裁判のお話、このお話だけが特別なわけではなくて、
大量にそういう事例があるので、今回そういうお話をしていこうかなというふうに思います。
気になります。
皆さんこんにちは。隣の弁護士放送局、弁護士の三又と、
インターンの吉田です。よろしくお願いします。
この番組は、法律や弁護士の業務のリアルを隣の席で聞いているような距離感で雑談形式でお届けするビデオポッドキャストとなっております。
中世ヨーロッパの動物裁判制度
さて、今回のテーマは中西ヨーロッパの動物裁判というところで、
以前、ウサギが裁判の原告になるというような事例に関してお話をしたので、
その中でも少し触れてはいるんですけど、逆側。
動物が被告または被告人になるお話というようなところを取り扱っていきたいと思います。
アワミの黒ウサギ事件ですよね。
アワミの黒ウサギ事件では、環境保護団体と一緒にウサギがその地域の環境を守るというところで、
被害を受ける被害者として原告側、訴える側として裁判を行ったというような事例で、
そこで紹介したのは、環境を守る系の裁判ではそういった手法というのがよく行われていますというような話をしたんですけど、
今回はそういう話ではなくて、被害者側ではなくて、いわば加害者側として、
被害者、加害者というのが裁判になると、原告、被告がオフェンス、ディフェンスが逆になるのでちょっとややこしいんですけど、
加害者側として被告または被告人という立場になるような裁判というもののお話です。
原告はなんとなく納得というか理解はできるんですけど、
被告になるってその動物を訴えた人がいるということですもんね。
多分どっちも意味わかんないけど、原告の説明を聞いた後だと、
まだ理解できるんですけど、どういうことなのかちょっと気になります。
自然な発想で言えば、動物が訴える手続きをするというよりは、
動物を相手として裁判をするという方がまだわかるのかなという。
裁判所が受け入れるかどうかというと、そういうことをするということ自体はまだ意味わかるのかなという気はするけど、
どうなんでしょうという話ですよね。
変な人がそういうことをしたという話ではなくて、一般に行われていたというのはどういうことなのかということです。
一応資料によると、12世紀から18世紀のヨーロッパ、まさに中世ヨーロッパですね。
動物を正式な裁判にかける手続きというものが普通に存在していたというところ。
そうなんですね。
ピークになったのは15世紀から17世紀で、世界史的な話で言えばルネサンスの頃から科学革命になるようなその辺りの話です。
華やかな時代というか、ということですよね。
世界史の復習的な話で言うと、いわゆる人間中心主義みたいな話が美術的なものだったりとか、いろんなところに現れてきた時期だったかなという感じです。
資料にした動物裁判に関して有名な書籍、EP Evansという人が書いた書籍があるんですけど、この書籍の中には200件近くの動物裁判の事例が記載されていたというものです。
その中には面白いものをピックアップしてお話ししようかなと思っているんですけど、報道でお話したお話もそのうちの一つです。
そんなに記録として残っているのがすごいですよね。200件も。
ちょっとこれは怪しいところがあって、その話も後でしようかなと思っているんですけどね。
被告人、衛星に考えてみれば被告人っておかしいのか、いいんじゃないのか。
確かに。被告動物ですか。
手続き的には被告人だから被告人って言うしかないけど。
被告人になったラインナップとしては圧倒的に豚が多かったみたいなんですけど、豚、牛、馬、ネズミ、モグラ、イナゴ、ヒル、そういうものが被告人になっていたみたいですね。
豚が多いんですね。
基本的には刑事事件の加害者で、私たちがイメージする豚とはちょっと違うんですよ。豚って品種改良で食べやすくなっているじゃないですか。
いろんなところが脂身がついたりとか。
ごめんなさい、これは本に書いてあったわけじゃなくて、想像で喋ってるんですけど、品種改良で育っていったっていうことは、昔はそうじゃなかったっていうわけで。
たぶんね、もっと猪に近い。
凶暴な。
じゃないかなっていう気はします。わかんないけど。
確かに、この時代ならそんな気がしますね。
豚って言ったことも言ってるけど、種類的には私たちがイメージする豚じゃないんじゃないかなっていう。
っていう風になったら、結構危ない動物というか、野犬とかのイメージに近いのかもしれないですね。私たちの生きづけで言うと。
襲われちゃう。
そうそう、襲う系の。冒頭の話も血まみれで豚があっていう話って、どういうことっていう感じですけど。
どういうことって思いました?
豚に噛みつかれるとかのイメージはないかなと思うんですけど、そう考えるとそういうことなのかなっていう気がしますよね。
今の多様なラインナップの観点で言うと、種類っていう言い方をするのは非常に問題があるけど、
人間の場合にも毎回同じ人が被告人になるわけじゃなくて、例えば宗教上の観点で何らかの配慮が必要だったりとか。
単純な話として言葉がわからない外国人の人とか。裁判で全く同じように手続きを進めると問題がある場面ってあるわけじゃないですか。
宗教の話は何かありそうだなって喋ってるんでちょっとわかんないですけど、例えば言葉に関してはわかりやすいですよね。
日本語で同じように先生をさせるとかでいいのかっていうと、そうじゃなくてちゃんと翻訳してあげなきゃいけないとか。
みたいなことがあるわけだと思うんですけど、それから少年に関しては少年法で手続きが違ったりするわけで、人がどういう人か。
さっきも言ったように人間の種類っていうのはまだちょっと意味がありますけど、どういう人かによって多少の手続きのカスタマイズっていうものが実際問題として必要なわけですけど。
っていう中で動物って一袋にしてますけど、豚とヒルとか虫とかイナゴとかネズミとかっていうものが全部同じ手続きでいいのかっていうと、なんかどうなのっていう話がありますよね。
まあまあ確かに。
真面目に考えるのがわかりやすいですけど。
言葉は通じないっていうのは同じですもんね。
例えばモグラが今ありましたけど、モグラって目見えないのではとかね。
確かにそうですね。
だから何言っておいたらそうなんですけど、文字読めないじゃんとあれがそうなんですけど。
でも動物の特性の文字ってなんかいろいろやらなくていいのみたいな、そういう話があったりとか。
確かに虫とかと保留類はやっぱりちょっと違う感じは感じますよね。
感じはするよね、少なくともね。
実はこれ管轄の分担があったらしいです。
そうなんですね。
捕まえられる動物なのか捕まえられない動物なのか。
例えば牛とか豚みたいな、いわゆる家畜類の動物に関しては世俗裁判所というふうに訳されてたんですけど。
世俗裁判所で刑事裁判を普通に行って、最終的に死刑になることもあると。
冒頭の豚も死刑というような判決が出たという話をしたんですけど。
母豚に関しては。
捕まえられない動物、ネズミの群れとか、虫とかに関しては協会裁判所という、まさに中世ヨーロッパって感じがしますけど。
世俗裁判所ではなくて協会裁判所で、協会の方で裁くと。
身柄が取れないので制裁に関しては破門をする。
動物に対して破門をするんですね。
なのでめちゃめちゃ重い罪で。
その事態はそうですね。
