コローの作品についての紹介
こんにちは。今回の深掘りの時間です。
今日はですね、19世紀フランスの画家、8.. コローの代表作ですね、
「モルトフォンテーヌの思い出」について、ちょっと語り合いたいなと思ってます。
あー、コローのモルトフォンテーヌ、いいですね。非常に詩的な作品ですよね。
そうなんですよ。今回使う資料が、これがまたちょっと面白くて、
視覚に障害を持つ方にも、絵の情景がちゃんと伝わるように描かれた、すごく詳しい解説文があるんです。
えー、それは興味深いですね。言葉で絵を立ち上げるですか?
その視点が、もしかしたら私たちにも何か新しい発見をもたらしてくれるんじゃないかな、なんて思ってまして、
この解説を手がかりに、コローがどうやってこの絵の独特の夢みたいな空気感を作り出したのか、
それから、なぜこれが単なる風景画を越えて多くの人の心に響くのか、その辺りを探っていきたいなと。
なるほど。
早速なんですけど、この絵ってタイトルが思い出じゃないですか。
ただの風景ってより、何か特別なものが込められてる感じがしません?
まさにそこですね。そこがこの絵を理解する上で、すごく大事なところだと思います。
単に目の前の景色を描いたっていうんじゃなくて、画家の記憶とか感情とかが深く関わってる。
それをちょっと頭において、まずはその解説文が描写している絵の要素、これを一緒に見ていくと、より深く味わえるんじゃないでしょうか。
なるほど。記憶とか感情ですか。それを意識しながら解説の描写を見てみますね。
まず、穏やかな湖畔の風景だと。
右側に大きな木があって、幹がすごく力強い感じ。
枝葉が画面の上の方を覆うように広がってる。
その右の大きな木ですね。あれが構図の中心というか、要は要になってますよね。
画面全体にどっしりした安定感を与えつつ、見る人の視線を自然に左側の湖の方へスーッと導くような役割があるんです。
それと、枝葉がまるで額縁みたいになってて、それで奥の風景に奥行きが出てる。
単に木を描いただけじゃない計算された配置ですよね。
計算された配置。へー、なるほど。
中央から左にかけては、静かな湖面が広がっていて、そこに木々の緑が写り込んでる。
それから湖のほとりに二人の女性がいますね。
一人は立ってて、もう一人は座ってる。遠くの景色は木々がぼんやりシルエットになってる。
この描写、言葉だけでも結構イメージ湧きますね。すごく丁寧。
そうですね。その丁寧な描写の中でも、特に人物の扱い方、これが面白いんですよ。
解説にもありますけど、服装は当時の田舎のまあ疾走な感じですよね。
でも表情とかどっちを見てるとか、そういうのはわざと曖昧に描かれてるんです。
ああ、確かに。言われてみると顔とかよく見えないですね。
ええ。これは特定の誰かを描こうとしてるわけじゃなくて、あくまで風景の中に溶け込ませる、そういう存在として捉えてるからなんです。特命的なというか。
はは、だから服装の色も茶色とか灰色とか、周りの自然の色に合わせた落ち着いた色になってるんですね。人物が主役って感じじゃないんだ。
まさに、人物は風景の一部であって、全体の私的でちょっと物話ような雰囲気を高めるための要素なんですね。
もし人物たちがくっきり描かれてたら、全然違う、もっと現実的な絵になってたかもしれないですね。
なるほど。風景の静けさとか、なんか儚い感じとかが、この人物の描き方でむしろ強調されてるわけですか。
そういうことです。面白いですよね。
いやー面白いですね。人物までが雰囲気作りの要素になってると。その雰囲気を作り出してるのが、解説で次に注目されてる色彩と光の使い方。特にあの独特の光、これについてもうちょっと詳しく見ていきましょうか。
解説によると、全体の余地調は銀灰色が基本になってるってありますね。落ち着いた静かな印象を与えると。
この銀灰色、これがコローの、特に晩年の作品を特徴付けるすごく重要な色合いなんです。単なるグレーじゃなくて、光を含んだような、キラキラした感じと落ち着きが一緒になったような色。
これが画面全体に統一感を与えて、あの独特の静かで、詩的で、でもどこか懐かしいような空気感。これを生み出す鍵になってるわけです。
鍵ですか。なるほど。木の緑も、ただの緑一色じゃなくて、明るい色から深い色まですごく幅があって、葉っぱの茂り具合とか光の当たり方とかが豊かに表現されてるって書いてありますね。
米の青も空の色を映してて穏やかで、なんか柔らかい光を感じさせる色合い?
