モネと「積みわら」の背景
こんにちは。今日は、クロード・モネ、印象派の巨匠ですね、彼の有名な連作「積みわら」について、皆さんと一緒に深く見ていきたいと思います。
よろしくお願いします。
手元にある資料も、これ視覚情報なしでも、情景が目に浮かぶように、なんていうか、すごく丁寧に書かれてますよね。
そうですね。非常に配慮された資料だと思います。
これを元に、この積みわらがなぜこれほど重要なのか、そしてモネがどうやって光とか時間の変化を捉えようとしたのか、その確信に迫っていけたらなと。
はい。
さて、じゃあ早速ですが、紐解いていきましょうか。
まず時代都会書なんですけど、1890年から91年、フランスのジベルニーですね。モネが住んでいた家のすぐそばと。
そうですね。日常的な風景が舞台になったわけです。
ここでやっぱり疑問に思うのは、なぜそのありふれた積みわらを何度も何度も、それも25点以上も描いたのかってことですよね。
なんかちょっと不思議じゃないですか。モチーフとしてそんなに奥深いものだったのかなって。
そのなぜっていうのが、まさにこの連作を理解する一番面白いところであり、鍵なんですよね。
一見不思議に思える執着の裏には、モネの芸術に対する確信的な考え方が隠れてるんですよ。
確信的な考え方ですか。
彼が本当に描きたかったのは、積みわらっていうそのもの自体じゃなかったんです。
ものじゃなかった。
むしろ、その積みわらにあたる光、それを取り巻く大気、あと時間とか天気でコクコクと変わっていく様子。
あー、なるほど。
つまり、効果と彼が呼んだもの、あるいはその瞬間の画家自身の印象だったわけですね。
なるほど。じゃあ積みわらはある意味、光とか空気の変化を映し出すためのスクリーンみたいな、実験道具みたいな感じですかね。
あー、そうですそうです。まさにそんな感じです。
モチーフ自体が主役ではないっていうのは、これはもう当時の絵画からするとかなり新しい視点だったんです。
色彩と構図の工夫
えー。
それまでの、例えばアカデミックな絵画とか、朱術主義っていうのは、見たものをありのままに、正確に描こうとしてたわけです。
細かくきっちりとみたいな。
そうです。でも印象派はそうじゃなくて、画家が感じた光とか色彩とか、その場の雰囲気、それをどう表現するかに重きを置いた。
感じたままですか。
えー。だから積みわらは、その印象派の考え方をものすごく純粋に追求した代表的な例と言えるでしょうね。
その感じたままを表現するためにじゃあ、具体的にはどんな工夫を。資料を見るとそのあたりが見えてきそうですね。
えー、見ていきましょうか。
例えば構図。画面の真ん中あたりに円錐形だったり、台形みたいないろんな形の積みわらがありますよね。
ありますね。どっしりとした存在感があります。
で、背景には麦畑が広がってたり、遠くに木々が見えたり、家があったり。でも大事なのは、この背景も時間とか天気で全然違うんですよね。朝靄だったり、強い日差しだったり、雪景色だったり。
そうなんです。積みわらだけじゃなく、周りの風景全体でその時々の状況を描き出している。
あと視点も微妙に違いますよね。
ええ、そこも面白い点です。ある時は割と近くから描いて、積みわらのゴツゴツした感じが伝わるように。またある時は少し引いて、風景全体の中での積みわらの存在感を見せるように。正面からだったり、斜めからだったり。
なんかこう、私たちが積みわらの周りを歩きながら見ているような、そんな感じもしますね。
まさに、鑑賞者がその場にいるかのような感覚を意図していたのかもしれません。
そしてやっぱり、色彩ですよね。これはもう本当にすごい。モネの真、真骨頂というか。
ええ、ここが確信ですね。資料にもありますけど、光の変化に応じて、もう信じられないくらい多様な色を使っているんですよ。
例えばどんな感じですか?
そうですね。例えば早朝だと積みわらがピンクとか紫とか、ちょっと青みがかったりするんですね。繊細な色で。
へえ、ピンクや紫に。
それが日が昇ってくると、今度は明るい黄色とかオレンジ色に変わっていく。
で、夕暮れ時になると、もう燃えるような赤とかオレンジ、深い紫。そういう色が画面全体を覆うんです。
わあ、想像するだけでもすごいですね。
曇りや雪の日なんかはまた全然違って、白とか灰色とか、ちょっと鈍い青とか、そういうパレットになる。
同じ積みわらなのに、光だけでこんなに表情が変わるのかって本当に驚きますよ。
積みわら自体の色も、よく見ると黄色一色とかじゃないんですね。光が当たっているところは明るいけど、影の部分は青っぽかったり紫っぽかったり。
そうなんです。しかもその色を混ぜないで、細かいタッチで隣に置いていくような。
あ、それがいわゆる印象派の不失北分割ってやつですか?
光の変化と表現技法
ええ、そうですそうです。不失北分割。パレットの上で色を混ぜるんじゃなくて、純粋な色に近い小さな筆のタッチをキャンバスの上に並べていく。
例えば黄色と青の点を隣同士に描くと、ちょっと離れて見た時に見る人の目の中で色が混ざって緑に見えたり、あるいはお互いの色が引き立てあって、より鮮やかにキラキラ光っているように感じられたりするんです。
なるほど。目の中で混ぜさせると、だからあんなに明るくて光があふれているような感じがするんですね。
ええ、モネはこの技法で光の振動する感じとか、大気の透明感とか、そういう捉えにくいものを表現しようとしたんだと思います。
背景の色との関係も重要そうですね。
おっしゃる通りです。背景の空とか畑の色も、摘み藁の色と響き合うように、あるいは逆に対比させるように、すごく考えられて選ばれていますね。
例えば?