死刑より重いんじゃない?破門だったら。
確かに。
亡くなった後に天国に行けないとか、あんま詳しくないけど。
死刑より重い罪なんだと思うけど。
さっきネズミの群れって言ったのは、何でかって言うと、群れだから特定の個人じゃないので死刑とかにしようがないじゃないですか。
確かにそうですね。
なんだけど破門であればできるんですよ。
もっとふわっと、この辺は破門っていうのが。
この辺にいるネズミの群れは破門だよっていうことですかね。
特定するにしても、これに該当する人は破門っていう風に言えて、一人一人を名指ししなくてもできるじゃないですか。
確かに。
これも想像で喋ってますけど。
殺虫剤巻くとかでもないですね。
世俗裁判所って世俗っていう言葉はそんなに馴染みないから何かって感じしますけど、要は現実社会みたいな話ですよね。
捕まえられる動物に関しては普通の社会の中で裁くと。
捕まえられない動物に関しては教会なので宗教上の裁きをするっていうような区分で分担をしていたっていうようなお話がそうですね。
そもそもそこの地域にいる動物はみんなその教会の宗教に入信しているというか、信者だっていう前提のもとの話が進んでるんですね。
ここ私も気になったんだけどよくわかんないんだよね。
一口にキリスト教といってもいろいろあるじゃないですか。
今からすると。
これを真面目に勉強すればよかったのかもしれないんですけど。
洗礼を受ける受けないとかそういう話。何を持って入信するのかとかがあんまりよくわかんなくて。
言ったら反文を忘れたってことなので、何らかの範囲内ではあるんじゃないですか。
旧約聖書とかからするとすべての動物はノアの箱舟に乗って津貝で乗ってみたいな話だから、無関係ではないんじゃないですか。
じゃあそもそも信者だっていうことになってそうですね。この感じだと。
もしくは信者っていうのとキリスト教の反文をするしないとかの話の範囲が違うとかかもしれないですけど。
人間で言えば信者信者じゃないとかそういう話で。
なんか哲学みたいな話になってきますね。難しすぎて。
全然わかんないけどそうなのかなっていう気は。
ここまでの話って、今よくわかんないって言いながらここで喋っちゃっているように信用できない記録も結構いっぱいあるんですよ。
動物裁判とかでそれこそググってみるとそこそこ出てくるんですよ。何件か。
いっぱい出る気はしないんですけど。
Wikipediaのページとかももちろんあるし、YouTubeでも何件か動画が出てきたりするんですけど。
みたいなことが当然ここ数年で行われているという話ではなくて、この500年600年の間にずっと行われてきた話なので。
嘘も当然入ってるんですよ。嘘というか不正確な話とか。
何が本当なのかっていうお話とかもこれからお話をしていこうかなと思うんですけど。
まず文書による記録がしっかり残っている事件の話からしていこうかなと思います。
当然その裁判という話なので残っているものもあります。
ただ当然現代の裁判ではないので残ってないものもあるんですけど、残っているものの話からしようと思うんですけど。
豚・ゾウムシ・ロバの裁判記録
まず1件目。ファレイズのメス豚っていうような一般的に言われている事件です。
冒頭の豚の事件とはまた違う豚の事件なんですけど。
これは内容としては単純に3歳ほどのメス豚がユリカゴにいた生後3ヶ月ほどの子供。
人間の子供です。人間の子供の顔を食べて死なせたというような事件になっていて。
この辺りから当時の豚っていうのが何となく今と違うのかなという気はしますよね。
今普通に生きている豚を子供と一緒に置いておいたとしても食べられちゃうとは思わないですもんね。
なめたりとかするかもしれないけどっていう気はするけど。
そういう事件で裁判が行われて実際にそういうことが行われたであろうということが分かりました。
その結果死刑というような形でその死刑の方法が公主刑いわゆるという結末になって。
その公主刑を行った処刑人に対しての報酬を支払った受領書が残っていると。
じゃあもう執行されたってことも記録として残ってるってことですね。
そうです。おままこととして裁判が行われただけじゃなくて実際に死刑執行までされた公主刑でということです。
手待ち縁として十数、十二重。ちょっと単位が分かんないですけど。
昔の単位なんですね。
それから実費として執行時の新しい手袋代として十数。
手袋代ぐらいと手袋代相当額の手待ち縁みたいなそういう話なのか。
そうなんですね。
ただ支払われた記録とその受領書が残っているということみたいですね。
手袋って執行人が持っているものを使ってやるんですね。支給されてやるんじゃなくて。
確かに。現代だったら手袋代が渡されるっていうよりはこれを使ってくださいっていう形で用意してくれそうな気がするけど。
面白いですね。その執行の当時の感じというか。
中世ヨーロッパの異端新聞館とか出てくるような漫画とかアニメとかドラマとか、ドラマなんかないか、そういうものとかをイメージすると、処刑人って雇われてる人じゃないですよね。
確かに。
いわゆる執行するような機関、裁判所とか、何らかの機関に雇われている勤務してる人じゃなくて、処刑人っていう家系だったりとか専門の人ですよね。
すごい帽子被って、フード被って、黒机みたいなイメージですけど勝手に。
異端新聞館とかを考えると、自分で用意しそうな気がしますよね。
確かに、そうですね。
雇われだったら会社の方で用意する感じするけど、どうでもいい話ではあるけど。
委託されてる感じがしますね。
そう、外部の業務委託の人みたいな、フリーランスでやってそうですよね。
それ考えたら、確かに手袋代、実費を払ってもらうみたいな、そういう話なのかもしれないですね。
当時の判決っていうのは、同害報復。つまり目には目を、歯には歯を。
全く同じ害を与えるっていう方法だったので、今回のメス豚は生後3ヶ月の子供の顔を食べたというような話。
なので、死刑の方法も単に公主刑をするだけではなくて、頭部と前足を引き裂いてから公主という形で、やられたことをやり返すっていうような形でやったみたいです。
これも人に対して行われてるのを、動物に対しても適用したっていうことなんですね。
ということなんだと思いますね。動物だからより残虐にしたとかそういう話ではなくて、人間と同じようにしたみたいです。
この時に、ここからがちょっと記録に残ってない話なんですけど、参考にした書籍によるとっていうレベルの話として、
処刑の時に人間の服を着せられて、鼻を切られてみたいな形で、後ろ足に半ズボンが着せられてみたいな、そういう形でやったみたいですね。
そうなんですね。
完全に人間と同じ扱いにした上で、人間と同じように処罰をするというような処理がされたみたいです。
どうしてそうしようと思ったんですけど。
あえて人間扱いっていうものをすごく強くしたっていうことなんでしょうね。
その様子っていうのは、なんで人間の服を着せて、後ろ足に半ズボンでっていう話が出てくるかっていうと、これが町の教会の壁画として書かれたみたいなんですよ。
こういうことをしたっていうのは。これ記録としてじゃなくて、たぶん壁画なんで、風刺画に近いような話なんですけど。
っていうのが書かれたみたいです。
これがじゃあなんでさっき説明したときに記録に残ってないっていう話をしたのかっていうと、この壁画がもう消されちゃってるんですよね。