そうなんです。それで資料が、光の表現が非常に巧みって指摘してる点、ここが重要で。朝靄なのかそれとも夕暮れなのか、ちょっとはっきりしない捉えどころのない光ですよね。
これを実現してるのが、古老が晩年によく使ったぼかしとかにじみっていう技法なんです。
ぼかしとにじみですか。具体的にはどういう効果があるんですか?
これは物の輪郭線、エッジをわざと割上げて、はっきりさせない描き方ですね。そうすることで形と形の境目が曖昧になって、まるで空気と光が溶け合ってるような柔らかくて幻想的な印象を作り出すんです。
すべてをくっきり細かく描く写実主義とはここが大きく違う点ですね。
ああ、なるほど。現実をそのまま映すんじゃなくて、その場の空気感とか光そのものを描こうとしているみたいな。
まさにそういうことです。だから、あの夢の中のようなちょっと現実離れした感じがするんですね。単なるテクニックじゃなくて、古老が表現したかった世界観と深く結びついているわけです。
コローの芸術的意図
いや、すごいですね。空気感や光そのものを描く。そうか。だから、目に見える現実の風景が、画家の心の中にあるもっと詩的で感情がこもった風景に変わっていく。
それがモルトフォンテーヌの思い出が持っている、あの特別な魅力の源泉なんだろうな。
ええ、そう言えると思いますね。ここで少し作者の古老とその時代についても触れておきましょうか。彼は19世紀のフランスの画家で、バルビゾン派の一人として数えられますね。
バルビゾン派っていうと、自然をありのままに描こうとした人たちですよね。森とか畑とか。でも今のお話だと、古老はありのままっていうよりは、なんかもっと内面的なものを描こうとしたみたいに聞こえますけど。
ああ、いいところに気づかれましたね。鋭い。確かにバルビゾン派は都外、つまり外で絵を描いたりして、自然主義的な風景画を目指したグループです。
でも古老、特に晩年の彼は、そこからさらに一歩進んで、自然に対する自分の感情とか、詩的な思いとかを絵に投影していく方向に向かったんですね。
なるほど。単に見たままじゃなくて、感情を乗せると。
そうなんです。このモルトフォンテイルの思い出が描かれた1864年というのは、まさにその詩的な、ユメゲン的な古老独自のスタイルが完成した時期にあたるんです。
だから、解説にもあるように、これは特定の場所の風景を描いたものではなく、古老自身の記憶や感情を重ね合わせた理想化された風景であるって考えられてるわけですよ。
理想化された風景。ああ、なるほど。つまり心の中の風景。よく言う心象風景ってことですよね。
そう言われてみると確かに、ただ綺麗な景色っていうだけじゃない、何か個人的な思いがそこに込められてるような気がしてきました。
これを知ると、絵の見方が何かガラッと変わる感じがします。あなたはどうですか?ただ綺麗な絵というだけじゃない深さを感じませんか?
ええ、まさにそこが古老の芸術の確信に迫る部分だと思いますね。
彼の目的は、もう単に目に見えるものを記録することじゃなくなった。
自分の内面にある記憶、夢、憧れみたいな、そういう形のないものを風景画っていう形式を借りて表現しようとした。
これは後の印象派にもつながっていくような絵画における大きな転換点とも言えるかもしれないですね。
絵画の転換点。へえ、じゃあ単に昔の綺麗な風景画っていうだけじゃないんですね、この絵は。
そうなんです。だからモルトフォンテーヌの思い出が古老の最高傑作の一つって言われるのは、技術的な完成度ももちろん素晴らしいんですけど、
それ以上に、なんていうか、見る人の心の琴線に触れるような、普遍的な思情とかノスタルジーを呼び起こす力があるからでしょうね。
具体的な場所を超えた記憶とか感情の風景だからこそ、時代とか文化を超えて共感を呼ぶんじゃないでしょうか。
コローの光と雰囲気
その見る人の心に響く力。解説でも、「笑顔を見る人に安らぎと公衆の念を感じさせる。」って書かれてますね。
銀灰色の穏やかな光、静かな湖面、風景に溶け込む人影。今までの話を踏まえて改めて想像すると、確かに心が落ち着くような、
どこか遠い記憶を呼び覚まされるような、そんな感覚がありますね。あなたもこの解説を聞いてそんな気持ちになりませんか?