例えば、夕焼けで赤くなった摘み藁の背景に、捕食に近いような青緑の空を描いたりすると、お互いの色がぐっと際立って、より鮮やかに見えるんです。
ああ、なるほど。
こういう色の組み合わせで、その瞬間の光の強さとか、空気の色みたいなものまで描き出そうとしてるんですね。
こうやって聞いてくると、モネが目指したのは単に綺麗な田舎の絵を描くことじゃなかったんだなって、すごくよくわかりますね。
むしろ、変わり続ける自然、特に光の効果そのものをどうやって絵にできるかっていう、なんか壮大な実験だったような記載します。
まさに実験であり探求だったと思います。彼は同じ場所に何度も通ってイーゼルを立てて、太陽の動きとか雲とか大気の状態で変わる景色をものすごく素早く捉えようとした。
素早く?
ええ。時には複数のキャンバスを横に並べておいて、光が変わるたびに描くキャンバスを取り替えたなんて話もあるくらいですから。
へえ、それも徹底してますね。
この徹底した観察とそれを絵にするための新しい技法、これがやっぱりモネも印象派の中心にした理由でしょうね。
25点以上っていう数もその探求の深さというか、執念みたいなものを感じますね。一つ一つがその瞬間の、いわば時間の切り抜きみたいな?
そういう捉え方もできるでしょうね。一枚一枚が独立した作品でありながら、シリーズ全体としてみると、時間の流れとか光の変化っていう目に見えないものを見せてくれようとしている。
これって単にものを描くんじゃなくて、変化そのものをテーマにするっていうすごく近代的な感覚だと思うんですよ。
そういえばモネは晩年、視力がかなり悪くなったんですよね。白内瘡で。
ええ、そうなんです。
モネの制作への情熱
それでも描き続けたっていうのは、やっぱり描くことが彼にとっては生きることそのものだったんですかね。
うーん、その可能性は高いと思いますね。視力が変わっても、彼が捉えようとしてたのは細かい形とかよりも光と色がつくる全体の印象だったわけですから。
なるほど。
もしかしたらその視力の変化が、かえってより大胆な色彩に向かわせたなんていう側面もあったかもしれませんね。
彼の制作への情熱というか光へのこだわりは本当に生涯衰えなかった。
そのエネルギーが摘み藁とかあの後のスイレンにもつながっていくわけですね。
まさにその通りです。
こういうモネの試みっていうのは、後の時代の芸術にはどんな影響を与えたんですか。
ああ、それは非常に大きな影響がありましたね。摘み藁の連作は発表された当時からすごく注目されて、商業的にも成功したんです。
そうだったんですね。
それで印象派の評価がぐっと高まったという面もあります。
芸術的には同じモチーフを繰り返し描いて、時間とか光の変化、画家の主観性を追求するっていうやり方は、セザンネとかゴッホみたいなポスト印象派の画家たち、さらには20世紀の抽象外画まで多くの芸術家に影響を与えました。
対象そのものから、それをどう見るか、どう感じるかっていう方に重点を移したっていう点で、近代美術の大きな転換点になったとも言えると思います。
単に綺麗な絵っていうだけじゃなくて、美術の歴史を変えるくらいの力があったと。
そうですね。
日常の見方の変化
なんだか私たちが見る上でも、いろいろ考えさせられますね、この連作は。
これをもう少し大きな視点で見ると、私たちの普段の物の見方にも何か問いかけているような気がするんですよ。
普段の物の見方ですか。
普段私たちは周りの物を固定された物として見てしまいがちですよね。
でもモネの絵を見ていると、同じ物でも光とか時間とか、あるいは見る側の気持ち次第で、いかに違って見えるかっていうことを教えてくれる。
確かに。例えば毎日通っている道とか、家の窓からの景色とかも、意識してみれば朝と夕方、晴れの日と雨の日じゃ全然違う色や雰囲気を持っているはずですもんね。
そうなんです。でも意外とその変化の豊かさって見過ごしちゃってるかもしれない。
ああ、そうかもしれないですね。
モネの摘み藁は私たちにもっと身の回りの世界の変化そのものに目を向けて、その面白さとか美しさを再発見してみたらどうだいって促しているような気もするんです。
なるほどな。
それって日常をより豊かに味わうための何かヒントになるんじゃないかなと。
ということは摘み藁の連作を見るっていうのは、単に昔のフランスの農村の絵を見るっていうことだけじゃなくて、モネの目を通して光とか時間そのものの移ろい、その捉えどころのないものを一緒に体験するような、そういうことなのかもしれないですね。
ええ。
だから同じモチーフなのに一つも同じ絵はなくて、それぞれが違う輝きを持ってるんですね。
さらにその一回性と、でも連作としての連続性、その両方を表現したのがこの連作の革新的な価値だと思います。
移ろいゆく瞬間の美しさと、それを捉えようとする画家のがんまし、その二つがキャンバスの上で見事に一緒になっている。
私はありふれた摘み藁をしつこいくらいに観察し続けることで、そこに無限の光と色のドラマを見つけ出したわけですけど、さて、これを聞いているあなたにとって、日常の中での摘み藁みたいな存在って何でしょうね。
うーん、面白い問いですね。
もし何か一つ身近なもの、それは家の窓からの眺めでもお気に入りのマグカップでもいいんですけど、それを時間をかけていろんな光の中でじっくりと見続けたら、そこにはどんな新しい発見とか思わぬ美しさが見えてくるでしょうかね。