そうなんですね。
なんで消されたかっていうのは、私が見た複数の書籍の中でも違うこと書いてあったんで、たぶんよくわかってないってことなんじゃないかなって思うんですけど。
壁画として書いたっていう話までは出てくるんですけど、実際の壁画は消されてるし、よくわからないっていうような話として、そんなことがあったということです。
2つ目の事例が、ゾウムシの裁判です。
ゾウムシ。
ゾウムシ知らないですよね。
ゾウムシ知らないですね。
私も知らなくて調べたんだけど、なんか普通にいる虫っぽいんですよね。
甲虫類の虫。甲虫なんでカブトムシとかに近いような形で、写真を見た限りはカブトムシっぽいなとは私は思わなかったけど、もうちょっとゴキブリみたいな。
ちょっと嫌ですね。
今の日本にも普通にいる虫みたいですよ。
そうなんですね。
でも私も知らなかったです。少なくともそういう虫がいて、ブドウ畑を荒らすゾウムシに対して村が正式に訴訟をしたというようなものです。
これは当時の裁判記録というものがいまだに公文書館に現存しているというものみたいですね。
すごいですね。見ようと思えば見れるというか。
ことみたいですよ。
すごい。
さすがに私は原資料は見てないですけど、見ることはできるみたいですね。
審議は大体8ヶ月くらい。
しっかりちゃんと。
少なくとも日本の民事裁判と同じくらいの感じ。
途中で村側がゾウムシに対して和解案を提案して、ブドウ畑を荒らすというのは元々の話だったので、大定置を提供するのでそちらに行ってくださいというような和解案を提案しました。
ゾウムシ側の代理人弁護士の回答としては、提供地は不毛な土地で、依頼人であるゾウムシの生活に適さないということで和解を拒否するというようなことをしました。
代理人もいたんですね。
公選弁護人です。国が選任してるわけじゃないから国選じゃないかもしれないけど、いわゆる公選弁護人が立った上で、そういった形で和解を拒否すると。
対立している当事者がいてみたいな構図はあるんですね。
あるみたいですね。
これどうなんですかね。大定置を提供するので出て行ってくれっていうのに対して、提供地が不毛で依頼人の生活に適さないっていう形で和解を拒否する。
これは戦略として正しいのかっていう。
そんないる権利はあるのかっていうところから気になりますけど、ゾウムシ側の。
そこもそうなんですけど、そこの法律の話は一旦置いておいていいですかね。
でもこれ大真面目に、この件じゃないんですけど、ムシ側、さっきも稲子とか言いましたけど、ムシが畑を荒らす系の裁判っていうのは他にもいっぱいあったみたいで。
そこの裁判の中で出された手法の一つとしては、もともと人間の土地っていうのは人間側が言ってるだけであって、それより前からゾウムシ側がついていたんだから、そもそもいる権利があるんだっていうような主張とかは普通に出されてたみたいですね。
この辺も大真面目にやってるんですよね。
実際、人間の裁判でもそうじゃないですか。出て行けっていうような権利を持ってるか出て行けっていう裁判に対してのメジャーな反論の一つとしては専有権限を持っていると。
この家は確かにあなたのものかもしれないんだけど、今私がここに住んでいる権利があるんだっていうような公弁を出すというのがメジャーな対応なので。
もしくは、所有権というものは元をたどればないんだという話かもしれないけど、普通にある反論ではありますよね。
でも少なくともこのゾウムシに関してはそこが争われていた状態だと思うので、少なくとも。
反論ができていてゾウムシには違法性がないというふうになったわけではなく、争われた中での和解案という形なので、和解案をやれたときにその和解案で満足するのであれば飲むのが通常じゃないですか。
ただ今回無視なので、当然だから依頼人に聞いた上でそれでいいですよって言うかどうかわからないので、弁護士が決めなきゃいけないわけですよ。
これいろんな考え方ありますけど、普通の裁判でも弁護士がどれくらい意見するのか。和解案は完全に満足の問題だから依頼者に完全に任せるっていう弁護士も多分いると思いますし。
もしくは弁護士がこうした方がいいよっていうのを依頼者に対して、悪い言い方すれば押し付けるに近い形で説得する弁護士もいると思うし。
いろいろあると思うんですけど、少なくともこのゾウムシに関しては、そんなこと言っても裁判は何でって話ですけど、意思を持たないわけなので。
この和解案を飲むかどうかっていうのは結構難しい判断にはなると思うんですよね。自分で考えなきゃいけない。
大体値を提供するっていうのは悪くないようにも思えるけど、どうなんだろう。
そうですね。落としどころというか、落としてはいいような気がしますけどね。
これはどうします?吉田さんだったら。和解を飲みます?
でも飲むじゃないですかね。
大体値を提供すれば波紋は許してあげますみたいなことだと思うんですけど、虫だから。
そうですね。教会裁判ですもんね。きっと。
大真面目にやってるんですもんね。
でもそうですね。一旦は飲んでみてもいいんじゃないかなとは思いますけど。
悩ましいですけどね。これは私だったら飲まないかな。
そうですか。
結局これってゾウムシが守れないでしょう。
大体値を提供するっていうのは、大体値に行ってくれれば波紋をしないみたいな和解で、和解を切るって結構悪質じゃないですか。和解した上でそれを破るっていうのは結構悪質じゃないですか。
なので、大体値を用意してそれでいいって言ったにも関わらず大体値に移動しなかったっていう風になって、後で本当に波紋の中にレベルがあるのかどうか知らないですけど、
より悪いあれを行くのであれば、この和解を拒否した方が良くて。
ただその拒否の仕方として、大体値を守れないから和解はしないっていうのも悪印象だから。
何かケチつけた方がいいなってなった時に、大体値は不毛な土地だから。
っていうのは割と上手い返しなのかなっていう。
そうなんですね。じゃあできる、このゾウムシ側の弁護人はできる弁護士だったんですかね。
な気がしますよね。
もちろんこれアドリブで考えてるのか、セオリーなのかはわかんないですけど、動物裁判のセオリーみたいなものももしかしたらあるかもしれないので、確かにこれは飲むべきじゃないのかなっていう気はしますよね。
今の感覚で言うと、もし私がこのゾウムシの後線弁護人になったら。
すごい、そうですね。ちゃんとしてるんですね。ゾウムシって言うと引っ張られすぎてちょっと。
次のお話が、これは具体的なこの事例っていう話じゃないんですけど、豚の群れが基本的には有罪らしい状況ではあったんですけど、ただこれが君主の御社によって無罪方面という形になった。
要は事実認定として無罪になったわけじゃなくて御社で無罪になったというような事例があって、これって何でかわかります?御社。
この御社っていうのはちなみに他に見れたいことがあったわけじゃなくて、完全にこの豚の群れに対して個別の事案で、要は本当に勘弁してあげるに近いような御社だったんですけど。
なんでですかね。なんかその豚の繁殖能力がすごくて、家畜として有用だから命は守ってあげようみたいなことなんですかね。利用できるから。
殺すのがもったいないみたいな。でも近い話ではあって、家畜だからいずれっていう話ではある。