ええ、なりますね。その感情に訴えかける力、普遍性こそが、この作品が特別と言われる理由でしょう。
後世の画家、特に光とか空気の効果を追求した印象派の画家たちにも影響を与えたのは、単なる技法だけじゃなくて、こういう詩的な質にあったんだと考えられます。
具体的なストーリーがあるわけじゃないのに、見る人それぞれが自分の記憶とか感情を重ね合わせることができる。そういう余地があるんですね。
余地があるか、なるほど。
改めて思うのは、やっぱりコロの晩年の作品における光と雰囲気の描き方の巧みさですね。
彼は光を描くことで単に明るさとか時間を示すだけじゃなくて、記憶とか感情とか、そういう目には見えないけど人が確かに感じ取るもの、それを表現しようとした。
これはある意味風景画とは一体何なのかっていう問いを私たちに投げかけているようにも思えますね。景色を描くだけが風景画なんだろうかと。
いやー深いですね。風景画とは何かですか。さてここまでいろいろと探ってきましたが、結局のところこのモルトフォンテーヌの思い出という絵画は私たちに何を教えてくれるんでしょうか。ちょっとまとめてみましょうか。
はい、お願いします。
まず一つ目はこの絵は単なる風景の写生じゃなくて、画家の鋭い観察と個人的な記憶や感情が合わさって生まれた理想化された風景、つまり心象風景なんだということですね。現実の場所を超えたもっと普遍的なイメージ。
そうですね。
それから二つ目、その独特の雰囲気を生み出しているのが、あの銀灰色を基調とした色彩とぼかしやにじみを使った柔らかな光の表現。これらが組み合わさって素敵で夢のようで、どこかノスタルジックな世界観が作られている。
まさに光と色彩の魔法ですね。
そして最後に、だからこそこの絵は単なる写実を超えて、見る私たちの心に直接働きかけて、安らぎとか吸収とか、そういう深い感情を呼び起こす力を持っている。技術と感情が見事に結びついた、まさに傑作ってことですね。
素晴らしいまとめだと思います。そして、資料が指摘していた記憶や感情を重ね合わせた理想化された風景という点、これを少し私たち自身に引きつけて考えてみるのも面白いかもしれないですね。
理想化された風景の考察
と言いますと?
つまりですね、資料ではこの絵が記憶と感情から生まれた理想化された風景だと述べられていましたよね。
これを考えると、あなた自身の記憶って、現実のあるいは想像上の風景をどういう風に形作っているでしょうか。
例えば、子供の頃に遊んだ場所とか、旅先で見た忘れられない景色、あるいは夢で見た風景とか、それらって写真みたいに正確な記録として頭の中に残ってますか?
それとも、時間が経つにつれて、ご自身の感情とか思い、あるいはこうだったらよかったなみたいな願いとかが加わって、少しずつ理想化されたあなただけの特別な風景になっていたりしませんかね?
あなたにとっての理想化された風景って、一体どんなイメージを持つものなのか、ちょっと考えてみるのも面白いかもしれませんよ。
自分だけの心象風景か。確かに意識してなくても、誰の中にもそういう景色ってあるのかもしれないですね。
コローの絵をきっかけに、自分の内内面を探ってみる旅に出てみるのもまた一興かもしれませんね。
さて、今回の探究はここまでとしましょう。ご一緒いただきありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
また次回の探究でお会いできれば嬉しいです。