でもまさにそうで、処刑された動物っていうのは不条のものっていうような扱いになって、要は結局家畜は食べるわけだから、殺した上で料理をしてとかそういう話なんだけど、公式営になって死刑にしたものっていうのは同じように食べるわけじゃなくて、
罪人と同じように扱うわけなんですよ。食べられなくなると。豚の群れなので、全部食べられなくなると結構な損失なんですよね。
確かにそうですね。
保存してしまうということで、当時のタイミングとしてあんまり食糧的に。結構厳しいタイミングでこういうことが起きたので、さすがにこれは御者を与えるしかないというような形で無罪にした上で家畜として処理をしたというようなことがあったみたいですね。
頑張っていろいろ裁判手続き踏んだのに、結局は食べられなくなるからっていう理由で許されちゃってる。
だから当時の人たちは豚のことを人間だと思っていたって話ではないんですよ。根本的にそういうわけではなくて、こういうこともしていたってことみたいですね。
次のお話なんですけど、これはバンブルのロバっていうような事例なんですけど、人間の男と共犯者としてのロバがセットで裁判になったと。
セットで裁判になった結果、男は死刑、ロバは無罪っていうような結末になりました。
この事件何なのかっていうと、被害者は他にはいないです。登場人物は人間の男とロバだけなんですけど、まず一つ目考えてほしいこととして、これって何の罪だろうっていう話なんですけど、何でしょう。
ちょっと考えてみてください。被害者なし、人間の男とロバの二人がセットで裁かれた。その結末がそれぞれずれている。
そうですね。男が薬物とか、この時代禁じられてたかわかんないですけど、ロバに乗って運んだとか。
密売的な。密売じゃないか。密輸か。
なら、ロバは道具として使われただけ。だから、男だけが罪を負うみたいなことになるのかなと思いました。
やっぱり被害者がいないって言うと、それが真っ先に出てきますよね。
そうですね。薬物事件がイメージありますね。
実はこの事件っていうのは、当時の価値観っていうものが強くあるものなんですけど、実はこれそういう話ではなくて、罪名は獣寒の罪。
獣寒。
それ自体が消し絡むということで犯罪になるというものです。
2つ目の話なんですけど、男は死刑。これは死刑らしいです、当時の話。ロバが無罪になったのはなぜでしょうと。
被害者というか、人間に置き換えてみても、そういうことを獣とすること自体が犯罪になってるってことですね、この時代は。
寒の字がね、どうしても豪寒を想定するからだけど、内容は別に交尾をしたってだけなので。
進んでやるわけないよなっていうことですかね、ロバが。
ロバが進んでやるわけないよなの価値観が強すぎて、当然そこに行ったんですけど、要はそうです。
要は傍観された被害者であって、自らの自由意志によって獣寒をしたわけではない。
そりゃそうですよね。
っていう認定になりました。
それはそうって言いますけど、ただそんなこと言ったら全てがそうなわけじゃないですか。
全てがそう。
豚が殺そうと思って人間の子供を食べるわけはないとか。
確かに。
これもちゃんと認定されてるんですよ。
ロバだからじゃなくて、この事件においてこのロバは自らの自由意志でそういうことをしたわけではないという認定がされたんです。
でもそれってどうやってっていうお話ですよね。
確かに。
これって実は人間の裁判でもよくありますよね。
不倫とかの時に自ら進んで不倫をしたわけじゃなくて、襲われた被害者なんだ、傍観の被害者なんだみたいなことが反論として出てくるっていうのは結構ある話ではあるんですよ。
不倫が犯罪じゃないわけ、刑事事件ではないですけど、結構ある話ではあるんですよ。
それの証明ってどうやってやるのかっていうと、人間の場合には多分いろんな痕跡が残っているので、その感性事実から認定をするわけなんですけど、このロバはどうやって認定をしたのかということなんです。
確かに。
その時の様子を周りで見てる人がいたんだったら、こんなに暴れて嫌がってたじゃないかとかいろいろあると思うんですけど、さっきの人間の話と違ってそれまでのLINEのやり取りとか残っているわけじゃないですか。
そうですね。
これじゃあどうやってロバは自らの自由意志じゃなくて襲われたんだっていうことを証明したのかっていうこと。
これどうでしょう。
もしロバが虚勢手術とかをしてたなら、そういうことにならないっていうような間接事実というか、出てくるのかなと思ったんですけど。
後尾自体はしてるんですよ。そこは認定されてるから、男は死刑になっているから、物理的に不可能だっていう判断ですよね。
はい、そうです。
後尾自体はしていて、後は意志の問題なので、ロバの内心というか、ロバの意志をどうやって証明するのかっていう。
どうしようもないですよね。どうしたんですか。
これは村の司祭とそれから主要な住民がロバの性格っていうものを証言をしたっていうこと。
このロバはいつもすごいいいロバで。
そんなのが、それで認定されたってことですよね。
司祭なので。司祭は司祭に祭りの司祭。すごく信頼されてる人なんじゃないですか、位が高い。
その人が当該ロバを4年外知っているが、家の内外で常に貧困法制であって、誰にも修文を与えたことがなく、言動及び生活習慣のすべてにおいて最も生理図な生き物であると証言する用意があると。
でも4年来なんですね。
でもロバだからね。ロバの4年ってほぼほぼ生まれてから全部知ってるぐらいの感じなんじゃないですか、たぶん。
確かに。
だいたい、ロバがわかんないけど、馬とロバってだいたい同じような感じだよね、たぶんね。
馬の場合、競馬で走ってる馬とかはだいたい3歳、4歳ぐらい。5歳とかになるとちょっともう引退かなみたいな感じなんで。
ああ、じゃあ結構大人になるまで知ってるよっていうことではあるんですね。
結構だから長い期間知ってるっていう話ではある。
今言ったようなお話、その生理図な生き物であると証言する用意があるみたいなことをきちんと署名をして、性格証明書っていうものを発行したみたいなことをしたみたいですね。
これによって、そんなにいいロバなんだから、まさかそんな重感なんていうはしたないことをするわけがないというような間接事実の積み重ねによって、結果的に、であればこの男に襲われた被害者であるに違いないというような認定がされて、自由意思によるものではないので無罪というようになったということなんですよ。
事実認定の過程も、これが許されるのかっていうと、いわゆる悪性格立証みたいな、性格で言えるのが良くないとされてますけど、一つの立証方法としては筋が通ってるようなやり方をしてるわけなんですよね。
ロバだからみたいなことではなくて、がっつり人間と同じようにというか。
裁判手続きらすきものの結果、人間は死罪、ロバは無罪というような結論が分かれることになったというようなものですね。
このあたりが証拠があって、実際に行われたことが分かっているものです。
性格証明書とか、裁判の記録であったりとか、手袋代の領収書であったりとか、そういうものが残ってるというものなんですけど、どこまでが本当なのかっていうところで言うと、
さっきちょっと軽くだけ言った、EP Evansっていう動物裁判の部屋において主要な書籍を出している作者の本っていうものが、どうやら怪しいぞっていうお話が結構言われているみたいで、
200件近くあるっていうお話をした事例の中では、ほとんどのものが誠引きで出典が不明瞭ということみたいです。
ただその一方で、こんなことなかったんだっていう矛盾する反対主義をみたいなものも特にないっていうところで、もしかしたら本当にあったっぽいんだけども、論文みたいにちゃんとしてるものじゃないよねっていうような批判があるみたいな話が出てきました。
ちょっとよく分かんないっていうことです。
固いところで言うと、さっき言った訴訟記録であったりとか、処刑人の授与書とか、そういうものに関しては固いのかなっていうところなんですけど、処刑の時の豚に服を着せたっていうような絵が残ってないみたいな話だったりとか、みたいなところはちょっと怪しいかなっていうようなところ。
ゾウムシの裁判に関しては、裁判の記録が残ってるという話をしたじゃないですか。記録が残ってるからこそ和解の交渉の過程であったりとか、そういうものも細かく残ってるというところではあるんですけど、実はこれ最終的にどういう判決になったかっていうのが不明なんですよ。
和解は審議したから判決になったはずなんですけど、その判決がどうなったかっていうのは実は不明。その部分に関しては虫に食われて亡くなっているみたいです。
なんか上手いこと言ったみたいな感じになりますけど。
落語みたいな話なんですけど。その部分が虫に食われて今では確認できません。
面白い。そうなんですね。
そんな話がありました。
絶対日本だったら落語になってますね。
それがこのエヴァンズの著書の中に出てくるちょっとまた面白い話として、イギリスの港町にナンパ船が流れてきたみたいで、その船の中に乗っていた猿もイギリスなのでフランス側から流れてきたわけなんですけど、フランスのスパイとして公主権にしたという話が出てきて。
それもちょっと面白いんですけど、これはほぼ確実に嘘だったというようなことについての本がありましたね。他の本で。
なんでそんな公主権にしようと思ったんですかね。すごいですね。
要はわかんないですね。それはね。
これは嘘なんですね。
嘘みたいで。
これがハートルプールという町の出来事みたいなんですけど、このハートルプールの猿というか猿の公主権の伝説みたいなものっていうのが、
その町の住民の昔話っていうのは面白い昔話みたいな形で、現代でも定着してるみたいで。
町のサッカークラブのマスコットみたいな。
そうなんですか。そのスパイとされた猿が。
これどんなのよ。
なってるみたいってところまでしか聞いてないから。
そうですね。
ハートルプールサッカー。
今調べたところだと特に猿が出てくるアイコンとかロゴとかがあるわけじゃなさそう。あるわけじゃなさそうというか出てこないんですけどね。
そうらしいですけどね。
AI要約だとマスコットキャラが猿のハンガス、ハンガーのから来てるんだと思うんですけど、首吊りのハンガー。
そういうことか。
そうそう。
なかなか残酷な。
猿だけじゃなく首吊りの方もあれなんですね。
確かに。
あるらしいけど、物は出てこないんですね。
マスコットってあれか。ロゴとかの話じゃなくて、着ぐるみで来るツバクロンみたいなことか。
どういうことになってるんですか。ちゃんとした猿なんですかね。
一応こんなん出てきましたけど。
すごい猿ですね。
首筋が明らかじゃなさすぎて。出すのはちょっとあれかなって思いますけど。
ツバクロンみたいなことですよね。
そうですね。
みたいな話もあります。これは盛り上がってるけど、実は違うんじゃないかっていうような話みたいですね。
盛り上がってるから、本当かどうかっていうのが確認されて、違うんじゃないかっていう話が見つかっただけで、多分他にも違う話がいっぱいあるんだろうな。
確かに。そうですね。審議不明なものがありそうです。
これが本当なのかっていう話に関しては、今だとっていう話じゃなくて、結構それこそ中世ヨーロッパの時代から、
嘘ではないんだろうけど、変なことしてるっていう自覚は当時の住民たちにもあったみたいで。
そうなんですね。安心しましたね。その時の人たちの関係が。
おかしいんだけども、宗教的なところの整合性からすると、こういうものもちゃんと裁判というか、やらなきゃいけないみたいな、そういうことだったんじゃないかなと。
ちょうどそういう時期なんですけど、宗教と現実の世界の真理みたいな物理とか。
だからやっぱりルレーサンス期なんで、まさにそうなんじゃないですか。
なんか分かんないけど。私もちょっと分かんない。
こういう時になると、世界史をもっとやってみたら、もうちょっと話が広がったかもって気がしますけど。
ルレーサンスってそういう話ですよね。神様っていうものが全てだったのが、人間をもう少し中心的に考えてみようっていうので、科学とかももう少し発展してみたいな。
みたいな話だから、まさにそうなんだと思うんですね。
これが何で分かるかっていうと、17世紀。ちょっと先の話ですけど、17世紀の劇作家であるラシーヌという人が、動物裁判のパロディ喜劇を書いてるみたいなんですよ。
犬が法廷で裁かれるっていう様を、犬がみたいな感じで面白おかしく喜劇にしているというのがあるみたいで。
そういうものがあるっていうことは、そもそもそれは面白いものだったんだろうなっていう。
そうじゃないと喜劇として成立しないのでなんだろうっていう話はあったみたいですね。
ただ一応制度自体は今17世紀って言いましたけど、もう少し長く続いてる。18世紀くらい長く続いていたので、続いていたということみたいですね。
ネズミ弁護人シャスネと手続保障
話を戻すと、どこまで本当かというお話の中で、動物裁判の中で一番有名な弁護士というのがいて、これがバルテルミード・シャスネという弁護士です。
このシャスネの記録っていうのは結構細かく残っているものがあって、有名なのがネズミの群れのお話です。
16世紀初頭にオオムギを食い荒らしたとしてネズミの群れの法戦弁護人として潜入されたと。
潜入されたシャスネはどういうことを言ったかというと、まず偉い忍者は公益に散財して居住しているので、一度の召喚では全員に争奪されていないと。
というふうに言って、争奪の手続きをやり直せというような申請をしました。
争奪の手続き、今は訴状を紙で送る、もしくは電子化されているので電子でという話ではあるんですけど、そういう方法ではもちろんないんですよ。
訴状は受け取られないので、争奪が失敗しますよね。
人間の裁判の場合には争奪は紙で受け取らなければいけなくて、受け取る方法でできない場合には不郵便争奪と言って郵便で送るとか、もしくはそれもできない場合には工事争奪と言って裁判所に張り出すみたいなことをするわけなんですけど、
これはどういうやり方をするかというと、普段いる場所である畑とかに行って読み上げるみたいですね、裁判所の職員が。
何十何分に行う、出頭するようにというのを読み上げるみたいなんですけど、
読み上げの場所が広域に散々して居住しているので、ネズミというのはずっとそこにいるわけじゃなくて、いろんなところを点々としているので、
一回犯行現場で呼び出すだけでは届いていない可能性があるということで、争奪の手続きの不利を指摘しているわけです。
なるほど。
これ結構事案に即したことだということですよね。虫とかではこれは通用しないんだけど、ネズミっていう性質上、争奪はされていない。
それでちゃんとまた争奪されたんですか?
そうです。これは郷区っていう地域の区分があるみたいなんですけど、郷区ごとの召還ややり直しをしていることができます。
いろんな場所で読み上げているんですね。
なるほど。
何月何日に大麦を食い荒らしたネズミの皆さんに言いますと、何月何日に裁判を行いますので出頭してくださいということを争奪する。
よくわかんないのが、弁護士がついてるんだよなとか、よくわかんないのがありますけどね。
シャスネに届いたら争奪完了扱いにはならないのかとかはちょっと思うんですけど、スカフトの召還ややり直しを求めた。
それでも当然ながら、やり直したところで来ないわけじゃないですか。
そうですね。
それに対して依頼人が出頭の意思はあるんだと。
しかしながら、依頼人の住処からこの法廷までの道中には猫が多数おり、生命の危険がある。
これを考えると安全が保障されない限り出頭に応じる義務はないというようなことを言います。
なるほど。
筋は通ってると言えば通ってますよね。
確かに。
身の危険があるんだみたいなので。
芸能人の裁判とかでこれに近い主張がされることはたまにありますよね。
そうなんですね。
安全に出頭できないみたいな。
同じようなことをやってたんですね。
例えば証人尋問とかで本人が来なきゃいけないという時とかで、芸能人とかで注目度が高くて、
かつ単純に注目されてるわけじゃなくて、注目されること自体が何か問題があるような、恥ずかしみを受けることになってしまうとか。
みたいな時には遮蔽措置といって、壁を壁で見えないようにしてとかやったりしますけど、みたいな要求に近いお話かもしれないですね。
こんな手を変え砂を変えでしっかり反論をして、公選弁護人としてもかなり活躍をしたということで有名なのがこのシャスミというような人なんですけど、
動物裁判の第一人者として当時から名を馳せていたので、書籍も残してるんですよ。
そうなんですね。
今でも刑事事件の専門家の人が刑事事件用の書籍を書いたりとか、弁護士が書いたりとか、
行政事件の専門の人は行政事件の書籍を書いたりとかするのと同じように動物裁判の書籍を出していて、
その中ではそもそもこの手続きっていうものは適法に行えるのかっていうような、
結局同じですよね、さっきの言っても争奪はされてないじゃないかとかと同じように、
動物なんだからさばいてもしょうがないかっていう視点というよりは、動物に対して人間用の手続きをしたところで、
これで権利が守られているのかみたいなことを大まじめに。
なるほど。ちゃんと動物側の利益を守ろうと、権利を守ろうとしてるんですね。
そこまでは言ってないけどという話としては、動物なんだから人間の言葉で言うんじゃダメなんじゃないかとか、
もしかしたら言うんじゃないかぐらいの話として。
真面目ですね。
どっちかというとそちら側の話として出版物を出しているらしいですね。
そうなんですね。
そういう話もしつつ、内容的には結構ちゃんとしたお話で、
例えば管轄として、世俗裁判所なのか教会裁判所なのか、境目とか。
豚とか牛とかに関しては世俗裁判所で、虫とかは教会裁判所とは言ったんですけど、
ネズミはとか結構微妙な部分ってあるじゃないですか。
そこの話だったりとか、被告人の特定の問題だったりとか、ネズミとは言うけどどの範囲のネズミなのかとかそういう話ですよね。
結構真面目な書籍としてそういうものを出してたりとかする。
なんですけど、このシャスネはずっと動物裁判の弁護人としてずっとやっていたわけではなくて、最終的には出世をしてプロバンス高等法院の長官になります。
裁判所長官みたいなことですよ。
すごい出世するんですね。すごいですね。
最終的には第一人者なんでやっぱり。
結局裁判所側に回ると。
1540年にシャスネが所属しているプロバンス高等法院からメランドールチョクレイっていうものが出ます。
動物裁判関係ない話なんですけど、このメランドールチョクレイっていうのは当時異端とされていたバルド派の人たち。
これよくわかんなくていいんですけど、異端とされていた宗教の信者の人たち。
人です。
に対してその村への集団死刑を命じるような判決。
やっぱり過激ですよね。
異端というのは問題があることなので、異端に対して集団死刑というものをしなさいということをシャスネが所属していた法廷から出された。
これに対して周囲からの批判。
そしては異端者だからといって、異端者には十分な防御の機会を与えていないじゃないかと。
ネズミに対してもあれほど強い権利保障をしていたのに関わらず、異端者に対してこれほど直例を出すっていうのはおかしいんじゃないかというような批判があった。
この話を受けてシャスネはこのメランドールチョクレイという集団死刑の判決を執行停止を国王に対して取り付けたわけで、実際にこの集団死刑というものはしなくていいわけじゃないのかもしれないですけど、一旦停止というような話になったみたいです。
なので元々は動物裁判というものをものすごく大まぜにやっていただけの話なんですけど、その若い頃に書いた動物裁判のマニュアルみたいなものが回り回って異端の集団死刑みたいなものを止めたというような仕事があったみたいですね。
結局動物裁判だけど人間の裁判にも還元されているというか、っていう関係度はあるんですね。
そうですね。異端という扱いが、今の私たちからするとちょっとあれなんですけど、要は人間扱いしないというような、人間扱いしないは言い過ぎなのかな。
でも同じようなことですよね。人間扱いしないに近いような手続きをしていたら、人間扱いしなくてもこれだけ手続保障があるはずだっていう話で。
セーフティネットみたいに働いたっていうことなんでしょうね。ただシャスネが引退した後にメランドールの虐殺は実行されたみたいですね、公認によって。
そうなんですね。
実行停止されただけなので、一時期そこは聞いていったというようなことがあったみたいですね。
動物裁判の歴史的な広がり
例えば旧約聖書の中には、牛が人をついて死なせたら、牛は石で打ち殺せ、その肉は食べてはならないっていうような一説が出てくるらしいです。
なので、この場合牛に対して石で打ち殺せというのは制裁を加えているわけなので、裁判はもちろんしていないですけど、牛に対して責任を取らせるということ。
それからその牛っていうものは不条のものという形で肉は食べてはいけないっていうことになるというところで、結論レベルで言うと同じことがもうすでに書いてある。
古代アテナイの時代には、動物、虫物、犯人不明の殺人というものを専門に裁く法廷があったみたいです。
そうなんですね。
虫物とか犯人不明の殺人を裁くってどういうことなのかっていうと、典型的な事件がテアゲネスの彫像と言われるようなものです。
彫像っていうのは彫った像のもの。
このテアゲネスの彫像のテアゲネスっていうのは実際にいた人なんですけど、古代アテナイの時代なんで、いわゆる古代オリンピックの常連のアスリートでテアゲネスっていうような選手がいたそうなんですけど、
ものすごく金メダルをたくさん取るようなものすごく強い選手。
特に古代オリンピックの時代って種目ごとの短距離走の選手とかいるわけじゃなくて、多分総合的にやるので総合アスリートみたいなことだと思うんですけど、
そのテアゲネスっていう人がものすごく強すぎて、ライバルが悔しがって、テアゲネスの像に対してムチ打ちをしていたということがあったみたいです。
多分自宅に持ってたとかそういう話じゃないと思うんですけど、広場とかにあるような彫像に対してしかりしみたいな形でムチ打ちをしていたということがあったみたいなんですけど、
そのムチ打ちをしていた陰気なライバルがある分、彫像が倒れたことによって圧死してしまうということがありました。ものすごく重いからね。
ということがあったときに、ムチ打ちをしていて倒れて死んでしまったライバルの息子だっていうのが彫像に対して殺人罪で訴えたということをしたみたいです。
で、その訴えたのを受けて人々は法に従って彫像を海に沈めた。
そうなんですか。
というようなことがありました。このような裁判を行うというのは無私物を専門に扱う裁判、法廷ということみたいなんですよね。
まあなんか責任を取らせたって意味でもそうですし、危ないから捨てたっていうのもそうなのかもしれない。
確かに。そうですね。ムチ打ちくらいで倒れちゃうくらいの感じだったってことですもんね。
もちろん危ないから撤去という意味ではなくて、あくまでも判決としては海に沈めるっていうような責任を取らせる形ではあるんだけども、
ただ機能としては危ないものを排除するっていうような機能が少なかったんじゃないかなと思う。
成人のライバルがムチ打ちにくるくらい、亡くなってすぐに彫像にされるって本当にすごい選手だったんですね。
だからあれじゃないですか。この時の古代アテナイの価値観が、オリンピックに出るアスリートとかっていうのはそこで勝てないと意味ないみたいな感じがあるんじゃないですか、おそらく。
それが人生の全てみたいな価値観があるんじゃないかなっていう気はしますけどね。
だからなんじゃないかなって。何も知らないけど。テルマエロマエの地震とか。
この後どうなったかっていう話なんですけど、後日館としてこの村というかポリスが危機にあって、神託として追放者を受け入れようっていうような神託があったらしいです。
この時点で怪しいんですけど、神託があったらしい。その神託を受けて追放者っていうものを思いつく人は全員読み戻したんだけども、危機が止まなかったので、どうなってるんだろうっていう形でもう一回神託を受けたら、追放者ってその人たちのものじゃないよっていうことが分かって、最終的に分かったのは、ここでいう追放者っていうのは海に沈めたテアゲネスの彫像だったというふうに気づいて、
それをなんとか引き上げて、テアゲネスの彫像をもう一回広場に置いてっていうふうにしたところ、危機が止んだっていうことがあったみたいですね。
すごいね、そこまででも神話の話というか、すごいですね。
これどうなんだろう、実際にあった話なのかどうか分からないけど、少なくともそういうことがあったっていう。
でもこういう話が残ってるってことですよね。
この彫像に関しては、まず処罰をされて、追放されて、御社を受けて訪問されて帰還したというような形で、刑罰に関してはフルコースを経験している。
手続きに関してはよく分かんないけど、少なくとも執行に関してはフルコースを経験しているっていう話があったりとかします。
結局古代アテナにあったら昔の話じゃないかっていう話なんですけど、
例えば19世紀のイギリスの話としては、人を死なせたもの、荷車であったりとか馬であったりとか船であったりとか、
そういうものに関しては神に捧げるものとして没収されるというようなデオダウンドという制度があったみたいですね。
犯行に使われたものを没収するっていうのは日本の刑事裁判でもありますけど、
ただ没収するのではなくて神に捧げるべきものとして没収するっていうような制度だったみたいですね。
没収されてどうするんですか?
どうなんだろうね。
なんか壊したりするんですかね?
神に捧げるっていうお話だから、おそらく浄化するみたいなことなんじゃないか。
なんか燃やしてとか。
日本でいうとお焚き上げみたいなことなんじゃないかなっていう気はしますけどね。
実際これ19世紀っていうことで、今はないのはなんでなのかっていう話なんですけど、
1841年の鉄道事故によって1100ポンドの高額デオダウンドを評価したというようなことがあった。
要は没収されるものが高額すぎて、さすがに大変すぎるということで、これなくなった制度ということみたいです。
それから賠償っていう形になっていて、
没収されて神に捧げるっていう形から被害者への賠償っていうものに変わっていったっていうことがあったみたいなんですけど、
それ以前のお話に関しては、賠償ではなくて没収されて神に捧げる。
要はそのものに責任を取らせるみたいなことですよね。
式会みたいなことなんで言ってしまえば。
確かに。
という形でも取られていたっていうことが19世紀まで続いていたと。
結構最近ですね。
そうですね。鉄道が動いてるくらいの時期ってことですもんね。
そう。
責任主体を求める社会の仕組み
なのでこの旧約聖書の時代から19世紀までずっとそういう裁判をするかどうかはともかくとして、
ものとか虫とかに対して責任を取らせるっていう発想があったっていうこと自体は共通して一貫しているので、
なんで中世ヨーロッパでは動物裁判なんていうわけわかんないものが起きていたのかみたいなことというよりは、
なんで人は物とか動物とかに対して責任を取らせるっていうような発想になるのかっていう、
そういうことを考えていくべきだと思うんですよ。
っていうふうに考えた時に、おそらく責任主体というような何か出来事があった時に最終的に責任を取らせる相手っていうものが誰なのかっていうものが、
誰もいないっていう状況はダメなんだろうなということが見えてくるわけなんです。
例えば幼児が死んでしまったり、村の作物が全滅してしまったりっていうものに犯人がいるのであれば、
その犯人を追い詰めることによって一応納得するかどうかはともかくとして秩序っていうレベルではわかり通るという話ではあるんだけれども、
ただ相手っていうものが何か原因不明なものになった場合には責任を取れる人が誰もいないというふうになった場合、
そのまま放っておくと秩序全体が崩壊するっていうようなことなんじゃないかなということなんですよ。
だからその時期によっては動物が問題という話にしたりとか、虫が問題という話にしたり、道具が問題という話にしたりっていうことが起きて、
それが中世ヨーロッパでは動物裁判という形で現れてるんじゃないか。
今日取り扱ってないですけど、おそらくそれが神様のせいだみたいな話に解決をして、
例えば雨が降らないから雨がお湯をするとかになったりすることも多分あったと思うんですけど、
何らかの理屈がつけられないと人間は秩序というものを維持できないんじゃないかっていうことがおそらく根本にあるんだろうなと思うんですね。
そういう観点から動物裁判を見た時にわかる話として、裁判には少なくとも何かしたものに責任を取らせるっていうこと自体だけではなくて、
その責任を取らせることによって、次の話として共同体全体に対して納得感をもたらして、
納得感をもたらすことによって通常を与えるっていうような、そういう構造が実はあるんじゃないかっていう話になっていきます。
ちょっと現代の法律家としてはあんまり指示しにくいところではあるんですけど、民衆のために行うものではないんじゃないかっていう気はするので、
ただもう少し広い、抽象的に言うと裁判手続きが守られていることによって法律を守る気になるみたいな、それぐらいのレベルで言えば実際にある話だなとは思うので、
そういう話と同じようになるべきであろうという正義が守られている状態にする必要っていうのは間違いなくあって、
その正義が守られているっていうような納得感のために誰が悪いかっていうのを一応決めましょうっていうことが動物裁判の本質なんじゃないかとは思うんですよね。
ごちゃごちゃ言ったんですけど、普通の会社でもよくある話であって、何かミスが起きてしまいました、問題がありましたっていうとき。
会社でもって言ったんですけど、会社じゃなくてもそうです。社会全体そうだと思うんですけど、何かミスがあって事故が起きましたっていうときに、
次以降気をつけますではやっぱり済まないことが多くて、再発防止に努めますみたいなことを言うだけではなくて、再発防止策みたいなものを立てて、
次以降こういうふうにしましょうっていうふうにしないと利害関係者が納得しないみたいなことっていうのは大いにあるわけじゃないですか。
たしかにそうですね。
特に上場企業とかだと株主が納得しないので、本当に意味があるかどうかはともかくとして対策を取ったことにするみたいなことっていうのは世の中でも普通に行われていることだと思うんですよ。
みたいなことの一環として動物裁判っていうのは機能してたんじゃないかなっていう、そういう話ですよね。
何かしないと収まらないモヤモヤを解消するっていう感じですね。
それは防止策として本当に本質的ではないんだけど、こういう対策を取ることによって今後は同じようなことが起きないように対策をしました。
EQみたいなのと同じように悪いのはこいつなのでこいつをきちんと裁きましたっていうことを言うっていう、そういう機能があったんじゃないかっていうことですね。
強いて言えばこの中世ヨーロッパっていう時代が出てるなっていうところは、何度か言ってるルネサンス期で人間中心主義っていうものが唱えられていた時代っていう話が、この共同体の秩序をきちんと保ちましょう。
裁判を納得感を与えるために秩序を保ちましょうっていうような方法として、自然界にあるような動物だったりとか虫だったりとかみたいなものを人間の手続きに当てはめるっていう方法を取った。
っていうのがまさにルネサンス期で行われていたような、人間の枠組みに当てはめようっていうことが行われたっていう意味では中世ヨーロッパ的ではあるのかなと思うんですけどね。
この時期の話というと、実はまた逆向きの話でも同じようにあって、ローマ教皇であるインノケンティウス4世が団体っていう概念を考えて、団体っていうものは犠牲された人格であって、
魂を持たないから波紋できない、波紋の対象にならないんだというような話をして、団体に責任を負わせるっていうことは難しいんだみたいなことを言いました。
動物に対して責任を負わせることによって納得感を得させるみたいなことをやりつつも団体に対して責任を取らせるっていうことはできないんだと。
責任って言ってもあれですけどね、お金の話じゃなくて波紋の話なんですけどね。っていう逆向きの話があったりとかします。
このあたりの線引きがどうなるのかっていう話があるんですけど、この団体、いわゆる法人格の問題ですかね、に関してはまた別でやろうかなと思っています。
日本の供養と動物裁判の違い
日本では動物裁判に関しては、前の動画でやったウサギが原告になった話のような環境保護団体、環境保護のために原告側に立つっていうものだけであって、動物に責任を取らせるタイプの動物裁判というものは行われてないんです。
例えば江戸時代のお話として、くじ型お定め書きっていうものには、牛や牛舎を人に引っ掛けた過失殺は死罪というものがあって、当たり前の話ですけど、牛舎であってもそれが誰か人を引いたとか、みたいな場合は牛ではなくて人間が死罪になるということが決まっていました。
なんか現代の価値観と同じというか。
少しでも日本の価値観なので、つながっているという感じはしますね、少なくとも今私たちも。
あとは江戸は火事が多くあったので、火事を出した時の賠償の問題とかがあるんですけど、火事に関しては5人組ですね、いわゆる。
というものがあって、その5人組で連帯責任になるというような形になったみたいです。
なので、中世ヨーロッパ的な価値観で言えば、火事とか災害があった場合には神様のせいとか、もしくは建物のせいとかわかんないけど、みたいな話になりそうな気がするんですけど。
日本の道具のせいとかになりそうな気がするんですけど、日本では少なくとも人が責任を取らされる。
しかもその人一人ではなくて関係ない人に関しても責任を取らされる。
じゃあその責任を分散させるという観点で言うと、全く逆の結論になるんですよ。
つまり犯人が誰かというのがすごく曖昧になるわけなんですよね、分散をさせるので。
納得感が得られないんじゃないかと。さっきの納得感がないと秩序が保たれないという話はどう解決するのか。
って言うと、日本では供養という概念で処理してきたということみたいです。
使い倒した道具っていうものを弔っていくというようなところで、責任を負わせるために神様に捧げるっていうような、
ネオダンドの真逆の問題として、八百十の神様が宿ってるこの道具たちをきちんと供養するという形で対応している。
針供養とか筆供養とか包丁供養みたいな言葉があって、そういう道具たこを入れしていくみたいな文化が少なくとも当時はあって、
そういった形で残るしこりみたいなものを解消していくことがあるみたいですね。
現代ではパソコンを供養するっていうようなサービスもあるみたいですよ。
すごいですね、それは。
確かにパソコンなんて高価なものだし、仕事上でずっと使ってるものだから、筆供養とかがあるのと同じことかもしれないですけど、すごく売却は沸きますもんね、確かに。
つまりヨーロッパに関しては裁判で決着をつけて終わらせるという形なんですけど、日本ではそれも含めて道具であったり動物と付き合い続けた上で、最終的に供養という形で痛みを抱え続けつつも解消していったというような形で、
違う方法で納得感を得ていった。納得感って言い方が正しいのかわかんないですけど、気持ちの面でも整理していったっていうような歴史的な違いはあるみたいですね。
こんなに真逆なのが面白いですね、西洋と。
AI事故と責任の行方
なんで今この話を取り上げたのかっていうことなんですけど、今AIの問題っていうことで、AIが事故を起こすみたいなことが頻繁に行われるようになりました。
これによって私たちの感覚としては、AIのせいだと、AIが悪いっていうような感覚をわりと日常的に持つことになってきてるんじゃないかなと思うんですよ。
それはすごく人間臭い動きをするからっていうところが非常に強くあるところではあると思うんですけど、ここまで非常に人間臭い動きをするAIっていうものは、
中世の人たちでいうところの動物っていうところに近いところまでは少なくとも来てるんじゃないかとは思いますよね。
ただ当然ながらAIでは財布はないわけで、謝っては来るんですけど、本当に反省はしないわけじゃないですか。
でもそれでも一応謝ってきて、謝罪をして、もうしませんと言ってくれると、なんとなく気が済むところはありますよね。
なんとなくAIと会話していて、怒って、二度とこういうことはないように気をつけてくださいとか怒るみたいなことが結構あったりとかしますけど、
それにはそういう効果はあるんじゃないかとは思うんですけど、例えばそれで、よく言うのがハルシネーションを起こしたとき、
Cat GPTがハルシネーションを起こしたときに、ジェミンに変えますよとか、クロードに変えますよ、解約をしますよみたいに脅すみたいなことを結構大真面目に言ってる人たちってよく言いますけど、
それで例えば解約をするみたいなことっていうのは、鳥像を海に捨てるみたいな行為と何が違うんでしたっけみたいなことが考えたりとかしますよね。
物に対する制裁ということですもんね。
その放出っていうところは、実は気持ちを沈めるためによって納得感を得るということで、動物裁判と全く同じことなんじゃないかっていうのはちょっと思ったりとかするということです。
人の根本は変わってないというかっていう気がしますね。
そう、責任を取るのは結局誰なんだというところで、古代人は牛であったりとか鳥像が責任を取ると。
中世になると鳥像が責任を取るってことはさすがにいなくなったんだけども、豚とかに責任を取らせます。
ただし手続きはしっかりしますと。
ネズミを呼び出すときにもきちんと何回も呼び出しの話をしますし、豚に関してもきちんと承認尋問をしますと。
そこから19世紀になるとお金を賠償することによって没収するというような形になり、現代では人間だけが責任を負うという形になりつつある。
じゃあその現代の人間だけっていうところからAIっていう新しいカテゴリーが生まれた今、誰が責任を取るんでしょうか?
っていうことは流れの中で意識をしていくと、責任を取るということはどういうことなのかっていう観点が生まれるんじゃないかなっていうのが今回のお話ということですね。
つまり今回の話の中で何が言いたいかっていうと、動物裁判っていうものは中世の人たちがおかしかったっていうお話の紹介ということではないっていうことなんです。
責任を取るものっていうもの、責任が誰にあるのかっていうものが曖昧な状態っていうのには原則人間は耐えられない。
もし耐えるとしたら供養のような何らかの仕組みが必要で、それがない限りは人間は耐えられないっていうことがわかる例として動物裁判っていうものがありますということなんですよね。
そんな中で誰が責任主体なのかというものが曖昧なAIっていうものが出てきたときに法的なものとは別として、
中世を守る納得感のレベルとしてどういう形でAIの責任、AIを活用した場合の責任っていうものを考えていくのかっていうところは今後も考えていかなきゃいけない問題なんじゃないかと。
そうですね。まさに今問題になってきてるっていうところですね。
というのが今回のお話というところです。
はい。
ということで今回はこの辺りでお開きにしましょう。
YouTubeでご覧の方はチャンネル登録と高評価、Podcastの方はフォローして次回の配信をお待ちください。
それから概要欄にお便りフォームがあります。ご質問やテーマのリクエストはこちらから番組の方で紹介するかもしれないのでぜひお願いします。
例えばAIのせいですというふうにミスをしたときに説明をした経験であったりとか説明をされた経験みたいなものがあればどんな出来事があったかみたいなところもぜひぜひコメントの方を寄せていただけると幸いです。
それではまた次回お会いしましょう。お相手は弁護士の三又と。
インターンの吉田でした。ありがとうございました。
01:06:54

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